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【cinema】『earth』(試写会)

2007-12-23 00:36:42 | cinema
'07.12.21 『earth』(試写会)@一ツ橋ホール

Yaplogのトラバによる試写会プレゼントに当選! 見てきた。

チラシに「主役、地球、46億歳-。」と書かれていたけど、まさに主役は地球と地球上の生物達。ホントに地球ってすごい! CG合成なんじゃないかと思うくらいの絶景の数々。何万という鳥や動物達の群れ。刻々と移り変わる四季の風景。どれもこの地球上で実際に見られる風景とは思えない。撮影日数延べ4500日、撮影全世界200箇所以上、それらを世界に数台しかない超ハイスピードカメラで撮影。その映像がすごい! 機影が一切映っていないけどどうやって撮影したんだろう?

映画は見渡す限りの氷の世界、北極から始まる。長い冬眠から覚めたホッキョクグマの親子。じゃれ合いながらもエサを求めて旅に出る。この他、アフリカゾウ、クジラの親子、カリブー、渡り鳥など様々な動物達の旅をとらえる。遠い記憶を探り仲間を導くリーダー達がいじらしい。その過酷な旅を彼らはもくもくと続ける。ただ生きるために・・・。全ての動物達がただ「生きる」ためだけに生きる姿は感動的。そこに何の打算もない。ボロボロになりながら生きるために前に進む彼らに頭が下がる。自分は日々こんなに必死に生きているのだろうか?

ライオンやチーターなど、生態系の強者が弱者である草食動物の子供を襲う姿は残酷ではある。でも、この映画はその姿も淡々と映し出す。ナレーションもどちらの立場にも立たない。襲う方も襲われる方もまさに命がけで、どちらにも生きる権利があるのだ。最期の姿も見せない。見せる必要はない。すべて自然の営みの一部であって、残虐さを見せることが目的ではないから。

この映画を「美しい地球と動物達の映画」と見ることもできると思う。でも、これは痛烈な人間への皮肉だしメッセージだと思う。ゾウに襲いかかるライオンや、インパラを追い詰めるチーターを酷いと思って見ているならば、昼間は互いを牽制しあいながら、わずかな水を分け合う彼らの現状を生み出したのは一体誰なのか? 今、地球の生態系の頂点にいるのは人間。人間は普段あまり自分達を動物の一員だとは思わない。でも、間違いなく地球上の生物だ。頂点にいるならそれなりの行動をしなくてはいけない。ライオンもチーターも無駄な殺生はしない。自分達の空腹が満たされればそれ以上は殺さない。人間だけが無駄な殺生をし、自然を無駄に破壊する。人間は文明を手に入れた為に、ストレスを抱えることになった。そのストレスを解消する為、娯楽を生み出した。娯楽という概念があるのは人間だけだ。そのために地球に大きな代償を払わせることになってしまった・・・。一番残酷なのは誰なのだろう。

私は映画はエンドロールまで見ることにしている。気になったキャストや、使われた音楽を確認したいから。今回、エンドロールの途中で、施錠されて「非常時以外閉め切り」と張り紙のある扉を、勝手に鍵を開けて出て行った中年男性がいた。明かりが入って迷惑だっただけでなく、そこから次々に列になって人が出て行ってしまい、全く画面が見えなくなってしまった。別にエンドロールを見て行けと言っているわけではない。でも、この映画の主旨を理解しなかったのだろうか? 自分さえよければいいという行動はどうだろう? そんなことでは地球なんか救えないのではないだろうか? 出来事としては些細なことだし、個人攻撃で偉そうだけど、どうしても書いておきたかった。人間は身勝手になり過ぎた、自分も含めてそう思う。

温暖化により北極の氷がどんどん溶けてしまっている。1匹の雄のホッキョクグマがやっとの思いで氷の上に辿り着く。空腹と疲れでボロボロだ・・・。彼はある賭けに出る。そして・・・。彼の辿る運命が、そのまま人類の辿る運命に思えてくる。人類は何度も文明や国を滅ぼしてきた。そして、とうとう地球を滅ぼしてしまうのかもしれない・・・。

