ヴァンフォーレ甲府熱血サポーターへの道!!

山梨に住むユタカのブログ。地元ヴァンフォーレを応援してこのブログもなんと18年目を迎えました。ヤングパワー炸裂!

熱血的歴代ゴール数ランキング 10位~8位

2020-05-30 | Weblog
ヴァンフォーレに在籍している期間に誰が一番ゴールを奪ったのか、ランキング形式で紹介していくこの企画。記念すべきこのコーナーの初回は、10位から8位をお届けしたいと思います。

※対象期間は2005年から2019年の15年間です。


【第10位】ドゥドゥ選手
在籍:2016年7月~2017年、2019年~
年別得点数
2016年 4ゴール
2017年 5ゴール
2019年 7ゴール
計16ゴール

第10位は現在もチームに所属しているドゥドゥ選手。柏に移籍したクリスティアーノ選手と入れ替わるようにして2016年7月に途中加入したドゥドゥ選手は、移籍後初出場となった2ndステージ第4節鹿島戦で強さと機敏さ&巧さを同時にみせるスーパーゴールを挙げて評価を高めると、次の名古屋戦でもチームのJ1残留を手繰り寄せる決勝点を決めて一気にエース候補に躍り出ます。ハーフシーズンで4得点を記録すると、翌年はケガを抱えながらプレーすることが多くなりますが、それでもJ1の舞台で29試合に出場し5ゴールを奪いチーム2位の得点を記録します。2018年はチーム編成の影響を受けて福岡に期限付き移籍。そこで活躍して復帰した2019年はシーズン終盤戦に太ももを負傷して欠場するものの、29試合で7得点を決めました。

ドゥドゥ選手と言えば高い足元のテクニック力を活かしたドリブル突破でのチャンスメークというイメージが強いのですが、得点チャンスと判断したら多少強引でもシュートまで結びつけるたくましい精神力を持っています。まさに狙った獲物は逃さない鷹のような切れ味がドゥドゥ選手にはあります。来る2020年シーズンは二桁得点を目指して頑張ってほしいですね。


加入後初試合のドゥドゥ(甲府)が貴重な勝ち越し弾を決める! 【ゴール:明治安田J1 2nd 第4節 甲府vs鹿島】


ドゥドゥ選手の代表的なゴールと言えばこのゴールでしょうね。



【第9位】石原克哉選手
在籍:2001年~2017年
年別得点数
2005年 3ゴール
2006年 2ゴール
2007年 5ゴール
2008年 2ゴール
2011年 1ゴール
2012年 1ゴール
2014年 3ゴール
計17ゴール

第9位は石原選手。石原選手のプロデビューは2001年で初年度からヴァンフォーレでレギュラーとして活躍しており、2004年までで計13得点を挙げています。しかし今回の対象期間は2005年からでそれを除くので、この得点数&順位となっています。元々彼は前目のポジションで活躍するサイドアタッカーだったのですが、キャリアを積み重ねていくごとにサイドバックや中盤の真ん中&ボランチにも挑戦してきました。自分の得点欲よりもチームへの貢献度の高さ。その心意気がキャリア中期から晩年にかけて顕著に得点数として反映されている感じですね。ゴールを奪うときは泥臭く決めるイメージの石原選手。2014年の活躍がまさにそのようなゴールが多かったシーズンでした。


2014 J.LEAGUE GOAL COLLECTION J1 第4節 石原 克哉(甲府)


石原選手の代表的なゴールは泥臭く粘って決めた素晴らしいこのゴール。


【第8位】ピーターウタカ選手
在籍:2019年
年別得点数
2019年 20ゴール
計20ゴール

第8位はピーターウタカ選手。ウタカ選手は178cmと身長はそれほど高くはないのですが、鍛え上げられたガッシリとした体格を活かして混戦状態でもしっかりとボールをキープしつつ、力強く俊敏なドリブルから冷静にシュートをゴールに流し込む術を持っていましたね。あとはボールをもらったらフィニッシュまでやりきる貪欲さもあり、2019年のチームはウタカ選手にラストで合わせていくという全員の意思統一が取れていたと思います。またコンスタントに1点ずつという感じではなく、1試合でハマれば2点を取る ‘固め打ち’ タイプでしたが、得点ランキングで4位に入る20得点を挙げるなど、5位によるチームのプレーオフ進出に大きく貢献しました。


【公式】ゴール動画:ピーター ウタカ(甲府)54分 ヴァンフォーレ甲府vs横浜FC 明治安田生命J2リーグ 第15節 2019/5/25


最後までやりきるウタカ選手は頼もしいですね。



【第8位】長谷川太郎選手
在籍:2003年~2007年7月
年別得点数
2005年 17ゴール
2006年 3ゴール
計20ゴール

ウタカ選手と同率で8位に入ったのは長谷川選手。2004年に3得点を挙げていた長谷川選手が一番輝いたのは2005年のことでした。バレー選手と2トップを組んでゴールを量産し、スタイルが3トップに変わったチームでも石原選手とともにサイドを積極的に仕掛けて次々とチャンスを作り出しました。このシーズンに積み上げたゴール数は ‘17’ 。得点ランキング4位にランクインし、抜群の瞬発力を活かしたプレーで見るものを魅了しました。J1に舞台を移した2006年は3得点を挙げ、2007年の夏にチームを去るまで存在感を発揮しました。


長谷川太郎プレー集


ヴァンフォーレ以外のものもありますが、長谷川選手の良さをまとめたプレー集です。2005年シーズン終盤札幌戦のゴールや最終節京都戦での同点ゴールは印象的だったなぁ。




にほんブログ村 サッカーブログ ヴァンフォーレ甲府へにほんブログ村
※ランキング参加中!1クリックお願いします♪

J2リーグは6月27日再開!

2020-05-29 | Weblog
Jリーグは、新型コロナウイルスの感染拡大により試合開催を長らく延期していましたが、流行がひとまず落ち着いてきたことを考慮してJ1は7月4日から&J2とJ3は6月27日からリーグを再開(J3は開幕)することを発表しました。よってJ2に所属するヴァンフォーレは、6月27日(土)か28日に試合が開催される見込みとなりました。まずは無観客での試合開催スタートとなり、今後の感染拡大状況に応じて順次スタジアムにサポーターが入場できる準備を進めていくようですね。また試合の日程は第2節以降一旦すべてリセットし、移動の負担があまりかからない近隣クラブとの対戦を優先するように組み直します。その対戦カードと再開後の試合日程は6月15日(月)に発表を予定しています。

これまで何組かに分かれて自主トレーニングをこなしてきたヴァンフォーレですが、リーグ再開に合わせて6月2日から全体練習を再開することを発表。選手&チームスタッフの検温や体調管理はもちろんですが、手洗いとうがいの徹底&いわゆる ‘3密’ を避ける感染予防を引き続き行っていくようですね。なお全体トレーニングの練習見学やファンサービスは引き続き中止の方針です。ご注意ください。


…とりあえずですが、懸念されていたリーグ再開日が決まりました。選手たちもただ単にトレーニングをこなすのではなく、仕上げる目標日が生まれたことでより練習にも身が入ると思います。またサポーターにとってもひとまずは無観客試合ですが、応援する好きなクラブの試合をメディアを通して観ることができる楽しみが生まれるので、ひと安心でホッとしているのが正直なところだと思います。しかしまだ新型コロナウイルスの流行が落ち着いてきただけで完全になくなったわけではありません。油断してるとすぐに感染拡大&リーグ中断に繋がってしまうので、決して油断せずにウイルスと向き合いながら対策を万全に行って生活していきましょう。そしてスタジアムで生でサッカー観戦ができる日が早く来るようにみんなで努力していきましょう!




