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【MJ】「文夫の部屋」

2009-07-29 02:51:23 | MJ
'09.07.17 高田文夫ドリームプロデュース 文夫の部屋

高田文夫主催の4日間連続のイベント。若手お笑い芸人、落語、ゲストとトークという構成。トークのゲストとしてMJことみうらじゅんご出演ということで行ってきた。青山スパイラルホールのB1、いつもはEATS and MEETS Cayという、ライブなんかも見れる飲食店のよう。なので、ちょっとしたステージのようなものがある。そこにパイプイスを並べてイベント会場にしているので、段差が全然ない。前説の立川志らら(だったかな?)によると、前3DAYSの教訓を生かし、ゲストの座るイスの高さを工夫したらしく、全身はムリでも顔は見えるハズとのこと。でも、なにしろチビッコなので・・・(涙) どうやらずっとお弁当を販売しているらしいけれど、事前にそんな情報もないので皆知らないので、売れ行きが悪いのだそう。かなりの値下げを敢行したけれど、この日も売れたのは1個(笑)

これまた志らら氏情報によれば、全日程を通して一番女子率が高かったらしいこの日の出演者は、U字工事、立川志らく、そしてMJ。誰目当てか聞かれて手を上げたけれど、やっぱり女子のお目当てはMJだったように思う。もちろん自分もですが(笑) 落語のことはサッパリ分からないけれど、高田文夫はどうやら立川一門の人らしい。立川談志を頂点とする立川一門には、A・B・Cとカテゴリーがあり、Aは本職の噺家さん達。Bは高田文夫のように別ジャンルで芸能活動しつつという人達、Cはサラリーマンなどいわゆるシロウトさん達。BやCの人達が寄席に出ることがあるのか全く分からないけれど、今回のイベントで出演するのはもちろんAの方々。水曜日は立川志輔だったらしい。

まずはU字工事から。かなり好きなので楽しみだった。いわゆる舞台とは違って、お客さんとの距離が近いせいか、かなり緊張してテンションが上がっているのがおもしろい。いちいち説明する必要はないかもしれないけれど、彼らの出身地栃木県をネタにした漫才。栃木を持ち上げているようで、実は落としている(笑) でも、その兼ね合いが絶妙で、しかも栃木弁全開なのがいい。関東地方でありながら北関東ということで、神奈川・埼玉・千葉にはかなわないというスタンスで、茨城を強烈にライバル視。でも、茨城を落とすつもりで、栃木を落としちゃう(笑) テンションがあまりに高いとこちらが引いてしまったりして、空回りになってしまう場合もあるけど、早口でまくしたてる栃木弁とこの絶妙な落としぶりがすごくおもしろい! しかも緊張のせいか益子のテンションがホント高くて、謙遜して栃木を悪く言う相方福田を叩く時も、スゴイ勢いで叩いてしまい、ちょっと客席がザワついてしまうくらい(笑) まぁ、でも以前は益子が自分を殴るというネタもあって、これまたスゴイ勢いで殴っていたので、そういう感じなんだろうとは思うけれど。でも、福田に興奮し過ぎて顔が怖いとツッコまれていたのが「栃木検定ネタ」よりおもしろかった。最後のしめはやっぱり「ごめんね、ごめんねぇ~」だけど、これも興奮しすぎて聞き取りにくかったような・・・(笑)

U字工事の後、高田文夫が登場し、軽くトーク。そしてMJ登場。実は見る前spiral cafeでビールを飲んでしまったのでトイレに行きたくなってしまった! でも、MJが登場してしまったので見逃すわけには・・・ ってことで、けっこう辛かった(涙) 高田文夫とMJもビールで乾杯ってことで、ビールを運んできたのは"タモリ倶楽部"でたまに見かける乾貴美子。MJの大ファンなのだそう。そういう意味では好感が持てるけれど、タモリ倶楽部でもMJとタモリのダラッと感とかみ合ってない気がする。今回も何となくかみ合わない印象だったような・・・。2日目に登場したナイツの兄はなわ(笑)と、東MAX登場。なんでもそれぞれの弟が舞台をやるそうで、チケットが若干余っているのではなく、若干売れているのだそうで、どうやらその宣伝らしい。ゲストはこれで終了。高田文夫とMJが普段どんな感じなのか分からないけれど、明らかにいつものMJペースではなかった気がする。四ツ谷を乳母車押している姿を目撃したとか、慰謝料はどうなのかとかMJという人物をゲストに呼ぶ場合、あまり必要でないであろう部分に対してサラリとツッコむ高田文夫。イマヒトツその狙いが分からないけど、タジタジとなるMJが見れるのもおもしろいかも(笑) ちなみに慰謝料はもう少しで払い終わるらしい。なんてネタにしたら元の奥様に失礼か・・・ おもしろかったのはゴジラ泥棒の話。日比谷のゴジラをMJが盗んだのはわりと有名な話。後日、自首したMJ宅にマスコミの取材がやってきた。明るく対応するMJに対し、泥棒は泥棒らしくして欲しいと言われ、下からライトを当てる不気味演出をされたのだそう。ゴジラ泥棒は知ってたけど、そんな裏話があったとは(笑) 慰謝料問題より、そういう話をもっと聞きたかったなぁ。

休憩を挟んで立川志らくの落語。スミマセン 落語のことは全く分からないもので、存じ上げませんでした。立川談志の物マネが得意らしく、何度も披露していた。似ている気もするけど、談志自体の記憶が曖昧・・・ 落語を聞くのは初めて。死神のネタは、たしかオリジナルと言っていた気がしたけど、違ったかな? 「遊び人の男が借金を返すお金を作ってこいと女房に家を追い出される。途方に暮れていると死神が現れる。自分の手違いで男の父親の命を取ってしまったお詫びに、ニセの医者としてお金を稼ぐ方法を教えてくれる。病人の足元に死神が座っていたらまだ寿命があるので、呪文を唱えて死神を追い払えばいい。でも、枕元に座っていたらこれは寿命であると教えられる。そのとおりにすると病人は良くなり、医者として繁盛するけれど・・・」という話。当たり前だけど1人で話すわけだけだから、ナレーション+全ての登場人物を演じるわけで、その演じわけ自体は役者のそれとは違っている。確かにあまりに演技って感じになってしまうと別モノになってしまう気もする。その辺りの兼ね合いが良くておもしろかった。江戸の町を行く人は悪くないけどちゃらんぽらんな男の姿が目に浮かぶよう。死神の不気味で、ちょっと滑稽な姿も見える気がする。なかなかおもしろかった。

ラストは出演者全員が揃ってトーク。しかし、高田文夫以外は人見知りらしく、なんともかみ合わない。志らくなんて誰とも目を合わせない。いくらなんでも、それはどうなんだろう(笑) でも、まぁダラッとした感じもまた良しってことで。

MJ目当てで行ったので、MJ本領発揮とはいかなかったのがやや残念だけど、そこはMJ、それはそれで楽しませてくれた。高田文夫の仕切ってないようで、実は仕切ってる感じもいいし、落語初体験もおもしろかった。U字工事も見れたし! 良かったのではないでしょうか。


miurajun.net "文夫の部屋"告知記事

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【art】「写楽 幻の肉筆画」鑑賞@江戸東京博物館

2009-07-27 02:30:22 | art
'09.07.11 「写楽 幻の肉筆画」@江戸東京博物館

この日は毎月恒例の笹塚にある砂風呂Pasir Putihの日。いつも一緒に行っているbaruとFちゃんの都合が悪くなってしまい1人での入浴。早めに上がって江戸東京博物館で開催中の写楽展を見て帰ろうと思い立つ。オプションで足リフレをつけたのと、混んでなかったのに微妙に他のお客さんとタイミングが合わず、思ったより早く上がれなかった

