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【cinema】『僕の初恋をキミに捧ぐ』(試写会)

2009-10-22 02:13:59 | cinema
'09.10.12 『僕の初恋をキミに捧ぐ』(試写会)@ニッショーホール

yaplogで当選。たまには高校生の切ない恋愛モノも見てみたいと思い応募した。14:30開映なので、14:00頃到着するよう行く。ホールわきにすごい列! 座れるのか?と思ったけど、動き出したら意外に早く中に入れた。そしてけっこう空いてた。あの行列は一体何だったんだろう? 同行したBちゃんからニッショーホールって日本消防会館(だったかな?)のことなんだねって言われるまで全然気づかなかったけど、入口前のホールには昔の消防車が展示されていたり、入口わきのウィンドーには防災グッズなども展示されてた。ニッショーホールには何度も来てるのに全く気づいてなかった! ビックリ。まぁ、余談ですが(笑)

*ネタバレありです!

「幼なじみの繭と逞。お互い初恋の相手。その恋心を大切に育ててきた。でも、2人の恋にはタイムリミットがある。心臓病の逞は主治医である繭の父から20歳まで生きられないと宣告されていた。7回目の入院中、逞は繭の将来のため別れる決心をするが・・・」という話で、これは累計600万部を売り上げた青木琴美の人気コミック。原作は読んでないけど、これはホントに少女マンガだなという感じ。少女マンガを読んでいたのは20年くらい前のことになるけど、基本的なことは変わっていないんだなと思って少しうれしくなった。

映画は2人が8歳の時から始まる。入院中の逞は病院の庭で、主治医の娘繭と出会う。病気で友達と遊べない逞も、母がいないため父の病院で過ごすことの多い繭もお互い孤独だった。ある日、2人は偶然逞の命の期限を知ってしまう。2人は四葉のクローバーを探す。逞が見つけたクローバーを奪うようにして「逞を助けてください!」と泣きながら祈る繭。そのクローバーの前で「繭ちゃんと結婚するのが僕の夢」と言い、繭にキスをする。そんな2人を引きの画で映す。もう冒頭から力いっぱい少女マンガの世界です。子役2人の演技が正直・・・なので、感動とは逆に「少女マンガだなぁ(笑)」と思えて、むしろ良かったかも。イヤ、ホントにこれぞ少女マンガだと思えるシーンは後に出てくる。この幼い2人のキスシーンはかわいかったけれど、少女マンガフィルターを通すと、なんとも美しいシーンになる。だからこれは是非、原作を知らなくても少女マンガなんだと思ってみるべき。もちろんバカにしていないです! そして少年逞くんの正直・・・な演技であっても、発作を起こし小さな胸を心臓マッサージされるシーンでは、彼より少し小さい甥っ子達を思いやっぱり泣いてしまうのだった。年をとると涙もろくなるのって、気持ちが弱くなるからではなく、呼び起こされる記憶や、辛い目に遭っている登場人物たちに置きかえてしまう守るべき存在ができるからなんだと思ったりする。

繭と逞は中学生になるけど、井上真央ちゃん22歳、岡田将生くん20歳。だから正直中学生には見えないけど、その辺りはまぁOK。そもそも公立中学校らしいのに、パーマをかけているのはOKなのかというのは、これは少女マンガなんだと思ってしまえば、真央ちゃん達が中学生に見えないことも全然OK。優等生っぽく成績優秀な逞と、明るく活発で物怖じしないけど勉強はイマヒトツの繭という図式も、いくつかある主人公カップルの王道パターンの1つ。そして後の伏線。体操服姿の繭が男子生徒たちの悪ふざけで水をかけられてブラが透けちゃうという、ちょっぴり性を感じさせるところや、だからこそ普段は温厚な逞が自分の体もかえりみず、男子生徒につかみかかり、とっくみ合いのケンカになる感じも、逞の体を心配して逆に彼を少し叱ったりする感じも、もう絶対に1度は読んだことあるハズ。そして2人きりの保健室で「繭のブラを自分より先に見られたのが悔しい」発言や、「そんなことくらいでケンカしたの? バカ逞」など、中学生が言わねーよフツーというセリフからのキスシーン。そんな時には繭は逞のぶかぶかブレザー着用です。これも王道。そしてもちろん8歳の時と同じように、午後のやさしい日差しバックで。もう王道! 何で保健室に2人きりなんだというツッコミはなし!

逞はこのままでは繭がダメになってしまうからと、別れる決意をするけれど言い出せない。しかも理由は大好きな繭に自分から別れを告げることなんてできないから。うーん純愛。中学生だよ(笑) まぁ、中学生だからという見方もありますが。逞は県内トップの全寮制の高校に合格する。会えなくなれば自然に別れられるというわけ。しかし、入学式の日トップ合格して新入生総代として壇上に上がったのはなんと繭。そして彼女は開口一番「バカ逞! 私と別れようなんて100万年早いのよ!」 あり得ない(笑) でも、あり得るんです少女マンガの世界なら。そんな冷静になってみればDS(どーかしてる)繭に、同じく新入生で学園のアイドル昴サマこと鈴谷昴が猛アタック! 「昴サマー」と女子高生達が騒ぐ感じも、昴サマが繭を"姫"と呼ぶのも、「俺の彼女になれ」と言うのも、ないだろフツーと思うけど、このキャラも少女マンガには必要! 主人公を強引に愛するライバル、決してなびかないヒロイン、勝手にライバル視されるけど取り合わない彼氏、でもここぞという時には心臓病をおして100m走を全力でガチ勝負です。あぁ、ホントに何一つ変わっていない。あの頃読んでたあの世界と(笑) 実は昴サマは心臓病で父を亡くした経験から、繭が辛い思いをしないよう心配している側面もある。そして彼は2人にとって別の意味でのキーパーソンでもある。

さんざん少女マンガの世界だ、王道だと言っているけど、決してバカにしているのではない。少女マンガで育っているので、この感じにはなじみがある。正直、当時からこの感じはあり得ないだろうと、客観的に冷めた目で見つつも、嫌いではなかったし(笑) 次々展開される少女マンガの世界に逆に感動したりする。今の高校生はかなりの生徒がすでに性体験があるという。そんな彼女達もこの世界観に共感するのかと少しおどろいたりもする。まぁ、この映画(マンガ)でもそういうシーンは出てくるけれど。別に性体験があるから大人なわけでもないし、純愛に性描写は不要とも思わないけれど・・・。うーん。上手く言えないけど、とにかくこの世界観が今も現役であることは正直ビックリした。人って意外に変わらないのかもしれない。