これは勝手に私が思ったこと。映画自体は淡々と自然の移り変わりや、動物達の営みを映し出している。その映像に時に圧倒され、時に笑わされたり、ホロリとさせられたりする。ナレーションも教訓がましいことは言わない。淡々と説明するにとどめている。すべてが押し付けがましくなくて良かった。それだけにラストの補足は余計だった気もするけど、言わないと分かってもらえないという気持ちも分かる気はする。とにかく映像が美しい。この美しい地球を残したいと心から思える。


『earth』official site

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【cinema】『カンナさん大成功です!』(試写会)

2007-12-15 00:22:06 | cinema
'07.12.12 『カンナさん大成功です!』(試写会)@ヤクルトホール

鈴木由美子のマンガが原作の韓国映画。原作は未読なので、どこまで忠実なのかは不明だけど、おもしろかった。

「歌手志望のカンナは才能はあるが、170cm・95kgの容姿が禍いし、アイドル歌手アミのゴーストシンガーをしている。夢が叶わなくても、プロデューサーのサンジュンの傍に居られるだけで幸せだった。でも、ある日彼が自分を嘲るのを聞いてしまう。絶望したカンナはある決心をするが…」という話。人の価値は容姿で決まるものではないし、美人が必ずしも幸せだとは限らない。でも、少なくとも芸能人を目指すなら容姿は重要かも知れない。浅田真央ちゃんの演技が美しいのは、もちろん真央ちゃんの実力だけど、容姿がプラスになっていることは否定できないと思う。全身整形は極端だけど、今より少しでも綺麗になれたら幸せになれると思う気持ちは分かる。男性には理解しにくいかもしれないけど、女性が美しくなりたいと思うのはモテたいからだけではない。女性は女性の目を意識するし、何より自分が美しくいたいので。伊集院光のpodcast「深夜の馬鹿力」(12/10版)を聴くと参考になるかも(笑)

話しがそれた上に熱弁してしまったけど(笑)カンナが悲しかったのは、本当は容姿を否定されたからではない。自分を否定されたことが辛かったから。人の感じ方はそれぞれで、親しみを込めて言ったつもりでも、その人のコンプレックスや傷を突いてしまうことがある。受けた方は自分を全否定されたように感じてしまう。そしてコンプレックスは自分自身を攻撃する。その辺りを笑いも交えて上手く描いている。

特別映像などに斬新さは感じなかったけど、カンナがルームランナーで走るシーンと、サンジュンやアミの混乱を分割で見せて、2人に気をとられている内に、走るカンナがすっきり痩せているのは面白かった。鼻のオチも笑えた(笑)スレンダー美女に生まれ変わったカンナが、鏡を見て「泣き顔も美しい」と感動するのはかわいい。そんなにうれしいならよかったと素直に思う。

とにかく主役のキム・アジュンがいい。整形前のカンナも特殊メイクで演じている。特殊メイク自体は『ヘアスプレー』のトラボルタみたいなことになってたけど(笑)容姿にコンプレックスがあるので自信が持てず、いつも一歩引いている感じや、唯一自信が持てる歌を歌っている時は、生き生きしてる感じもよかった。美女になってからもつい地のカンナが出てしまう感じもいい。キュートな感じのナチュラル美人で、スタイルもすごい。声がかわいくて、感極まったカンナがサンジュンに抱きつくシーン(整形前・後ともあり)で「キャ」と言うのがかわいい。

全体的にコメディータッチで、それもベタだったりするのに笑えた。カンナに追突されたタクシー運転手とか、彼女の熱狂的なファンになる出前のエピソードはベタだけど笑った。いちいち音楽つきでキラキラ演出するのがいい。ラストのコンサートもベタだけど、ちょっと感動してしまった。

整形外科医役のイ・ハヌイや、出前のパク・ノシクはよかった。父親役のイム・ヒョンシクもよかった! 認知症ながら娘を気遣う姿に涙。サンジュン役のチュ・ジンモは少女マンガの王子様をきちんと演じていたと思う。正直、サンジュンみたいなナルシストっぽくて面倒臭いタイプは苦手なので、魅力がさっぱり分からないけど、そこは苦悩する王子様キャラってことで(笑)

