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【art】「国宝 阿修羅展」鑑賞@東京国立博物館 平成館

2009-05-18 23:49:04 | art
'09.05.13 「国宝 阿修羅展」@東京国立博物館 平成館

見たかった! でも、土日は混んでるだろうし、遅くまで開いてる金曜日もなかなか行けず・・・ 人間ドックの日に行けばいいんだと気付いたわけです(笑) しかし・・・。いつもチケット買ってるJR上野駅構内の窓口。ここに既に列ができてる。あまりないことなのでビックリ。しかも、50分待ちとのこと。まぁ、時間あるし、金曜の夜に来て入場規制では困るしってことで行ってきた。けっこう暑かったけど、お水のサービスや日傘の貸し出しもあって親切。メールしたり本を読んだりしながら待っていたけど、実際は50分まで待っていないように思う。まぁ、50分待ってたとしても絶対に見るべきというくらい素晴らしかったので全然OK。これはもう感動!

4つの章に分かれていたけど、最後の第4章は現在再建中の中金堂をバーチャルで再現したものと、今回のスーパースター阿修羅の映像展示なので、実際の展示物があるのは第3章まで。第1章の鎮壇具以外の第2~3章は仏像のみの展示。このいさぎよい展示が良かった。そして仏像が素晴らしい! もう本当にかっこいい。

【第1章:興福寺創建と中金堂鎮壇具】
入ってすぐ銀鋺や水晶念珠などの小さな展示品が並ぶ。みんなもあまり要領がつかめなかったため、ここが阿修羅の次に混む結果となってしまった(笑) 鎮壇具っていうのは地鎮法などの法会で堂塔伽藍の地下に埋葬されたもの。なので1つ1つは小さい。銀鋺は直径30cmくらいのものから10cmもないものまであるけど、驚くのはその形の正確さ。ろくろを使って作られたそうで、ろくろの跡が残っている。そして魚々子(小円文)という彫金の技法で細かい模様が彫られている。これが細かい! 細かすぎて見えないくらい。8世紀の作ということだから700年代。1300年くらい経つことになる。そんな昔に作られたものを、ほぼそのままの形で見ることができるなんてスゴイ! 興福寺はそもそも藤原鎌足の息子、不比等が建立したお寺。ここでは不比等が納めた鎮壇具を見ることができる。日本初のお金、和同開珎も納められている。708年に日本で初めて銅が採掘され、鋳造された銅銭。銅なので緑青が・・・。この年、元号も和同とされており、平和な時代だったのだそう。和同開珎は150枚ほど出土しているらしい。たしか、かなり昔不比等を埋葬した古墳が発見された気がする。ニュースで見て不比等ってホントにいたんだなぁと思った気がする(笑)

ここのもう一つの見ものは、水晶、瑪瑙、琥珀、そしてガラスなどの玉。丸だけじゃなく碁石形や面取形と呼ばれるいわゆる飴ちゃん形に加工されたもの。これがほんとにキレイ。機械など無かった時代、道具は使ったにせよ、手で加工したものとは思えないほど、いびつ感もなく粒や形が揃っている。特にガラスは黄緑色、青緑色、褐色の色がついている。西洋のステンドグラスの彩色ガラスも、不純物の混ざり具合などが作用しているため、現代では出せない色があるそうだけど、この色はどうなんだろう? とにかく1300年前の人々がガラスに色をつけ、碁石形に成形したのかと思うと愛しくなる。そして驚いたのが「水晶蓋付筒」 直径(?)1.5cm、高さ5cmくらいの六角形の水晶で作られた筒。これがスゴイ! よく見れば正六角形にはなっていないかもしれないけれど、こんな小さな筒を・・・。 しかも蓋つき。たしかに現代にはいろいろ便利なツールがあるけど、昔から人間は必要なものであれば、作り出して来たんだなと思う。そして、たとえ用途は日常的なものであっても、その中に美を表現して来たのだろう。

【第2章:国宝阿修羅とその世界】
タイトルどおり今回の目玉、仏像界のアイドル阿修羅像はこの章に展示されている。そもそも阿修羅は八部衆という仏教を守護する「天」で、もとはインドの神を仏教に取り入れ、守護神となった神の1人(?)なのだそう。今回はその八部衆像のうち6体を展示、2体をパネル展示している。

第2章最初の展示物は、藤原不比等の妻で、光明皇后の母である橘三千代の念持仏と言われている「阿弥陀三尊像及び厨子」 これは素晴らしい。螺旋状に伸びた蓮の上に坐す阿弥陀如来。両脇に立たれる勢至菩薩と観音菩薩。三尊はむしろシンプルに作られている。衣の表現や装身具などは美しくはあるけれど、華美ではない。如来は悟りを啓いたお姿なので、そもそも装身具は無いけれど、人々を救うため悟りを啓かずとどまっておられる菩薩は、装身具をつけておられる。でも、表現自体はシンプル。だけど、下に敷かれた蓮池、光背、後屏の装飾がスゴイ! 阿弥陀如来の頭に蓮の花が咲いたように見える光背の透かし彫りが細かい。後屏の蓮の上に坐すインド風の人物(?)や、化仏などの造形が素晴らしい! 花など植物のモチーフもどこかインドを思わせる。この贅沢な後屏がシンプルでやや無骨に見える三尊をより引き立てている。それが三尊を身近なものとしているように思う。

次の展示は「華原磬」 これは法事の際に使用する仏具。この装飾がスゴイ! 獅子の台座の上に、円形の鐘、両脇から4匹の龍が背中合わせに鐘を囲む。もちろん、この時代本物の獅子=ライオンを見たことはないわけで、この獅子は伝説上の動物。鬣はあるけど何か犬っぽい(笑) 円形の鐘の装飾もスゴイけれど、龍のうろこの細かさにビックリ! これはホント素晴らしい。仏が説法している時に波羅門が打った金鼓の音は、人々を悟りに導くのだそうで、「華原磬」の撥を持つ波羅門の像も展示されている。これはちとキモ・・・。イヤフォンガイドでは「華原磬」の音色を聴くことができる。てっきり銅鑼のような音がするのかと思っていたら、思いのほか高く美しい音色にビックリ。涼やかでキレイな音。ちなみに音声ガイドのナレーションは黒木瞳。落ち着いていて、発音がきれいで聞きやすかった。