江戸東京博物館の開館は基本17:30まで。土曜日のみ19:30まで空いている。17:30頃には着きたかったんだけど、駅の出口を間違えて遠回りしてしまって18:00過ぎ。混んでたら1時間半じゃムリかもと思ったけど空いてた。ちょっと心配になるくらい空いてる(笑) とりあえずイヤフォンガイドを借りて入場。19~20世紀初め、ジャポニズム大流行のパリやウィーンへギリシャ大使として赴任したグレゴリウス・マノスが収集した日本美術のコレクション。彼はその収集品を全て政府に寄贈、エーゲ海に浮かぶコレフ島にアジア美術館が設立された。コレフ島は難破したオデュッセウスを王女ナウシカアが助けるという「オデュッセイア」の舞台で、この王女ナウシカアがあの『風の谷のナウシカ』のナウシカのモデルなのだそう。最近のジブリ作品は・・・だけど、『風の谷のナウシカ』は大好き。このマノス・コレクションの中から2008年7月、東洲斎写楽の肉筆画が発見された! 今回はその作品を含めた特別展。浮世絵を中心に5つの章に分けて展示紹介するというもの。

【第一章 日本絵画】
この章の出品数はわずか9点。ここでの見モノは狩野克信、興信親子による「狩野探幽筆 野馬図屏風模本」 タイトルからも分かるとおり、狩野探幽の絵の写し。探幽の筆致を写し取った画力の素晴らしさもあるけれど、この絵が存在することの最大の意義は、元となった野馬図屏風が江戸城本丸にあったとされていること。探幽がこの絵を描いたのは寛文6(1666)年、65歳の時だそう。水辺に集う馬や牛を描いている。墨一色で描かれた馬の躍動感や、牛の筋肉の隆起した迫力がスゴイ。12面に及ぶ大作を親子は11日間で写したのだそう。探幽の作品は今は見る事ができないけれど、その素晴らしさは伝わった。ありがとう、お2人Good jobです この章で1番好きだったのは懐月堂派の「立美人図」 これはカッコイイ。懐月堂派は懐月堂安度を祖とする美人肉筆画の一派。どっしりと肉感的な美人を太い輪郭線で描き出す独特な作風。懐月堂安度はあの江島事件に連座、大島へ流刑となっている。一幅の掛軸だけど、そんなに大きな作品ではない。そこに描き出されているのは迫力の美女。どっしりとした質感。顔などややふてぶてしいくらい(笑) でも、そのどっしりとした佇まいはカッコイイ。袖をなびかせるような立ち姿で、袖の揺れを太くしっかりとした輪郭線で描き出している。太いけれど、その線はやわらかく繊細。そして着物の柄は細かくきちんと描かれている。大胆で繊細。これはいい! この絵葉書欲しかったのだけど無かった(涙)

【第二章 初期版画】
ここはホントに初期の版画。なので、知らない絵師が多かった。奥村政信の「遊君シリーズ」がおもしろい。「遊君 達磨一曲」は達磨が遊女の着物を着て三味線を弾いている。他にも蝦蟇を使って妖術を使う蝦蟇仙人などが遊女と遊ぶ姿が描かれていて興味深い。

【第三章 中期版画】
いわゆる浮世絵ビッグネームの作品がならぶ。個人的にも好きな絵師ばかり。大好きな鈴木春信の「母と子と猫」がかわいい。春信は浮世絵版画で初めて多色刷りを取り入れた人。この頃の浮世絵はいわゆる大首絵はまだなく、背景とともに全身を描く。なので、表情などの表現は乏しい気はするけれど、なよなよとした柳腰と涼やかな目元。とにかく春信の美人画はかわいい。この絵も母が懐に抱く猫を抱かせてくれと娘がせがむ姿がかわいらしい。娘は愛らしく母はやさしい表情。次の「見立菊慈童」の美人のキリッとした表情とは全然違う。驚いたのは続いて展示されていた鈴木春重の「朝顔」と「碁」 春信調のこの絵はなんと司馬江漢。司馬江漢といえば洋画の祖というイメージだったのだけど、初めは春信に弟子入りし浮世絵を描いていたのだそう。「雛形若菜シリーズ」で有名な磯田湖龍斎もこの時期はまだ春信タッチ。さすが春信! 役者似顔絵師と言われた勝川春章の「吉原八景 京の落雁」の弁慶はAHこと安齋肇似(笑) 八頭身美人でおなじみ鳥居清長の美人はやっぱりいい。「風俗東之錦 町屋の妻娘と小僧」の妻の留袖の黒が良く、娘の裾の折鶴柄がかわいい。「唐子遊び 碁でけんかする唐子たち」「唐子遊び 子をとろ子とろの遊びをする唐子たち」には”惶々”と朱印が押してあり、実はこれ河鍋暁斎が所有していたのだそう。子供を題材とするのは縁起がいいとされていて、特に唐子は縁起がいいと人気だったらしい。

そして喜多川歌麿。歌麿大好き。歌麿の美人はホントに色っぽくて美しくて、そしてかわいい。「錦織歌麿形新模様 浴衣」は没骨という輪郭を描かない手法で刷られたもの。この技法は女性の浴衣に使われていて、何とも涼やか。そして、歌麿といえば美人大首絵ということで、様々な恋愛タイプを描いたシリーズ物の1枚「歌撰恋之部 深く忍恋」 これは美しい! 背景は紅雲母刷で刷られていて、ほんのりと紅くキラキラしている。キセルを吸いながら右下に首を傾げた女性の顔が美しい。小さな受け口をわずかに開け、煙を吐き出すような仕草だけれど、物思う彼女の表情からすると、出るのは深いため息のようにも思える。キリリとした目元と黒々とした眉毛は、まだ若い娘だと思われる。きっと恋に夢中なのでしょう。襟元と着物の紫が効いている。この美しさとキリッとしたなまめかしさは、さすが歌麿という感じ。でも今回、この絵で感動したのは高く結い上げた髪のその生え際! NHKの番組で新たに発見された版木を元に、現代の版画家が再現するのを見たけれど、一番苦労していたのがこの生え際。普段何気なく見ていたけれど、版画なのだから髪の毛1本分の線を彫り出しているわけで、この1本を彫り出すには4回刃を入れないといけない。それが1cmの中に何十と入っているのだそう。それを知って見ると感慨もひとしお。額を囲む生え際、うなじ、櫛を刺した部分の表現。これは素晴らしい! と、同時にやっぱり知識って必要なんだと実感。知らなければ単純に美しいだけで終わってしまうけれど、絵の持つ意味や施されている技巧を知っていれば、また違った見方が出来る。名前も知らない江戸の彫師の技術の高さを思うと、ホントにカッコイイ!

生え際の美しさでは一楽亭栄水「美人合浄瑠璃鏡 おそめ久松」のおそめも素晴らしかった。この章に写楽もある。「二代市川門之助の伊達与作」「初代市川男女蔵の奴一平」が並んで展示されている。いわゆる役者大首絵。この2人の役者は親子だそうで、男女蔵はこの時14歳。主人の金を守る奴一平を演じているけれど、細い腕や幼さの残る顔は弱々しい印象。この2点の背景は雲母刷りだと思われる。以前、別の展覧会で雲母刷りは高価なので新人だった写楽が、初めから雲母を使えたのは異例のことだったことを知った。質素倹約令にともない財産の半分を没収された版元蔦屋重三郎が起死回生を賭けたのが写楽だったと、テレビで紹介されていた。それだけ期待されていたことの証なのでしょう。"本日の1枚"は個人的には歌麿の「歌撰恋之部 深く忍恋」だけど、やっぱり今回はこれでしょうってことで、東洲斎写楽「四代目松本幸四郎の加古川本蔵と松本米三郎の小浪」 こちらについては、後ほどゆっくり(笑)

【第四章 摺物・絵本】
空いていたので1点1点じっくり見てしまったため、意外に時間がなくなってしまったので、この章はやや流し気味。次の章には葛飾北斎があるのですから(笑) ここで良かったのは鈴木春信の「絵本青楼美人合」と、葛飾北斎「東都名所一覧」「東海道五十三次 絵本駅路鈴」 北斎の本はいい。