そんな少女マンガの世界にどっぷり浸っていると、命の重さを考えさせられる出来事が起こる。逞に心臓移植のドナーが現れる。逞の命が救われるのは、1人の命が失われるから。この事実は重い。実はこの映画を見たいと思ったのは、井上真央ちゃんがドナーの家族と思われる人達に「逞に心臓を下さい」と土下座している姿を予告で見たから。実際はこの土下座よりも、ドナーの祖父が、時々涙を流したり、指を動かす孫のそれは、筋肉の痙攣とか現象みたいなものであると説明されて、頭では孫の脳が死んでしまったことを理解しても、やっぱり家族にとっては希望だと語る言葉によって、命の重さや生きること、生かされていることを知ることになるのだけれど。祖父役の山本学さんの演技がとっても良くて、善良な人が下すその決断は逞を見殺しにするということでもあることを思えば、彼に決断させるということを含めて、その運命は辛いし命はとっても重い。

そして逞は運命を受け入れ、たった一度の奇跡を起こす。実はこの結末は原作と違うと原作コミックを読んだBちゃんが言っていたけれど、命の重さを伝えることが主題なのであれば、この結末で良かったかと思う。そして、この奇跡のシーンからラストまでこれでもかというくらいに少女マンガの世界。でも、多分この全編どっぷり少女マンガだったからこそ命の重さを伝えるシーンが、そんなに生々しくリアルになり過ぎず見ることができたのかもしれない。脳が死んでしまったと告げられて、いくらその体の一部で救われる人がいると言われも、愛する人の肉体の死を決断しなくてはならない。そして、それを拒否することは、助かる命を見殺しにすることになってしまうかもしれない。それは想像もつかないほど重い決断。不治の病は少女マンガや韓流ドラマではよく扱われるテーマではあるので、勝手に命の重さと決断する運命の重さに反応してしまっただけで、あくまで描きたかったのは純愛の方かもしれないけれど・・・。

前述の山本学さんはじめ脇を固める役者さん達は皆良かった。ドナーの母親役で元劇団四季の堀内敬子が出ていてビックリ。大好きなミュージカル「キャッツ」の子猫シラバブが・・・ そして、何と言っても主演の2人がそのままマンガから抜け出したように劇画タッチ。ポスターやチラシになっている制服姿の2人が教室でキスしようとしている姿は、公式サイトにあった青木琴美さんのイラストそのまんまでビックリ。2人ともキレイな顔だけど、ちょっとマンガ的なんだよね。特に井上真央ちゃん。最近すごくキレイになったけど、やっぱりマンガ的(笑) ほめてます! 演技は正直特別上手いとも思わなかったけれど、こういう映画やこういう役は若いうちしかできない。何十年かして見直した時、消え入りたくなったとしても、やっぱりこういう役はやっとくべきなんじゃないかと思う。ってエラソウ(笑) イヤ、一応彼らより先輩でもあるし(笑)

ということで、少女マンガの世界がホントに苦手な人にはちとキビシイかも。今まさに現役少女マンガ世代ならかなり感動できると思う。真央ちゃん、岡田くん含めて少女マンガそのままなので。少女マンガからしばらく遠ざかっていた身としては、懐かしくもアリ、新鮮でもあり。そして命の重さについて考えさせられたし、それはそんなにビックリするほど先のことではない両親との別れや、守るべき存在である甥っ子達を思って泣いてしまったのだけど。でも、今繭や逞と同世代の子達が見て少しでも"命の重さ"を知ったら、例えそれがすぐに理解できなかったとしても、何十年かたって形になったら、それはいいことなんじゃないかと思った。少女マンガ、純愛ドラマ好きの方にオススメ。


『僕の初恋をキミに捧ぐ』Official site

井上真央ちゃんのCMでおなじみ、肌荒れニキビにチョコラBBライト2を頂いた。ウレシイ

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【cinema】『きみに微笑む雨』(プレミア試写会)

2009-10-18 16:11:55 | cinema
'09.10.10 『きみに微笑む雨』プレミア試写会@SHIBUYA-AX

yaplogで当選。いつもありがとうございます! 今から思えばたしかにプレミア試写会ご招待となっていたけど深く考えず行ったら、なんとWOWOWのイベントで、主演のチョン・ウソンの密着ドキュメンタリー&トークイベントつき試写会だった! 豪華。韓国映画は特別好きでも嫌いでもないし、韓流スターのファンでもない。チョン・ウソンは知ってたけど、出演作も『デイジー』しか見ていない。正直、ファンミーティングと呼ばれる熱狂的なファンの集いだったらどうしようかと、ちょっとドキドキしながら行ってみた。普段のAXからは考えられないくらい、年齢層が高い。入口まで続くあんなチョン・ウソン、こんなチョン・ウソンのパネル展示にビックリ。ちょっとしたステージでは等身大パネルと写真も撮れる。とりあえず彼のみ撮影してきた(笑)

まずは密着ドキュメンタリー「密着! チョン・ウソン 100日の軌跡」から。『きみに微笑む雨』は中国四川省の成都で撮影されたそうで、その撮影に密着したもの。多分ファンの方にとってはとってもうれしい内容なんだと思う。彼がいかに素敵か、いかに真剣に映画に取り組んでいるかを見せているわけで、それは素晴らしいと思うけれど、そもそもドキュメンタリーは主題に興味がないとちょっと辛い。決算期で疲れていたし、前日baruと『空気人形』鑑賞&食事して帰ってきたら、夜中に矢沢永吉のドキュメンタリー番組が放送されてた。疲労骨折してしまったYAZAWAは「朝起きたら痛い! WHYなんで?」と思ったのだそう(笑) そんな感じで、次々おもしろ発言を繰り出すYAZAWAから目が離せず、baruと夜中にメールで盛り上がってしまい、さらに当日は午前中から甥っ子の幼稚園の運動会とけっこうハードスケジュールだったため、気がついたら寝てた…。すみません