次の展示会場に移ると、八部衆像と十大弟子像が向き合って展示されている。これらと前出の「華原磬」は橘三千代の一周忌法要の為作られたそうで、特に八部衆と十大弟子は1年で製作されたのだそう。脱活乾漆造という、粘土で作った像に、麻布を漆で何度も塗り重ねていき、乾いたら背中を開き中の粘土を取り出すという手法で作られている。だから中は空洞。手間がかかる上に、高価な漆を大量に使用することから、平安時代以降は作られなくなってしまったのだそう。

十大弟子は釈迦に随った十人の高弟のことで、それぞれ優れた能力があったのだそう。興福寺に現存するのは6体。現在はそれぞれ尊名がついているけれど、造られた当初の尊名については不明なのだそう。若いお顔や年老いたお顔、苦悩の表情を浮かべるお顔や、それを隠しておられるのか穏やかなお顔、さまざまなお姿が表現されている。衣もシンプルではあるけれど、当初は鮮やかに彩色されていたであろうものから、肩から衣を巻いただけのようなものまでさまざま。釈迦の代わりに説法したと言われる「舎利弗立像」はほっぺたスベスベでいいお顔。「目犍連立像」は、かなり昔あさげのCMに出演していた柳家小さん師匠に似ておられる(笑) なんて書くのは不遜なのかな? でも、誰かに似ていると思うと親しみがわいたりする。

十大弟子よりもどちらかといえば八部衆の方が好み。少年の相で表現されることが多いらしく、戦いの神阿修羅以外は鎧を身に着けておられる。もとはインドの神様だけど、中国経由で伝わったらしく、鎧は中国っぽい気がする。興福寺では阿修羅、迦楼羅、緊那羅、乾闥婆以外の尊名は明らかではないらしい。「乾闥婆立像」は音楽神。獅子の冠が頭を噛んでいる! 「緊那羅立像」は額に短い角がある。朝青龍似(笑) 「沙羯羅立像」は幼児の相で表されている。かわいい。「迦楼羅立像」は一目で分かる。お顔が鳥なので(笑) 蛇を食べる霊鳥だそうで、これはガルーダ。ガルーダ・インドネシア航空のガルーダ(笑) 目頭の輪郭を角ばって表現しているのは、怒りを表す仏像に用いられる手法なのだそう。目が印象的なのは瞳に別の素材を使っているからなのだとか。鶏冠がいい!

この会場を出て、渡り廊下の様なところを抜けると、バルコニー状になった場所に出る。一段低くなった会場の中央に「阿修羅立像」が立ち、その周りを人々が一周して見るという展示。一応、入場規制しているけれど、基本的にみんな動かないので激混み。多分、じっくり見たい人はバルコニーから見て欲しいって事なんだろうと思うけれど、実際自分が中に入ってみると分かるんだけど、ぎゅうぎゅう詰めになってしまって動くに動けない。一応、ライヴで鍛えた割り込まれた感を人に与えずに、スルリと前に行くという手法で最前をゲット。しかし辛い。完全にモッシュ状態。おばさまが人数と時間を区切って入替え制にすればいいとおっしゃっていたけど、正におっしゃるとおり! もう少し考えて欲しかったかも。トータル鑑賞時間としては結構見たけれど、ぎゅうぎゅう押されて気分的には全くゆったり鑑賞できず、見た気がしない(涙)

阿修羅(アーシュラ)はインドの戦いの神。常に怒り、帝釈天(インドラ)に歯向かったため、阿修羅道を彷徨っているのだとか。歯向かったのは、娘を帝釈天に奪われたからだと言われているそうで、3つの顔と6本の腕を持ち、怒りを表す赤い顔で表現される。興福寺の阿修羅は何故か少年の相で、穏やかなお顔をしている。これは釈迦の説法に耳を傾けるうち、心穏やかになったことを現しているのではないかとの事。他の八部衆と違い鎧は身に着けておらず、普段着のような質素なお姿。足元も板金剛と呼ばれる、裏に麻の代わりに板を張った草履を履かれている。戦いの神にしてはそぐわないお姿だけれど、苦悩の末釈迦の説法に出会い心穏やかになったので、鎧などの装身具は必要なくなったということを表現しているのかなと思う。

いいお顔をされている。正面は厳しいお顔。眉根を寄せて目元も涙袋をたたえ、瞳が潤んで見える。固く結んだ口元が印象的。ホントに美しい。左は下唇を噛み締めて悔しさを表しているよう。このお顔が1番人間ぽいかもしれない。右のお顔も眉をひそめておられるけれど、厳しさは無くむしろ戸惑っておられるよう。少々椎名桔平似。悔しさや戸惑いを抱えながら、正面を向いておられるのだろう。そう考えると涙目なのも分かる気がする。2本の腕は胸の前でゆるく合わせていらっしゃる。2本の腕は何かを抱こうとしているかのよう。ちょっとバレエのポーズに似ている。そして残りの2本は天を支えているかのような形。その腕は細く華奢。全体的にほっそりと華奢で、少年の相をされていることが、内面の苦悩をより際立たせる。やっぱりこれは素晴らしい! "天平の美少年"にお会いできてホントに幸せ! 普段モッシュ・ピットには近づかないけど、頑張って最前を取ったかいがあった!

