まりっぺのお気楽読書

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ボヘミア王オタカル1世妃 コンスタンツィエ

2018-02-19 10:22:29 | ボヘミア王妃
プロフィールに偽りあり?
オタカル1世妃 コンスタンツィエ・ウヘルスカー


1180〜1240/在位 1199〜1130

「血縁があるから」と、前妃アデレータに離婚を言い渡したオタカルですが
同年に再婚したコンスタンツィエはバリッと親族関係にあります。

コンスタンツィエは、ハンガリー王ベーラ3世とアンナ・シャティヨンの王女でした。
兄姉に、ハンガリー王イムレ、アンドラーシュ2世、ビザンツ皇后マルギトがいます。
     
オタカル1世の治世中、コンスタンツィエはオタカルの共同寄贈者として
多くの教会や修道院を寄進したと記録が残っています。

それは良いことなんですが、それ以外がけっこう胡散臭いかんじ?

ある書簡によると、ブジェツラフとオロモウツの解放が認められるようサポートしたと
されているのですが、どうやらこれは偽文書みたいで
同じようなエピソードが聖イシュトヴァーンにあるらしいです。

また、ホドニーンに “ 偉大なるチュートン人(銅像?) ” を立てたってことになってますが
これはねつ造らしい…

どうしてそんな嘘をつきましたかね? 聖人にでもなりたかったのでしょうか?

1930年、オタカル1世が亡くなりました。
1931年、ローマ教皇グレゴリウス9世が、教皇の権威のもと
コンスタンツィエと彼女の持参金を保護下におきました。
中には、ブジェツラフを含む6つの領地も含まれていました。

これは良いことなんだろうか? 悪いことなんだろうか?
言葉通り保護してくれるのかしら? それとも横取りされちゃったってこと?
ちょっとよくわかりません。

コンスタンツィエは、1232年にティシュノフ近郊にポルタ・チェリ修道院を建て
そこの尼僧になりました。
1240年に亡くなり、そのままそこに埋葬されたようです。

ちなみに、オタカル1世は聖ヴィート大聖堂に葬られています。

                
         Jarmily Haldovéさん作コンスタンチェ 上の画の場面かしら?

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
SHINee WORLD THE BEST 2018 -FROM NOW ON- 
京セラドームに行ってきました
スタートから涙が出てラストまで止まりませんでしたが
メンバーたちと一緒に泣ける時間を与えてもらえてよかったと思っています
東京ドームでもきっと泣くと思う… でも5人に「ありがとう」を伝えに行きたいと思います


そしてグリコの看板を撮ったらオーブが写りました
やっぱりジョンも大阪に来ていたんだね… と思えて泣けてきた


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