にほんブログ村 サッカーブログ ヴァンフォーレ甲府へにほんブログ村
※ランキング参加中!1クリックお願いします♪

熱血的歴代ゴール数ランキング企画始めます

2020-05-29 | Weblog
サッカーはやはりゴールシーンが最大の魅力。ゴールはチームを勝利に近づける材料となり、そして見るものを大いに熱狂させます。


…ということで今回ゴールに関する企画を始めたいと思います。題して『熱血的歴代ゴール数ランキング』。ヴァンフォーレに在籍している間に誰が一番ゴールを奪ったのか、それをランキング形式で発表していきたいと思います。なお対象期間は2005年から2019年までの15年間。なぜ15年間かというと、自分が持っている選手名鑑の資料が2005年からという理由です。クラブの正確な歴代ゴール数ではありませんが、このブログ独自のランキングとして捉えてください。このコーナーの更新は3回を予定しています。どうぞこれからお楽しみに!




にほんブログ村 サッカーブログ ヴァンフォーレ甲府へにほんブログ村
※ランキング参加中!1クリックお願いします♪

マイク世界挑戦への道 シリーズ一挙公開

2020-05-28 | Weblog
先日ヴァンフォーレへの加入が発表されたハーフナー・マイク選手。このブログではマイク選手を応援し、彼が日本代表に初選出されて代表合宿に参加した次の日から特別に企画を設けて特集記事をスタートさせました。その特集とは『マイク世界挑戦への道』。

合宿メンバーから試合のメンバーに生き残ったマイク選手はW杯アジア予選に出場しゴールを決め、一気に注目度が増して海外挑戦を決意。オランダでの奮闘やスペインへのチャレンジなどを経て帰国。今年ヴァンフォーレに戻り練習参加するまで11回に渡って展開してきました。正式加入の記事も含めると計12回更新しましたが、マイク選手が約9年ぶりに加わった今回の機会に改めてこのコーナーを振り返りたいと思います。それではどうぞ!



【マイク世界挑戦への道】
『マイク世界挑戦への道1』
『マイク世界挑戦への道2』
『マイク世界挑戦への道3』
『マイク世界挑戦への道4』
『マイク世界挑戦への道5~移籍先決定~』
『マイク世界挑戦への道6~オランダリーグデビュー~』
『マイク世界挑戦への道6.5~オランダ初ゴール!~』
『マイク世界挑戦への道7~オランダ初挑戦の評価~』
『マイク世界挑戦への道8~目覚め~』
『マイク世界挑戦への道9~オランダ2年目終了&W杯出場権獲得へ~』
『マイク世界挑戦への道10~オランダからスペインへ~』
『マイク世界挑戦への道11~帰還~』
新加入選手発表⑥
※動画は大幅に削除されているところがあります。ご了承ください。



マイク選手がこれからヴァンフォーレで活躍してこのコーナーが12回、13回と続いていくことを期待しています。




にほんブログ村 サッカーブログ ヴァンフォーレ甲府へにほんブログ村
※ランキング参加中!1クリックお願いします♪

自主トレーニング再開!

2020-05-25 | Weblog
ヴァンフォーレは新型コロナウイルスの感染拡大を考慮して4月6日から活動を休止していましたが、5月14日の山梨県を含む39県の緊急事態宣言解除を受けて5月19日(火)から自主トレーニングを再開させています。当面は感染予防をしっかり行いながらグループごとに分けて時間差でやっていき、再開日が決まったらそこに照準を合わせて全体練習も進めていく予定のようですね。

また現在は練習見学が中止されているので通常はそのトレーニングの様子を見ることができませんが、広報の方が初日から特別に動画を撮ってくださっていてその様子をYouTubeに上げている(ありがとうございます!)ので、動画をここでも紹介したいと思います。またただ載せるのではなく、各動画ごと簡単なチェックポイント(見どころ)を加えております。なおヴァンフォーレ甲府の公式チャンネルではこのトレーニング動画の他にも、谷フィットネスダイレクターによるエクササイズや今津選手のゴリラッパンダのダンス動画などもあるので、ぜひとも皆さん一度訪問してみてください。



5月19日
5月19日(火)自主トレーニング


【チェックポイント】
☆荒木選手からスタート
☆ミーティング時選手たちの距離感
☆コーチはマスク
☆緑生い茂る韮崎芝生グラウンド


5月20日
5月20日(水)自主トレーニング


【チェックポイント】
☆マイク&入間川選手バースデー
☆33歳と21歳のコメントの違い
☆ドゥドゥ&バホス&山本選手のサービス精神
☆ぺこぱ


5月21日
5月21日(木)自主トレーニング


【チェックポイント】
☆体力テスト
☆中村選手テストに臨む意気込み
☆軽快なマイク選手の姿


5月22日
5月22日(金)自主トレーニング


【チェックポイント】
☆渋谷コーチ&伊藤監督のマスク姿
☆体幹トレーニング
☆ドゥドゥ&バホス選手のチャーミングな笑顔
☆中山選手の一発ギャグに対する小柳選手の乾いた反応


5月23日
5月23日(土)自主トレーニング


【チェックポイント】
☆ランニングからのダッシュ
☆GK俊敏性トレーニング
☆鳥かご
☆サービス精神旺盛のドゥドゥ選手と橋爪選手
☆監督と選手マンツーマントレーニング


5月24日
5月24日(日)自主トレーニング


【チェックポイント】
☆格好いい松田選手
☆狭いエリアでのボール回し
☆岡西選手ハイボール処理
☆サーキットトレーニングからのクロス→シュート


…来るべきリーグ再開に向けてケガなく万全な準備をしてほしいと思います。




にほんブログ村 サッカーブログ ヴァンフォーレ甲府へにほんブログ村
※ランキング参加中!1クリックお願いします♪

歴代マイベストイレブン~番外編~

2020-05-24 | Weblog
約2週間に渡って続けてきました『歴代マイベストイレブン』のコーナー。今回はその番外編として、各ポジション第1位の選手を集めて実際にフォーメーションを組んでチームとしての可能性を想像しながら考察してみたいと思います。そしておまけとして、惜しくも入らなかった第3位以下の次点の選手たちも特別に紹介していきたいと思います。






