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【cinema】『英国王のスピーチ』(試写会)

2011-02-24 00:58:27 | cinema
'11.02.16 『英国王のスピーチ』(試写会)@よみうりホール

yaplog!で当選! いつもありがとうございます。これは見たかった!

*ネタバレありです! そして熱弁(笑)

「ヨーク公アルバート(通称バーティー)は、吃音に悩んでいた。高名な医者にかかっても効果はなし。エリザベス妃自ら訪ねて依頼したのは、ユニークな治療をするオーストラリア人ライオネル・ローグ。治療が少しずつ効果を見せはじめた頃、父王が崩御。跡を継いだ兄エドワード8世は、シンプソン夫人との結婚を選び、退位してしまう。王となったバーティーは絶対に失敗できないスピーチをすることになるが…」という話。これはおもしろかった。時代の大きな流れと、バーティー個人の流れを上手く絡めてあって、よくよく考えると結構重い内容なのに、時にコミカルにサラリと描いているため、重くなり過ぎず、じんわり感動できた。

一言で言えば英国王がスピーチする話(笑)でも、主人公は吃音でスピーチが容易ではない。では治しましょうということで、吃音になってしまう原因を探る。その過程でライオネルと信頼関係を築き、妻の愛情に支えられて克服していくという展開は、王道ストーリーではあるけれど安定感がある。一方で第二次世界大戦開戦など、歴史的な背景も描いている。実際のジョージ6世の奮闘は続くけど、この映画ではイギリスがドイツに宣戦布告し、バーティーが国民の士気を高めるべくスピーチに挑むところまでを描く。この構成は良かったと思う。サラリと多くを語らず描いているけど、戦争という異常な状況の中で、人々が心のよりどころを求めるのは当然。その象徴として王の存在は大きいと思うけど、実際そちら側になるのは大変なことなんだということが、欠点も悩みも弱さも持つ人間としてのバーティーの姿を通して、すんなり自然に理解できた。

冒頭、父ジョージ5世の名代として、スピーチをするところから始まる。見ている側は、彼が吃音であることは知っているけど、これはかなり重症。話そうとすればするほど、声が出てこない。マイクからは沈黙ではなく、彼の喉や口が声にならない音を発するのを無情にも流す。これは周りもいたたまれない… 後に、ライオネルがラジオでこのスピーチを一緒に聞いていた息子が「彼を助けてあげて」と言ったと語るシーンがあるけど、まさにそんな気持ち。ライオネルの診察室を初めて訪ねた日、迎えたのは彼の患者で、以前は全く話せなかった吃音の少年。ライオネルによると、生れつき吃音の人はいないとのこと。その証拠にと、バーティーにヘッドフォンをして、大音量で音楽を流し、シェイクスピアを朗読させ録音する。癇癪持ちのバーティーは聞きもせず怒って帰ってしまうけど、後日このレコードを聞くと、淀みなく朗読する自分の声が流れて来る。この辺りはベタだけど上手い。

再びライオネルの元に通い始めるバーティー。予告編でも流れているけど、顎を柔らかくするため、首を振ってみたり、床を転がってみたりとコミカルな治療法がモンタージュ形式で紹介されて楽しい。でも、この治療法はあくまで表面的なもの。根本的な解決は吃音になった原因を探ること。それは、父であるジョージ5世の厳しい躾と、華やかで社交的な兄を可愛がる乳母に、虐待されたことによるものであることが分かる。ライオネルが対等関係でないと治療はできないからと、何度"殿下"と呼ぶよう怒られてもバーティーと呼び続けたのは、なるほどコレを引き出すためだったのだと納得。

バーティーが吃音であることや、王になるきっかけ「王冠を賭けた恋」は知っていたけど、その他、特にトラウマ部分は本当なのか気になったので、毎度のWikipediaで調べてみた(笑) ジョージ6世ことアルバート・フレデリック・アーサー・ジョージ・ウィンザーは1895年12月14日生まれ。アルバートとはヴィクトリア女王の夫君アルバート公にちなんで名付けられた。言葉が遅く6~7歳までまともに話せなかった。父王ジョージ5世は吃音と、右利きへの矯正、X脚の矯正を厳しく行った。大変辛い矯正だった上に、兄エドワードから執拗にからかわれた。乳母の虐待も事実らしい。生来病弱であったこともあり、なるべく公の場に出たくないと考えていたらしい。3度のプロポーズでストラスモア伯爵家のエリザベス・バウェス=ライオンと結婚。おおらかで優雅な彼女は国民に人気があり、それはヨーク公(バーティー)の人気ともなった。子供は現女王エリザベス2世とマーガレット王女。父王崩御により、兄エドワードが即位するが、離婚歴のあるアメリカ人ウォリス・シンプソンとの不倫が問題となり、彼女との結婚を選び退位してしまったのが"王冠を賭けた恋"。これにより、次男ヨーク公アルバートがジョージ6世として即位することになる。王になりたくないと母皇太后の前で号泣したとか、ルイス・マウントバットテンに愚痴をこぼしたと言われている。左足が不自由で病弱な彼に重責を負わせたとして、エリザベス王妃は生涯ウィンザー公(エドワード8世)夫妻を許さなかった。第二次大戦中には疎開せず、国民の精神的な支えとなった。"善良王"と呼ばれる。1952年2月6日崩御。花輪を贈ったチャーチルは「勇者へ」と言葉を添えたとのこと。

長々書いてしまったけど、映画はほぼ真実なんだね。庶民なので、王になりたい人の気持ちは全く分からないけど、王になりたくない気持ちはよく分かる(笑) トラウマや吃音から自分に自信が持てないことは置いておいても、こんな重責は負いたくない。その辺りは、決して多弁ではないのに、欠点もある普通の人として描いた脚本と、俳優達の絶妙な演技のおかげで、雲の上の人ではなく身近な人の悩みとして感じることができる。

