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【art】「大英博物館 北斎 ー国内の肉筆画の名品とともにー」@サントリー美術館

2022-07-31 17:33:20 | art

【art】「大英博物館 北斎 ー国内の肉筆画の名品とともにー」@サントリー美術館

 

 

大英博物館が所蔵する海外コレクターによる葛飾北斎(Wikipedia)作品コレクションと、国内で所蔵されている肉筆画を展示する企画展。北斎の企画展は毎年どこかで開催されているので結構見ている。なのでスルーしようかとも思ったのだけど、外国人の目を通すとどうなるのか気になって行ってきた!

 

最近忙しくてブログ記事書く余裕がない💦 美術展の記事とかちゃんと調べて書きたいからついつい後回しになってしまう。Tweetに追記する形にしても結構大変で💦💦 でも、記録として残しておきたいので、最低限の追記で記事にしておく😌

 

 

企画展内で紹介されていた海外コレクターは6人。

①ウィリアム・アンダーソン

②チャールズ・ヘーゼルウッド・シャノン

③オーガスタス・ウォラストン・フランク

④ローレンス・ピニョン

⑤アーサー・モリソン

⑥ジャック・ヒリヤー

 

ところどころに彼らを紹介するパネルがあったので、そのコーナーはその人物のコレクションということなのだと思うけど、どれが誰のコレクションなのか分からなくなってしまった。ただ、メモしてきたのは上記の順番だった。

 

北斎といえばの「富嶽三十六景」なども展示されていたので、日本人の目線と大きく違うとも思わないけど、外国人の目から見てもこれが好きなのかと思うと感慨深いものがあった。

 

 

「流水に鴨図」

 

北斎の作品ってあまりカワイイとかやわらかさを感じることがない気がするのだけど、今作はとてもかわいかった。Tweetにある花と動物をモチーフにした作品集あれば見てみたいのだけど、そのタイトルが作品リストを見てもよく分からない😢

 

「百物語 こはだ小平二」

 

こはだ小平二は小幡小平次(Wikipedia)と書くのが本当らしい。江戸時代の怪談に登場する歌舞伎役者で、幽霊役で名を上げたが殺害されてしまい、自分を殺した相手に化けて出るという話らしい。

 

この「百物語」シリーズの中に「百物語 さらやしき」という作品があって、これを子供の頃見てとても怖かった😱 多分、親が持っていた作品集か何にかに載っていたのだと思うのだけど、怖いのにまた見たくなって繰り返し見ては怖がっていた記憶。

 

「弘法大師修行図」

 

北斎は数え年90歳で亡くなっているのだけど、今作は84~87歳の間に描いたそうなので、ほぼ最晩年の作品。イヤすごい迫力だった! 90歳近くなってこの筆致! 

 

鬼の筋肉の表現もさることながら、鬼に一歩も引かぬ弘法大師の静かな迫力。これはスゴイ!

 

 

 

「為朝図」

 

今作がお目当てで見に行った。

 

源頼朝の叔父である源為朝(Wikipedia)を描いた作品。為朝は身長が2m以上あったそうで、気性も粗く様々な伝説を残している人物らしい。これはどいう場面なのかな?🤔 鬼だよね? 

 

今作は撮影可能。結構混んでいたのでなかなか上手く撮れなかった💦

 

「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」

 

北斎といえば今作もしくは赤富士こと「富嶽三十六景 凱風快晴」かなと思う。これ奥に富士山が描かれているけど、その左手前の波が富士山の形になっているんだよね。この辺りも遊び心があって楽しい。

 

こちらも撮影可能だったのだけど、ガラスケースに寝かせて展示されていたので、なかなか上手く撮れなかった😢

 

 

お土産はポストカードと花モチーフの手ぬぐい。どちらも作品からの抜粋だと思うけれど、どれだか分からず😢

 

見たことない作品もたくさんあって見応えがあった! やっぱり北斎はスゴイ!

 

大英博物館 北斎 ー国内の肉筆画の名品とともにー :2022年4月16日~6月12日 @サントリー美術館

大英博物館 北斎 ー国内の肉筆画の名品とともにー

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【Googleのロゴ】スティールパンを称えて

2022-07-26 13:01:45 | Google's logo

毎度のGoogleのロゴがこんなことに!