フォーメーションは4-1-2-3。まずはDFですが、冷静な判断力と的確な指示が出せる山本選手が守備統率を主に行い、センターバックでコンビを組むダニエル選手がその屈強な体格を活かしてハイボールの処理を担当。両脇のディフェンスは、堅実で安定感のある阿部翔選手と驚異的な運動量で精力的な上下動ができる杉山選手でサイドのスペースを締めます。守備的な働きやセンターバック経験も豊富な林選手がアンカーの位置にいるのも影響力が大きく、有事には2人のセンターバックの間に入って変則的な3バックになることもできます。GKの荻選手は周りのディフェンス陣と連携をとって組織的なディフェンス網を敷くことで、チームの守備のまとまりを形成。これらの選手たちが構成する守備はとてもバランスが良く、どんな特徴を持った対戦相手でも柔軟に対応できると思いますね。

続いてMF。林選手が中盤の底の位置でDFとMFの橋渡し的な役割をこなし、ボールを多く触ることで試合のリズムを作り出します。抜群のテクニック力を誇る藤田選手は長短のキックで状況打開のパスが出せ、石原選手は幅広いエリアをケアできる運動量があり攻守の場面で顔を出すことが可能に。バランサー&ゲームメーカー&汗かき役と三者三様の特徴が揃っています。

最後にFW。前に仕掛けるスピードと左足の高い技術で高精度のクロスボールをゴール前に供給でき、またカーブをかけたコントロールショットを狙える片桐選手を右サイドに配置。左サイドは巧みな足元のテクニックを駆使したドリブル突破がうまいドゥドゥ選手が、中央にカットインしながら右足でゴールに向かっていくプレーを披露します。中央には194cmのハーフナー・マイク選手がゴール前で待ち構えます。サイドで相手守備網を切り崩してマイク選手の頭というフィニッシュはまさに黄金パターン。直接ヘディングに繋げられなくても、ポストプレーを行うマイク選手を攻撃の軸として近くでプレーするドゥドゥ選手や片桐選手がミドルで狙っていくパターンも考えられますね。ちなみに指揮官は城福監督です。

一人一人個性的な能力を持つ選手たちが多かったのですが、それらの長所に隠れて目立ちにくい短所を他の選手が補えるのがこのチームの特徴。守備を固めることができれば攻撃的に攻めていくことも可能で、スピード&パワーを必要とする攻守の両面でも輝ける夢のようなチームになっていると思います。実現不可能ということは重々承知していますが、一回このチームで戦うシーズンを見てみたいですね。個人的な勝手な妄想でした。


次に大接戦ながら惜しくもベストイレブン候補に入らなかった第3位以下の選手を簡単に紹介していきたいと思います。なおフォーメーションは変わらず4-1-2-3です。


GK坂本武久選手
在籍:1994年~2000年
韮崎高校卒の地元出身選手。甲府クラブからヴァンフォーレ甲府に改称しJ2に入った初期を支えた守護神。現在はアカデミーのGKコーチを務めています。

LSB高野遼選手
在籍:2017年8月~2018年
横浜から期限付きで加入。その高い攻撃性と左足でのクロスボールで次々とチャンスを作り出しました。その後は横浜に帰還しますが、1年半という短い期間でも強烈なインパクトを残したと思いますね。

CBアライール選手
在籍:2002年7月~2006年
大木監督に連れられてレンタル加入し2003年から完全移籍。左サイドバックと併用してこのポジションを務めていましたが、個人的にはセンターバックのイメージの方が強い選手。2005年リーグ最終戦の京都戦で彼の決勝ヘディングがなかったらJ1昇格に繋がる入れ替え戦出場はありませんでした。愛称は ‘アライさん’ 。

CB佐々木翔選手
在籍:2012年~2014年
大卒1年目からレギュラーに定着。初めはサイドバックでの出場ながらしっかりした体幹で競り負けないフィジカルと出足の速いディフェンスを活かしてセンターバックとして大成しました。広島移籍後は日本代表に上り詰める成長をみせています。マイベストイレブンの選考でも相当迷った存在。

RSB福田健介選手
在籍:2012年~2016年
サイドを突破する派手さはなかったものの、高い守備力で城福&佐久間体制下でサイドを支えた職人タイプ。右足の高いキック精度でセットプレーのキッカーを務める意外性もみせました。

AN新井涼平選手
どちらかと言えば守備的MFとしての選出。鋭い寄せと激しい当たりでボールを奪い取りに行ける貴重な存在で、CBとしても守備統率もできる柔軟性も持っています。これからも活躍が期待できる現役選手。

CH稲垣祥選手
在籍:2014年~2016年
僅差でマイベストイレブン入りを逃した存在。お化けのような運動量とスタミナ&高い守備力で中盤の広いエリアを駆け回るダイナモ。シャドーとして前線の守備を一手に担う期間もありましたね。甲府退団後は広島に移籍し、2020年は名古屋にてプレーしています。

CH佐藤和弘選手
在籍:2018年~2019年
明るい性格でサポーターから人気があり、チームにグータッチを広めたムードメーカー。プレー面では動きながらパスを捌けるムービングサッカーの中心選手として数々のゴールを演出しました。現在は大分に在籍。

WGクリスティアーノ選手
在籍:2014年、2016年~6月
スピードあふれるドリブル突破と強烈なシュート&競り合いの強さと攻撃面で必要なすべての能力を備える万能選手。チームの勝利に導くスーパーゴールを決める一方で自己完結型のプレーも多く、批判の対象となることもしばしば。移籍した柏ではチームプレーも積極的に行い、よりパワーアップしています。

WG長谷川太郎選手
在籍:2003年~2007年7月
小柄ながらもスピードあふれる突破で数々のチャンスを作り出したヴァンフォーレのスピードスター。特に2005年は17得点を挙げてチームの初昇格に大きく貢献。

CFバロン選手
在籍:1996年、1998年、2004年
屈強なフィジカルを活かし、圧倒的な迫力でゴールに迫るヴァンフォーレで得点を量産した ‘本格派’ 外国籍選手。3度の在籍時にはすべて得点ランキング上位に入る活躍を残しています。ヴァンフォーレで初めて ‘当たった’ 外国籍選手かもしれません。

監督:安間監督、佐久間監督
安間監督は退任した大木監督の独特な攻撃サッカーを引き継ぐという難しいミッションが課せられていたなかで、思うような結果は残せませんでしたが後の昇格へ繋げる土台を作ってくれた存在としての評価。佐久間監督(現GM)はチーム状態が混乱したなかでの2度の途中就任でチームを立て直そうと尽力したことと、2016年シーズンのJ1残留に導いた功績を評価しました。




にほんブログ村 サッカーブログ ヴァンフォーレ甲府へ
にほんブログ村
※ランキング参加中!1クリックお願いします♪

熱血ヴァンフォーレ音楽堂17

2020-05-22 | 熱血ヴァンフォーレ音楽堂
ヴァンフォーレに関する音楽を紹介する企画の第17弾。約8ヶ月ぶりとなる今回は、今シーズン(2020年)チームに加わった泉澤選手のチャントを紹介します。まずはこちらの動画をご覧ください。