続いてトークショー。ご本人登場でさすがに盛り上がっていたけれど、思っていたほど熱狂的ではなかったのでよかった。あまりよく知らなかったのだけど、かなり背が高い。質問にも丁寧に答えるのは紳士的。たしか30代後半にはなっていると思うので、このくらい落ち着いていてほしいところではあるけれど(笑) ドキュメンタリー中、パンダが笹を食べるマネをしているシーンがあって、もう一回やってという黒柳徹子ばりのムチャぶりにも、きちんと応えていたのはさすがに大人だなと思った。そして、サイン入りTシャツなどが当たる抽選会。座席番号の書かれたくじをチョン・ウソンが引くというもの。Tシャツなどがセットになって3名に当たる。最後の1人にはスペシャルということで、この日身につけていたブレスつき。もちろんハズレたけど、ファンの人に悪いのでOK 最後にWOWOWとぴあの企画で、花束を渡す権利を当てたお2人から花束贈呈。何度も握手して紳士的ではあったけど、ファンの人達が言う「やさし~ぃ」というよりも、こういうことが苦手な感じに見えた。真面目でシャイっぽい印象。好感は持てるけど、ファンになるまでには至らず(笑)

さて、いよいよ『きみに微笑む雨』の上映。「出張で中国四川省の成都を訪れたドンハは、途中立寄った"杜甫草堂"でガイドとして働くメイと再会する。10年前留学していたアメリカで、お互い好意を持ちながら恋人になるまでには至らずに終わっていた。懐かしさから急速に恋に落ちていく2人。でもメイには秘密があった・・・」という話。うーん。普通。何故わざわざトークショーのレポの最後にファンになるには至らずと書いたかと言えば、ラブストーリーとしてはホントに普通。正直、映画としても可もなく不可もなくという印象。だから、韓流ファンのフィルターを通したら素敵となるんじゃないかなと思ったもので・・・。普通だとか、可もなく不可もなくとか、いきなり貶しているようだけど、決してそんなことはなく、少し切ない部分も含めて王道であるというだけ。監督はヨン様の『四月の雪』や、『八月のクリスマス』のホ・ジノ。『八月のクリスマス』は見たことあるような気がするけど、まったく覚えていないので勘違いかも・・・。

うーん、ごめんなさい・・・ つまらなかったわけでもないし、ダメ映画ということではないのだけど、個人的にはホントに平均点というか、ラブストーリーのお手本的な作品というか・・・。うーん上手く言えないけど模範例みたいな感じで・・・。うーんここから自分で膨らませていきなさいという課題作品を見たような印象だったので・・・。正直、よく出来ているけど心に響いてくるものがなく、感想もあまりなかった・・・。何故だろう。かなり考えたんだけど、こんなに感想が書けないのもめずらしいかも・・・。

うーん。個人的にはメイに感情移入できなかったのが辛かったかも・・・。メイは美人で飾らない性格で、少々おっちょこちょいな部分もあるボーイッシュな感じの女性。そのボーイッシュな部分がちょっと苦手。2人で食事した後、街を散歩していると広場で太極拳をダンスアレンジしたようなものを集団で踊っていた。そこに飛び入り参加しちゃう感じとか、あなたも加われとドンハを強引に誘う感じとか、そのちょっととってつけたような明るさが苦手。そして、そういう2人の姿をセリフなしで、やや引きの画で見せる感じもちょっと古い気がする。

実はメイが大げさと思えるほどに明るく振舞っていたのは辛い出来事があったから。これについては2人の気持ちがどんどん盛り上がって、ドンハの帰国の日、空港に見送りに来たメイと別れがたく、帰国を1日延ばすことにし、ホテルの部屋で気持ちが高ぶったところで、彼女が止める時に何かあるっていうのは分かること。となると、止めた理由もだいたい分かる。10年も経っているんだし・・・。そして、それが辛い体験となったたのだろうということも分かる。その辺りの展開も王道。辛い体験を誰もが知っている悲劇に絡めているけれど、なんとなくとってつけたような印象。明るくはしゃいでいた彼女とつながらない。イヤ、辛さの裏返しなのは分かるし、若い頃に恋心を抱いていたドンハに再会して、惹かれる気持ちも、彼にすがりたい気持ちも分かる。でも、だったらあえて明るく振舞っているということを、もう少し分かりやすく描いて欲しかった。あれだと、ただ明るくてちょっと型破りタイプの人にしか見えない気がする。メイ役のカオ・ユアンユアンが透明感のある女優さんなので、その辺りを生かして大人な感じに描いたら、しっとり大人なラブストーリーになった気がした。

ドンハはちょっと優柔不断なところがあるタイプなんだと思う。多分、2人のアメリカでの関係は、あの散歩の時みたいにメイにリードされていたんだろうなと思わせる。偶然、食事していた店に支社長が来てしまい、酔ってしまった支社長を上手くあしらって帰すこともできないし(笑) まぁ、この場面は韓国映画お得意のドタバタかなとも思うけれど、ちょっと長いかな・・・。そんな彼が空港に現れたメイに自信をつけたのか、急に盛り上がってしまい、もうどんな瞬間も逃さず2人きりになれば激しいキスシーンです(笑) どうした? 欲求不満か? とも思うけれど、やっぱりこれはファン目線で見れば、もうウットリなんだと思う。チョン・ウソンは上手いとも下手とも思わなかったけれど、ファンサービスとしては完璧かと思う。

うーん。というわけでメイのおちゃらけぶりから急展開での辛い体験の発覚、ドンハの急激な積極的キャラ、そして今後の展開が予想されるラストまで、少女マンガの世界だなという感じ。この辺りが韓流ファンに受けるのではないかと思う。バカにしてないです! 少女マンガで育ってきたのだから嫌いではないし。でも、例えば毎月買っているマンガ雑誌の中で、特に好きというわけでもないけど、連載なので何となく毎月読んでた作品が、そのまま映画になったものを見たという印象。もちろん、そういう作品にも熱烈なファンの人はいたので、これは単に私の好みではなかったというだけの話。何度も書いているけれど「映画はこうあるべき」という決まりがあるわけではないのだから、こういう王道作品を求めている人もいるわけだし、チョン・ウソンファンのための映画があってももちろんいい。そういう意味ではファンの期待を裏切っていないと思う。女性としてはあんなに激しく求められたら、素直にうれしいと思うし、ファン目線ならば自分がメイになった気持ちで見ちゃう気持ちも分かる(笑)