 

 

スティールパンを称えて

 

スティールパンって楽器の?

毎度のWikipediaによりますと・・・

 

スティールパン(Steelpan)は、

ドラム缶から作られた音階のある打楽器

独特の倍音の響きを持った音色が特徴。

カリブ海最南端の島国トリニダード・トバゴ共和国で発明された。

 

とのことで、構造は?

 

すり鉢状に成形されたドラム缶の底面に音盤が配置されており、

この音盤を先端にゴムを巻いたバチ(マレット)で叩くことにより

音盤及び胴体部を振動させて音が発生する。

55米ガロン (210 L)のドラム缶を材料とするものが主流であり、

各種産業で使用済のものや、

楽器専用に作られたドラム缶により製作される。

 

スチールパン誕生には悲しい歴史があるようで・・・

 

トリニダード・トバゴでは、

19世紀半ばに当時占有していたイギリス政府により

ドラムの使用を禁止された黒人達が、

いろいろな長さにした竹の棒を地面に打ち付けたり

バチで叩いて音を出すタンブー・バンブー英語版を代用していた。

しかし1937年

このタンブー・バンブー英語版Tamboo bamboo)の使用も禁じられた人々は、

身近にあったビスケットなどのカン類などを楽器として使用し始めた。

そうした中、1939年に、

ウインストン・スプリー・サイモン英語版

ぼろぼろになったドラム缶を直そうとしていた際、

叩く場所によって音が違っていることに偶然気付き、

スティールパンの元となるものを作り出したと言われている。

 

何故イギリス政府がドラムを禁止したのか、

その後も次々禁止し続けたのか分からないけど、

それでも人々が新たな楽器を作り出して行く強さこそ、

称えられるべきだと思う。

 

昼休みに書いてるので、

リンクや検索画面のロゴは後ほど追加!

 

追記!

 

このロゴ動画になっていて再生ボタンをクリックすると、

YouTubeの動画が再生される。

 

いつもはスクショ取るのだけど、

時間がないのと体調がイマヒトツなので割愛💦

YouTubeの動画を貼っておく😌

 

Celebrating Steelpan

 

検索画面のロゴはこんな感じ

 

画面上ではこんな感じでデザインされていて

 

全体的にはこんな感じになっている

 

何故今日スティールパンがロゴになっているのかというと、

コチラの記事

2022年7月26日のGoogleロゴは「スティールパン」を称えたもの オリジナル・アニメも公開

よりますと・・・

1951年7月26日、トリニダード・オール・スティールパン・パーカッション・オーケストラ(TASPO)が

イギリスのフェスティバルに出演し、

スティールパンと新しい音楽ジャンルを世界に紹介したことを記念しているのだそう。

 

イギリス政府がドラムを禁止して生まれたスティールパンを、

イギリスのフェスティバルで披露したのか。

なるほどね・・・

 

Happy Anniversary🥁

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【tv】100分de名著「太平記」第1回

2022-07-24 01:41:12 | tv

【tv】100分de名著「太平記」第1回

"あわいの時代"を生きる

 

 

1回25分×4回で1つの作品を読み解く番組。2022年7月は「太平記」。講師は「平家物語」でも講師を務められた能楽師の安田登氏。

 

「太平記」は漠然と足利尊氏の物語というイメージがあったくらいで、全然内容が分からないので楽しみ。安田先生の「平家物語」めっちゃ面白かったので期待大✨

 

『太平記』(Wikipedia)について

構成:全40巻 

成立:室町時代(1370年代?)

作者:不詳

内容:鎌倉幕府の滅亡~南北朝時代  足利義満の治世となるまでの50年の動乱を描く

 

平安時代=「公」(朝廷)の時代、鎌倉時代=「武」(武家政治)の時代

「武」に問題が起こることにより、「公」がまた現れる。「公」と「武」が入り乱れる時代。

 

前半の主要人物

 

「武」北条高時(Wikipedia

「公」後醍醐天皇(Wikipedia

「公」楠木正成(Wikipedia):武士だが後醍醐天皇側なので「公」

「武」⇨「公」新田義貞(Wikipedia):鎌倉幕府に仕えていたが途中から後醍醐天皇側へ

「武」⇨「公」⇨「武」足利尊氏(Wikipedia):新田義貞と同じ流れから後醍醐天皇と争う

 