登場人物達の性格や人となりが分かりやすい。バーティーの物語だから、彼の吃音の原因に少なからず関係している兄エドワード8世については、ちょっと誇張している部分はあると思うけれど、シンプソン夫人に夢中になってハシャギまくり、バーティーに諭されてキレ、吃ってしまうバーティーをからかったり、危篤の父王そっちのけでウォリスに電話、そのわり父が亡くなり王になった途端、人目も憚らず母にすがって号泣する姿は、嫌な人というより大人になりきれていない人という印象。ただ、陽気で華やかな人で、その無邪気ささえ魅力である気はするので、内向的なバーティーがコンプレックス感じるのは分かる。実際のエドワード8世がどんな人だったかは知らないけれど、不倫であっても恋に落ちることは止められないし、そのために王位を捨てたとしても、人としての幸せを貫いたとも言える。その選択は、彼の側から描けば素敵な決断なのかもしれない。でも、公人中の公人である王が、職務を投げ出してしまうのは、無責任と言われてもしかたがない。どちらが正しいかという判断は、なかなか難しいところではあるけれど…

バーティーは内向的で癇癪持ちではあるけれど、兄よりも"常識的"に描かれている。後に"善良王"と呼ばれる彼は、誠実であるけれど、スーパーヒーローではない。でも、きっと明るく華やかだけれど、軽率な王に捨てられ、ドイツとの戦争しなくてはならない国民は、不器用だけど懸命に王になろうとするバーティーに、親しみを感じ、彼を助けたいと思ったのかも。映画を見ている分には、欠点である癇癪持ちも、時々見せる横柄な態度すら、人間的に見えて重責に立ち向かう姿を応援したくなる。人間は誰でも欠点があるし、いい面もある。ある側面だけ見れば欠点が目立つし、逆に親しみやすさになったりもする。欠点だけ見て嫌いになられても、仕方がないのかも。人は見たいものしか見ないし、自分の全てを上手く表現できているとは限らない。その辺りはバーティーとエドワードを対比することで、きちんと伝わってきた。

ライオネルは売れないシェイクスピア俳優。医師の資格はない。劇中で彼が語っているとおり、きちんと勉強したのだろうし、吃音がトラウマやストレスが原因なのであれば、それを取り除かなければならないわけで、その方法は人それぞれ合う合わないがあるんだと思う。バーティーには弱さをさらけ出し、自信を持たせてくれる友人が必要だったんだと思う。妻の支えだけでなく、第三者の力が必要だったんだろう。心配した父王も治そうと懸命だけど、原因が父なのだから直るはずもないし… ライオネルは治療のためとはいえ対等に接した。治したいというより、力になりたかったのかも。先日見たシネ通のジェフリー・ラッシュのインタビューによると、ライオネルはバーティーの治療の記録を詳細に残しており、劇中の2人の会話は、そのまま使われているそう。どこまでが本物なのか不明だけど、ライオネルの言葉には誠実さが感じられる。彼がバーティーに「立派な王になれる」と言うのは、単純な励ましではなく、確信が込められていて、王になって欲しいという思いが伝わってきた。それは、単純に友達だからでなく、自身(=国民)が立派な王を求めているんだと思わせる。多弁ではないけれど画から、人々の不安が伝わってきた。そして、やっぱりジェフリー・ラッシュの演技によるもの。彼が演じることによって、初めは胡散臭く感じるのもいい。何となくいつもジェフリー・ラッシュが出てくると、適か味方か?という目で見てしまう(笑) それも名優だからだと思う。褒めてます!

自信があろうとなかろうと、なりたかろうがなかろうが、バーティーが王になるしかないわけで、それは自分も分かっている。ならばと書類に目を通しても、不安な気持ちがこみあげてしまう。そんな時、優しく寄り添うエリザベス妃。実際は不明だけど、映画では友達らしき人物は出てこない。それが、家族とライオネルが心の支えとなっていることを際立たせている。エリザベス妃はバーティーを励ますけれど、追い立てない。吃音をなんとかしようと、あまり上品な地域と言えないライオネルの診療所に自ら出向く。このエピソードが本当なのか不明だけど、ライオネルに自ら交渉する。医師でもないオーストラリア人のライオネルに対して偏見はない。敬意も払っているけれど、自分の品位は落さない。このヘレナ・ボナム=カーターの演技は見事! 祖父か曾祖父が英国首相という上流階級の出身だそうだけど、夫を立てつつ、身分の高い人物としての振る舞いが素晴らしい。

映画のクライマックスを戴冠式ではなく、ドイツへの宣戦布告に際し、国民を励まし鼓舞するための9分間のスピーチ・シーンとなっている。なるほど、王になるということは、豪華絢爛な戴冠式で王冠を戴くことではなく、国民のために生きるということなのだと納得。だいぶよくなっているとはいえ、何度か登場するスピーチは1度も成功していないので、見ている側も、ラジオの前の英国民同様、心配になる。バーティーがライオネルと2人で、極度の緊張の中、危なっかしい部分もありながら、無事にスピーチをやり遂げるシーンは感動。彼が苦手なスピーチを克服したことは、そのままま国民への思いとなって、ラジオの前の人々だけではなく、見ている側にも伝わってくる。とにかく、バーティーを演じたコリン・ファースが素晴らしい! 癇癪を起こしている時ですら、彼を嫌だとは思わない。吃ってスピーチができなかった時もイライラしたり、失望したりしない。ガッカリするけれど、それは彼の絶望的な気持ちが分かるから。彼のためにガッカリしてしまう。そして、彼がこのハンディキャップを抱えつつ、王という責務をこなしているからこそ、国民も見ている側も頑張ろうと思える。世界一とも言える高い身分に就いた、複雑な内面を持ちつつ、誠実で人間らしい人物。泣きじゃくっても、品位は落としていない。素晴らしい!

