都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

2011年12月 記事一覧

2011-12-31 | 記事一覧 
12/01 京王井の頭線
12/02 井の頭線トンネルわきの階段
12/04 大坂橋陸橋そば
12/05 大橋JCT
12/06 上目黒氷川神社男坂
12/08 空川の谷へ下る階段
12/09 京王井の頭線
12/11 東大駒場キャンパスにて
12/12 日東紡績静岡工場
12/16 日本平ホテル
12/29 芝東照宮
12/30 芝丸山古墳
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芝丸山古墳

2011-12-30 | 港区   
芝丸山古墳
所在地:港区芝公園4-8   Google Map
Photo 2011.2.2

 Wikiを見たら、明治期に坪井正五郎という自然人類学者が、丸山と呼ばれたこの丘が自然地形ではなさそうだということに気付いたことから、古墳だったらしいことが明らかになったとあった。

 周囲にいろいろな建物が建ってしまって地形の全体像が分かりにくい現在では、風景からこれが自然地形ではないと気付くのは、なかなか難しいことのように思われる。もちろん、現代には詳細な測量地図があるので、それを見ればここが確かに妙な高みになっていることには気付くかもしれない。また、前方後円墳なのだと知っていれば、そのようにも見えないことはない。だが、ふだんなにげなく見ている丘を見て、古墳ではないかと気付くのには、やはりかなりの観察力や知識、洞察力が必要なのだろうなぁと思う。

 そういえば、大森貝塚を1877年に発見したエドワード・S・モースのエピソードもこれに似た話かもしれない。モースは1872年に開通した横浜~新橋間の鉄道に乗っていて、車窓風景から貝塚を見つけたのだそうだ。研究者というものには「気づく力」も必要なのであるな・・・。

 さて、現地に行ってみると、台地の端の部分に周囲よりもやや高く、盛り土されたと思しき馬の背のような前方部があり、北側には更に一段高い後円部があることが比較的明瞭にわかる。明治時代以前に既に後円部の頂部などは削られてしまっていたと言われ、畿内地方の著名な古墳のようなはっきりした形ではない。だがそれでも、東京都心に長さ100m以上に及ぶ前方後円墳が残っているのは、とても印象深いことだ。

Wikipedia > 芝丸山古墳
#地形  #山  #モニュメント  #パノラマ
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芝東照宮

2011-12-29 | 港区   
芝東照宮 拝殿
所在地:港区芝公園4-8
Photo 2011.2.2

 芝東照宮は、神仏習合の江戸期には増上寺と一体のものだったという。東照宮は徳川家康(安国院・東照大権現)を神格化して祀る神社でもあり、霊廟建築でもある。一方、増上寺には江戸幕府歴代将軍の霊廟があった。一帯には東照宮も含めて多くの霊廟が建ち並んでいたわけだ。

 芝の東照宮は日光東照宮、駿府の久能山東照宮、川越の仙波東照宮、寛永寺と一体の上野東照宮などと共に、数ある東照宮の中でも重要な東照宮と考えられていたという。しかし残念ながら戦災により焼失し、周囲の多くの霊廟と共に灰燼に帰した。空襲により堂宇が炎上した際には、銅葺きの屋根が炎色反応を起こし、青緑色の炎が上がったそうだ。

 現在の社殿は、1969年にRCで再建されたもの。規模においても装飾などにおいても往時の面影はなく、かつてここに東照宮があったということだけを示すような感じになっているのは残念だ。背後には増上寺旧境内にザ・プリンスパークタワー東京が聳えている。

芝東照宮 参道   Google Map
型  :直
段数 :13段、拝殿手前に5段
Photo 2011.2.2

 拝殿は桜田通り沿いからは2mほど高い場所に建てられている。戦後、焼失した歴代将軍の墓所は整理されたりしたが、東照宮の位置は変わっていないようだ。また石段が江戸期以来のものかどうかは、詳細をあまり把握していないため確実ではないが、恐らく昔のままだろう。明治期の地図などから考えると、階段の上には門があり、左右の石垣の上には回廊か塀が巡らされていたようだ。石段は3段毎に踏み面奥行きが長い段になっている。

 さて、増上寺や芝東照宮は、実は武蔵野台地の東端部にある。広域的に見て港区は台地の東端だが、微細に見ても、この場所は台地の東の端だ。浜松町の海岸のあたりからこの階段の手前までは、ほとんど平らで海沿いの低地が広がっている。そしてこの写真の階段から先は、奥に行くにつれ標高が高くなる。東京タワーが建っているあたりなどは、裏山といっても良い。

 増上寺と東照宮の社殿は、台地を背後にし、低地側から見上げることになるように立地している。この階段も、武蔵野台地の端、台地と低地のまさにキワに位置するものだ。

Wikipedia > 芝東照宮
#神社  #階段・坂 港区 
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日本平ホテル

