つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

同化してしまった

2020-03-20 | Weblog
あまりにも日常に同化してしまい、進んでいるという動きに
気づかなくなっていたため、彼等も進化していることに気づかず、
事物の事柄を想定内として、まったく想定外を想定しなかった。
未来は不定である。自由であるための進化である。
思い通りにいかないのは、どうかしているためである。
非日常現る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世の均等

2020-03-20 | Weblog
もう一度心に留めておくことは、32代アメリカ合衆国大統領の言っていた言葉である。
ー「世界的な事件は偶然に起こることは決してない。
そうなるように前もって仕組まれていた。・・・私はあなたに賭けてもよい。」ー

過去も現在も人類の歴史は争いごとに終始している。
何かが過剰となっていけば正されていく。
均等であるのは道理にあるが、必ずしも半分という均等というのではない。
力の等分は大小にして強弱をもち、それは一定には無い。
動いているものであることを、その都度意識になければならない。
小さければ少ないというありのままは、
見せ掛けにしてあるというありのままを意識する。
その意識が似非を見分ける。

昔は良かったとよく言うけれど、少しも悲しい歴は変わっていない。
形を変えているだけで、目まぐるしさが増しているだけである。
矢の如く進む速さは後、匿われる。そして、医に掛かる。
今がそういう現象となっているが、この今をよくよく何を示しているのか、
与っている時と思いて、分岐点である。
一つは、淀みにかつ留まり、一つは、上気にかつ消え久しく・・・。
80:20は78と22に完結し、この2%の動きが揺るがすカギである。



































コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

前代未聞

2020-03-18 | Weblog
近年、過去に例を見ないという事柄をよく耳にする。
そのことを真摯に受け止められていたなら、
これから現れてくるだろう事柄が、終わりへの始まりのそして始まり
と知るだろう。その知恵は、当然、無知からくる犠牲を伴いながら
幕を閉じ新たな幕が開かれる。

抑圧からくる鬱憤は晴らされる。

自由を如何なる力も抑え続けることはできない。
束縛の代償は不自由にして償われる。
4,000年の歴は閉じられる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

陽気がもたらす

2020-03-16 | Weblog
陽気がよくなれば、心が浮ついて隙を作るものだ。
意識というのは反応である。
存在であるために進化する。
この世では、生きながらえるための命のやり取りをする。
食物連鎖で生きている。
お互いの隙をついて命を長らえるが、
結局のところ一連の流れの中にあるだけ。
私達の欠点は、陽気に誘われて不覚にも錯覚をする。
実にありのままを見ているのだが誤解して、墓穴を掘っている。
陽気に誘われて陰気の不利を招く(こうむる)。
よくよく周辺に振り回される。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

損得勘定のつまり、どん詰まり

2020-03-15 | Weblog
たとえば、オリンピックというのは、4年に一度だけであり、
一つの生涯に於いては、一度だけが基本であり公平である。
世界的な祭典は、富が貧を助けるためで天に通ず。
それが乱れてくると障礙が多くはだかる。
それでも無理矢理とすれば、とどのつまり。
=「頑固もいいが、立て通す積りでいるうちに、自分の勉強に障ったり、
毎日の業務に煩をおよぼしたり、とどのつまりが骨折り損の草臥儲け」

どうぞお金に支配されないで、お金のない世の中、お金の要らない世界、
心のやり取り、感謝で生きていくことを望む。
全ての隷属は苦である。そう宇宙の意識を受す。

貧すれば鈍する=貧乏すると、多くの人は頭の回転(働き)が鈍くなり、
デリカシー(繊細な心づかい)までなくしがちなものだ、と辞書にあった。

窮地に立たされた時こそ、どうぞ心を豊かに!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

けだし浅ましくある人のこれからの遭遇

2020-03-14 | Weblog
32代アメリカ合衆国大統領、フランクリン・Ð・ルーズベルトは、こんなことを言っていた。
「世界的な事件は偶然に起こることは決してない。そうなるように前もって仕組まれていた・・・私はあなたに賭けても良い。」

喜怒哀楽を享受?したことのある者の中で、知恵あるものは蓋し(けだし)怒と哀を見る。
そして、企てられた物事の「企みという」顛末も知れる。
けだし、哀れに!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すばる(昴・窄る・統る)

2020-03-13 | Weblog
すばまる方向性を感受する。
新しい秩序の発注が為された。
どこまでつくられるかは発注者次第である。
発注者の想像は、ある程度形作られてあるが、何分にも未来は不定にしてあるもので、
発注者もそれは天に任せるしかないが、おおよそ企てられたものは意図的であるために、
ある程度その様に進行していく。
イメージ(印象)にそれほど狂いはなく、想定内に物事は進む。
創造は、混沌から始まって秩序をつくり、再び混沌へと戻っていく。
スタートはゴールに進むものである。
始まりは終りに向かって進む。
人、その過程は紆余曲折にして、道程も終わりに近づいた。
近づけたのは、無知にして、ただただ同じ場所の回りとなっていたため。

