【緊急アピール 日本政府の沖縄政策転換を目の当たりにして】
名護市辺野古に米海兵隊新基地を建設する計画と東村高江での米軍ヘリパッド建設、南西諸島への自衛隊配備を阻止し、オスプレイ配備を撤回させ、普天間飛行場の即時閉鎖・返還を実現するため、力を尽くしている全国のみなさんへ
2012年10月16日 井上澄夫 米空軍嘉手納基地・一坪反戦地主
10月9日に行なわれた仲井真沖縄県知事、佐喜真宜野湾市長との会談で、野田首相はオスプレイ配備の撤回を求める沖縄県民の切実な願いをけんもほろろに一蹴しました。
しかも会談前後の政府の姿勢は明らかに、従来のタテマエをかなぐり捨て、もっぱら〈カネの力〉で沖縄をねじ伏せてオスプレイ配備と辺野古新基地建設を呑み込ませる方向に転じました。
これは決定的に重要な沖縄政策の転換です。以下、それに触れます。
森本防衛相は9月28日、共同通信加盟社論説研究会で講演し、米軍普天間飛行場の「辺野古移設」について「オスプレイ配備後、普天間問題に一定の方向付けをしたい。実現できなければ普天間の固定が続く。知事に移設を認めてもらう政治的、経済的環境をどうつくるかだ」とのべました。そのうえ防衛相は、基地と振興をリンクさせる形で地元を納得させるか、と問われて「そうですね」と答えています。
仲井真県知事が繰り返し普天間飛行場の「県外移設」を主張し、県民の圧倒的多数が「県内移設」に強く反対していることを熟知しているはずなのに、「普天間の固定」を避けるというおためごかしの小理屈を振りかざして「基地と振興のリンク」を表明したのです。
9月28日の防衛相の言明を沖縄タイムス紙は9月30日付社説(「[ゲート前抗議]マグマが噴出し始めた」)で明確な「基地負担と振興策のリンク」と受け止め、「県民の意思は、県内移設や振興策との取引で妥協できる段階を超えている。政府の思考停止ぶりは悲劇といえる」と厳しく批判しました。
それは当然です。政府は従来、沖縄との折衝にあたり基地問題と経済振興とのリンクを否定してきたからです。藤村官房長官は10月2日の定例会見でも「基地と振興はリンクしていない。絡めたことはない」と全面的に否定しています。
言うまでもなく、この姿勢はタテマエに過ぎず、政府はことあるごとにリンクをちらつかせて沖縄を脅迫してきたのですが、それでもリンク論が表向きタブーだったことは事実です。
それを防衛相はいとも簡単に公然と覆しました。
それだけではありません。野田第3次改造内閣で留任した森本防衛相は10月1日、初閣議後の記者会見で、「辺野古移設」について「16年半も行き詰まっている問題を前に進めるための道筋をつくっていきたい」とのべ、普天間問題の前進は野田首相の指示であると明かしながら、それをオスプレイ配備後の「次のステージ」と位置づけました。停滞していた「普天間移設」を強行する決意をあらわにしたのです。
もっとも防衛相はリンクの表明が沖縄側の猛反発を買うことに遅ればせながら気づいたのか、その翌日、2日の記者会見で「何かをリンクするという考え方には立っていない。そう受け止められる発言を私がしたならば、誤りだ」と釈明しましたが、それがうわべの「撤回」であり、リンクして〈カネの力〉で沖縄を屈服させる決意がホンネであることに疑問の余地はありません。
実際、それを実証するふるまいを政府はしました。それを10月10日付琉球新報社説(「知事・首相会談 意図的な印象操作はやめよ」)はこうのべています。
〈仲井真知事と会談した首相は〔知事のオスプレイ配備撤回要求を〕「重く受け止める」としながらも、オスプレイ配備撤回に応じることはなかった。想定内の回答であり、何ら驚くに値しない。
