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【cinema】『ストロベリーショートケイクス』

2007-10-29 01:38:19 | cinema
WOWOWで放送されていたので見てみる。

魚喃キリコのコミックの映画化。「4人の女性の仕事、恋愛の話」と書くとあまりに漠然としてるし、なんだかドラマとかにありがちな明るいコメディーを思わせるけど違う。意外に辛い。誰に感情移入するかで自分の抱えている問題というか、悩みが浮き彫りにされる気がする。

男に捨てられて自分をブスだと思いつつ、恋をしたいと願っているデリヘルの受付里子。元同級生に片思いしながら素直になれないデリヘル嬢秋代。寿退社を目指してるOLちひろ。ちひろのルームメイトでイラストレーターの塔子。それぞれが自分が一番求めている何かを失う。傷つく。そして素直に自分を伝えられずにいる。そのそれぞれに共感してしまう。誰か1人ということはなかった。それが上手い。

性格として共感してしまったのは秋代と塔子。秋代は本当はすごく女性らしい人だ。それは見た目とかじゃなくて内面。きっと大好きな菊地に甘えたいのだろうし、彼の前でかわいい女になりたいはず。でも、菊地が自分に求めているものを知っているから「女」の部分を抑えてしまう。ノーメイク、ひっつめ髪、飾り気のない服で男言葉で話す。その感じが痛々しい。恋人になれないなら友達でもいいから傍にいたいという気持ちは分かるけど、余計に自分が辛くなるだけ。だって自分が本当に求めているのは友達ではないから。でも逆に彼の求める自分を演じてしまう。もしかしたら素の自分を愛してもらえたかもしれないのに・・・。彼女はある事をきっかけに菊地を求める。それが痛い。菊地との事にしたいのだ。彼女の選択を潔いとは思わないけど、すごいなとは思う。強いのとも違う気がするけど・・・。

塔子はままならない現実に過食症になっている、イラストレーターの彼女が大切に思っていて、認めて欲しいのは作品。それは自分自身だから。過食症になっているのだから、見ている側としては彼女の精神が「普通」ではないと思うし、同居人ちひろの日記を盗み読むなど行為などは歪みも感じる。でも、自分達のミスをきちんと謝罪もしない出版社の態度に、罵りながら吐く彼女には共感した。社会人なら理不尽な目にあっても、その怒りを飲み込んで耐えて頭を下げた経験はあると思う。その体験自体が具体的に甦ったわけではないけど、心の奥が疼く。

ちひろに関しては恋愛しか頭になくて、何事も中途半端ないわゆる普通のOLさんで、よくいるタイプだと思って嫌いだった。自分はあそこまで極端ではないけど塔子と秋代に近いと思っていたから。でも、普通のOLであるちひろが焦る気持ちがよく分かってしまった。「自分には何もない」ってことに気付きたくない感じ。でも、分かっているから結婚にすがってしまう感じは分かる気がした。そして、ちょっとそんな自分が辛かった。恋愛中の彼女は見ていてイヤだったけど、結局一番潔かったのはちひろかも。

多分、一番強かったのは里子かもしれない。唯一里子のみ2年前に辛い出来事を経験したところから始まっている。彼女が冒頭で言う「そんな最悪な出来事を乗り越えられたアタシって強い」という言葉がこの映画のテーマ。最悪な事は何度もあったし、これからも間違いなくある。でも、子供の頃の最悪な事が、今思うと小さな事だったりするのは、乗り越えて強くなったから。そうやって強くなって生きてゆく。

役者達はみんな良かったと思う。里子の池脇千鶴や塔子の岩瀬塔子、秋代の中村優子は役柄自体にそれぞれ激しい見せ場があるけど、意外に普通のOLちひろ役は難しかったんじゃないかと思う。中越典子は良かったと思う。ちひろの行動に嫌悪感を覚えつつ、それが実は共感しているからなんだと気付かされたし。好きな俳優加瀬亮が出てたのはうれしかった。嫌な役だったけど(笑) でも、こーゆー男多いよな~ しかも悪いのはちひろで自分は被害者だと思ってるからタチ悪い!

4人それぞれの部屋の感じとかも良かった。菊地の家がすさんでる感じも。それぞれのキャラが分かる感じで。全体の画もなんとなく淡い感じでいい。どの程度原作に忠実なのか分からないけど、小物とかの使い方も良かった。

なんとなく気持ちがモヤモヤしてる女子は見たらいいかも。ちと辛いけど、そのモヤモヤが明確になるかも。そして乗り越えればいいのだと思う。


『ストロベリーショートケイクス』Official site

コメント (4)
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【cinema】『スターダスト』

2007-10-25 23:11:22 | cinema
'07.10.24 『スターダスト』@東商ホール(試写会)

