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【cinema】『NARA:奈良美智との旅の記録』

2007-03-25 02:04:55 | cinema
'07.03.20 Tと『NARA:奈良美智との旅の記録』@ライズX

独特な瞳をした少女の絵で有名な奈良美智のドキュメンタリー映画。NY、ロンドン、ソウル、バンコクなど海外を含め、生まれ故郷である弘前のレンガ倉庫を架空の街にするという「A to Z」というイベントまでをつづる。

奈良氏の作品との出会いはROCK好きの奈良氏が、私の大好きなバンドthee mchelle gun elephantの人形を作って展示したことを、彼らのofficial siteで知ったこと。睨むような強い目線の少女の絵が印象的だった。時には口に牙のようなものもあった(?) 少女の悪魔性(魔性ではない)を感じて、寂しいくせに人を寄せつけまいとする少女を思わせて気になっていた。最近そんな彼の作品を目にして、少女の目が変化していることに気づいた。以前のように睨むような瞳ではない。真っ直ぐに何かを問いかけるように、もしくは問いかけてくれるのを待っているかのようにコチラを見つめている。

ソウルでのイベントで「何故ああ描くのか?」との質問に、「ああなってしまうのであれが正しいんだと思う」と答えていた。正確な言葉は忘れてしまったけど、要するにそれが彼の絵なんだということ。上手く書けないな・・・ 奈良氏も「ちゃんとした絵も描けるんだよ」と語っていたけど、自己表現としての絵を描こうとすればああなるということ。ピカソにしても少年の頃いわゆる「ちゃんとした絵」を描いている。それも素晴らしい技量と才能で。デッサンや色の使い方など全てを正攻法でマスターして、独自の世界観に入っていったということ。芸術家っていうのはそれが何であっても、自分の中にある感性だったり感情だったりを込めて作品にしているはずで、その表現方法や感じ方の違いがあるからこそ芸術は楽しいのだと思う。彼の絵に惹きつけられるのは、それが奈良美智の感性であり感情であり伝えたいことの彼なりの表現だから。

「A to Z」というのは、それまで1人で活動してきた彼が、「街をつくりたい」というコンセプトで開催したクリエイティブ集団のgrafと共同イベント。映画は弘前でのオープニングイベントから始まっているので、何故誰かとコラボする気になったのかは不明。ただ、彼らと一緒に仕事することになり、延べ13,000におよぶボランティアの人々と交流したり、バンコクのコーディネーターの女性の心遣いに感動したりしたことは、彼の作品や作品作りの進め方に少なからず影響を与えたようだ。

海外メディアからの取材に答えて「自分のことを語るのは苦手なので自伝を書いた」と言っていたけど、なんだかとってもよく分かる。アトリエ兼自宅の倉庫も紹介されていたけど衣食住にこだわりのない人のようだ・・・。はしごのような階段を上がった先には家具などほとんどない。寝室も布団が敷いてあるだけ。そして階下のアトリエで納得のいくまでひたすら絵を描く。なんだかとっても良く知っていた人を思い出してしまった・・・。彼らは決して不誠実なのではない。奈良氏はインタビューにも朴訥とした口調で一生懸命答えようとしている。でも、確かに言葉で表現するのは苦手らしい。だから絵を描くのかもしれない・・・。

ソウルでのファンとの交流会で出会った少女の母親からの手紙には心打たれた。少女の寂しさや心の強さ、本質を見抜く能力に少し嫉妬・・・。

奈良氏の人柄や、芸術家としての孤独、そして人と関わることによって生じた変化、そして変わってしまったものは元には戻らないということもよく分かった。芸術家という言葉から感じる気難しさなどはないけれど、やっぱり踏み込めない何かも感じる。でも、そこには踏み込んではいけないのだろう。

良い映画だった。


『NARA:奈良美智との旅の記録』official site

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【cinema】『パフューム ある人殺しの物語』

2007-03-18 23:54:00 | cinema
'07.03.17 『パフューム ある人殺しの物語』@TOHOシネマズ錦糸町(olinas)

