つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

生きている間に

2011-02-14 | Weblog
生と死は切り離せない。一枚の紙が
裏と表で構成されているように、どちらかが無いということは無い。
表裏一体で存在となっている。だから、
生は死ぬためにある。死を目的としてあるのは、死後の世界こそ
生の本当の居場所だからである。死後の世界を、しあわせの世界とするための目的である。
死んだらなくなる、なにもかもということではないために、努力があり、精進して生きるのである。
肉体という容を持たなければ、目的を果たせないために、ある容を持って目的のために生まれ生きる。
エネルギーというのはそういうものである。‘かたち’をもってこそ進化をなしえていくものである。
死後の世界はエネルギーの絶対世界である。一度つくられてしまえば、変わることの無い世界となっていくために、
その世界が絶対正しい世界となってしまい、悪魔な世界でも正しい世界であるとなって、誤りを正せない世界となってしまう。
苦しむことが当たり前の世界となってしまう。苦しんでいるのにただすことができないで生きていかなければならない世界である。
誤った進化の世界である。
エネルギーの法則は浄化の法則となっている。常に元に戻る、ゼロの性質となっている。そのために、生じた‘かたち’は死に絶えていくが、
エネルギーそのものは進化して、完成を目指して存在している。その完成は、生命というエネルギーの幸せにある。
永遠の心地よさ、安住の世界を創り住むためである。一度つくられれば、
変わらぬ世界となっていくためである。そのために、誤った進化とならないために、浄化の法則に沿い、
善行に励み生きていくのである。
人生は浄化のためである。、人の行為はみな浄化の行為となっているのである。誤った浄化とならないように、
くれぐれも法は諭すのである。死んでしまってからでは遅いために。
コメント
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