成都の街がキレイでおもしろかった。四川大地震から1年。多分まだまだ復興していないところも多いのでしょうが、少しずつ活気を取り戻しているよう。成都パンダ繁育研究基地も、震災当時の映像では壊滅的な状態だったけれど、今ではすっかり元通りのようで、たくさんの観光客が訪れているらしい。パンダ達も元気に過ごしているのは良かった。そしてパンダはかわいい。でも、そんなパンダ脇の竹やぶで激しくキスですが(笑) メイの職場"杜甫草堂"は静かで美しい佇まい。杜甫と李白の区別がサッパリつかなくて、名前を言われてもピンとこなかったので調べてみたら"国破れて山河あり・・・"の人だった。ちなみにこの詩は「春望」 若い頃はかなり不遇な人生だったようだけど、晩年は恵まれて穏やかに暮らしたとのこと。冒頭メイがガイドしていたけれど、全く覚えていないので、この草堂についてはいつ暮らしたものなのか不明。原題は『好雨時節』 これも杜甫の詩の一節だったと思う。映画の中の説明では、好機に降る雨というような意味だったと思う。このタイトルも特別内容を的確に表しているとも思わないけど、少なくとも邦題よりはいいかなぁ。そんなに雨微笑んでないし(笑) まぁ、意味的にはあってるんだけど。

個人的には何度もしつこいですが、可もなく不可もなくというのが素直な感想。でも、これは王道で少女マンガ的なラブストーリーを見たい人や、チョン・ウソンのファンの方々には楽しめる作品だと思う。バカにしてないです!


※なぜか公式サイトが開けないのでリンク貼れません(涙)

コメント (8)
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【cinema】『空気人形』

2009-10-16 00:25:08 | cinema
'09.10.09 『空気人形』@新宿バルト9

これは見たかった。ペ・ドゥナは好き。板尾さんも出てるし! オダジョーも出てるので、オダジョーファンのbaruを誘って行ってきた。

*ネタバレありです。 そして熱弁です

「"男性の性の処理をする代用品"の空気人形ノゾミは、ある朝心が芽生えてしまった。一人街へ出た彼女は様々な体験をする。ふと立ち寄ったレンタルビデオ店の店員純一に恋をした彼女は、店で働き始めるが…」という話。これは良かった。是枝監督の作品は『花よりもなほ』しか見ていない。史上最年少受賞となった柳楽優弥くんの『誰も知らない』も見ていない。だから、この割とブラックというか暗い感じは、監督の持ち味なのか、原作に因るものなのかは不明。"空気人形"というふわふわ感の漂うタイトルと、メイド服に身を包んだペ・ドゥナの写真から、『アメリ』みたいな話を想像してた。何度も書きますが、『アメリ』は2度チャレンジして、2度とも30分くらいで寝てしまったので、どんな話なのか不明なんだけど(笑)

決算週間だけど担当分はある程度メドがついたし、息抜きも必要ってことでこの日にしたけど、合算する報告帳票の一部が集まらずギリギリに… っていうか始まってしまってた(涙)少し前に入ったbaruも間に合わなかったみたいで、申し訳なかった。というわけで、何故急に心を持ったのか分からない。席に着いた時には、人形のまま歩き出してた。そのまま窓辺へ向かい、窓を開け軒先についた雨の雫を手に受けて「キレイ」とつぶやいた瞬間、ペ・ドゥナに変わる。ベタだけど好き。そしてペ・ドゥナいきなりヌードです! 痩せてグラマラスな体ではないけれど、古い木造の部屋にいるそういう人形だと思えば、とってもリアルですごくエロい。彼女は部屋にあったメイド服を着て外に出る。最初はギクシャクと、時にちょこちょこと歩く姿や、耳にした言葉を繰り返し、使い方を覚えていく感じは、言葉を覚え始めたヨチヨチ歩きの子供のよう。言葉を覚えて、世の中の成り立ちが分かってくる。知らないことを知るのは楽しい、空気人形が楽しくてしかたがない感じは分かる。大人がするとおかしな行動も、今目覚めたばかりの子供なんだと思えばかわいらしい。でも、逆にメイド服を着た彼女が不思議行動をしていても、誰も気にしない感じが、都会の孤独感とともに、不思議キャラが個性であるという現代の基準の不思議さみたいなものも感じる。趣味趣向は人それぞれだから、否定する気はないけれど…

空気人形が何歳設定で製造されているのか分からないけれど、おそらく18~23くらいかと… 彼女はレンタルショップの店員純一に恋をしたことにより、急速に大人になっていく。彼女の無邪気過ぎる質問にきちんと答える純一との会話がいい。恋愛初期って会話してるだけで楽しいし、逆に沈黙が怖かったりするから、たわいもない質問とか繰り返しちゃうことってある。まぁ、空気人形ほど無邪気な内容でもないし、彼女はホントに知らないから聞いてるんだけど(笑)その辺りはホントにポップな感じでかわいらしく描かれる。海を知らないと言えばゆりかもめに乗ってお台場に連れて行ってくれるし、何を聞いても穏やかにきちんと答えてくれるなんて素敵(笑)

でも、いろんな事を知り、いろんな人と関わり、心が成長してくると楽しいことばかりではなく、切なさや痛みが加わってくる。"性の処理の代用品"だから、持ち主である秀雄を受け入れなくてはならない。でも、それは汚らしいことに感じるようになる。この辺りは女性の心理としては当然とも思うけれど、もう一つ思春期ということを描いているのかなとも思う。要するに性を理解するというか・・・。それは、恋を知ったからでもある。ある日、空気人形は腕に穴を開けてしまい、純一の前で空気が抜け人形に戻っていってしまう。純一は驚きながらも、手の傷をテープでふさぎ、おへその辺りにある空気穴(?)から息を吹き込む。しぼんでいた体が次第にふくらみ、恋する人の息で満たされていく。それはまるで2人の愛の行為。激しく抱き合う2人。その興奮は人形が生還したからではない。つまり愛とはその行為なのではなく、心が満たされるということなのだということ。このシーンは官能的でありながら無垢で美しい。それは行為を連想させると同時に、純一が無償の愛を捧げているからなんだと思う。だから彼女は満たされた。愛という形のないものを頭で考えすぎると、どうしても形で表して欲しくなって、満たされなくなってしまうけれど、愛する人の息で満たされるというのはとっても分かりやすい。上手く言えないけれど、すごく大切でそれなしには生きられないけれど、形にするのはとても難しい。それを"空気"に例えているのかなと・・・。