伊集院光氏:「公」「武」入り乱れているのが分かる

 

ナレーション:「公」「武」入り乱れる『太平記』実は先立って成立した軍記物『平家物語』(Wikipedia)に影響を受けている。『平家物語』は平清盛の死を頂点に滅びへ向かっていく物語。『太平記』第一部(12巻まで)従来の「武の滅び」楠木正成の活躍を頂点に滅びに向かう

 

朗読:(安田登氏)

 

ナレーション:もうひで?が古今の変化を採って安危の所由を察するに覆って外無きは天の徳なり。明君これにて国家を保つ。載せて?つること無きは地の道なり。良臣これに則って社稷を守る。もしも徳欠くる則は、位有りといへども保たず(中略)其の道違う則は威有りといへども保たず。

 

現代訳:古から今に至る世の移り変わの中に、平和と乱世との由来を私なりによくよく考えてみると、万物をあまねく覆うものこそが天の徳だと分かる。明君はこの徳を身に備えて国を治めるのである。一方国家の運営を任せて疎んずるころの無いのが地の道である。だから良臣はこの道理に従って重要な国家祭祀を守って行くのである。また臣下が地の道を誤った政治を行うならば、権勢があってもその地位を維持することはできない。

 

伊集院光氏:聞き覚えはないが言っている内容はおごれる者は久しからずみたいなこと? 

 

国家を平和に保つのに必要なこと

 

〇キーワード:天の徳 地の道

君主=「天」 臣下=「地」 天地で一つ。両方相まってなくてはいけない。 

道徳とも読める。

 

伊集院光氏:大きな会社の創業者は漠然とこの会社はこうあるべきだという方針を体現している人で、重役は具体的にこうしようということをやる。それがきちんと機能していないともたないよということ?

 

天と地が一緒になって初めて上手くいく。

 

安部みちこアナウンサー:ベースになっている学問があるのでしょうか?

 

儒教「論語」(Wikipedia)がよく引用される。

 

政を為すに徳を以てすれば、譬えは北辰に其の所に居て衆星のこれに共するがごとし

君主が政をするには徳をもってすると北極星がそこのところにいて周りが拱手(両手の指を胸の前で組み合わせてお辞儀をする中国の敬礼)をする。

 

これが正しい政治である。君主は何もせず「北極星」であることが大事。

 

伊集院光氏:トップの上司が細かいことまで動いちゃうと、それがいいかというとあまりよくない。

 

人物の徳

 

一番ダメに描かれているのが北条高時

 

「太平記」では十四代執権北条高時が悪く描かれている。闘犬・田楽に狂い好き放題なことをして周りの武士たちを呆れさせる。

 

伊集院光氏:本来は天? 地?

 

儀式的には天。日本全体では天皇が天で武士は地。

 

伊集院光氏:ちょっと複雑なポジションにいて、天としても地としてもまずそう。

 

安部みちこアナウンサー:なぜこの時代にこんなに世が乱れたのでしょうか?

 

「あわい」の時代

 

間というのは  A とBの空いているところ。 あわいというのはAとBが重なっているところのことを言う。いろんなことが重なっている時代。現代もそうで変化している。

 

伊集院光氏:徐々に移り変わっている間に前の常識でやっていいのか、新しい常識に従うべきか混乱する。その時代であった常識で。現代もそう。

 

安部みちこアナウンサー:特別すぐれた人物として描かれている人物がいる。

 

楠木正成:後醍醐天皇に尽くすが2人の出会いが不思議。

 

ナレーション:後醍醐天皇は鎌倉時代に禅僧が宋から持ち込んだ宋学(Wikipedia)を熱心に学んでいた。朱子学とも呼ばれるこの儒教思想には「一人の王のもとに国家は統一されるべき」という考えがあった。

 

後醍醐天皇は天皇自らが政治を行うことを目指し、幕府打倒を企てる。しかし、その計画は二度にわたり幕府に露見し、後醍醐天皇は京都を脱出し笠置山に逃れる。援軍も少なく窮地に陥る中、後醍醐天皇はうたた寝をして夢を見る。