親友役のキム・ヒョンスクがよかった。具体的な名前を出すと失礼かもしれないけど、森三中の黒沢似でけっして容姿には恵まれていない。でも、たぶん整形前のカンナに多少の優越感を持っていたはず。本人がどこまで意識してるか分からないけど… 人を見下すのはよくないことだと思う。でも、絶対自分のプライドとコンプレックスのバランスを取るために、自分よりやや不幸な境遇にいる人を見て安心したことってあるはず。江戸時代の身分制度や、インドのカースト制度でも、最下層の人々を徹底的に虐げたのは、その心理ゆえだと思う。悲しいけれど、差別は絶対ある。その辺りの感じとか、自分より不幸だと思っていたカンナが、誰もが憧れる美女になって現れ、その美貌と才能でスターになっていくことに、嫉妬している感じとか、それでも彼女を心配している感じとか、女性同士の複雑な友情を見事に表現してると思う。そして、そこがこの映画の言いたいことなんだと思う。

冒頭のアミのコンサート・シーンとか、カンナがジェニーとして初めて観客の前で歌うシーンも臨場感があった。普段、いわゆるアーチストという人達のコンサートは見ないので、なかなか派手で新鮮。歌は全てキム・アジュン本人が歌っているのだそう。なかなか上手い。

「容姿がよければ幸せなのか?」ということを描いている映画で、もちろん違うことは映画を見る前から頭では分かってるはず。でも、カンナが真にそれが分かったのは美しい容姿を手に入れたから。なかなか皮肉が利いている。いずれにしても、人間生きている限りコンプレックスはなくならないし、欲望も、嫉妬も無くならない。だったら少しずつ克服していくしかない。どんなに容姿が変わろうとも、自分自身を完全に変えることも無くすこともできないものだし。

と、最後はなんだか深い話しになってしまったけど、映画としては軽いタッチでさらりと描いているし、笑えるシーンもたくさんある。なによりキム・アジュンが魅力的。彼女を見るだけでも見る価値あり(笑)

『カンナさん大成功です!』Official site

エンドロール後、3名に梨花デザインのリング、5名に梨花がカバーした劇中歌(エンドロールでは梨花バージョンが流れる)のCDが当たる抽選会があった。だからエンドロール中も席を立たなかったのね(笑)抽選には外れたけど、全員にpureイチゴ味が貰えた。ちょっとうれしい! おいしいけど、すごいすっぱい


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【cinema】『再会の街で』(試写会)

2007-12-11 23:48:33 | cinema
'07.12.10 『再会の街で』(試写会)@一ツ橋ホール

baruからのお誘い。いつもは簡単なあらすじと出演者くらいは調べて行くけど、時間がなかったので何の予備知識もなく見た。日本語タイトルからすると恋愛モノかと思っていたけど、これは友情と再生の話しで、しっかりとした人間ドラマだった。

「美しい妻と2人の娘に恵まれ、仕事も順調な歯科医アランは、20年ぶりに大学時代ルームメイトだったチャーリーを見掛け声をかける。再会したチャーリーは不幸な出来事から心を閉ざし、現実を生きようとしていなかった・・・」という話。チャーリーに起こった悲劇は9.11のこと。妻と3人の娘を失った。9.11については既に何本かの映画が日本でも公開されている。この映画は事件そのものではなく、あの日からずっと傷を負ったままの遺族を描いている。事件のことは映像もなく、事細かに語られることもない。だからチャーリーの苦しみが「あの悲劇」だけに限定されず、同じ痛みを共感できる。あんな悲劇じゃなくても、喧嘩別れだとしても、人はいくつもの別れを経験する。その記憶を揺さぶられる。

