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【Googleのロゴ】マーサ・グレアム生誕117年

2011-05-11 01:49:36 | Google's logo
毎度のGoogleのロゴがこんなことに!


※実際は動画

モダン・ダンスの開拓者であるマーサ・グレアムのお誕生日!
1894年5月11日生まれなので、生誕117年!
偉大な舞踏家であり、振付師

Happy Birthday






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【cinema】『大木家のたのしい旅行 新婚地獄篇』(試写会)

2011-05-11 01:37:12 | cinema
'11.05.03 『大木家のたのしい旅行 新婚地獄篇』(試写会)@東商ホール

yaplog!で当選。いつもありがとうございます。試写会応募する際には、そのタイトルやドタドタっぽいチラシが、竹野内豊のイメージと一致しないなと思いつつ、GW目の保養枠ということで行ってきた。

応募時には気づいていなかったのだけど、舞台挨拶つき試写会だった! 17:00開場の1時間前会場待ち合わせにしたけど、すでにかなり並んでる! 東商ホールって段差がないから、チビッコには辛い… 取れた席は後ろの方だったけど、通路側なのでまぁOK。席には通路挟んで左が青鬼、右が赤鬼の団扇みたいなお面(目は開いてない)が置いてあった。これは後ほど使用することになる。

伊藤さとりさんの司会で始まった舞台挨拶は、竹野内豊・水川あさみ・柄本明・南海キャンディーズ山里亮太・本田隆一監督が登場! 竹野内豊はスーツ姿。カッコイイ! 顔小さい! 小さい顔にヒゲ生やしてるからよく見えない(涙) 水川あさみは紺色のシンプルなワンピース。膝が出るくらいの丈。美脚でビックリ! 山ちゃんは顔デカイ(笑) 柄本明のいたたまれない感じが… メモとか取っていないので、全部覚えていないし、正確ではないけど、いくつかご紹介。

竹野内豊:(自分の役について)妻役の水川あさみから、素の自分は大木信義にそっくりだと言われた。

水川あさみ:(竹野内豊の印象)会う前はクールなイメージだったけど、実際は大木信義だった。

柄本明:(自分の役について)どういう役なのか、分かっていない(笑)

山里亮太:(自分の役&撮影秘話)今日は役者として来てます! 役柄は竹野内豊の親友。1人で緑のスクリーンで撮影したので、他のキャストには今日初めて会いました。

竹野内豊:(脚本について)新婚で倦怠期というもどうかと思うけれど、夫婦の会話がリアルでいい。よく考えると説明的なセリフはほとんどなかったのに、会話だけで性格などが伝わって来る。

水川あさみ:(苦労した点)荒川良々さんと共演シーンが多かったので、微妙な間やセリフ廻しで笑ってしまって困った(笑)

竹野内豊:(撮影秘話)あるシーンが、自然現象により前日撮影分とつながらなくなってしまったので、撮影中止で帰れると思ったが、監督の「片桐はいりさんのセリフを増やすので大丈夫です」の一言で撮影続行。確かにセリフが一言増えただけで見事につながっている(笑)

という感じで、とっても穏やかに進行。何とか盛り上げようと山ちゃんが絡むけど、空回りな印象(笑) マスコミによる撮影会の後、再入場。鬼のお面の出番! よくCMなどである、キャスト達が客席に降りて、掛け声をかけるとお客さんが答えるタイプのアレ(笑) 会社の同僚Iちゃんによると、ワイドショーで翌日放送されたもよう。まぁ、顔隠してるし遠いし本人でも確認できないと思うけど(笑)

ということで本題!



「同棲4年目でなし崩し的に結婚した信義と咲。新婚にして倦怠期。引越先の近所のスーパーで怪しい占い師から地獄旅行のチラシをもらい、出かけてみることにするが…」という話。という話と言われても、何のことやら分からないと思うけれど、ホントにそのまま。2人地獄に旅立ちます。一泊二日で(笑) しかも甘エビ食べ放題。生物学的にはエビじゃないんですけどね(セリフまんまです(笑)) 意味が分からない。でも、おもしろい。

うーん。とにかく感想が書きにくい(笑) 全部バカで全て荒唐無稽ながら、映画の中では成立しているので・・・ だってホテルの温泉がビーフシチューだし! 意味が分からない(笑) でも、成立している。その上で「地獄に長くいると赤か青になります。赤になると全て忘れてしまうんです」って言われても、なるほどと思うしかないんだけど、不思議となるほど↓とならずに、なるほど(笑)↑となってしまう。それは何故なんだろうと思うと、1つは脚本の上手さ。脚本も原作者の前田司郎さん。原作があるっていうのもビックリだけど(笑) イヤほめてます! ご本人脚本だからといって必ずしも成功するとは限らないけれど、これは成功例。あり得ない話の中で交わされる大木夫妻のトボケた会話がリアル。天然くんっぽい信義とちょっと気の強い咲。でも、2人ダラーッとしている。倦怠期だからね(笑) でも、個人的には恋愛初期のドキドキ感も好きだけど、ダラーッとした感じも嫌いではない。関係ないけど(笑) でも、咲がもう若くないから着れないと置いて行こうとしたワンピを、信義が持って来てたりとか、そういうさり気ないところに夫婦愛を感じるところもツボ。咲に着て欲しいと思ったから持って来たわけだし。着て欲しいというのは自分のためでもあり、咲のためでもあるんだと思う。信義けっこうタイプ! もちろん演じているのが竹野内豊だからというのは大きいけれど(笑)

そして意外なところでホロリとさせる。地獄の入口からホテルに向かう森の道、何があっても振り向くなと言われたのに、振り向いてしまった2人。2人は赤オニ(?)に追われることになるけど、それを救ってくれたのが青オニ(?)のよし子。よし子と弟達とナイト・マーケットに行くシーンは微笑ましい。ここでよし子は意味深発言をする。ホテルの支配人のエピソードも悲しい。彼も謎の男にある質問をするけれど、その答えも意味深・・・。ラスト2人が帰る道の形状を思うと、そういうコトなんだろうなと思ってみたり。

