正さん日記

世の中思いにつれて

「お詫び」は相手が許すまで続けるもの。首相の70年談話の必須要件

2015-08-01 15:45:26 | 政治

 安倍晋三首相が終戦70年に当たり発表すると言う首相談話については、首相が参考にすると言ういわゆる有識者懇談会では、村山談話、小泉談話を継承する形にすべきという意見と、安倍氏の考え方を率直に示した方がよいとする意見に分かれているようだ。

 この談話に最も注目している中国、韓国側は、村山、小泉談話を逸脱しないように求めている。また、アメリカは、安倍氏がアメリカ上下両院合同議会で述べた、日本が過去に侵略したことを認め、反省している旨の言葉について高く評価しているとの受け止め方もあるようだ。

 そんな中で、安倍氏は果たしてどのような談話を発表するのだろうか。伝わるところでは1に過去の侵略、植民地支配を認め反省の意を示す。2に戦後、日本が平和国家としての歩みと、世界に果たした貢献を述べる。3に未来に対する日本の平和国家としての方向性と世界貢献への意思を示す。とするようだ。

 しかし、2、3については戦後の実績を誇示し、将来への展望を述べるに過ぎないと受け止められるだけだろう。問題は1の侵略は認め反省の意を示すが、その後のお詫びをするか否かである。

 お詫びを入れれば、ほとんど村山、小泉談話と変わらず、中国、韓国も納得し良好な関係に戻るだろう。しかし、お詫びが入らなければ、日中、日韓関係は再び険悪になり、その後収束するにはまた長い時間がかかることだろう。

 ただ、安倍首相は、以前から村山、小泉談話は「全体として引き継ぐ」と言っているが、「総て同じでは新しく談話を出す意味がない」と言っている。

 それでは、両談話と異なる点は何かというと、消去法でみても「お詫び」しか残らない。つまり、「お詫び」はしないということなのだろう。

 「お詫び」については、国民の中にも日本はいつまで「お詫び」をしなければならないのだろうか。という声があることは確かだ。しかし、「お詫び」は相手が「もう良いよ」と言うまでは繰り返さなければならないのではなかろうか。つまり、迷惑を掛けた方が、お詫びは「もうこの位で良いだろう」と勝手に判断して止めてしまうものではない。これは、個人生活のトラブルの解決をすることでも同じことだ。

 つまり、中国、韓国は終戦70年経った今日でも、日本の侵略や植民地支配により大きな被害と屈辱を受けたことを基本的に許していない。従って、日本がいくら侵略や植民地支配の事実を認め、反省すると言っても、その後に続く「お詫び」の言葉がなければ、その前の言葉は無いに等しいものになってしまう。

 安倍首相は、個人の意思はともかくも、日本の首相として、国益を害することに繋がるような変なこだわりを一切捨て、何も新しいものは期待しないので、たった一言。何をおいても「お詫び」の一言は談話に入れるべきだ。もし、それがどうしても嫌なのなら、国益を守るためにも、この際70年談話は出すべきではない。「関連:6月26日

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