チャーリーの様子が普通でないことを心配したアラン。彼と過ごす時間が増えていく。次第に自分が見ようとしなかった問題や気持ちに気付いていく。自由にやりたい事だけして過ごしているように見えるチャーリーを、元の優秀な歯科医に戻そうとする。でも、それはアランの思い描いていた「幸せ」に過ぎない。チャーリーの弁護士の言葉にハッとする。何故まるで少年のように、ゲームやギターやレイトショーを楽しむためにアランを呼び出すのか。アランも楽しんで付き合ってくれるからだろうか…。

弁護士はチャーリーがアランを受け入れたのは、失った家族の事を知らなかったからだと言う。確かそうだけど、彼の言った意味とは違うと思う。チャーリーは傷と向き合わされて、ある行動に出る。常軌を逸したその行動を見た時、そんなに辛いなら楽になったらいいんじゃないかと思った。もういいよ、楽になりなよと・・・ こんな思いまでさせる権利がアランにあるのかとさえ思った。日本やヨーロッパの映画なら彼はあのまま突き進んで、別の結末を向かえたのではないかと思う。でも、これはアメリカ映画で、彼が今ある不幸な境遇は、あの9.11によるものなのだ。そして、9.11だけでなく、どんな形であっても愛する人を失い、辛い思いをしている全ての人に向けての励ましでもある。だからチャーリーは立ち上がらなければならない。少なくとも心の痛みと向き合わなくてはならない。

チャーリーは感受性の強い人だ。だから折れてしまった心がこれ以上傷つかないように心を閉ざし、何も感じないようにしたのだろう。妻や子供を愛していたのはもちろんだけど、たった一つの後悔に苦しんでもいる。チャーリーは事件を起こし裁判にかけられる。その時、無理矢理傷と向き合わされる。その姿が痛々しい。あまりの辛さに彼のとった行動に眉をひそめる人々。確かに立派に乗り越えている人もたくさんいる。でも、あまりの辛さに向き合えずにいる彼は人としてダメなのだろうか? 裁判の後、妻の両親に本当の気持ちをぶつけるシーンは、心を揺さぶられて気付くと泣いていた。最近同じような経験をした。忘れたいのに忘れられないのと、忘れたいわけではないけど、片時も頭から離れず、その記憶に心をえぐられるのはどちらが辛いのだろう。

原題「REGIN OVER ME」はチャーリーが学生時代大好きだったTHE WHOの「Love,Regin o'er Me」(愛の支配) からつけられたとのこと。心を占めて離さない気持ち… その気持ちと向き合えたのはアランのおかげ。心から彼に向き合ってくれたから。そして、アランはチャーリーに向き合うことで、いつも人と向き合うことを避けていた自分に気付く。人はみな自分の中に自分で作った殻を持ち、その殻に閉じこもることで自分を守ろうとする。傷つきたくはないから… でも、いつか「殻」に支配されてしまうのかも知れない…

アラン役のドン・チードルはよかった。アランは決してヒーローではない。いい人だけど普通の人だ。その感じを上手く表現している。多少イラっとさせるところまで好演。妻役のジェイダ・ピンケット・スミスもよかったし、おかしな女ドナ・リマー役サフロン・バロウズも雰囲気のある美女で素敵。そしてチャーリー役のアダム・サンドラーが素晴らしい! コメディー映画 の印象が強くて、こんなに演技のできる人だとは知らなかった。無邪気に振る舞う彼がいつも痛々しく感じられた。そして彼の苦しむ姿、ある事でずっと自分を責めている姿に自分を重ねたりもした。

ずっとカメラがチャーリーやアランを追うように映す。その彼らが暮らすNYの街がいい。まるで自分もそこで生活しているような気もする。それが余計「愛する人を失う痛み」という誰もが経験することへの共感に役立っている。こんなに重い話なのに笑える場面もあって緩急が利いているので辛くなり過ぎずに見れる。
いい映画だと思う。心が折れて立ち直りたい人にはオススメ。解決の糸口は見つからなくても、自分の問題が特別じゃないと思えるし、自分で乗り越えなくてはならないことが分かる。そして、誰かが支えてくれていることにも気付くはず!