 

宮中の庭先思われるところに大きな常葉樹があり、南に向けて伸びた枝が特別勢いよく生い茂っていた。

 

その下に大臣など公卿が並んで座っていたが、南に面した席には誰も座っていない。はて誰が座る席なのだろうと訝しんでいるところに2人の童子が現れた。

 

童子は跪きこの世には帝が身を隠せる場所はありませんが、あの座席は帝のための玉座。しばらくそこにいて下さいと言うと天高く昇って行った。

 

そんな夢を見た後醍醐天皇は木に南と書くのは楠だと思い、翌日寺の僧を呼んだ。

 

「もしかして、この辺りに楠といっている武士はおらぬか」とお尋ねになると「河内国の金剛山の西に楠多聞兵衛正成といって、弓矢を取って優れた者ありと、人にも聞こえた者がございます」

 

帝は詳しくお聞きになり「それでは、昨夜の夢はこのことだったのだな」とお思いになられたので、直ぐに正成を召し出された。

 

後醍醐天皇の元にはせ参じた楠木正成は挙兵を快諾。初陣となった赤坂城の戦いでは攻めて来る敵を罠にかける。

 

朗読:(安田登氏・玉川奈々福氏)

 

寄せ手はいよいよ調子づいて四方の塀に手をかけて、同時に乗り越えようとしたところ、もともとこの塀は二重に築いてあって、外の塀をばっと切り落とすように造ってあったので塀の中から四方の釣り縄を一度に切って落とした。

 

塀に取りついていた兵士たち千余人は、上からおもりをかけられたように目ばかり白黒しているところへ、大木・大石を投げかけ投げかけして打ったので、寄せ手はまた今日合戦でも七百余人が討たれてしまった。

 

ナレーション:正成は奇策や計略を尽くし、幕府軍を翻弄。後醍醐天皇のために大いに働く。

 

ニュータイプ武士! 楠木正成

 

それまでの源氏と平家は両方天皇の血筋。楠木正成は全く出自が分からない。当時は「悪党」と呼ばれていた。悪党=強い。強い人たち。忍びを使ったり、偽情報を流すなど情報戦を行う。

 

伊集院光氏:血筋と腕っぷしみたいな時代にとんでもない人が出て来た。

 

「あわい」の時代だからこそ。中国のあわいの時代である三国志の時代に「人物志」という本が書かれた。

 

一流の人(一つの専門家)二流の人(二つの専門家)こういう人に国を任せてはいけない。なぜならその人はその専門家なので、それ以外はダメだと思ってしまう。三流以上の人に国を任せよと「人物伝」には書いてある。

 

楠木正成も武将ではありながら商人としても成功していて何でもする人。そういう三流の人が重要。

 

伊集院光氏:三流という言葉だけ聞くと、今の使い方だとダメな人だが、いろんなことが出来る人?

 

自由な発想があるし、非常識も気にしない。それが三流の人のすごさ。

 

楠木正成が素晴らしい活躍をしたので幕府側から離反し後醍醐天皇につく人物が出て来る。新田義貞と足利尊氏。

 

ナレーション:新田義貞と足利尊氏は源氏の血筋の武将。新田義貞は平家の血筋である北条家を見限り、天皇を支えることを決める。

 

足利尊氏は体調も悪い中、北条氏から討幕軍追討を命じられたことに不満を高めていた。

 

後醍醐天皇は隠岐に流されていたが脱出。鳥取県の船上山に籠城。足利尊氏は幕府側の司令官を任じられ京都に向かっていたが一転、討幕を表明。足利尊氏が寝返ると加勢する武将(赤松円心・佐々木道誉)が増え幕府は劣勢に立たされる。

 

関東では新田義貞が鎌倉に攻め上る。海と山に守られた鎌倉の守りが堅く、攻撃は難航。そこで新田義貞は稲村ケ崎で黄金の刀を龍神に捧げると、なんと海が干上がり新田義貞軍は海岸線から鎌倉に突入する。

 

鎌倉を制圧された北条高時ら一門は東照寺で集団自決。それは壮絶な光景だった。

 

