![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/58/62766ce68afb7804ed4d08285ebaf097.jpg)
王妃の座は降りるもんか!!
オタカル1世妃 アデレータ・マイシェンスカー
1160〜1211/在位 (公妃)1192〜1193、1197〜1198 (王妃)1198〜1199
コンラト2世のあとを継いだのは、ソビェスラフ1世の公子ヴァーツラフ2世でしたが
すぐにオタカル1世にその座を奪われ、ラウジッツで捕らえられて
1192年に亡くなるまで投獄されていました。 未婚かもしれません。
オタカルが継承したのですが、ドイツ方面の争いにクビをつっこみ失墜します。
一瞬、叔父さんにあたるジンドリフがボヘミア公になります。 未婚らしいです。
次に弟のヴラジスラフ3世がボヘミア公になりましたが
1年でオタカルに取って代わられました。
ヘイルヴィダという妃がいましたが、チェコ語が読めず詳細はわかりません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/a4/2a4c1cdb78e9ad1dcbab0b5c96a35da7.jpg)
この方らしいJarmily Haldovéさん作
そして再度オタカル1世がボヘミア公になり、ボヘミア王になります。
オタカル1世妃は、マイセン辺境伯オットー2世の娘アデレータです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/24/c46a9bbe120c037cd5b4baeeee4da4c9.jpg)
二人はオタカルの追放中、1170年に出会っています。
政治的な理由も無いとは言えないが、どうやらアデレータが妊娠しちゃって
結婚を強いられたみたいです。
1178年に結婚するのですが、すぐにヴラチスラフが生まれちゃってます。
1192年にボヘミアへ戻りましたが、1193年には廃位されボヘミアを去ることになります。
アデレータは兄弟のもとに身を寄せ、オタカルはドイツの公爵の傭兵になりました。
この時、アデレータがオタカルに「どこかで働いてよ!」と傭兵になることを
すすめたことから、夫婦は仲違い中でした。
1197年、オタカルはボヘミア公に返り咲き、さらに1198年にボヘミア王になると
1199年、血縁を理由にアデレータとの離婚を決心します。
わたくし、一生懸命探してみたのですが、どこが血縁なのか辿りつけませんでした。
さらにオタカルは、一男三女の子供たちとも縁を切ろうとします。
これはものすごくリスキーですね。 跡取りがいなくなっちゃう。
家族全員が嫌いだったってこと? つまはじき父さんだったのでしょうか?
オタカルはアデレータに離婚を宣言するとすぐに
ハンガリー王ベーラ3世の王女コンスタンチェと再婚しました。
さては離婚前から決まっていたか?
ちなみに、オタカルとコンスタンチェは遠い親族にあたります。
アデレータは1205年に娘のマルケータを連れて、ボヘミアに一時帰国します。
オタカルがマルケータとデンマーク王ヴァルデマー2世との結婚を決めたからで
アデレータはマルケータとボヘミアを発つと、その後は戻りませんでした。
教皇はとっくにオタカルとアデレータの結婚の無効を言い渡していましたが
アデレータはあきらめず、ずっと王妃を名乗って争っていました。
けれども1210年に敗れ、ガックリしてしまったのか1211年にマイセンで亡くなりました。
どうせ返り咲けないなら第二の人生を歩めばよかったのにね。
そんなに王妃のタイトルが惜しかったのでしょうか?
イヤらしい話しになりますが、王の未亡人になると年金がいただけたらしいので
そういうのも関係していたのかしら?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/d6/b58d7b0574617dc3e3a49ffaab9b2a31.jpg)
Jarmily Haldovéさん作アデレータ
(参考文献 Wikipedia英語版)
ひとことハンドメイドコーナー
何年か前、分冊もの ロビ を作っただんなさんが、今回は『ねこあつめ』の羊毛フェルトに挑戦するそうな!!
