都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

2008年12月 記事一覧

2008-12-31 | 記事一覧 
12/09 東京の階段マップ・作り直し(Google Map再入力)
12/10 北千住にて(路地裏のコンクリート塊)
12/16 東京の階段DB・更新(別ブログを更新しました)
12/20 平川門付近から(東京新旧写真比較 No.22)
12/23 平川門交差点(東京新旧写真比較 No.23)
12/24 下落合・某住宅の窓(失われた近代住宅)
12/25 中銀カプセルタワービル(失われそうな現代建築)
12/26 北の丸公園 清水門そばから(東京新旧写真比較 No.24)
12/27 新宿パレット(東京新旧写真比較 No.25)


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新宿パレット

2008-12-27 | 新宿区  

東京新旧写真比較(1997/2008) No.25

Photo 1997.2.1(ノーマル時) Photo 2008.12.23(マウスオン
新宿パレット(新宿西口会館)
所在地:新宿区西新宿1-1
階数 :8F
建設年:1963年頃
解体年:1999年
現在の新宿パレット
階数 :10F
建設年:2000年

 新宿パレットビルは、新宿西口付近に戦後集まっていた露店を整理して建てられたもので、食堂や居酒屋が多数入居した雑居ビルだった。

 パレットと思い出横丁の間の道を入っていくと、小さなガード(角筈ガード)でJRをくぐり抜けて東口広場へ至る。以前は、この角筈ガードの直前で右へ上る坂道があり、坂を上ると新宿西口七福小路だった。小路はパレットとJRの線路に挟まれた狭い一角にあった。

 新宿パレットは、1999年に七福小路の一角と一体的に建て替えが行われ、2000年に10階建てのビルに生まれ変わった。新しいビルの地下1F〜4Fには、さくらやがテナントとして入居していたが、2008年12月末で閉店。駅前の一等地だが、今後はどうなるのだろう。

#東京新旧写真比較 新宿区 
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北の丸公園 清水門そばから

2008-12-26 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1981/2008) No.24 千代田区九段南から一ツ橋方面

清水門の入口付近からの風景は思いの外、変わっていない。

Photo 1981(ノーマル時)、Photo 2008.12.15(マウスオン

 正面のNTTのビルと、右側のパレスサイドビルは全く変化なし。左側の日産プリンスの建物は外装を改めたが本体は以前のまま。首都高速も若干の化粧直しを施されたりしているが、ほとんど変わっていない。竹橋Jct付近で渋滞しているのも相変わらずである。

 日産プリンスの後方に学術総合センターのビルが建ち、街路樹はかなり大きくなったが、全体の印象はさほど変わっていない。個人的には、この調子であまり変化しないままでいてくれるといいなと思う。

#東京新旧写真比較 千代田区
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中銀カプセルタワービル

2008-12-25 | 中央区  

 既に文化財級ではないかと思われるこの建物も、老朽化等の問題のために解体されようとしている。

中銀カプセルタワービル
所在地:中央区 銀座8-16
構造 :SRC・一部S
階数 :11F・一部13F
建設年:1972(昭和47)
設計 :黒川紀章
Photo 2008.7.22

 建物の老朽化とアスベスト問題、改修にかかる費用の面から、解体、建て替えが決まったのだという。(注1)

 もともとかなりアクの強い建物なので、住むためにはそれなりの覚悟が必要だと思う。だから、てっきり入居者はこの建物を愛して止まない人たちなのだろうと、私などは思っていた。その意味では、意外に大人の対応?がなされたのにはちょっと驚いた。しかしこの建物の部屋を所有している人、住んでいる人の中に、投資目的の人は少ないのではなかろうか。そう考えると、やはりぎりぎりの線だったのかなぁとも思う。
 確かにアスベスト問題は、住人にとっては我が身の健康の問題ではある。コストと安全という問題の前では、たとえ建物を愛していても妥協せざるを得なかったということなのだろうか。Wikipediaの記述を見ると、建て替えは、区分所有法に基づく建て替え決議を経て決まったという。残したいのはやまやまだが、これ以上負担できないという人に較べて、大規模に改修してでもなんとしても残したいという人は、かなり少なくなっていたようだ。

Photo 2008.7.22

 中銀カプセルタワーは、大まかに言うと、ベースとコアシャフト、カプセルからなる。カプセルは2本のボルトだけでコアシャフトに固定され、この他に電気、給排水管が接続されているという。その名の通り、宇宙ステーションに実験棟カプセルがドッキングしているような感じだ。60〜70年代にはこういう発想は斬新で未来的だったのだろう。カプセルモジュールで空間や機能を増減するやり方は、その後、様々な場面で実現している。またプレファブリケーションで建物を造ることも広まっていて、中銀カプセルタワーはそれらの先駆的な存在だったのだろう。

