都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

2019年2月 記事一覧

2019-02-28 | 記事一覧 

02/02 帝国会館
02/04 東急文化会館
02/06 百軒店の看板建築
02/08 道玄坂のギャンブレル屋根建築
02/10 武田薬品工業
02/12 同潤会青山アパートメント
02/14 同潤会代官山アパートメント
02/16 同潤会江戸川アパートメント その1
02/18 同潤会江戸川アパートメント その2
02/20 同潤会江戸川アパートメント その3
02/22 佐賀町の三井倉庫
02/24 都営古石場住宅
02/26 フジクラ(藤倉電線)
02/28 日増や(村上精華堂)

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日増や(村上精華堂)

2019-02-28 | 台東区  


Photo 1996.6.5

日増や(旧 村上精華堂)
所在地:台東区池の端2-7-14
建設年:1928(昭和3)
構造・階数:木・3F
備考 :江戸東京たてもの園に移築

 様式建築をまねてイオニア式の付柱を壁面に付けている。しかし木造瓦屋根で、側面には装飾がなく、正面だけが洋風のいわゆる看板建築。

 当初の位置で見たのは二度ほどだけ。その後、江戸東京たてもの園に移築され、オリジナルのデザインとなった。


江戸東京たてもの園に移築後の様子  Photo 2002.1.14

 もともとは村上精華堂という香料屋(ビンツケ油)として建てられたという。窓のサッシ、3階のベランダ手摺、外壁の色彩などが昔の状態に復原されている。

 1995年頃の住宅地図では、写真右側が「菓子 日増や」、左側が「中華 日増や」となっていた。上写真も元画像を拡大してみると、右側の菓子店には御菓子処の暖簾があり、ガラス戸には「よもぎだんご」「新くさ餅」「葛ざくら」といった貼り紙がある。また左の中華料理屋には中華料理の暖簾が掛かり、「冷し中華そば」の貼り紙が見える。

日増屋(村上精華堂)/池之端2丁目 - ぼくの近代建築コレクション
Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 台東区  #古い建物 都下  #商業系 
#モルタル看板建築  #看板建築  #江戸東京たてもの園  
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フジクラ(藤倉電線)

2019-02-26 | 江東区  
フジクラ(藤倉電線)
所在地:江東区木場1
解体年:1995〜96(平成7〜8)
Photo 1995.7.15

 近代建築というわけではないのだが、昭和30年代ぐらいのいかにもな工場だったので撮ったもの。

 久々に通りかかったら、工場はなくなりイトーヨーカドーになっていた。東京に限らず、大規模な工場跡地は大型ショッピングセンターになることが多い。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 江東区  #工場  ブログ内タグ一覧
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都営古石場住宅

2019-02-24 | 江東区  
都営古石場住宅
所在地:江東区古石場2-14
構造 :1〜4号棟 鉄筋コンクリートブロック造、5号棟 RC造
階数 :3F
建設年:1〜4号棟と浴場・食堂は1923(大正12)
    5号棟は1926(大正15)
解体年:1999(平成11)
Photo 1995.7.15

 東京で初めてのRC集合住宅。ヨーロッパのアパートメントを意識したのか縦長の窓割りになっている。
 行ってみたら、仮設的な増築が激しく、一部屋増やしてしまったりしていた。木造戸建てなどではよくあることだが、下の階に別の住戸がある共同住宅では日本ではあまりお目に掛からない。築後70年の時の経過の中で出来た姿。

 オリジナルの仕様では外に出られるベランダはなかったらしく、植木鉢を置いたり洗濯物を干す程度の張り出しがあるだけだったようだ。

 各戸へのアクセスは階段から左右に分かれる形式だった。かなりプライベート性が高い雰囲気だったため、建物内部には入らず。屋上が物干し場になっているようだったがそちらにも行かず。


後から増築された物干し台。


外部に配管が露出して取り付けられているが、かなり老朽化していた。


初期の窓枠が残っている部屋と、サッシに取り替えられている部屋がある。


建物本体が見えないぐらいに増築がなされた部分もある。


3F部分は鉄骨で支えられた増築、1Fはそれとは構造を異にした増築。


Tokyo Lost Architecture」内の記事として掲載していましたが、都市徘徊Blog内に移設しました。
古石場住宅/古石場2 - ぼくの近代建築コレクション
『戦前公共集合住宅における住環境形成の分析を通した環境運営計画の構築』
 住宅総合研究財団 研究年報 No.24 1997