【第3章:中金堂再建と仏像】
この章はホントに素晴らしい! いつもだったら今回のお目当て「阿修羅立像」の感想を特別扱いで最後に書いているところだけど、今回私の心を捉えたのはこの章だった。なので結果順番どおりの記述となった。まぁ、別にどうでもいいことだけど(笑)

中金堂は計7回焼失しているそうで、享保2年(1717年)の焼失以後、再建はされず、仮金堂が建てられ現在に至っているのだそう。現在2017年の完成を目指し、再建計画が進んでいるそうで、今回この章で展示されている仏像は完成した中金堂に納められるのだそう。

まずは運慶の父、康慶作の四天王像。これはスゴイ! 今回一番心打たれたのは実はこの四天王像。カッコイイ! 何という躍動感。何という迫力! 四天王は憤怒の表情をされている。康慶の四天王も怒りを湛えているけれど、実は表情自体はそんなに厳しくない。でも、中国っぽい鎧を身に着けた下の隆々たる筋肉も感じられる見事な体のラインの表現と、それぞれが踏みつける邪鬼の表情が素晴らしく、それが四天王の迫力と躍動感を生んでいるように思う。

四天王は四方を守る護法神で、持国天が東、増長天が南、広目天が西、多聞天が北を守る。須弥壇の四方に安置されるため「持国天立像」「多聞天立像」は左下、「増長天立像」「広目天立像」は右下を睨んでいる。その眼光は鋭い。とにかく4人ともカッコイイけれど、個人的には腰をくねらせた「増長天立像」が好き。邪鬼は全部いい! 特におしりを見て欲しい。すごくかわいい。個人的には「多聞天立像」の邪鬼がかわいくて好き。

四天王の間を抜けると正面にドーンと「薬王菩薩立像」と「薬上菩薩立像」が立っておられる。3m超! スゴイ迫力! お2人は兄弟とのことで、どちらが兄なのか不明。たしか右の方が偉いと思うので薬王菩薩? この場合どっちが右なんだろう・・・。お2人は脇侍なので本来中央にはご本尊の如来が坐しておられるハズだから、如来様から見て右側? まぁ、ちょっとよく分からないということで(笑) お2人わりとお顔が大きくて、ちょっとスタイルが・・・。腰をくねらせ、片方の膝を曲げる三曲法で立っておられるけど、去年見た薬師寺の日光・月光菩薩のセクシーさにはかなわない。でも、なんともいいお顔をされている。金箔がかなり残っている。中金堂7回の焼失で、この大きなお2人が毎回救出されていることを考えると、信仰の意味を考えさせられる。女性は薬王菩薩を信仰し、修行すれば阿弥陀仏の安楽世界へ行けるのだそうで、しっかり拝んでおいた。まぁ、そんないい加減なことではダメだと思いますが・・・。そういわれて見てみると、薬王菩薩の方が大らかなお顔かも。薬上菩薩の方が少年っぽいというか、美川憲一似(笑)

実質、最後の展示は運慶作「釈迦如来像頭部」とその腕である「仏手」、光背に配されていたであろう「化仏」と「飛天」 とにかく飛天1つが30~40cmくらいあるのだから、釈迦如来の大きさが分かるというもの。残念ながら頭部と一部欠損した仏手しか残っていないけれど、その大きさはスゴイ! この「釈迦如来像頭部」の作者は長い間不明とされていたけれど、2007年に運慶作であることが判明したそうで、運慶作としては2番目に古い作品なのだそう。とにかく美しい! ふくよかなお顔。スッと通った鼻筋。半眼に開かれた目。口角がキュッと上がった上唇は、少しめくれたような感じでセクシー。螺髪はだいぶ取れてしまっているけれど、実は1つ1つ差し込まれているのだということが判明! これはスゴイ。ちょっと気が遠くなるような作業。だけど、そういう仕事が人々の心を打つんだと思う。

とにかく! 50分並んで見たかいがあった! 今回も長々書いたけれど、私なんかの拙い文章じゃ全然この素晴らしさは表現しきれない。そのくらい素晴らしい! これはもう感動! 10月17日から興福寺の仮金堂で特別公開があるらしい。行きたい!


★国宝 阿修羅展:2009年3月31日~6月17日 東京国立博物館 平成館
「国宝 阿修羅展」東京国立博物館HP

図録 表紙が布張りで豪華! 内容も充実

みうらじゅんマガジンButuzo&阿修羅ファンクラブ公式ソングCD

写経! 写経紙は永久保存、蓮弁紙は再建時に散華される

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【cinema】『おと・な・り』(試写会)

2009-05-13 00:38:52 | cinema
'09.05.08 『おと・な・り』(試写会)@九段会館

yaplogで試写会当選。岡田くん主演のラブストーリーということで期待大。目の保養に行ってきた(笑)

※ややネタバレしてます。しかも辛口・・・

「カメラマンの聡と花屋で働く七緒は実はお隣同士。顔も名前も知らないけれど、壁越しに聞こえるお互いの生活音に、時にイライラしつつ、時に癒されつつ気になる存在だったが・・・」という話。う~ん。これは少し欲張り過ぎたような・・・。やりたい事は分かるし、おもしろかったけど、もう少しシンプルでも十分伝わる気がする。このタイトルで"あなたの生きている音が好きになった"とチラシにも書いているのだから、2人が恋に落ちることは分かっているわけで、音だけで人を好きになるっていう設定がおもしろいので、そこを中心に描いた方がよかったように思う。

聡は風景写真を撮りたいけど、人気モデルで親友のシンゴの写真を撮っているということが売りになっているため、その辺りをつかれてしまえば、夢に向かってのカナダ行きも延期せざるを得ない。自分に自信が持てないため、その条件を飲んでしまうという部分もある。そういう感じは十分に伝わってくるので、シンゴはともかくシンゴの彼女の茜のエピソードって必要ない気がする。聡がシンゴにカナダ行きの件を話せずにいたため、別の同僚から聞いてしまい、ショックを受けたシンゴが失踪したところから始まる。モデルとして人気に陰りが見え始めたシンゴは、映画界へ転身の話があるけど気が進まない様子。そんな中、聡の件を聞きショックを受けたのではないかということだけど、いくらなんでも30にもなって繊細過ぎないか? まぁ、真相は違うのだけど・・・。

自称シンゴの彼女の茜は、シンゴが隠れていないかと、聡の部屋にズカズカと押しかけて大さわぎ。このシーン自体は、隣りの音が筒抜けであるという設定を説明するためでもあるし、それゆえ七緒が誤解してしまうという笑える場面ではあるけど、この茜という子を引っ張り過ぎな気がする。そもそも彼女は、この時点ではあくまで「自称彼女」なわけで、聡にとっては面識もない人物。その彼女が自分の部屋に居座るなんて、迷惑以外のなにものでもないし、もしこれが男女逆だったら警察沙汰でしょう。と、まぁそこまで生真面目に考える必要はないし、こういうキャラは映画などで何度も見てきた感はある。でも、それは主人公と恋に落ちるとか、主人公の人生を変えるきっかけになる場合に限り有効なキャラなんじゃないかと思う。聡は確かに器用ではなく、自分の思いを人に伝えることが苦手で、一歩も二歩も踏み込めないタイプではあるので、自分の本能のままに行動する茜と対比しているのは分かるし、真っ直ぐな茜をうらやましく思う部分もあるのだけど、ちょっとキャラ的にもやり過ぎな気が・・・。

