まりっぺのお気楽読書

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ハンガリー王ラヨシュ2世妃 マリア

2010-10-12 01:29:00 | ハンガリー王妃
そして王座はハプスブルク家へ・・・
ラヨシュ2世妃 マリア・ハブスブルグ


1505~1558/在位 1522~1526

W婚でスペインを手中におさめつつあったハプスブルク家は
ハンガリーとボヘミアも…と(たぶん)考え、幼い姉弟に注目します。

ハンガリー王妃アンヌは王子ラヨシュの出産の時に亡くなりました。
王ウラースロー2世も50歳です。
幼い姉弟が遺されればこっちのもんだ!と考えたに違いない…

そんなわけでマリアは1歳にもならないうちに王太子ラヨシュと婚約。
同時にマリアの兄フェルディナントと、ラヨシュの姉アンナも婚約しました。

        
1516年にウラースロー2世が亡くなると、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世は
ふたりを保護するという理由でウィーンに呼び寄せて手元で育てます。
もうミエミエの作戦… ハンガリーは異議を唱えなかったんでしょうか?

マリアが17歳の時、ラヨシュ2世とブダで結婚式が挙げられました。
ふたりの結婚生活はとても幸福なものだったようです。
十代の青春まっただ中を一緒に育ってきたんだものね
たとえ政略結婚でも、全然知らない人との結婚よりずっと幸せですね。

しかし、ハンガリーはオスマン帝国の激しい侵攻をうけていました。
結婚から4年7ヶ月後、ラヨシュはハンガリー=ポーランド連合軍で帝国に対峙した
モチーハの戦いで敗戦し亡くなります。

短い結婚生活ではありましたが、深くラヨシュを愛していたマリアは
死ぬまで喪に服し、全ての再婚話を退けました。
ハプスブルク家は縁談に命を賭けてるようなところがあって
本人の気持ちなんか一切無視!な一家ですが、マリアの望みは聞いてあげたのね…

              
                 お若いころでしょうか?
                    雰囲気が素敵なので載せときます


未亡人になって4年後、父方の叔母マルグリートが亡くなり
ネーデルラント総督の座が空位になりました。
マリアの兄神聖ローマ皇帝カール5世は、マリアを後任に指名しました。

ネーデルラントでは脱ハプスブルクの気運が生まれ始めていました。
カール5世はマリアにマルグリートのような強い影響力を期待していました。
マルグリートは女性らしく、機転がきいて順応性とユーモアがありました。

しかしマリアは違いました。
叔母マルグリートが笑顔とジョークで仕事をこなすのとは逆に
マリアはシニカルで棘を含んだコメントが多かったみたいです。
宗教をめぐってはフェルディナンド1世との間にも確執がありました。

気難しかったのかしら? それともラヨシュの死が彼女を変えたのかしら?

彼女は総督の仕事に喜びが見いだせなかったようです。
それでも1555年まで総督の座に就き、カール5世がネーデルラント支配を
息子のフェリペ2世に譲るのを機に退きました。
この時、カール5世もフェリペ2世も、総督の座にとどまるよう言いましたが
マリアは固辞しました。

マリアは、姉のフランス王フラアンソワ1世妃アリエノール
(引退した)カール(5世)とカスティーリャで暮らしたいと望んでいました。
それまでマリアは母であるカスティーリャ女王ファナを恐れて
故国へ戻ろうとはしませんでしたが、アリエノールに会いたい一心で1556年に帰郷します。

でもこの決心はすごく良かったと思うの。
なぜならアリエノールは1558年2月にマリアの腕に中で亡くなったから。
2年間だけでも、離ればなれになっていた姉とすごせて幸せだったでしょう。

同じ年の10月、マリアも亡くなりました。
彼女の最後の望みは、溶かして貧しい人に分け与えてしまったハートの金のメダルを
再び夫に着けてもらいたい、というものでした。

たった4年の結婚生活を送った夫をそこまで愛するあたりといい、思いつめる性格といい
母君ファナ・ラ・ローカに一番似ていたのは彼女じゃないかしら? なんて思えたりします。

(参考文献 加藤雅彦氏『ドナウ河紀行』 Wikipedia英語版)

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2 コメント

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こんばんは (喜久子)
2010-10-14 01:29:54
  
 まりっぺ様ハンガリー王妃編お疲れさまでした。ハンガリーは色々と統治する王家が変わってバラエティー豊かな方々が王妃となられていて楽しく読ませて頂きました。この後はずっとハプスブルク家が統治するのが淋しい気がします。マクシミリアン2世以降のハプスブルク家はハンガリー王家の血も引いていも後年ハンガリーとの火種が絶えませんでしたし、決してオーストリアの支配を良としなかった、ハンガリーの人々は誇り高く愛国心の強い民族ですね。ラヨシュ王夫妻にあと継ぎが有れば続いていたかと思うと悔しいでしょうねハンガリーは。けれどもハンガリーは何度もオーストリア・ハプスブルク家の危機を救っていますしその影響力は凄いものですよね。今はシシィ効果で有名ですし、持ちつ持たれつの両国の関係にクスりとしてしまいます。
 後、まりっぺ様のスウェーデンやドイツ諸侯家、ポーランドなどの王妃の記事もぜひ見てみたいですね。次の愛妾記も楽しみにしていますね♪
 
 乱文失礼しました。それではまたお伺い致します(^-^)
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こんばんわ (まりっぺ)
2010-10-16 23:05:47
喜久子さま、こんばんわ
いつもありがとうございます。

ハプスブルク家とハンガリー、ボヘミアの歴史は愛憎混じり合うという感じですよね。
マリア・テレジアが継承戦争で王位を失いそうだった時、ハンガリー議会に乗り込んで演説し、独立を希望していたハンガリーが彼女を女王と認めたエピソードなど、なかなか興味深いです。

昔の小説を読んでいてもそんな気持ちが表れている部分があったりします。
ボジェナ・ニェムツォヴァーという女性が書いた『おばあさん』という小説では、ハプスブルクに(12年も)兵役にとられるボヘミア人の哀しみが書かれています。

実はスウェーデンは次の次に…と思っていまして現在資料作成中です。
ただ、韓流のせいで少し滞ってまして…

ポーランド、ボヘミアも今回ハンガリーを書いていてとても興味深かったです。

ハンガリー王妃はおまけでもうひとり登場します。
その次は愛妾シリーズで、それから… 喜んでいただけたら嬉しいです。
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