Photo 2002.4.29

 ただ、中銀カプセルタワーはコンセプチュアルにその概念を表現したもののようにも思う。幹に枝葉のようにカプセルを固定するやり方は、直接的な見せ方だし、カプセルが様々な位置と方向で取り付く様は、非常に格好が良く、機能優先ではないデザイナー魂が出ているように思う。
 実際、新陳代謝できる建築という実質的な機能の進化は、カプセルタワーのような、これみよがしな分かりやすいデザインではなく、もう少しこなれて、見えにくいものになった。現在的な見方をするなら、カプセルタワーは結構不便なところが多い気がするし、無理やりな挑戦をしているような気もする。メタボリズムの発想を明快に形にしてはいるが、思想をそのまま形にしなくても良かったんじゃないの?、などとは思ったりもする。

 だが、やはり憎めない建物だ。考えを示すために現実的な住みやすさなどを捨て去ってしまったかのような潔さが感じられ、見ていて気持ちがよい。思想とライフスタイルが外観に現れているという意味ではとてもモダンな建物だ。
 築40年以下の建物だが、建築文化に与えた影響は大きいという。日本におけるDOCOMOMO135選にも2006年度に選ばれている。

 今、周辺にはカプセルタワーより大きなビルが建ち並んでいる。高速道路を挟んだ南側には汐留の高層ビル群が建ち並び、カプセルタワーは今ではどちらかというとこぢんまりしたビルになってしまった。また、首都高速が目の前にあるので、全貌を見るのは極めて難しい。今回、外観を撮るためには、交通量が多い道を無理やり渡らねばならなかった。そして高速下の駐車場の縁にピッタリと張り付いて、ビュンビュン走る車をやり過ごしながら、ようやく全体が見える写真が撮れたのだった。

 ビルの足下を歩いていると、1Fにコンビニが入居した普通のマンションのように感じられてしまう。私が写真を撮っていると、通りかかった人々が何事かと上を振り仰いでいた。これが建築的に有名なものであることを知らずに行き交っている人も多いようだ。当初の近辺は、せいぜい7,8Fのビルが数棟ある程度で、低層の家屋も多かったのではないだろうか。そういう状況ではカプセルタワーは抜群の存在感をもっていたに違いないが、今の様子はかなり異なる。もしかするとカプセルタワーの時に思い描かれていた未来の街を、現在の街は追い越してしまったのかもしれない。

 解体される場合、カプセルぐらいは残されるのだろうか。どこかでカプセル1ヶだけを保存して公開したりはするかもしれないが、そうではなく、全部の移築保存はできないのだろうか。江戸東京たてもの園に移築したら、周辺とギャップがありまくって、おもしろカッコイイ気がする。今までの雰囲気が壊れちゃうからダメかもしれないけど・・・。メタボリズムつながりで、両国の江戸東京博物館の前庭あたりに移築なんてのも面白そう。江戸博の巨大さが改めて分かる気がする。移築先でベースとコアシャフトを造っておいて、現在のカプセルをトラックで運んで、クレーンで取り付ける。これこそメタボリズムの真価発揮。もし実行されたらちょっとしたイベントではないだろうか。

 新陳代謝する建築は、増改築や修繕がしやすい建物、定期的なメンテナンスや交換がしやすい建物として、現在では一般化している。カプセルを丸ごと取り替えてしまうのではなく、更に部分、部分を更新できるわけで、より緻密な新陳代謝だし、リユースやリサイクルの観点からすれば、よりエコなシステムが構築できてきたことになる。

 でもカプセルタワーは、建てたらそれっきりになりがちだった近代建築に、新陳代謝や使い続けながら更新するという発想を、形は違うが意識的に取り入れたわけで、大きな意義を持つ建物なんだろうなと思う。

 授業でカプセルタワーの考え方、発想について解説すると、多くの学生が関心を持つ。40年近く前にそのような先駆的建物が日本人建築家によって建てられたことに、今の若者も感心するらしい。メタボリズムもまだまだ捨てたものではないなと改めて思う。

中銀カプセルタワービル - Wikipedia

注1)2016.1.13追記
 その後、マンションを建築する予定だった業者が倒産しため、建て替え決議は無効になったという。建て替え賛成派と反対派の割合は変動しているようで、2015年末時点でも今後の方針は決まっていない。


