森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

さよなら5月 <with 道端の花たち>

2016-05-31 09:19:39 | お散歩&写真日記
 
時は奪うのみにあらず
 キシキシと心が軋む音がするもし父が私の傍に立っていたら、お前はあんなに優しいと思っていたのに、なんで今はそんなに薄情なんだと言うだろうか。父の一周忌。だ...
 

細かい事を言うようですが、タイトルはあくまでも「2016年の5月」と言う意味です。この歳になると…いや年齢は関係ないかもしれませんが、微妙な言葉の響きで「縁起の良いものじゃないな。」と感じる時があるからです。

予定では2017年の5月が来たら、「ハローハロー5月」と迎えいれる事になっているのです。

 

私は新緑の5月が1年の中で一番好きです。だから腐れ縁などと言っている夫との結婚式も5月に行ったという次第。

だけど父はその新緑の美しい季節を選んで逝ってしまいました。

上の囲みはgooさんが昨年の5月26日に投稿した記事を送ってくれたもので、そこに進むとさらにその前の年の記事に行くというツリーになっています。

一周忌と三回忌の時の記事。

今年の命日だった26日は母と姉は墓参りに行き、私は2か月に一度の検診の為に病院に行きました。来月初めに他の用で実家に帰り姉妹全員集合となるのです。続けて行けば母は喜ぶかもしれませんが、それだけ気を遣ってそして疲れてしまうに違いないのです。それと私的には命日よりも父の誕生日の方が意味があるような気がしてしまうのですよね。そう思って予定を決めたわけなのですが、なんだかちょっと罪の意識が無いわけではないのです。

来年はどうしようかー。

また来年決めれば良いよねー。

 

何回忌とか言うイベントの時は、どうもそれを無事に終わらせることに気を取られ、その時には父を思う気持ちは逆に希薄になっているなと、前の記事を読んでいてもそう思います。

ただ時が経っていくと、不思議な事に父は心の中に住み着いて、私は時々父と会話します。

だけど彼は決して新しい言葉は発しません。

いつも想い出の中にある父との会話のその言葉だけ。

 

もし父が新しい言葉を発したら、それは妄想とホラーの狭間に落ちたということじゃないかと思います。

死者は過去の言葉のみを語り、そして生者の傍らに寄り添って、そっと支えてくれているのです。

 

 

 

 

 

5月28日のお散歩で。

コメント (2)
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