【第五章 後期版画】
ここでの見モノは葛飾北斎。他にちょっと気に入ったのは菊川栄山「風流夕涼三美人」と柳川重信「大阪新町ねりものシリーズ」 「風流夕涼三美人」は多分、芸者遊びをするお店。芸者もしくは遊女が3人外の縁側に出て休んでいる。障子の向こうで盛り上がる人々。ちょっとうんざりしたような3人。その倦怠感と、酸いも甘いも噛みしめたような3人の佇まいがカッコイイ。「大阪新町ねりものシリーズ」の"ねりもの"っていうのは遊女が仮装してねり歩くものらしく、ここではすべて男装。「大阪新町ねりもの 水茎の神 かいでやもも鶴」のもも鶴というのは菅原道真を象徴しているそうで、絵の遊女は束帯(正装)姿。黒の着物の透かし彫りがいい。白の袴にも透かし彫り。男装の麗人というけれど、女性が男装することの色っぽさってある気がする。当時の人も同じように感じていたんだろうか。浮世絵ビッグネーム歌川広重の作品は今回1点のみ。「魚づくし あわび・さよりに桃」がいい。あわびはまるで岩のような質感で、さよりは繊細に描かれている。色が美しい。桃は実ではなく花。青中心の絵の中に花の赤が効いている。葛飾北斎といえば「富嶽三十六景シリーズ」 ここでは3点が展示されている。特に有名な「凱風快晴」通称赤富士も展示されている。これは何度も見ているけれど、やっぱりいい。富士山を赤で表現する斬新さもさることながら、空のベロ藍と呼ばれた青のぼかしが素晴らしい。

今回初めて見た「百物語シリーズ」 その中に懐かしい1枚を発見! 母方の祖父が持っていた古い画集。その中にあった「百物語 さらやしき」 番町皿屋敷を描いたと思われるこの絵は、井戸の中から女性のろくろ首がうねりながら出ている。老婆のようにも見える恨めしそうな顔の口元からは、煙のようなものが吐き出されている。こちらに流し目をするその表情と、首の部分が全て何枚もの皿になっていて、そこに長い髪の毛が絡みつく様が、まるで蛇のうろこを思わせる。子供の頃、この絵を見てすごく怖かった。怖いくせに何故かまた見たくなって、何度も見ては怖がっていた覚えがある。あれは北斎だったんだ。初めて知った。そして、自分の浮世絵好きのルーツはこの祖父だったのだと実感。生まれる前に亡くなってしまったので、一度も会えなかったのがとても残念。子供心に惹きつけられたのは、単に怖いもの見たさだったのではなく、やっぱり絵の持つ力なんだと改めて思う。今見ても十分怖い。

さて、長々書いてきたけれど、いよいよ"本日の1枚"東洲斎写楽「四代目松本幸四郎の加古川本蔵と松本米三郎の小浪」 この絵、正に世紀の発見なのです。写楽の肉筆はほとんど見つかっていないというだけでなく、この絵が描かれた時期が重要。謎の絵師写楽は寛政6~7(1794~95)年わずか10ヶ月間活躍し、1795年1月忽然と姿を消したとされている。でも、この絵はその4ヶ月後に描かれた。歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の1場面を描いたこの作品は、四代目松本幸四郎の着物の"本"の紋から、1795年5月に木挽町にあった河原崎座で上演されたものだと分かるのだそう。これにより写楽は浮世絵を描かなくなった後も、肉筆画であれば注文に応じる事があったのではないかと推測できるとのことで、まだ肉筆画が発見される可能性が出てきたのだ。描かれているのは今ではほとんど演じられることのなくなった場面。大星由良之助(大石内蔵助)の長男大星力弥(大石主税)の許婚小浪と、その父加古川本蔵の姿を描いたもので、元は扇であったものを保存のためはずしたものらしい。この時、松本幸四郎は59歳で晩年の姿だそう。その口元や額、眉間に深く刻まれた皺に年齢が感じられる。その鋭い眼光や固く結ばれた口元に四代目の渾身の演技が感じられる。小浪を演じる松本米三郎はこの時22歳。四代目が育てた女形だそうで、こちらは若々しい印象。やや猫背なのは米三郎の特徴なのかな? しかし、写楽は女形は女形として描く。決して女性として描かない感じが写楽らしいなと思う。

何故、この作品が写楽の肉筆であると分かったかというえば、写楽というのは実はそんなに器用な絵師ではなく、同じ役者を描く際にはついワンパターンになってしまうらしい。別の作品に描かれた四代目の特徴と一致するそうで、その比較がパネルで展示されている。確かにほとんど変わらない(笑) 浮世絵というのは実は総合芸術。絵師ばかりがもてはやされているけれど、彫師や摺師の技術もあって素晴らしい作品となっている。今回、写楽の肉筆画を見て改めて実感。この作品がどんな条件、状況で描かれたものなのか分からないけれど、2人の役者の表情や構図などさすが写楽と思うものの、良く見ると写楽あまり上手くない。四代目の扇を持つ指などの線はボヨボヨしてしまっている。少し曲げた小指などは不自然な曲がり方で枝豆のよう(笑) ということは、写楽のボヨボヨの線を彫師が修正していたのだということが分かる。これはなかなか興味深かった。写楽の素晴らしさだけでなく、総合芸術としての浮世絵を再認識できたのはすごく良かった。そういう意味でもこれは"本日の1枚"だし、"世紀の発見"なのだと思った。

浮世絵などの1点1点の状態は、以前同じ江戸東京博物館で見た「ボストン美術館展」にはかなわないかも。でも、やっぱり写楽発見はすごいことだと思う。どれだけスゴイ作品なんだと期待大で行くと、意外な小ささに拍子抜けしてしまうかもしれない。でも、やっぱりこれは見ておくべきなんだと思う。


★「写楽 幻の肉筆画」@江戸東京博物館:2009年7月4日~9月6日

「写楽 幻の肉筆画」(江戸東京博物館HP)



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【訃報】アベフトシ死去

2009-07-23 00:13:27 | news

【訃報】アベフトシ死去

 

 



2009年7月22日未明、元thee michelle gun elephantのギタリスト、アベフトシ死去。死因は急性硬膜外血腫。享年43歳。



悲しい



もう何度も何度も書いてきたけど、ミッシェルはいわゆる青春だった。年齢だけは立派な大人になっていたので"青春"というのはおこがましいけれど、仕事や人間関係に行き詰まって辛かった時、ミッシェルのライブに行って頭真っ白になって、終わった後の気持ちのいい脱力感ともに「がんばろう」と思って、頑張れたのに

 

アベくんのギターはカッティング・ギター。カッティングという技法については音楽誌広告担当Sから教えてもらったけれど、あんまり理解できなかった。でも、あの細身の長身で淡々と弾く姿がかっこよかった! 昔は暴れん坊だったようですが(笑)

 

ミッシェルの曲が好きで、チバの声が好きで、あの黒の細身のスーツで4人並んだかっこよさが好きで、何より爆音が大好きだった。それは、間違いなくアベくんのギターだった チバも弾いてますけども(笑)

 

チバの声とアベくんのギターがすごく合ってて、それがあまりに好きだったので、現チバ&キュウちゃんバンドThe Birthdayもイマヒトツ好きになりきれない

 

きっともうあんなに好きになれるバンドは出なんだろうな 

 


再結成して欲しかったし、それがムリでも1曲だけでいいから4人で演奏する姿が見たかった もう永遠に叶わないんだなぁ

 

2003年の解散ライブ終了後も思ったけれど、今度こそホントに青春のようなものが終わった気がする

 


間違いなく辛い時、心の支えだったthee michelle gun elephant。ホントにありがとう! 天国でもカッティング・ギターをかき鳴らして欲しい! そしてアベ神社も!

