つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

心の問題

2011-02-19 | Weblog
思いによって現象が作られていく。そのために、正しく念いをもたなくてはならない。
案外、脳は惑わされてしまう。あるがままをそのままに見て、隠れているものに気がつかない。
ある世界を創っている法則には善とか悪とかと言うものは無い。もともとは無記である。
善悪は人の思いの善悪である。
何度も何度も繰り返される行為は正しいとなっていく。反復されていくことで絶対となり絶対正しいとなっていく。
ひとつの疑問を抱くことも無くなり、誤った行為であったにしても、その行為の誤りに気がつかなくなって、正しいものとなっていく。

ある世界を創っている法則は、くるくると動き回っている。くるくると回るために、
何度も同じところをたどり回る。かならずもとのところにもどってくるために、一旦ゼロになる。そして亦始まり繰り返す。
始まっては終わり、始まっては終わりと絶えることが無いものとなっている。そのような質となっている。
そのような質となって生じている。回ることによって変化が生じ、その変化が時間を空間を生じさせ、変化が無いところには、
時間も空間も生じはしない。これは、すべてエネルギーの事柄である。微細なものが集まり、引き合い弾き合いながら動き、変化にみあった質が集まり、
かたちを作り出す。そのかたちも
もとをただせばひとつの点にすぎず、かたちの無い気、エネルギーである。

思いも気である。エネルギーである。相対しているものと中立、何にも関与しないもの、するものとで成り立つ。巴であり三つ巴である。
その思いによって世界があるために、おもいが正しければよい世界が現れてくる。おもいが正しくなければ
よい世界となっていかない。
誤った縁のために病が作られ、その病を思うために、病が気から離れなくなり、病が絶対となって病に犯されていってしまう。
病むのを忘れなさいといっても、思いは常に病を気にする。脳は惑わされるために、気にして闘うことをしてしまうが、闘えば敗れてしまう。
絶対には勝てないのである。
目の前のことに気をとられ、そのことを成し遂げるために
病んでいることも忘れて動いてしまうときがある。動けるはずも無いのに・・。機とわれに返り病んでいることに気がつき、痛さに伏す。
忘れてしまう‘気’を付けることが方便であるが、そうは言ってもであるために、病を克服することは難しくなる。

ただ、思いによってであり、現象するには時間の差がある。そのために、正しく思う訓練が必要となり、早ければ早いほどその差は縮む。
誤っている識を顛倒して思い、悪いとすることを思いの中から除いていくことである。
正と負であるために、正を常に気に掛け、負を抱かないことが肝要である。
エネルギー、心の問題である。
コメント
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