人形は自我を持ち、自分の意思で生きはじめる。愛する人の息で満たされた体に、別の空気を入れることはできない。空気は少しずつ抜けていく。それは人が年を取るのと同じ。この作品の登場人物たちはみな空虚な感じを抱いている。秀雄は人と深く関わるのが苦手。勤め先のファミレスで自分より若い厨房担当(?)にネチネチ叱られるけれど、ヘラヘラ笑ってごまかしている。人形が心を持ったと知ると、元に戻って欲しいと言う。自分は元カノのノゾミの代用品じゃないかと人形が責めれば、こういう修羅場が煩わしいのだと言う。受付嬢の佳子は40代半ばから後半と思われる。独身の彼女は若さに固執し、あらゆる美容器具を揃え、毎晩パックを欠かさない。そして常に誰かに電話し愚痴をこぼし「あなたは必要な人間である」と勇気づけてもらっている。元高校教師の老人敬一は中身がないという人形に、自分もカラッポだと言う。彼は代用教員だった。他にもゴミの山で暮らす過食症OL、心が通じ合えない父娘。世の中の事件は全て自分が犯人だと交番へ自首する老女、悪徳刑事が出てくる映画を借りに来る警官、リストラされ妻子に逃げられたレンタルビデオ店店長など・・・。これでもかというくらい孤独で少し病んだ人達が出てくる。でも、デフォルメされているだけで、自分にも思い当たるふしがあったりもする。

直接、人形に関わらなくても彼らの孤独感が心を持った人形の切なさに重なってくる。純一の息で満たされた直後はふわふわと風船のように宙を舞っていたのに・・・。このシーンはかわいくて好き。でも、彼女が空気ポンプを捨て自我に目覚めた辺りから切なく苦しくなってくる。少しずつ断片的に描かれていた登場人物達の背景が、じわじわと人形の成長と重なる。人形には切ない気持ちは分かるけれど、何故切なく苦しいのかが分からない。それが孤独で生きることに不器用な人達の切なさが代弁することで、見ている側も自分の中の切なさや苦しさを揺さぶられる。そして、どんどん息苦しくなってくる。この辺りも含めて"空気"ってことなら見事!

思いを寄せる純一にも忘れられずにいる人がいるらしい事を知った人形。彼女が秀雄に自分は代用品だと言った言葉は、ホントは純一に向けてられたもの。そして"自分は何者なのか"という自我。自分が何者であるかって問いに答えを出せる人はほぼいないと思う。それは普通のOLちゃんだって同じ。だから人形は自分を探して"生みの親"に会いに行く。心を持った人形を人形師は少しおどろいた後、静かに「おかえり」と迎える。このシーンは好き。誰かに迎えてもらえる、受け入れてもらえるのは素敵なことだと改めて思う。彼は様々な姿になって戻ってきた人形達をノゾミに見せ、元は同じ顔だけど愛され方によって顔つきも変わってくると言う。だったらノゾミが心を持ったのは、秀雄なりに彼女を愛していたからかもしれないと思う。お風呂に入れたり、誕生日を祝ったり、公園のベンチでハートのマフラーを2人で巻いたり、一方的で他人から見れば普通の恋愛とは思えないけれど・・・。再び、今度は自らの意思で旅立っていくノゾミに「いってらっしゃい」と送り出す人形師。ノゾミは彼に「生んでくれてありがとう」と言う。このシーンは泣いてしまった。どんなに切なくても苦しくても、生まれてきてよかったと、やっぱり自分も思う。

そしてホントの愛を求めて純一のもとへ。「君が誰かの代わりなんてことはない」と言う彼に、再び空気を抜かれ、彼の息で満たされる悦びに酔う。純一も自分を必要としてくれる存在を求めていたのかもしれない。自分の息によって満たされ、生きているノゾミは正に理想の存在なのかも。心が満ち足りて眠る彼と、本当に一体になりたかったノゾミはある行動に出る。それはやっぱり悲劇だけれど、見方を変えると幸せなのかも。愛する人と永遠に一つになるため、男性の一部を切り取って死に至らしめてしまった阿部定のように・・・。決してあってはならないことだから、後からきっと苦しむけれど、あの一瞬は最高に幸せだったんだと思う。自分では踏み込みたくない領域だし、あんまり共感できてしまうのはマズイ気がするので、そうなんだろうという想像にとどめておくことにする(笑)

役者さんたちはみんな良かったと思う。なんとなく富司純子の虚言壁のある老女の役が浮いていた気はするけれど・・・。過食症のOL星野真理は似てると思ったけどエンドクレジットまで分からなかった(笑) セリフはないのに全身から孤独感と空虚感を漂わせていたのはスゴイ。受付嬢の余貴美子は相変わらずの存在感。受付で口説かれる(かなり)年下の同僚を見つめる目つきが素晴らしい!(笑) 嫉妬と虚しさ、そして孤独感。口説かれたいわけじゃないけど、もう自分にはそんなときめきは訪れないのかと思うと悲しい。諦めているけど、諦めるのが切ない感じ。とってもよく分かる(笑) 元国語教師の高橋昌也がいい。主要キャストの中で人形からコンタクトした相手を除けば、彼が最初に人形に話しかけたんだと思ったけど違うかな・・・。 この映画の登場人物の中で多分一番まともで、そして唯一彼女を教え導く人物。純一も彼女にいろんな事を教えるけど、彼のそれとは違う。人生とはってことを教える父親のような存在。そういえばこれは母親不在の映画でもある。父娘は離婚してしまい母がいないし・・・。過食症OLも秀雄も母はおせっかいな存在として描かれるけれど、電話で話しているだけで画面には登場しない。富司純子あたり人形の母的な存在となってもよさそうなものだけど、そうは描いていない。これはやっぱり狙いなのかな・・・。純一に向かう気持ちは女であって母性的な要素はないということなのか? と思うけれど、考えすぎかな。店長の岩松了は相変わらずおとぼけぶりを発揮しているなと思ったら、途中鬱屈した感情を人形にぶつける。行動自体は女性として嫌悪感を覚えるけれど、彼は彼なりに辛いんだろうということは分かる。卵ごはんに殻が入ってしまい、取れなくてイライラしてキレてしまうシーンがすごくいい。オダジョーは出演シーンは短いけれど、彼女の生みの親であるという重要な役どころ。薄暗い作業場で1人もくもくと人形を作る。戻ってきた人形達について淡々と語る中に、自分が生み出したモノが受けた仕打ちに対する諦めと、愛情に対するよろこびが感じられるこのシーンは好きだった。それはオダジョーのひょうひょうとした佇まいによるところが大きいかも。