「イギリスのウォールという壁に囲まれた村に育ったトリスタン。恋するヴィクトリアに振り向いて欲しい彼は、彼女の誕生日までに流れ星をプレゼントするため旅に出る。しかし、魔女、王位継承を狙う王子も流れ星を狙っていて・・・」という話。いわゆる冒険ファンタジー。以前、大好きな『ロード・オブ・ザ・リング』公開時に読んだ記事に、本当のファンタジーはむしろ残酷で大人向けであると書いてあった。確かにペローやグリムの童話なども、実際はすごく残酷だったりする。残酷なのがいいと言っているわけではない。ただ、本来の毒みたいなものが、子供向けに削られていってしまったことで、ファンタジー=子供向けという図式が出来上がってしまったように思う。もちろん子供向けに素晴らしい作品が作られることは大切なこと。でも、これは・・・。どっちでもないかな(笑)

話はとても分かりやすい。最初の30分でオチは分かる。あとはどれだけ映像や、そこに至る伏線で楽しませるかだと思う。チラシに「宮崎アニメの実写版を見ているようだ」と書いてあったけど、まさにそんな感じ。不思議な動力で動く空飛ぶ船とか、意外に心優しいその船長とか、稲妻を武器に使うとか、いかにも宮崎アニメに出てきそうな感じ。デザインもいい。流れ星が美しい女性の姿で現れて、素直で無邪気な反面、意外にたくましかったりする感じも、とってもアニメ的。原作は『もののけ姫』の英語版脚本を担当したニール・ゲイマン。影響あり?

出演者は意外に豪華。前出の心優しく女装癖のあるキャプテン・シェイクスピアはロバート・デ・ニーロ。デ・ニーロ特有の泣き笑い顔での大芝居。ダサくてひ弱いトリスタンを立派な青年に鍛える師匠的な役割もある。この辺りはサラリと流してコメディータッチで描かれる。ちょっと『チーム・アメリカ』のモンタージューを思い出した(笑) 今回の敵役の魔女ラミアはミシェル・ファイファー。『ヘアスプレー』に続きコメディー色の強い悪役だけど、この路線を狙っているのか? 昔は雰囲気のある美女役がお得意だったのに・・・。ストームホールドの王にピーター・オトゥール。ナレーションにイアン・マッケランなどイギリスの名優の名も。これまた敵役の王子セカンダスにはルパート・エベレット。かつての『アナザー・カントリー』の美貌(好みじゃないけど・・・)の面影が全くなかったのにはビックリ。でも、ラストの人形のような動きの演技は笑えた。

流れ星のクレア・デーンズは『ロミオとジュリエット』では美しかったけど・・・。でも、ただ美しいだけの美女よりも、少し個性的な感じが流れ星役というビックリな役どころにはいいのかも。脇のキャストに力を入れすぎたのか、主役トリスタンのチャーリー・コックスには全く華がない・・・。哀しいくらい華がない。こういうタイプの映画は役者の演技にはなかなか目が行かない。キャラクター自体が濃いから。トリスタンの最初のダメ男ぶりを最後まで払拭できずといった印象。イヴェイン(流れ星)の誤解を生む行動にしても「大人になれ!」ってアンタだろうと思うし(笑) まぁこれは役者の責任ではないけど。でも、スカッとした行動と思えなかったのは脚本のせいもあるけど、彼に説得力がないからと言ったら厳しすぎ? 約束を守りたかったというより、子供っぽい仕返しにしか見えなかった。

全体としてアニメ映画の実写化を見ているようだという印象。だったらアニメの方がよかったのかなぁ。でも、イギリスのアシュリッジの森(ハリポタの撮影でも有名)で撮影したという風景は美しかった。バビロンのロウソクで飛んでくるところとか、王子達の幽霊とかは楽しかった。城のデザインのやり過ぎ感もおもしろい。

子供が見たら楽しいのか、大人も楽しいのか・・・。う~ん・・・


『スターダスト』Official site

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【cinema】『4分間のピアニスト』

2007-10-23 23:20:28 | cinema
'07.10.22 『4分間のピアニスト』@九段会館(試写会)

予告で見て気になっていた。試写会が当たったTからのお誘い。もちろん行く!

「刑務所でピアノを教えることになったクリューガー。受刑者の前で演奏していた時、完璧な指使いで机を叩くジェニーに目を留める。彼女の類い稀な才能を伸ばす為、2人だけのレッスンが始まるが・・・」という話。これはすごい話だ。とにかく暗くて辛い。あらすじだけ読むとクリューガーとジェニーの心温まる師弟関係や、ジェニーの再生の話を想像するけど全く違う。これは闘いの話。魂と魂がぶつかり合って爆発して昇華し、より深いところでお互いを認め受け入れる話。そのぶつかり合いがすごい!