2011-12-16 | 静岡県  
日本平ホテル(Nippondaira Hotel)
所在地:静岡市清水区馬走1500   Google Map
開業年:1964年
階数 :4F
解体年:2011年
Photo 2011.2.22(この記事内全て)

 日本平の頂上近くにあるホテル。日本平観光ホテルとして1964年(昭和39)に開業。その後、1979年(昭和54)に静岡カントリーグループの日本平ホテルとなって営業を続けていた。

 しかし建物が老朽化したため、2011年4月中旬で営業をいったん終了し、既存建物を解体し、新築することになった。現在、新しい建物を建設中で、再開は2012年秋の予定だという。

前庭側から

 建物は大半が3階建てで、一部が4階。富士山と清水の街を望む北東側を向き、ラウンジやレストランも北東側が大きく開けている。観光ホテルなので、客室からの眺望が重視された設計。富士山の側には芝生の緩斜面が広がる。40年ほど前のモダニズム系デザインの建物なので、外観は素っ気ない。

 静岡で生まれ育ったのに、一度も行ったことがなかったので、建て替えられる前に行ってみた。といっても泊まるわけじゃなくて、ラウンジにお茶しに行っただけなんだけど・・・。

1F・玄関ロビー付近

 2階への折れ曲がった階段がなかなかいい感じ。庭園がドラマのロケ地になった関係で、ロビーの片隅にはキムタクの写真パネルが。

1F・コーヒーラウンジ

 インテリアは多少改装が加えられていたのではないかと思うが、休業間近だったためか、ややぱっとしない感じではあった。ただこのコーヒーラウンジからの眺望は素晴らしく、それを体験できただけでも結構楽しめた。

1F・コーヒーラウンジからの眺望(Clickでフルサイズ画像が開きます。)

 正面には富士山、手前は清水の市街地、やや右手は清水港。駿河湾越しに愛鷹山、箱根、伊豆の山々も一望の下に納めることができる。ラウンジから眺めるだけでなく、前庭に出て散策しながら風景を楽しむこともできる。

庭園からの眺望

 TBSのドラマ「華麗なる一族」(2007年)で一族の邸宅の庭として映っていたのはこの庭だそうだ。番組内では遠景が一部CG加工され、製鉄所が書き込まれたりしていたが、基本的にはこの景色で、オンエア後、この景色を見に来るお客さんも増えたという。確かに絶景。春先の穏やかな日で、途中からやや靄が掛かったようになってきたが、ほぼ雲一つない景色はやはり素晴らしい。

 ホテルの建物は建て替えられるが、庭園の方は恐らく再開後も以前に近い様子ではないだろうか。来年秋にホテル再開したら、是非いちど訪れて頂けたらと思う。

日本平ホテルHP
Wikipedia > 有度丘陵

Site Y.M. 建築・都市徘徊静岡の建築
#失われた建物 静岡県  #吹き抜け・アトリウム  #パノラマ 
#眺望  #山  #屋内階段  #ホテル  #モダニズム 
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日東紡績静岡工場

2011-12-12 | 静岡県  
日東紡績静岡工場
所在地:静岡市葵区長沼500   Google Map
建設年:1921年(大正10)頃
構造・階数:木造?・2F
解体年:1995~96頃?
備考 :当初は三光紡績。
    1995年(平成7)2月に静岡工場での綿紡織の操業を終了。
Photo 1995.5.7

 谷津山の麓、護国神社の少し東側にあった工場。訪れたのが日曜日だったので、門の外から構内を撮影した。しかしよくよく調べてみたら、この年の2月には既に閉鎖されていたようだ。この後しばらくして、工場や事務所建物など全てが解体され、敷地の大半が売却されたらしい。

 跡地はバンダイの工場(バンダイホビーセンター)や、県立静岡工業高校(その後、静岡県立科学技術高等学校)になった。バンダイホビーセンターはガンプラの聖地みたいなことにもなっている。

 Wikiによれば、日東紡績の主力は、現在は繊維事業ではないそうで、グラスウールやロックウールなどを主に作っているらしい。ガラス繊維は国内トップレベルのシェアだという。

 大正期に建てられたものらしいが、装飾がゴテゴテ付いておらず、縦長の上げ下げ窓が並ぶ姿は、モダンですっきりした印象。

流れ星コレクション
  > 静岡のモダンを訪ねて 静岡県近代建築コレクション
    > 日東紡静岡工場事務所
Site Y.M. 建築・都市徘徊静岡の建築
#失われた建物 静岡県  #近代建築  #工場 
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東大駒場キャンパスにて

2011-12-11 | 目黒区  
東大駒場キャンパスにて・駒場コミュニケーションプラザ南館
所在地:目黒区駒場3-8   Google Map
Photo 2011.11.28

 学生時代、友人が駒場寮にいた。その頃の記憶から、駒場キャンパスには古い建物が多いような気がしていたが、久しぶりに訪れてみたら新しい瀟洒な建物も建っていた。

 もちろんキャンパス内には戦前期の建物も多くあるのだが、学生が勉強したりコミュニケーションする場所の環境を整えるために、新しい建物を建てたりするのは、考えてみれば当然のこと。