ヴァンフォーレ甲府vsFC町田ゼルビア 2020.02.23


対象の泉澤選手のチャントは2分30秒過ぎから。


♪ジン イズミサーワ 行け行け 俺の心を踊らせろ
ジン イズミサーワ 行け行け ヤーヤヤヤヤヤ ヤーヤーヤー♪

とてもノリが良さそうな軽快なメロディでサポーターも口ずさみやすく、かつ声量も出しやすいナイスなチャントですが、そのチャントの原曲は意外なチョイスでした。



スカイキッドマーチ ORCHESTRA.VERSION


ナムコが1985年に発売したアーケードゲーム『スカイキッド』。ジャンルで言ったら懐かしの横シューティング。そのゲーム中のメインミュージックとしてこのチャント部分が流れます。またバンダイナムコの大人気ゲーム ‘太鼓の達人’ でも「太鼓のマーチ」として選曲できたり、プロ野球の応援歌や高校のブラスバンド&運動会でも演奏される機会がある人気曲になっています。なお動画はオーケストラバージョンにアレンジされ豪華な雰囲気となっています。



1985 [60fps] Sky Kid 1139420pts ALL


こちらが実際のゲーム画面。コミカルで可愛らしい飛行機とシンプルで分かりやすいゲーム性が評判でした。単純な作業の繰り返しなのですが、テンポ良くサクサク進んでいくこの動画はいつの間にか長い時間見入ってしまう魔力がありますね。スタートからゲームクリアまでありますので、暇な方はのんびりと見てみてください。そして泉澤選手にはこのチャントがたくさん歌われるようにこれからヴァンフォーレで活躍してほしいと思います。我々サポーターは中断期間中にこのチャントを覚えてリーグ再開を待ちましょう!


…ヴァンフォーレに関する音楽を聞きながら、日々の生活を過ごすのも良いと思いませんか?


※動画は削除される可能性がありますので、お早めにご覧ください。




にほんブログ村 サッカーブログ ヴァンフォーレ甲府へにほんブログ村
※ランキング参加中!1クリックお願いします♪

歴代マイベストイレブン発表~監督~

2020-05-20 | Weblog
歴代マイベストイレブン発表の大トリを飾るのは ‘監督’ 部門です。


【第3位】松永英機
在籍:2003年~2004年
甲府リーグ戦成績:計88試合(34勝25分け29敗)(J2)

監督部門第3位は松永監督。松永監督は日本代表の強化委員などを経て1999年にJ1ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)の指揮官に就任し1シーズン監督を務めます。その後は清水エスパルスの強化担当やサテライト監督を歴任した後、ヴァンフォーレには2003年にやってきます。当時のヴァンフォーレは前年に3年連続の最下位を脱出し、ようやく浮上への第一歩を踏み出した時期でした。しかし資金力や戦力は依然として乏しく、暗中模索の状態が続いていました。そこで松永監督はチームのテコ入れを図るべく、札幌でプレーしていたFW小倉選手の獲得を希望し交渉の末に実現。元日本代表選手の移籍を成功させます。サッカーをあまり知らない人でも名前を聞いたことのある知名度の通った人気選手が地方のスモールクラブに加入したことで、長らく低迷していたクラブにも県民の注目度も高まっていき、この年からホームゲームの観客動員数が大幅に増えていきます。活気が集まってきたサポーターの力を後押しにして、成績もJ2で5位に入るなど確実な成長をみせるヴァンフォーレ。松永監督は小倉選手を攻撃の軸にして加入2年目の須藤選手を2トップのパートナーに得点力をアップさせ、クラブを上位に定着させるチーム作りを成功させました。就任2年目も倉貫選手や藤田選手などテクニック力のある選手を中心にサイドへ展開していくサッカーで多くの勝ち点を積み重ねるものの、エースのバロン選手が鹿島に移籍し途中退団したことも含めて負傷者も多く出したことから失速し、7位に終わりました。松永監督は2年契約を終えて2004年限りで契約満了により退任。2005年にバトンを受けた大木監督は松永監督が2年間で培ってきた戦力や経験を活かしながらチームを指揮し、その年に見事にJ1昇格を達成させました。J2下位~中位に低迷していたチームの戦力を上位に定着できるところまで引き上げてくれたこと、そして大物選手獲得に成功し観客動員数をこれまでより飛躍的にアップさせ、翌年のバレー選手獲得に繋げた経営面での貢献も含めて、ヴァンフォーレをJ1昇格に結びつけた影の功労者として松永監督を監督部門第3位に選出しました。


【第2位】大木武
在籍:2002年、2005年~2007年
甲府リーグ戦成績:(J1)19勝12分け36敗
(J2)35勝22分け31敗
計155試合(54勝34分け67敗)

第2位は大木監督。清水エスパルスのコーチを務め2002年にヴァンフォーレにやってきた大木監督のミッションは、3年連続最下位と低迷していたチームの再建。清水からアライール選手をレンタルで連れてきて、藤田選手や倉貫選手&石原選手など伸び盛りな若手選手を積極的に起用するなど工夫したチーム采配をみせ、最下位から脱出し順位を7位に引き上げることに成功します。ヴァンフォーレで結果を残したことで古巣の清水に帰還し監督に就任。しかし清水では思うような成績が上げられずに1年でチームを去り、川崎のユース監督を経て2005年に再びヴァンフォーレで指揮を執ることを決断します。2002年に自ら変革したチームにプラスして2年間経験を積み上げた松永監督の実績を引き継ぎ、新加入バレー選手を中心としたチーム作りを敢行します。一時は6位まで順位を下げるものの途中から3トップを採用して息を吹き返し、終盤の追い上げなどもあり3位でフィニッシュしJ1・J2入れ替え戦の出場権を獲得します。入れ替え戦ではバレー選手が大暴れ。2戦合計8対3で柏を粉砕しクラブ史上初のJ1昇格を決めます。柏相手に圧倒的な力で勝利できたのも大木監督が推し進めた攻撃サッカーがチームに浸透していたからで、それに加えて選手たちに重要な試合でも緊張せずに思い切ってやる自信を植え付けたのも大木監督の手腕だと思います。初挑戦となった2006年は選手たちが動きながら細かくパスを繋ぎ、フィールドの片側のエリアを突破していくクローズという戦術をJ1の舞台でも実践し、強豪クラブ相手でも恐れずに自分たちのスタイルを貫いていきます。資金力ではリーグのなかで断トツに少なかったチームをJ1残留に導けたことは快挙と呼べるような偉業で、J1で2年目となる2007年も引き続きヴァンフォーレで指揮を執ることになります。しかしこの年はエース候補の外国籍FWが終始不調だったことにプラスして2年目ということで相手からの対策も進んだことから思うように勝ち点が伸ばせなくなり苦しみます。結果が出ないことから次第に選手たちからも自信が失われていき、チームは17位でJ2降格。大木監督はクラブが降格した責任をとって辞任を発表。大木ヴァンフォーレ時代が終わることとなります。その後は日本代表のコーチを務めて2010年南アフリカW杯に参加。その後は京都や岐阜の指揮官となり、今年(2020年)からはロアッソ熊本の監督に就任しています。

