まりっぺのお気楽読書

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ハンガリー王ベーラ3世妃 アンナ

2010-08-24 01:45:05 | ハンガリー王妃
                 こちらはアンナの姉マリア

人質の王子と結婚
ベーラ3世妃 アンナ・シャティヨン


1154~1184/在位 1173~1184

アンナはアンティオキア公レイナルドの公女です。
アンティオキア公国は、十字軍がシリアにつくった中継地でした。

父レイナルドはイスラム教徒に捕らえられ17年間投獄されてました。
敵地においてけぼりの国…平穏な生活を送るというわけにはいかなかったかもしれませんね。

       

1170年、アンナはビザンツ皇帝マヌエル1世妃となっていた姉マリアを
コンスタンティノープルに訪ねた時に、人質になっていたベーラと出会いました。
人質とはいえ、ベーラはものすごく優遇されていて、アレクシオスという名前を与えられ
ビザンツ皇帝の後継者にも指名されていました。
ちなみに、アンナはアグネスという名前でしたがコンスタンティノープルで改名しました。

マヌエル1世はベーラとアンナを結婚させることにします。

ここからは私の勝手な想像なんだけど…
マヌエル1世はイシュトヴァーン4世でのハンガリー支配は失敗に終わったものの
新たにベーラで…なんて考えたんじゃないでしょうか?

実は自分の娘マリアとベーラを婚約させていたわけなのね。
しかしマヌエル1世に皇子が誕生したので、ベーラは後継者ではなくなります。
じゃあ、ハンガリーに戻って王になる? と考えたんだと思いますが
また敗れちゃうかもしれない…それなら嫁の妹で…なんて考えたのでは?

結局、イシュトヴァーン3世が亡くなるとベーラが即位してハンガリーへ帰国しました。
マヌエル1世の目論みどおり、ハンガリーとビザンツは同盟を結んで
協力しあったようでございます。



             
浮気は濡れ衣か?
ベーラ3世妃 マルギット


1157~1197/在位 1186~1197

ベーラ3世はアンナ・シャティヨンの死から2年後の1186年
フランス王ルイ7世とコンスタンス・ド・カスティーヨの王女マルギットと再婚しました。

           

マルギットは最初、ルイ7世の最初の妃エリナー・オブ・アキテーヌ
イングランド王ヘンリー2世の王子ヘンリーと結婚しました。

ヘンリー5歳、マルギットは2歳!!
10年後ヘンリーは共治王になり戴冠しますが、マルギットは戴冠しなかったため
ルイ7世大激怒!! 急いで戴冠させるという一幕もありました。

マルギットは25歳の時、ペンブルック伯ウィリアム・マーシャルとの浮気を告発され
翌年結婚を無効にされてしまいます。
しかしこれは言いがかりで、嫡子が生まれなかったせいだとも言われています。

フランスに帰されてから3年後にベーラ3世と再婚。
こちらも嫡子は生まれませんでした。

1196年にベーラ3世が亡くなります。
翌年夏、マルギットは聖地巡礼に向かいますが
イスラエルのアッコに到着した数日後に亡くなりました。

浮気が濡れ衣だったとして、故国に帰されちゃう奥様方はまだいいけど
相手の男性はどうなるの? 君主や国によっては処刑ものですよね?

ちなみにペンブルック伯は、一時は失脚したものの後に信頼を回復して
その後何人もの王様に仕えております。
あまり重い罰は受けなかったということね…なんだかあやしい

(参考文献 Wikipedia英語版)

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