登場人物たちは皆多かれ少なかれ辛い過去を持っている。普通に生きていれば大なり小なり辛い経験はあるはず。受刑者達はジェニーの無関心ぶりや、その激しい感情が許せない。それでも人を惹きつける彼女が妬ましいのだ。看守のミュッツェの行動も嫉妬だ。復讐ではない。クリューガーの関心が彼女に集中したことへ妬み。そういう感じがいつも冷たく暗い、そしてドイツの古い街並みを背景に描かれる。ミュッツェの行動自体は嫌悪しているのに、彼の気持ちは分かる。認めて欲しい、愛して欲しい人に受け入れられないのは辛い。共感とは少し違う。でも、分かる。そいうのが上手いし、そして見ていて辛い。

殺人罪で服役しているジェニーも、今は80歳を越えた老女となったクリューガーにも悲しく辛い過去がある。2人のその辛い過去に対しての対処の仕方というか反応の仕方の対比が興味深い。ジェニーは爆発して自虐的になった。挙句、自らの意思で刑務所に入った。それは彼女の心の叫び。神童ともてはやされた彼女の中に芽生えた自我。その自我を最悪の形で踏みにじられた。刑務所の中では他人には無関心を装いながら、突如爆発して手がつけられなくなる。その暴れぶりはすさまじい。彼女の怒りは殴っている相手ではなく自分に向かっているように見える。やり場のない怒り。でも、誰かに救って欲しいとどこかで思っている。

クリューガーは逆。自分の中に完全に悲しみを閉じ込めた。看守ミュッツェの娘に会うたび「お辞儀は?」と尋ねるなど、礼儀とか礼節とかを重んじている。その割、刑務所内は立ち入り禁止になっている元受刑者達に「安いから」という理由で、ピアノ運搬を依頼する一面もある。その行動は差別を嫌うということではない気がする。常に自分の中の基準に従い、硬い表情で背中は曲がっているけれど、きちっとした姿勢でアゴを上げて立っている。彼女の辛い過去は第二次世界大戦中に起きた。あの戦争中多くの人が同じような目にあったと思う。そしておそらく多くの人がクリューガーのように静かに自分の中に閉じ込めて、辛さをずっと抱えて生きてきたのかもしれない。彼女の過去が明らかになった時、その過去の出来事自体よりむしろ、それをずっと心に押し込んで自分の信念に従って生きてきた彼女の人生の重さに心打たれた。

彼女達は次第に心を通わせていく。2人がダンスを踊るシーンはいい。でも、常にお互い闘っているように見えた。ジェニーは「自分」を認めて欲しい。クリューガーはそんな彼女が歯がゆくてたまらない。何故、才能があるのに無駄にするのか? でも、彼女の価値観は彼女だけのもの。それはジェニーにとっても同じ。お互いそれでも「自分」を受け入れて欲しいのだ。でも、2人とも感情表現が下手過ぎる。辛い経験からジェニーは攻撃してしまい、クリューガーは従わせようとしてしまう。その辺りも上手い。

とにかく主役2人が素晴らしい。ジェニー役のハンナー・ヘルツシュプルングは1200人の中から選ばれた無名の新人。彼女の少年のような鋭い、でも傷つきやすい目が素晴らしい。この作品のためにピアノはもちろんボクシングまで習ったという。オーディションでも演じたという鏡をこぶしで叩き割るシーンはすごい。迫真の演技だったと思う。全身で怒りと悲しみと愛情への渇望を感じた。クリューガー役のモニカ・ブライブトロイは特殊メイクで実際よりも20歳も年上の人物を演じた。見ていた時はホントに80歳過ぎの老女優が演じているんだと思っていた。その佇まいがすごい。あの出来事以来クリューガーが抱えてきた傷と重荷。苦しみや悲しみを心にしまい込み生きてきたその人生がにじみ出るようだった。

ラストクレジットでクリューガーという人が2004年まで生きていたというような表記があった。おそらくこの映画の着想のきっかけとなった人物だと思う。実際、刑務所でピアノを教えていた老女教師で、監督が彼女の写真を見たことから今回の作品が生まれたらしい。映画自体は実話ではないと思うけど・・・。この作品2人の日本人が関わっている。シューベルトを弾いた木吉佐和美さんとラスト4分のピアノを弾いた白木加絵さん。

そのラスト4分間がスゴイ! たぶんに映画的な盛り上げもあるものの、まさに魂の叫び。そして心の開放。自由への4分間とは、肉体的な自由ではなく心の自由なのかもしれない。4分間の演奏もさることながら、そのラストシーンの美しさに心を揺さぶられた。お互いを本当に認め合った。2人が求めていたものが得られた瞬間。苦しんだ末に自分を開放できた者にしか得られない瞬間。自分を開放するということは、自分だけの価値観を捨てること、そして人を受け入れること。その瞬間が押し付けがましくなく、こんなにも美しく描かれるのは素晴らしい。

