つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

生命は死なない

2006-08-21 | Weblog
人の感官は未知なものがある。
それは、予めることだ。
なぜ、前もって分かることができるのか、今はまだ分からないでいるが、
それは、自分を自分が知らないように、というような感覚で存在する。
未だ、人は未知数のまま。

何もかも分からないでいるために、信じるものを誤ると、何もかもが誤っていく。
基準が無いために、誤っても誤りであると正すことができない。

物事を客観的にみようとしても、そう思うことが主観であるために、
どうしても、客観的には見られない。

自然は常に客観である。
法則であるために。
だから、自然を身に付けることで、はじめて客観視できるようになる。
それが智慧である。
智慧は、過去を知り未来を計り、そして見ることができる。

釈迦もキリストも法を知り、そして 見た。

未来を見た人は言う。
一人は、愛するものをつくるなと言い、
一人は、愛しなさいと言う。
一見、正反対のことを言っているようだが、どちらもまったく同じ意味のことを言っている。
分かる人は、実に救われる。

近い将来として、すぐそこまで人類の滅亡はきているという。
誰一人生き残る者はいないという。
なのになぜ、分かる人は救われるというのか?

それは、死後の世界が在るために。





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