感情をあまり表さないタイプだからといって感情がないわけではない。茜に踏み込まれてきちんと追い返せない姿にイライラはしたけど、まぁ初日は分からないでもない。でも、何日も居座る茜を好きになる設定なら、だんだん彼女がいることが自然になっていく気持ちも分かるけど、結局女性として好きになるわけじゃない。別に彼女がその後も、聡の人生にとって重要ならそれでもOKだけど、そういう風には思えない。聡が大切にしているオモチャで勝手に遊ぶシーンがあるけど、そういう部分にこだわりがあるように見える聡にはイラッとする行為だと思う。正直、私はイラッとした。その後、何度も倒されているのを聡が直すシーンが出てくる。笑っている人が多かったので、笑うシーンなんだと思うけど、個人的には笑えない。人には踏み込んで欲しくない領域ってある気がする。例えそれが他人にはつまらないものだとしても、本人にとって大切ならば踏み込まないで欲しい。そういう殻を壊せと言っているのかもしれないし、そういう領域を簡単に踏み越えちゃう茜という存在を描いているんだと思うけど、親友の彼女に踏み込まれる必要は無くないかな?

聡が泥酔して帰ってきて、茜に八つ当たりしてしまうシーンでは、確かに言い過ぎだと思うけれど、必死で追いかけて土下座までして連れ戻す必要あるのかな? って、言ったら冷たいのかな? このシーンは彼女に言った事が、実は自分に向かって言っているんだと気付くだけで十分なんじゃないかな。彼女に謝るのは後のシーンでいい気がする。また部屋に連れて帰ってご機嫌を取るシーンを入れてまで、七緒に勘違いさせるのも必要ない気がする。まぁ、彼女の孤独感を煽っているのだろうけれど・・・。個人的に茜が好きになれなかったので、彼女のエピソードが長すぎて苦痛。もちろんこの映画での存在意義みたいのは分かるし、彼女を通してやりたい事も分かるけど・・・。

隣人の七緒はフラワーデザイナーを目指してフランス留学を控えている。彼女も器用なタイプではないので、恋人もいないし、友人もいない。今は夢に向かって進んでいるけど、心のどこかで「これでいいんだろうか?」という不安も感じている。脚本が女性なので、聡よりも七緒の心理描写の方が良かったように思う。フラワーデザイナーの資格試験の日も、試験が終わっても祝ってくれる彼氏も友人もいない。職場の花屋に電話しても今日は休んでいいと言われてしまう。行くあてもなく本屋で立ち読みしていると、若いカップルが無遠慮に割り込んでくる。このシーンは上手いと思った。立ち読みは褒められた行為ではないし、別にどちらが悪いわけでもないけれど、普通はカップルを無遠慮だと感じるシーン。でも、30代独身、彼氏なしでいることの肩身の狭さが感じられて、なんとなく七緒の方がいたたまれなくなる感じがすごくよく分かる。単純に自分が同じような境遇だからというのはあるのだけど(笑) だからこそ、彼女が仕事に対して生真面目になってしまう感じも分かる。そうなってしまうあまり、花を手段としてしか考えず、本来の目的を見失ってしまうという描写も良かったと思う。なんだか今、自分に欠けているものもが見えた気がしたし。

だけど、彼女にも余計と思われる人物が現れる。彼女が毎日通うコンビニの店員氷室。彼は七緒に映画のような告白をする。氷室を演じた岡田義徳の演技が良くて、いい人でとっても一途に思ってくれるけど、いい人なだけに独りよがりな感じがして、やっぱりダメなんだよなぁなんて思っていた。そしたら、コイツは最悪のヤツだった。彼は彼なりに努力も苦労もしているんだろうけど、それは誰のせいでもない。こんなこともあるのかもと思わなくもないけれど、だったらもう少し上手くやって欲しい。そして逆ギレ部分がホント最悪。で、七緒は何故ここまで言われなきゃいけないのかと思うわけです。別に誰かに迷惑かけたわけじゃないし。要するに、今の自分の姿を思い知らされて、見つめ直すってことだと思うけれど、そんなに彼女はダメなんだろうか? まぁ、より成長するのはいいことだけど、それを思い知っている感じは、こんな出来事がなくても伝わっていた。理不尽な目に合っても自分を責めちゃう感じって、多分誰でも経験あると思うけれど、それって見ていて辛い。まぁ、花に対する気持ちを忘れていた事を思い出すきっかけにはなっていたけれど、ちょっとやり過ぎな気がした。

このエピソードにしろ、茜の件にしろ不器用で、自分に自信が持てずに、一歩踏み出せない人はダメ人間だと言われているように感じてしまう。それは私の被害妄想かな? 氷室は嫌なヤツだけど、彼が逆ギレして言った事は間違っていなくて、七緒は夢にしがみついて、花を犠牲にしていることにも気付かない哀れで寂しい女だから、あんな男につけこまれて当然なのか? 自分に自信が無くて親友に夢を語れず、おいしい話に乗って自分の夢を貶めてしまいそうになった聡より、シンゴと一緒にいたいという一心で同棲して妊娠、彼が失踪してしまったからと、面識もない人物の家に押しかける茜の方が素直で純粋なんだろうか? 多分、本来はどの登場人物もどこかしら不器用で、どこかしらダメな部分があって、そして孤独なんだと言いたいのだと思うけれど、その辺りがどうも上手くかみ合わず、茜の居座りも氷室の真の目的もやり過ぎで、なんだか主人公2人が責められているようにしか見えない。特に聡が茜を追いかけて土下座するシーンではそう感じた。