暴力シーンも多いし、暗く悲しく辛い。映画自体も、ラスト4分も合わない人も多いと思う。でも、ラストシーンのために見る価値は絶対あると思う。記憶にある限り5本の指に入る美しいラスト。実際は哀しいんだけど・・・。


『4分間のピアニスト』Official site

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【cinema】『キャンディ』

2007-10-20 02:34:08 | cinema
'07.10.17 『キャンディ』@シャンテ・シネ

ホントは同じ劇場でやってた『オフサイド・ガールズ』を見る予定だった。決算処理などでなかなか行けず、既に公開終了してしまっていた(涙) 急遽調べて『パンズ・ラビリンス』と悩んだけどこちらにすることに。

「ジャンキーで定職のないダンは、画家志望のキャンディと出会う。厳格な母から逃れたかったキャンディもドラッグにはまっていく。2人は結婚するがその日暮らしの生活。売春婦にまで身を落としたキャンディは精神のバランスを崩し・・・」という話。もうホントに絵に描いたようなダメ生活。ダンという男がホントにダメ。最悪なのは極道な男ではないこと。ジャンキーなことを除けばどこにでもいる、やる気のない男なのだ。

誰だって面倒なことはしたくない。何もしないで自分の欲しいものが手に入るなら、こんなにうれしいことはない。でも、そうは行かないから皆何かしら努力をしたり、苦しいことをしたりしながら生きているのだ。でも、彼は楽しいことしかしたくないのだ。キャンディのことも本当に愛しているのであれば売春なんてさせるハズがない。でも、彼女の体で稼いだお金でドラッグを買い平気でいる。問題なのは「考えたくない」と言って深く考えないこと。まだ、女に貢がせてやろうという極道の方が見ていて楽。でも、こういう人って男も女も増えているんだと思う。分かりやすくジャンキーにしてるけど、別にジャンキーじゃなくても同じこと。

キャンディは売春婦にまで身を落とし、ダンを責めるけれども取り合ってもらえない。感情を爆発させて彼に怪我させてしまった夜、心を添わせて愛を確かめ合う。その結果妊娠。妊娠を機にドラッグを止めようとするも流産。そのショックから再びドラッグ漬けの日々。彼女の身に起こった事は女性として辛いしかわいそうだと思うけど、自分が悪いしね。確かに彼女はまだ若かったし、口うるさそうな母親と暮らすのは窮屈だったと思う。ダンみたいな男は表面上は優しいので恋愛が始まったばかりのころは楽しいだろう。「愛されてる」と思わせてくれると思う。でも、それはダンが甘えたいだけ。でも、女としてそこに甘えてしまう部分は分かる気もする。でも、ドラッグに手を出すことは別。

ダンの生い立ちや過去などが語られないので、何故彼がドラッグ中毒になってしまったのかは不明。「親に見捨てられた」という冒頭のナレーションのみ。ただ、彼の言動からは特別家庭環境がひどかった様子は感じられない。割と普通の家庭に育った気がする。でも、何の目標も見つけられず、面倒くさいことはしたくないと、流されて生きてるという感じがする。人生で辛い時にはそこから脱出しようともがいたりする事が多い。むしろ目標などがなくて、漠然とした不安がある時の方が現実逃避したくなる。このままじゃいけない気がするけど、一歩踏み出す気力も勇気もない。ダンはそういう状態だったのではないか。

ダン役はヒース・レジャー。このダメ男をどうにか見ていられたのは彼のおかげかもしれない。好みの問題だけどイケメンではない。でも、キャンディが夢中になるほどには魅力があったのだ。それはなんとなく分かる。まぁ、この手のタイプの男って一見魅力的ではあるけど。その割中身の薄っぺらい感じや、優しく見えるけど実はものすごく自分勝手な感じ。それを嫌悪感ギリギリで「でも、こういう人多いよな」って思える感じに演じているのがスゴイ。キャンディのアビー・コーニッシュが魅力的。多分、自由に生きてるように見えたダンに憧れて夢中になり、気付いたらどん底に堕ちていた。そんな役を可憐に演じた。売春婦になっても美しかった。ジェフリー・ラッシュがダンの父親のような存在で登場。この人は本当にダメ男。確信があるだけにダメ。でも、彼の死がダンにある変化をもたらす重要な役。ジェフリー・ラッシュはやっぱり上手い。

彼らは彼らなりに試練を乗り越えて一つ大人になる。ハッピーエンドではない。見ていて気持ちのいい映画ではない。彼らより年上の私としては、彼らの抱えている問題や悩みに対しての対処の仕方を少しは知っている。ドラッグに走ってはダメですよってことは言われなくても分かっているし、そんな気もそもそもない。でも、彼らと同じ年齢くらいの子達には何か感じるところがあるかもしれない。