 

心よりご冥福をお祈りします



rockin' blues.com


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【cinema】『HACHI 約束の犬』(試写会)

2009-07-20 02:06:21 | cinema
'09.07.13 『HACHI 約束の犬』(試写会)@九段会館

yaplogで当選。動物ならたいてい好き。ハチ公のことは待ち合わせ場所というだけでなく、主人を待つ忠犬として知ってた。ハチ公のことを考えただけで健気で泣けてしまう。それだけに映画化されるという話には少々不安を感じた。ネタギレになったハリウッドが安い感動モノみたいな作品にしてたらどうしようかと・・・。応募したのはラッセ・ハレストレム監督だったことと、母親が見たいと言っていたので(笑)

「大学で音楽を教えるパーカー・ウィルソン教授は、ある冬の夜駅に置き去りにされた秋田犬の子犬を拾う。飼主は現れず、初めは飼うことに反対していた妻も、子犬と楽しそうに戯れるパーカーの姿に飼うことを認める。成長したハチは毎朝駅までパーカーを送り、夕方5時になると駅へ向かい彼の帰りを待つようになる。ハチは家族の一員として幸せな時間を過ごしていたが・・・」という話。と、今更説明する必要もないくらい日本人なら誰もが知っている話。これはもう号泣。かなりツッコミどころ満載ではあるけれど、それでもハチのかわいさに泣けてしまう。人間ドラマは一切省いて、ハチを主役にしたことにより、少々ムリのある設定になったり粗い感じがするけれど、安っぽい感動モノにはなっていないし、押し付けがましくもなかったと思う。

冒頭、パーカーの孫が小学校の教室でハチとパーカーの物語を発表するシーンから始まる。そして、映画は彼が語り終えて終了。正直、この演出が余計な感じがしたけれど、これはこの映画を見るであろう子供たちに、おじいさん(リチャード・ギアかわいそうかな・・・)と犬の話であるという説明なのかな。そして、本当の物語の冒頭へ。

日本の山奥のお寺から1匹の子犬が送り出される。何故、お寺なのか不明だし、後のシーンでこの地が山梨とか山の付く土地であるらしいことが分かるけれど、ハチは秋田犬なのでは? まぁ、山梨で秋田犬を飼っている人もいるだろうけど・・・。ハチは木製の檻に入れられて送り出される。この檻が虫かごを大きくしたようなもので、いくらなんでもこれはないだろうと思うけれど、これは後々意味があるので仕方なし。その後、どんどん大きな駅へ移動していくハチの不安そうな表情を見せるには、この虫かご檻は確かに効果的ではある。でも、アメリカへこの虫かごみたいな檻で航空便で送られたのか? とか、検疫はどうなっているのか? というツッコミは言ってはダメなんでしょう(笑) アメリカに到着した早々、届け先のタグが切れてしまう。そしてパーカーの家のあるベッドリッジ駅へ運ばれてくるハチ。その荷台からハチの虫かごみたいな檻が落ちてしまう。気付かずそのままいってしまうポーター。そして壊れた虫かご檻から出たハチはパーカーと出会う。と、とにかくハチの旅立ちからパーカーとの出会いまでは、あまりにずさんな管理で、これでは動物虐待じゃないのか? と思うけれど、ハレストレム監督のおとぎばなし的な演出と、ハチのかわいらしさでここは絵本でも読んでいるかのような感じに思える。そう考えると、彼の孫が語ってるという視点はアリなのかもしれないけれど、ラスト彼が出てくるまで忘れていたので、果たしてどうか(笑)

紆余曲折あってパーカーはハチを家に連れて帰るけれど、犬を飼うことに反対するであろう妻に言い出せない。あまりきちんとした説明はないけれど、どうやら最近犬を亡くしてしまった様子。案の定反対する妻に遠慮しつつも、実はハチに情が移ってしまい飼いたくてしかたがないパーカー。まぁ、ありがちな感じではあるけれど、ここはハチとパーカーが愛情を育んでいくという部分での導入であるから、パーカーがハチにボールを取ってくる芸を仕込もうと、自らボールをくわえてお手本を見せるというような大袈裟演技も、リチャード・ギアお得意の微笑みを湛えてのお茶目アピールと、子犬のハチのかわいらしさが、いい感じで作用して微笑ましく思ってしまう。妻役のジョーン・アレンの顔がちょっと怖いのも効果的。って失礼かな(笑) 決して怖い役ではないし、ミシェル・ファイファー似のきれいな人だと思うけど、ちょっと怖い・・・。あの顔で反対されたら諦めちゃうかも(笑) でも、舞台美術(だったかな?)の仕事をしてる知的な妻と、美しくしっかり者の娘が、裏庭でボールをくわえて四つんばいになり、そ知らぬ顔の子犬に芸を教えるという、どうかしてる行動を見守ることで、逆に微笑ましい場面となっている。

秋田犬の事は良く知らなかったのだけど、映画によると「人間と犬のパートナー関係」というのは秋田犬から始まったのだそうで、秋田犬が気に入らなければ飼主になることは出来ないというくらい、対等な立場なのだそう。だから、ハチはボールを取ってこないのだそうで、彼には芸をして主人を喜ばそうという発想はないらしい。もし、彼がボールを持ってくることがあるとすれば、それは彼が必要だと思った時だと、教授仲間のケンから教えられているのは、後の伏線となるけれど、結局この伏線は生かされない(涙) そして成長した秋田犬はかなりデカイ。パーカーと後ろ足で立ち上がってじゃれ合うけれど、リチャード・ギアの胸の辺りまで届く。リチャード・ギアはあまり大きそうではないけれど、多分120~130くらいはあるんじゃないのかな? そんな犬がプラプラしてたら、良く知らない人は怖いんじゃないか? というツッコミもなし(笑)

とにかく、あくまで主人公はハチであるという描き方をしている。そのため、何度も書いているように、かなり設定や描き方などにムリがあったりする。でも、とにかくハチがかわいい! 子犬、成犬そして晩年と3世代のハチが描かれるけれど、それぞれの世代を3匹の犬が演じたそうで、先にも書いたとおり秋田犬に気に入られなければ、撮影もできないということで、リチャード・ギアを初め出演者たちは、かなり神経を使ったそうだけれど、リチャード・ギアとハチ役の犬達は良い関係が築けたのだそう。その感じは、パーカーとハチが並んで駅へ向かうシーンや、出迎えたハチとじゃれ合って、そして帰っていく姿なんかに表れている気がする。犬がパーカーをすごく好きなんだなという感じが、とってもよく伝わってくる。「そんなに先生のこと好きなのか」と思っただけで泣いてしまう(涙) パーカーを駅まで出迎えるっていうのは、確かにちょっと珍しいことかもしれないけれど、犬や猫などペットを飼っている人は、玄関まで出迎えてもらったことがあるはず。その姿が重なって泣けてしまう。

有名な話しだし、予告などでも流れているので、ネタバレではないと思うけれど、パーカーは映画の途中で死んでしまう。亡くなってしまった主人をずっと待ち続けたから"忠犬ハチ公"なので、この作品も本当の物語は実はここから。本当のハチ公は上野教授が亡くなってから、どんな生活ぶりだったのか良く知らない。仲代達矢主演の『ハチ公物語』を見たことあると思うのだけど、全く覚えていない。雪の中ハチが眠るように亡くなるシーンでは号泣したと思うのだけど・・・。この作品では紆余曲折あってハチは野良犬になる。もちろんパーカーが生きていた頃からハチを見守っていた駅のコーヒースタンドの主人とか、いろんな人が温かく見守ってはいるのだけど・・・。エサ問題などについては、とってつけたようなエピソードで説明されるので一安心(笑) だけど、パーカーの妻がいくら辛かったからといって10年後ベッドリッジを訪ねて、ハチと再会し「まだ待っていたの?」と感動するわりに、また置いて行ってしまうのは、元飼主として無責任なんじゃとか、そもそもどこに行ってたんだ? というツッコミは野暮なんでしょう(笑)

ハチは毎日主人を迎えに行っていた習慣に従っていただけかもしれない。もちろん、それは主人公のことが大好きだったからだし、今日は帰ってくるかもと思う気持ちはあったかも。でも、「何故帰ってこないんだろう」とか「いつかきっと帰ってくる」と思っているんだろうな、というのは人間の想像なのかもしれない。だけど、ハチがそうしたかったのは間違いなくて、ハチのその物言わぬ表情からは、彼の意思が確かに感じられる。だからパーカーの妻や娘が「あなたがそうしたいならそうしなさい」とハチを自由にさせた気持ちは分かる。飼主としてそれが正しいのかは別として、ハチの佇まいには彼を尊重してあげることが、一番彼のためになるのだと思わせる雰囲気がある。それは多分、時々モノクロになって映し出されるハチ目線が効いているんだと思う。こういう演出はあざとくなってしまう場合があるけれど、そうなっていなかったように思う。ハチの気持ちを想像するには良かったと思う。