大木監督はやはり初めてJ1の舞台に連れていってくれた偉大な指揮官といった印象ですね。2002年もそうでしたが、彼が指揮を執ると必ずと言っていいほどにチームの成績が良くなっており、ヴァンフォーレとの相性が良かったと思います。そして独特ながらも魅力的で攻撃的なサッカースタイルを導入し、見るものを魅了したのも評価の高いポイント。通常なら規模の乏しいJ1初挑戦のクラブは守りを固めて勝ち点1でもできるだけ稼いで残留を狙うのが一般的なセオリーなのですが、それをせずに自分たちの攻撃的なスタイルを貫いてそれで結果を出したのは凄いと思います。ヴァンフォーレ在籍4年でチームに残してくれた財産はとてつもなく大きいもので、その挑戦によって得た経験がクラブの礎となりました。ヴァンフォーレのパイオニアとしての評価から監督部門第2位に選出させていただきました。


【第1位】城福浩
在籍:2012年~2014年
甲府リーグ戦成績:(J1)17勝27分け24敗
(J2)24勝14分け4敗
計110試合(41勝41分け28敗)

映えある監督部門第1位に輝いたのは城福監督。世代別日本代表監督としてAFCU-17選手権で優勝を果たすなど若手育成が評価されると2007年からFC東京の指揮官に就任。ムービングフットボールと呼ばれるボール保持率を高めるスタイルを導入して一躍名を上げます。2010年に解任されたあとは解説や評論家活動に勤しみ、2012年から満を持して現場に復帰。ヴァンフォーレの新監督に就任します。J1から降格しJ2で再出発を図りたいチームは経験豊富な城福監督に再建を託し、序盤は人もボールも動く攻撃的なサッカーをチーム全体で進めるものの、安定感に欠いたためになかなかコンスタントに勝ち点3を積み上げられずにいました。そこで城福監督は1トップのダヴィ選手にチーム全体が合わせていく戦術に変更。するとダヴィ選手は水を得た魚のように躍動しゴールを量産。安定した勝ち点積み上げもできるようになり、周りにダヴィ頼みだとやり方を批判されることもありましたが、しっかりと良い成績は残していき24戦負けなし記録も含む24勝14分け4敗で見事J2優勝&J1昇格の目標を達成させます。J1に上がった2013年は前年の戦術をベースに戦っていきますが、エースのダヴィ選手が退団したことも含めて深刻な得点力不足に陥り、リーグ中盤戦で8連敗を喫するなどチーム状態は絶不調になります。チームのスランプを乗り越えるきっかけとなったのが城福監督が決断した3バックの採用。有事には両ウイングバックも下がって守備に参加することで5バックを形成。それがチームの堅守を生み出しました。それからはこの3-4-2-1システムがヴァンフォーレの戦術の基本となり、2014年も失点数を抑えて勝ち点を稼ぎJ1残留に必要な勝ち点ラインの上を目指す堅実なサッカーで2年連続のJ1残留を達成。プロヴィンチアと呼ばれる地方のスモールクラブがJ1に居続けられる基礎を作り、それを置き土産にチームを勇退。今シーズン限りでの退任が発表された残りの試合では城福監督の功績を評価するようなチャントが歌われ、最終戦のセレモニーでは多くのサポーターが感謝の意を示し、彼の別れに涙を流しました。ヴァンフォーレ退任後は1年の休養を挟み、古巣のFC東京監督に就任。しかしFC東京ではうまくいかずに7月に解任され、日本サッカー協会の活動を経て2018年からサンフレッチェ広島の監督に就任。現在も指揮を執っています。

個人的にFC東京でカリスマ性を発揮する監督の存在を知っていたので、とても良い人材がヴァンフォーレに来てくれたなという第一印象でしたね。J2に活躍の舞台を移し数年かけて若手選手を成長させてJ1昇格にチャレンジしたいと思っていたクラブ側。しかしチームの和を大切にしてダヴィ選手に生き生きとプレーしてもらえるように合わせていった他の選手たちの団結力が2012年のチームにはありましたね。贔屓の選手を作るのでチーム内に亀裂が生まれやすい危険なやり方なのですが、それをうまく調和させた城福監督の存在感と手腕は見事だったと思います。またヴァンフォーレがJ1にいたときには自分が心の奥底でやりたい攻撃的な戦術があったと思いますが、チーム事情を考慮して勝ち点を稼げる確実な守備的システムに舵を切った城福監督の決断力も評価できます。自分の戦術の引き出しを増やす経験をヴァンフォーレではできたと思いますね。それによって堅実性を増したチームは城福監督体制下で2年連続のJ1残留を記録し、彼が去った後にバトンタッチした佐久間監督も2シーズン連続の残留に繋げられたと思います。城福監督が持つカリスマ性で1年でのJ1復帰やJ2優勝&2013年からのJ1定着への足がかりを作ってくれた存在として、指揮を執った3年間の実績は素晴らしく、ダンディーな彼の魅力や派手なガッツポーズで我々サポーターを魅了してくれたことも評価して、監督部門第1位に選出しました。




にほんブログ村 サッカーブログ ヴァンフォーレ甲府へにほんブログ村
※ランキング参加中!1クリックお願いします♪

歴代マイベストイレブン発表~CF~

2020-05-19 | Weblog
ヴァンフォーレの歴代マイベストイレブンを発表しています。最後のポジションはセンターフォワード部門です。



【第3位】須藤大輔選手
在籍:2003年~2007年
甲府リーグ戦試合出場:126試合23得点
☆5年以上在籍
☆100試合以上出場
☆2007年ナビスコカップ得点王

センターフォワード部門第3位は須藤選手。須藤選手は桐光学園から東海大学を経て2000年に水戸ホーリーホックに入団しプロデビューを飾ると、そこでの活躍が認められて2002年には湘南ベルマーレに移籍。湘南では1シーズンプレー。22試合に出場した後の2003年にヴァンフォーレにやってきます。当時松永監督が指揮していたチームで須藤選手は1年目からレギュラーとして活躍。2トップのパートナーに小倉選手がおり、彼とのコンビネーションが冴え渡って36試合7得点を挙げる活躍を残します。2年目はバロン選手と小倉選手&山崎選手が主に2トップを組んだために出場機会が限られ24試合に出場。2005年もバレー選手をトップに置き、長谷川選手と石原選手が両脇にいる3トップが機能したために須藤選手はベンチからの切り札として出番を窺います。それでもシーズン終盤戦に出場機会を掴み、第42節のアウェー札幌戦では後半ロスタイムに2得点を奪うなど勝利に貢献。それがその後のJ1・J2入れ替え戦出場に繋がりました。2006年も常時出場が難しく15試合出場に留まるものの、須藤選手がヴァンフォーレで一番輝いたのは2007年シーズンのことでした。エース候補のアルベルト選手の調子が上がらず人材不足に悩まされた1トップの人材にチームは須藤選手をチョイス。リーグ戦は23試合4得点に終わったものの、ナビスコカップでは8試合6得点と爆発。大会得点王に輝くなど存在感を発揮しました。その活躍が認められてJ1のヴィッセル神戸が彼に目をつけて契約を結びます。神戸では2シーズンプレー。その後は2010年7月に藤枝MYFCに移籍しますが半年間で退団。2010年限りで現役引退を発表しました。現役引退後は指導者に転向し、2011年から2014年まで山梨学院大学サッカー部を務め、2018年6月からはJ3のガイナーレ鳥取の監督に就任。現浦和のレオナルド選手を擁しチームを3位に引き上げるもJ2昇格を逃し、須藤監督は家庭の事情から退団。現在はYBSやDAZNでサッカー解説者として活躍されています。