もう一つの魅力はキャスト。いわゆる個性派ぞろいなので、好きな人にはたまらない(笑) 先ずは炊飯ジャーを盗む謎の男に柄本明。ご本人もおっしゃってたけど、ホントに謎。監督いわく常に濡れている役なので、確かに濡れているけれど、ちょっと分かりにくいかも。何故濡れているか説明はないけど、彼のみ現世に現れることと、帰り道の形状を考えると・・・。2人が地獄ツアーに参加するきっかけとなった占い師と助手に樹木希林と片桐はいり。2人の掛け合いは見事。特に片桐はいりの腹話術は必見! セリフは一切無くただただ2人を追う赤オニ(?)がでんでん。これは増殖する。ホテルに向かう途中には2人を振り向かせようと様々な人が出てくる。しかもほんの一瞬。ぜいたく(笑) ジイ役で村松利史。どうしてジイなのかは不明。天使(?)役で「時効警察」の蜂さんこと緋田康人。蜂さん大好き! ちなみに山ちゃんもここに登場。そしてホテルの支配人に荒川良々! 水川あさみの言うとおり独特の間で、これは素晴らしい。この個性的過ぎるキャスト達が、淡々と(村松さんは相変わらずだけど(笑))おかしな事を言うので、なんだかとっても納得してしまう。主役2人もダラダラとそれを受入れるので、つられて受入れてしまう。実際は美男美女カップルなのに、それを感じさせないダメさ加減もいい。

とにかく全編どれだけバカかってことが見どころなので、それを書いてしまうと面白くない。なので、この辺でやめておく。でも、バカはバカなりにスジが通っているというか・・・ まぁ、放りっぱなしのネタもあるけど(笑) でも例えば、何故チラシなどで信義が「湯」と書かれた手ぬぐいを頭に巻いているのかも、ちゃんと出てくる。でもバカ(笑) その感覚がダメな人もいると思うけど、個人的には好き。とにかく、深く考えず楽しんじゃった者勝ち。そして意外にホロリとさせられる。新婚(倦怠期だけど)2人の会話のリアルさに笑ったり、身につまされたり、うらやましがるのもよし。個性派キャストの演技を堪能するもよし。全員本領発揮!

「時効警察」とかが好きな人は好きだと思う。全然違うけど・・・ オススメ!

※片桐はいりの付け足されたセリフにご注目(笑)


『大木家のたのしい旅行 新婚地獄篇』Official site


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【cinema】『岳-ガク-』(試写会)

2011-05-09 00:16:56 | cinema
'11.05.01 『岳-ガク-』(試写会)@よみうりホール

yaplog!で当選。いつもありがとうございます。全然予備知識なかったのだけど、GWだし小栗旬くん主演だし、目の保養に行ってきた。実はこの前に1本イタリア映画祭で『アルデンテな男達』(仮題)を見ているのだけど、諸事情によりこちらを先に書きます(笑)


*ネタバレありです

「希望がかなって山岳救助隊に配属された久美。命懸けで救助しても助けられない命がある一方、ハイキング気分でやって来る登山家。理想と現実に打ちのめされるが、山岳救助ボランティアの三歩や、先輩達に励まされ成長していく…」という話。マンガが原作。原作は未読なので、どのくらい忠実なのか不明だけど、ハッキリしたキャラ設定や、ベタなセリフや展開、王道なストーリーなど、マンガだなという感じはする。でも、それが別にダメだと言ってるわけではなくて、王道ゆえの安心感がある。正直、泣いたりすることはなかったけれど、やっぱり感動してしまう。

山のことはサッパリ分からない。以前、会社の文レクで西沢渓谷に行ったのが楽しくて、友達と"山部"を結成したけれど、活動したのは上司に連れていってもらった箱根だけ。しかもハイキングコース(笑) 山に魅力を感じるとかいう以前に、どうやっても自分が雪山を登りきれる気がしない(笑) でも、多くの人が山を目指すのだから魅力があるのでしょう。主人公の島崎三歩も山の魅力にとりつかれた一人。世界中の名峰を登り、現在は長野県で山岳ボランティアをしている。山を愛しいつも山にいて、地上に下りると地図があっても遭難してしまう。久美の同僚達からは山バカではなく山そのものだと言われている。原作は未読なので、よく分からないのだけど、島崎三歩の収入具合はどうなっているんだろう? 食事は山小屋のオバちゃんが食べさせてくれるのかな? いくら繁忙期に手伝ったからといって、毎日のようにナポリタンやチャーハンをビックリするくらい大盛で食べられるのは大変なのでは? 食事は山小屋のお世話になっているとしても、山登りの道具などはどうしているんだろう? などという疑問が残るけれども、そういうツッコミはなしで(笑)

会場で配られた"原作コミック試し読みBOOK"には、小栗旬くんと長澤まさみちゃんのインタビューも載ってて素敵なのだけど、ここに原作マンガ1話分が載っている。それによると三歩はガタイがよくて意外にモッサリした感じ。ちなみに、この映画でも出てくるナオタくんも登場。こちらは映画よりもずっとやんちゃな印象。正直、小栗旬くん主演の山岳ものであれば、やたらとかっこいいヒーロー映画なんだろうと思っていた。でも、その登場シーン。一人登山の青年がクレバスに落ちてしまうけど、救助隊が向かっても間に合わない… そこで、すでに山にいる三歩に連絡が入る。雪山でコーヒーを飲んでいた三歩が「うーん。ここからだと40分かかるけど… 行ってくるー!」と答えて、雪原を駆け降りて行く。素早く状況を把握し、手際よく準備して救助する。遭難者に対して「よく頑張った」と声をかけ、「また山においで」と言う。このおおらかな感じがすごくよかった。上手く言えないんだけど、行ってくるーの時点でグッときた(笑)