役者さん達はリチャード・ギア以外ほとんど知らなかったけど、良かったのではないかと思う。あくまで主役はハチであるというスタンスで描かれているので、パーカー役のリチャード・ギアですら脇役に徹していたのは好感が持てる。MJは『Shall We Dance?』をバカ映画として見ていて、リチャード・ギアをバカ役者だと思っているらしいけど(もちろんMJなりに褒めている)、そういう意味でも期待を裏切っていない。それはボールをくわえるというDS(どーかしてる)行為ではなく、妻とワインを飲みながらバスルームへ消える・・・ という色男ぶりアピールシーンで発揮(笑) このシーンいるかな? と思っていたら・・・(涙) まぁ、そんなわけで特別リチャード・ギアじゃなくてもいい気もするけれど、ハチへの過剰とも言える愛情表現も「しかたないなぁ(笑)」と思わせるお得意のはにかみ笑顔は健在で、さすがという感じ。ほめてます!

怖い顔が有効だった妻役ジョーン・アレンも、優しくてしっかり者の娘も、いい人だけどちょっと間抜けな娘婿も、コーヒースタンドの主人も、ちゃっかりした駅員も、嫌な人物は出てこない。それぞれキャラは立っているけれど、やっぱりあくまでハチを見守る人達という描き方。なので、娘の結婚、孫の誕生など、普通の人の人生では、かなり大きなイベントと思われる出来事があるにもかかわらず、人間ドラマ部分は希薄。でも、何度も言うけどあくまで主役はハチであり、描きたいのはハチのドラマであるという姿勢には好感が持てた。

とにかくハチがいい。子犬の頃は愛らしくて、庭の納屋に置いていかれて不安げな姿は、パーカーでなくてももう少し居てあげたいと思うし、嵐の日には心配で思わず様子を見に行ってしまう気持ちはホント良く分かる。成犬になったハチがほとんどこの映画を引っ張ったと言っていいと思うけれど、彼には確かな意志を感じた。パーカーが好きだから一緒にいる、好きだから帰りを待つという自らの意志。後ろ足で立ち上がって帰ってきたパーカーに抱きつく姿が、ウチのアガサ(ロシアンブルー♀6歳)が抱っこしてと前足でよじ登ってくる姿を思い出し涙。体は大きくなっても、まだまだ甘えたい感じがかわいい。そして、あの日何かを一生懸命訴えるハチの演技がいい。彼(彼女?)の好演が、晩年のハチの姿をより引き立たせた。老犬になったハチの姿は悲しい。軽やかな足取りで通った道を、弱々しい足つきでやって来るハチ。あえての汚しメイクだけれど、それがリアルでハチの老いを感じる。もう老犬のハチの姿を見るだけで泣けてしまう。老いてもなお通い続ける姿に号泣。

ハチを演じた犬達の演技もさることながら、それを引き出したスタッフや役者達はすごいかも。ホントにどのシーンでもいい表情をしている。子犬の頃の不安そうなあどけない表情。成犬になって意志を感じさせる顔。そして老犬の悟りを啓いたかのような最期の顔。正直、この作品は教授と犬の物語というよりも、ハチのこれらの表情を見る映画なんだと思う。って、それじゃ本末転倒だけど・・・。

人間ドラマや人間と犬の愛情みたいな部分については、ちょっと物足りなさを感じたりする。パーカーとハチについてはちゃんと描いてはいるものの、ツッコミどころの多さが足を引っ張っている気がしないでもない。でも、何度も何度もしつこいけれど、これはあくまでハチの映画であって、ハチがいかに教授を愛していて、自分の意志を貫いたかということが伝わればいいんだと思う。ハチは帰らぬ主人を待ち焦がれたのではなく、あくまでパーカーが好きだから待ったのだし、そうしたいから続けた。そこには何の迷いもない。その混じり気のなさが愛おしくて人はペットを飼うんじゃないだろうか。そして、彼らのその意志を尊重できるなら、他の人の意志や意見が自分の意に染まなくても、尊重できるハズ!

アメリカを舞台にするのであれば、冒頭のツッコミ満載の無理矢理な運搬シーンを入れてまで、秋田犬にこだわる理由もない気がしたのだけど、最後に本物のハチ公が紹介されて、製作者達が本物のハチ公に敬意を払ったのだと納得。とにかくハチを見守る目線がやさしい。

動物好きな人や、ペット(特に犬)を飼っている人は、きっと泣いてしまうことでしょう

追記:本当のハチは主人の上野教授と2年間しか暮らせなかったのだそう。その後、9年間渋谷駅へ通い、教授を待ち続けたのだそう。そう考えると、気軽に待ち合わせできないかも(笑)


『HACHI 約束の犬』Official site

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【cinema】『ノウイング』(試写会)

2009-07-05 23:55:48 | cinema
'09.06.29 『ノウイング』(試写会)@ヤクルトホール

こちらもyaplogで当選。ありがとうございます! SF映画ってそんなに好んで見るほうではないけれど、見てみようと思ったのは主演がニコラス・ケイジだから。MJことみうらじゅんがやたらとニコラス・ケイジに注目していた時期があって、その影響だと思うけどニコラス・ケイジを見ると「クスッ(笑)」となってしまう。顔を見なくても字面だけでも笑ってしまう。何故だろう(笑) 関係ないけどMJによると日本名は日光羅酢慶次だそう。

※ややネタバレ、そして辛口です・・・ すみません

「宇宙物理学者ジョンの息子ケイレブが通う小学校で、創立50周年を記念し、50年前に埋められたタイムカプセルが開けられた。当時の小学生が描いた未来の絵が子供たちに配られるが、ケイレブが受け取ったのはルシンダという少女が書いた紙一面の数字の羅列。ジョンはその中に事件もしくは事故の起きた日付と犠牲者の数が隠されていることを発見する。その中にはまだ起きていない事故が3件書かれていて・・・」という話。まぁ、おもしろかった。けど、ニコラス・ケイジじゃないと辛いかなぁ・・・。前にも書きましたがSFは嫌いじゃないけど好んで見る方ではない。ドキドキさせる話の展開や、CGの迫力はすごいので見ている間は楽しいんだけど、SFというからにはオチは宇宙人とかいうことになるわけで、そこがどうにも「う~ん・・・」となってしまう。あくまで個人的な感想なので、SF自体をバカにしてはいません! そいうオチでもおもしかった映画もたくさんあるし。でも多分宇宙人のオチがなじめないと言ってしまう時点で、SFの見方を間違っているんだと思う。そんな間違った見方で見た感想としては、まぁ、おもしろかったという感じ。

冒頭からオチ近くまではかなりおもしろくて引き込まれた。50年前の小学校から始まる。ルシンダは学校の行事の何か(失念・・・)に彼女の案が採用されるような発想力豊かな少女のようだけど、画面に映る彼女は暗く何かに怯えているようで、正直不気味。この後、例の手紙を書くシーンがあるけど、まるで自動筆記のよう。彼女の行方不明事件とかしばらくルシンダのエピソードが続くけど、ここが伏線となることは分かる。レトロな画がいい。個人的に先生のひっつめ髪や、長めのタイトスカートとカーディガンというファッションが好きだった。あの時代は品がある。あんまり関係ないけど(笑) でも、このどこか品がある感じが、少女の異常性を際立たせている感じはある。品があるってことはきちんとしてるってことで、それは保守的であるってことでもあると思う。みんなが品良くきちんとしていることを前提とした中での、ルシンダの行動はかなり異様な感じがして導入部としておもしろい。いつも予備知識は極力入れずに見に行くので、現代の話なのか良く分からず、てっきりこのまま50年前で進行するのかと思ったら、現代へ。