キャストについては、さんざん語って来たので、これ以上語ることはない(笑) 実在の人物達なので、一応本人に似ている人をキャスティングしたのかな… シンプソン夫人とか似てた気がする。主役3人以外のキャストもマイケル・ガンボン、ガイ・ピアースなど見応えあり。少ししか出ないけどローグ夫人のジェニファー・イーリーは、旧『スパイダーマン』シリーズのメイおばさん役ローズマリー・ハリスの娘さんとのこと。

第二次大戦の頃なので、そんなに大昔ではないけど、一応コスチューム・プレイ。エリザベス妃のドレスが主張し過ぎず素敵。ほとんどがライオネルの診察室なので、宮殿内部とかはそんなに出てこない。戴冠式が行われたウェストミンスター寺院は圧巻。戴冠式のシーンはないけど(笑) 舞台のお芝居っぽい感じもあるけれど、あくまで人間ドラマに徹していて良かった。ライオネルに"your highness(殿下)" と呼べと怒っていたけど、王になって帰宅(宮殿だけど…)して、幼い王女2人の姿を見つけホッとしたのもつかの間、2人から「your majesty(陛下)」と呼ばれ複雑な表情になるとか、そういう細かい演出がツボ。このコリン・ファースの演技もいい。

幼児期のトラウマやハンディキャップ、そして戦争など、実は重いテーマを時にコミカルに、一見サラリと描いているけど、細部まで手を抜いていない。じんわり感動。コリン・ファースのKing's Englishも見どころ!


『英国王のスピーチ』Official site

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【nephews】甥っ子1号誕生会@成和

2011-02-20 00:00:00 | nephews
今日はこれから甥っ子誕生日会♪お家で遊んだ後、中華に行く予定((o(^-^)o)) Posted at 01:38 PM

甥っ子宅近くの中華料理 成和で、甥っ子誕生日ディナー! 食べ放題2280円 トウミョウの炒めおいしい♪ http://p.twipple.jp/tTvaR Posted at 05:32 PM



水餃子きたーo(^-^)o http://p.twipple.jp/G3t99 Posted at 05:36 PM





エビマヨきたよ♪ http://p.twipple.jp/35Jra Posted at 05:52 PM



かた焼きそば! http://p.twipple.jp/dA2hL Posted at 06:02 PM



黒酢酢豚おかわり! カリカリ触感で黒酢がコクがあっておいしい! http://p.twipple.jp/G9zuQ Posted at 06:08 PM






甥っ子1号の作品。楽譜らしい。プーププって(笑) http://p.twipple.jp/YN63Z Posted at 09:19 PM



甥っ子2号の作品。トトロ http://p.twipple.jp/eVpGp Posted at 09:28 PM



お嫁ちゃんにもらったドトールのカプチーノとチェブラーシカのマグのセット! 嬉しすぎる! http://p.twipple.jp/GMCaG Posted at 10:17 PM



電池不足でやっとtweet チェブラーシカ・マグの中身。オレンジとピンクの2種類。オレンジはすでに自分で購入済み。カワイイ♪ http://p.twipple.jp/ATGqW Posted at 10:56 PM



http://twitter.com/maru_a_gogo


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【Googleのロゴ】ジュール・ベルヌ生誕183周年

2011-02-08 01:23:55 | Google's logo
毎度のGoogleのロゴがこんなことに!



ジュール・ベルヌ生誕183周年!

もちろん知ってるけど、毎度のWikipediaで調べてみた!

ジュール・ガブリエル・ヴェルヌ(Jules Gabriel Verne)は、フランスの小説家。

ハーバート・ジョージ・ウェルズとともに、
サイエンス・フィクション(SF)の開祖として知られ、SFの父とも呼ばれる。

とのことで、詳しくはWikipediaで!

Bon anniversaire!


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【cinema】『第二回下北沢映画祭グランプリ準グランプリ作品上映会』

2011-02-06 16:22:00 | cinema
'11.01.22 『第二回下北沢映画祭グランプリ準グランプリ作品上映会』@北沢タウンホール

とっても長いタイトルだけど、昨年秋に下北沢で開催された『第二回下北沢映画祭』でグランプリ、準グランプリを受賞した作品の上映会。各監督の新作も合わせて上映。昨年秋の映画祭には行けなかったのだけど、グランプリを獲得したのは、お友達のmigちゃんの弟さん片岡翔監督の『くらげくん』 なんと観客賞とダブル受賞 『くらげくん』は『PFF Award 2010』で1度見ているけれど、新作『ゲルニカ』が是非見てみたかったし、他の監督の作品も気になったので行ってきた!



北沢タウンホールは初めて行ったのだけど、思っていたより広め。20分前くらいに到着したけど、ロビーはかなり混んでた。3部構成になっていて、まずはグランプリ、準グランプリの作品の上映会から。

★第1部★
『最低』 (30分) 今泉力哉監督 【第二回下北沢映画祭 準グランプリ】

「亜美の家に元ストーカーからと思しき封筒が届く。そこに入っていたのDVDに同姓相手・正雄の浮気現場が映っていると思った亜美は、妹にそのDVDを見てほしいと頼みに行く。一方そのころ、正雄は仕事をさぼってパチンコをしていた。」(チラシより)

これ、何角関係って言うんだろ(笑) 正雄は実は三股をかけている。亜美と浮気相手、そして亜美の妹。亜美のストーカーしげるには、思いを寄せてくれる女性(名前を失念・・・)がいる。それぞれ、何となく一方通行。その感じを少しコミカルに描いている。亜美と正雄は同姓しているくらいだから、もう落ち着いた関係になっているのか、新鮮味がなくなっている。清楚な感じの亜美と違い、積極的で色っぽい浮気相手は刺激的だけど、あまりに積極的になられて引き気味。彼女の妹と浮気なんてそれこそ最低。でも、この妹のロリっぽさが、亜美や浮気相手にない感じでいいんでしょう。そしてなにより刺激的なんだと思うけれど、実際の正雄は刺激を求める遊び人というよりは、優柔不断でだらしなくズルズル系という感じ。この俳優さんが個性的でとってもいい。どう考えてもモテそうじゃない風貌なのもまたいい。でも、意外にモテるのはこんな感じの人って気がして妙に納得。"最悪"じゃなくて"最低"であることに説得力があったのはこの役者さんのおかげ。

個人的にはストーカーしげると、彼に告白して毎回振られる彼女のエピソードが好きだった。ストーカーをしていることを承知で好きになっているのだから、この彼女もちょっと不思議なのでしょうけれど、2人の会話がとっても自然でまるでつき合ってるみたい。そして、化粧っ気の全くないこの彼女、実はけっこう美人。亜美よりこの子の方がいいのに(笑) まぁ、その辺りも多分狙いなのでしょう。おもしろかった!