これ見たかった。「パリの魚市場で魚のはらわたの上に産み落とされたジャン・バティスト・グルヌイユは、人並み外れた嗅覚の持ち主だった。調香師になった彼は究極の香りを求めるあまり・・・」という話で、要するに変態の殺人者の話。全編ジョン・ハートのナレーションが入る。なのでペローやグリムのお伽話のような語り口になっている。そして多分それが狙い。「青髭」だって連続殺人鬼の話で、ホントのお伽話は結構怖かったりする。

そしてこれは欲望についての話。人間の3大欲「食欲」「睡眠欲」そして「性欲」。CMで流れて物議をかもした大勢の男女が絡み合うシーン。CGではなく750名の老若男女が実際に演じているらしいけど、要するに見せたかったのはこのシーンからラストまでなんだと思う。ネタバレになってしまうので詳しく書けないけど、極端に言えばこれは性欲の話で、歪んだ恋愛の話なんだと思う。

パリの街で出会った赤毛の少女の香りに魅せられて、究極の香りを作り出し保存することのみに執着する人生。だけど結局香りに魅了されたということは彼女に欲情したということ。3大欲は動物にだってあるわけで、人間だけが芸術や香りなど美的なものに感動して心を満たすことができる。それも「欲」。グルヌイユはある日、自分に全く体臭がないことに気付き(このシーン滑稽でもあり切なくもある(涙))自分の存在証明を残したいと思う。それも「欲」。欲がなければ生きていけないし、生きていてる意味がないので、必要なものではあるんだけど・・・。

グルヌイユは人並みはずれた嗅覚と美しい香りを作り出す才能を与えられたのに、使い方を知らなかった。生い立ちに原因があるとは思う。でも、ある部分だけが突出していて、他のすべてが全く欠けているというのは結局、言い方は悪いけど異常者なのでしょう。そんな異常者で天才調香師の作り出す究極の香り・・・。 倫理的に考えればグルヌイユの行為を許すことは出来ないし、共感なんてもちろん出来ない。特に可憐で美しいローラが狙われているのを知れば憎さ倍増のはずなんだけど、お伽話的な語り口と映像のおかげで現実味がないせいか、何故かグルヌイユの野望の達成を見届たい気になってくる。究極の香りをかいでみたい気がしてくる。もちろん実際にあんな製法で作られてたらかぎたくなんてないけど!

グルヌイユ役のベン・ウィショーは良かった。異常な男の異常な人生を少し滑稽で、何故か少しかわいらしく感じるほどに好(?)演。でもグルヌイユに愛情は感じない。その辺りも絶妙。何故なら誰からも愛されなかった男の話だから。グルヌイユに調香技術を教えるパリの調香師役のダスティン・ホフマンが大仰な芝居でいい。白塗りで老いて才能の枯渇した感じを滑稽に演じていた。彼の最期もブラックでいい。ヒロインのローラ役レイチェル・ハード=ウッドが可憐で美しい。品もあって危うい感じなのも合っている。アラン・リックマンも良かった。太ったけど・・・。パリで出会った赤毛の少女も印象的。グルヌイユは幼い頃から香りや匂いに執着していたけど、青年になった彼が彼女の香りに魅せられたのは、彼女に欲情したのであり、歪んではいたけど恋だったわけだから、それが全ての発端なわけで彼女が魅力的であることはとても重要。

そして自分が本当に執着していたのが何だったのかに気づいた時、彼はある決意をする。その気づきのシーンが例のあのシーン。なので映画の中で見ればいやらしくはない。このラストも衝撃的だけどお伽的で良かった。監督は香りを映像で表現したと言っていたけど、香りにうっとりするような感じはよく伝わった。バラの花にしてもパリのバラとグラースのバラでは香りが違う感じもする。パリの魚市場の、香水店のむせ返るような、フランスの田舎の草木の匂い、そして2人の赤毛の少女のかぐわしい香り。映像も美しい。時にCGをアニメの様に使ったりして面白い。ローラとパリの少女の青いドレスと白い肌に赤毛が本当に美しい。