 駒場は教養課程の1、2年が主力なので、夜遅くまで研究したりというのはあまりないのかもしれないが、それでも暗くなっても多くの学生がキャンパス内で活動しているようだ。

#大学  #夕景・夜景 
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京王井の頭線

2011-12-09 | 目黒区  
京王井の頭線
所在地:目黒区駒場1-1にて   Google Map
Photo 2011.11.28

 京王井の頭線、神泉駅西側のトンネルを駒場東大前駅側から。

 井の頭線には、神泉駅の東側(渋谷・神泉間)と、神泉駅の西側(神泉・駒場東大前間)の2ヶ所にだけトンネルがある。駅の西側のトンネルは短く、300m程度しかない。しかも神泉駅は半分以上がトンネルの中。西側からトンネルをのぞくと奥の方にホームの灯りが見える。

#鉄道  #夕景・夜景  #トンネル 
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空川の谷へ下る階段

2011-12-08 | 目黒区  
空川の谷へ下る階段
所在地:目黒区大橋2-4と5、6の間   Google Map
型  :くの字
段数 :45段(上23、中12、下10)
幅  :上2.2m、中1.8m+斜路0.7m×2、下2.4m+斜路0.8m×2
高低差:約7.3m
長さ :24m
蹴上 :上19cm、中14cm、下12cm
踏み面:上・中46cm、下28cm
傾斜 :上22°、中17°、下23°
Photo 2011.11.28

 上目黒氷川神社のある高台側から、目黒川の支流である空川(そらかわ)方面へ下る階段。

 空川は駒場野公園内の池を水源として、京王井の頭線の南側を東進し、山手通りのすぐ西側を南下して、大橋ジャンクションの東側で目黒川に流れ込んでいた小河川。空川自体は、東京オリンピックの頃に暗渠化されており、川跡は道路などになっているようだ。

 調べてみたら、暗渠系のブログなどで、やはり取り上げられていた。昭和30年代頃の地図にはまだ川が描かれており、写真の場所では、奥の茶色のマンションの向こう側の、現在、山手通りになっている場所のあたりを流れていたらしい。

Wikipedia > 目黒川
東京Peeling!暗渠ハンター 空川を辿る
#階段・坂 目黒区  #海・川・池 
コメント (2)
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上目黒氷川神社男坂

2011-12-06 | 目黒区  
上目黒氷川神社 男坂
所在地:目黒区大橋2-16   Google Map
型  :直
段数 :54段
幅  :2.2m
高低差:約10m
長さ :約16m
蹴上 :18~19cm
踏み面:30~32cm
傾斜 :32°
Photo 2011.11.28

 上目黒氷川神社は、天正年間(1573年~1592年)に創建されたそうで、旧上目黒村の鎮守。

 階段下の解説板には、「正面の石段は文化13年(1816)に造られましたが、明治38年(1905)に前を通る大山街道(現、玉川通り)を拡張する際に、現在の急勾配な石段に改修されました。」と記されていた。

 ということは、現在の石段は100年以上前にこの形になったということらしい。

 しかし、階段上からの景色がこのようになるとは、当時は全く想像できなかっただろうな。

Wikipedia > 上目黒氷川神社
#階段・坂 目黒区  #神社  #道  #橋
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大橋JCT

2011-12-05 | 目黒区  
大橋JCT付近
所在地:目黒区大橋2丁目   Google Map
Photo 2011.11.28

 大坂橋陸橋の少し西側の国道246号線。上部は首都高3号渋谷線。カーブした高架の先に大橋ジャンクションのループ路がある。建設中のビルはジャンクション建設に伴い行われた再開発事業によるもので、昨日も記した42階建ての超高層住宅。

 高架下の国道は片側4車線。大型のトラックなど、たくさんの車が疾走する。首都高を走る車が高架の継ぎ目を渡る音がガタンガタンと絶えず響く。道路で囲まれた景色には圧迫感がある。訪れるたび、なんだか沈鬱な気分になる場所。

 もう少し、高架の高さが高ければ圧迫感は少なかったかもしれない。一方で、高速の音がかなり遠くまで拡散することになるので、どちらにせよぱっとしない話だ。山手通りの地下には延々と中央環状線のトンネルが建設中で、ところどころに換気塔が聳える景色が生まれている。どちらが良いかと言えば、やはり地下トンネルの方が地上への影響は少ない。首都高速の渋谷線は富士山が正面に見える場所も多く、高速を走る身になれば、気持ちよい。ただ昔はこの大山街道、現在の国道246号線からも富士が見えていたわけで、その景色の喪失と引き替えに首都高からの景色があることに気づくと、やはりややぐったりするものがある。

東京SMOOTH
  > 大橋ジャンクション概要
  > 再開発事業とまちづくり
Wikipedia > 大橋ジャンクション
#街並み 目黒区  #パノラマ  #道  #橋  #旧街道 
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