2022.8.21 追記
 2021年に解体が決定し、2022年4月解体開始。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中央区  #集合住宅  #黒川紀章 
#メタボリズム   ブログ内タグ一覧
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下落合・某住宅の窓

2008-12-24 | 新宿区  
某住宅の窓
所在地:新宿区下落合4-7?
構造・階数:木2
Photo 1996.6.23

 下落合周辺の階段めぐりをしていた時、とある住宅の窓が気になって写真を撮った。木造2階、縦羽目板張の住宅。山の手でたまに見掛ける、茶色っぽい板壁の家だった。

 ブロック塀越しにしか建物が見えておらず、他のディテールは不明。八角形の窓は両側に蝶番があり、観音開きに押し開くものだったようだが、残念ながら当時既にガラスが一部割れていた。

 特徴のある窓部分だけを撮影したのだが、今となっては全景も撮っておけば良かったと思う。たしか、薬王院西側の階段を上りきった先のあたりにあったお家なのだが、全景写真がないため、今ではどこにあった家なのか正確には分からない。昨年、10年ぶりぐらいに、周辺を歩き回ってみたが、やはり既にこの窓を持つ住宅は無くなっていた。

#失われた建物 新宿区  #住宅系 
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平川門交差点

2008-12-23 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1981/2008) No.23 千代田区大手町

Photo 1981(ノーマル時)、Photo 2008.3.3(マウスオン

 首都高速の向こう側に建つビル群が皆、同じ高さまで立ち上がり、壁のようになった。現行の建築基準法や都市計画法に基づくと、このような街並みができるものなのだろう。一連のビルは高速の下を流れる日本橋川に面したビルでもある。左後方には、神保町の再開発でできた神保町三井ビルが少しだけ見えている。

 看板類では、Essoの楕円形マークのある広告塔が、TOYO TIRESに変わったのが目立つ。
 一方、右側の異形の塔は不二ラテックスの本社ビルの一部。ちょっと目立ちすぎ・・・。Wikipediaを見たら、社屋は同社の「製品」を模した形であることが記載されていた。やっぱり。

 また、昔は首都高速が鉄桁とコンクリートの欄干がそのままだったが、最近はペイントされて、多少景色を気にしていることが分かる。かなりくすんだグレーだったのが明るい色になった。ペイントした方が耐候性が上がり、メンテナンス上も良いのかもしれない。

 同一の場所を探す手掛かりは、このビル群と首都高速の位置関係。手前の交差点は歩道が拡張されたりして大幅に様子が変わっており、全然手掛かりにならなかった。TOYO TIRESの広告塔が載るビルと首都高速の橋桁の継ぎ目の位置関係、屋上広告塔の見え方・隠れ方など、細かいポイントを比較してようやくポジションを把握。試行錯誤して5分以上掛かってしまった。

#東京新旧写真比較 千代田区  #街並み 千代田区
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平川門付近から

2008-12-20 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1981/2008) No.22 千代田区大手町

Photo 1981(マウスオフ
Photo 2008.3.3(マウスオーバー
Photo 2008.12.15(マウスクリック

 平川橋のたもとからの風景は最近になって様変わりした。春先にいちど撮った時にはまだビル群が未完成で、変化の途中だったので、およそ完成した頃合いを見計らって再度撮影。

 大手濠に面した建物の風景は、私が上京した1990年頃からはあまり変化していなかった。だが、大手町の合同庁舎のあたりが再開発されることになり、大きく変化することに。

 東京消防庁の後方にそびえ立ったのは、大手町一丁目地区第一種市街地再開発事業による3棟の超高層ビル。写真では手前から、
  A棟(日経新聞ビル)地上31階(高さ約155m)
  B棟(JAビル)  地上37階(高さ約180m)
  C棟(経団連ビル) 地上23階(高さ約122m) なんだそうな。

東京建物・ニュースリリース

 しかし着工が2007年4月1日で、竣工が2009年3月末って、ちょうど2年=24ヶ月。少し前、超高層ビルを1階造るのに1ヶ月かかると聞いた記憶があったが、JAビルなどは2ヶ月で3階分造ったことになる。スゴイ速さ。
 1981年の写真で、左端奥に見えている塔は大手町のNTTコミュニケーションズ大手町ビルのようだが、これは新築のビル群に隠されて見えなくなっている。

 平川門の時にも記したが、この写真でも、東御苑の樹木がかなり大きくなっている。同じ場所に立つと、右方の三菱東京UFJ銀行大手町ビル(旧三和銀行ビル)、りそな・マルハビル(旧大洋漁業ビル)は、ほとんど見えなくなってしまった。三井物産ビルも半分以上が隠れている。