そしてサー・サイモン・ラトル&ベルリンフィルの演奏が切なく美しい。

好きか嫌いかと言われると微妙ではあるけど、お伽的というか作り物としての「映画」としては面白いと思う。もう一度見たいかというのも微妙。でも一輪のバラを手に青いガウン姿で窓辺に立つローラの映像をまた見たいと思ったりもする。フェルメールの「真珠の耳飾の少女」とか、そういう絵画のような美しさだった。上手く言えないけどそういう映画。


『パフューム』official site

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【cinema】『ドリームガールズ』

2007-03-10 01:41:11 | cinema
'07.03.07 Mッスと『ドリームガールズ』@日劇PLEX

大ヒットしたブロードウェイ・ミュージカルの映画化。「仲良しのディーナ、エフィー、ローレルは歌手デビューすることを夢見てオーディションを受け、スター歌手ジミー・アーリーのバックコーラスになるチャンスを掴む。やがて3人はスターになるが・・・」という話。元々はダイアナ・ロス&シュープリームスをモデルにしているのでとてもリアル。シュープリームスについてはよく知らないのでどこまで本当なのかは謎だけど・・・。ダイアナ・ロス云々ということを除いても、ショービジネス界での成功物語としてはありがちではある。仲間同士の軋轢とか、やりたい音楽とやらせてもらえる音楽(売れる音楽)との違い、恋愛感情のもつれ、スターである自分と本当の自分のギャップ、自分個人として愛されない辛さなど・・・。散々見てきた感はある。パクリとかワンパターンというつもりは全くない。誰かのサクセスストーリーを描こうとすれば、多少の違いはあっても同じ軌道を辿るということなのでしょう。そして振り幅の違いはあると思うけど、別に芸能界に生きていなくても、フツーのOLにも思い当たる悩みでもあったりする。そういう意味では普遍的なテーマと言えるのかもしれない。

まだあからさまな黒人差別があった時代。黒人のレコードは黒人局という特定の局でしか流せなかった。そこでヒットすれば白人達が平気でパクる! そんな中3人がスターになっていく前半はすごく楽しい。ミュージカル特有の展開の速さも逆に勢いになっている。あきらかにジャクソンファイブと思われるグループが出てきたりして楽しい。アルバムのジャケットだったと思うけどミュシャの絵をモチーフにしてて面白かった。

ビヨンセきれい。もちろん顔もそうだけど体のラインの美しさといったら・・・。マーメードラインのドレスがすごく似合う。もちろんメイクや衣装の力もあると思うけど、田舎娘から大スターになるにしたがって、どんどん垢抜けて美しくなっていくのは見事。

ジェイミー・フォックスとエディー・マーフィーも良かったけど、2人の髪型が気になって演技に集中できない(笑) なんだろう初期のあの髪型・・・。そんなに無理やり横分けにしなくても・・・。はやっていたのだろうか? ジェイミー・フォックスは成功のために手段を選ばない男を演じていたけど、ちょっと中途半端だったかなぁ・・・。非情になりきれていない感じがしたCCとエフィーの再起を賭けた曲を横取りするところとか、いまひとつ嫌なヤツ感が薄い気がした。かつて自分達がやられたことを平気でやってのける皮肉さがイマヒトツ伝わらない・・・。ローレル役のアニカ・ノニ・ローズは全く無視されている形だけど彼女も良かったと思う。CCがかわいらしかった。つぶらな瞳で。