ここから日光羅酢の活躍となるわけだけど、妻を亡くした男やもめで少し難しい年頃になってきた息子と2人暮らし。母親を亡くした傷の癒えないケイレブを、自身の傷も癒やすことが出来ないまま育てている。この親子関係は良かったと思う。ジョンと父親との親子関係も出てくるけれど、それ自体はラストのシーンをやりたいがための、とってつけた感があって、描ききれているとはいえないかも。ちょっと脇にそれてしまったけれど、ジョンとケイレブは大きいけれど古い家に住んでいる。基本この家が登場するのは夜。ジョンはマサチューセッツ工科大学で教える宇宙物理学者。宇宙物理学がどんなことを研究しているのか、その学者の収入具合がどんな感じなのか不明だけど、家ずいぶん汚い。男やもめぶりアピールにしても壁紙も破れちゃってるし(笑) でも、その感じが不気味さをかもし出してはいる。どこに住んでるのか忘れてしまったけれど、マサチューセッツなのでしょう。マサチューセッツのことは全然分からないけど、ジョンの家は森の中みたいなところにある。こんな所に小学生が1人で居たりするのは昼間でも怖いだろうと・・・。まぁ、森の中に家があることには意味というか、理由があるので仕方ない(笑) 家の中の照明も暗くて全体的にお化け屋敷っぽくていい。

ジョンはひょんなことからルシンダの手紙に書かれた数字には、意味があるんじゃないかと思うけれど、そのきっかけは911。ハリウッドはことあるごとに911を入れてくるな。しかし犠牲者2996名・・・。たしかに風化させてはいけないかも。そこからジョンはあらゆる事件、事故の記録を検索し始める。この辺りはスピード感があって引き込まれた。映画の架空の事件はこれから起こる3件と、ジョンの妻が亡くなった火事のみなのかな。実際のニュース映像が使われている。阪神淡路大震災の映像もあった。実際に犠牲となった方々がいらっしゃるわけで、その映像を使う是非っていうのはあると思うけど、リアルな感じがしてここは良かったと思う。ジョンは壁に掛けたホワイトボードに数字を書き写して謎を解いていく。いまどき手書きなのかとか、書き写すの早ッとかいうツッコミはまぁいいか(笑) 日付と犠牲者数を青と赤のペンで囲んでいくんだけど、そこに表れた形が遺伝子の二重螺旋に見えたので、プログラミングされているって事かと思ったんだけど、そんな描写はなかったので全く見当違いだったらしい・・・。まぁ、完全な文系タイプなので全然詳しいわけでもないのだけど(笑)

ここまではニュース検索にネットを使っているけれど、わりとハンド作業。"ささやく人達"という謎の人物達も出てくるけれど、登場の仕方もレトロ。その感じはいい。こじつけともとれる数字の羅列の法則にしても、これをもっと科学的(どういう作業は分からないけど・・・)に解明していたら、逆にうそ臭かったかも。ジョンの妄想だと思える余地を残しつつも、それはそんなに引っ張らない。でも、見ている側は数字にとりつかれるジョン同様気になって仕方ない。そしてまだ起きていない3件のうちの1件にジョンと共に遭遇することになる。さんざん世界各国の事故を予測していたわりに、3件のうち2件はアメリカで起こるんだというツッコミもあるけど、そこはハリウッド・ルールということで(笑)

この2件の事故の映像がスゴイ。ちょっとやり過ぎな気もする。最初の事故は別の方向へ行くように仕向けておいての、あの事故なのでビックリ。このくらいのCGならばすごくリアルでスゲーと思って、事故映像にもかかわらずその迫力に感動した。って、ネタバレしないように避けて書いたけど、CMで使われてますね(笑) 飛行機事故です!その後の事故現場のシーンを引っ張りすぎな気はするけど、ジョンの無力感は伝わってきた。ジョンは文系科学者で、普段体を鍛えている様子もない普通のオッサンだから、ジャック・バウアーみたいな活躍はムリなわけで、そういう面ではいいと思うけど・・・。2つ目の事故に関してはもうホントにやり過ぎ。まぁ、実際の事故現場を見たわけではないので、もしかしたら大袈裟ではないのかもしれないけれど、発生当初から一段落つくまでが、これでもかとCGで押してくるので、最初はスゲーと思っているんだけど、そのうち放心してしまって、ちょっと呆れたような感覚になってしまう。

後半、もう2人重要な人物が登場してくる。ルシンダの娘ダイアナと、孫のアビー。ルシンダ自身は子供の頃からささやく声に悩まされ、やがて自分が使命を負っていると思い込み、夫と別れて森の中に移り住み、そして自殺してしまう。「母さんは精神の病だ」と言う夫が、子供の頃からおかしな言動を繰り返していたであろうルシンダと何故結婚したのかってツッコミもなしで(笑) この映画では意味のあることなので。ダイアナもその母が能力者だったために、悲しい人生を歩んできたけれど、役どころとして終始怯えてばかりで、待てというのに勝手に行動し、事をややこしくしてしまい、イライラさせるだけに終わってしまったのは残念。もう少し生かせなかったかな・・・。

というわけで、キャストの演技はニコラス・ケイジの1人舞台という感じ。ほとんど子役相手だし。この役自体にどのくらい演技力を必要とされているのかなと思うけれど、前にも書いたけれどジャック・バウアーではない文系のオッサンが妄想気味に事件と関わっていく感じに、イライラしたりせず、ストーリー展開上読めてしまっているとはいえ、妄想ではないってことのリアリティーを持たせていたのは、ニコラス・ケイジのおかげかも。ケイレブ役のチャンドラー・カンタベリー君は『ベンジャミン・バトン』で、若返ったベンジャミンを演じた子だそうで、この映画でも重要な役どころ。ちょっと繊細でひ弱な彼が、重大な決心をするのは健気。そういう意味では彼の演技は良かったと思う。

正直、ツッコミどころは満載。ささやく人達の目的がサッパリ分からない。これはそもそも人類とは・・・ってとこから、アノ人達の仕業なのでしょうか? 要するに神ってこと? で、数々の事故は彼らが起こしてたってことなんでしょうか? それとも警告? ジョンに解読させた狙いは? しかも何故50年がかり? そもそもの目的は一体何? シュミレーション? ゲーム? ということが全て曖昧。でも多分、そういうツッコミはしちゃダメなんでしょう。そしてこれ、ここ書いちゃったらネタバレでしょうかね・・・。バレてないからOKかな。って私が分かってないだけか? もうサッパリ分からなくなってきました(笑)

『1408号室』『ターミネーター4』とキリスト教の話なんじゃないかと勝手にこじつけてきましたが、この作品はまぎれもなくキリスト教の話。ラスト、ハッキリした形で示されている。ケイレブとアビーはある有名な人物になるわけだけど、途中意外にその役目を果たす人々がいるらしいことが気がかり(笑)

とにかく、ツッコミどころ満載。だってストーリーの根幹が謎のままだし。でも、多分見せたかったのはCGなんだと思う。要するにXデーのアレと、ささやく人達の姿と、そしてラストのアレ。そこはやり過ぎだけど、まぁスゴイ。キリスト教徒ではないので、ラストのアレがあんな情景でアリなのか分かりませんが、私的にはちょっと・・・ もう少し何とかならなかったのかなと思った。デザイン的に・・・ SFとかCGとかそういう世界観が好きな人なら楽しいのかな・・・。このジャンル詳しくないので分かりませんが、謎解きの部分はかなりおもしろかった。ラストそんな方向へっていうのも、あそこまでやられるとむしろいいかも。下手に無理やりなハッピーエンドだった『宇宙戦争』より、潔い気がしましたが、悲壮感が無かったのも事実。だってあまりにすご過ぎて(笑)

・・・と、なるべくネタバレを避けたのと、SFの見方が分かっていないため、ものすごい曖昧な感想になってしまった。そして辛口ですね・・・。申し訳ないです(涙) でも、日光羅酢は堪能しました!