そして肝心の聡と七緒の関係が一向に進まない。別に隣人の生活音をいつも聞いているうちに、音そのものが自分の生活の一部になり(基調音というらしい)、お互いを意識するっていうのはおもしろいと思う。正直、その部分を期待して行ったのに、そこはあまり生かされず、時々出てくるそういう場面もとってつけたようになってしまっている。そもそも早い段階での茜の登場にイライラし、氷室の件でムカついたうえに、2人は全然すれ違ったままなので、正直ストレスが溜まった(笑) 七緒が傷ついて帰ってきた日の「風をあつめて」のシーンはいい感じだったので、そこから一気に行くのかと思うと、もう一ひねりしてくる。2人は実は・・・っていうのは別に必要ない気がする。

キャスト達は良かったと思う。茜役の谷村美月は、もしコチラをイラつかせるのが目的の役だとしたら成功だと思う。褒めてます! だけど、彼女は自分に正直でかわいい娘なので、2人もそいう部分を見習えというなら、前半部分はやり過ぎな気がする。氷室に関してはいい人に思わせて、実は最悪なヤツだけど、痛いところをつく人物というキャラ設定で間違いないと思うので、そういう意味では岡田義徳の演技は見事だったと思う。いい人として登場した段階からうさん臭かったし(笑) 褒めてます! 店長のとよた真帆が大人な感じでいい。どうやら仕事熱心なあまり独身という設定らしいので、彼女をもう少し生かせばよかったような気が・・・。モデル事務所の社長は平田満、2人が通う喫茶店のマスターが森本レオと演技派を配しているのに生かしきれていなくて残念。特に喫茶店は写真と花でお互い知らずに癒されているシーンがあったので、もう少し絡んでくるかと思ったのに、一応きっかけにはなったけれどとってつけたような感じだったのが残念。

聡役は岡田准一。この役ピッタリという感じ。実は岡田くんは良く知っていた人を彷彿とさせてちと辛い・・・。もちろん岡田くんの方が比べ物にならないくらい男前ですが(笑) 岡田くん本人がどんな人なのか分らないけど、このタイプ実は嫌いじゃない。ハッキリしなくてイライラするところもあるけど、あまりに器用で世あたり上手な人より、少し不器用な方が個人的には好き。そういう感じは良かったと思うけど、何度も言うけど茜とのシーンとか、しっくりこないシーンが多くて、もう1人の主役七緒より損した気はする。でも、岡田くんのやり過ぎない演技は良かったと思うし、なによりちょっとイラッとする部分もある聡を、そんなにイライラせず見れたのは岡田くんのおかげ。

七緒の麻生久美子は良かったと思う。前にも書いたけど、七緒の方が孤独感とか焦りとか伝わりやすい脚本になっていたので、そういう面では聡よりも理解しやすかった。女性は30過ぎると夢だけをがむしゃらに追っていられなくなる感じもよく分かる。本当は寂しいのに人に甘えられない感じも伝わってきた。強がっているのではなくて、ホントは分かって欲しいと思っている気持ちがあるのに、それを上手く表せない感じ。自分では頑張ってそんなオーラを出してるんだけど、当たり前だけどそれは全然伝わらなくて、逆に落ち込むみたいな感じがすごく良かった。この役とっても自分に重なってしまった(笑) とにかく、エピソード的にちょっとやり過ぎで、入り込めないものを感じつつも最後まで見れたのは、主役2人のおかげ。

古いアパートの部屋がすごくレトロでいい。聡の部屋も七緒の部屋もそれぞれの個性が出てる。どちらも雑誌とかに載ってそう。吉祥寺とかに似合う感じ。武蔵野アパートだし(笑) この部屋はどちらも好きだった。こういう部屋に住んでいる人は、絶対こだわりがあるはず。それは"俺のこだわり"的な人に押し付けるタイプのものじゃなくて、自分だけのこだわり。そういうのがある人って少し人と距離感がある気がする。決して拒絶しているわけではないけど、ある部分からは踏み込まれたくないと思っている気がする。でも多分、本人はそれを意識しているわけではないので、意外に孤独だったりする。そういう感じがとっても伝わってくる部屋だった。こんな部屋に住んでみたい気はするけれど、あんなに隣りの音が聞こえちゃうのはイヤだな(笑)

ハッピーエンディングの使い方はいいと思うけれど、アレを生かすためにももう少し2人の恋愛に絞ってほしかった。2人がそれぞれ夢を追ったり、孤独を感じたり、傷ついたりとかはあっていいと思うけれど、あくまで話の主軸は2人の恋愛であって欲しかった。岡田くんがインタビューで『善き人のためのソナタ』みたいな感じの事をしたいと語っていたけど、あの映画のように名前も顔も知らない相手に音だけで恋していくっていうのはおもしろいので、そこを中心にして描いたらもっとおもしろかった気がする。音って人によって好き嫌いってあると思う。隣の人の顔も知らないような現代の孤独感の中で、その人がたてる音に癒されていくっていうのはあると思うし、その人のリズムが好きなら絶対本人のことも好きになれる気がする。そういう作品を想像してただけに残念。

少しいろいろ詰め込み過ぎてしまって、それらが上手くかみ合わなかった印象。ちゃんと仕事もして、夢に向かっている主人公達に、もっと素直に自己表現しないから恋人も友達も出来ないし、成長しないんだと責めたてている気がして、少しいたたまれない気がした。まぁ、自分が責められている気がして「そんなに私ダメですか?」と思ってしまったのは、多分被害妄想なんだと思います(笑) でも、七緒にはとっても共感できたし、自分を振り返ることもできた。そういう部分は良かったと思う。いいアイデアだっただけに残念だったので、辛口になってしまった。ごめんなさい


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【cinema】『スラムドッグ$ミリオネア』

2009-05-06 03:16:57 | cinema
'09.05.04 『スラムドッグ$ミリオネア』@TOHOシネマズ市川コルトン

これは見たかった! インド映画好きだし、ダニー・ボイルがインドを撮るとどうなるのかスゴイ興味があった。もちろんアカデミー作品賞受賞というのもあり。

「"クイズ$ミリオネア"に出演、正解を重ね1,000万ルピーを獲得したジャマール。残る1問に正解すれば前人未到の全問正解、2,000万ルピー獲得となる。だが、彼は最後の1問を残し不正容疑で逮捕されてしまう。医者も弁護士も成し得なかった偉業を、スラム出身で全く教育を受けていない青年が何故成し遂げることが出来たのか? そして彼が出演した真の目的は?」という話。これはおもしろい! そして素晴らしい。すごいスピード感。そしてインドの現実や熱気が伝わって来る。何よりこの手法が素晴らしいと思う。『フルモンティ』のサイモン・ビューフォイの脚本がいい。