許し難いのは、首相会談直後に、沖縄政策に関する関係閣僚と知事との意見交換の場が政府側の提案で設定されたことだ。沖縄の基地負担軽減と沖縄振興策をセットにして話し合うこと自体、「アメとムチ」で問題解決を図ろうという魂胆が見え隠れしており、やはり不純なものを感じる。
それはオスプレイの普天間配備強行後の5日、沖縄政策に関する関係閣僚会合を開いたことからも見て取れる。外務、防衛大臣のほか、副総理や財務相らが出席し、普天間移設問題や沖縄振興策などの課題について、政府が一体となって取り組む方針を確認している。
裏を返せば、野田政権や防衛官僚などの間には、「沖縄はしょせん、金次第で片が付く」との差別意識が根強いことを示している。より悪質なのは、そのような誤った認識を、国民にも植え付けようと躍起になっていることだ。〉
琉球新報紙の憤激は、まぎれもない事実に基づいています。言葉面(づら)でどう取り繕おうと、政府の「アメとムチ」で強行突破を図るという魂胆は隠せません。
政府は2012年度予算では沖縄側の経済振興のための3000億円の要請に対し、一括交付金など2937億円の「満額回答」で応えました。気前のいい大盤振る舞いを県民が好感し、本年6月の沖縄県議選で知事の支持基盤である自民・公明など与党が議席の過半数を占めるだろうと期待したのです。そうなれば、与党の勝利を背景に知事が「県内移設」容認に転じるというのが政府のシナリオでした。
そのシナリオは結局、画(え)に描いた餅でしたが、今また、2013年度予算について県が再度3000億円を求めていることにつけ込み、〈カネの力〉でオスプレイ配備と「県内移設」とを一気に容認させようとしています。
政府内では、沖縄県知事がどうしても言うことを聞かないならカネは出さないと脅しつけ、沖縄側の対政府要求と引き換えに「県内移設」を認めさせ、同時に知事が「自発的に」引責辞任するというシナリオがささやかれてきました。
1997年12月21日、名護市で海上ヘリポート案の是非をめぐる市民投票が行なわれ、名護市民は明確に「NO」の意思表示をしました。しかしその直後の12月24日、当時の比嘉鉄也名護市長は首相官邸で橋本首相(当時)に対し海上ヘリポート案の受け入れを表明し、その翌日市長を辞任しました。仲井真県知事の「県内移設」容認と同時の引責辞任というシナリオはそれを再現しようという企みです。
余りにも下劣で狡猾な政治手法ですが、現実政治においてはそういうこともあり得ることを私たちは念頭に置かねばなりません。
沖縄県ではこれまで41の全市町村議会が次々にオスプレイ普天間配備の撤回を求める政府あて意見書を可決しました。6月18日に那覇市議会が採択した意見書はオスプレイ配備は「沖縄県民を墜落の危険と死の恐怖にさらす」とのべています。
9月9日付沖縄タイムス別刷り「オスプレイ特集」は、沖縄では戦後、米軍機事故で少なくとも32人が殺され、234人が負傷したと報告しています。続々明らかになる数々のオスプレイの事故に沖縄県民が身を切るような恐怖を味わっていることについて、私たちは人間的な想像力を働かせるべきです。
しかし野田政権は「沖縄はしょせん、金次第で片が付く」と考え、県民の痛切な思いに向き合う気はさらさらなく、それを正面から土足で踏みにじっています。
オスプレイは普天間飛行場にすでに12機配備されましたが、米軍は2014年までにさらに同数配備します。岩国基地を起点にした試験飛行、岩国から沖縄への移動、そして本格運用を前に開始した訓練飛行、そのどれについてもあまた「運用ルール」(日米合意)違反が指摘されていますが、防衛省は不遜にも「直ちに日米の合意に反しない」と開き直っています。
9月28日の講演で森本防衛相は「辺野古移設」に向けた「環境影響評価書」の補正作業は「あと2、3カ月だ」と年内終了の見通しを示し、その後の県への公有水面埋め立て許可申請について「一般論として申請から知事の判断にはおおむね10カ月程度を要する」と一方的に期限を設けました。