『ノウイング』Official site

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【cinema】『それでも恋するバルセロナ』(試写会)

2009-07-01 02:54:48 | cinema
'09.06.24 『それでも恋するバルセロナ』(試写会)@ユナイテッドシネマ豊洲

これ見たかった! yaplogで当選。いつもありがとうございます。今回はららぽーと豊洲内にあるユナイテッドシネマ豊洲での試写会。稼動しているシネコンなので設備が充実。音響もいいし座席も見やすい。しかも今回の会場、シアター4には2人掛けのプレミアシートが2席あって、けっこうギリギリだったのに1席空いていた! 広々して足伸ばし放題。小さなテーブルもあるので飲み物なんかも置けて快適。

「バルセロナにバカンスにやってきたヴィッキーとクリスティーナは親友どうし。真面目で保守的なヴィキーと、情熱的で奔放なクリスティーナは、画家のファン・アントニオに惹かれる。婚約者のいるヴィッキーは躊躇し、クリスティーナは突き進む。そこへファン・アントニオの元妻マリア・エレーナが現れる・・・」という話。おもしろかった! けっこう毒のあるオシャレ映画。ウッディ・アレン監督の作品は実はそんなに見ていない。正直に言うと"オシャレ映画"って感じがちょっと食わず嫌いだったところもある。見てみたいと思ったのは、最近アレン作品の常連といった感じのスカーレット・ヨハンソンと、この作品の演技でアカデミー助演女優賞を受賞したペネロペ・クルスの競演が見たかったから。ファン・アントニオがハビエル・バルデムなのも理由の1つ。

ヴィッキーとクリスティーナがバルセロナに到着し、タクシーで市内へ向かうシーンから始まる。2人のこれから始まるバカンスへの期待感が、見ている側の映画への期待感と重なってワクワクする。そこにナレーションが入り2人の人となりを紹介していく。しかもわりと容赦ない感じ(笑) このオープニングは好き。2人は共に少なからず芸術的な活動をしていて、芸術に憧れを抱いている。保守的なヴィッキーはガウディーに関する論文を書き、奔放なクリスティーナは短編映画を撮影したものの、まだ自分のやりたい事が定まっていない様子。2人の年齢設定が何歳なのか不明だけど、流行のアラサーかと思われる。知人の家に間借りしてのバカンスのようだけど、美術界に顔が利くらしい知人宅がなんとも豪華。普段2人がどんな生活ぶりなのか知らないけれど、こんなバカンスで自分探しとは羨ましい限り(笑) そんなコチラの思いを代弁するかのようにナレーションが「異邦人気取りのクリスティーナ」などと辛口。ウッディ・アレン監督の目線はここなのかなと思ったりする。

2人が恋する相手はハビエル・バルデム扮する画家ファン・アントニオ。画家のパーティーで彼を見かけたクリスティーナは興味津々。セレブっぽい知人の女性は彼を見下している様子。彼女の態度から彼に対し警戒するヴィッキー。2人のこの反応が対照的で面白い。どちらに共感するかは人によってそれぞれ違うと思う。少し前の自分なら完全にヴィッキーだと思うけど、今ならクリスティーナの大胆さもないと"何か"は始まらないかもしれないと思ったりもする。そして2人はこんな感じのままファン・アントニオの強引なセクシーアプローチ(笑)を受けてオビエドへ向かうことに。

オビエドでヴィッキーとって大事件が起きる。まぁ、何が起きるのかって言われても1つしかないので、分かりきったことではあるし、口の上手い芸術家とオビエドの美しさに酔いしれたヴィッキーが、ああなることは不思議なことじゃない。問題は彼女の中でその出来事をどう処理するかっていうこと。それがこの映画を通してのヴィッキーのテーマ。保守的な彼女は安定を望み、そういう意味では理想の夫となりそうな男性と婚約した。着々と自分の道を歩んでいると思っているけれど、一見正反対のクリスティーナと親友であるということは、やっぱり自分にないものを持っている彼女に対する憧れがあるわけで、もちろんそれは逆もまた然り。そして、彼女にしては大冒険することになる。その事自体を大冒険と見るか、たいしたことないと思うかは、これもまたそれぞれかと思うけど、個人的にはまぁそんなに大冒険ではないかなと・・・(笑) でも、彼女がその思い出で頭が一杯になっちゃう気持ちは分かる。その出来事のおかげで自分の人生が色あせて見えることも理解できる。でも、彼女が恋だと思っているそれは、本当に恋だったのか・・・。いろいろなスペシャルに酔っただけのような気もする。でも、この場合は恋だと思っておいた方が幸せなんだと思う。だって結局、こんな大胆でロマンチックな恋をした私がスペシャルだったわけで、本当に好きなのはそこだし。

クリスティーナはオビエドで失敗。結果ヴィッキー大冒険をアシストしてしまうけれど、そんな事くらいではくじけない。バルセロナに戻ると早速ファン・アントニオの家に引っ越してしまう。2人はいつまで滞在する予定なんだろうとか、お金はどうなっているのかとかは考えちゃダメなんでしょう(笑) 思う存分恋愛を堪能している時、元妻マリア・エレーナが現れる。お金も行くあてもない彼女は同居することになる。芸術的才能があり激しくエキセントリックな性格のマリア・エレーナ。そんな人物じゃなくても元妻との同居なんてあり得ないと思うけど、意外なことに3人の生活は足りないピースがはまったかのように上手く行く。多分、自我の強いファン・アントニオとマリア・エレーナの過剰な感情とか感受性の受け皿がクリスティーナなんだと思う。クリスティーナは「望まないものはわかるけど、望むものはわからない」という女性。要するに"自分"がない。ヴィッキーのように「こうあるべき」がない分自由ではあるけれど、自分の中に確固たる何かがあって奔放なのとも違う。だからこそ自分の感情のままに恋にまい進できるんだと思う。恋してる時ってやっぱり楽しい。特に恋愛初期は一緒にいるだけで楽しくて、自分が相手にとって特別な存在なんだって事がうれしくて仕方がない。だから"自分"を持っていないと思っている彼女は恋愛に走るのかも。そこまで意識しているわけではないと思うけれど・・・。だけど彼女は自己主張をすることになる。多分、受け皿が一杯になったんだと思う。

ファン・アントニオのような人物によく映画の主人公達は惹かれているけれど、個人的には好みのタイプではない。多分それは自分の中の保守的な部分が「やめとけ!」って言ってるからだと思うけど(笑) 確かに気になる存在だと思う。それはすごく分かる。だから食事中にチラチラ見てしまうクリスティーナの気持ちは分かる。でも、いくら自信満々で遊び慣れた男だからといって、初対面でいきなり小旅行に誘い、その目的がセックスだと言われてついて行っちゃうのはどうなんだろう(笑) でも、結局彼も満たされない何かがあって、それを埋めるために女性と関係を持ってしまうのかなと思ったりする。元妻のマリア・エレーナが前にもアメリカ人の旅行客の女性と浮気をした事があると言っていたとおり、実際は誰かと人生を歩もうという気持ちはないのかも。1度結婚してるからポリシーというわけではないと思うし、本人も気付いていない気がするけれど・・・。要するに彼も自分探しをしているわけで、自信がないので誰かに認めて欲しくて、それには恋愛が手っ取り早いので、それに走るのかも。旅行客とそうなるのは深い関係にならずに済むからって気もする。だからヴィッキーじゃなくてクリスティーナを選んだんだと思う。ヴィッキーだとちゃんとしないといけないから。すごくズルイ! 彼の気持ちを分析して理解することはできても、認める気にはならない。芸術家ってそういう部分がないとダメなのかもしれないけど、それもステレオタイプ過ぎる気もするし、結局言い訳だよなと思ったりする。