須藤選手は183cmの体格を活かしたポストプレーとゴール前への飛び込みがうまい選手だと思います。体全体を使って相手を押さえ込みながら前線でボールを収め、パスをはたいてそこから厚みのある展開に繋げていけるので攻撃の起点になれます。また味方のサイドからのクロスボールにタイミング良くゴール前で合わせていけるのも彼の良さで、低いボールでも泥臭くヘディングでゴールにねじ込むことも多かったですね。また基本のプレースタイルは労を惜しまないタイプで、前線で相手ボールホルダーを追っていき精力的なチェイシングを敢行。よく動いてチームプレーも厭わずゴールへ気持ちのこもったプレーもしてくれることから、みんなが疲れてくる終盤の時間帯に起用されるとより彼の良さが活きましたね。須藤選手のヴァンフォーレでのキャリアはライバルたちとのポジション争いが熾烈だった印象で、バロン選手やバレー選手など強烈な外国籍選手の影に常に隠れているかたちとなっていました。我慢のシーズンが続きましたが、決して腐ることなく虎視眈々と出場機会を窺うことができるのも彼の精神的な逞しさが感じられるからだと思います。低迷していた状態から成長していくチームのなかで決して不動の存在にはなれなかったものの彼がいることで確実にFWの選手層が厚くなったこと、J1昇格に貢献してくれたことも評価したいと思います。近い将来指導者としてヴァンフォーレを指揮する可能性にも期待したいですね。


【第2位】バレー選手
在籍:2005年~2006年、2015年
甲府リーグ戦試合出場:90試合43得点

第2位はバレー選手。プロになる前は学校に通いつつスーパーの店員をしていたという異色の経歴の持ち主で、ウルグアイからブラジルの数々のクラブを経て大宮アルディージャへの期限付き移籍で2001年に来日。1年で退団しますが、その2年後に大宮に再び加入。J2在籍2シーズンで40試合以上出場しゴールを量産すると、2005年から活躍先をヴァンフォーレに移します。加入してすぐにスタメンの座を獲得すると190cmの大柄な体格を活かして前線の攻撃の起点となり、ゴリゴリと重戦車のように進んでいく推進力でチームを引っ張ると、38試合で21得点という好成績を記録。柏とのJ1・J2入れ替え戦では第2戦でのダブルハットトリックを含む計7得点を挙げてJ1昇格に貢献。その活躍によって彼の知名度が一気に広まりましたね。ヴァンフォーレが初めてJ1の舞台に挑んだ2006年も変わらずチームのエースに君臨。川崎や横浜&鹿島などの強豪クラブからもゴールを奪い、FC東京や古巣大宮からも2得点ずつを記録するなど30試合に出場し14得点をマークしました。彼の活躍もあってチームはJ1残留に成功。ヴァンフォーレでの活躍が評価され、2007年は前年シーズン3位に入ったガンバ大阪が彼を獲得。ガンバ大阪1年目はJ1得点ランキング2位に入る20得点を記録。2年目も順調に得点数を伸ばしていましたが、夏に中東のクラブから破格のオファーがありUAEのクラブに移籍を果たします。その後はUAEやカタールのクラブを渡り歩き、2013年に再び来日。清水エスパルスに入団します。清水では半年間で16試合4得点という成績を残すものの、その年の夏に中国クラブからのビッグオファーに傾き途中退団。中国で2シーズンプレーした後の2015年5月、ヴァンフォーレに9年ぶりの復帰を果たします。22試合8得点を挙げてJ1残留に貢献。来季に向けた戦力として彼のチーム残留が検討されますが、高年俸の影響や在籍していた以前の頃のハングリーさが失われていると判断されて契約更新を見送られ、このシーズン限りでの退団が決まります。その後はブラジルのクラブに移籍。現在は現役を引退し、代理人ビジネスを展開しているようですね。

バレー選手の印象はとにかく ‘ゴツい’ 。190cmと長身ですが、どちらかと言えばポストプレーなどでゴール前でヘディングを狙っていくタイプではなく、強靭なフィジカルを駆使してガツガツ力強く進んでいく重戦車タイプ。相手マーカーをなぎ払って強烈なシュートを決めるプレーには頼もしさがあり、彼にボールを預けたらなんとかしてくれるという期待感もありました。なにより個人的にはあのダブルハットトリックの凄さを現地で体感しているので、自分にとって彼は偉大な存在というイメージしかないですね。ヴァンフォーレをJ1初昇格に導いてくれた最大の功労者として、そしてJ1という未知の舞台に我々サポーターとともにチャレンジしJ1残留の目標を達成できた仲間として、ゴールを量産した成績も含めて彼を評価しセンターフォワード部門第2位に選出させていただきました。昇格を決めた試合のバレー選手の嬉し涙は今でも忘れませんよ。


【第1位】ハーフナー・マイク選手
在籍:2010年~2011年、2020年
甲府リーグ戦試合出場:63試合37得点
☆2010年J2得点王
☆2011年Jリーグベストイレブン
☆現役選手
☆元日本代表選手

センターフォワード部門第1位に輝いたのはハーフナー・マイク選手。マイク選手は横浜F・マリノスユースから2006年にトップチームに昇格するも、なかなか出番が訪れずに2008年には福岡&2009年途中からは鳥栖に期限付き移籍し試合数&得点数の結果を挙げて経験を積みます。しかし横浜に戻っても出場機会が得られないことを悟ると完全に離れることを決意し、2010年ヴァンフォーレに完全移籍する道を選びます。シーズンスタートはケガの影響もあって出遅れるもののケガが癒えたらスタメンの座を奪って徐々にピッチで存在感を示し始め、チームが彼を攻撃の軸にする戦術にシフトチェンジするようになってからさらにゴールを量産。31試合で20ゴールを決め、見事J2得点王を獲得しました。チームはJ2優勝&J1昇格とマイク選手にとって最高のシーズンになったと思いますね。ヴァンフォーレが2度目のJ1昇格を決めた2011年シーズンは三浦監督のもとでさらに重要な攻撃のピースとして君臨。チームはバタバタし途中での監督交代もありましたが、佐久間新監督が就任してもエースとしての立場は変わらず。J1の舞台でもゴールを量産し、32試合に出場して得点ランキング2位日本人トップの17得点を記録。Jリーグベストイレブンも受賞するなど大活躍の年でした。また同年9月にはW杯アジア3次予選の北朝鮮戦でA代表デビューを飾ると、10月の予選タジキスタン戦で2ゴールと活躍。A代表歴は現在までで18試合に出場し4得点を決めるなど、代表での活躍によって一気に彼の知名度がアップした感じですね。ヴァンフォーレ在籍2シーズンで63試合に出場し37得点と好成績を収めるとそのシーズン限りでヴァンフォーレに別れを告げ、海外クラブからのオファーを受けてオランダのフィテッセに羽ばたいていきます。オランダリーグで2年間実績を積み上げ、2014年7月にはスペインのコルドバに完全移籍。憧れていた夢のリーガエスパニョーラの舞台でしたが思うような活躍ができないまま半年間で契約解除となり、フィンランド生活を経て再びオランダリーグに戻ります。ADOデンハーグでは2年間プレーし一定の成績を収めると、ポドルスキ選手を獲得し大型補強を進めていたヴィッセル神戸に2017年夏に入団。その後は仙台やタイのクラブに期限付き移籍していましたが、求められていた結果が残せずに退団。フリーの状態となり開幕前のヴァンフォーレのキャンプに参加しながら自身のアピールを精力的に続けていき、地道な姿勢が認められて晴れて2020年シーズンに臨むチームの一員となりました。