*しげる役の役者さんは打ち上げに参加。最後、近くの席に来たので「あ、しげるさん」と声をかけてみた(笑) 他の方とお話されていたので、それ以外の会話はなし・・・

『くちゃお』 (3分55秒)奥田昌輝監督 【第二回下北沢映画祭準グランプリ】

「ガムを噛むことが生きがいの小学生くちゃおはクラスの嫌われ者。みんなで風船を一斉に飛ばしても、くちゃおは風船を手放さない。学校からの帰り道、風船ガムを噛みだすと、様々なものに変化していき、空想は飛躍していく。そこへ鳥が飛んできて…」(チラシより)

これも面白かった。水彩画みたいな絵のアニメーション。あえてカクカクした動きに撮ってるんだと思うけど、その画面いっぱいに広がるくちゃおの顔がいい。顔なのに青とか入れちゃってるけど、そのごちゃ混ぜ具合がすごくいい。ちょっと小憎らしい感じがカワイイ(笑) かすれたような男の子の講談口調(?)のナレーションもいい。

『くらげくん』 (14分) 片岡翔監督 【第二回下北沢映画祭グランプリ】

「くらげくんは、ぼくのともだち。くらげみたいなふくをきてるから、くらげくん。くらげくんは、ぼくのことが好き。くらげくんも、ぼくも、男の子なのに。」(チラシより)

2回目の観賞。詳しい感想はコチラに書いているけれど、やっぱり好き。ほんわかした雰囲気の中に、ちょっぴり毒があって、そして切ない。主役2人の子役くんがとってもいい。昨年、国内映画祭で13冠獲得! 納得です。

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少し休憩を挟んで、監督達の新作を上映。時間になって、場内が暗くなったのに、なかなか始まらなくてどうしたのかと思ったら、なんと1本目の今泉監督の作品は、直前まで編集作業をしていて、まさにギリギリ持ち込みだったためだったことが、上映後のトークショーで発覚! こういうのも貴重な体験(笑)

★第2部★
『TUESDAYGIRL』 (44分) 今泉力哉監督

「結婚を間近に控えた関口と高木。リストラされたことを彼女・田代に言えないでいる木村。木村はいきなり田代から「別れたい」と告げられる。ある日、関口は元彼女・青木に結婚することを告げに行く。」(チラシより)

河原でお弁当を食べる木村と関口のシーンから始まる。チラチラ2人の方を見ながら川に石を投げる女子高生2人。実はそのうちの1人がTUESDAYGIRLなんだと思うのだけど、よく考えると主役って誰なんだろう(笑) 多分、木村なんだと思うんだけど、冒頭のシーンではその会話から関口なんだと思っていたし、タイトルやラストシーンからすると、女子高生? イヤそれはないか(笑)

木村と関口のそれぞれのキャラが面白かった。一見すると長髪、ヒゲ、失業中の木村の方がいい加減に見える。同棲中の田代が髪を切っても気づかないし・・・ 逆に関口は同棲中の高木と結婚しようとしているし、田代のほんの少し切った髪にも気づける、ちゃんとした男に見える。

田代は木村が自分に関心のないことに傷ついて不機嫌。高木は関口との結婚が決まって幸せ。でも、関口が元カノとの約束だからと、結婚報告に行ってくると言われて内心穏やかではない。関口の結婚の決意と、この約束が4人に変化をもたらす。

どちらも、男性側の態度や行動に女性側が憤るのだけど、真逆の結果を生む。そして、いい加減に見えていた木村よりも、関口の方がよっぽど女性を傷つける結果になる。結末やプロット自体はそんなに新しくはないのかもしれないけれど、その皮肉さが面白かった。

*木村役と関口役の役者さんも打ち上げに参加されていた。席が遠くて挨拶すらしていないけど、一応、一緒に飲んだことになっている(笑)

『オーケストラ』 (6分30秒) 奥田昌輝監督

「シンプルな線によって描かれたオーケストラが、メタモルフォーゼすることにより奏でる音と映像のハーモニー。」(チラシより)

オーケストラの演奏を線で表現。その線が楽器になったり、音符になったり、演奏者になったりする。絶えず画が動いていて飽きさせない。絵のタッチが違うなと思ったら、これは別の方が描いたのだそう。完成度で言ったらこちらの方が高いように思うけれど、絵や画のインパクトや面白さは『くちゃお』の方が好き。

『ゲルニカ』 (21分) 片岡翔監督

「世界に終わりをみた少女と、少女に世界をみた少年。悲劇は忘れてはいけないのか。忘れるべきなのか。」(チラシより)

良かったコレ! 片岡監督作品は『Mr.バブルガム』、『くらげくん』、『ゲルニカ』しか見ていないけど、この『ゲルニカ』が一番好きかも。

登場人物は少年と少女。そして少女の母。母娘は遠くへ行こうとしている。少女は少年を呼び出す。この2人のシーンがホントに美しい。ただ並んで歩いているだけなんだけど、少年は多分知っているんだと思う。その切なさがスゴイ。

タイトルの『ゲルニカ』は言わずと知れた、ピカソの名画。この名画とピカソがとても重要。ピカソは見捨てなかったんだと思ったら涙が溢れた。切ない・・・ 切なくて美しい。

母親役の女優さんが良かった。そして、少年と少女の無垢な美しさがスゴイ。今しか出せない美しさ。

*上映会終了後、恥ずかしそうにしていた主演の川村悠椰くんがかわいかった 日本代表の岡崎似! ほめてます!