秀雄の板尾さんが演技しているのは『空中庭園』などで見たけど、特になんの説明もなく関西弁を押し通し、飄々とした役どころが多いので、演技なのか素なのかよく分からない。正直、演技が上手いとも思わないけど、この役の感じにはとっても合ってると思う。人形と暮らしてて、2人で夜の公園に出かけたりしちゃうなんて気持ち悪いけど、何故か哀しくて、そして少し可笑しく感じるのは板尾さんのおかげ。人と深く関わることが苦手で、だから恋愛も人形相手がいいなんて、現代人の心の闇なんて言われそうだけど、板尾さんが人形に責め立てられて、いつもは感情を表わにしないのに、思わず言ってしまった本音には何だか少し共感する部分があったりもする。それもやっぱり板尾さんのおかげな気がする。純一のARATAは好き。ファンというほど作品見てないし、よくも知らないけど。声がいい。ハスキーだとか特徴があるわけではないけれど、ほとんど声を張ることもなく、穏やかに語る感じがすごく心地いい。そして顔けっこう好み(笑) 純一のことはほとんど語られないけれど、あまりはやっているとも思えないレンタルビデオ店の店員にしては、スタイリッシュで素敵な部屋に住んでいる事を考えると、以前はけっこう収入のある仕事をしてたんじゃないかと思われる。クローゼットの中から人形が見つけた元カノとの写真。こんな風に置いてあるのは、まだ忘れられないからで、辛い別れだったのかしれない。次々繰り出される質問に、一つ一つ丁寧に分かりやすく答えてくれたり、さりげなく気遣かってくれる。そして穏やか。かなり理想の彼氏(笑) だからきっといい恋愛してたんじゃないかと思う。勝手な想像だけど彼は彼女を亡くしたのかなと思った。だから空虚な感じがするし、人形と愛し合う時、彼女の空気を少し抜き、また自分の息を吹き込むという行為は"死"を思わせる。お店での事故で彼女に息を吹き込んだ時、満たされたのは彼女だけじゃない。彼は生と死の間に興奮したのかもしれない。セリフには一切ないけど、なんとなくそんな気がしたけど、考え過ぎかな。もし、ホントにそうだとすればこれは演出の上手さだと思うけど、ARATAのどこか静かに憤ってるような雰囲気によるものでもある気がする。そんなとこも含めてかなり好き(笑)

そして何といっても空気人形のぺ・ドゥナが素晴らしい! そのひょろりとした姿からして人形っぽい。かなり長回しでもまばたきしない! セリフは全て日本語だけど、そもそも言葉をあまり知らない設定なので、逆にそれが良い方向へ作用している。言葉を覚えてかなり話せるようになっても違和感なし。少しずつ感情を表し始めるけど、やり過ぎない感じもいい。その辺りは演技なのか、言葉の壁なのかよく分からないけれど、どちらも上手く作用した感じはする。心を持ってしまった人形が最初は見るもの全てが新鮮で楽しくて、いろんな事を吸収していく。5歳と3歳の甥っ子達みたいでかわいらしい。そして恋を知り切なさと苦しさを知る。いつものように秀雄に抱かれることに嫌悪感を持つ。人形なのでほとんど表情を変えないし、セリフも抑揚がない。でも、そういう切なさが伝わってくる。そして、その切なさは人形だからというわけではない。彼女が苦しんでいるのは自分が人形であることではなくて、自分が何者か分からないということ。それはきっと誰もが一度は考えたことあるんじゃないかと思う。だから切ない。彼女は愛する人の息で身も心も満たされ、今度は自分が彼を満たそうとする。そのシーン自体はけっこう壮絶だけど、とっても切ない。人形が無知だったから起きた悲劇にも見えるけれど、なんだかとっても切なく美しかったのはペ・ドゥナが人形の心をしっかり表現していたから。読売新聞に載っていた是枝監督のインタビュー記事には、彼女が理解できないと言うシーンがあり、監督が説明して演じてもらったけれど、出来上がってみると全体の流れから浮いていて、結局カットしたそうで、彼女の方が監督よりも役柄を的確に理解していたことのエピソードとして紹介されていた。この事が全てを表しているというくらい、空気人形が心を持つというあり得ない物語にリアリティーがあったし、彼女の切なさに共感させられた。この演技は見事。そしてエロイ(笑) 美人でもグラマラスでもないけれど、とってもエロイ。ぺ・ドゥナいいです(笑)



各キャラが暮らす部屋がそれぞれ個性的でいい。意外にスタイリッシュだった純一の部屋から、勝手に彼の過去を妄想してしまったし(笑) 食器棚の前にゴルフバッグが置かれた食卓で、毎朝1人卵かけご飯を食べる店長の中年独身男性のわびしさとか、アロマキャンドルだらけで雑誌に出てくるような赤やピンクのゴージャスな部屋で、パックや美容器具をためしまくる受付嬢の孤独感もそう。昭和な香りが漂う内装の部屋に意外にかわいらしいポップな柄のカーテンがかかっていたり、さり気なくブライスが置いてあったりする秀雄の部屋を見ると、秀雄は実は気持ちが少女なんじゃないかと思ったりする。現実逃避だといえばそうなんだけど・・・。そういう生活臭とも違う"その人"が表れているセットや美術がスゴイ。空気人形の衣装もかわいい。半袖のピッタリニットに、ちょっとレトロでサイケっぽい大きな柄のマイクロミニのタイトスカート、靴下と紅い靴なんて自分じゃ絶対着れないけど、見ている分にはすごくカワイイ。ふわっとフレア感のあるミニワンピをレギンスもはかずに着こなす感じは"人形"って感じでカワイイ。