この作品の中で1番感情移入しにくいのはマリア・エレーナだと思う。芸術に関する才能にあふれていて、絵も描くし、写真の才能もある、被写体としても素晴らしい。でも、その才能を持て余し、それがさらに自分の性格をもコントロールできずにいる感じ。最初に画面に現れた時にはヒステリックな女だと思ったけれど、この映画の登場人物の中で、実は誰よりも"自分"を持っている。そして自分が何者であるのか分かっている。でも、その"自分"を扱い兼ねている。才能とか感情って何らかの形で吐き出してこそ、誰かに理解されるわけで、その吐き出し方が独創的過ぎる彼女の作品は受入れられにくいのかもしれない。でも、クリスティーナに写真を教えたり、モデルになったりすることで、それを上手く表現できたのかもしれない。芸術家と言ったって、誰かが良いと思ってくれなければ自称芸術家なわけで、彼女の激しい性格やファン・アントニオのプレイボーイぶりの言い訳っていうか、分かりやすくするために芸術家にしているけれど、言いたい事は人はみな誰かに認めて欲しいんだってことなんじゃないかと思う。認めてもらうのは何も教えてもらう側だけじゃない。教える側だって、自分の言うことを吸収して上達してくれれば、それは自分を認めてもらえたことになるんじゃないだろうか。戻ってきたばかりの彼女は情緒不安定っぽかったけれど、クリスティーナに写真を手ほどきしている内に、落ち着いてきたのはそのためかもしれない。"自分"がないことで満たされないクリスティーナと、"自分"を持て余しているマリア・エレーナは正反対だからピタリとはまったのかも。

一見、ヴィッキーとクリスティーナの芸術家への憧れが、ファン・アントニオへの恋に形が変わって、彼もしくは彼との恋愛が自分を変えることになるんじゃないかと、すがったり戸惑ったりしている話の様に思えるけれど、芸術家側だって同じ。自分に憧れて受け入れてくれる者、刺激を与えてくれる何かを求めているんだと思う。"自分探し"というと何だか流行の甘えた若者とか、大人になりきれていない人物を思わせて、ありきたりな感じがするけれど、じゃあ"大人になりきれた人"ってどんな人なんだろう。人間なんて一生悩み続けるものなんじゃないのかな・・・。その事の例としてバカンス滞在先の知人女性のエピソードが出て来るんだと思う。そういう事を押し付けがましくなく、さらりとコミカルに見せるウッディ・アレンの演出は見事だと思う。本当にコミカルなものって実は切なかったり毒を持っていたりする。そして逆に、辛かったり苦しかったりする事をコミカルに見せることにより、心に染みる事もある。でも、それはすごく難しいんだと思う。

1番皮肉で良く考えるとコミカルなのは、マリア・エレーナがヴィッキーに発砲するシーン。これまで見てる側は旅先のありがちな恋愛物語にニヤリとしたり、ヴィッキーの現実と幻想に考えさせられたり、クリスティーナの男女3人の現実離れした恋愛体験を通しての、自分探しにビックリしたりしつつ、コミカルでテンポ良く進むストーリーと、バルセロナの街並みやガウディーの建築に魅了され、いつの間にか夢物語を一緒に楽しんでいたのに、あのシーンで一気に現実へ。そして皆現実へ戻ることになる。このシーンはおもしろい。

やっぱり役者がいいと見ごたえある。先日見たドラマ『刑事一代』でも感じたこと。本当に上手い演技って叫んだりして大芝居しているシーンじゃない。何気ない会話にその人物の人となりを感じさせることが上手い演技なんだと思う。『刑事一代』の渡辺謙が妻に言う「どっちが刑事か分からねぇつーんだよな(笑)」のセリフは素晴らしかった。2人の間に夫婦の年輪を感じた。全く話が反れましたが(笑) 恋愛に奔放なクリスティーナのスカーレット・ヨハンソンは相変わらず魅力的。女性から見ればクリスティーナは嫌いなタイプな気がする。自分の女性的魅力に自信があって、恋愛に生きるタイプ。自分が無くて、大した努力もしていないのに、自分には何か出来ると思っている。この辺りのことは何となく感じながら見ていたけど、それをヴィッキーの婚約者に言われると腹が立つ(笑) 恋愛に奔放なのは本能に対して素直だから、好きだと思ったら迷わない彼女を少し羨ましく思う。"自分"が無いのは逆に柔軟なんだとも言える。だからファン・アントニオとマリア・エレーナの受け皿になれたのかも。そう思えたのはスカーレット・ヨハンソンのおかげ。

ヴィッキーのレベッカ・ホールは初めて見たけど知的で女性らしい雰囲気のある女優さん。ヴィッキータイプが1番多いのかなと思う。保守的なばかりに、あんな俗物でつまらない男と結婚して幸せなのか? なんて思うけど結局彼女の選択は、彼女にとっては正しいんだと思う。そういう風に思わせる雰囲気が良かったと思う。彼女のさり気ないけど品のいい服装は好きだった。ハビエル・バルデムが女性3人に愛される役と聞き「うーん・・・」と思った(笑) 画家の役だと言うし、プレイボーイの芸術家というステレオタイプなんだろうなと思っていたら、まさにその通り。こんな人物は魅力的かもしれないけれど、絶対幸せになれないから止めとけと思うので、全然タイプじゃないし、見ていてイライラするのでむしろ嫌いな役どころ。でも、行くあてのない元妻を見捨てられなかったり、クリスティーナに気を使ってマリア・エレーナに英語で話せと注意したりと一応紳士(笑) そういう部分に説得力があるし嫌味でもない。こんな風に生きているけれど、彼は一体何を求めているのか。きっと満たされることは無いんだろうと思うと、かわいそうに思えてくる。それはハビエル・バルデムの演技によるもの。彼の言動の裏側に迷いとか怯えとかを感じていたからなんだと思う。

ペネロペ・クルス良かった。別にアカデミー賞を取ったからというわけではないけれど(笑) マリア・エレーナは登場する前からファン・アントニオやその父から語られ、激情的だけど魅力的な女性であるとハードルを上げられての登場。現れたのは行くあてのないボロボロの情緒不安定な女性。多分、4人の中で1番感情移入しにくい役どころ。一体何なのかと思っていると、キリキリしている中にポソッと本質的な事を言ったりする。その鋭さにドキリとしていると、クリスティーナとファン・アントニオとの3人が見事な調和を見せ初め、その中で最もキラキラ輝いて、誰よりも自信に満ちて楽しそうなのはマリア・エレーナだった。その演技がいい。そしてやっぱりペネロペは美しい。そしてエロくて魅力的。

現状に不満があるわけじゃないけれど、どことなく物足りなさや不安を感じることってある。きっとそういう気持ちがないと何も変わらないし、向上もしないから必要なんだとは思う。では恋をすれば変わるのかといえば、恋に夢中になっている間はキラキラして世界が変わったように感じるけれど、結局人はそんなに簡単に変わらない。そして人は突きつめると自分のことしか愛さないのかもしれない。芸術家2人はお互いを認め愛し合っていると思うけど、自我が強すぎてぶつかり合ってしまうし、ヴィッキーとクリスティーナも芸術に憧れ本物の芸術家と恋をしたけれど、これも結局そんな自分が好きなわけだし。もちろん本当に相手を好きなのは間違いないけど、やっぱり恋してる自分に酔ってる部分は絶対あると思う。そして、それは別に悪いことじゃないと思う。そういう自分に酔っているから、幸せを感じるのだろうし。パートナーを愛することも、子供を愛することも、相手のために愛するわけじゃない。自分が彼らを必要としているから愛しているんだと思うし。それはわがままでもエゴでもないんじゃないかと・・・。

恋愛で人の本質は変わらないかもしれない。でも、何も知らなかった元の人生には戻れない。それは別に恋に破れたからじゃないし、恋愛だけにいえることじゃない。恋に限らず良い事でも悪い事でも、望まなくても知ってしまったからには、知らなかった人生には戻れない。だったらそれを良い糧にするしかない。ラスト何かを失い、何かを悟ったような、それでいて結局変わっていないヴィッキーとクリスティーナを見て、そんな事を考えた。

なんて堅苦しく考えなくても、男女4人のコミカルでオシャレな恋愛モノとして見てもとっても楽しい。そしてバルセロナやオビエドの美しさが素敵。女性が歌う「バルセロナ」ってテーマソングがかわいらしくて好きだった。

チラシに3人の女性のタイプ別診断があった。チャート式で質問に答えていくと、予想に反してクリスティーナだった! 意外・・・


『それでも恋するバルセロナ』Official site

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