アカデミー賞助演女優賞を受賞したエフィー役ジェニファー・ハドソンは、最初は声を限りに歌い上げてばかりで正直そんなにいいかなと思っていた。ただ、自己愛が強く、容姿にコンプレックスがあるため、歌の上手さを過剰にアピールする傾向にあるエフィーを表現するには、力まかせに歌い上げる感じは有効。ちょっとネタバレになるけど、ディーナに嫉妬して仕事を放棄した彼女が皆から糾弾されて、愛した男からも突き放された時「私は離れない」と見苦しいほど叫び歌い上げるシーンは、すごいというより他のメンバー同様ややうんざりした。でも、ここでみじめにこちらをうんざりさせるくらいわめき立てたからこそ、後の「ワンナイト・オンリー」が生きてくる。

この「ワンナイト・オンリー」が素晴らしい。声を張り上げ自己主張するしか知らなかったエフィーが、どん底に堕ちて痛みを知り、人を許し受け入れることを知った後のこの歌はホントに素晴らしくて涙が出た。エフィーが人として成長したことがよく分かる。それだけに直後のディーナバージョンに凌駕されたその虚しさが良く伝わる。そしてディーナバージョンも演出、衣装、メイク、ビヨンセの歌が良くて圧倒的。こつこつ作った砂山をブルドーザーで一瞬にして踏み潰されたみたいな(笑) はぁ・・・という感じ。どっちが好きかは好みの問題。ビジネスとしてやっていれば売れるものを作らなきゃならないのは当たり前のこと。でも、それだけじゃ・・・。売れてるだけの音楽が好きな人もいるし、自分の好みの音楽を追求して聴きたい人もいる。どっちを選ぶかは本人次第。

ショービズ界の裏側を垣間見れたし、人種差別についてもよく分かる。単純にミュージカルとしても楽しい。舞台版の演出をしたのはマイケル・ベネット。『コーラスライン』の演出でも有名。1987年エイズでこの世を去った彼に献辞がしてあったのに感動


『ドリームガールズ』Official site

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【cinema / DVD】『プルートで朝食を』

2007-03-10 01:22:28 | cinema / DVD
これも気になっていたのに見逃した作品。こう考えるといろいろ見逃しているな・・・。

「アイルランドの田舎町。司祭館の前に置き去りにされたパトリックは女装の好きな少年に成長。その個性と感性を持て余し、高校では問題ばかり起こしている。ある日、里親とケンカして家を飛び出し実の母親を探しにロンドンへ向かうが・・・」という話。公開時期が近かったのでアイルランド版『嫌われ松子』と言われていたけど確かに見せ方が似ている。親に捨てられ性同一性障害、エキセントリックな性格で社会から浮きがち。この人生をそのまま見せられても面白くはないかも・・・。普通(?)の人生ではないけど『松子』同様、シリアスに見せられるほど教訓になる人生でもない。「人生なんて物語だと思わないと辛すぎる」という言葉どおり、人生の節目ごとに章に分けて話が進む。映画のタイトルをもじった章もあったりしてこれも楽しい。各エピソードは決して楽しい話ではなく重かったりするのだけど、コメディータッチの軽い語り口で語られるので見ていて辛くない。

『松子』と共通するのはその見せ方もそうだけど、レトロな色彩感もそう。'60~70年代が舞台となっているのでパトリックの服装はとってもサイケ。フラワーシャツに黄緑色のベルボ。しかもハイウェスト。髪もカーリーですっごくかわいい。自分で着るのはムリだけど、見てる分には大好き。制服もズボンをベルボにしたり襟にボタンやバッチをたくさんつけたりしてアレンジしてあってかわいい。とにかくポップで原色もしくは蛍光色って感じでかわいい。音楽も当時のポップチューンやグラムロックなどで楽しい。グラムロックは特に好きではないけど・・・。