何だかあんまり褒めてないけど、どこか寒々とした色合いの風景とか、街の感じとか映像は良かった。あとキャンディの描く絵は好きだった。もう少し2人の芸術家気質というかそういう面を出せば、繊細で傷つきやすい面が強調されたかも。まだ画家や詩人の「卵」ですらない2人のそういう面より、堕落の方に重きを置いた感じなので、若い2人の甘えに見えてしまったのが残念な気がする。まぁ、そういう風に描きたかったのかもしれないけど・・・。


『キャンディ』Official site

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【cinema】『ヘアスプレー』(試写会)

2007-10-17 01:49:25 | cinema
'07.10.11 『ヘアスプレー』@一ツ橋ホール(試写会)

これは気になっていた。なぜならあのジョン・トラボルタが女装して主人公のママを演じているから。何故そんなムリをしてまでトラボルタなのか?

「'60年代ボルチモア、太めの女の子トレイシーはテレビのダンス番組を見ることと、ダンスが大好きな明るい女子高生。憧れの番組のオーディションを受け出演することになり・・・」という話。トレイシーがもうビックリするくらい明るく前向きなので、気付かないけど人種問題なども扱った意外に重い話。でも重くはない。

この時代はまだ人種差別が公然と行われていて、ダンスパーティーなどでも黒人エリアと白人エリアとロープを張って分けられていた。テレビのショーでも「黒人デイ」には出演者は黒人のみ。そんな境遇の中、明るく生きている彼らを素直に受け止め、素直に心を開くトレイシー。彼女の目線は上でも下でもない。それがいい。

1988年作品のリメイク。その間舞台化されている。1988版と舞台版は未見なのでよく分からないけれど、どちらかというと舞台版の影響が大きいのかなと思う。ミュージカルなので感情が高まると歌って踊り出す。もちろんそれがミュージカルの醍醐味。私はミュージカルが好きなのでそれは全然OK。っていうかむしろ好物。ただ、あまりその緩急が効いていないので、素の部分もテンションが高め。なのでそんなに重いテーマであっても「楽しい」に飲み込まれてしまうという点がある。重いテーマをさらりと見せることで、かえって強い印象を残すということはあるわけで、どちらかというとそちらの方が好み。でも、太めの体型を気にして外に出て行かない母親の心を開放することと、黒人を開放することが同じ次元で語られるのはどうだろう? と感じてしまうのはダメなのか?

トレイシー役のニッキー・ブロンスキーは笑顔がキュート。そしていつも前向きでパワフル。実際身近にいたらちょっと疲れるかも(笑) でも、ウザキャラになってないのは彼女のおかげかも。ミシェル・ファイファーは今回は敵役。相変わらず美しかったけど、少し目の離れた彼女の個性的な顔が役に合ってた。なぜこの役受けたのかは謎だけど。それはトラボルタにも言えるかも。あるインタビューで彼は『グリース』以上の作品がないので、ミュージカルの出演はさけていたと答えていた。この作品は『グリース』を超えたということらしい。『グリース』は見たことがあると思うけど覚えていない。なので超えたのかは不明。女装した上に太めの体にするためにボディースーツを着用。なぜ、そこまでしてトラボルタなのか? 確かに歌も踊りも上手いけど、母親には見えないし。そしてデカイ(笑) でも、トラボルタだと思って見るとおかしい。父親役のクリストファー・ウォーケンとのラブシーンは必見かも。この映画一番の見所はクリストファー・ウォーケン演じる父親かも。彼は間違いなく変人だけど妻と娘を思う良き夫であり父親。ウォーケンのあの怖い顔で演じられると余計おかしい。ミシェル・ファイファーとのやり取りもおかしい。そしてクィーン・ラティファの歌が素晴らしく、ビッグママぶりも素晴らしい。

前にも書いたけど重いテーマも軽々と描いている。とにかく主人公の個性同様、明るく元気でパワフル。逆にそれが重いテーマを考えさせる狙いなのだとしたら私にとってはちょっと余計だったけれども、それは好みの問題。だれもが映画に重いテーマを求めているわけではない。単純に「楽しかった」という娯楽作を見たい人も多い。そういう意味ではいいと思う。随所に楽しめる場面が満載。楽しかった。


『ヘアスプレー』Official site

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【cinema】『ボルベール(帰郷)』

2007-10-16 00:08:41 | cinema
'07.10.06 『ボルベール(帰郷)』@ギンレイホール

2本目。こっちの方が見たかった。ペネロペ・クルス主演、ペドロ・アルモドバル監督の映画。母子3代に渡る女性の因縁と絆の話。

「失業中の夫の代わりに家計を支えるライムンダ。彼女の留守中、娘のパウラが自分は実の父ではないと襲ってきた夫を殺してしまう。同じ頃、焼死した母が故郷の村に現れたとの噂が流れて…」という話。アルモドバル作品はいつもそうだけど、見ていて楽しい話ではない。見終わってもいい気分ではない。登場人物達は死もしくは性に関して秘密を持っている。被害者でもあり 加害者でもあったりして複雑。どの人物も辛い現実を生きている。でも、それがスペイン独特の原色の風景と、ラテンの曲の哀しくも力強い音色に乗って描かれると、妖しい強さを発して引き付けられてしまう。