朗読:あるいは腹を掻き切って炎の中に飛び込む者あり、あるいは父子・兄弟が刺し違えて重なり合って死ぬ者もあった。血は流れて大地にあふれこんこんとして大河のようになり、屍は道々に横たわって累々として葬送の野原のようである(中略)

 

九代の繁栄は一時に滅亡して源氏は多年の胸の思いを一朝に解き放つことができたのである。驕れる者は久しからず。この道理にのっとって天地は驕る者を助けなさらないと言われているけれど、目前の幕府滅亡の悲しみを見る人々は、皆涙を流すのであった。

 

伊集院光氏:出てきましたね。驕れる者は久しからず。あの新田義貞の方はすごく天と地が分かりやすい。

 

寝がえりの理由 新田義貞と足利尊氏

 

伊集院光氏:北条っていう天に着いて行けないな。だったら後醍醐天皇という天に自分は地として着きたいというのはすごくしっくりくる。

 

足利尊氏は前年に後醍醐天皇を討てという北条高時から言われるが、その時に自分の父親が亡くなって法事だった。悲しみも癒えていないのに、今回は体調が悪いのに酷い。なら寝返っちゃおう!

 

伊集院光氏:それにしても一気に滅びましたね。

 

それがあわいの時代の怖さでもある。北条高時は偉いので働けない。それが滅びの原因ではないか。

 

伊集院光氏:旧時代の価値観を捨てきれないっていうこと?

 

足利尊氏が室町幕府を作るが、彼はあまりかっこよくない。足利尊氏のかっこ悪さ「弱さ」が次の時代を作って行く。

 

伊集院光氏:おもしろいキーワード

 

北条高時だけが強い人で、後醍醐天皇も実は弱い天皇。中継ぎの天皇で楠木正成も出自がハッキリしない。新田義貞も足利尊氏も弱い。「強い」立場の北条高時を「弱い」立場の人たちが滅ぼす変化があわいの時代。

 

「強い」と留まってしまう「弱い」と動ける。

 

伊集院光氏:今までの実績で動けない状態と、捨てる物がない側が思い切った行動が出来るのは分かる。弱かったけど開き直って才能があった楠木正成は時代とフィットした。すごく分かる。

 

なるほど。後醍醐天皇って後白河法皇ほどではないけど、なんとなくいいイメージがなかったのだけど、視点を変えるとちょっと面白い。楠木正成との出会いについては、この時代はこんな話をすんなり受け入れてしまう土壌があったのか、「太平記」もやっぱり物語であるからこういう逸話が挿入されているのか?🤔

 

この鎌倉時代から室町時代の辺りって全然詳しくなくて、主要人物たちの名前はさすがに聞いたことあったけど、足利尊氏以外は具体的に何をどうしたのか漠然としていたので、この辺りのことが学べそうで楽しみ!

 

そして安田登さんの朗読が素晴らしく、とても楽しい!

 

もう既に3回まで放送されているけど、録画を見れていない。続きがいつになるか分からないけど、頑張ってみるつもり😅

 

100分de名著:毎週月曜日 午後10:25~10:50 Eテレ

100分de名著

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【cinema / DVD】2022年6月鑑賞まとめ

2022-07-08 01:10:32 | cinema / DVD

【cinema / DVD】2022年6月鑑賞まとめ

 

鑑賞レビューを書く時間がないDVDやTVで鑑賞した映画の記録を残しておきたいってことで、レビュー投稿している映画サイトcocoの投稿をもとに残しておく企画。

 

ということで感想をドゥゾ♪(っ'ω')っ))

 

#73.『旅立つ息子へ』@WOWOW(2022年6月4日鑑賞)

coco投稿

主役の父親目線で見てしまうけど、母親も息子の将来を考えてのことで、

いつまでも一緒にはいられない。

分かっていても受け入れるのは難しい。

むしろ父親に必要な時間だったのかも。

静かなラストが良い。

役者たち良かった。

 

#74.『青春デンデケデケデケ』@WOWOW(2022年6月9日鑑賞)

coco投稿

良い評判を聞いていたので鑑賞。

1992年公開で1960年代が舞台なので、今見ると二重にアレではあって、

そこを差し引いて見ても何となく合わなかった😅

 

#75.『オールド』@WOWOW(2022年6月10日鑑賞)

coco投稿

シャマラン得意のパターンではあるけど、ビーチの秘密ありきなのが弱い。

その仕組み含めてのあのオチなら納得だけど、原作ありなら仕方ないのか?🤔

妻役とあの二人に華がないのも残念。

そこガエルの方が良かったのでは?