冒頭、ジャマールの尋問シーンから始まる。一切何も語らないジャマールは、水の中に頭を突っ込まれたり、さんざん暴行を受けたあげく、電流まで流されてしまう。正直、仮に彼が不正をしていたとしても、ここまでやる必要あるんだろうかというくらいの取調べ。多分、彼がスラム出身だからなのだろう。インドといえば厳しいカースト制度で有名。今でこそ廃止が唱えられているようだけれど、まだまだ根強いものがあるのだろう。そもそも、逮捕された経緯だって、彼がスラム出身の低カーストの青年だからなのだろうし。この辺りは見ていてけっこう辛い。電流によるショックで意識を失うジャマール。彼に問いかけるでもなく、つい本心から「何故答えることができたんだ」と呟く警部。するとジャマールが鋭く「答えを知っていたからだ」と答える。そこからいかにして彼が最終問題まで辿り着いたのか語られるのだけれど、ここからは引き込まれて一気に見てしまった。

ネタバレしないように書くのはとっても難しい。もしかしたらネタバレしてしまうかもしれないけれど、何故クイズに正解できたのかを語るには、彼の生い立ちを語らないとならない。その人生は過酷。この穏やかそうな青年が、こんな人生を生き抜いてきたとは・・・。でも、この作品の上手いところは悲惨過ぎずに描いていること。幼い兄弟が私有地(おそらく高カーストの土地)で野球をしたことで、警官に追われるシーンのスピード感がすごい。6~7歳くらいと思われる子供を真剣に追う警官の間の抜けた感じもおかしく、狭いスラムを疾走する感じが楽しい。少年達が走る姿を上空から、距離と広さを3段階に変えて映し出す。どこまでも続くスラムの街並みがスゴイ。ここで伏線がいくつか出て来るけれど、重要なのはこの時点では彼らにはまだ守ってくれる存在があるということ。彼らの世界はここだけだった。

そして2度目の疾走。洗濯場の汚い水に腿までつかり、洗濯をして働く美しく優しい母。その傍らで無邪気に遊ぶ幼い兄弟。貧しくても幸せな時間は突然破られる。2人は守ってくれる存在を失い、自分の命を守るため必死で逃げまどう。このシーンは前出の逃走シーンと対比となっていて悲しい。同じ逃げているのでも意味も重さも全然違う。このシーンは辛い。そして兄弟は全てを失うことになる。と、同時に運命の出会いをする。3人で雨の中眠るシーンは切ない。兄弟より少し小さい甥っ子が2人いる。兄弟の姿に2人が重なってしまい涙が出た。ゴミの山で暮らす彼らはママンという男に連れて行かれる。見ている側はママンの真の目的などお見通しだけれど、幼い彼らには分かるはずもない。でも、束の間でも楽しい時があったのは良かったと思う。ここでの生活で次第に兄サリームはリーダーの資質を見せ始める。この資質が彼に悲劇を招くことになるけど、こうならずにはいられなかったのかと思う。それがまた切ない。

ママンの元を逃れた2人は本当に2人きりで生きていく。列車の屋根に乗り移動しながらおみやげ物を売ったり、窓から乗客の食べ物をくすねたりする姿はかわいらしい。もちろん本当にこの生活なのであれば辛いと思うけれど、兄弟力を合わせて生きていることが楽しそうだったりする。乗客に見つかって列車から落ちてしまい、ゴロゴロ転がった先がタージ・マハル(笑) そして2人は少し大きくなった。この演出はベタだけど好き。タージで偽ガイドや観光客の靴を盗んだりしながら生きていく。アメリカ人を強烈に皮肉るシーンもあったりして、ここは映画の中でもコミカルな部分。もちろん、やっている事は犯罪だけど、彼らのあっけらかんとした明るさについ笑ってしまう。お金も溜まって楽しく暮らしていた2人だけど、ジャマールは生き別れてしまった初恋の少女ラティカのことを忘れる事ができない。この気持ちが切ない。

今はムンバイとなったボンベイに再び戻ってきた2人には過酷な運命が待っている。その1つ1つを書くつもりはないし、必要はないと思う。でも、まだ少年のジャマールが、かつて歌が上手かったためママンに目を潰されて街頭に立たされている少年に再会するシーンが印象的。視力を失った彼には目の前に立つ人物がジャマールだとは気付かない。ジャマールが差し出す100ドル札を疑い、描かれている肖像画の特徴を言わせる。うれしそうに「ベンジャミン・フランクリン!」と叫んだ後、「偉くなったんだねジャマール」という言い方や声に何の皮肉もない。そのセリフに涙が止まらなかった。彼の演技は見事。「僕はついてなかった、それだけのこと」と言う彼の人生を思うと本当に辛い。そうやってまだ少年であるにもかかわらず、諦めなければならない人生もあるのかと思うとやり切れない。

ジャマールは諦めない。ジャマールが自分の思いを諦めずに突き進んでいく姿がいい。いいけど、それが人を不幸にしている側面があることには気付かない。それはそれですごく切ない。ジャマールは憧れの映画スターに会いたい一心で、ウ○コまみれになってサインを貰った幼い頃から、ずっと純粋で真っ直ぐなままだった。初恋の少女を思い続けたのも、犯罪にどっぷり浸からなかったのも、彼が純粋で真っ直ぐな心を持っていたから。ジャマールのそういう性格が分かるから、見ている側は彼を応援したくなるわけで、それは本当に良かったと思うけれど、ジャマールが純粋でいられたのは、兄が自ら手を汚しても彼を守っていたからだと思ったりもする。ジャマールがウ○コまみれになって貰ったサインを、兄はあっさり売ってしまう。そこには不器用なくせに純粋な真っ直ぐさで、自分の思いを叶えていく弟に幼いながらも嫉妬した部分はあったかもしれないけれど、兄サリームはいつでも"生きる"ことを考えていた。それはきっと家長としての責任感だったんじゃないかと思う。そして、弟や自分を守るためにはあの道しかなかったのかも。そして、それはもちろんジャマールのせいではない。

