息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

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越後妻有 大地の芸術祭2018に参加して 3

2018年08月08日 21時05分02秒 | わたしごと
src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/d0/85a30076a79c00b21c32d405722b2b02.jpg" border="0"> 4.長男は、第3回から参加しつづけている。したがって、これから訪れようとしている作品についての解説も板についていて、まだ2回目、初心者同様の私にとってはありがたい。
4日間で、とにかく長男の指示通りに、車を走らせ、降りて歩き、見学し、また車に・・・の連続。正月のタレントのような移動である。
 スタンプカードには、79個ものスタンプが押されていた。1日20か所平均になる。スマホの万歩計アプリでは、1日平均して1万歩くらい。よく走らせ、よく歩いたものだ。記録的猛暑の続く日本列島では、新潟も例外ではなく暑くはあったものの、風の乾燥度が違う。熱波がないだけ、過ごしやすい。ずっと雨が降っていないので、農作物が心配だとのこと。最終日に関越自動車道を走っていたときに、赤城や高崎あたりで、前が見えなくなるほどの激しい雷雨に遭遇したが、新潟ではどうだったのだろう。

 5.心に残った作品をいくつか。
① アトラスの哀歌 これはすでに書いた通り。作品に、というよりも、作家との同時代性に共感、共鳴しているものだから、鑑賞の態度としては邪道なのか。
② イダキ  オーストラリアの先住民族、アボリジニの伝統楽器。木をくりぬいて、太い響きのある木管楽器。これも私の体験との関連から印象に残ったものだ。東京都の教員海外派遣研修で訪れたオーストラリア、ダーウィンで、アボリジニの案内人の方が話してくれた楽器である。オーストラリアは、2008年にアボリジニに対し、ケビン・ラッド首相が、公式に謝罪をしている。かたや日本では、「北海道150年」と銘打った、浮ついた「祝い事」が計画されている。アイヌの人々への謝罪の観点は、さらさら感じることはない。情けない国だ。
③ 光の館  これは光がもたらす幻想的な感覚を堪能。芸術と言えば、それはそうなのだろうが、私には「素晴らしいアイデア」といった感想。アイデア、工夫も、私の稚拙なアートの定義「人間の創造性の無限の広がりを表現したもの」には間違いなく含まれると思うのだが。私の見方が、いじわるなのか。
④ 絵本と木の実の美術館  廃校になった校舎、そして周りの校庭、田んぼ、ヤギの飼育小屋、そして絵本の中身が飛び出した作品群。それらが一体化して、全体としてひとつの作品であるように感じた。田島征三という1人の作家よりも、この会場を創り上げたたくさんの人たちの思いは重い。
⑤ 大地の恵みー土・圭・ギョウ(漢字の土の下に左右とも土の字) 香港の、障害を持つ作家のグループによる作品群。ポテトマンという名称の陶器の人形がずらりと並んでいる。ひとつひとつの表情が、じつに楽しい。きっと楽しみながら創っていたのだろうなと、その工程のワイワイ感が感じられる作品。
⑥ カサバラタ  ムニール・ファトゥミ。モロッコの作家。小さな家の中に、5つのストーブ。その暖気が、パイプを通して外に出されているといった構造。貧しかったという作家の幼少期の思い出と、家が少なくなっていく妻有の家の様子とを重ね合わせて「町全体が暖かくなるように」と願って創られたとある。
⑦ 里山アートどうぶつ園  いま東京で「縄文」の博物展が行われているが、その展示作品の中で、豚の土偶があった。今から数千年も前の人間が、これほど写実的に創ることができるのだと驚き、その豚を思い出しながら、アートどうぶつ園を見て回った。どれも可愛い、つまり表情が豊かだ。
⑧ Kiss & Goodbye 思い出ポスト  ジミー・リャオ 台湾の絵本作家。とにかく癒される色彩、男の子と犬の可愛さ。物語としてではなく、1枚の絵としても、ずっと見続けていたいほど引き込まれる世界の絵だ。
⑨ 脱皮する家  これは複雑な思い。何年もかけて、柱、床などに、刀を入れて、細かい模様に囲まれた、壮観な家に生まれ変わった。その根気や、作業には圧倒されるものがある。一方で、「作品」として生まれ変わった家は、すでに居住空間としては存在していないことを意味するものであって、「宿泊できます」とはいえ、もはや「家」ではなくなったことには、残念で複雑な思いもしている。
⑩ 夢の家 どんな思いで制作されたのか分からないので、評価のしようがないが、私にはどうもしっくりとしなかった作品。色のついた部屋の棺桶で眠って、夢をメモする  
行動に、価値を見出すことができないでいる。みなさん、教えてほしい。
⑪ 棚田  これはアートではないかもしれないが、どんなところにも生きる場を作ってしまうのだという、人間のしたたかさ、強さを感じさせてくれる。
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越後妻有 大地の芸術祭2018に参加して 2