★第3部★
トリウッド代表の大槻貴宏氏が聞き手となって、片岡翔監督・今泉力哉監督・奥田昌輝監督とのトークショー。それぞれ、作品にこめた思いや、製作の苦労や裏側、新作や次回作について語り、とても興味深かったのだけど、メモを取っていなかったので正確な言葉が伝えられないし、長くなってしまうので割愛・・・ すみません・・・


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【cinema】『洋菓子店コアンドル』(試写会)

2011-02-03 22:56:07 | cinema
'11.1.26 『洋菓子店コアンドル』(試写会)@一ツ橋ホール

yaplog!で当選。いつもありがとうございます。

*ネタバレありです! ごめんなさい辛口です…

「パティシエ修業で東京に行ったきりの恋人を連れ戻すため、上京したなつめ。彼が働いていた洋菓子店コアンドルを辞めてしまったと聞き、代わりに働き始める。ある日、晩餐会のデザートを担当することが決まった直後、店主の依子が過労で倒れてしまう。なつめはかつて依子とパリで一緒に学んだ、伝説のパティシエ十村に助けを求めるが…」という話。うーん。このあらすじでも分かるとおり王道。田舎から出てきた世間知らずの主人公が、先輩に揉まれ、店主に時に厳しく時に暖かく見守られ、伝説のパティシエに鍛えられて成長するという話。なんだけど、想像してたのとちょっと違ったかなぁ…

主人公のなつめが、いまどきビックリするくらい世間知らずだったり、伝説のパティシエがヒーロー・タッチだったりと、あまりにキャラが立っていたので、てっきりマンガが原作なのかと思ったら、オリジナルだった(笑)でも、少女マンガの世界だなという印象。何度も書いてるけど、少女マンガで育っているので、決して嫌いではない。でも正直、それ以上でも以下でもなかったかなという感じ。王道少女マンガが好きな方は好きだと思う。

とにかく主人公のなつめのキャラがスゴ過ぎる。一言で言えば"世間知らず"ってことなのでしょうが、これはちょっと…(笑) 冒頭ガイドブック片手に、スーツケースを抱えてコアンドルにやって来る。店主依子のフランス人のダンナさんが、全く理解できない鹿児島弁でまくし立てたのは、ここに婚約者の海くんという人がいるはずだということ。確かに彼は来たけど、2日で辞めてしまったし、どこに行ったのか分からないと答えると、依子や先輩マリコが海くんをいじめて追い出したんじゃないかと言い出し、行き先くらい教えてくれたっていいでしょうと詰め寄る始末。確かに依子の対応は、お世辞にも温かいものではなかったけれど、これすごくないですか?(笑)

相手にされず行くところのないなつめは、コアンドルで働かせてくれと懇願。あれだけ言っておいて、それは…(笑) で、素人を雇う余裕はないと断られれば、実家はケーキ屋で店に出すケーキは自分が作っていたと言う。では作ってみなさいということで、チョコレート・ケーキを作る。一口食べてみな無言。どこがダメなのかと食ってかかるなつめに、たまたま来ていていた伝説のパティシエ十村が冷静に答える。クリームがゆる過ぎる、手際が悪く時間がかかり過ぎている。見兼ねた依子がテラス席へ呼び出し、自ら作ったチョコレート・ケーキを差し出し、諦めて田舎に帰るように諭す。なつめが作ったものとは比べものにならない洗練された味と見た目… 感動したなつめはさらに懇願! 住み込みで働くことになる。

ここまでつらつら書いただけで、たった数時間(上映時間的には10分くらい)の出来事だけど、以後もこのまさに猪突猛進と言いたくなる勢いで突き進む。実力もないのに自信満々ななつめを、よく思わない先輩マリコとは事あるごとにケンカ。真剣にパティシエを目指すマリコにすれば、うっとうしい存在であることは間違いない。だからといってバカにした態度を取るのはダメだと思うけど、満足に下ごしらえもできないのに、マリコの分を手伝うと言い出し、あなたにはムリだと言われると、やらせてくれたっていいでしょう! そうやって海くんを追い出したんでしょうと食ってかかる始末。コレはどう? 例え理不尽であっても、先輩なのですが…(笑)

結果、怒ったマリコから、海くんが現在働いているお店を聞き出すことに成功。公園に海くんを呼び出す。上京当日なつめが読んでた海くんの手紙の内容からすると、どう考えてもフラれてるのだけど、なつめは気づかない。海外留学も視野に入れて頑張っているから、鹿児島には帰らないという、海くんの話は一切聞かず、海くんには有名パティシエなんて絶対ムリだから、私と一緒に鹿児島に帰ろうと言うわけです。うーん。どうですか?(笑)

前半部分はほぼこんな感じ。上記内容を鹿児島弁でまくし立てるので、これはやっぱり田舎から出てきた世間知らずの子ってことにしたいのかなと思うと、鹿児島の祖母に、また相手の都合も考えずに、自分の考えを押し付けてるんじゃないかと言われてしまう。なるほど、この性格は家族でも厄介だったのか(笑)それなりにショックを受けたなつめだけど、性格が簡単に変わるはずもなく、この猪突猛進型で突き進む。まぁ、ヘタにいい子に変わってしまうのも違うと思うので、その辺りを貫いたのはいいかなとは思うけど、とにかくなつめのキャラが厄介過ぎでつらい(笑)

多分、考えが甘い若者が本物のパティシエ達に会って、成長していく話にしたいのだろうけれど、それにしてもキャラが強過ぎて、ついて行けない。ケーキの味に感動して、働くことになったわりに、海くんを見つけたら、普通のケーキ屋やろうと言うのは矛盾してるし(笑) それも未熟ってことで、迷走してるってことなのかもしれないけど。試食した十村が無言で去ると、追いかけて食ってかかるし(笑)上から目線を指摘されれば、あなたは逃げてるだけだと、事情も知らずに反論するし… それをきっかけに、話を廻してるのは分かるんだけど…

十村がパティシエを辞めた理由は、簡単に言ってしまうと幼い娘を亡くしたから。忙しさを理由に家庭を顧みず、娘をかまってあげられなかった。その日、幼稚園に娘を迎えに行く約束をした十村は、仕事のトラブルで忘れてしまい、一人で十村の店にやって来た娘は、彼の目の前でトラックにひかれてしまう。娘より大切なものって何ということで、以来スィーツは作れなくなった。映画のエピソードとしてありがちではあるけど、やっぱりそれはムリだとホントに思う。悲劇的な理由で引退してしまった伝説のパティシエから、新米パティシエが才能を見出だされるという話だと思っていたし、かなり曖昧な感じになってしまったけど、着地点としてはそうなので、十村が辞めてしまった理由は必要だし、説得力はある。