初回のしろねこさんが上手くできたら定期購読するらしい
これです
作ってみたいな!という方は下の画像をクリックしてね
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オタカル1世妃 アデレータ・マイシェンスカー
1160〜1211/在位 (公妃)1192〜1193、1197〜1198 (王妃)1198〜1199
コンラト2世のあとを継いだのは、ソビェスラフ1世の公子ヴァーツラフ2世でしたが
すぐにオタカル1世にその座を奪われ、ラウジッツで捕らえられて
1192年に亡くなるまで投獄されていました。 未婚かもしれません。
オタカルが継承したのですが、ドイツ方面の争いにクビをつっこみ失墜します。
一瞬、叔父さんにあたるジンドリフがボヘミア公になります。 未婚らしいです。
次に弟のヴラジスラフ3世がボヘミア公になりましたが
1年でオタカルに取って代わられました。
ヘイルヴィダという妃がいましたが、チェコ語が読めず詳細はわかりません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/a4/2a4c1cdb78e9ad1dcbab0b5c96a35da7.jpg)
この方らしいJarmily Haldovéさん作
そして再度オタカル1世がボヘミア公になり、ボヘミア王になります。
オタカル1世妃は、マイセン辺境伯オットー2世の娘アデレータです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/24/c46a9bbe120c037cd5b4baeeee4da4c9.jpg)
二人はオタカルの追放中、1170年に出会っています。
政治的な理由も無いとは言えないが、どうやらアデレータが妊娠しちゃって
結婚を強いられたみたいです。
1178年に結婚するのですが、すぐにヴラチスラフが生まれちゃってます。
1192年にボヘミアへ戻りましたが、1193年には廃位されボヘミアを去ることになります。
アデレータは兄弟のもとに身を寄せ、オタカルはドイツの公爵の傭兵になりました。
この時、アデレータがオタカルに「どこかで働いてよ!」と傭兵になることを
すすめたことから、夫婦は仲違い中でした。
1197年、オタカルはボヘミア公に返り咲き、さらに1198年にボヘミア王になると
1199年、血縁を理由にアデレータとの離婚を決心します。
わたくし、一生懸命探してみたのですが、どこが血縁なのか辿りつけませんでした。
さらにオタカルは、一男三女の子供たちとも縁を切ろうとします。
これはものすごくリスキーですね。 跡取りがいなくなっちゃう。
家族全員が嫌いだったってこと? つまはじき父さんだったのでしょうか?
オタカルはアデレータに離婚を宣言するとすぐに
ハンガリー王ベーラ3世の王女コンスタンチェと再婚しました。
さては離婚前から決まっていたか?
ちなみに、オタカルとコンスタンチェは遠い親族にあたります。
アデレータは1205年に娘のマルケータを連れて、ボヘミアに一時帰国します。
オタカルがマルケータとデンマーク王ヴァルデマー2世との結婚を決めたからで
アデレータはマルケータとボヘミアを発つと、その後は戻りませんでした。
教皇はとっくにオタカルとアデレータの結婚の無効を言い渡していましたが
アデレータはあきらめず、ずっと王妃を名乗って争っていました。
けれども1210年に敗れ、ガックリしてしまったのか1211年にマイセンで亡くなりました。
どうせ返り咲けないなら第二の人生を歩めばよかったのにね。
そんなに王妃のタイトルが惜しかったのでしょうか?
イヤらしい話しになりますが、王の未亡人になると年金がいただけたらしいので
そういうのも関係していたのかしら?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/d6/b58d7b0574617dc3e3a49ffaab9b2a31.jpg)
Jarmily Haldovéさん作アデレータ
(参考文献 Wikipedia英語版)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/rabi_love.gif)
何年か前、分冊もの ロビ を作っただんなさんが、今回は『ねこあつめ』の羊毛フェルトに挑戦するそうな!!
初回のしろねこさんが上手くできたら定期購読するらしい
これです
作ってみたいな!という方は下の画像をクリックしてね
アデレータはオタカルにもっと優しくしたらよかったじゃん…って感じですね。
オタカルが子どもとまで縁切ろうとしたのはアデレータがヴラチスラフに「パパはダメ人間だから大きくなったら追い出しなさい」とか言ってたからじゃないかなぁと考えてしまいます💧
ボヘミアはよく知らないのですが、少し時代を下ればハプスブルクとかが出てきてもっと複雑に(家系図的にも)なるんでしょうか?
また楽しみにしてます。
長々と失礼しました。
コメントありがとうございます
わたしは歴史はまったく詳しくないのですが、家系図が好きで、家系図を書くために歴史を調べてるような者で、間違いも多々あると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです
ハプスブルク家はもうすぐ登場します
電光石火の勢いでボヘミアを持ってちゃうので、ポーランドやハンガリーなんかは悔しかっただろうな… と思われます