自分にとってマイク選手は様々な貴重な体験をさせてくれた先生のような存在ですね。2010年にヴァンフォーレに加入するとJ2優勝や得点王、翌2011年はJ1で得点ランキング2位&Jリーグベストイレブンにも輝くなど、今までヴァンフォーレでは味わったことのない未知の体験をサポーターにさせてくれました。なによりヴァンフォーレで活躍して日本代表に選出され活躍したことは素晴らしいことで、ここで頑張れば代表監督が見てくれていて&メンバー入りを目指せることをマイク選手が実践してくれたと思います。身長が194cmと長身ながらも当時はムキムキしていないどちらかと言えば細身の体型。俊敏性もあり、アウェーのC大阪戦ではドスドスとドリブルしているように見えて実は相手マーカーが追いつけないスピードを発揮するなど意外性を披露。またジャンプ力もあったので、ハイボールをジャンプで胸トラップしてそのままゴールを決める離れ業もみせていました。欧州に渡って現地の激しい当たりに負けない屈強なフィジカルを身につけたために、そちらでは通用しても日本に帰ってきたら展開の早さについていけない場面が神戸や仙台で多々あったのは事実だと思います。日本のサッカーに適応できる肉体改造が終わったから正式契約に至ったと思うので、今シーズンが再開したら往年のマイク選手のプレーが蘇ってくれていることを期待したいですね。ヴァンフォーレにいながらそこでのレベルをはるかに越えたレベルのプレーをみせてくれたこと、またヴァンフォーレで頑張れば日本代表や欧州リーグ挑戦もできるんだぞということをヴァンフォーレを応援している子供たちに夢見させてくれたことなどを評価して、ハーフナー・マイク選手をセンターフォワード部門第1位とさせていただきました。




にほんブログ村 サッカーブログ ヴァンフォーレ甲府へにほんブログ村
※ランキング参加中!1クリックお願いします♪

歴代マイベストイレブン発表~WG2~

2020-05-17 | Weblog
ヴァンフォーレの歴代マイベストイレブンを発表しています。続いてはウイング(シャドー)部門part2です。


【第3位】小倉隆史選手
在籍:2003年~2005年
甲府リーグ戦試合出場:75試合18得点
☆元日本代表選手

ウイング(シャドー)部門第3位は小倉選手。小倉選手は高校時代に名を馳せ、鳴り物入りで名古屋グランパスに入団。翌年にはオランダのクラブに期限付き移籍しシーズン途中加入ながらも大活躍。1994年から再び名古屋に戻ると期待通りの結果を残すも、アトランタ五輪のアジア最終予選で右足の靭帯を断裂する大ケガを負います。1年以上試合に出られない日々が続き、復帰した後もその足をかばいながらどこか不安げに動いていたために思い切ったプレーが影に隠れてしまった印象がありましたね。度重なる負傷にも悩まされ、本領を発揮できないまま2000年にジェフ市原(現ジェフ千葉)に移籍を決断します。それから毎シーズン20試合以上出場できるようになるものの、チームの中核選手にはなれずに1年ごと移籍を繰り返します。東京ヴェルディ&コンサドーレ札幌と渡り歩き、2003年にやってきたのがヴァンフォーレでした。加入初年後に27試合に出場し10得点を決めると、2年目の2004年はキャリアハイの40試合に出場。30歳を越えても健在ぶりを大いにアピールします。大木監督が就任した2005年はシーズン序盤こそ出番を掴みますが、バレー選手や長谷川選手&石原選手の台頭などもあって出番が限られていき、8試合に出場した後にヴァンフォーレを退団。そのまま現役引退となりました。

当時はよくあの小倉選手がヴァンフォーレに来てくれたなと思いましたね。選手キャリアとしたら確かに晩年と呼べる年齢だったのですが、とても人気のある選手で若くして将来性を期待され、日本代表やヴェンゲル監督率いる名古屋でも活躍していた存在が、まさか小瀬を主戦場にしてくれるとは夢にも思っていませんでした。2003年のヴァンフォーレと言えば経営危機からひとまず脱出し、クラブとして新たな目標を立てて再び上を見始めていた頃。そこに有名選手が入ってくれたことで、サッカーが好きでもヴァンフォーレに無関心だった県民の目が一気に注目を集めた感じがしましたね。集客も増えて注目度が高まったためにいい加減な試合はできないと他の選手やチームの雰囲気もピリリと引き締まったように思います。さすがに往年の体のキレはみせられなかったのですが、レフティモンスターと呼ばれた左足のテクニックは健在で、ヴァンフォーレでもその優れた左足で何度も歓喜をもたらしていました。自分も憧れていた小倉選手のプレーを間近に見て感動し、より ‘熱血的’ なサポーターに近づいたのも小倉選手のおかげだと思います。みんなの目をヴァンフォーレに向けさせてくれた存在として、また選手としても苦しい状態からJ1を目指せるチームまでに成長させてくれた恩人として評価したいですね。


【第2位】堀米勇輝選手
在籍:2010年~2013年夏、2015年、2017年~2018年
甲府リーグ戦試合出場:84試合8得点
☆地元選手
☆ユース出身
☆5年以上在籍
☆現役選手

