わたくし、見切り発車でスコットランド王家に手をつけたわけですが
王妃についての記録があまりにもなくて弱ってしまいました
芸術の立ち遅れからか、女性蔑視からなのか分かりませんが
肖像画もめっきり見当たらない始末・・・困り果てました。
ただ、相関図は複雑で面白いので、気を取りなして
かけあしで紹介してみようと思います。
同盟の証
ダンカン2世妃 エセルリーダ・オブ・ノーサンブリア
在位 1094
エセルリーダの父ノーサンブリア伯ゴズパトリックは、
一説にはマルカム2世の娘ベソックの夫だったクリナンの孫だといわれています。
あまり後ろ盾を持たずに王になったダンカン2世は同盟者を探しており
ノーサンブリア伯から、その証としてエセルリーダを娶っています。
生まれは不明、王より長生きをしていますが、いつ没したかも不明です。
義理の姪でもある妻
アレグザンダー1世妃 シビル・オブ・ノルマンディー
1092~1122/在位 1107~1122
美しかったといわれていますが、肖像画とかないんですよねぇ・・・
その噂はどこから?
アレグザンダー1世の妹マティルダを妻にしているイングランド王ヘンリー1世と
愛妾シビルとの間に生まれた娘で、15歳ぐらいで結婚したようです。
したがってアレグザンダー1世は、ヘンリー1世の義理の兄でありながら
義理の息子にもなりました。 ややこしいですね・・・
かなり領土を持っていたらしい
デイヴィッド1世妃 マティルダ・オブ・ハンティングダン
1074~1130/在位 1124~1130
マティルダはイングランド王ウィリアム1世の姪ジュディスの娘です。
この当時スコットランドはイングランドとの争いを繰り返しながらも
盛んに婚姻関係を結んでいます。
これは懐柔策なんでしょうか? それとも言いなりになっていたのでしょうか?
マティルダは16歳で最初の夫サイモン・ドゥ・リスと結婚しますが35歳で死別し
46歳で6歳年下のデイヴィッド1世と再婚しました。
彼女は父親からハンティングダン伯領とノーサンプタン伯領を譲り受けていて
かなりの領土持ちだったようです。
(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』 Wikipedia英語版)
王妃についての記録があまりにもなくて弱ってしまいました
芸術の立ち遅れからか、女性蔑視からなのか分かりませんが
肖像画もめっきり見当たらない始末・・・困り果てました。
ただ、相関図は複雑で面白いので、気を取りなして
かけあしで紹介してみようと思います。
同盟の証
ダンカン2世妃 エセルリーダ・オブ・ノーサンブリア
在位 1094
エセルリーダの父ノーサンブリア伯ゴズパトリックは、
一説にはマルカム2世の娘ベソックの夫だったクリナンの孫だといわれています。
あまり後ろ盾を持たずに王になったダンカン2世は同盟者を探しており
ノーサンブリア伯から、その証としてエセルリーダを娶っています。
生まれは不明、王より長生きをしていますが、いつ没したかも不明です。
義理の姪でもある妻
アレグザンダー1世妃 シビル・オブ・ノルマンディー
1092~1122/在位 1107~1122
美しかったといわれていますが、肖像画とかないんですよねぇ・・・
その噂はどこから?
アレグザンダー1世の妹マティルダを妻にしているイングランド王ヘンリー1世と
愛妾シビルとの間に生まれた娘で、15歳ぐらいで結婚したようです。
したがってアレグザンダー1世は、ヘンリー1世の義理の兄でありながら
義理の息子にもなりました。 ややこしいですね・・・
かなり領土を持っていたらしい
デイヴィッド1世妃 マティルダ・オブ・ハンティングダン
1074~1130/在位 1124~1130
マティルダはイングランド王ウィリアム1世の姪ジュディスの娘です。
この当時スコットランドはイングランドとの争いを繰り返しながらも
盛んに婚姻関係を結んでいます。
これは懐柔策なんでしょうか? それとも言いなりになっていたのでしょうか?
マティルダは16歳で最初の夫サイモン・ドゥ・リスと結婚しますが35歳で死別し
46歳で6歳年下のデイヴィッド1世と再婚しました。
彼女は父親からハンティングダン伯領とノーサンプタン伯領を譲り受けていて
かなりの領土持ちだったようです。
(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』 Wikipedia英語版)