マカロニ・ウェスタン(向こうではスパゲティ・ウェスタンと呼ぶらしい)にはどうにも安手のイメージがあって、しかしそれはそれで味になってもいる。大西部の風景をイタリアで撮ろうってんだからミスマッチは当然だ。やけに感傷的な音楽もそのミスマッチに拍車をかけ、なお味わいは深い。
イーストウッドが「名無し」を演じてマカロニ・ウェスタンブームを起こしたセルジオ・レオーネの傑作。でも画面がひたすら暗いんだけど、新盤のDVDでは改善されているのかなあ。
出てくるみんなが汗くさそう☆☆☆★★
次回は「荒野のストレンジャー」
クリント・イーストウッドが苦労人なのはよく知られている。若い頃になかなか芽が出ず、イタリアに“都落ち”してB級ウエスタンに主演。生活のためとはいえ、プライドはかなり傷ついただろう。
ところが、金のために出演したその映画「荒野の用心棒」(原題が『一握りのドルのために』なのは皮肉)は、極東の島国、日本の映画「用心棒」(黒澤明)をパクったお手軽企画だったはず(「用心棒」自体もダシール・ハメットのハードボイルドの翻案)なのに、意外なほどの傑作。しかも全世界で大ヒット。このあたりから、イーストウッドに運は向いてきた。
アメリカに戻って快作「マンハッタン無宿」(大好き)でスマッシュヒット。続いて、最初はジョン・ウェインにオファーされていた暴力刑事もの「ダーティハリー」でホームランをかっ飛ばす。以降の活躍はご存じのとおり。あまりにハリー・キャラハン役がはまりすぎて暴力賛美主義者のレッテルを貼られ、これは近年までイーストウッドにつきまとったほどだ。
自他共に認める彼の最大の幸運は、節目の時期に「荒野の~」でセルジオ・レオーネ、「ダーティハリー」でドン・シーゲルとの出会いがあったこと。ふたりの“巨匠”、というより娯楽映画づくりの“達人”に仕込まれたことで監督業への意欲がたぎってくる。
で、ここからが意外なんだけど、彼が監督する作品は、驚くほど“作家の映画”なのだった。「恐怖のメロディ」「白い肌の異常な夜」「荒野のストレンジャー」……ダーティハリーのようなキレのいい娯楽作を期待する観客を裏切りつつ、映画監督クリント・イーストウッドの名は次第に評価されていく。彼が主宰する製作プロダクション「マルパソ・カンパニー」の資金繰りのためか、おなじみ暴力路線やダーティハリーの続篇などで稼ぎつつ、かたわらで「ペイルライダー」「許されざる者」「スペースカウボーイ」と傑作を連発している。しかもきちんとイーストウッドのマークが刻印された“作家の映画”として。
そしてなお年齢を重ね、「ミスティック・リバー」「ミリオンダラー・ベイビー」「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」……もはやイーストウッドが撮る映画は、彼が「アクション!」と告げれば、自然に傑作として生まれ出るかのようだ。
彼ももう78才。あと何本撮れるかはわからないが、少なくとも現在の、孤高のイーストウッドと同時代に生きていられることが、わたしたちにとっての幸運なのだと思う。さて、次号からは作品を個別にいくつか観ていきましょう。
次回は「荒野の用心棒」
松山ケンイチが主演した(そして「すいか」の木皿泉が脚本を書いた)テレビドラマは、おそらく原作とは全然ちがったテイストなんだろうと思ったらまったくいっしょだった。こりゃびっくり。しかも黒田は、あの傑作「茄子 アンダルシアの夏」の作者でもある。なんだこいつ。すごいぞ。
同じ匂いがするから木皿を起用したんだろうけどね☆☆☆★★★
吉岡一門との激突というクライマックス。斬られる側から描くテクニックを使って、武蔵のモンスター性を露わにしている。人間の身体の動きを描きたいという井上のモチベーションは、草書体で強烈な殺陣まで描けるレベルにコミックを引き上げた。いやはやすごい。にしても30巻近くまで来たのにまだ吉岡がらみ。巌流島に到達するには、あと十年はかかるのか?
「リアル」の方はバスケの楽しさが帰ってきた!☆☆☆☆
鴨川つばめの輝ける「マカロニほうれん荘」の連載(少年チャンピオン)はわずか二年間。江口寿史は「すすめ!!パイレーツ」(少年ジャンプ)以降、連載から逃げまくり、山田花子とちばあきおは自ら命を絶った。漫画家の日常は徹底して孤独。山上たつひこが断筆、小説家転向をへて「中春こまわり君」(ビッグコミック)としてがきデカを再開したことがいかに希有なことか。
「失踪日記」につづいてアル中、失踪、鬱病と、これでもかと言いたくなるほど波乱に満ちた吾妻の日記を読むと、どこか粛然とした気持ちにさせられる。種田山頭火の出で立ちで旅に出たこまわりが、渋い中年として未だに困惑のなかにいるのに似て(こどもの頃の方がよほど意志的な眼をしていた)、漫画家の絶頂期は短く、そして絶望的なまでに人生は長い。自分で、断ち切りたくなるほどに。