夫も息子もイングランドの操り人形
ジョン・ベイリャル妃 イザベル・ドゥ・ワーレン
1253~1292/在位せず
アレグザンダー3世によってスコットランドを追われたジョン・ベイリャルは
イングランドでヘンリー3世やエドワード1世に忠誠を尽くして重用されました。
しかし、その息子であるジョンをエドワード1世がスコットランド王に推したのは
ひとえにジョンが “ 御しやすい人物 ” だったからだようです。
イザベルの母アリスはイングランド王ヘンリー3世の義妹で
イザベル自身はエドワード1世の従妹にあたります。
ジョンが王位に就く前に亡くなりましたが、たぶん夫を説得するのに
一役かっていたのではないでしょうか?
しかしながら、ジョンだって男です!!
いつまでも操り人形でいるのはイヤだとばかりに、フランスと同盟を結んだりして
イングランドに反抗を試みますが、結局戦いに敗れ3年8ヶ月で廃位に追い込まれます。
ちなみに、ジョンが廃位された後、王不在のスコットランドに総督としてのり込み
スコットランド国民に弾圧を加えたのは
イザベルの父であるサリー伯ジョン・ドゥ・ワーレンでした。
ジョンとイザベルには王子が2人ありましたが、長男エドワードは内乱の最中
1332年に、イングランド王エドワード3世に推されてスコットランド王になります。
でも、やっぱりカエルの子は・・・ってことでしょうか?
3ヶ月でダグラス軍に敗れ、イングランドに逃亡します。
王位には1346年まで就いていましたが、以後スコットランドには戻りませんでした。
父子揃って・・・
イザベルも草葉の陰で情けなく思ったっことでしょう。
(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』 Wikipedia英語版)
ジョン・ベイリャル妃 イザベル・ドゥ・ワーレン
1253~1292/在位せず
アレグザンダー3世によってスコットランドを追われたジョン・ベイリャルは
イングランドでヘンリー3世やエドワード1世に忠誠を尽くして重用されました。
しかし、その息子であるジョンをエドワード1世がスコットランド王に推したのは
ひとえにジョンが “ 御しやすい人物 ” だったからだようです。
イザベルの母アリスはイングランド王ヘンリー3世の義妹で
イザベル自身はエドワード1世の従妹にあたります。
ジョンが王位に就く前に亡くなりましたが、たぶん夫を説得するのに
一役かっていたのではないでしょうか?
しかしながら、ジョンだって男です!!
いつまでも操り人形でいるのはイヤだとばかりに、フランスと同盟を結んだりして
イングランドに反抗を試みますが、結局戦いに敗れ3年8ヶ月で廃位に追い込まれます。
ちなみに、ジョンが廃位された後、王不在のスコットランドに総督としてのり込み
スコットランド国民に弾圧を加えたのは
イザベルの父であるサリー伯ジョン・ドゥ・ワーレンでした。
ジョンとイザベルには王子が2人ありましたが、長男エドワードは内乱の最中
1332年に、イングランド王エドワード3世に推されてスコットランド王になります。
でも、やっぱりカエルの子は・・・ってことでしょうか?
3ヶ月でダグラス軍に敗れ、イングランドに逃亡します。
王位には1346年まで就いていましたが、以後スコットランドには戻りませんでした。
父子揃って・・・
イザベルも草葉の陰で情けなく思ったっことでしょう。
(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』 Wikipedia英語版)