洋菓子店コアンドルは人気店で、当然、常連さんもいる。元女優の芳川さん。いつも毅然として品があるけど、それだけに厳しい。依子はなつめのケーキを試食してもらう。売り物としてはどうだろうかとキビシイ意見。でも、実は(私はおいしいと思うけど)という括弧書きがあるわけで、それを言えないところが、彼女の寂しさでもあると思うけど、いつも着飾ってきちんとした身なりでやって来る芳川さんが、実は団地住まいであるという事実や、病みやつれた姿は絶対に見せないプライドは、哀れさではなく品格を感じる。だからこそ括弧書きを言えない部分もあるのだということ。そして、プライドを保つというのは、不等に扱われたと憤るのではなく、自らの意志を貫くことであって、それは孤独であるということ。芳川さんには素敵な旦那様がいらしたけれど、旅立つ時は一人だからね… このエピソードはベタだけど良かった。

黒っぽいスーツ姿の男性達と、晩餐会の契約を結ぶ依子。てっきり芳川さんのお葬式の晩餐会かと思った。お葬式で晩餐会っていうのも変だけど(笑) 唐突にこの場面だったし、何の晩餐会なのか最後まで説明がなかったので… 契約を済ませた帰り、疲れが溜まっていた依子は、階段から落ちて骨折。入院してしまう。自分がいなければお店はムリということで、晩餐会も断り、コアンドルは閉め、スタッフも解散ということになる。マリコは自分を認めてもらえず傷つく。

マリコには店を任せたいという話が来る。よい条件で、自分を認めてくれている。でも、失敗すれば即クビというような緊張感もある。すごく不安になってコアンドルに明かりが見えて、飛び込んで来てしまう気持ちは分かる。彼女にとってもコアンドルは居場所だったし、依子に頼る気持ちは大きかったのだと思う。いつもクールだからといって、強いとは限らない。突っ張っている人ほど、不器用で甘えたがりなのかも知れない。この辺りを江口のりこが好演。

で、いよいよ伝説のパティシエ登場。この辺りは王道パターンなので、サラリと流しますが、要するになつめが説得に行く。そして、マリコのところにも。相変わらず、力を貸して欲しいと頼みに行くにわりは、十村にはもう逃げるなとか、マリコには大嫌いだとか言ってしまうのだけど(笑) 最終的には、自分では力不足だから助けて欲しいという熱意が伝わるから、2人は来てくれるのだし、それを言えるようになったというのは、なつめの成長ということだから、ここは良かったと思う。上記やりとりを、マンションとアパートのドア越しにするのは近所迷惑では?というツッコミはなしで(笑)

結局、何の晩餐会なのか不明だけど、フランス人の要人一家をもてなすってことなのかな。伝説のパティシエ十村の作るスィーツは、食べた人を幸せにするそうで、食事中ずっとうつむいて、何も手をつけなかった少女が、十村のスィーツで笑顔になるエピソードは、ベタでも入れなきゃと思うけど、何度も書くけど何の晩餐会で、この少女が誰で、何故食事に手をつけないのか説明が一切ないので、唐突で取ってつけたようになってしまっていたのが残念。この晩餐会が山場なのだと思うのだけど…

この晩餐会のシーンで、十村はなつめにニューヨークで修業して来いと言い出す。これも唐突。パリ修業時代、依子と共にニューヨークに引き抜いてくれた恩人に、なつめのことを頼んだらしい。ならば、私の頼みを聞いてくださいと交換条件をつけるなつめ。見ている側としては、なつめがそんなスゴイ人物の下で修業できるレベルなのかがピンと来ない。なつめのケーキがある程度上達したのが分かるのは、芳川さんのエピソードくらいだし。まぁ、十村は何度か食べているので、潜在能力を見極めたってことかもしれないけど、常にダメ出しされてたし… (笑)

で、ラスト。閑静な住宅街に止めた車に乗る十村となつめ。箱に詰めたスィーツを手に、ある家を訪ねる十村。そこは別れた妻の実家で、出てきた妻にスィーツを差し出し、やっと最近スィーツを作れるようになったと話す姿をバックに、助手席から降りて歩き出すなつめ。これがなつめの交換条件。うーん。全てハッピー方向エンドなのはいいのですが、十村の奥さんの登場シーンってホント少しで、彼がまだ別れた奥さんを愛してるって描写が全くなかったのに、これは唐突な気がした。しかも、コアンドルは? マリコは結局あの話を引き受けるのか? それぞれ笑顔のシーンをカット割りで見せるけど、その後のことは謎のまま。

いろいろ盛り込みすぎて、一番重要であろう十村との晩餐会の準備とかがサラリとしてしまって、後半は駆け足状態で、感動エピソードもこちらが脳内補完しなくてはならない感じ。なんだか読み切りの少女マンガを読んだという印象。役者さんは豪華で良かっただけに残念…

なつめが厄介な子であるのは、あえての設定だと思うけど、これは蒼井優ちゃんじゃないと辛かったと思う。後半、真っ直ぐ過ぎて不器用だけど、その真っ直ぐさが人の心を動かすという部分は描かれていたので、そこに繋がるまでの前半が見ていて辛かったけど、呆れてしまわなかったのは、蒼井優ちゃんのおかげ。先輩マリコの江口のりこも、時に厳しく見守る依子の戸田恵子も良かった。芳川さんの加賀まりこも良かった。お菓子作りはほとんどしないので、キャスト達の腕前がどうなのか分からないけど、良かったと思う。ただ、蒼井優ちゃんは髪を束ねるだけじゃなく、まとめて欲しかったかな。かなり長いので、毛先が入りそうで心配だった。

コアンドルの内装やテラス席が素敵! 内装は素朴だけどパリっぽく、テラス席は南仏風。なつめが暮らす2階の事務所も日本家屋をフランス風にしたっぽくてかわいかった。そしてケーキが全部おいしそう!