本来であれば主人公が体験するであろう理想と現実の違いや、挫折なんかはもう1人の主役 久美が担当。前述の冊子インタビューで長澤まさみちゃんが、初めのうちはイヤな子でイライラしますって言っていたけど、まぁこういう作品の主人公としては当然の反応たがら別にイライラはしない。ただ、隊長が言う二次遭難を避けるため、無茶をするなというのは、もちろん経験に基づいての決断なわけだから、それは自分の納得がいかなくても従わないといけない。そして、それがプロなんだと思う。でも、目の前に瀕死の遭難者がいるのに何もできないのは辛い。その葛藤は自分で乗り越えないといけない。

内に向かう人もいるだろうし、憤る人もいる。久美は後者。始めて自分の背中で遭難者が死ぬ。その遺体はフォールすることになる。つまり生存者の救助が優先だから、死者は投げ落とされる。出来る限り顔を損傷しないようにと手際よく処置する三歩に対して、遺体を背負って下りると言い張る久美。気持ちはよく分かる。単純に久美を非難する気持ちにはならない。フォールした遺体を前に遺族である父親が、まだ生きていたのに落としたんだろうと、三歩に土下座しろと言う。この辺りも単に遺族を責められない… 久美の憤りはハイキング気分で山に登り、足をくじいた挙げ句、救助が遅いと言う男性に対して爆発してしまう。いろんな人がいると思うので、中には助けてもらって当然というような態度の人もいるかもしれないけれど、この初老の男性はこの年代の人にありがちな、照れ臭さから、ちょっと憎まれ口をきいているだけに見える。でも、余裕を失っている久美には、そんな態度すら許せない。まぁ、どんなに相手がいい人だろうと、命懸けの救助シーンを見てしまえば、安易な考えで山に登るのはやめてほしいと思うので、気持ちはよく分かるけれど…

怒りをぶちまけて一人山を降り始めた久美は、足を滑らせ遭難してしまう。死の恐怖を体験する久美。遭難者になってしまったことにより、理解できたことはたくさんあったと思うけれど、自身が遭難してしまっては、遭難者を責めることはできない… 救出に駆け付けた三歩から、初めて訓練を受けた日に出されたクイズの答えを教えられる。「山に捨ててはいけないものは?」 まぁ、だいたい分かると思いますが、ちなみに私正解でした(笑) 激しく自己嫌悪に陥る久美は、三歩の過去を知る。何故、三歩がいつも大盛のナポリタンを食べているのか、初めて背負った遺体は… 正直、ベタではあるけど感動してしまう。

要するに久美の成長物語を主軸に描かれるので、山のことはサッパリ分からなくても、彼女の体験とともに知ることが出来る。成長するには苦しまないとダメなので、打ちのめされた久美が悩む姿は、彼女と同世代もしくは、下の世代には共感できるのではないかと思う。彼女よりもだいぶ先輩になってしまった身としては、応援するような気持ちで見ていたけれど、まぁ人の生死に関わる仕事なので、そう簡単ではないと思うけれど… でも、仕事だろうが趣味だろうが、壁にぶつかったら自分で乗り越えないといけない。久美にはデリカシーがなくて、悩みなんてなさそうに見えた三歩にも、いろいろ越えてきたものはあるだろうし、きっとこれからも壁は現れる。映画の中では久美は1つ壁を越える。

山岳救助隊の話なので、彼らが仕事しているシーンは遭難者の救助。助かる命ばかりではない。それぞれ見どころだけど、後に三歩と親子のような関係になるナオタとの出会いも、彼の父の救助がきっかけ。このナオタくんが健気で、彼とのシーンは悲しい出会いながらも、ほほえましいシーンとなっている。彼が授業参観に来て欲しかったのは三歩。でも、その日多重遭難が発生してしまう。三歩が来なくてガッカリしていたナオタが、三歩が来ない理由を考えて納得し、自分の書いた「山の兄ちゃん」という作文を朗読するシーンは思わずホロリ。そして最大の見せ場はこの多重遭難のシーン。あんまり書いてしまうとネタバレになってしまうけれど、ここでも久美の成長が描かれている。山小屋で待機し、避難して来た人々の整理をするのが与えられた任務だけど、久美としては出動したい。でも、隊長の決定に従う。自分の意見をごり押ししないのは成長の証。その後、久美にも出動命令が出て、最大の試練を迎えることになる。まぁ、予告やCMなどでも流れているけれど・・・。久美の決断はプロとしては正しくないかもしれない。でも、人としては間違っていないと思う。ただ、やっぱりマンガや映画の世界だからという気もするけれど・・・。ちょっとご都合主義的な部分もあるけれど、このエピソードは迫力があって見ごたえあり。猛吹雪の中、ヘリが谷間から上ってくるシーンは感動。三歩のクレバスへのダイブもカッコイイ!

キャストはなかなか豪華。主演の2人もうそうだけど、隊長に佐々木蔵之介、全然記事には登場しなかったけどヘリコプターのパイロットの渡部篤郎、山小屋のおばちゃんに市毛良枝、久美が命懸けで救助する父娘に中越典子と光石研、三歩の親友役でほんの少し浪岡一喜くんが出てて、ちょっとうれしい(笑) ベテラン2人の佐々木蔵之介と渡部篤郎はちょっとベタな演技。これは多分狙いで、これはこれで良かった。特に渡部篤郎はすごい劇画タッチ(笑) でも、かっこよかった。山小屋のおばちゃん市毛良枝の三歩のお母さん的な役どころも良かった。ほとんど女性は出てこないので、ちょっとなごむシーン。遭難者の父のベンガルや、ナオタの父宇梶剛士も少ない出演シーンながら印象的。個人的には光石研さん好きなのでうれしい。主演2人も良かった。2人ともクライミングのトレーニングを積んで撮影に臨んだそうだけど、リアリティーがあって良かった。長澤まさみは本人が言うようにイライラする子である久美に、共感できる部分も感じさせていたと思う。共感できる人は多いと思う。原作ではモッサリしている三歩だけど、小栗旬が演じるとちょっとシュッとする(笑) スタイルいいから登山服が似合う。三歩は山を愛しているから、山を目指して来てくれた人を大切に思っている。その感じは伝わってきた。モッサリした感じに演じていたけど意外に似合う。デリカシーのない事ばかり言うと久美に言われる三歩が、人の気持ちを読んで、その人の負担にならないようさりげなく気遣う姿はカッコイイ。

とにかく山の映像が美しい。三歩が断崖みたいな所にイスのようなものを引っ掛けて、月をバックにコーヒーを飲むシーンとか、山頂に立つシーンは本当に美しい。そして、吹雪や雪崩のシーンは迫力の映像。ほぼ雪山が舞台だけど、足跡一つない雪原を歩くのは気持ち良さそうと思わせてくれる映像美。最初に遭難した青年が、また山に戻ってきて、三歩が喜ぶシーンがあるけれど、また戻ってきてしまう気持ちは少し分かる。個人的には「山においでよ」と言われても、簡単には行けないけれど、久美同様、三歩に「よく頑張った」と言われたいかも(笑)

マンガなのでベタだけれど、それだけに安心感あり。主役2人目当てでも楽しめる。山の映像は見る価値あり!


『岳 -ガク-』Official site


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【Googleのロゴ】母の日

2011-05-08 23:57:54 | Google's logo
毎度のGoogleのロゴがこんなことに!



母の日

もちろん知ってるけど、毎度のWikipediaで調べてみた!

母の日(ははのひ)は、日頃の母の苦労を労り、母への感謝を表す日。

日本やアメリカでは5月の第2日曜日に祝うが、
その起源は世界中で様々であり日付も異なる。
例えばスペインでは5月第1日曜日、
北欧スウェーデンでは5月の最後の日曜日に当たる。

とのことで、詳しくはWikipediaで!

お母さんありがとう


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【cinema】『ブラック・スワン』(試写会)

2011-05-06 00:17:37 | cinema
'11.04.28 『ブラック・スワン』(試写会)@朝日ホール

これは見たかった! 全米公開当時から気になってて、ずっと待ってた。試写会もあんまりやってないみたいで、唯一応募したのもハズレ(涙) はずれてガッカリtweetしたら、お友達のともやさんから1人で行くから一緒に行く?と返信が! もちろん行きますぅ! 当日、共通のお友達のmigちゃんと猫目カメラマンのムラくんも合流して4人で鑑賞!


*核心に触れる部分は伏せましたが、ネタバレありです! そして長文・・・(笑)

「ニューヨークのバレエ団に所属するニナは、「白鳥の湖」の主役に抜擢される。完璧なテクニックと控えめな性格のニナは、白鳥には申し分ないが、悪の化身黒鳥を演じ切れずにいた。次第に追い詰められたニナは…」という話。これは凄い! 凄いものを観てしまった。ラストに向かって心臓がバクバクしてきて、終わった瞬間涙が溢れて止まらなくなり号泣してしまった。直ぐには立ち上がれないほど感動してしまった(笑) 実はまだ具体的に整理がついていないまま書き始めてしまっているので、一体どこにそんなに感動したのか掴めていない。

ブラック・スワンというのは多分ダブルミーニングなんだと思うけれど、分かりやすい方の説明を。ブラック・スワン=黒鳥はニナが主役に抜擢された「白鳥の湖」の重要なキャラクター。特別バレエ・ファンじゃなくてもタイトルは聞いたことがあるんじゃないかと思う。一応、Wikipediaを参照しつつご紹介。ロシアの作曲家ピョートル・チャイコフスキー作曲。「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」とともに世界3大バレエと呼ばれている。作品番号Op.20。1877年ボリショイ・バレエ団により初演されるも、評価は高くなく、再演されてはいたけれど、お蔵入りしていたものを、マリウス・プティパと弟子のイワノフにより振付けし直され、チャイコフスキーの死後2年経った1895年マイリンスキー・バレエ団により蘇演された。その後、様々な振付けがなされたけれど、第2幕の白鳥登場シーンのイワノフの振付はそのまま使われることが多い。1850年初演のワーグナーの「ローエングリン」からの影響が指摘されているように、ロシアで作られたのに物語の舞台はドイツになっている。簡単なストーリーとしては、美しく純真な娘オデットは悪魔ロットバルトによって白鳥にされてしまう。この呪いを解くには、今まで誰も愛したことのない男性に永遠の愛を誓われなくてはならない。一方、友人と狩りにやって来た王子ジークフリートは、夜の間だけ呪いがとけ人間の姿に戻ったオデットと恋に落ちる。だが翌日、自身の誕生祝賀会に、ロットバルトがオディールを連れて現れる。王子はオデットそっくりのオディールに愛を誓ってしまう。間違いに気づいた王子はオデットの元に駆け付け、ロットバルトと対決しこれを倒すが、呪いは解けず、2人は湖に身を投げ来世で結ばれる。というのが初演のストーリーで、人間に戻ったオデットと結ばれるハッピーエンド版など、さまざまなパターンがある。この王子を誘惑するオディールが黒鳥。プティパ版初演時マイリンスキー・バレエ団のピェリーナ・レニャーニが両方踊り好評だったため、白鳥を踊るダンサーが黒鳥を踊ることが多い。黒鳥の登場シーンは短いけれど、黒鳥のパ・ドゥ・ドゥの32回フェッテなど、超絶技巧が見せ場。

ということで、長々と「白鳥の湖」について書いてきたけど、タイトルにもあるとおり黒鳥が重要。主役であるSwan Queenを踊るということはBlack Swanも踊れないといけない。純真可憐な白鳥と妖艶で毒を持つ黒鳥を演じ分けることが求められる。通常黒鳥は前述どおり32回のフェッテ(ムチ打つという意味で、片足で打つような動きに使われるけど、ここでは回転)という最大の見せ場がある。これはホントに大変! 見た目の派手さで分かりやすいけど、人間が1回転するのってホント大変。32回転どころか1回転以上したことないし、フェッテの回転は習ってないので未知の世界。って自分のことはどうでもいいけど(笑) バレエ団のプリンシパルなら出来て当たり前だとは思うけれど、最近見た『オレリー・デュポン 輝ける一瞬に』の中で、パリ・オペラ座バレエ団のエトワール オレリー・デュポンですら稽古初日にはふらついていた。もちろん3日後には完璧だったけど。で、また長々書いてしまったけど、テクニックは問題ないと言われているニナならば32回フェッテも出来ると思われる。でも、このバレエ団が上演しようとしているのは、新解釈の「白鳥の湖」らしい。古典としてのスタイルは守りつつ、コンテンポラリーの要素も入っているのかなと思う。練習風景では古典っぽかったけど、ラストの舞台を見るとそんな感じがした。コンテンポラリーは演出家によって自分の個性を引き出してもらえるので、踊りたがるダンサーが多いと聞いたことがあるけれど、だとすると内面をさらけ出さないといけなくなる。

完璧主義で技術的には申し分ないけど、内向的で自信が持てないタイプのニナは、女性としての魅力にとぼしく妖艶な黒鳥はムリだと演出家に言われてしまう。そこに黒鳥のイメージにピッタリな情熱的で奔放な新人リリーが現れたことでニナの心は乱される。ニナは完璧主義なだけに、演出家のダメ出しに過剰反応してしまうんだと思う。上手く言えないけど…。そもそも完璧ってどういう事なんだろう? 例えばフィギュア・スケートのようにここでトリプル・アクセル、ここでスパイラルなどと技が決まってて、ノーミスで滑ったとして、他人から見たらパーフェクトって思っても、本人が表現力が足りなかったと思ってしまえば、それは本人にとっては完璧じゃない…。演出家が求めているのはニナの思うパーフェクトじゃないのだとしたら、ダメ出しをされてもニナには理解できない。内向的で自虐的なニナはその全てが自分に向かってしまう…。ニナみたいなタイプは欧米人の、特にダンサーなどという職業の人には珍しいんじゃないだろうか。英国ロイヤル・バレエ団で長年プリンシパルだった吉田都によると、躍っている時躓いても、自分ではなく床が悪いのだと言うような人ばかりだったと(笑) それが正しいとも思わないし、演出家のダメ出しに反発しろとも思わないけど、それが内に向かってしまうタイプにはかなりのイバラの道かなと…。もちろん床のせいにしている人だって傷ついたり、心が折れたりしているんだと思うけれど、目に見えて落ちてしまっているから、そんなにダメじゃないのに周りにもニナはダメだという印象を与えてしまう。演出家もイライラしてくるので、周りもいたたまれなくなって、シラーっとした雰囲気になってしまい、ますます追い込まれてしまう。演出家にも言われているとおり、ニナをじゃましているのはニナ自身。

ニナは自分の感情とか欲望を抑えている。それも自信のなさとか完璧主義とかプライドの高さとかによるものかと思うけれど…。例えば、どうしても白鳥がやりたかったニナは演出家に直談判に行くけど、同僚のダンサーに決めたと言われた上に、突然キスされる。一瞬身を任せそうになるけど、次の瞬間相手の唇を噛み拒絶する。別に色仕掛けで役を取れとは思わないし、そんな事してもニナみたいなタイプは自己嫌悪になるだけだと思う。じゃ、何で行ったんだと思うけれど、そこがニナのやっかいなところ(笑) 結局、この談判が失敗したので、主役を取られたと思い込み、その同僚に不審がられるくらい彼女をガン見してしまった挙げ句、発表も見ていないのに「おめでとう」と言ってしまい、逆にイヤミのようになってしまう。ちょっと、イヤかなりイラっとするタイプなのだけど、なんか分かる(笑) ここまで卑屈になっちゃうのはどうかと思うけれど、自信が持てなくてこんな事になっちゃう気持ちはすごく分かる。そういうニナの性格とか不安な描写がすごく上手い。押し付けがましくなく、見ているだけでナタリーの細かい表情や声のトーンの変化、画の不安な感じなどできちんと伝わってくる。その感じが見ている側の不安にもなってくる。さらに年齢を理由にバレエ団をクビになった元プリマ(名前を失念…)の取り乱した感じなども見せられるに至ると、もうバレエ辞めた方がいいよと思ったりする(笑) でも、辞められないよね… バレエしかないんだから。

ニナが自分を抑えてしまうのは、同居している母親によるところが大きい。自身もダンサーだった母親は果たせなかった夢をニナに託している。父親が何故いないのかは不明。初めからシングルマザーなのか?という気もする。とにかく母娘関係が密。ちょっと密になり過ぎな気もするけど、母娘の独特な感じはすごく分かる。いい年をして実家で母親と同居している身としては、よく分かるなという感じ(笑) もちろん娘が心配だからといって部屋に勝手に入って寝姿を見守るなんてことはありませんが…。母親の過干渉に見えるけれど、ニナの抱えている問題が明らかになってくると、見ていたことが果たしてその通りだったのか分からなくなってくる。例えば、ニナが抜擢されたお祝いにと買って来たケーキ。ニナは太るし、ナーバスになって胃の調子が悪いからと断ると、母親はあからさまに気分を害してケーキを捨てようとするけれど、果たしてここまで感情をあらわにしたのだろうか? 確かに母親はガッカリしたのでしょうが、神経過敏で人の目を気にして、やや被害妄想的なニナの目に大袈裟に映っただけなのではないかと思ったりする。でも、そう思うのは実はずっと後で、ニナの抱えている問題がかなり深刻であることが分かってから。この演出も上手い。母娘の感じを男性であるアロノフスキー監督が、よくこまで描いたなという感じ。母親のバーバラ・ハーシーとナタリーの競演もスゴイ。全然違うけどちょっと『サイコ』を思い出す。

ニナとリリーの関係も興味深い。ニナみたいに生真面目なタイプにとって、リリーのような奔放なタイプは苦手でありながら、憧れでもあるんだと思う。リリーみたいな人って、人とコンタクト取ることに屈託がないので、わりと簡単に人の領域にスルリと入ってくる。でも、親しくしれくれたからといって頼りにしてしまうと、スルリとかわされるというか・・・ 広く浅くタイプと狭く深くタイプの違いというか・・・ 例えば、飲みに行こうと誘われる。普段夜遊びをしないニナにとっては、リリーが頼りなわけだけど、遊び慣れているリリーにとっては自己責任で帰るのは当たり前。お持ち帰られたとしても、それはそれでいいじゃないかと思っているというか・・・ 上手く言えないけど、誘ったのにそれはないよと思う部分もあるし、もういい年なんだから自己責任でしょうと思う部分もある。この後のシーンは実は・・・ということになっているけど、真相は謎な感じになっている。その辺りも上手い。詳しく書くのは避けるけれど、この夜のリリーのミラ・クニスとナタリーの熱演は見もの。ナタリーはボディダブルのようですが・・・ この夜がリリーの言うとおり(だと個人的には思うけれど)ならば、ニナはリリーの自分にない部分を取り込みたいと思ったのかもしれない。それはきっと黒鳥のためであり、実は自分の憧れでもある。ストイック過ぎるニナは奔放になることを認めたくなかったのだと思う。誰でも自分の中に認めたくない部分はある。でも、実はその部分が自分を開放してくれたり、救ってくれたりするのだけど・・・。

でも、ニナはその部分を求めている事を自覚していなかった。そこを認めて自分で認めたくなかった部分をも芸の糧にするんだと思えたら、もう少し楽になれたのかもしれない。でも、苦しんで苦しんで自分の中の黒鳥が目を覚ます。この舞台のシーンがスゴイ! とにかくニナが白鳥として舞台に立ったときからドキドキが止まらない。舞台裏ではある”事件”が起きていて、サスペンス調に撮られているので、そのドキドキ感ももちろんあるんだけど、そんな事より黒鳥の圧倒的な力強さと妖しさに心を揺さぶられて感動して涙が溢れていた。すでに予告などで流れているので書いてしまうけれど、黒鳥のニナの腕や手が黒い翼になるシーン。でも、最後のキメポーズをしたニナの腕に羽根はないけど、影には羽根がある。つまり観客には羽根があるように見えているということなんだと思う。同じような体験をしたことがある。マイヤ・プリセツカヤの「瀕死の白鳥」を見た時。あの有名なコチラに背中を向けたまま横移動しつつ、弱っていく白鳥の動きを表現した腕の動きは、羽根にしか見えなかった。優れた芸術家の、渾身の演技はそう見える。このシーンは感動。そして衝撃の事実とラスト。ラストはいろんな解釈ができると思う。見ていたままにも見えるし、何かを超えて真の芸術家になったようにも思うし、全て幻のようでもある・・・。個人的には真の芸術家になったけれど、見ていたままの現実を迎えるんだと思う。

キャストはみんな良かった! 先輩ダンサーのウィノナ・ライダーは鬼気迫る演技だったけれど、あまりにハマリ過ぎて怖い(笑) 演出家のヴァンサン・カッセルが、ちょっとステレオタイプではあるけれど、ワンマンな演出家を好演していた。だいぶ老けましたが・・・(笑) でも、役には合ってたと思う。リリーのミラ・クニスも体当たりの演技で良かった。奔放なタイプにありがちなザックリした性格のいい人ではあるんだけど、そうとばかり言い切れない怪しさもかもし出していた。ラテン系美女! 母親のバーバラ・ハーシーも見事! 母親の過干渉がニナを追い詰めたのは間違いない。だけど、それを自覚しつつもニナを守りたい気持ちが先に立って、より追い詰めてしまう。そういう自分でもどうにもならない感じを見事に表現していたと思う。そして怖い。でもこの母娘関係の密で難しい感じがきちんと伝わってきたから、哀しさに説得力がある。そして何と言ってもナタリー・ポートマン! ナタリーはいつも上手いので、今さらビックリしないけれど、一部バレエシーンでもリリーとのシーンでもボディダブルを使用したとはいえ、かなり体当たりの演技。よくやったなと思う。って上からな感じだけど、ホントに素直な気持ち。やっぱり同じ表現者として感ずるところがあったのかなと思う。子役出身だし・・・ 子供の頃に習っていたとはいえ、バレリーナのしなやかだけど鍛え上げられた肉体を、しっかり作っていたし。何もそこまで・・・と思うほど、追い詰められていくニナの姿が痛々しくも見事! この演技は素晴らしい!

書きたいことがたくさんあって止まらないけど、いろいろ伏線が貼ってあって、それぞれのシーンが見所。細かいツッコミどころがないわけでもないけれど、そんなことは関係ない。いわゆる美しいバレエ映画を期待すると違う。バレエ団の内幕ものとも違う。サスペンス要素も、ホラー要素もあるけど違う。でも、これは間違いなくバレエ映画であり、芸術家の話。ニナにはバレエしかなかったけど、バレエしかなかったからこそ完璧を求めて突き進めた。だから追い詰められ苦しみ抜いたけれど、全てを理解し舞台でラストを迎え、奈落で演出家に向かって言う「パーフェクト(反転)」が切なくはあるけれど、うらやましくもある。苦しんで苦しんで、ある一線を越えた人間にしか見ることの出来ない世界。ニナにしか見えない世界が見えたんだと思う。でも、それは見終わってから考えたこと。見ているうちはニナの芸術と芸術家としての姿に心打たれて涙が溢れて、体が震えるほど感動していた。ほぼ、嗚咽というくらい泣いてた(笑) 凄いものを見てしまった・・・ 今年No.1だと思う!


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【art】「ヴィジェ・ルブラン展」鑑賞@三菱一号館美術館

2011-05-06 00:00:00 | art
寝坊して遅れたけど、これから三菱一号館で「ヴィジェ・ルブラン展」 混んでるかなー? Posted at 02:24 PM

「ヴィジェ・ルブラン展」まぁまぁの混み具合。肖像画家ということで、彼女と同時代の女性肖像画家の作品を集めて展示。点数は多いけど、ルブランは1/3くらい。肖像画はあまりグッとこないな… マリー・アントワネットの肖像画で有名だけど、お目当ては自画像。これはかわいかった! Posted at 05:07 PM

ヴィジェ・ルブランは18世紀フランスの女流画家。画家ルイ・ヴィジェの娘として生まれ、夫も画家であり画商であるジャン=バティスト=ピエール・ルブラン。10代前半頃から肖像画を描いていた。主に貴族の肖像画を描き人気を得て、ヴェルサイユ宮殿に招かれ、王妃マリー・アントワネットの肖像画を描いた。王妃は大変気に入り、数年間にわたり自身や家族の肖像画を依頼。身分を越えた友情を築いたと言われている。フランス革命が起きると、王妃と親しかったことから迫害を逃れ、イタリア、ロシアなどを転々としながら、画家として暮らした。後にフランスに戻り、貴族やルイ18世に手厚く迎えられた。というのがお得意のwikipediaからの知識(笑) ヴィジェ・ルブランについては知らなかったけれど、少したれ目気味のマリー・アントワネットの肖像は何度も見てきた。今回見てみたいと思ったのは、マリー・アントワネットの肖像画もさることながら、彼女自身の肖像画がものすごくかわいかったから! 今回はこの肖像画を見に行った。



ヴィジェ・ルブラン展となっているけれど、彼女の作品だけではなく、同時代の女流肖像画家たちの作品も合わせて展示。この時代、優れた女流肖像画家が数多くいたらしい。まぁ、よく考えれば19世紀には写真が登場するのだけど・・・ うーん・・・ まぁ男の人、特におじさんの肖像画はすごくよく描けていたとしても、おもしろくはない(笑) 肖像画に描かれた人達の事を知らないとちょっと・・・ 一応、その人の説明などが書かれているけれど、正直そんなにグッとこない。例えば、服のレースの感じとか、肌の質感とかホントによく描けているのだけど・・・

会場はL字型の建物の3階と2階をそれぞれ小さく区切ってあり、9つの会場に分けて展示。お目当てのヴィジェ・ルブランの作品はⅦとⅧに展示。他の画家とは色のトーンが違う気がする。ふわっとやわらかく女性っぽい。肌が抜けるように白い。表情もふわりとした印象。マリー・アントワネットが彼女を気に入ったのはこの辺りかもしれない。女性らしさを全面に押し出し過ぎず、ふわりと女性らしい作品。チラシにもなっているマリー・アントワネットの肖像は結構大きい。タレ目がちの肖像画は王妃の威厳よりも、女性らしいかわいらしいやわらかさが漂っている。そして、お目当ての作品。1791年に描かれた「自画像」 黒いドレスの腰には少しくすんだ赤のリボン。エリザベスカラーっぽい白いレースの襟元。そしてコチラに向けた白く小さな顔を縁取るふわっとカールした髪にのせた白の帽子? その素材もふわりとしている。パレットと絵筆を持って描いているのは彼女の娘ジュリー。この作品が好きなのは、とにかくこのヴィジェ・ルブランがホントにカワイイ! ふわりとした表情は微笑むように少し開いた口によるもの。肖像画といえば口を結んでいるのが当たり前だった当時、彼女の描く肖像画は微笑むように口を開け、ほんの少し歯を見せている。その見せ具合が絶妙。開けすぎれば品がなくなる。ふわりとなんとも柔らかい表情。ヴィジェ・ルブランは美人画家としても有名だったらしいけれど、この肖像画はホントにカワイイ。今にも何か話し出しそう。これはホント素晴らしかった。これは見てよかった! そして、もう一つのお目当ては美術館自体も、重厚で素敵だった!

お土産

左:ヴィジェ・ルブラン 肖像画 右:チケット用クリアファイル


★マリー・アントワネットの画家 ヴィジェ・ルブラン展:2011.3.11~5.8
三菱一号館美術館

http://twitter.com/maru_a_gogo


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【cinema】『イリュージョニスト』

2011-05-01 02:02:45 | cinema
'11.04.16 『イリュージョニスト』@TOHOシネマズ六本木

これ見たかったのですが、実はこの日見る予定ではなかった。Yuweeと『ナルニア国物語』を見に行く約束してたけど、震災で延期に(涙) Twitterで感想つぶやくキャンペーンで『トゥルー・グリット』の招待券が当たったので、Yuweeを誘い『ナルニア』との2本立てを計画! そしたら何とヒルズ上映終わってた(涙) ということで、せっかくだから余力があれば見てみようってことで、チケット引換に行ったら、『トゥルー・グリット』13:20からの回はプレミアシートのため招待券では鑑賞不可とのこと。次の回は18:10! ということで、余力に関係なく鑑賞することに(笑)

「老手品師タチシェフ。時代の流れでパリやロンドンの劇場を追われ、スコットランドのある島のパブで働き始める。そこで住み込みで働く少女アリスと仲良くなる。アリスはタチシェフを魔法使いだと信じていたが…」という話。これはなかなか良かったんだけど、セリフもほとんどなく淡々としているので、普段あまり映画を見ない人には向かないかもしれない。一応、シネコンでかかっているので、よく知らないで見てしまうと辛いかも…(笑)

そもそもは『ぼくの伯父さん』のユロ氏ことジャック・タチが、自ら演じることを想定して書いた脚本「FILM TATI No.4」がもとになっている。フランス国立映画センター(CNC)が所蔵していたものを、『ベルヴィル・ランデブー』のシルヴァン・ショメ監督が、タチの娘ソフィア・タチシェフに掛け合い、アニメ映画化した。残念ながらソフィアさんはショメ監督と話した4ヶ月後に亡くなってしまったのだそう…。タチシェフというのはロシア移民系のタチの本名。タチは6作品を監督し、『ぼくの伯父さん』で人気者に。その後、どんどん機械化されていく社会を皮肉った作品『プレイタイム』が興行的に失敗、負債を抱えてしまったとのこと。『プレイタイム』は見たことあっておもしろかったのだけど、当時はちょっと斬新過ぎたか? タチはデビューが遅かったこともあり、ユロ氏が何歳設定なのか不明だけど、再びユロ氏として登場するには抵抗があった。また時代に取り残されたマジシャンという設定も、本人にとってきびしかったらしい。ご本人が「自分のイメージに対してシリアス過ぎるから、代わりに『プレイタイム』を作った」と語った記事が残っているそう。でも、その哀愁漂う感じが、この作品の魅力でもある。

ジャック・タチの作品は前述の『プレイタイム』の他に、『ぼくの伯父さん』と『ぼくの伯父さんの休暇』を見た。ヨレヨレのトレンチコート、クタクタのソフト帽、絶妙な丈の細身のズボン、そしてパイプがトレードマークのムッシュ・ユロ。いい人だけど不器用… 近代的な"ぼく"のお家の設備になじめず、次々壊してしまう。そのずっこけぶりを笑う感じ。セリフはほとんどない。その独特の動きととぼけた雰囲気のユロ氏はもちろん。近代化したぼくの家のデザインのマンガ的な感じや、ユロ氏の住む家対比とかもすごくカワイイ。そして機械化について行けないユロ氏の姿を通して、なんでも合理化する社会を皮肉っている。『プレイタイム』ではその辺りが前面に出過ぎたのかもしれない。観たのは10年以上前だけど、それでも公開時より時間が経ったので、描かれている近代化はすでにノスタルジー(笑) だから全然違う視点で観てしまった部分はあるけれど、それでもメッセージは伝わってきた。

と、ジャック・タチのことばかり書いてしまったけど、この作品を語る上ではやっぱり触れておかないと(笑) この映画ではタチに敬意を表してか主人公はタチシェフとなっているけど、キャラ自体はまんまユロ氏。あのちょっとお尻引きぎみでピョコピョコ歩く感じや、人と相対する時脚を揃えて腰を引く感じなど忠実に再現。映画の中のユロ氏はとぼけたいい人というイメージではあったけれど、タチの風貌は大学教授みたいなちょっと気難しそうな雰囲気があった。その辺りもうまく表現していた。

ストーリーはあらすじどおりで、落ちぶれた手品師の境遇も、彼を魔法使いだと信じた身寄りのない少女との関係も、少女が大人になる瞬間も、王道中の王道という展開。もちろんその中には、タチシェフの切なさがきちんと描かれている。ストーリーは王道なので、この映画の見所といえば、このユロ氏そのもののタチシェフの動きと、シルヴァン・ショメ独特の背景の美しさ。これは相変わらず抑えたトーンで水彩画のような美しさ。って『ベルヴィル・ランデブー』しか見てないけど(笑) あの映画の舞台になっていたのは、架空の街だったと思うけど、今回はパリ、ロンドン、スコットランドの島、そしてエディンバラが出てくる。でも、知ってるパリやロンドンじゃない。どこか幻想的。その淡い背景が、映画全体の哀しさを表現している。

『ベルヴィル・ランデブー』では登場人物達はかなりデフォルメされていたけど、この映画では比較的普通(笑) タチシェフについては前述のとおり。彼と同様時代に取り残された奇術師達はややデフォルメされていて、それがおかしい中にも哀しさを表している。少女のキャラデザインがイマイチ好みでなかったせいか、何となく魔法使いを信じる純真無垢な少女というよりも、お金をねだる図々しい娘に見えてしまったのが残念… 健気ないい娘なのだけど(笑)

こう書くとなんだかどんよりと暗い映画のようだけど、決してそんなことはない。ただ、もともとタチの作品自体が、コミカルなものの中にある哀しさや、そこから感じる矛盾なんかを皮肉っているのかなと思うので、そういう意味では好みの分かれるところかなとは思う。タチシェフが青年と並んで歩くアリスを見かけ、隠れようとして入ってしまった映画館では、ジャック・タチ主演の『ぼくの伯父さん』が上映中。もちろんタチへ敬意をはらってのことかと思うけれど、これはタチシェフであってユロ氏ではありませんという意味もあるのかなと思ったのは深読みかな? 題材の違いもあるけれど、やっぱり実際のタチの動きの方がコミカルだったので…

ジャック・タチ映画が好きな人は、アニメーションで蘇ったユロ氏の姿にニヤリとしたりホロリとしたりできるのではないかと思う。シルヴァン・ショメ監督ファンの方にはどうなのかは、前作と今作しか見ていないので、ちょっと分からず… あの風景や街並みの独特の美しさは持ち味なのだと思うので、それは十分堪能できる。タチの脚本ではアリスと暮らすのはプラハだったそうで、ショメ監督の判断でエディンバラに変更。ショメ監督は実際エディンバラに住んで作品を撮ったのだそう。中世の街並みがそのまま残るプラハは、確かに魔法使いがいそうではあるけれど、少しメルヘン要素が入ってしまう気がするので、エディンバラの重厚な暗さは良かった気がする。

個人的にはショメ監督作品としては前作『ベルヴィル・ランデブー』の方が好み。ユロ氏ものとしても『ぼくの伯父さん』や『プレイタイム』の方が好きかなぁ… タチ自身が語るとおり、ちょっとユロ氏にとってもタチ自身にとっても重過ぎる気はする。ただ、両方がよい具合に作用して、見応えのある作品にはなっている。洗車シーンはまさにユロ氏(笑)

ジャック・タチ好きの方オススメ!


『イリュージョニスト』Official site

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