真面子の社会観察日記

社会で起きている様々なできごとを真面目に言いたい放題!

不二家、山崎製パンの小会社に

2008年11月11日 | Weblog
不二家は2007年1月に消費期限切れの原材料の使用が発覚し、同年3月に山崎パンと資本業務提携し経営再建中だったが、この度、不二家は第三者割当増資を行い、山崎製パンの出資比率を引き上げて小会社になる。

不二家といえば「ペコちゃん・ポコちゃん」「ミルキー」など団塊の世代なら誰でも憧れのお菓子屋さんだった。昭和30年代、今ほどには洋菓子が無かった時代に、不二家のお店屋さんに行き、エクレアやミルキー、イチゴのデコレーションケーキを買ってもらうことは、当時の子ども達にとって最高のご褒美だった。

そして、特別な場合に連れて行ってくれた不二家のティールームはなんとおしゃれで、そこで食べるフルーツポンチ、フルーツパフェは、贅沢で美味なものかとまだ小さな子どもだった私は、少しの緊張感と夢心地で行ったことを、昨日のように鮮明に覚えている。

当時は、外食そのものが今ほどには盛んで無かったし、小さな子どもにとっての外食と言えば、百貨店(デパートとは言わなかった)の最上階の食堂で食べる「お子様ランチ」、なぜか国旗が必ずたっていたように思う。

だからか、不二家と言うととても親近感を感じるのだ。小会社になっても、「ペコちゃん」「ミルキー」などのマスコットやブランドは維持するというので、少し嬉しい。ここで、また子どもの頃の思いでが消えてしまうのかと思うと悲しいな。戦後の日本は本当に貧しくて、戦争を知らない私でも、昭和30年代、うっすらと日本国中が必死になって働いていたのを記憶している。

そう言えば、当時のお相撲の人気とプロレスの人気も凄かった。若の花(先代)、栃錦、力道山は、国民的ヒーローだった。子どもだったので、プロレスがある程度仕組まれた試合だなんて知らなかったから、最後には何時も力道山がアメリカ人プロレスラーをやっつけるのを、とても興奮して観ていた様に思う。

不二家はそんな時代の子どもの最高の楽しみだったな~と、「不二家、山崎製パンの小会社に」という記事を呼んで思った次第です。



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