さらに10月1日の記者会見で防衛相は埋め立て許可申請に関し、「どのように知事に認可いただくかがこれから重要な問題になる」とのべましたが、その「どのように」が「カネと引き換えに」であることは以上のべたことから明白でしょう。
普天間飛行場の固定化を回避する唯一の方法は〈基地の閉鎖と返還〉であり、それこそ沖縄県民が熱望していることです。しかし政府は固定化回避を〈基地の閉鎖と返還〉ではなく「辺野古移設」にすり替え、米軍が思うままに辺野古新基地で24機のオスプレイを運用できるようにする気です。米軍が辺野古は人口密集地の宜野湾市と違い住民が少ないと繰り返し主張してきたことはよく知られています。
オスプレイ配備の撤回を要求する沖縄県民の闘いは、座り込みなど不屈の非暴力直接行動と自動車の配列による普天間飛行場封鎖に発展し、米軍を震え上がらせました。それゆえ粘り強い果敢な闘いに直面した政府はついに「県民の説得は不可能」と判断しました。持続する怒りの噴出に対し、政府に残る手だては警察力による弾圧と〈カネの力〉しかありません。野田政権にはもはや民主政治にふさわしい道義性はカケラもありません。
野田首相らの念頭にあるのは、今年1月にオバマ米大統領が発表した新「国防戦略」と防衛大綱だけです。ある財界寄り全国紙が「至る所にほころびが目立つ日本外交。どこから手を着けたらよいか悩むほどだ」と慨嘆していますが、それは戦後処理をなおざりにしてきたツケが今、まとめて回ってきたのです。国会議員の離党が相次ぐ野田民主党政権は外交での無能さをさらけ出し、右往左往するばかりです。
つまるところ、拙劣な失策を重ねて自ら招いた外交破綻を解決する道は中国を強く意識した日米共同軍事態勢の迅速な構築、すなわち〈軍備の強化〉しかないと考え、それを「日米同盟の深化」と称しています。
神奈川県の相模湾で10月14日に行われた海上自衛隊観艦式での訓示で、野田首相は旧帝国海軍兵学校の「五省」を読み上げ、日露戦争時の日本海海戦で掲げられた「Z旗」同様「一層奮励努力」を持ち出して自衛官らを督励しました。
野田首相は最近「尖閣防衛にオスプレイは有用」とぶち上げましたが、それを機にオスプレイ沖縄配備推進派メディア、産経・読売などが同趣旨のキャンペーンを繰り広げています。
その趨勢を端的に示すのが「島嶼防衛」を金看板にした南西諸島への自衛隊配備です。台湾の隣り島、与那国では防衛省が陸上自衛隊と航空自衛隊の基地建設のため、すでに土地の取得にまで踏み出しています。さらに宮古の下地島空港(民間)の軍事利用を虎視眈々と狙い、「尖閣諸島」の領有権をめぐる日中関係の緊張を追い風に石垣島にも陸上自衛隊を送り込もうと画策しています。しかもその動きは陸・海・空3自衛隊の統合運用と米軍との連携を前提としています。
最近のグアム・テニアンでの米日共同訓練や、来月予定されている渡名喜(となき)村に属する入砂島(いりすなじま、沖縄島から約60キロ西、米軍射爆場)での日米共同統合訓練が中国をにらむ「離島奪還」演習であることは多くのマスメディアが伝えるところです。
名護市辺野古に米海兵隊新基地を建設する計画と東村高江での米軍ヘリパッド建設、南西諸島への自衛隊配備を阻止し、オスプレイ配備を撤回させ、普天間飛行場の即時閉鎖・返還を実現するため、努力を重ねている全国のみなさんに心から訴えます。
なりふりかまわず、まるでかつての「琉球処分」のように沖縄をほしいままに屈服させようとする野田政権と全力を振り絞って闘いましょう。
沖縄の人びとの闘いに呼応し、改めて決意を固めて創意工夫をこらし、「本土」世論への働きかけを強化し、アメリカの「属国政府」を追い詰めようではありませんか。
