習字(毛筆)の授業が始まった。
ああそうか、以前、図工で準備をすることを話した際に、
「先生、うちは新聞がありません。とってないから」
と言っていた子が、何人もいたことに気づく。
長引く不況の産物なのか。
時代の流れで、テレビとネットでニュースを見ればよいといったことからなのか。
活字離れから来ているのか。
おそらくは、それらのどれもが絡んでいるにちがいない。
しかたなく、
「持っている子は、新聞紙を持ってくるように」という指示になる。
足りない分は、私が補うことになる。
活字を通して情報を得る利点は、考えに「ため」ができることだと思う。
読書にせよ、新聞にせよ、読みながら、
「いや待てよ」「ここは少し自分で考えてみよう」「これは調べてみる価値があるな」など、立ち止まって考え、整理、まとめが
できること。
一方的な情報に流されないトレーニングができることにあると思う。
「ええ~、それひどーい!」
そこで思考停止に陥らることがない、「担保」としての役割を持つ。
うちの息子達も、活字から、かなり離れた生活を送っているように見える。
騙されない、流されない、そんな人間になってほしいのだが・・・
ああそうか、以前、図工で準備をすることを話した際に、
「先生、うちは新聞がありません。とってないから」
と言っていた子が、何人もいたことに気づく。
長引く不況の産物なのか。
時代の流れで、テレビとネットでニュースを見ればよいといったことからなのか。
活字離れから来ているのか。
おそらくは、それらのどれもが絡んでいるにちがいない。
しかたなく、
「持っている子は、新聞紙を持ってくるように」という指示になる。
足りない分は、私が補うことになる。
活字を通して情報を得る利点は、考えに「ため」ができることだと思う。
読書にせよ、新聞にせよ、読みながら、
「いや待てよ」「ここは少し自分で考えてみよう」「これは調べてみる価値があるな」など、立ち止まって考え、整理、まとめが
できること。
一方的な情報に流されないトレーニングができることにあると思う。
「ええ~、それひどーい!」
そこで思考停止に陥らることがない、「担保」としての役割を持つ。
うちの息子達も、活字から、かなり離れた生活を送っているように見える。
騙されない、流されない、そんな人間になってほしいのだが・・・
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