素材は良かったのに、いろんなこと詰め込みすぎて散漫な印象になってしまったのが残念… スィーツ好き、少女マンガ好きの方はいいかも。


『洋菓子店コアンドル』Official site


コメント (8)
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【cinema】『ヤコブへの手紙』

2011-02-01 00:55:04 | cinema
'11.1.19 『ヤコブへの手紙』@テアトルシネマ

これ見たかった! 仕事中、今日は水曜だからレディースデーじゃないかと思いつき、急遽行くことに決定!

*ネタバレありです

「終身刑となり12年服役していたレイラは、恩赦により釈放となった。早速、ヤコブ牧師の家に住みで働くという仕事を紹介される。毎日届く手紙を盲目の彼の代わりに読んで欲しいというもので、行くあてのないレイラは渋々引き受けるが…」という話。これは良かった。1時間15分と短いけれど、生きること、生かされることがしっかりと描かれている。何の飾り気もないシンプルな作品。好みはいろいろだと思うので、合わなかったり、物足りなく思う人もいるかもしれないけど、個人的にはかなり好き。

時々、ちらちら出てくるけれど、主な登場人物はほぼレイラとヤコブ牧師と郵便配達の3人。しかも、ほとんどの場面は2人きりで、仏頂面のレイラは必要最低限しか口をきかず、ヤコブ牧師がレイラに気を使って話すくらい。でも、2人の気持ちとか、感情を通り越して、作品自体が言いたいことがきちんと伝わってくる。それはホントにシンプルで、何度も聞かされてきたこと。だけどシンプルだからこそ、その本当の意味を理解したり、実感するのって難しかったりする。

ヤコブ牧師はかなり高齢。牧師に引退があるのか不明だけど、現在教会には行っていない。詳しい説明はないので、何故盲目となってしまったのか不明。タイトルにあるとおり、毎日牧師宛てに手紙が届く。返事を出した後の手紙はベッドの下に溜めてある。いつから溜めているのか分からないけど、かなりの量。レイラがしまおうとしても入る隙間がないくらい。期間が長いのか、量が多いのかは不明だけど、この全てを読んだのかと思うとスゴイ。そしてこれは伏線なんだと思う。盲目になってからは人に頼んで読んでもらっていたけれど、その人が引っ越してしまったか何かで、読んでもらえなくなったので、代わりに読んでくれる人を探していたのだというのが、レイラに対しての説明。高齢なのでかなりゆったり口調。しかもちょっと苦しそう。これも伏線かな。

レイラは40代くらい。12年間服役していた割に太っていて、お世辞にも美人とは言えない中年女性。常に仏頂面なので、かなり怖い… この時点ではレイラがどんな事件を起こしたのか、何が原因なのかも不明。なのでレイラが本当はどんな人物なのか分からない。ヤコブ牧師の家にやって来た時、握手を拒んだり、お茶を入れ、近くに席を用意してくれたにも関わらず、仏頂面してわざわざ離れて座る。警戒しているからなのか、人との関わり自体を拒否しているのか、単に素直になれないのか… まぁ、全部なのでしょうけれど、その"面構え"とも言いたくなるような仏頂面は得体の知れなさも感じる。この辺りの全ては後の伏線となっているので見事。

郵便配達が「ヤコブ牧師に手紙だよ」と叫びながらやって来る。フィンランド語の少し弾むような発音がカワイイ。レイラが仏頂面で受け取りに来ると、警戒する配達人。この辺りも後の伏線だけど、画面には登場しない村人達や世間、もしくは見ている側の彼女に対する警戒や、不信感を代弁しているのだと思う。10通くらい来ていたので、面倒がって手紙の半分を捨ててしまうレイラ。やっていることはヒドイけど、ちょっとおかしい(笑) 手紙の内容は相談で、たわいもないものから、深刻なものまで様々。神父はそれぞれに合った教えを聖書の中から見つけ出し、それを返事として書きとるようレイラに指示する。いじめにあっているという相談に対して、返事を書くのが面倒になったレイラが差出人の名前はないと告げると、住所と名前を言い当てる牧師。彼は同じ内容の手紙を、定期的に送って来るのだという。相談者の中にはそういう人もいると言う。ここも伏線。見ていた時には、せっかく相談しても、聖書の引用なのなら味気ないなと思っていたけど、本当に言いたかったことが分かると、意味が全然違ってくる。

届いた手紙の中に、かなりの量の紙幣が入っているものがあった。驚いた気配を感じて質問する牧師に、お金が入っていることを躊躇いもなく話すレイラ。手紙の内容は無事に目的地(地名を言っていたけど失念)に着きましたとだけ書かれている。珍しく興味を持つレイラ。夫の暴力から逃れるため、旅費が必要だと言うので、全財産を貸したけど、返ってくるとは思わなかったので、金額も覚えていないという。引き出しの缶にしまってくれるよう頼む牧師。雨漏りのする粗末な家に住み、固いパン一切れとお茶だけの食事。清貧であることと同時に、人のために尽くすということを描いているけれど、ここで少し後にレイラに指摘されるように、自己満足があるように描いている気もする。何となく感じたのはひねくれてるからかな(笑) でも、善意で全財産を貸すことは、そんなに簡単に出来ることではないので、仮に少しの自己満足があったとしても、それを偽善とは思わない。そのささやかな喜びがあるからこそ、善行は続けられるのだし、偽善ってそういうことじゃない。

そしてこの場面はレイラの本当の姿も表している。目の見えない牧師は、例えレイラがお金を盗んでしまっても、気づかないかもしれない。仮に気づいたとしても、牧師は黙っていたかもしれない。見ている側も盗むのではないかと思う。でも、レイラはそうしない。後にお金が必要になって、そこから拝借する時も必要な分しか取らない。レイラはそんなに悪い人間ではないのかもしれない。目の見えない、高齢で弱った牧師を思いやる気持ちが残っているのかも知れない。そして無欲の牧師の正しさに打たれたのかも、そして生きることに執着がないのかも… この場面だけで、それらを想像させるのは見事。