前作『バッド・エデュケーション』とは逆に、今回は女性の話。女の哀しさ、そして強さを描く。2作は全くリンクしていないので、比べるのは変だけど、前作はほとんど女性が出てこない。今回は逆。もちろん出てはくるけど重要ではない。そして2作を見て思うことは「やっぱり女性は強い」ということ。

途中から想像はついてたけど、ライムンダの人生は重い。いつもおどおどしている姉はライムンダを気が強いと言うけど、強くもなるだろう。でなければ生きていられなかったはず。そして娘パウラの存在。彼女の存在がまた辛い。1番辛い運命なのはパウラかもしれない…。

ボルベールっていうのは映画の中でライムンダが歌う曲。実際ペネロペが歌っているのか不明だけど、このシーンはいい。ひょんなことから映画の撮影隊のために、友人が閉めたレストランを開くことになる。このエピソードもいい。ライムンダの肝っ玉ぶりが分かるし、なによりレストランをきりもりしている姿が生き生きしていていい。打上げパーティーの場でライムンダが子供の頃歌手を目指していた事が分かる。彼女の歌を聴いたことがないという娘のために久しぶりに歌うのが「ボルベール」 ラテンの曲は哀愁があり力強い。それがライムンダの人生に重なる。そして姉ソーレの車の中で息を潜めてその姿を見つめる母。彼女がこみ上げる涙を抑えきれない姿が素晴らしい。

ペネロペ・クルスが美しい! 前からキレイだとは思っていたけど、アクが強すぎると思っていた。でも、この映画ではその個性がピタリとはまった。ライムンダはその過去を知らなければ、ちょっとヒステリックな女と思う人もいるかもしれない。強さと危うさが同居しているとたまらない魅力になるけど、強さの方が前面に出ている。でも、それは自分と娘を守るため。その感じがペネロペの美しく強い、でも哀しい表情で演じられると痛々しい魅力となる。そしてペネロペの演技は素晴らしかったと思う。常に潤んだ瞳が全てを物語る。英語の映画に出ている時には強いスペイン訛が気になるけど、スペイン語の少し早口な言葉が彼女の強さを引き立てる。

母イレネ役のカルメン・マウラも素晴らしい。姉ソーレの所にいる時はコミカル(オナラエピソードや、ロシア人のフリとかおかしい(笑))で奔放な女性なのかと思わせたが、彼女の口からライムンダの過去が分かった瞬間にボルベール(帰郷)の真の意味が分かった。そして彼女がこれから生きていく道。そのつぐないの決心が素晴らしい。彼女の罪もまた哀しい。姉ソーレ、隣人アウグスティーナみな女性が哀しく、それぞれの逞しさ強さがあり素晴らしい。コピーに「女たち、流した血から、花咲かす」とあるけれど、まさにこの映画のイメージカラーの赤が血を思わせる。もちろん血を流してるのは女の方。いろんな意味で血を流す。そういう女の業を感じる。それがスゴイ。

アルモドバル作品はいつも映像が美しい。ライムンダが一時的にオーナーになるレストランも素敵だし、街並みもいい。夫のお墓となる湖も美しいし、なにより故郷の風景がいい。素敵だけどすべてどこか哀しげ。やっぱり上手いと思う。彼の作品はいつも主人公達の背負っているものが重くて、哀しくて、でも意外にずるかったりして・・・。とっても人間くさいけど押し付けがましくない。見終わっていい気持ちになるかというとそうではないし、どれも重いテーマでもズッシリ疲れてしまうわけでもない。人によって好き嫌いはあると思うけど、私はやっぱり好きなんだと思う。

アルモドバル作品の中では『オール・アバウト・マイ・マザー』(こちらもペネロペ出演作)の次に好き。とにかくペネロペ・クルスを見るだけでも見る価値あり。私はレズっ気は一切ありませんが、あのウルウルした瞳と、華奢な体に巨乳! 完全に男目線になってしまった(笑) ペネロペなくしてはありえない映画だと思う。こんなに作品と女優がリンクするのも珍しいかも!