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名護市辺野古に米海兵隊新基地を建設する計画と東村高江での米軍ヘリパッド建設、南西諸島への自衛隊配備を阻止し、オスプレイ配備を撤回させ、普天間飛行場の即時閉鎖・返還を実現するため、力を尽くしている全国のみなさんへ
2012年10月16日 井上澄夫 米空軍嘉手納基地・一坪反戦地主
10月9日に行なわれた仲井真沖縄県知事、佐喜真宜野湾市長との会談で、野田首相はオスプレイ配備の撤回を求める沖縄県民の切実な願いをけんもほろろに一蹴しました。
しかも会談前後の政府の姿勢は明らかに、従来のタテマエをかなぐり捨て、もっぱら〈カネの力〉で沖縄をねじ伏せてオスプレイ配備と辺野古新基地建設を呑み込ませる方向に転じました。
これは決定的に重要な沖縄政策の転換です。以下、それに触れます。
森本防衛相は9月28日、共同通信加盟社論説研究会で講演し、米軍普天間飛行場の「辺野古移設」について「オスプレイ配備後、普天間問題に一定の方向付けをしたい。実現できなければ普天間の固定が続く。知事に移設を認めてもらう政治的、経済的環境をどうつくるかだ」とのべました。そのうえ防衛相は、基地と振興をリンクさせる形で地元を納得させるか、と問われて「そうですね」と答えています。
仲井真県知事が繰り返し普天間飛行場の「県外移設」を主張し、県民の圧倒的多数が「県内移設」に強く反対していることを熟知しているはずなのに、「普天間の固定」を避けるというおためごかしの小理屈を振りかざして「基地と振興のリンク」を表明したのです。
9月28日の防衛相の言明を沖縄タイムス紙は9月30日付社説(「[ゲート前抗議]マグマが噴出し始めた」)で明確な「基地負担と振興策のリンク」と受け止め、「県民の意思は、県内移設や振興策との取引で妥協できる段階を超えている。政府の思考停止ぶりは悲劇といえる」と厳しく批判しました。
それは当然です。政府は従来、沖縄との折衝にあたり基地問題と経済振興とのリンクを否定してきたからです。藤村官房長官は10月2日の定例会見でも「基地と振興はリンクしていない。絡めたことはない」と全面的に否定しています。
言うまでもなく、この姿勢はタテマエに過ぎず、政府はことあるごとにリンクをちらつかせて沖縄を脅迫してきたのですが、それでもリンク論が表向きタブーだったことは事実です。
それを防衛相はいとも簡単に公然と覆しました。
それだけではありません。野田第3次改造内閣で留任した森本防衛相は10月1日、初閣議後の記者会見で、「辺野古移設」について「16年半も行き詰まっている問題を前に進めるための道筋をつくっていきたい」とのべ、普天間問題の前進は野田首相の指示であると明かしながら、それをオスプレイ配備後の「次のステージ」と位置づけました。停滞していた「普天間移設」を強行する決意をあらわにしたのです。
もっとも防衛相はリンクの表明が沖縄側の猛反発を買うことに遅ればせながら気づいたのか、その翌日、2日の記者会見で「何かをリンクするという考え方には立っていない。そう受け止められる発言を私がしたならば、誤りだ」と釈明しましたが、それがうわべの「撤回」であり、リンクして〈カネの力〉で沖縄を屈服させる決意がホンネであることに疑問の余地はありません。
実際、それを実証するふるまいを政府はしました。それを10月10日付琉球新報社説(「知事・首相会談 意図的な印象操作はやめよ」)はこうのべています。
〈仲井真知事と会談した首相は〔知事のオスプレイ配備撤回要求を〕「重く受け止める」としながらも、オスプレイ配備撤回に応じることはなかった。想定内の回答であり、何ら驚くに値しない。
許し難いのは、首相会談直後に、沖縄政策に関する関係閣僚と知事との意見交換の場が政府側の提案で設定されたことだ。沖縄の基地負担軽減と沖縄振興策をセットにして話し合うこと自体、「アメとムチ」で問題解決を図ろうという魂胆が見え隠れしており、やはり不純なものを感じる。