第2位は堀米選手。堀米選手は山梨県甲府市出身でヴァンフォーレの下部組織で育ち、ジュニアユースからU-18を経て2010年にトップチームに昇格。その前から彼は注目を集めていて、2005年の初召集から常に世代別の日本代表に選出され活躍。2009年にはU-17W杯に全試合出場するなど、過去に例を見ない期待感から ‘甲府の至宝’ と呼ばれていました。トップに上がったシーズンは出場機会はありませんでしたが、チームがJ1に上がった2011年に開幕戦のジュビロ磐田戦に途中出場しJリーグデビュー。その後はベンチにも入れるようになり3試合に出場。城福監督が就任しJ2で再出発を図った2012年には出番を増やし、リーグ戦初ゴールを含む21試合に出ました。しかし再びJ1に舞台を移した2013年は選手層が厚くなり全く試合に出られず。シーズン途中にJ2ロアッソ熊本に期限付き移籍を選択。翌年は愛媛FCにも武者修行に出かけます。その2つのクラブで結果を残し、いざ2014年にヴァンフォーレに帰還し経験を実戦で活かしたかったのですが、期待とは裏腹に12試合の出場に留まると、2015年は京都サンガに完全移籍を決断。ヴァンフォーレと決別し新たな環境に身を置くことを決めます。京都では主力選手として37試合に出場し7得点を挙げます。2017年ヴァンフォーレの指揮官に就任した吉田監督が堀米選手を高く評価しており、移籍金を支払って京都から買い取りヴァンフォーレに2度目の帰還を果たします。在籍2年間で先発の機会も多く与えられますが途中交代も多く、監督が求める活躍は最後まで残せませんでした。2018年末に今度こそ完全にヴァンフォーレを離れる決断を行い、ジェフ千葉に移籍。千葉では現在攻撃のキーマンとして活躍しています。

堀米選手のプレー面の良いところは左足の技術がとても高く、それにプラスして体のキレの鋭さで相手を置き去りにできるドリブルを持っていることだと思います。特にパスセンスに長けているので、ゴールに直結するようなアシストを何本も決めていたことを覚えています。右サイドでの1対1の場面で積極的に勝負を仕掛けていきマークをかわしてから、こちらに寄ってきた相手守備陣のフォローの選手をあざ笑うかのようにラストパスや左足でのコントロールショットで勝負を決める一連の流れは、堀米選手の十八番と言うべきプレーでしたね。また自分は長らくヴァンフォーレのサポーターを続けているので、地元山梨県甲府市の下部組織出身で数々の国際大会に日本代表として活躍してきた若者が、いざトップチームに昇格してこれから活躍していくと思うと当時はワクワクが止まらなかった印象がありました。まだ10代と若かったので加入まもない出番が少ないシーズンや熊本&愛媛で武者修行に行ったことは今後の成長のためになると思っていましたが、期限付きから帰ってきた後にレギュラーに定着できなかったのがキャリアの分岐点だったように思います。そこで活躍していれば京都への移籍を決断することもなかったと思うし、石原選手のように長く定着できていたかもしれません。また在籍時の指揮官のチーム方針に左右されたのも少しかわいそうでした。守備戦術が浸透し数少ないカウンターの機会を生命線としていたチームのなかで、中盤での構成を得意とするタイプの選手はピッチ上で輝きにくくかったことは確かにありましたね。あとはフィジカルとスタミナ。密集地帯で吹き飛ばされることが多く、年を重ねるごとに組織的なプレーを身につけて苦手な守備も精力的に頑張っていましたが、そこで体力を使う分終盤の時間帯に失速してしまう場面が多々ありました。しっかりとペース配分を行って90分間攻守に関わることができたなら指揮官の印象もガラッと変わったと思いますね。とは言っても個人的には堀米選手にときめいていたことも事実で、創造性あふれるプレーの数々に何度も心踊らされました。ユースの最高傑作と言われた才能とヴァンフォーレでの経験を活かしてこれからも頑張ってほしいですね。あわよくばまた戻ってきても良いんだよ。


【第1位】片桐淳至選手
在籍:2009年夏~2012年
甲府リーグ戦試合出場:73試合5得点

映えあるウイング(シャドー)部門第1位が片桐選手。片桐選手はGK荻選手とともに岐阜工で頭角を現し冬の高校選手権で得点王に輝くと、鳴り物入りで名古屋グランパスに入団。1年後アルゼンチンにサッカー留学をして帰ってきますが名古屋でなかなか出番が訪れず。2005年にJFLのFCホリコシにレンタル移籍したあとに、2006年当時東海1部リーグにいたFC岐阜に完全移籍を果たします。すると眠っていた才能が開花。背番号10を背負いチームの主力として活躍しチームに貢献。岐阜が東海1部からJFL&J2に上がっていく道筋を作りました。この活躍を土産にして2009年途中で岐阜に別れを告げ、ヴァンフォーレに完全移籍加入。レフティのアタッカーを探していたヴァンフォーレに片桐選手は重宝され、そのハーフシーズンは17試合に出場。翌2010年は前半戦を中心に15試合に出て、チーム最多の8アシストを記録するなどチャンスメーカーとしての存在感を示しました。片桐選手の真骨頂が発揮したのはJ1に上がった2011年。積極的なドリブルと左足を使った正確なクロスボールがチームスタイルにフィットしてそれが効果的に試合中に発揮されます。特にハーフナーマイク選手とのコンビは抜群で、彼をターゲットにした片桐選手のパスで何回もアシストを記録していましたね。7アシストでチームの得点機を演出していましたが、ヴァンフォーレは健闘むなしくJ2降格。城福監督が就任した2012年は序盤戦こそ出番があったものの、次第にチーム構想から外れて12試合出場でシーズン終了。契約満了となりヴァンフォーレを退団することに。その後は2013年8月にJFLのMIOびわこ滋賀に入団。半年間プレーした後に2014年6月に一度現役引退を発表しましたが、約1年後に地元大垣市のクラブに加入。そこでは4年以上在籍しているようですね。

片桐選手は岐阜工時代から存在を知っていて、高校選手権で得点王を獲得し名古屋に加入したことでその後も飛躍していくと思っていましたが、そこから名前があまり聞こえなくなりどうしているのかと思っていたところ、岐阜で頑張っている情報を聞きました。東海1部リーグから再出発をして徐々にカテゴリーを上げていき、ヴァンフォーレに加入してJ1の舞台まで這い上がったのは想像もできない凄い努力家だと思いますね。個人的にも以前から知っていた片桐選手がヴァンフォーレに加入することになりとても嬉しかった記憶があります。片桐選手と言えば鋭く曲がるボールを蹴ることができるその左足。パスの正確さはもちろんですが少し遠い位置からもミドルシュートを積極的に狙っていくスタイルで、アシストやゴールで試合の状況を一変させる力を持っていました。またそれだけではなくドリブル能力も優れていて、どこか往年の前園選手のドリブルを彷彿させるような切れ味鋭い動きで相手を翻弄させる突破力がありましたね。攻撃力が高い分、多少守備力やチームに貢献する犠牲になるような動きに難があったため、指揮官によっては少し使いにくい感じもあったと思います。しかしハマれば手がつけられないパワーを片桐選手は備えていましたね。日本代表まで上り詰めたハーフナーマイク選手のスーパーゴールを見直せば、ほとんどと言っても良いほど近くには片桐選手がいた2010年や2011年。J1の舞台で夢を見させてくれた存在として、また左足でサポーターを魅了してくれた存在として評価し、片桐選手をウイング(シャドー)部門第1位に選出しました。




にほんブログ村 サッカーブログ ヴァンフォーレ甲府へにほんブログ村
※ランキング参加中!1クリックお願いします♪