チラシなどにもあるように、ある日突然ヤコブ宛ての手紙がぷっつりと届かなくなる。手紙が届かなくなったことによって、目に見えて落ち込んでしまうヤコブ牧師。ある日とうとう錯乱して、ありもしない婚礼のため教会へ向かってしまう。尋常でない様子に心配してついて来たレイラの目の前で、ますます錯乱してしまう牧師。そしてレイラに言われてしまう。あなたが自分を雇ったのも、恩赦を願い出たのも全て自己満足ではないか! そして、レイラは牧師を置いて行ってしまう。途方に暮れた牧師は、祭壇に横たわる。同じ頃、牧師の家を出ようとしていたレイラは、タクシーの運転手に行き先を聞かれ、答えられない自分に絶望する。

首を吊ったレイラは死に切れずに目覚める。同じ頃、牧師も教会で目を覚ます。見ていた時には分からなかったけど、牧師もレイラも行くところがない。そして、死ねなかったということは、生かされたということでもあるけれど、まだ死ぬ時ではないのだということ。そして、牧師は悟る。自分は神の言葉を伝える役割を担い、人々を救っていると思っていた。でも、逆に救いを求める人々に救われていたのだと。そして、その告白を聞いてから、レイラの気持ちも変わってくる。相変わらずの仏頂面ながら、牧師のためにお茶を入れ、牧師の横に並ぶ。それがとっても自然に描かれている。

レイラはごみ箱に捨てた手紙を拾おうとするけど拾えない。郵便配達に何故手紙を届けないのかと詰め寄るけれど、本当に届いていないと言われる。明日は必ず手紙が届いたと言いながら来て欲しいと頼む。翌日、やっぱり手紙は届かない。郵便配達から渡された雑誌のページを破り、開封したふりをして、手紙を捏造してみたものの、見破られてしまい、自らの過去を語ることになる。そして、ヤコブ牧師が自分の恩赦に尽力した本当の理由を知ることになる。この辺りのことは、レイラの過去が一切語られないことや、何故ヤコブ牧師がレイラのことを知っていたのかを考えれば、予想がつくとまでは言わないけれど、驚いたりはしない。レイラの過去については、帰りのエレベーターでどこかのカップルが語っていたように、同情を引く演出でズルイと取る人もいるかもしれないけれど、個人的にはそうは思わなかった。彼女の過去が同情できるものでないと、この作品の言いたいことが描けないから。『ハーモニー』の感想と矛盾するようだけど、アプローチや主題も違うし…

今まで散々『1408号室』『ノウイング』などで、キリスト教との関連性を、詳しくもないのに書いてきたけど、主人公の1人が牧師である以上、キリスト教の話なんだと思う。しつこいようですが、詳しくないので、何がと言われると難しいのだけど… 牧師が教え導いてきた"キリスト教"を超えたところにある、"赦し"であって、"救い"であり、そして"生かされる"ということ。それは、何も牧師であるとか、特別の地位にある人だけの特権ではないということ。牧師は人を教え導き、悩みを聞いて救って来たけれど、逆に救いを求める人々から必要とされることで、救われていた。レイラが憤ったのは、牧師がレイラを気遣いもてなしているけれど、対等な人間として向き合ってくれていないと思ったからなんだと思う。だから、彼女は牧師に必要とされたことで心を開き、彼に過去を打ち明けたことで、真実を知り一番求めていた人に赦され、必要とされたことを知る。今まで人から「生かされていると実感した」と聞かされても、すごく壮大で宇宙的なものを想像してしまい、全くピンときていなかった。でも、とってもシンプルに誰かに必要とされていることが、生かされることなのだと気づかされた。必要とされるというのは、何かを要求されるということではなくて、ただ居て欲しいと願われること。そのことを願われないのが一番辛いことなんだと思う…

そのとてもシンプルで、だからこそ実感しにくく、素直に求めたり、求められたりしにくいことを、レイラだけでなく見ている側にも教えて、牧師は役目を終えたとばかりにこの世を去っていく。手紙が何故来なくなったのかは不明。現実的に考えれば元囚人に手紙を読まれるのを嫌ったのかも知れない。ただ、作品の意図的に考えれば、少しファンタジックに、牧師の役目が終わったということではないかと思う。本当に神の使いなのであれば、手紙が来なくなった時点で、人々の悩みが無くなったのだと喜ぶべきであって、悲嘆に暮れてしまっていることが、彼が人間であって生かされていたことの証なのかと… それに気づいたことと、最後にそれをレイラに伝えることで、彼の使命が終わったのかも。その汚れた足が悲しいけれど、神々しい。

主要3人はすごく良かった。フィンランドの役者さんは、ほとんど知らないので、3人とも初めて見た。だからというのもあるかも知れないけれど、全員ホントにヤコブやレイラとしか思えない。ヤコブ牧師は本当に盲目なのかと思うほどだし、本当に錯乱してしまったようだった。そして何より牧師っぽかった。レイラが囚人っぽいとはさすがに思わないけど(笑) でも、とにかく"面構え"と言いたくなるくらいの見事な面構え。もうほとんど仏頂面。でも、細かな心の動きがきちんと伝わってくる。もちろん、ラストの告白のシーンの演技も良かったけれど、相変わらずの仏頂面ながら、ただならぬ様子の牧師を放っておけない感じとか、少しずつ歩み寄って行く感じとかも良かったし、タクシーの運転手に告げる行く先がなかったときの表情が素晴らしい。

とっても小さな作品で、登場人物達もあまり感情過多ではない。セリフもあまりないので、ほとんど感覚的に感じ取る感じ… もしかすると、普段あまり映画を見ないタイプの人には物足りないかもしれない。でも、複雑じゃなくてとってもストレートなので、具体的にならなくても何か感じられると思う。って、何だかすごい上からだな…

フィンランドの田舎の素朴な自然と、ヤコブ牧師の慎ましやかな暮らしぶりも素敵。そういえば、フィンランドの紅茶はカップに直接入れて、お湯いれちゃうんだね… ちょっとビックリ(笑)

とにかく、勝手に深読みしただけかも知れないけれど、自分にとっては大切なことを気づかせてくれた作品だった。重いテーマも扱っているので、オススメしにくいけれど、出会えて良かった!

追記:今、公式サイトを見てビックリ! 郵便配達人に注目すると別の話が見えてくる・・・ それは全く気づかなかった。そして気づかなかったことにしよう(笑)


『ヤコブへの手紙』Official site


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