2018年08月08日 21時03分07秒 | わたしごと
3.今回、私が1番心に残ったのは、「アトラスの哀歌」。作家は、エマ・マリグ氏。チリ出身、フランスに在住。これは、もし彼女のプロフィール、作品紹介がなかったら、和紙で創られた地球儀、「幻想的な地球だ」「宇宙の暗黒の中に孤立している星だというイメージかな」「きっと世界平和を願っているものなのだろうな」程度のものとしてしか感じなかったものだろう。(作品自体を低くさせる意図はないのだが、作品そのものとして観る限り、どうしてもそこまでが限界)
 彼女は1960年生まれ。アジェンデ大統領のもと、世界で初めて議会による、選挙による社会主義政権(とまではいかないにせよ、民主連合政権)が誕生したということを、私は高校生の夏に、長野の簗場という村の「学生村」で、同宿していた早稲田の学生さんから聞かされた。おそらく社会に目を見開くきっかけになった彼らの熱い語り。同じ宿には、東京演劇アンサンブルの研究生の若者もいて、そこからも、ブレヒトの「決してできないなんてお言いでない」(原題を忘れたが)、谷川俊太郎の「ネロ」を教えていただいた。
 チリの革命は、1973年9月で終わりを迎える。ピノチェトによる軍事クーデターにより、アジェンデ大統領は死亡。それからは軍事政権のもとでの「恐怖政治」が始まるのである。
 このニュースは、大学1年のとき、やはり長野で行っていたサークルの合宿で、固唾を飲みながら、流れてくるチリの情勢のニュースを、一言も聞き逃すまいと聞いていた自分を思い出す。政権瓦解のニュースに、サークルの仲間もいっしょに落胆したことを思い出す。1972年の総選挙で、共産党が39議席の当選を得て、単純に世の中が変わるかもしれないと思っていたころの時代だった。
 作家のことに戻そう。私たちが、チリに誕生した「希望の政権」に一喜一憂しているときに、エマ・マリグ氏は、まだ12,3歳。17歳で亡命したとあるから、政権が倒れてからの5年間の歳月は、どれほど過酷なものであったのだろうか。
 作品の解説では、「移民」「望郷」「水」「海」「地球」といったキーワードが並んでいる。故郷を離れざるを得なくなった作家の思いは、おそらくは文章では書ききれないものだったろう。この和紙の地球儀が、すべてを語りつくすわけではないにせよ、私の感性には溢れるほど入り込んでくるものがあった。
 チリと日本で、彼女も、そして私も、あのとき、まぎれもなく「生きていた」、いや「息づいていた」という重みを感じた作品であった。
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越後妻有 大地の芸術祭2018に参加して 1

2018年08月08日 20時58分46秒 | わたしごと
 1.長男にナビゲーターとなってもらい、ひたすら駆け回ったトリエンナーレ。今回で2回目、アートなどまったくの素人同然の私も、この4日間、楽しめたこと、学んだこと、思ったこと、刺激を受けたことなど、書き尽くせないほどあったのだが、思いつくままに書き連ねてみよう。

 2.十日町という地域で、自然や、その土地の人たちと融合させたというアート作品。アートについては、何も知らぬ、だからといって本で調べたりもせず、まったくの「無知」状態での鑑賞。これは3年前も同じだったから、私の怠慢そのものなのだろう。
 はたして、いいのかどうかも分からないが、アート、芸術作品とは、「人間の創造性の無限の広がりを表現したもの」程度の頭で参加しようと思う。
 この芸術祭でも、いくつかの会場で聞かれたが、「この作品は、観た方自身が感じていただくもの」という解説があった。もちろん、小説にしても、詩にしても、読者が、何を感じ、何を思うのかは、それぞれだろう。当たり前のことである。しかし、「作品はお客様のご自由に」と、鑑賞者に丸投げの姿勢はどうなのかと思う。作者もそれなりの動機、モチーフがあったはずなのだから、それは作品自体から推察できないとなれば、なんらかの形で伝えるべきではないのか。自分はこう思って作品を制作したが、それとはまったく関係ない、あるいは真逆の解釈をされた、というのでは作品を公開している意義がないのではないか。だから、ある程度の作者の「メッセージ性」を私は期待するし、その意図に共感していきたいとして鑑賞したい。
 3日目には、長男が何回も現地でお世話になってきたI子さんにも車に乗っていただき回ることに。夏の休暇でベルギーから十日町に帰ってきているようで、さらに作品のことが分かることになり、うれしい限り。
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十日町 トリエンナーレへ

2018年08月02日 23時45分11秒 | わたしごと
 長男のお気に入りのイベントに、3年ぶりに出発する。
 明日から6日まで、現代アート(発想の無限の広がりと私は考えている)を堪能してきます。
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