 撮影位置の特定に利用したのは、東京消防庁と三井物産ビルの重なり具合と、江戸城石垣の位置関係。最初は、三井物産ビルと三菱東京UFJの重なり具合を見れば撮影位置を容易に特定できると踏んでいたのだが、樹木で隠れて見えなくなっているとは思いもよらなかった。

 同一の場所ではないが、竹橋付近から似た方向を撮影した写真が、「再開発で変わる東京風景(画像置場)」に掲載されている。

再開発で変わる東京風景(画像置場)お堀と超高層

 こちらはここ4年間の変化だそうだ。これを見ると、4年前までは1981年の頃と大きくは変化していなかったことが分かる。もちろん、この写真にはKDDI大手町ビルもあるし、日本橋三井タワーが建設中だったりするのだが、お濠端の風景はそれほど変わっていなかった。

 パレスホテルの建て替え高層化計画が問題になっているという話題が、最近の新聞に載っていた。大手町・お濠端周辺の風景は今後も激しく変化していくのだろうか。

#東京新旧写真比較 千代田区  #新しい建物 千代田区  #高層ビル
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東京の階段DB・更新

2008-12-16 | Weblog 
 師走になると忙しくなるところだが、学校関係だと冬休みに近づき、少し余裕ができたりもする。そんなわけで、ながらく更新が滞っていた「東京の階段 DB」を久々に更新。
東京の階段 DB
 今回は新宿区9件、千代田区6件、港区10件と、2日間で一気に25件を追加。(今回、更新した分は2008.9.19~10.17に割り当ててあります。)
 データベースなので事実関係が中心で、相変わらず素っ気ない記事になってますが、御関心がおありの方はどうぞ。
 今回追加した赤坂近辺の階段のうちいくつかは、再開発などで消失しており、このデータベース写真が意外な記録になったりしている。もう見ることもできないんだなぁと思うと、ちょっと感慨があったりもする。
 今後もぼちぼち更新して、追加していくつもりです。どうぞよろしく。

P.S.
 近日中にこちらの都市徘徊blogの方にも、少しはまともな記事を出すつもりですが、期待しないでお待ち下さいませ。

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北千住にて

2008-12-10 | 足立区  

 久々に小ネタで更新。

東京メトロが管理している施設
所在地:足立区千住1-33
Photo 2008.11.23

 少し前の日曜に、早大エクステンションセンター八丁堀校のまちあるき授業の下見で北千住へ。駅近くの迷路のような路地を歩いていたら、突然、柵で囲まれたコンクリートの塊に遭遇。げっ、これ何?

 よく見ると囲いに東京メトロの看板が。少し東側に北千住駅の入口階段がある場所なので、換気塔かなにかかもしれないのだが、現場では結局よく分からずじまい。密集住宅地の路地裏で唐突に出くわすので、この景色にはちょっと驚かされる。

#街並み 足立区 
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東京の階段マップ・作り直し

2008-12-09 | Weblog 

 以前に少し、東京の階段マップを作っていた。
 ホームページの方にそのマップのリンク頁を作ってもいた。

 データが重くなりそうなので、各区別にマップを作り、マーカーからは「東京の階段 DB」の各記事に飛べるようにしていた。逆に各記事からも地図へリンクを張るという、やや面倒なこともやっていた。

 9月頃から更新がずっと滞っていたのだが、最近、ふとそのマップの様子を確認したところ、新宿区版のマーカー類が、なぜか全て見られなくなっていた。原因は不明。いろいろ試してみたが復活する気配なし。仕方なくもういちどマップを作り直す。

 どういうことなんだろう? こういうエラーはしばしばあることなんだろうか? Web上にデータベースを構築してしまおうかと考えていた立場からすると、データ喪失は非常にダメージが大きい。信頼性が揺らぐ事態に少々困惑している。

 「東京の階段 DB」では、現在のところ新宿区の階段に関する記事が最も多かったので、かなりのダメージだった。新宿区の階段について、今までにアップした58の記事全てからマップへのリンクを張り直す。グーグルマイマップの方でも改めて各記事へのリンク付きマーカー58ヶ所を配置し直し。この作業で約2時間。

 ただ、今後のことを考えると、やはり区別に小分けしておいて良かったのかもしれない。一度に全部ダウンしたらかなり面倒だ。もちろん数が増えるとエラーに遭遇する確率が増えるとも言えるので、どちらが最善か本当のところは分からないが・・・。

#地図 
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