ストーリーは警察で真相を語るジャマール、ミリオネア出演シーン、そしてジャマールの生い立ちの3つが交互に描かれる。それぞれ時が流れているけれど、流れ方が違う。この3つをからめての見せ方が斬新でおもしろい。だからこそジャマールの壮絶な人生をそんなに辛くなり過ぎず見ることができる。今見ているシーンは、実は彼が語る過去なのだと思うことで、少し距離感を持って見ることができた気がする。だからこそ、その過酷さがすんなり心に落ちてきたりする。正解し続けるにしたがって、ジャマールが落ち着いてこの状況を楽しんでいるように見えるのも、こんな生い立ちならば度胸もつくでしょうと思ったりするし、本当の目的を知らなくても、あの司会者の「お茶くみだってよ」という差別的な態度を見ただけでも、やっつけてやれ! と心で応援してしまう(笑) その見せ方も上手いと思う。

キャストはほとんどインド人。どんなキャスティングぶりなのか不明なので、インドの俳優さんなのか、アメリカとかイギリスに移住している役者さんなのか分からないけれど、警部役のイルファン・カーンだけは見たことがあった。『その名にちなんで』のお父さん役。あの役も良かったけれど、今回も良かったと思う。きっと犯罪が多くてイライラしているんでしょう。スラム出身の青年なんか不正しているに違いないと決めつけて、さっさと取調べを終わらせたいと思っていた。でも、ジャマールの話を聞くうちに引き込まれてしまう感じがいい。多分、見ている側は知らないうちに彼目線で見ることになる気がする。そういう意味でも重要なので、その辺りは良かったと思う。

ラティカのフリーダ・ピントは美しい。インドの女優さんはホントみんなキレイ。その美しさゆえに悲しい人生だったりするのも納得。その生い立ちゆえ踏み出す勇気が出せない中にも、ジャマールを気遣って身を引こうとしているんだなという感じも出ていて良かった。兄サリーム役の人は白くなってしまう前のマイケル・ジャクソンに似てる・・・ イヤ! 若くしたサミュエル・L・ジャクソンだな(笑) この手の役は弟の足を引っ張ったりして、イラっとさせることが多いけれど、そういう感じはなく、彼は彼でこう生きるしかなかったんだろうと思わせたのは良かった。それは少年時代の堕ちていく彼を演じた子役の演技によるところが大きかったと思うけれど。

ジャマールのデヴ・パテルは良かった。よくぞ彼をキャスティングしたなと思った。顔がいい。イケメンとかいうことではなくて、なんとも頼りなさげで応援したくなる。母性本能をくすぐるタイプ(笑) 何歳の設定なのか分からないけれど、彼の少年っぽい容姿が、純粋さを失わず真っ直ぐ突き進む感じと合っている。意外に男らしいのもいい。彼の望みは少年のあの日から終始一貫換変わらない。そのブレのなさもスゴイ(笑) だけど、いまどき珍しいその純情な感じがとっても伝わってきたのは、もちろん彼の演技もあるけど、容姿や個性によるところも大きいと思う。少年の頃の兄弟やラティカを演じた子達も良かった。だけど、やっぱりあの幼い頃の兄弟を演じた2人がホント良かった。もうホントかわいい。こんな境遇にあっても、楽しさを見出して生きていく姿が健気で本当に泣けた(涙) あのキラキラした瞳が忘れられない。

この映画で描きたい事は、インドの貧しい人々の現状、ストリートチルドレン、幼児売春、人身売買、そしてもちろん、1人の青年の壮絶な生い立ちとサクセスストーリーなど、いろいろあると思うけれど、「ミリオネア」と絡めて描いたこの手法を考えると、それは単にテンポのためだけではなく、1番言いたいことは「どんな生い立ちでも、無駄な人生はない」とうことなんだと思う。詰め込んだだけの知識は役には立たない。経験して人は大きくなっていくんだということ。それはなにもスラムドッグ(スラムの負け犬)じゃなくても、フツーのOLの人生にも言えること。それをこんなスピード感で、こんなに斬新で楽しく、そして時に切なく見せられたら見事と言うしかない(笑) これはホントにおもしろかった。

とにかく、インドの熱気がスゴイ。 子供たちの明るい無邪気な強さがスゴイ。いわゆるインド映画とは違う熱気を感じた。ラストのホームのシーンはニヤリ。ここはインド映画に敬意を表したのかな。いつもの迫力はないけど、これはこれで良かった。ラストまでハラハラしっぱなし。そして感動! の、後のアレは素晴らしい(笑)

ホントおもしろかった! また見たいかも!

【追記】
公式サイトによるとデヴ・パテルくんはロンドン生まれなのだそう。どうりでラストのアレがしっくりこなかったハズだ(笑)


『スラムドッグ$ミリオネア』Official site

コメント (18)
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【cinema】『消されたヘッドライン』(試写会)

2009-05-04 02:46:58 | cinema
'09.04.26 『消されたヘッドライン』(試写会)@スペースFS汐留

yaplogで当選。映画の中で主人公が勤める新聞社、ワシントン・グローブ社の日本支社がweb上で発足。ブロガー記者の記事をピックアップしていくのだそうで、この試写会もブロガー限定。ワシントン・グローブ日本支社の方による、クイズや映画の見所紹介などもあって楽しかった。

「ワシントン・グローブ社のベテラン記者カルは黒人青年が射殺された事件を追っていた。同じ日、旧友で国会議員コリンズのスタッフで彼の愛人でもあったソニア・ベーカーが地下鉄で命を落としていた。ソニアの記事を担当するWeb版記者デラに協力するうち、全く別の事件と思われた2つの事件に関連がある事が分かる。真相を探るうち、アメリカ最大の闇へと繋がっていく・・・」という話しで、これは2003年にイギリスBBCで放送されたドラマの映画化。もとがイギリスのドラマだから編集長役がヘレン・ミレンなのかな? 別に関係ないか(笑) これは、なかなかおもしろかった。