『ボルベール(帰郷)』Official site

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【cinema】『サン・ジャックへの道』

2007-10-14 00:16:00 | cinema
'07.10.06 『サン・ジャックへの道』@ギンレイホール

TRAVEL CAFEを思いのほか早く出なくてはならくなったので、ギンレイホールへ行ってみる。ここは年々姿を消してく「名画座」を残そう頑張っている映画館。狭いロビーにも劇場内にもレトロ感があっていい。すでに公開終了している映画を2本立てで楽しむことができてお得。この日は『サン・ジャックへの道』と『ボルベール(帰郷)』だった。どちらも公開時気になっていた映画。『サン・ジャックへの道』は30分くらい始まってしまっていた。でも他にすることもないので見ることに。

「仲の良くない3兄弟(1人は女性)が遺産を相続する条件は、キリスト教の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の旅を一緒にすることだった・・・」という話。途中から見たので、当然旅の途中。兄弟達は総勢9名のチームで旅をしていた。なぜ、その9名で旅することになったのか、他の登場人物達は何故旅に出たのかはよく分からない。でも、それでついていけないということはない。そこまで複雑な話でもない。見ているうちになんとなく相関図が見えてくる。

旅する映画にありがちな、反目しあったり、助け合ったりしながら絆が生まれ、旅が終わる頃には「何か」を掴んでいるという、まさにそのまま。でも、そこに押し付けがないのがいい。全体的にコメディータッチというか、どこか俯瞰で見ている感じ。主人公達は特別に嫌な人達ではない。困った行動をする人物もいるけど許せる範囲。そして、彼らが特別信心深いわけではなさそうなのもいい。彼らの中にはきちんとした決意を持って参加した人もいるのだろうけど、3人兄妹たちは間違いなく参加したくてしたわけではない。まぁ、それもありがちな感じではあるけど(笑) キリスト教徒ではないので詳しくはないけれど、サンティアゴ・デ・コンポステーラは聖ヤコブの遺骨があるとされており、キリスト教の聖地。その地への巡礼は、信者にとって重要な意味を持つものらしい。そんな旅に嫌々ながら参加するという設定も面白い。

正直、特別感動したということはない。ただ、なんとなく見終わった後、彼らと共にやり遂げた感がある。よく旅は人生に例えられる。困難や苦しみを乗り越えた先に幸せがあるとか・・・。彼らも彼らなりに困難にあう。それは何もキリスト受難のようなものではない。普通の人に普通に起こりうる困難。土砂降りの雨の中宿がないとか。そういう小さな(結構辛いけど・・・)困難を彼らなりに乗り越えていく姿を笑っているうちに、私たちもキリスト教の聖地に辿り着く。聖地の大聖堂でのミサは荘厳。でも、ちょっと観光気分なのもいい(笑)

どうやら騙されて連れてこられたらしいけれど、見ていた中では唯一明確にこの旅に参加した理由のあるアラブ系の少年ラムジィ。彼は字が読めないという失読症を直す為メッカに向かっているはずだった。彼はこの旅の間に、3兄妹の妹クララに教えられて字が読めるようになる。彼のように目に見えた成長ではなくても、皆少し変化している。「巡礼の旅」の定義というか意義については良く知らないし、きっと様々なのでしょうけれど、メッカでアラーの神にすがるはずだったラムジィが、キリスト教の聖地に辿り着くまでに願いが叶えていたということが全てを物語っている。願いは神が叶えるものではなく、自分の力で叶えるものなのだ。でも「神」を信じることで、自分でも気付かない力が発揮できるならそれでいい。そして、そういう意味での「神」ならアラーの神もキリストの神も同じなのに・・・。おそらく、ラムジィの存在はそういうメッセージ。ちょっと怖そうなオバちゃんのクララが彼を受け入れるのもそういうこと。そういうのが押し付けがましくなくていい。

そして、とにかく全ての風景がいい。山道とか自然の中もそうだけど、途中立寄る小さな街もかわいらしいし、サンティアゴ・デ・コンポステーラも素敵。その風景だけでも見ていて楽しい。


『サン・ジャックへの道』Official site

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【cinema】『めがね』

2007-10-07 00:55:10 | cinema
'07.09.30 『めがね』@TOHOシネマズ市川コルトン

これは見たかった。『かもめ食堂』のスタッフ&キャストが再び集まって撮った映画。『かもめ食堂』は好きだった。

「プロペラ機で南の島に降り立ったタエコ。手書きの地図をたよりに浜辺の宿ハマダに到着する。宿の主人ユージも先客サクラも一風変わった人々で・・・」という話。前作『かもめ食堂』以上に特に何の事件も起きない淡々とした映画。セリフもあまりない。登場人物たちも島の高校教師ハルナがタエコに時々つっかっかる以外は、特に踏み込むでもなく、突き放すでもない絶妙な距離の取り方をする。ユージとサクラのその佇まいはスゴイ。実際、身近にいたら気になる存在ではあると思うけど、どこか不安になる気がする。受け入れてくれているようで、受け入れられていない。そのくせ全て分かってくれているような不思議な感じ。タエコは食事の時や様々な場面で違和感や居心地の悪さを感じているけど、それはハルナのぶしつけでやや意地悪な質問のせいだけではない。2人のその感じもあると思う。