 

#76.『私のちいさなお葬式』@WOWOW(2022年6月15日鑑賞)

coco投稿

冒頭の鯉を貰うシーンから不思議なテンポで引き込まれたが、

途中テーマが移行してからは

、身につまされる話しながらも、興味が失速💦

ラストで持ち直し。

マリーナネヨーロワがとても良い。

 

#77.『あなたの顔の前に』@cocoオンライン試写(2022年6月18日鑑賞)

coco投稿

久しぶりに帰国した元女優と、前半は妹、後半は映画監督との会話劇。

相手以外の登場人物はほぼ顔が映らない。

会話もどこか噛み合わない印象。

理由は終盤明らかになるけど、そこまで日常会話で惹きつけるのスゴイ。

 

彼女の秘密を知った上で、あのメッセージ残されたら、まぁああなるよね😅

主演のイヘヨンがとても良かった。

 

#78.『千年女優』@Netflix(2022年6月30日鑑賞)

coco投稿

Netflixにオススメされて鑑賞。

訳あってながら見だったこともあるけど、助手役の変な大阪弁が気になって話が入ってこない💦

女優さんが"あの人"を探すのも興味が持てず、無理かもと思ったけど、

ラストでひっくり返った😅

 

6月は部署が一番忙しい月💦 ということで鑑賞は6本のみ。相変わらず劇場鑑賞はなしだけど、オンライン試写に当選🙌 新作見れたのはウレシイ。今年も既に半分が終わってしまった😢 7月は何本見れるかな?

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【Googleのロゴ】七夕 2022

2022-07-07 12:24:09 | Google's logo

毎度のGoogleのロゴがこんなことに!

 

 

七夕を讃えよう🎋

七夕を讃えるってどういうこと?🤔

 

毎年書いてるけど毎度のWikipediaから引用❗️

 

七夕(たなばた/しちせき、棚機)は、

中国日本韓国ベトナムなどアジア圏における節供節日の一つ。

五節句の一つにも数えられる。

星祭り(ほしまつり)という。

 

七夕節句とはいうが、二十四節気に関連する節月ではなく、

暦月旧暦7月7日のことで、

日本ではお盆(旧暦7月15日前後)との関連がある年中行事であったが、

明治改暦(日本におけるグレゴリオ暦導入)以降、

お盆が新暦月遅れ8月15日前後を主に行われるようになったため関連性が薄れた。

日本の七夕祭りは、新暦7月7日や、その前後の時期に開催されている。

 

日本での歴史としては・・・

 

七夕は日本に入ってきた当初、貴族の文化であった。

日本の「たなばた」は、元来、中国での行事であった七夕が奈良時代に伝わり、

元からあった日本の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって生まれた。

 

とのことで、

少しづつ変化しながらも続いていたようなのですが・・・

 

明治6年(1873年)1月4日、

太政官布告第一号で神武天皇即位日と天長節の両日が祝日として定められると共に、

徳川幕府が定めた七夕を含む「五節句」の式日が、次の通り廃止された

 

とのことで、

廃止される前の風習は・・・

 

七夕は、旧暦の七月七日に行われた。

その日は、月齢およそ6の、船のような形の月が南西の夜空に浮かんだ

七夕飾りは、現代のように軒下に飾るのではなく、

色紙短冊等を付けた葉竹を屋上にたてていたことが、

次の通り、明治政府発行の百科事典『古事類苑』に概説されている

 

とのこと。

ちょっと見てみたい光景✨

 

現代に至るまでの風習、七夕イベントについて、海外の七夕については割愛。

Wikipediaをご参照ください😌

 

昼休みにスマホで更新しているため、検索画面のロゴは後ほど追加❗️

体裁も後ほど整えますー🙂

 

追記します!🤗

 

検索画面のロゴはこんな感じ

 

画面上はこんな感じでデザインされている

 

織姫様と彦星様会えるかな?

天気よかったから会えたねきっと🥰

 

よい七夕をー👋🏻😄

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