新聞記者が事件を暴くというサスペンス物の王道という感じ。ベテラン記者が独自の感覚で事件の真相を見抜き、野心家で頭のキレる若いアシスタント的な女性記者と、最初はいがみ合いながらも協力し、時には危険を冒しながら真相を暴いていく。何度も見てきた感じはする。"アメリカ最大の闇"もそう言われてしまえば、見る前にだいたい想像がついてしまう。主人公のキャラも身なりをかまわない中年男、強引で鼻持ちならない時もあるけれど、ベテランならでわの勘と大胆さで事件を暴いていくという、これまたサスペンス映画にありがちな感じ。これを書いてしまうとネタバレになってしまうのかもしれないけれど、もう本当に粗筋のまま。もちろん真相については伏せてはいるけれど、特別勘が鋭くなくても分かってしまうと思う。最後のどんでん返しもそう。そのどんでん返しについては少し不満があるので、後ほど(笑) とにかく、王道のストーリー展開で、王道な感じで落ち着くのだけど、やっぱりおもしろい。

冒頭、黒人青年が車に轢かれたり、お店の品をなぎ倒したりしながら逃げまどうシーンから始まる。たぶん2回くらい轢かれたと思うけれど、おかまいなしでどんどん逃げていくスピード感がスゴイ。この冒頭からどんどん引き込まれて、最後まで一気に見てしまったという感じ。全体的にテンポがいい。たいていアシスタント辺りが失敗したりして、見ている側をイライラさせたりするのだけど、そういうこともあまりなく、伏線も間違った方向に導くような貼り方はしていない。本当に王道で正攻法という感じ。特別ひねりもないように思う。もちろんサスペンスなのでオチないと意味はないし、どんでん返しもあるのだけど、そこに至るまでもそんなにひねっていない。わりと思っている通りに進んでいく。それでもおもしろいのは見せ方が上手いのもあると思うし、やっぱり王道ゆえというのもあるのかも。

キャストたちも良かったと思う。こういう作品の場合キャストの演技ってあまり目立たないのだけど、ひねりのない王道サスペンスを飽きさせなかったのは、役者達の演技のおかげでもあると思う。編集長役のヘレン・ミレンは思ったほど見せ場はなかったけれど、さすがの存在感。部下の能力を見抜き適材適所に配置していく感じが見ていて気持ちいい。新聞は真実を報道するものであると同時に、会社の商品なので売らなければならないというところのせめぎあいも伝わってきた。親友コリンズの妻で、カルの元カノ(この設定もありがち(笑))アンのロビン・ライト・ペンが良かった。議員の妻として地位もお金もあるけれど満たされず、思うようにいかない人生に対して諦めている感じが良かった。そのわり、最後あっさりとしてしまうのは気になったけれど(笑) コリンズ役のベン・アフレックはいつも口開いちゃってる感じで、こんな知的な役できるのかなと思ったけど(失礼)、意外に頑張っていた。愛人問題でスキャンダル議員となってしまうけれど、それでも悪に立ち向かう高潔な若手議員であるという感じは出ていたんじゃないかと思う。ここがきちんと出来ていないと、ストーリー全体が生きてこないので、その辺りは良かったんじゃないかと思う。

野心家web版記者のデラ役レイチェル・マクアダムスも良かったと思う。彼女の役もありがちではあるけど、良く見かける野心家過ぎて足を引っ張るウザイ女にはなっていない。きちんとカルのブレーンになっていたし、ちゃんと自分の分もわきまえている感じはした。歩いている後ろ姿がものすごく左肩が上がっていたのが気になったけれど、体歪んでないかしら? 演技とは関係ないけれど(笑) カル役のラッセル・クロウは正直あまり好みではない。出演作も『ビューティフル・マインド』しか見ていない。あれは良かったけれど、ルックス的に苦手だった上に、試写状の写真は太っていて汚らしかったので、良くあるタイプの役作りなんだろうと思い、このタイプの主人公はあまり好きではないので、見る前はかなり不安だった。まぁ、よくあるタイプの役ではあったのだけど、嫌いではなかった。カルはたしかに強引なところはあるけれど、実はそんなに型破りではない。これは他のキャストにも作品全体にもいえることだけど、型破りではない。その辺りが共感が持てた理由だと思うし、ラッセル・クロウはもう少しカルをダメ男として演じるのかと思ったけれど、そうはしていない。その辺りも良かったと思う。

さっきも書いたけれど、作品としても各キャラとしても、そんなに型破りではないし、強引な部分も多少あるけれど、それも納得できる範囲。カルは新聞記者であって刑事ではないので、その辺りを踏まえている感じはした。もちろん、ネタが大きければ大きいほど、かなり強引で大胆な手段を取らないとならない部分もあるのだろうってことは理解できるので、それはアリ。でも、ジャック・バウアーみたいなことは新聞記者にはムリなわけで、そのさじ加減はいいかなと思った。という感じで、テンポ良くウソ臭さがなく、ストーリー的にも分かりやすくて楽しく見ていたので、着地点がちょっと残念だったかな・・・。どんでん返し自体は予想していたので、それはOKだったけど、それをオチにしてしまったことにより、結果が曖昧になってしまった真相があり、見ている側としてはそちらの方が気になっていたので・・・。

そして真相に気付くきっかけになるセリフをアノ人が言ったからといって、真犯人に気付くというのはちょっと弱い気がした。まぁ、なくはないと思うけれど、これはひっかけでしていることではないと思うので、少し疑問に思った。てっきりセリフを言った人物が犯人だと思ったので、肩透かしのような感じになってしまい、あら?と思っているうち、そこが真相になってしまって、もう一つのいわゆる"アメリカの闇"の方が闇のまま・・・。まぁ、少々消化不良を感じつつも、例え映画でもここを大々的に暴けなかった辺りが"闇"ってことなんだという、大人の事情も感じられたので、これはこれで無難な着地ではあるのかなと思う。

女優さんたちの衣装が良かった。国会議員の妻アンの衣装は落ち着いていて品が良い印象。編集長の衣装も上質だけれどキリっとしたキャリア・ウーマンという感じ。同じパンツ・スーツでもアンと編集長では印象が全然違う。デラの少し野暮ったくも見えるレトロっぽい感じも好きだった。襟元まで大きなボタンのついてるグレーっぽいセーターが好き。

多分これは真相やオチ自体よりも、そこまでに至る部分を見る映画なんだと思う。そういう面ではいい意味で王道で楽しかった。


『消されたヘッドライン』Official site

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