リー・ピンビンの映像が美しい。ゆりかもめで通る高架下の感じは、ちょっと近未来的でもあり、アジアの都市のようでもあり、知ってる風景なのに、知らない土地みたいで不思議。元教師の敬一が佇む空地の向こうに高層ビルが見える感じが空虚感を表しているのもいい。ラストシーンの光の感じがすごくいい。美しくなりうるはずのない設定なのに、過食症OLが「キレイ」と呟くのに、大きくうなずいてしまうくらいキレイ。とにかくセリフは多弁じゃないのに、美術とか映像とか演技とか、それら全てで切なさや悦びが伝わってくるのがスゴイ。悲しくて切ないけれど美しいラスト。人形師によると最終的に人形は燃えないゴミ、人間は燃えるゴミになるそうだけど、せめて生きている間の一瞬でも、人形が朗読する吉野弘の「生命は」の一説にあるように「私はあるとき 誰かのための虻だったろう あなたはあるとき 私のための風だったかもしれない」というような存在でありたいと思う。

というわけで、いつも以上に長々と熱弁してウザイかと思いますが、とっても良かったということが言いたいわけです(笑)


『空気人形』Official site

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【art】「ウィーン世紀末展」鑑賞@日本橋高島屋8Fホール

2009-10-07 00:33:41 | art
'09.09.28 「ウィーン世紀末展」@日本橋高島屋8Fホール

日本橋高島屋で開催中の「ウィーン世紀末展」を見に行く。決算期に入る前に行ってきた。予定より少し遅れて到着したのが18:30頃。一般1,200円だけど、18:00以降は半額。ちょっとうれしい。

お目当てはクリムトだけど、エゴン・シーレや世紀末ウィーンの退廃的な感じは好き。まだ海外に行ったことのなかった中学、高校時代パリとウィーンに憧れたものだった。ウィーンには2回行ったけど、東欧周遊ツアーだと何故か中継ポイントみたいな位置づけで、意外にフリータイムなどがなく、じっくり見る事ができなかった。有名なマジョリカ・ハウスも車窓からだし、あの『第三の男』の観覧車も遠景。クリムトの「接吻」があるヴェルヴェデーレ宮殿の美術館も庭園のみを駆け足で観光 なので、憧れの地だったはずのウィーンの印象は意外に薄い(涙) まぁ、余談ですが・・・

クリムトのシーレを中心として、それ以前、後というような展示。クリムト以前で気になった作品はライムント・フォン・シュティルフリートの「ザンクト・シュテファン大聖堂」 大聖堂内部を描いた作品で、画面中央の十字になっている辺りで右側から日の光が差し込んでいる。床のモザイク柄もやわらかい色調で、なんとも穏やかで神々しい時間が感じられる。フェルディナンド・シュムッツァの「愛」はわりと小さな作品だけど、とっても官能的。なまめかしく横たわる裸婦はあまりハッキリとは描かれていない。胸元に蔓のある花が配されていて、画面左上に蝶が舞っている。これは何か意味がありそうだけどイヤフォン・ガイドを借りなかったので不明。蝶と花で受粉的なことから性的ニュアンスなんじゃないかと思うけど考えすぎかな(笑) とても美しい絵だった。

クリムトの作品は思ったよりも点数がない。「寓話」は中央に裸身の女性が立ち、左下に眠る雄ライオン、右下に2羽の鶴とキツネ。これは2つのイソップ童話を基にした作品とのこと。油彩で描かれたこの作品は美しいけれど、いわゆるクリムトらしさはなし。裸婦もあくまで芸術的な描き方で、いやらしさはなくむしろ清らか。「牧歌」は中央の円の中に2人の幼い子供と裸婦を描き、その円を見守るように両脇に若い裸身の男性が描かれている。まるでギリシャ彫刻のよう。これは好き。この2作品は"アレゴリーとエンブレム"用に制作されたとのこと。"アレゴリーとエンブレム"が何なのかイマヒトツ理解できなかったけれど、出版物らしい。

クリムトの弟エルンスト・クリムトの「宝石商」という作品があって、これはドアの上にある円形の飾り窓のような形。向かって左に若い女性、右に彼女に宝石を差し出す若い宝石商。目をふせる娘も美しいけれど、宝石商がリアルで美しい。この2人も何か秘め事のようなものを暗示している気もするけど、こちらも不明。エルンストは若くして亡くなってしまったようだけど、彼もまた才能のある人だったんだなと思う。弟がいたことも知らなかったのでビックリ。

そして「愛」 コレを見に行った! 転換期の作品とのことだけど、とっても良く分かる。画面を3分割し、両脇を黄金色に塗り、三連祭壇を思わせる構成となっているとのこと。その左右上方に描かれた薄いピンクのバラが可憐で美しい。中央に描かれたメインの絵はダークな色調。抱き合う男女はその中で薄い光のようにぼんやりと描かれている。浮かび上がった横顔が美しい。特に女性の横顔が清楚で可憐。この男女はまだ正統派(?)なタッチで描かれている。女性も清らかで、むしろ官能的ではない。2人の頭上には様々な年齢の女性が描かれている。2人を見守るようでもあり、戒めているようでもある。そして、この女性たちは彼女の生涯を表しているかもしれない。ポストカードを買おうと思ったけれど、頭上の人達がハッキリしすぎて心霊写真っぽくて怖かったのでやめた(笑)

「パラス・アテナ」のアテナは知恵・芸術・工芸・戦略の女神。画面向かってやや左寄りに黄金の兜を被ったアテナが描かれている。『ロード・オブ・ザ・リング』のオーディオ・コメンタリーで、セオデン王のバーナード・ヒルや、エオウィンのミランダ・オットーが、自分には似合っていないと嘆いていた。頭をすっぽりと覆い、特に装飾もない。額の真ん中から鼻の先まで伸びた鼻カバーは、誰が被っても似合わないと語っていたけれど、アテナお似合いです! 肩から胸を覆う黄金のうろこを思わせる鎧の胸の中央には、メデューサの首ゴルゴネイオンが舌を出している。これは頭の堅い批評家達へ向けてのメッセージなのだそう。左手で黄金の槍(?)を高くかかげ、胸の辺りでやわらかく広げた手の中に裸婦をささげている。この裸婦は「真実」を擬人化したヌーダ・ヴェリタス。今回は来ていないけどクリムトの代表作の一つ「ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)」は黄金色の髪をした裸身の女性が、右手で水晶のようなモノをまるで風船でも持つかのように持ち、ポーズらしいポーズもとらず立っている。ルノアールなどの芸術的な裸婦に比べて、ぐっとリアルで生々しい。上半身などはむしろ細過ぎる印象だけど、ウェストのくびれからヒップ、そして太ももまでの桃のようなラインがリアルでエロイ! このヌーダ・ヴェリタスを小さくアテナの左手の中に描いている。真横に広げた左手に光を捧げている。これはスゴイ!