両親の愛を知らずに育ったのでいつでも誰かの愛を求めている。キリアン・マーフィーは『28日後・・・』では特になんとも思わなかったけど、複雑なパトリックの心情をよく表現していたと思う。わりと個性的な顔立ちなので男性としてはグッとこなかったけど女装は妖艶(笑) しかも繊細で傷つきやすい自分を守るために、わざとふざけてしまう感じを好演していた。この辺りはやり過ぎるとあざとくなるし、表現不足では伝わらないので絶妙だったと思う。最初の恋人に裏切られたと気づいたとき「キスも口先だけだって知ってた」と一人つぶやく時の表情なんかは愛おしくなったりした。女友達目線でだけど。

リーアム・ニーソンがいい。ネタバレになってしまうかもしれないけど、赤ちゃんだったパトリックを置き去りにされた時の当惑から、実の息子として愛していることを自覚し、普通とは違う彼を受け入れるまでの葛藤がいい。正直、親としてちょっとひどいぞと思うところもあるけど、立場的にもなかなか難しかった部分がある上に、あまりに個性的な息子を受け入れるにはいい人だけど小心者であったという感じまで、あの親子の対面シーンで表現されていて良い。この親子の対面がとても良い。きらびやかに着飾ったパトリックと、戸惑いながらも「息子を愛している」と告げる父との対面は、その後に続く母親との対面が切ないだけに良かった。しかし、母親とはあんなものだろうか? いくら予期せぬ姿で現れたとはいえ、あからさまな拒絶よりも切なかった。映画としてはあれで良かったと思うけれども・・・。

マジシャンで2番目の恋人スティーブン・レイも良かった。なんだろうあの無表情(笑) そしてグラムロックの代表ともいえるROXY MUSICのブライアン・フェリーが意外(?)な役で出演。彼はたしかゲイなので意外ではないけど、ちと衝撃的なことになっててニヤリ。

IRA紛争など時代背景的にも深刻な問題を扱いながらも、軽い場面と交互に見せられるので辛くなく、だからこそズシリとくる感じでいい。とにかく画がよかった。暗いところは暗い画でポップな色使いのところはあくまでポップ。そして司祭館の周りはとってものどかで緑が美しく駒鳥が飛びお伽的。面白かった。


『プルートで朝食を』Official site

コメント (2)
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【cinema / DVD】『白バラの祈り ゾフィー・ショル最期の日々』

2007-03-04 03:19:12 | cinema / DVD
この映画は知らなかった。半額レンタルなので何本かまとめて借りようと物色していて手に取った。「第二次世界大戦中のミュンヘンで大学に通うゾフィーは、兄のハンスや数人の仲間と反ナチ活動をする”白バラ”に加わっていた・・・」という、これは実話。ゾフィーは当時21歳の学生でメンバー中ただ1人の女性。逮捕からたった5日で処刑され、ゲーテやベートーベンとならんで「ヴァルハラ(この名前ワーグナーの「ニーベルングの指輪」にも出てくる)という偉人の殿堂に女性で唯一名を刻まれている。これ本当によかった。特にゾフィーを演じたユリア・イェンチが素晴らしかった。

連合軍が参戦して戦況は悪化していた。ドイツ軍はスターリングラードで大打撃を受けていた。この辺りのことは『スターリングラード』で見ていて、この痛手が結局ドイツを敗戦に導いたことも知っていた。日本でも同じだったと思うけど、軍部や政府は都合の悪い事は隠そうとする。でも大抵国民は知っているものだ。でも、みんな怖いし自分が大事だから黙っているだけ。もちろん知らずにいたり、そんなはずはないと信じている人もいるのも事実。取調官モーアのように・・・。

知ってしまった事実や、持ってしまった信念を心にしまっておくのは苦しい。行動を起こす勇気はすごいと思うけど、自分の中に湧き上がった感情に突き動かされて外に向けてはきだしてしまった方が楽なのかもしれない・・・。楽っていうのは変な言い方になるけど、一度出してしまえば、そこに向かって突き進めばいいので精神的にはいいのかもしれない。上手く言えないけど・・・。しかも仲間がいたし、彼女達には「世界を変えられる」と信じられる若さと純粋さもあった。