エンドロールで流れるPEARL JAMがカバーした「Love,Regin o'er Me」がかっこよかった♪

チラシやポスターのNYの街を歩く2人の構図、ボブ・ディランのアルバム「THE FREEWHEELIN」に似ていると思う。ドナ・リマーもドナ・サマーを思わせるし、音楽にこだわりがあるのかな?


『再会の街で』Official site


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【art】「フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展」鑑賞@国立新美術館

2007-12-09 23:53:18 | art
'07.12.07 「フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展」鑑賞@国立新美術館

大好きなフェルメールの代表作ともいえる「牛乳を注ぐ女」公開。これは絶対に見たい! ということで行ってきた。土日は絶対混むだろうと予想して金曜日の夜にする。金曜日は20:00(入館は19:30)まで。でも、それなりに混んでる。以前来たモネ展ほどではないけど・・・。

きちんと間近で見ようと思ったら結構並ばないとダメだけど、時間がないので2列目以降で後ろから見ていくことにする。オランダ風俗画ということで、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」をメインとして、その作品が生まれる背景や、フェルメール作品に影響を受けたと思われるその後の作品を展示するという構成。いわゆる風景画などの大作はない。なので1つ1つは小さめ。そもそもの目的である個人宅に飾るにはちょうど良いのかもしれない。でも美術館で見るには小さい・・・。

庶民の日常を描いた作品ばかり。まるで童話や寓話に出てくる一場面のよう。最初に気になったのはコルネーリス・ビスホップ「りんごの皮を剥く娘」 この少女のもとに道に迷った王子が現れそうな気がする。もしかしたら当時の娘達は、そんな空想をしながら日々を生きていたのかもしれない。そんなことを考えた。ハブリエル・メツー「鰊売りの女」も同じ印象を受ける。ヤン・ハーフィンクス・ステーン「鸚鵡の鳥籠」もおもしろい。鸚鵡(おうむ)に餌をやる女性のわきでバックギャモンに興じる2人の男。なんとなくエロティックな皮肉を感じる。ステーンの作品は全てそんな印象を受けた。

展示作品の真ん中に「牛乳を注ぐ女」がある。これについては後から書くとして、先に後半部分について。デルフト焼きが数点あった。デルフト焼きの特徴である青色が美しいけど、模様の細かさや描かれた線の美しさは、有田焼など日本の陶器には及ばない感じがした。でも「5枚のタイル」に描かれた人々はかわいくほほえましい。「牛乳を注ぐ女」の足元に描かれているのと同じ種類のもの。これは好き。ニコラース・ホイエル「平鉢」は銀を花形に打ち出したもの。17世紀作とは思えない斬新さで良かった。

1700年後半以降の作品には明らかなフェルメールの影響が見られる。アブラハム・ファン・ストレイ1世「主婦」、ヤン・エーケルス2世「ペンを削る男」などはパクリか?というほど似ている。ここまでではなくても光の当たり方の表現にフェルメールの影響が色濃く見られる。ニコラース・ファン・デル・ヴァーイ「アムステルダムの孤児院の少女」の少女の寂しげな横顔が美しい。レンブラントのエッチングの小品が数点あった。どれも風刺があって良い。「帽子を脇に置いて入浴する女」「ストーブの前に座る半裸の女」は良かった。

「牛乳を注ぐ女」には個室(?)が与えられている。ロープが張られていて、最前列で見る人と、2列目以降で見る人の列がある。2列目以降の人は立ち止まってOK。最前列はゆっくりと動いて見る。もちろん最前で見る方に並ぶ。想像していた以上に小さい。ライトが反射してなかなか見えない。やっと正面へ。すばらしい! その光! まるで今にも動き出しそうな描写力がすごい! フェルメール独特のドア越しに覗く感じの構図と、左の窓から差し込む光。その光の美しさ。女性の黄色い上着と青のエプロンの配色の素晴らしさ。青にはラピスラズリを細かく砕いた絵の具が使われている。その青色がこの絵のポイントとなっていて、その下のスカートの赤で締めている。スカートの色があんなに鮮やかだとは思わなかった。