それはオスプレイの普天間配備強行後の5日、沖縄政策に関する関係閣僚会合を開いたことからも見て取れる。外務、防衛大臣のほか、副総理や財務相らが出席し、普天間移設問題や沖縄振興策などの課題について、政府が一体となって取り組む方針を確認している。
裏を返せば、野田政権や防衛官僚などの間には、「沖縄はしょせん、金次第で片が付く」との差別意識が根強いことを示している。より悪質なのは、そのような誤った認識を、国民にも植え付けようと躍起になっていることだ。〉
琉球新報紙の憤激は、まぎれもない事実に基づいています。言葉面(づら)でどう取り繕おうと、政府の「アメとムチ」で強行突破を図るという魂胆は隠せません。
政府は2012年度予算では沖縄側の経済振興のための3000億円の要請に対し、一括交付金など2937億円の「満額回答」で応えました。気前のいい大盤振る舞いを県民が好感し、本年6月の沖縄県議選で知事の支持基盤である自民・公明など与党が議席の過半数を占めるだろうと期待したのです。そうなれば、与党の勝利を背景に知事が「県内移設」容認に転じるというのが政府のシナリオでした。
そのシナリオは結局、画(え)に描いた餅でしたが、今また、2013年度予算について県が再度3000億円を求めていることにつけ込み、〈カネの力〉でオスプレイ配備と「県内移設」とを一気に容認させようとしています。
政府内では、沖縄県知事がどうしても言うことを聞かないならカネは出さないと脅しつけ、沖縄側の対政府要求と引き換えに「県内移設」を認めさせ、同時に知事が「自発的に」引責辞任するというシナリオがささやかれてきました。
1997年12月21日、名護市で海上ヘリポート案の是非をめぐる市民投票が行なわれ、名護市民は明確に「NO」の意思表示をしました。しかしその直後の12月24日、当時の比嘉鉄也名護市長は首相官邸で橋本首相(当時)に対し海上ヘリポート案の受け入れを表明し、その翌日市長を辞任しました。仲井真県知事の「県内移設」容認と同時の引責辞任というシナリオはそれを再現しようという企みです。
余りにも下劣で狡猾な政治手法ですが、現実政治においてはそういうこともあり得ることを私たちは念頭に置かねばなりません。
沖縄県ではこれまで41の全市町村議会が次々にオスプレイ普天間配備の撤回を求める政府あて意見書を可決しました。6月18日に那覇市議会が採択した意見書はオスプレイ配備は「沖縄県民を墜落の危険と死の恐怖にさらす」とのべています。
9月9日付沖縄タイムス別刷り「オスプレイ特集」は、沖縄では戦後、米軍機事故で少なくとも32人が殺され、234人が負傷したと報告しています。続々明らかになる数々のオスプレイの事故に沖縄県民が身を切るような恐怖を味わっていることについて、私たちは人間的な想像力を働かせるべきです。
しかし野田政権は「沖縄はしょせん、金次第で片が付く」と考え、県民の痛切な思いに向き合う気はさらさらなく、それを正面から土足で踏みにじっています。
オスプレイは普天間飛行場にすでに12機配備されましたが、米軍は2014年までにさらに同数配備します。岩国基地を起点にした試験飛行、岩国から沖縄への移動、そして本格運用を前に開始した訓練飛行、そのどれについてもあまた「運用ルール」(日米合意)違反が指摘されていますが、防衛省は不遜にも「直ちに日米の合意に反しない」と開き直っています。
9月28日の講演で森本防衛相は「辺野古移設」に向けた「環境影響評価書」の補正作業は「あと2、3カ月だ」と年内終了の見通しを示し、その後の県への公有水面埋め立て許可申請について「一般論として申請から知事の判断にはおおむね10カ月程度を要する」と一方的に期限を設けました。