実際の”白バラ”についてはよく知らないので、映画のとおりだとしたらゲシュタポの監視が厳しい中、ビラ撒きなどという危険な活動をしている割には家に証拠を残すなど甘い面もある。実際の2人も映画同様仲間の名前は決して明かさなかったそうだけど、結局6人が逮捕され処刑されていることを考えれば、ゲシュタポの捜査能力もさることながら彼らの甘さもあったのかもしれない。人のすることに完璧や絶対はないけど・・・。

冒頭、ゾフィーが友人とジャズを聴きながらはしゃぐ姿から始まり、隠れ家での地下活動から大学でのビラ撒き、そして逮捕まで一気に見せる。ここまでの流れが美しい。そして逮捕後のモーア取調官とのやり取りが素晴らしい。特にお互いの信念をぶつけ合うシーンがスゴイ! モーアにとってナチスは正義でゾフィーにとっては悪。ユダヤ人殺戮もモーアは認めない。認めてはならない事実だから。取調べは決して優しいものではなかったけれどモーアは悪い人ではないのが分かる。モーア役のアレクサンダー・ヘルトが素晴らしい。そう思えるのは彼の演技によるところが大きいと思う。悪い人ではないし、当時彼はそう信じていたのだろうし、そう信じていた方が楽だったのだろう・・・。それに見ている私達はナチスの残虐行為を知っているし、第三帝国の崩壊もドイツの敗戦も知っている。だからモーアが間違っていることが分かるけど、当時自分がその中にいたらモーア側にいる可能性もあるのだ。だからこそ21歳の若さで真実をきちんと見抜き信念を貫いたゾフィー達は素晴らしいと思う。

通常49日かける裁判をたった1日で終わらせている。この裁判が全くの茶番! 弁護士がいるのも形だけ弁護する気はない。元共産党員であった事実を払拭したい判事が叫びまくる姿は滑稽ですらある。こいつはモーアとは逆に全て分かっていながら彼らを断罪する。最悪だ・・・。そんな中毅然として自分の考えを述べるゾフィーとハンス。傍聴人の中には何かがよぎっている人達もいるようだ・・・。こういう人達の心を動かしていくのは正に草の根運動でその歩みは遅い。

最期まで毅然としていたゾフィーが始めて死を意識した瞬間に叫ぶシーンは痛い。ラストの太陽の輝きが悲しい。こんな戦争のさなか、こんな正義が葬り去られるその時にも太陽は輝き新しい命を育む・・・。「太陽はまだ輝いている」と希望を持って最期の時を迎えるゾフィーが悲しくも美しい。

取調べ中に同室だった女性もよかった。2人のまるで親子のような会話が悲しい。モーアも同室の女性も、刑務官の女性もゾフィーに情けをかけるのは、ゾフィーの純粋さと若さと、悲しいくらい真っ直ぐな正しさに心打たれたからだろう。

すべてをまるでドキュメンタリーのように撮っていて、雄弁すぎないのがいい。大学の3階からビラが舞い落ちるシーンと、ラストの連合軍の撒いたビラの映像が呼応していて良い。連合軍のビラには「ミュンヘンの学生による」と記載されており、白バラ通信6号だったのだそう。彼らの信念が勝った瞬間だ。

いろいろ考えさせられた。大人になると真っ直ぐなだけでは生きられなくなっていくので・・・。悲しいけどいい映画だった。

*「白バラは散らず」インゲ・ショル(兄妹の姉)著 読んでみたい。


『白バラの祈り』Official site

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【cinema / DVD】『リバティーン』

2007-03-01 23:57:17 | cinema / DVD
これも見るつもりだったのに行けなかったのでDVD鑑賞。大好きなジョニー・デップが最初の3行を読んで出演を決めたという映画。映画のイメージとしてはこんな色・・・。

