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「先生、うち、新聞とってません」

2012年06月17日 09時51分03秒 | 教育を考える
習字(毛筆)の授業が始まった。
ああそうか、以前、図工で準備をすることを話した際に、
「先生、うちは新聞がありません。とってないから」
と言っていた子が、何人もいたことに気づく。

長引く不況の産物なのか。
時代の流れで、テレビとネットでニュースを見ればよいといったことからなのか。
活字離れから来ているのか。

おそらくは、それらのどれもが絡んでいるにちがいない。

しかたなく、
「持っている子は、新聞紙を持ってくるように」という指示になる。
足りない分は、私が補うことになる。

活字を通して情報を得る利点は、考えに「ため」ができることだと思う。
読書にせよ、新聞にせよ、読みながら、
「いや待てよ」「ここは少し自分で考えてみよう」「これは調べてみる価値があるな」など、立ち止まって考え、整理、まとめが
できること。

一方的な情報に流されないトレーニングができることにあると思う。

「ええ~、それひどーい!」
そこで思考停止に陥らることがない、「担保」としての役割を持つ。

うちの息子達も、活字から、かなり離れた生活を送っているように見える。

騙されない、流されない、そんな人間になってほしいのだが・・・



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