日常の一瞬をさりげなく切り取ったように見えて、実は遠近法など緻密な計算をしている。その上で美しさを追求するために、テーブルのいびつな形やピッチャーの中の牛乳の見え方など実際にはあり得ない絵も描く。究極に考えられた作品なのだ。そのオーラがすごい。光を巧みに表現した光あふれる作品だけど、作品自体を光を放っているようだった。この絵を描いた時フェルメールは26歳! しばし放心。久々に心を奪われた。

正直「牛乳を注ぐ女」以外にグッとくる作品はあまりない。でも、この1作のために行く価値は絶対にあり!


★フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展:12月17日まで

国立新美術館

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【cinema】『俺たちフィギュアスケーター』(試写会)

2007-12-02 01:05:40 | cinema
'07.11.29 『俺たちフィギュアスケーター』(試写会)@九段会館

見たかったコレ! 最近ズッシリ重めの作品が続いたので、久々に何も考えなくてもいいバカ映画で一休み。全米ではかなり前に公開されていたからSHOWBIZ COUNTDOWNの全米ランキングなどで知ってたけど、ホントにバカ(笑)

「男子フィギュアスケート界のアイドル、ジミー・マッケルロイと強烈な個性のチャズ・マイケル・マイケルズはライバル同士。国際大会での同点1位に不満の2人は、つかみ合いのケンカをして表彰式を台無しにしてしまう。フィギュア界から追放された2人が再起を賭けて選んだ道は男2人でペアを組むというものだった・・・」という話。あらすじだけでも話が破綻していることが分かる(笑) ルール的にありえないとかそんな事を言うのはナンセンス!! そもそも、まともなモノを作ろうという気はない。でも、いい加減に作っているということではない。とにかく、こんなまともな事を書いていることすらチャカされるんじゃないかというくらいに全てがバカ。そもそもが友情モノ、青春モノ、恋愛モノ、スポ根モノのパロディーだし。

なんというか・・・。これホントに素晴らしいバカ映画。その徹底ぶりがすごい(笑) 例えば中途半端に友情モノにしようとかそういうところが全くない。ジミーとチャズは厚い(熱い?)友情を築くけど、それすら笑い要素であるということ。ここまで徹底していればあっぱれ! バカの大技、小技が満載。映像的に笑わせるのが大半だけど、セリフもいい。あまりに危険で禁じられた大技リフトをコーチが持ち込んだのは北朝鮮。それを聞かされた2人が「あの国しかない」と言ったりとか(笑)

ウィル・フェレルがいい。下品でバカでいい(笑) 始めはキモキャラ、次にいい加減で女好きキャラ、そして友情に熱い男とすべてやり過ぎ。でも笑えてウザくない。フィギュアスケーターにしては年取りすぎだし、太りすぎの体型も最高(笑)

とにかく全編下品だし常識もない(笑) アイドル時代のジミーの演技にしても、孔雀をイメージした動きがバカだし! でも、そういうのがいい! 新旧の有名スケート選手も多数出てます。あのサーシャ・コーエンもご出演。あれはいいのか?(笑) 日本や韓国などスポンサーに気を使ったんだろうなと思われるハリウッド的な場面ですら笑える。

下品でバカなので合わない人は全然ダメだと思う。見た後、何の感銘も受けないし、何も残らない。なぜならそういう映画じゃないから! でも、たまにはバカにどっぷり漬かって大笑いして、頭を空っぽにするのもいいと思う。あの「フラッシュゴードンのテーマ」(QUEEN)にのせて2人が逆転を賭けて、あの大技を披露する演技は必見! バカです!

★この日は若手お笑いコンビのトークイベントがあった。でも、この日の観客の年齢層はかなり高め。かなり苦戦していた。GAGAのスタッフがチャド&ジミーの衣装で登場。上映後、GAGAのお2人はその衣装のまま出口で見送ってくれてビックリ! 衣装はAmazonで購入したとのこと。


『俺たちフィギュアスケーター』

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