「17世紀イギリス。国王の寵愛を受ける天才詩人ロチェスター卿の破天荒な人生と愛を描く」というもの。冒頭、真っ暗な中白いブラウス姿のロチェスターが語りかけてくる。「どうか私を好きにならないでくれ」これが全てを物語っている。ロチェスター卿は実在した人物らしい。放蕩詩人とか吟遊詩人という職業(?)は良く知らない。王の前で卑猥な詩を吟じたことで謹慎中のロチェスター卿をロンドンへ呼び戻すところから始まる。このことからも分かるようにロチェスターは良い男ではない。女たらしで酒におぼれ芝居に興じ、王すら見下した態度で放蕩の限りをつくす。彼の才能を利用して、まだヨーロッパ内で力の弱かったイギリスの、というか自身の地位を守ろうとする王にも迎合しない。俗物である王に媚びへつらわないヒーローに描こうと思えば放蕩してても魅力的になるはず。でもそうではない。魅力的だけどどこか居心地が悪い・・・。楽しそうではないし、楽そうでもない。

悪い男というのはある意味魅力的。誰でも権力に反発したい気持ちはあるし、自由奔放に振舞いたいと思うと思う。でも、なかなかできない。だから誰かがやってくれたら愉快だったりするかも・・・。でも、そういう映画でもない。ヒーロー映画ではないから。大好きなジョニー・デップが演じているにもかかわらずロチェスターを好きにはなれなかった。でも、それこそ冒頭で彼自身が望んでいたこと。だとしたら悪の魅力を放ちつつも、好かれないように演じたジョニー・デップは素晴らしい。

ある日ロチェスターは1人の女優の才能に目を留める。彼女に芝居の稽古をつけ一流の女優にすることに情熱を傾ける。この女優リジーとの出会いと愛、そして別れが彼を破滅へと追い込むことになる。この女優を演じたサマンサ・モートンは好きな女優。自分の才能を信じる野心家で、最後には自分を貫く女性を好演していた。その潔さは見事で、よくあるこのタイプの男が真実の愛に目覚めた時、あっさり捨てる身勝手女にはなっていない。だから陳腐な映画にならなかったのだと思う。その潔さが堕ちて行く男との対比を浮かび上がらせている。

梅毒にかかり美しかった顔も膿みただれ、体も醜くゆがんだロチェスターを、それでも愛し献身的に尽くす妻エリザベスのロザムンド・パイクも美しく可憐。18歳でロチェスターに誘拐されて妻になった少女が、嫉妬や怒りや悲しみを知り、すべてを呑み込んで母のように彼を包み込む女性になった。彼女達がそれぞれ方向は違うけど、1人の女性として成熟し自立したのだとしたら、その資質をどんな形にせよ引き出したロチェスターはやはりただ者ではないのでしょう。その資質を見出したことがすでに彼の”美意識”を現しているということか・・・。なるほど(笑)

決して見ていて気持ちのいい映画ではない。自由奔放に振舞っている姿もどこか痛々しく、王や政府を強烈に皮肉る卑猥な芝居もやりすぎで、彼はあふれる才能を持て余し、自分の感情や性格を扱いかねているように思う。芝居に激怒した王に向かって「こうしか生きられない」と言い放ったのが本心か・・・。病をおして醜い姿を晒し大演説をする姿は圧巻だけど、死に向かう滅びの姿が実は一番美しく愛おしかった。

国王役のジョン・マルコビッチも相変わらず上手い。実は舞台でロチェスターを演じた彼が希望したことにより映画化されたのだそう。ロンドンの下町の薄汚さや、ロチェスターの田舎の邸宅の感じなんかは映画ならではの映像だけど、なんだかとっても演劇を見てる感じがしたのは元が舞台演劇だったからなのか・・・。

マルコビッチのロチェスターもいいかもしれないけど、滅びの美しさはジョニー・デップの方が絶対いいと思う!


『リバティーン』Offical site

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