彼らは食事や浜辺で毎朝行うメルシー体操にタエコを誘う。誘いはするけど強要はしない。だから気になる(笑) この感じがいい。2人が突出しておかしな人なのではないのがまたいい。登場人物たちはタエコですらどこか不思議な人達。結局、一体どういう人達なのかさっぱり分からないまま映画は終わる。でも、そんなことはあまり問題ではない。耐え切れなくなり宿を出てしまったタエコを迎えに行くサクラがいい。この感じにすべて盛り込まれている気がする。

人にはいろいろある。30代後半以上と思われるタエコがたった一人で浜辺の宿に来たからには何かしら事情があるはず。特別大きな出来事があったわけでなくても、きっと心が疲れているのだと思う。そういう事情を根掘り葉掘り聞くのは自分の好奇心を満たすだけで、決してその人を知ることにはならない。そういう感じがとってもいい。ユージにもサクラにもハルナにも、そしてタエコを訪ねてやってきたヨモギにも、きっとこの島にいる理由があるはず。でも、それは語られない。それがいい。"余白"が何かを物語る感じ。見ている人達がそれぞれ感じる"余白"がある感じ。でも、その"余白"が嫌いな人は合わないかもしれない。

ロケは与論島で行われたらしいけど、海がとてもきれい。私は泳げないので海に特別思いいれはないけれど、この風景は素晴らしい。白い砂浜に真っ青な海、そして青空。でもギラギラしてはいない。ハマダもいい。部屋にはテレビもないしケータイも通じない。キッチン&食堂もいい。『かもめ食堂』でもオープン・キッチンになっていたけど、ハマダではさらに壁も窓もないオープン・スペースになっている。ここで和食を中心とした朝食や夕食をみんなで一緒に食べる。居心地の悪さや違和感はだんだんなくなっていく。

前作もそうだったけど、今作も好きな役者さんばかり。タエコの小林聡美、サクラのもたいまさこ、ヨモギの加瀬亮。ユージの光石研は「時効警察」で初めて見たけど好き(笑) タエコは前作のサチエに比べるとやや頑なで面白みのない女性。でも、毎朝足元に正座してサクラに起こされればあんな反応にもなるかも(笑) 多分、見ている側はタエコ目線でいる。最初は彼らの距離感が分からなくて戸惑うはず。そして、少しずつ「苦手」を受け入れていくことが自分を開放することを知る。その感じを小林聡美が好演。最初はタエコを頑なだと思うけど、いつしか"余白"を楽しめない、羽目をはずような事をしたくないと思っている現代人を体現していることに気付く。それが上手い。ヨモギは後からやってきて、先に達観して帰ってしまうけど、その存在がタエコの気持ちを少し楽にする。その辺りを加瀬亮が飄々と演じていていい。ユージも力の抜けた人物だけど、そういう人物になるに至った背景までも感じさせていた。

そして、やっぱりもたいまさこはスゴイ! サクラは本当に謎の人物。仙人のような存在。毎年、春になるとふらっと現れて、カキ氷屋を開く。このカキ氷が人々の心に何かを芽生えさせる。こんな役もたいまさこじゃなきゃできないと思う。リアリティーが一切無くてもダメだけれど、リアリティーがありすぎてもダメ。その感じが絶妙。

実際、タエコが何故この島にやってきたのかは分からない。サクラやユージ達に出会い、何を感じたのかも、人々がこの宿にやってくる理由「たそがれること」が出来て癒されたのかも分からない。でも、見ている自分が見終わったあと、ゆったりほんわかしたのは事実。サクラがアズキを煮ながらタエコに言う「焦らず、ゆっくり」という言葉が心に染みた。人生は自分で焦ってみてもどうにもならない。焦らず、ゆっくり自分に出来ることをすればいい。それが見つからないなら、立ち止まって考えてみればいい。そういうメッセージを発信していると勝手に判断して、勝手に受け取った(笑)

私のように特別小難しく考えて見なくても、海の美しさや、畑の美しさ、ハマダの食堂の感じなんかを見ているだけで癒される。和食を中心とした食事は全部おいしそうだし、何よりサクラのカキ氷が食べたくてたまらない! このカキ氷はいろんな意味を持っている。その使い方もいい。メルシー体操もいい。ポスターやチラシでキャスト達がやっているのがそれ。このチラシのもたいまさこの姿勢が絶妙。この体のラインなかなか出せない。「めがね」については全員めがねを掛けている以外特に映画の中では触れていないけど、ラストでその意味が分かる。その感じもよかった。饒舌に語るだけが映画ではない、自分勝手な感じはダメだけど上質な"余白"、映画的に言えば"たそがれ"は、後からいろいろ考えたりできていい。

見終わった直後は『かもめ食堂』の方が好きかもと思ったけど、こっちの方が後からじわじわ来た。


『めがね』Official site

コメント (6)
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