次のコーナーはエゴン・シーレ。まずはアントン・ペシュカが描いた「エゴン・シーレの肖像」で始まるけれど、これは水谷豊似。似ている気はするけれど、実際のシーレは別に水谷豊似ではなかったハズ(笑) アントン・ペシュカはシーレの妹ゲルトレーテの夫で、シーレと共にノイクンスト・グルッペを結成した人物。次にあったのが「オットー・ワグナーの肖像」 オットー・ワグナーといえば世紀末ウィーンを彩った名建築家! マジョリカ・ハウスを初めウットリするような建築物を残した。彼から依頼を受けて描き始めたものの、時間がかかりすぎて中止になったのだそう。その後、完成させたこの作品はとってもマンガ的。肩幅せまッ(笑) オットー・ワグナーがどんな顔の人なのかこの肖像画では分からず(笑) 好きだったのが妹ゲルトルーテをモデルにした「意地悪女」 これはスゴイ迫力。大きな帽子を被った半裸の女性が腰掛けたヒザの上で、腕を組むようにして上体を前かがみにし、右方向を覗き込むような姿が画面いっぱいに描かれている。口を尖らせて目を細め、眉をつり上げた表情は、自分に向けられたらビックリするけれど、見ている分にはおかしい。そしてちょっと松田優作似(笑) コメントでは「ざまあみやがれ!」と言っているようだとあったけれど、個人的には「やってらんないよ!」という印象。まぁ、それだと別に意地悪じゃないけど(笑)

「ヒマワリ」はかなり縦長の作品。このサイズは日本の掛軸の影響だそうだけど、枯れたヒマワリを描き、花の部分を真っ黒に塗ったり、葉の形をデフォルメしたりとシーレ節ではあるけれど、構図的には日本画の影響なのかなと思ったりする。いつものまるで江頭2:50のように体をイライラとくねらせているかのような印象とは違い。ヒマワリの軸のほんのわずかなカーブは浮世絵の美人のなまめかしい立ち姿を思わせる。ヒマワリ自体は枯れているのに、その根元では花が咲き乱れているのも印象的。

「アルトゥール・レスラー」はシーレを高く評価してくれた批評家。なかなかオシャレでかっこいい人だったように感じる。腰掛けた上半身を描いている。肩越しに振り返るように身をくねらせているけれど、それは「裸の男」なんかに感じる窮屈でイライラしているようなくねらせ方とは違って優雅な身のこなし。この作品シーレの代表作と言われているそうだけど、驚いたのはレスラーの顔、服、そして背景にいたるまで様々なトーンの茶色のみで表現されていること。これは見事。チラシにもなっている「自画像」は自身の頭の後ろにゴーギャンの自画像のシルエットを描いている。一見すると分からないけれど、かすかに唇の辺りは赤い。これは自らの二面性を表現しているのだそう。シーレは好きなほうだけれど、そんなに詳しくないので彼が自分のどんな所を二面性と考えていたのかは不明。そしてマイケル似(笑)

クリムトとシーレの迫力がやはりスゴイので、この後の作品は正直そんなに心に響くものは少なかった。その中でも良いと思ったものを少しご紹介。オスカー・ココシュカがクリムトに捧げた「夢見る少年たち」は8枚のリトグラフからなる作品。様々な場面の少年達が描かれ右側に物語(?)が書かれている。題材としては間違いなく西洋のものだけど、どこか日本の昔話風な印象なのは気のせいかな。このオスカー・ココシュカは、あのグスタフ・マーラーの妻アルマ・マーラーと情熱的な恋をしたのだそうだけど、作品は穏やかというよりはむしろ暗い(笑) オットー・ワグナーが描いた「シュタインホーフの教会(草案)」は緻密。まるでCGのよう。教会だけでなく周囲の風景などもデザイン的に描かれていて、これはやっぱり建築家が描いた絵なんだなと思う。実際建てられた教会のステンドグラスを制作したのはコロ・モーザー。

このコロ・モーザーの「"フロメのカレンダー"のためのポスター」がいい。これはとってもミュシャっぽい。美しい女性の横顔や、大きな砂時計を持った手や指などは太い輪郭で描かれていて、長い髪も装飾的。自分の尾を飲み込むように輪になった蛇と、女性の前髪が蛇がかま首をもたげたようになっているのと呼応しているのかな。小さな丸い玉がいくつも束になった髪飾りは、ちょっとアール・デコっぽい。飾り文字も素敵。ほぼ黒と黄色で描かれているのもデコっぽいかも。モーザーは山を描いた油絵もあったけれど、どことなくセザンヌの「サン・ビクトワール山」を思わせる。イヤ! 別にパクリと言ってるわけじゃなくて、影響を受けたのかなと思った。

おもしろかったのは作者不詳の「第6回ウィーン分離派"日本特集"(1900年1月20日~2月15日)のためのポスター」 これは小姓と鷹を描いた浮世絵を使用したポスター。このポスター自体にそんなにグッときたわけじゃなくて、浮世絵にグッときた。鷹の凛とした美しさと、小姓の艶っぽさがいい。英山筆と銘が入っていたけど、思い当たらず・・・。調べてみたら菊川英山という絵師がいたようだけど、彼の作品なのかは不明。やっぱり浮世絵は奥深い。1900年1月20日~2月15日にウィーン分離派が日本特集の展覧会を開催していたことにもグッときた。

というわけで、なかなか良いイベントだった。仕事帰りならこのくらいのボリュームが見やすくていいかも。


日本橋高島屋 催しのご案内

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【Googleのロゴ】中秋の名月

2009-10-03 17:44:00 | Google's logo
中秋の名月ということで、Googleのロゴがこんなことに
かわいい






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