さらに10月1日の記者会見で防衛相は埋め立て許可申請に関し、「どのように知事に認可いただくかがこれから重要な問題になる」とのべましたが、その「どのように」が「カネと引き換えに」であることは以上のべたことから明白でしょう。
普天間飛行場の固定化を回避する唯一の方法は〈基地の閉鎖と返還〉であり、それこそ沖縄県民が熱望していることです。しかし政府は固定化回避を〈基地の閉鎖と返還〉ではなく「辺野古移設」にすり替え、米軍が思うままに辺野古新基地で24機のオスプレイを運用できるようにする気です。米軍が辺野古は人口密集地の宜野湾市と違い住民が少ないと繰り返し主張してきたことはよく知られています。
オスプレイ配備の撤回を要求する沖縄県民の闘いは、座り込みなど不屈の非暴力直接行動と自動車の配列による普天間飛行場封鎖に発展し、米軍を震え上がらせました。それゆえ粘り強い果敢な闘いに直面した政府はついに「県民の説得は不可能」と判断しました。持続する怒りの噴出に対し、政府に残る手だては警察力による弾圧と〈カネの力〉しかありません。野田政権にはもはや民主政治にふさわしい道義性はカケラもありません。
野田首相らの念頭にあるのは、今年1月にオバマ米大統領が発表した新「国防戦略」と防衛大綱だけです。ある財界寄り全国紙が「至る所にほころびが目立つ日本外交。どこから手を着けたらよいか悩むほどだ」と慨嘆していますが、それは戦後処理をなおざりにしてきたツケが今、まとめて回ってきたのです。国会議員の離党が相次ぐ野田民主党政権は外交での無能さをさらけ出し、右往左往するばかりです。
つまるところ、拙劣な失策を重ねて自ら招いた外交破綻を解決する道は中国を強く意識した日米共同軍事態勢の迅速な構築、すなわち〈軍備の強化〉しかないと考え、それを「日米同盟の深化」と称しています。
神奈川県の相模湾で10月14日に行われた海上自衛隊観艦式での訓示で、野田首相は旧帝国海軍兵学校の「五省」を読み上げ、日露戦争時の日本海海戦で掲げられた「Z旗」同様「一層奮励努力」を持ち出して自衛官らを督励しました。
野田首相は最近「尖閣防衛にオスプレイは有用」とぶち上げましたが、それを機にオスプレイ沖縄配備推進派メディア、産経・読売などが同趣旨のキャンペーンを繰り広げています。
その趨勢を端的に示すのが「島嶼防衛」を金看板にした南西諸島への自衛隊配備です。台湾の隣り島、与那国では防衛省が陸上自衛隊と航空自衛隊の基地建設のため、すでに土地の取得にまで踏み出しています。さらに宮古の下地島空港(民間)の軍事利用を虎視眈々と狙い、「尖閣諸島」の領有権をめぐる日中関係の緊張を追い風に石垣島にも陸上自衛隊を送り込もうと画策しています。しかもその動きは陸・海・空3自衛隊の統合運用と米軍との連携を前提としています。
最近のグアム・テニアンでの米日共同訓練や、来月予定されている渡名喜(となき)村に属する入砂島(いりすなじま、沖縄島から約60キロ西、米軍射爆場)での日米共同統合訓練が中国をにらむ「離島奪還」演習であることは多くのマスメディアが伝えるところです。
名護市辺野古に米海兵隊新基地を建設する計画と東村高江での米軍ヘリパッド建設、南西諸島への自衛隊配備を阻止し、オスプレイ配備を撤回させ、普天間飛行場の即時閉鎖・返還を実現するため、努力を重ねている全国のみなさんに心から訴えます。
なりふりかまわず、まるでかつての「琉球処分」のように沖縄をほしいままに屈服させようとする野田政権と全力を振り絞って闘いましょう。
沖縄の人びとの闘いに呼応し、改めて決意を固めて創意工夫をこらし、「本土」世論への働きかけを強化し、アメリカの「属国政府」を追い詰めようではありませんか。
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