生命エネルギーの遺伝子は、螺旋状である。
同じ場面を繰り返しながら、上るエネルギー。それは、見かたによっては逆になるが、
上進していることには違いがない。
同じ場面を通るだけで同じ場ではない。進んでいるためである。
終わりにつき進んで始まりに転換していくために、終わりの始まりとなっている。
いま、私達の印象はそのような時期にある。
秩序が乱れ、混沌となって正されていく。そう想像できるなら、
希望が私達に与えられる。そう思えなければ、束縛から抜け出ることは無い。
私達は、便利を追求し過ぎて、不便を被ることを知る。
便利の使い方を誤ったために、便利に依存が存在を危うくしてしまった。
ここ数年の間、マイクロ(極微)なるものに脅かされたのは、
「見えないもの=無い」とした侮りからきている。無知にして謙虚さが欠けているためである。
放射能にしても、微生物にしても、彼らに逆らうことはできない。
反応というのは意識である。存在エネルギーであるために、
存在の為に進化しているものである。意識的に刺激に反応して、存在を維持する。
自分が外界を意識して対応するように。
その応対が誤っていれば、はじかれるだけである。

さて、私達はマイクロウエーブで統一され、管理下に置かれる。
一つにまとまることは好いように見えるが、独裁的で、ただ破滅にまっしぐら。

♪我は行く青白い頬のままで我は行く去らば昴よ~・・・
終わりの始まりが開かれた。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

貧して分かる愛

2020-03-12 | Weblog
春は別れと出遭いの季節。
それに合わせて、似非と本物の選別が始まった。
悪いものは端正を装って囁く。良いものは質素にして素朴、好ましく語らない。
便利(富)は、見分ける眼を覆い、不便を負わせる。
愛の衣に着飾って、やがて脱ぎ捨てる。
不便(貧)は、見分ける眼を養い、利を得る。
本物の愛を身につけられる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛とは何か試される

2020-03-11 | Weblog
経済=経国済民、国を治め人民の生活苦を救う意と辞書にある。
本来あるべき姿の経済は、間違った方向性をもって操られ、
経済によって人民は、生活苦著しくなっている。
経済が間違った方向にあることを知らしめるために、経済破綻の状況を与えられる。
損得勘定が物事の進行を阻む。
お金に支配された社会の反省を見、改善がなければ、
貧富共々倒れる。
これから次々と起こること、
愛とは何か?と分かるまで。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一事を見て万事を見る

2020-03-10 | Weblog
この世の中は「受」の世界である。
円運動のエネルギーであるために、動くことに由って変化が生まれる。
その動きは片時も止まることがない。その動きによる変化が刺激となり、反応したエネルギーの現象世界である。
動いているために変化が生じ、そのために無常となっている。そして、この状態が常住である。
エネルギーが円運動であるために、
無くなることのない運動となっているためである。そのために、
この運動がすべての存在の法則となって、存在は無くなることのない存在となっている。
ここで間違えていけないのは、無常が常住ということである。
ただ変化しているものであるために、もともとのエネルギーは不増不減である。
この根本が自由という性質である。エネルギーはこの自由なる性質によって円運動となって存在している。
唯一の存在であるために、「百千万劫難遭遇」と説かれている。これは永遠にして他の法則には会えないことを意味している。
つまり、唯一の存在エネルギーの法則ということを言っているのである。
円運動は、真円になればなるほどその動きはわからなくなる。
動が静となって存在となる。そこには変化が無いために、時間も空間も存在しなくなる。
時間も空間もないというのは、自分の心、意識、つまり「思う」ということを考えると見えてくる。
「思う」という意識には時空がないために、自分の心は瞬時に過去にも未来にも行けてしまう。
自由に気ままに思いをどこにでも馳せることができるではないか。なんの遮るものがないということである。
このように理解できるなら、意識がエネルギーであり、円運動の自由から作られていることが知れてくる。
エネルギーが円運動であるために、生命である意識(私達)もすべて円の動きとなっていることが知れるだろう。
一日が朝が来て夜になり、また同じく繰り返していくように、そして、
私達の一日も、毎日同じことを繰り返して生きている。
朝家を出て働きに行き、夜になれば戻ってくる。まぎれもない円運動なのである。
そのように、存在の動きは、この円運動の法則から作られているものである為に、
動き回るのである。
植物のように、特に目に見えて動き回る必要が無くても、中では循環している。
養分を吸い上げ、要らないものを吐き出して生きている。この動きも当然円運動の仕組みである。
地球も同じである。だから、円い形を為している。
季節が巡る。時間は回る。体の中も循環、すべて回っている。
人も老いて、人生が完成していけば、心が円くなっていく。これが道理である。
年老いて尚、角を立てて生きている人がいるが、その人は、この道理に適っていないために、
死後、争いの世に赴く。どこかに出かけても、角を突き合せてしまう。
安らぐことのない世となっていく。
円は縁でもある。繋がるのである。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする