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【cinema】『シャーロック・ホームズ』(試写会)

2010-02-28 03:24:56 | cinema
'10.02.18 『シャーロック・ホームズ』(試写会)@TOHOシネマズ六本木ヒルズ

yaplogで当選。いつもありがとうございます。ジュード・ロウ舞台挨拶つき試写会。前々日まで試写状が来ていなかったので、ハズレたんだろうと思っていたら、なんと前日に届いた。明日!? ダメもとでジュード・ロウがお好きなrose_chocolatさんに連絡。OK! しかも、全席指定で9:30から引き換え開始と伝えると、わざわざお昼に会社まで来ていただき、早めに行ってチケット引き換えて下さるとのこと。なんとありがたい! しかも、お手製の焼きおにぎりや、唐揚げまでご馳走になってしまった。スゴイおいしかった! ごちそうさまでした

ヒルズに着くと映画館入口の階段にレッドカーペットが敷かれている。カーペット・イベントの招待券はないので、本来見ることはできないけど、遠巻きに見れないことはなさそう。でも、寒いしrose_chocolatさんが引き換えて下さったチケは、やや左よりながら前から6列目! だったら早く入ってゆっくりしましょうということで入場。19:00開映にそんなに遅れなかったと思うので、カーペット・イベントも早めに終わったのかもしれない。

客席が埋まり、マスコミ関係者も揃った頃、司会のおねえさん登場。あまり前置きせず、注意事項を伝えて、紹介してくれたので良かった。こちら側の扉からジュード・ロウ登場。カッコイイ! 背高いし、スタイルいい! グレーのサテン地のスーツが似合う。そしてかなりご機嫌な様子。気さくに手を振って応える。初めの挨拶自体はあらかじめ用意していたようで、スゴイ勢いで話す。「日本に来れてうれしい。日本に来るのは大好きで4~5回来ている」大好きなわりに回数ハッキリ覚えてなのか(笑) まぁ、たくさんの国に行くでしょうし。でも「今回は初めて家族と来ている。子供が楽しんでくれるといいんだけど」 なんていうパパの一面も見せたりする。映画については監督以下「原作に忠実に作ることを心掛けた」そうで「ベイカー街や当時のロンドンの映像」を見てほしいとのこと。でも「新しい風も入れたかったんだ」とも語っているので、ガイ・リッチー風味なのかもしれない。また、ホームズ役のロバート・ダウニー・Jr.との共演については「ハイライトだった」そうで、ホームズとワトソンの関係は「2人はケンカばかりしているけど実は愛し合っているのです。だって一緒に住んでるんですよ(笑)」と笑わせたりもする。最後に、今日集まったお客様に一言「おもしろかったら2回見てね」と言い残し去って行った(笑) 多分、10分もいなかったように思うけど、終始にこやかで、通訳している間は、ずっと手を振って応えていた。さすがプロだなという感じ。あっという間だったけど、素晴らしい目の保養だった。ということで、本題へ。

*ネタバレありです。辛口になっちゃいました

「相棒のワトソン医師と共に、黒ミサの行われている現場に踏み込み、首謀者であるブラックウッド卿逮捕に貢献したホームズ。ある日彼の元に処刑されたブラックウッド卿が生き返ったらしいとの知らせが届く。そしてロンドンでは不可解な事件が起こり始めて…」という話で、これは娯楽作品。アクション・シーン満載で、おもしろいけれど、シャーロック・ホームズではないかも。多分、原作は1冊くらい読んだことがあると思うけど、覚えていないので、あまり偉そうなことは言えないのだけど、こんなにアクション多発な人なんだろうか。世紀末ロンドンの感じも、あのタワー・ブリッジを建設中というのは面白かったけど、やっぱり何となく違う印象。まぁ、予告編でも流れているとおり、ビッグ・ベンでお馴染みの国会議事堂が重要な役割を果たしてはいるけれど。まぁ、19世紀末ロンドンなんて見たことないわけだから、こちらも偉そうなことは言えないのだけど…(笑)

ガイ・リッチー作品は『ロック・ストック・トゥー・スモーキング・バレルズ』しか見ていない。冒頭、どこか建物の地下で行われている黒ミサに踏み込むため、ホームズは地下へと続く階段を下りながら、待ち受ける敵を倒す方法を頭のなかでイメージする。「最初に頭突き、次に顎に一発…」という具合に。それをスローモーションで見せておいて、その後実戦部分を高速で見せるという演出はおもしろいし、ガイ・リッチーっぽいのかなと思ったりするけど、この手法は実は度々出てくるので、若干飽きるかな… スゴイ能力だとは思うし、何事も理路整然と分析するホームズという人を表しているんだと思うけど、そもそも原作のホームズはこんなにアクションの人なんだろうか。まぁ、別に何もかも原作通りにする必要もないと思うし、新しい風なのかもしれないけれど、BBCドラマ版のファンとしては違和感はある。ホームズは割と皮肉屋で阿片だかモルヒネだかの中毒患者だったと思うので、まるっきり品行方正で模範的な人物というわけでもないので、多少のデフォルメはありだと思うけど、ホームズかと言われると違う気はする。というわけで、たいしたホームズ・ファンでもないくせに偉そうだけど、これは別モノとして見るべきだと思う。そう思って見れば、娯楽作品としてはおもしろいと思う。

うーん。何かと比較するのもどうかとは思うけど、BBC版のあの皮肉屋で、ちょっと気取った感じが自分の中のイメージだとすると、ちょっとワイルドというか、探偵なので時には危険な目にも合うだろうから、多少のアクションはあるとは思うけど、途中ホームズがファイトクラブみたいなところに行ったりするのは、原作にもあるんだろうか? 何度も言いますが、ガイ・リッチー監督×ロバート・ダウニー・Jr.という時点で正統派では無い感じはするので、どんな新風でも楽しければいいのだけど、肝心の謎解き部分がすごく駆け足だった割に、あんまり本筋と関係ないアクション・シーンがやたらと長かったので… 新たな探偵モノとして、映画を作ったのであれば全然OKなんだけど、シャーロック・ホームズという世界一有名な探偵の話だからね。まぁそれだけに、いろんなホームズ像があっていいのかなとは思いますが、主演のロバート・ダウニー・Jr.の演技は上手いんだけど、やっぱり大味な感じにはなってしまったかも。でも、そこは狙いなのかなという気もする。

続編が作られることが決定しているらしいけれど、それを意識した作りだなという感じ。だから、人物紹介的な部分が多かったようにも思う。でも、例えばホームズの人となりとか、ワトソンとの友情について詳しく語られるわけではない。でも、ワトソン医師がホームズと同居していて、精神的に不安定になってしまうとワトソン以外の誰も近づけない感じとか、結婚を機に探偵の助手を辞めたがっているワトソンが、つい心配で戻ってきちゃうとか、2人の特別な関係を表している。ただ、2人共見た目が若いので、何となく青春っぽい印象。実年齢から考えると、2人とも立派なオッサンなので、キャスティングとしては合ってると思うんだけど。

うーん。ホントにこれが『シャーロック・ホームズ』でなければ、新しい探偵もののシリーズとしてありだとは思うのだけど、あのシャーロック・ホームズだからなあ。そこら辺が有名な原作の映画化作品を見る際の線引きの難しさというか… 全く別物として楽しめるか、違和感を引きずってしまうかっていうのは、作品の力が足りないのか、見る側の思い込みがいけないのか、なかなか難しいところではあるけれど、正直に言うと、あんまり合わなかったのかなと思う。でも『ロック・ストック~』は面白かったんだけどな。あとは原作の自分の中での位置づけもあるかも。上手く言えないけど、サー・アーサー・コナン・ドイルがこのシリーズを書き始めた頃は、たしか探偵小説は娯楽小説であって、評価は低かったんだと思う。でも、長い年月の間にジャンルとして地位を獲得し、初期の作家や作品が評価され、古典や文芸になった。もはや文芸である原作を、娯楽作品にしようという試みはおもしろくはあるのだけど。

さんざんけなしてしまっているけれど、つまらなかったわけではない。テンポもあったし、なにしろ主役2人がイケメンだし(笑) ただ、女優2人に華がなかったかなという気はする。レイチェル・マクアダムスは綺麗だし、演技も悪くなかった。アメリカ人という設定だから、ヤンキー娘っぽいのもありなんだと思うけど、シャーロック・ホームズが愛するスゴ腕女盗賊には見えないかなぁ。間違いなく峰不二子の勝ち(笑) ラスト、ホームズ最大の敵との繋がりを示唆しているし、どうやらホームズがらみっぽい予感。ワトソンの婚約者役のケリー・ライリーはクラシックな顔立ちで、ホームズの侮辱的な発言に毅然とした態度で応じ、このまま亀裂かと思わせて、実は意外に支えてくれたりする。ということで、この2人続編にも登場するかと思う。さっきも書いたけど、2人とも綺麗だし演技も上手いけど、シリーズもののヒロインとしては弱いかな。インパクトがある分『スパイダーマン』シリーズのMJの方がある意味存在感があるかも(笑) あとは悪役もパンチが足りなかったかな。まぁ、蘇ったと言われても、どうせ最初から死んでないんでしょなんて思ってしまうのは、この手の小説や映画を見過ぎのせいかもしれないし、ブラックウッド卿のマーク・ストロングも頑張っているけど、黒魔術を扱い、処刑された後生き返ってロンドン中を震撼させたり、秘密結社の新たな長として君臨する感じはちょっとキビシイかな…

と、気づけばまたけなしてしまっている! 見ている間は、けっこうおもしろくて、見終わった後もそんなに悪い印象ではなかったのだけど、気がついたら辛口になってしまっている。なんでだろう(笑) うーん。画面展開が特別早かったとも思わないし、逆にテンポが悪かったとも思わないんだけど、こうして感想を書いてみても特別印象に残るシーンがない。ジュード・ロウが言ってた19世紀末ロンドンの町並みは面白かった。ホームズとワトソンが馬車の中から眺めて「産業革命の国だ」と語っているけど、タワー・ブリッジが建設中であるというのも興味深かった。そして、主演2人の掛け合いもおもしろかった。ホームズの得意技でもある変装を、あのスピード感で見せてしまうのも、おもしろかった。ここは後から見せるのだけど、レイチェル・マクアダムスの乗った馬車に金を無心に来た男の正体は、見ている側には分かるので、その種明かしはこんな感じて見せてしまうのもいいかもしれない。ただ、本筋の謎解きもこの手法なのはなぁ…

キャストはマーク・ストロング、レイチェル・マクアダムス、ケリー・ライリーについては前に書いた通り。レイチェルはアクションもこなして頑張っていた。ただ、ある意味コスチューム・プレイでもあるのに、女優2人の衣装がほとんど印象に残っていない。レイチェルは真っ赤なドレスを着ていた覚えはあるけれど。それくらい男っぽい映画といえるのかもしれないけれど。記事を書くまで気づかなかったけど、衣装の印象がなかったというのは、自分でもちょっとビックリ。

ジュード・ロウは決してカッコイイとは言い切れない役を、ほどよくコミカルにかっこよく演じていたと思う。スタイルがいいので、クラシックなスーツが良く似合う。婚約者披露ディナーのミリタリーはちょっとビックリしたけれど(笑) そろそろ身をかためて、ホームズとの冒険は終にすべきだと考えているけど、結構つき合ってしまう感じも、まだ青年っぽさが残る表情に説得力がある。そして、やっぱりいい男。

ホームズのロバート・ダウニー・Jr.は、やっぱり上手い。天才的頭脳と感覚を持ってしまったために、人と自分の感覚の違いの折り合いがつかない孤独を、ほとんど無表情で演じているけど、きちんと伝わってくる。シャーロック・ホームズかと聞かれると、微妙ではあるけれど、凡人には見えない世界を生きている人物であることの説得力はあった。例の攻撃のシミュレーションとか、演出面の手助けもあったものの、こんなに何でも分かってしまうのは、辛いことも多いと思うので、その辺りがちゃんと伝わったのは良かった。

うーん。もっと早く感想を書かないといけなかっのだけど、バタバタと忙しくて遅くなってしまった。だからと言うわけではないけど、見終わった直後は生ジュード・ロウ効果もあり、おもしろかったと思ったのだけど、記事を書いてみるとどんどん辛口に… うーん。やっぱり新風とはいえ、探偵モノなので、アクション部分重視で、謎解きがまくし立てるようなホームズのセリフと、早い画面展開であっさり終わってしまうのが、個人的にはちょっと不満。ちゃんと伝わってはいたけれど。まぁ、でも見せたいのは謎解きではなくて、屈強な敵にも頭脳+アクションで立ち向かう新しいシャーロック・ホームズなのでしょう。そういう意味では楽しめた。個人的にはやっぱりイメージの中のシャーロック・ホームズとは違かったので、これは別物という印象。だからホームズ&ワトソンという、新たな探偵コンビものとして見れば、楽しかった。

感想は人それぞれだと思うので、これはあくまで個人的見解ですが、原作ファンの方はこれは"新しい"シャーロック・ホームズだと思って見た方がいいかも。アクション系の娯楽作品(バカにしてないです!)が好きな方は、楽しめると思う。主役2人頑張ってます!


『シャーロック・ホームズ』Official site

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【cinema】『恋するベーカリー』(試写会)

2010-02-16 00:21:00 | cinema
'10.02.09 『恋するベーカリー』(試写会)@朝日ホール

yaplogで当選。いつもありがとうございます。チラシなどのベーカリーに並んだパンがおいしそうで、大人の恋愛モノもいいだろうってことで応募。見事当選した。

*ネタバレありです。やや辛口かも?

「敏腕弁護士の夫の浮気が原因で離婚して10年。3人の子供の手も離れ、それぞれ家を出た。今では全米No.1に選ばれる人気ベーカリーのオーナーとして充実した毎日を送るジェーン。でも、どこか満たされない日々。そんな時、別れた夫と再会して…」というあらすじだけ読むと、しっとりとした大人のラブストーリーに思えるけれど、これはコメディーで、しかもかなりドタバタ。メリル・ストリープとアレック・ボールドウィンにスティーブ・マーティンが絡むというので、軽いタッチながらも大人な感じを期待したのだけど、違ってた(笑) なので、これはあくまで娯楽作品で、ドタバタ・コメディーだと思って見るべき。そう思って見れば、さすがに皆上手いので、楽しく見ることが出来る。

何故わざわざR15なんだろうと思ってたんだけど、始まりから終わりまで、かなりエッチのことばっかりだった(笑) 息子の卒業式に出席するため滞在したニューヨークのホテルで、偶然元夫のジェイクと再会して、酔っ払った勢いでそうなってしまうのは知ってたし、それをきっかけに揺れ動いてしまうのも知ってた。でも、まさかそのことばっかりとは(笑) イヤ別にいい年してとか言うつもりはないし、いつまでたっても愛し合う関係はいいと思うけど、もうサカリか?というくらいスゴイわけです(笑) アレック・ボールドウィンのメタボぶりからしても、そういう"いい年して"部分も笑っちゃおってことなんだと思うけど、スゴイです(笑)

日本人が慎ましやかなのか、アメリカ人がオープン過ぎるのか分からないけど、最近よく映画の中で、独身中年女性達が集って、恋愛談議を繰り広げ、セックスの重要性を語り、自分の性生活まで赤裸々に語り合っているシーンを見かけるけれど、海外の人はこんなに赤裸々に語るものなんだろうか。下ネタなんてはしたない!と思ってるわけじゃないし、全く話さないってことはない。でももし、この人達の近所になってしまって、お茶に呼ばれて、毎回この感じなんだとすると、ちょっとキビシイかなぁ(笑) でも、ちょっと前に『セックス・アンド・ザ・シティ』が話題になったことを考えると、日本でもこの感じはあるのかな。ドラマも映画も未見なのでよく知らないけど(笑) まぁ、ここは自立して成功している女性が、恋愛も手に入れたいと貪欲に生きる感じや、何でもオープンに話せる友達もいるということを描いているってことなんだと思うので、まぁ深く考えないこととする(笑)

『恋するベーカリー』という邦題から、もう少しこじんまりとしたパン屋さんの話なのかと思っていたら、全米No.1ベーカリーで、カフェ・スペースも併設されてて、スタバみたいな感じ。なのでジェーンはパン屋さんというより経営者。週に何日かカウンセリングに通い、まぶたが被ってきたので美容整形を考えたり(結局しないけど)、子供達が出て行った広い家を増築する計画を進めている。自立した女性の充実した毎日で、結構セレブ。だからというわけではないけれど、年齢的にも、結婚14年で離婚して10年という感じにも、自分の生活と被る部分がほとんどない。だから人生の先輩として参考になればと思ったのですが… ちょっとドタバタだった(笑) でも、多分ドタバタしたコメディーの中に、家族愛とか、女性の自立なんかを描きたいのかなと思うけど、そこに描かれている"家族愛"についても、全然重いものではなくて、今は別れて別の道を歩んでいる両親を、子供達は受け入れているし、それぞれを父親として母親として愛している。だから特別問題があったわけでもない。なので、父親と母親がよりを戻したことに対して戸惑ってはいるけど、それによって波風が立って家族が再生する話でもない。そもそも冒頭から社会的地位を得ているジェーンの成長物語でもない。では一体何って感じですが(笑)

正直、監督がホントに描きたいことが何なのか分からなかったのだけど、作りたかったのはコメディーなんだと思う。そういう意味では楽しめた。ジェイクは離婚の原因となった浮気相手と再婚している。ジェイクよりかなり年下のラテン系美女。離婚したのに煮え切らないジェイクと別れ、別の男性との間に男の子が生まれた後、ジェイクと再婚。ジェイクの子供を欲しがっている。不妊治療の病院と、ジェーンがまぶたの手術の相談にやって来るクリニックが同じビル内にあって鉢合わせとか、コメディーにありがちなご都合主義的な部分が気になるし、そもそも元夫と密会するなら、娘が披露宴(ってアメリカでも言うのかな?)するホテルを使うなよ、というツッコミは一切なしで(笑) そこを気にしてしまうと、全く成り立たない。これはあくまで娯楽作品という意味でのドタバタ・コメディーなので。もちろん、全然バカにしてないです! そういうジャンルの映画であるというだけ。だったらそういう作品だと思って見ればいいので、そういう意味ではホテルのロビーでのドタバタはすごく面白かった。披露宴の打ち合わせをしている長女と婚約者。そこへジェイクが現れチェックイン、婚約者のみ気づき驚いていると、ジェーンがやって来てジェイクの部屋へ。長女に気づかせまいと奮闘する婚約者の姿が笑える。部屋ではジェイクが、持病の薬の副作用で倒れてしまう。医師が2人の部屋に駆けつける姿を見てビックリする婚約者。ジェイクは無事に意識を取り戻し、医師に下ネタで応対する2人。ロビーに戻って来て、インフォメーションの女性に親指を立て、笑顔で去っていく医師、安堵する婚約者。この場面は笑えたけど、笑えるシーンのほとんどは、ほぼこんな感じなので、こういうベタなドタバタ感が苦手な人は、ダメかもしれない。

正直、この映画から得るものは何もなかった(笑) おもしろかったけど下ネタばかりで食傷ぎみ。ジェイクのキャラがちょっと・・・。ドタバタ・コメディーとしてはアリなキャラだけど、50代の敏腕弁護士が、全米No.1ベーカリー経営者となったジェーンとよりを戻したい理由が、エッチが良かったっていうだけに見えてしまう。もちろん、若く気の強い妻が、子供が欲しくてキリキリしている姿より、家事も完璧で、仕事もバリバリこなし余裕のあるジェーンに魅力を感じるのは理解できる。この妻との浮気が原因で離婚したのだから、ジェーンと家族に未練があっても、おちゃらけた態度でしか接しられないのも分かるけど、その感じはせいぜい30代前半までにして欲しい気がする。ジェーンが「私は夫婦であることを諦めていたけど、あなたは違っていたのかも」と言うシーンがあるので、ジェイクの浮気にはジェーンが妻であることより、母であることを優先したからなのかなと思うけど、母であることを優先するのは当然だし、育児でやつれた妻よりも、若い女が良くて、その若い女と結婚してみれば、付き合っていた当時みたいに自分を慕ってくれなくて、家事も未熟でうんざり。子育ても終り、完成された元妻が良く思えて、よりを戻したいというのは、あまりにも身勝手じゃないかと思う。まぁ自分は妻になったことも母になったこともないので、あまり偉そうなことは言えませんが・・・

この、いつまでたってもチビッコ魂なジェイクは、多分若い頃はモテたんでしょう。だからジェーンに対する口説き方もイケメン風というか、自分カッコイイ前提。でも実際はメタボオヤジ。そんな感じも笑っちゃおうってコトだと思うんだけど、この役よく考えるとヒドイ(笑) エッチの相性と元夫という情以外、ジェイクのどこに惹かれて揺れるのかよく分からない。でも、あくまでバカ映画として見れば、愛すべきバカキャラ。もちろんホメてます。ジェーンがアダムにクロックムッシュをふるまいイイ感じなのを覗くシーンがベタで笑える。ジェイクに対して登場するのがジェーンのリフォームを担当するアダム。2年前に離婚し、その傷が癒えていない彼は、ジェイクとは正反対で女性に対して奥手。50代の男性に奥手っていうのもどうかと思うけど、とにかく真面目。おもしろ味はないかもしれないけれど、穏やかに暮らせる気がする。何度もジェーンに打ち合わせの時間を忘れられても怒らないし(笑) このアダムをコメディアンでもあるスティーブ・マーティンが演じているってことも、ひねりなんだろうと思う。パーティーでハッパを吸って、ジェーンと2人ハイ・テンションになるシーンは楽しかった。でも、ここでやり過ぎていないから、ジェイクのダメさが生きてくるので、この演技は見事。その後、ジェーンの店へ行き、チョコクロを作るシーンはすごく好き。ここはとってもロマンティック。アダムとの関係は穏やかでゆったりとしたもの。2人は結局精神的なつながりのみ。肉体的なつながりのジェイクには彼の好きなお肉料理の豪華ディナーを用意する(結局食べないけど)のに、アダムにはクロックムッシュとチョコクロなのも良い対比となっている。この2人のキャラは精神的な愛なのか、肉体的な愛なのかということなんだと思う。

キャストはジェーンにメリル・ストリープ、ジェイクにアレッグ・ボールドウィン、アダムにスティーブ・マーティンとかなり豪華。ちょっと、このドタバタ・コメディーにはもったいないかなという気もするけど、3人やっぱり上手いので、この映画にも多少なりとも奥行きを見出せたんだと思う。って、なんかホメてるのか、けなしてるの分からない感じになってるけど、ホメてます(笑) アレック・ボールドウィンは何故この役引き受けたんだろう(笑) ジェイクの魅力がどうにも分からなかったんだけど、おちゃらけなければ元家族に接しられないんだろうと思えたのは、アレック・ボールドウィンのおかげ。まぁ、ドタバタ・コメディーなので、むりやりそんなところ拾わなくてもいいのかもしれないけれど。スティーブ・マーティンが良かった。真面目でサエないアダムを好演。失礼ながら、少し物足りなさは感じるかもしれないけれど、この人と結婚したら穏やかに暮らせるんじゃないかと思わせる。ジェイクの下品行動のおかげで彼を傷つけてしまったジェーンが、アダムとやり直したいと謝りに来たシーンでの、毅然とした態度も良かった。そして何より前にも書いたハッパのシーンの適度なハイ・テンションぶりが見事。

メリル・ストリープはさすがに上手い。映画版『マンマ・ミーア』は未見だけど、元人気歌手で、父親の分からない娘がいるドナ役には合っていないと思っていた。何より父親候補の3人に、今でもほのかな恋心を抱かせるタイプに思えない(失礼) でも、この映画のジェーンは魅力的。ちょっとドタバタしている部分はあるし、ジェイクに揺れ動いてしまう気持ちは若干理解しきれない部分はあるけれど、それでもイライラしなかったし、なんとなく説得力を持たせてしまうのはさすが。

うーん。原題は『It’s Complicated』で"混乱"とかいう意味らしい。なので、たぶん自分でもビックリな状態ってことなんだと思う。自分でコントロールできない気持ち。そういう意味ではドタバタ・コメディーとして混乱してたので、そのまま納得という感じ。何度も書くけど笑えたし、楽しめた。正直、得るものは何もないけど(笑) 『恋するベーカリー』という邦題からオシャレな感じの映画を想像すると、ちょっと違うかも。ベーカリーほとんど出てこないし(笑)

ということで、あくまで娯楽作品であり、ドタバタ・コメディー(下ネタあり)として見たら楽しめる。ホメてます。


『恋するベーカリー』Official site

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【cinema】『食堂かたつむり』(試写会)

2010-02-12 00:57:04 | cinema
'10.02.02 『食堂かたつむり』(試写会)@ヤクルトホール

yaplogで当選。ホントにいつもありがとうございます。これ別口でハズレてしまってガッカリしてた。試写会募集の記事を見て早速応募。見事当選したのでワクワクしながら行ってきた。

*ネタバレありです!

「一緒にお店を開店することを夢見ていたインド人の彼氏に、祖母の形見のぬか床以外を持ち逃げされてしまい、ショックから失語症になってしまった倫子。折り合いの悪い母親の元に帰った倫子は、実家の裏にある小屋を改装し食堂を開く。1日1組限定。メニューなし。倫子の作る料理を食べると幸せになれると評判を呼ぶが…」という話。原作はベストセラーとなった小川糸の小説。これは未読。ほんの少し立ち読みしたところ、倫子の一人称で書かれているっぽい。となると映画は別モノになっているかもしれない。だからもしかすると、原作ファンの方には違和感があるかも。個人的には結構好きだった。掘り下げが浅い感じがしなくもないけど、あえてそういう感じにしたのかなとも思う。それが逆にこちらに意味や意図を考えさせる余白になった気がする。深読みしているかもしれないけど(笑)

というのも、倫子は失語症という設定だから、基本的に彼女の台詞はない。時々、母親のペットで豚のエルメスと心の中で会話する時以外、一切喋らない。母親に対する気持ちについては、少女の倫子の回想シーンとも、幻想ともつかない感じで代弁される。個人的にはこの手法は結構好きだったのだけど、合わない人はいるかも。それはミュージック・ビデオ的な映像&歌で、これまでの倫子の人生をさらりと見せてしまう導入部や、時々差し込まれるファンタジックな映像なんかにも言えることかも。正直、若干あざとさを感じたけれど、個人的には好きだった。どちらかというと、エルメスと穴を掘るシーンのドタバタの方があざとかった。

倫子は父親がなく、同じ敷地内でスナックを経営する母ルリコと2人暮らし。小学生の頃、倫子の倫は不倫の倫だとからかわれ、父親のことをルリコに尋ねると、その通りだと答えが返ってくる。真相がホントに"水鉄砲"なんだとすれば、小学生に言える内容じゃないし、大人になってもどうかと思う(笑) でも、いくらなんでもそんな言い方はないだろうと。親子の感じはずっとこうだったらしく、大人になった倫子が母親の言動に傷ついたり、悲しんだりする度に、この頃の倫子が現れる。この母親との関係から逃げ出すため、倫子は祖母と暮らすことになった。おそらく、倫子の料理の腕や、おもてなしの精神、そしてどんな事にも取り乱さない心を育てたのは、この祖母との関係。どうやら、小説ではこの祖母との関係が重要な要素として描かれているみたいだけど、映画では冒頭にミュージカル仕立てでサラリと見せてしまう。続いて同棲していた彼氏の裏切りまでを一気に歌う(笑) 前にも書いたけど、若干あざとい気がするけど、見せたい部分を絞るため、あえて流したのは潔いいかも。

とにかく普通の人は出てこないというくらい、濃いキャラばかり。原作だとどんな感じになるのか分からないけど、映画で見ている分には、役者さん達が上手いので、あざとくはない。流行りの小説を、評判につられて読んでみると、濃いキャラ達が、理解不能な行動ばかりしていて、うんざりする作品が多かったりする。まぁ、余談ですが(笑) サロペット姿のよき理解者ブラザートムや、中年のオカマ、馬に乗ってルリコの店に通うヤクザな男、喪服姿のお妾さんなど個性派ぞろい。一番奇抜なのはルリコ。厚化粧に派手な服装で、豚のエルメスを飼っている。このルリコさんは、男に騙されボロボロになった娘より、ペットの豚をかわいがるような母親。でも、実際は娘を愛しているし、心配している。でも、それを素直に表せない。食堂を開くからお金を貸して欲しいと言う娘をちゃかしてしまう。困った倫子はブラザートムに借金する。と、書けば何となくからくりは分かる。ただ、この母親がこんな回りくどいことをするのは、娘の自立のためではなく、あくまで素直になれない性格だからという側面が強いように感じてしまう。まぁ、それならそれで別に問題はないし、最後にきちんと倫子に伝えたいことを伝えてはいる。せっかくなんだから、きちんと分かり合えばいいのになと、思ったりもするけど、あくまで自分の生き方やキャラを貫いたルリコは、映画の登場人物としては魅力的だし、カッコイイかも。自分の親じゃ困るけど(笑)

倫子が声を失っているというのは、この映画に関してはいい作用をしていたと思う。現代はコミュニケーション過多というか、誰かが何か発信したら、即反応しないといけない雰囲気があるけど、倫子は話せないから筆談になる。あんまり長くは書けないから、要点だけを聞き、そして答える。お客さんは言いたくないことは言わなくていい。それはいいかなと思った。特に、女子高生の志田未来が好きな男子と来るために、予約を入れる場面ではそう感じた。急かされたり、勘繰られたり、逆に張り切って台なしにされたくないかも。適度な距離感がいい。もちろん、それはもともと倫子が持っている距離感なんだと思うけど、話せないことが明確に分かっているからこその受け手側のスタンスっていうのもあるのかなと思ったりする。お妾さんがあんなに食べることに夢中になれたのも、この距離感が作用している気がする。

チラシなどに書いてあるけど、この映画で言いたいことの1つは"生きることは、食べること" 実はこれ、知らずに見た。でも、お妾さんのシーンを見ながら自然に「あぁ、食べることは生きることなんだなと」思っていた(笑) お妾さんを演じた江波杏子の熱演もあって、素晴らしいシーンだと思う。参鶏湯の後にラムチョップ! どんだけ食べるんだよと思ったけど、旦那さんが亡くなってから喪服に身を包み、まるで老婆のようだったお妾さんが、初めは帽子のベール越しに、ゆるゆると運んでいた食べ物が、みるみる彼女の"生きる"エネルギーに火をつけて行く。顔に生気が戻ってきて、縮んでいた背筋がしゃんと伸びる。そして食べる! お妾さんはすごい勢いで食べてたけど、別に汚く食べたわけでも、下品だったわけでもない。とても品よく食べていた。料理もとってもおいしそう。でも、言い方は悪いけど、食べるってとっても動物的な行為。それは本能だから。具合が悪い時や、精神的に辛い時には、食欲はないし食べてもおいしくない。自分では辛いと思ってても、何かを食べておいしいと思えるなら、きっとまだ大丈夫なんだと思う。そういうことが、すごくよく分かった。このシーンはまるごと好き。

倫子は食堂造りを手伝ってくれたブラザートムを、最初のお客さんとして招待する。彼に出したザクロカレーがおいしそう! ぜんぜん味の想像がつかない。彼はこのカレーを食べて別れた妻を思い出す。そして奇跡が起きる。その話を聞いた、恋する志田未来がジュテームスープで恋愛成就。お妾さんは生きる希望を取り戻し… という具合に、倫子の食堂かたつむりで食事をした人は次々幸せになっていく。でも、ホントは本人達が少し足を踏み出した結果。そもそも、食事に誘えた時点で相手に告白できたようなものだし、彼が来てくれたってことは、すでに結果は出てるようなもの(笑) 要するに、倫子の料理は"きっかけ"であったということ。でも、きっかけが素晴らしいものだったからこそ、幸せに満たされて、素直にそれを受け入れられたんだと思う。それは倫子の料理が、どれもホントにおいしそうで、しかも独創的であることが、とっても役立っている。前述のザクロカレーや、たっぷり野菜のジュテーム・スープはどんな味なのか食べてみたい!

人に1歩踏み出すきっかけと、食べることの幸せを与える倫子。でも、彼女に幸せはなかなか訪れない。子供の頃から突き放されているので、倫子はとっても自立している。もちろん心の中では母を求めているから、時々小学生の倫子が現れてしまうんだと思うし、フクロウのエピソードは感動的だけど、その種明かしがなくても倫子が母の言葉にすがっていたことは伝わってくる。何より毎朝、きちんと母親のために朝食を用意するのが健気。母親は素直に愛情表現出来ず、娘は甘えられず、喋れないので喧嘩することも出来ない。『今度は愛妻家』の記事にも書いたけど、伝えたい気持ちがあっても、伝わらなければ意味がない。でも、自分の気持ちをきちんと伝えることは難しい。表現すること自体もそうだけど、本当に伝えたいことを伝えたのに、受け入れてもらえなかったらと考えてしまう。人の気持ちや、自分の気持ちは難しい。ホントの気持ちを自分が居なくなってから伝えるっていうのはどうなんだろうって思ってたけど、あくまで倫子に映ってた自分を貫いたのはカッコイイかも。ちょうど悲しみに慣れた頃、伝えたかったことが伝われば、受け取る側も楽だろうという配慮って気もするし、両方含めていい意味で自己満足なのかも。

ルリコの身体に異変が起きる。これをきっかけに少しずつ歩み寄る親子。それはやっぱり普通の母娘とは違うけれど、正解があるものでもないし。ルリコの初恋の相手シュウ先輩が、彼女の主治医。2人は結婚することになり、倫子がパーティーをプロデュースする。後から気づいたので、確かじゃないけど、多分13人だったんじゃないかな… 「最後の晩餐」ってことなんだと思う。ルリコが語る荒唐無稽な倫子出生の秘密を信じるならば、ルリコは聖母マリアで、倫子はイエス・キリストということかと。そして、倫子とルリコはエルメスに乗って共に空を翔ける。このエルメスが、とっても大切なことを教えてくれる(涙) このシーンのエルメスはもちろんCGだけど、他のシーンはどこまで本物なんだろう。でも、豚ってこんなにキレイでカワイイ動物だと思わなかった。白い毛がキラキラして、目がつぶらで、あの鼻がピンクでカワイイ! ルリコが何故豚を飼うことにしたのか謎だけど、エルメスが果たすことになる役割は大きく、そして深い。それは"生きることは、食べること"に繋がっている。食べることは、命を頂いているということ。どうやら、原作ではこの部分の描写がかなりリアルらしいけれど、映画では一切なし。エルメスは美しい姿のまま荷台に乗って画面から去り、姿を変えて倫子の元へ戻ってくる。ここの間に起きたことを、私達は普段目にすることはない。だから、どうしても忘れがちだけど、お肉でも魚でも、野菜だって命を貰っているのだから、きちんとおいしく食べてあげなきゃいけないと思った。リアルな映像がなくても、それは伝わった。

そもそものテーマといい、母娘の関係といい、実はかなり重い。そのテーマをあえてポップでメルヘンっぽい映像や語り口で見せている。だから、そんなに重くなく見れるので、見ている側としては気が楽。ルリコの倫子に対する思いとかも、ちょっとした場面で伝わってくるので、個人的には好きだった。でも、本質的な部分はわりと自分の頭の中で変換しないといけなかったりするので、普段あまり映画を見ない人には伝わりにくいかも。自分が特別観察力があると言っているわけではないし、前述したように伝えたい事は伝わる。でも、それは役者さんの演技を含めた視覚に訴える部分が大きいので、そういうの拾うのって、実は訓練が必要だったりする。まぁ、そんな大袈裟なものではないけど(笑) 映画をたくさん見てると、いろんな伏線を拾いながら見れるようになったりするので。でも、お妾さんのシーンはセリフは無いのに、テーマがきちんと伝わったので、映像の力を感じた。言い方悪いけど、一種の洗脳みたいな。

前にも書いたけど、倫子が話せないという設定は良かったと思うし、ナレーションで倫子に語らせたりしなかったのも良かったと思う。倫子は決して単純な人ではないけど、主役でありながら、どこか他の人を見守る感じというか… 上手く言えないんだけど、倫子のセリフによる自己主張がない分、倫子の中にもあるであろうドロドロした感情や、怒りなんかをリアルに感じずにすむ。例えば倫子は同級生の裏切りにあい、彼女の父が経営する喫茶店を訪ねる。倫子は喋れないので何も言わないし、何も聞かない。同級生の方がいたたまれなくなって告白する。見ている側は倫子の表情から彼女の真意を探らなければならない。そういうのが、時々説明不足な気がするけど、見る人の判断によって違う映画になるっていうのもアリなのかなとも思う。どこまで意図して作られたモノなのか不明だけど。ルリコは素直に愛情表現できない性格で、倫子にそっけない態度を取ってしまうけど、後に倫子が愛されていたことを知る話と見たとしても感動できる話ではある。でも、ルリコは倫子に自立して欲しいから突き放している部分もあるのかもとか、エルメスのことも自分なりのけじめだと思うけど、食堂で食べることを生業として生きていく倫子に、それは命を提供することなんだと教えたかったのかもとか考えると、かなりエキセントリックな人物ではあるけれど、それだけではないルリコの魅力が見えてきたりする。深読みかもしれないけど(笑)

倫子はまだ途中。辛いことがあって深く傷つき、自分の人生を模索している。食堂を開き、出会った人々が希望を見出していくのを見て、自分も癒されていく。そして、母と向き合い母の気持ちを知る。「最後の晩餐」となってしまった結婚式は、母娘の和解でもある。そしてラスト倫子は声を取り戻す。いろんな傷を乗り越えて、癒されて一皮剥けた倫子になったハズ。声を取り戻した倫子の食堂かたつむりが、どんな感じになっていくのか見てみたい気もするし、また別モノになっちゃう気もする。このラストのセリフはシンプルだけどすごくいい。おいしいものをおいしいって感じることって、すごく幸せなことだと思う。

キャストはみんな良かったと思う。中年オカマの徳井優や、ヤクザな男田中哲司は、映画ではストーリー自体にそんなに関係ない気もするけど、ルリコの店でダラダラ飲んでる感じは、静かな時間が流れる食堂かたつむりと対比となってておもしろい。ちょっとあざとくなりがちなキャラだけど、2人上手いので味のあるキャラとなっている。ブラザートムも良かった。もう何度も書いているけど、いわゆる俳優さんでない人が出演するのって、あまり好きではないけれど、この役に関しては、ブラザートムのひょうひょうとしてて、いい人なのかどうなのかよく分からないという個性に合っていたと思うので。特別上手い演技とは思わなかったけど、良かったと思う。ルリコの初恋の人シュウ先輩の三浦友和は、なんだかボンヤリした感じの人物を、ボサッと好演。出演シーンは少ないけれど、シュウ先輩のおかげで母娘は最後の時を楽しく過ごせたかもしれないと思わせる。お妾さんの江波杏子は好きな女優さんの1人。いろんなタイプの役ができて、女優さんとして正しい気がする。かたつむりに来るまで腰の曲がった老婆ようで、顔もベールで覆われているので、ホントに誰だか分からなかった。食事が始まって少したって気づいた。ここからの食べっぷりは見事! かたつむりにシャンデリアを寄付してくれたりと、お妾さんは裕福らしい。だから品がいい。最初は生気がなかったこともあるけど、静々と食べていた。でも、どんどん夢中になってしまうけど、決して汚くは食べない。みるみる幸せな顔になっていくのもいい。このシーンで「食べることは、生きることなんだな」と思った。この演技はスゴイ。正解は"生きることは、食べること"だけど(笑)

ルリコの余貴美子は大好きな女優さん。エキセントリックで少々あざとくなりがちなルリコを、かっこよくて魅力的な人物にしていたのは余貴美子の演技によるもの。もちろん、演出として庭でエルメスを散歩させながら、かたつむりをチラチラ見てるシーンとか、同級生の裏切りにあって落ち込む倫子を気遣うシーンがあるので、実はルリコは倫子をとっても心配しているのは伝わるのだけど、その表し方がとってもルリコらしくていい。ちょっとコミカルなので逆に切なかったりする。この感じはいい。手紙には号泣だった。すごいつけまつ毛で、ものすごい派手だけど似合う(笑) いろいろ印象に残るシーンは多いけど「エルメス食べちゃおうと思って」というセリフが素晴らしい。いろんな言い方があると思うけど、意外にサラリと言う。でも、このサラリの裏に様々な思いや、悲しみや苦悩がある。でも、決心したからこそのサラリ。素晴らしい。

倫子の柴咲コウも良かった。柴咲コウの出演作品は実はあんまり見たことない。正直、冒頭の穴掘りからの転倒→泥だらけのドタバタ演技を見た時は、どうなることかと思ったけど、喋れない倫子を好演していたと思う。母親に対する気持ちについては小学生の倫子(この子も良かった)の名アシストもあるけれど、きちんとその表情だけで伝わってきたし、伝わり過ぎないこともこの役の狙いだと思うので、そのかげんも良かったかなと思う。そして吹き替えなしで行ったという料理のシーンがいい。手際がいいということもそうだけど、食堂のウリはお客さんのイメージでメニューを考えるというものだし、いつもおいしくなるように願いを込めて作られている。だから、その思いが伝わって、皆幸せな気持ちになって帰っていく。その願いを込めて作っている感じがすごく伝わった。そして、それはエルメスのシーンで最大限に生かされている。だから命を頂くってことがしっかり心に落ちてきて、このシーンは泣けた。新婚旅行に行けないルリコのために、世界各国の料理を用意する倫子にはきっと幸せが訪れるハズ。控えめで芯の強い、でも意地っ張りなところのある倫子ははまり役と言えるかも。ほとんどスッピンぽいけどやっぱり美人。こだわり過ぎてあざとくなりがちな食堂という空間や、衣裳を含めての自分のあり方も、適度な感じで良かった。

原作にもあるのか不明だけど、おっぱい山とか、後に明らかになるバンジーの看板を何度も見せる感じや、ミュージカル仕立てになるところとか、合わない人もいるかもしれないけど、個人的には好きだった。まぁ、おっぱい山は必要ない気もするけど(笑) ポップでメルヘンな幻想シーンも嫌いじゃない。エルメスがかわいかった。そしてブラザートムと倫子が2人きりで作り上げていく食堂がいい。お妾さんにもらったシャンデリアとか、そういう廃材なんかを利用しているみたいだけど、こじんまりとした店内は木を基調としたシンプルな作り。ステンドグラスが印象的。2人で手作りできる範囲っていうことでデザインされているらしいけど、倫子の仕事場であるキッチンもこじんまりと機能的。小さいけれど、アイランドキッチンのようになっていて、そこで料理を作っている倫子は幸せそう。タイルを1枚ずつ貼っていく過程も楽しそうだった。このシーンも好き。'70年代の洋モノに憧れてた人っぽいルリコの部屋や、リビングもいい。倫子自ら襟元に刺繍したカタツムリ柄の仕事着がかわいい。食堂の名前の由来についての言及はなかった気がするけど、お風呂のシーンから想像すると、やっぱり母親のことが好きってことなんだと思う。そういうニヤリとなるシーンが多い。

ポップでかわいくて、デザインもいいし、お料理がおいしそう、おしゃれ映画として見てもおもしろいし、意外に重いテーマがすんなりと入ってくる。そして最後にホロリとさせられるので、女子はきっと好きだと思う。

原作は未読なので、あくまで映画の感想。今、読んでいる松本清張の「波の塔」が終わったら、原作を読んでみようと思う。


『食堂かたつむり』Official site

*スキンを『食堂かたつむり』バージョンにしてみました

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【cinema】『抱擁のかけら』(試写会)

2010-02-05 00:17:00 | cinema
'10.01.28 『抱擁のかけら』(試写会)@一ツ橋会館

yaplogで当選。いつもありがとうございます。ノーマークだったけど、試写会募集記事を見たらペネロペ・クルス×ペドロ・アルモドバルだったので即応募! 見事当選したので、バレエのお稽古サボって行ってきた。

トークイベントつきとのことで、楽しみにしてた。登場したのは山本モナ。うーん。特別好きでも嫌いでもないし、スキャンダルばかり起こしているのも、トーク中の彼氏いる発言も、正直あまり関心がない(笑) たぶん、映画のイメージから"恋多き女"つながりなんだと思うけど… というわけで、ネタバレをさけつつのトークも、そんなに盛り上がらず、個人的にはグッとこなかった。でも、遠かったので、あんまりよく見えなかったけど、映画のテーマカラーでもある赤の衣装で現れた姿はスタイル良くてキレイだった。おしまい(笑)

*ネタバレありです

「盲目の脚本家ハリー・ケインの元にライ・Xと名乗る男が仕事の依頼にやって来る。この依頼を断わり彼を帰えした後、ハリーから彼と面識があることを聞かされる助手のディエゴ。ハリーのエージェントである母親に、ライ・Xのことを話すと酷く動揺する。不審に思い尋ねても、母は答えてくれない。そんな時、不慮の事故で病院に搬送されたディエゴを見舞ったハリーが、彼に語り始める…」という話。これはアルモドバル映画だなという感じ。上手く言えないけど、全編を通して、生と死、性が描かれている。そして、様々な形の"愛" それはエゴであり、欲情であり、そして無償の愛だったりする。最終的に描きたいのは、傷つき苦しんだ末に辿り着く"赦し"という意味での愛なんだと思うけれど、そこに至るまでに登場人物たちが辿る軌跡は辛い。そして痛い。だからもう、見ている間は辛かった(笑) でも、やっぱり美しいと思ってしまう。

冒頭、ハリーの語りから始まる。本名はマテオだが、ある時からハリーになった。視力を失ったハリーは冒険家から転身して、脚本家になったというような主旨の事を語る。その間、ハリーの日常が描かれる。道で手を貸してくれた美女に新聞を読んでもらい、そしてその後… 彼のエージェントであるジュディットがやって来て、小言を言いながらも細々世話を焼く。この時点では、ジュディットが彼と個人的にどういう関係なのか分からない。冒頭のこの部分は導入部であり、今後の伏線でもあるので、この感じは上手い。ジュディットは彼と部屋にいた若い女性の間に何があったのかハッキリ分かった上で、彼の部屋をかたずけたり、買ってきた食料を冷蔵庫に入れたりする。かいがいしく世話を焼いているわけでもなくて、なんとなく習慣のような… 別れた妻みたいな感じ。彼女にはいろいろ秘密があるけど、そのうちのいくつかの伏線はここにある。彼女は、ハリーに苦言をていするけど、それはいい年して若い女性を引き込んだからじゃない。盲目のハリーが見知らぬ人を家に上げるのは危険だということ。そういう関心のしめしかた。それに対してハリーは、失うものは何もないと答える。何だかイヤなオヤヂだと思っていた彼に、何があったのかと気になるこの導入部はいい。

映画の脚本の依頼に来たライ・Xは、短く刈り込んだ髪にヒゲ、カジュアルでありながらきちんとした服装。ゲイである自分を認めず、自分の人生をダメにした父親に復讐する映画を撮りたいと言う。断っても粘る彼は、ひたむきなのではなく、何か病的な陰湿さを感じる。ゲイであることが認められなかったため、2度も結婚し自分を憎む子供が2人いる。全て父親のせいだし、この気持ちはハリーなら理解してもらえるはずだと言う。そしてハリーは彼が誰なのか悟る。エルネスト・マルテルの息子だと。この部分にもいろいろ伏線がある。このちょっとキモイ男のこの不審行動も、実は意味があるし、おそらく最終的には彼なりの謝罪であり、彼なりには決着が着いたということなんだと思う。いずれにせよハリーにとっては今さらだけど、彼としてもきっかけはどうあれ、はき出してしまわないと救われなかったかもしれない。

ハリーの話が始まる前に、もう一人の主役レナのエピソードが挿入される。社長秘書として働く彼女には、末期ガンの父親がいる。バカンスに行くからと退院させられてしまった父親を、別の病院に入院させるお金はない。どうやら、この入院費も彼女が夜の仕事で稼いだものらしい。全身グレーの地味なスーツで、生活に追われやつれていても、なんて色っぽいんだろう… この、不幸になるほどにどんどん色っぽく、ますます美しくなって男心を刺激しちゃうことが、彼女にとって最大の不幸でもある。秘書である彼女が仕えているのが社長のエルネスト・マルテル。どうやら以前客として面識があるらしい彼には、ハッキリとした下心がある。レナも母親もそのことは十分承知しながらも、目の前で血を吐く父親を放っておけない。こんな場合いったい誰が悪いのか… まぁ、エロジジイだけど(笑) 父親を入院させた後、彼女を促すエルネストに対し、母に向かって一緒にいなくていいか尋ねるレナ。大丈夫だと答える母。この瞬間にレナの運命は決まった。見送る母の顔が辛い。でも、娘を売った母でもある。壮絶。でも、こんな話はいくらもあるんだろう…

そして、ハリーは静かにディエゴに語り始める。それは今から14年前、ハリーがマテオだった頃の話。彼は脚本家であり、映画監督だった。新作コメディー『謎の鞄と女たち』のオーディションに現れたのが、今ではエルネストの愛人として暮らすレナ。取り次いだジュディットから"美し過ぎる女"だと言われたレナは確かに美しく、彼は一瞬で恋に落ちる。ちなみにこの映画のベースになっているのは、アルモドバル監督の『神経衰弱ぎりぎりの女たち』 この映画は未見。見たことある人はニヤリなのかも。主役に抜擢されたレナは、以前から女優志願。マテオの期待に応えて、いい演技をし、現場も活気溢れる。唯一、レナを出演させるにあたり、自らプロデューサーとなったエルネストが、監視役の息子に回させるカメラが現場のリズムを乱している。初めはそんなに気にしていなかった彼が、レナとマテオの間に秘密が生まれると、迷惑で執拗なものに感じてくる。父親に忠実なダメ息子に感じるけど、この行動も彼がゲイであることを考えると、別の側面があるようにも思えたりする。彼はそんなにバカでも、キモイ人物でもないのかも。これは後の伏線でもある。この伏線は2つの事実に繋がって行く。見ている間はイライラしてたけど、見終わって見えてくると見事かも。ただ、2つの理由からレナに嫉妬していたのは間違いないので、結果的にあの日とうとう彼女がキレて、カメラの向こうの人物と向き合わせることになるほど、しつこかったのは確か。撮影に立ち会えないエルネストが、彼女を監視する目的。いくら支配的な父親に命じられたとはいえ、どこまで撮るかは彼のさじ加減。じゃまにされながらも撮り続けるのは、彼の異常性なのかと思ってたけど、父親に対する復讐もあるのかも。

異常なのは彼の父親。お金の力でレナを手に入れ、自分のものにしたけど、初めから彼など愛していないレナが退屈するのは時間の問題。女優になりたいという愛人の夢を叶えるというと、才能もないワガママ女に振り回されるバカオヤヂパターンか、彼女の才能を認めて育てる素敵なおじ様パターンが映画で見かける代表か思うけど、彼はどちらでもない。彼は彼女を女優になどしたくない。でも、彼女には才能と情熱があった。でもそれは、彼にとってはどうでもいいこと。そもそも"レナ"を愛したわけじゃない。だから本当には彼女のことを見ていない。彼は彼なりに愛しているのは間違いないけど、やっぱりそれは"愛"じゃない。自分がこんなに好きなのに、どうして振り向いてもらえないのかと思うことはある。でも、自分がこれだけ愛しているのだから、思いどおりになってくれるのが当然だと思うのは、ただのワガママだし、駄々っ子だろうと。レナとマテオの会話を読唇術で読み取らせるのにはビックリ。そして、出て行くというレナを階段から突き落とす。完全なDVだけど、駄々っ子という印象。まぁ、DVする人はきっと駄々っ子なんでしょう。自分の思い通りじゃないと気に食わないのだから。

ただ、この駄々っ子エルネストと、その息子の異常な監視のおかげで、レナとマテオの関係は急速に進展してしまう。2人が激しく愛し合っている場面ばかりが映し出されて、精神的な結び付きを感じるシーンが少なくて、なんとなく女子として腑に落ちない部分も感じたりする。大嫌いな男に肉体的に支配されている場合、本当に愛する相手には精神的な繋がりを求めるんじゃないんだろうか。でも、その辺りのことはラストでスッキリ腑に落ちる仕組み。そして、冒頭のマテオと美女、レナとエルネストの絡みでは、体だけでなく顔すら映さないのに、2人が愛し合うシーンではペネロペの美しい裸身や恍惚の表情を映し出す。そういう部分が作用して、2人が本当に愛し合っていることが伝わってくる。再び暴力をふるわれたレナとともにランサロテ島へ逃げる。つかの間、幸せな時を過ごす2人は、穏やかな表情。ソファーでテレビを見ながら、抱き合いながら死にたいと語るレナが切ない。でも、幸せは長く続かない。『謎の鞄と女たち』が何者かの手によって完成し公開され、批評家から酷評された記事を目にする。1人マドリードに戻ることにしたマテオを見送るため、車で出かけた2人に悲劇が… レナと光を失ったマテオが浜辺に佇む後ろ姿が辛い。全てを失ってしまった。

マテオの話はここで終了。ここからはジュディットの告白になる。あまり書いてしまうのはどうかと思うし、勘のいい人ならなんとなく分かると思うけど、それはエルネストの復讐。しかし、ホント幼稚。そしてジュディットにはもう1つ秘密がある。これも、冒頭からの彼女の態度をずっと見てたら分かること。そして、全てを聞いた(正確には全てじゃないけど)マテオはライ・Xこと、エルネストJrと対峙する。あれは本当に事故だったのか… 最後までサスペンス・タッチなのも飽きさせない。ライ・Xが彼に見せたかった映像を彼は見ることができない。事故直前の2人の姿が美しい。レナは幸せなまま逝った。

そしてラスト、マテオはジュディットが大切に守っていたフィルムを元に、14年ぶりに『謎の鞄と女たち』を完成させる。ディエゴと共に。全て聞いたわけじゃないけど、多分彼は知ってた。彼は全てを失ったわけじゃない。そして彼とディエゴによって蘇ったレナがとってもキュート。レナの違う一面。もちろん彼女が演じてる役の女性なので、ホントの彼女とは違うと思うけど、レナにとってはすごくうれしいと思う。女優としても1人の女性としても。このラストは感動。

キャストはみんな良かった。ライ・Xのルーベン・オチャンディアーノのキモくて怪しい感じが、この作品をサスペンス調にしていたし、ホセ・ルイス・ゴメスの駄々っ子エロジジイぶりが見事! 大嫌い(笑) でも、彼が見事に駄々っ子エロジジイだったおかげで、2人の悲恋が際立ったのは間違いない。ディエゴの素直な若者らしさが全体を通して救いになっている点では、タマル・ノバスも良かったと思う。そして、読唇術の通訳の女性役で『ボルベール(帰郷)』のあの、平凡でちょっと鈍感な、でも憎めないお姉さん役の人! 今回も愛人の不貞でキリキリするエルネストの隣で、淡々と通訳する女性を好演、とぼけた感じがおかしい(笑)

マテオは最初は頑固そうなエロジジイ・・・ と、思って少々げんなりしてたけど、ちょっと若返ってからは少しだけ素敵に。愛する人が足の骨を折られたというのに、その太ももにキスをして、その唇はどんどん上へ。そんな場合じゃないだろう!と腹が立ったし、マテオが彼女を本当の意味で愛しているのか、レナの女性的な魅力に目がくらんでいるだけなのか、最初のうちは分からなくて、あんまり彼のことを好きになれなかった。正直、そんなに魅力的な男性にも思えなかったし。でも、全てを失った後の浜辺の後姿はスゴイ! このシーンは泣けた。ジュディットのブランカ・ボルティージョが素晴らしい。冒頭での距離感のある世話焼きぶりも、マテオがレナに夢中になっていくのを見つめている感じにも、2人はかって恋愛関係にあったこと、彼女はまだ彼を愛していることが伝わってくる。でも、それはちゃんと変化している。そこに14年の歳月を感じる。彼女が背負うことになった秘密のうち、1つはこの嫉妬から生まれたもの。それが腑に落ちるのは、表情できちんと伝わっていたから。そして激白・・・ このシーンは辛い。この告白は自己満足なんじゃないのかとも思うけれど、本当の自己満足は告白しない秘密の方だから、やっぱりこれはマテオのためにしたことなんでしょう。彼女も『ボルベール(帰郷)』に出ていた。あの主人公の母を執拗に疑う女性だったと思う。あれもすごかったけど、この演技はスゴイ。シミも隠さない熱演は必見。

そして、ペネロペ・クルス! なんて魅力的なんだろう。美しいけど完璧な美女かっていうと違うと思う。彼女より整った顔立ちの女性はいる。でも、なんだろう・・・ 女というか・・・ すごく色っぽくて妖艶。でも下品じゃない。愛人になっていない時から、この映画の中でレナはずっと追い詰められている。その追い詰められた美しさがスゴイ。正直、お金を稼ぐ手立ては夜の仕事や、愛人になる以外にもあるだろうと思うし、なんでそんなに激情的なんだと、いろんな面で思うけれど、それでもレナが魅力的で、こんな女性なら、こんな風に愛されてしまうのは仕方ないんじゃないだろうかと思ってしまう。これはペネロペ以外にあり得ない役。確かにマテオは失明してしまったので、あの日以来どんな女性の姿も見ていないし、記憶の中にのみ存在しているとはいえ、14年間思われ続ける女性であることに説得力がある。強くて弱い、激しくてもろい、妖艶で可憐。カメラテストでのオードリー風、マリリン・モンロー風のコスプレがかわいい。チラシの振り向き顔はまさにオードリー。こんなに似てると思わなかった。あえて、これがチラシっていうことがレナという人を表している。

とにかく見ていていい気持ちはしないし、意外にサスペンスだったり、伏線がたくさんあって追うのが大変だったりするけど、ラスト完成した映画のレナの姿を見れば、2人が本当に愛し合っていたことが分かる。その感じはいい。そしてアルモドバル独特の映像美。マテオの家のスタイリッシュな感じもいいし、レナとエルネストのゴージャスだけど品のない家、そしてちょっと安っぽいけど、レトロでかわいいランサロテ島のコテージが、それぞれの人や場面を象徴している。テーマカラーの赤はほとんどの場面で使われている。

切なくて美しい、そしてちょっと毒のある映画だった。辛いけどやっぱり好き。ペネロペの美しさを見るだけでも見る価値あり!


『抱擁のかけら』Official site

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