2022.9.20 追記
 古石場アパートは1973年版以降の住宅地図(注)では、菱光倉庫社宅と記されている。また、かつての市民館の場所は古石場保育園となっている。同アパート解体後、跡地はウェルタワー深川となった。
 戦後、菱光倉庫の社宅となった時期、また市民館が古石場保育園になった時期は未把握。
 注)都立中央図書館で紙面で閲覧できる最古の「江東区」版ゼンリン住宅地図。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 江東区  #公営・公団・公社・公立住宅  #集合住宅 
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佐賀町の三井倉庫

2019-02-22 | 江東区  
佐賀町の三井倉庫
所在地:江東区佐賀 2-8
備考 :2005(平成17)解体、建て替え
Photo 1996.5.12

 佐賀町にあった三井仲1〜仲4倉庫。かつては舟を用いて荷を運び込んでいたため、運河沿いに建っている。左手には東神橋という小さな橋があり、掘割の対岸の倉庫との行き来に使われていた。
 また、写真ではほぼ見えないがこの他に仲5倉庫もあり、この一角には5棟の倉庫があったようだ(昭和初期には6棟だったらしい)。


 三井仲1~仲4倉庫と東神橋  Photo 1996.5.12


 Photo 2006.9.9

 10年ぶりに訪れてみたら倉庫は建て替えられていた。ただ、水路と小さな鉄橋(東神橋)はまだ残されていた。

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#失われた建物 江東区  #倉庫・蔵  ブログ内タグ一覧
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同潤会江戸川アパートメント その3

2019-02-20 | 新宿区  

 解体を前にして、2003年3月に昔の写真の展示会と、建物の見学会が開かれた。以下は展示が行われた際の食堂の様子。


 照明器具がほぼない状態だったので、公開・展示に際しては投光器が置かれていた。


 食堂の片隅にはバーカウンターのようなものがある。


 カウンターの背後には、アールデコ系のモダンなステンドグラスがあった。


 食堂の突き出し窓

 ボックスから出ている軸にクランクを取り付け回すと、バックス内部のギヤを介して縦の軸が回転し、アームが窓枠を押し、上二段のガラスが外へ押し出される。こんなに複雑な仕組みにする必要があったのかは少々疑問。古くなった後、うまく動いていたのかも不明。


 食堂内のテーブルと椅子

 食堂は後年はほとんど使われていなかったようで、椅子や机もかなり古びて傷んでいた。

Photo 2003.3.30

同潤会江戸川アパートメント1号棟・2号棟
その1   その2   その3

#失われた建物 新宿区  #住宅系  #同潤会  #近代建築 

2007.2.26
加筆・再編集 2019.2.12
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同潤会江戸川アパートメント その2

2019-02-18 | 新宿区  

 建物内のようすなど。理由は覚えていないのだが、住戸のあるフロアの階段や廊下の様子は残念ながら全く撮っていない。当時はまだ居住者がいたので、そのあたりをむやみに撮ることが憚られたためかと思う。また知人などが住んでいたわけでもないので、居室の写真も当然ながらない。


1号棟屋上塔屋

 当時既にコンクリートが朽ちてボロボロだった。屋上への出入口上部にあったのはエレベーターの機械室だったようだ。


屋上階:階段室・EVホール・流し

 左方がエレベーターだが、当時は既に動いていなかった。また、屋上で物干しをする関係で、屋階には洗濯用の流しが複数設置されていた。


アールデコ風のステンドグラスのある扉


1号館地階の理髪店入口


名札板:入居者一覧表

Photo 1997.7.3

同潤会江戸川アパートメント1号棟・2号棟
その1   その2   その3

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 新宿区  #住宅系  #同潤会  #近代建築 
2007.2.26
加筆・再編集 2019.2.12
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同潤会江戸川アパートメント その1

2019-02-16 | 新宿区  


1号棟屋上から、左 1号棟、右 2号棟   Photo 1997.7.3

同潤会江戸川アパートメント1号棟・2号棟
所在地:新宿区新小川町6
建設年:1934(昭和9)
構造 :RC造
階数 :1号棟 6F、2号棟 4F
備考 :2003年に解体され、集合住宅に建て替え。

 建設当時、戸数、規模、設備などの面で、国内有数の建物であり、「東洋一」と謳われたという。確かにエレベーターを備え、共同浴場、食堂、娯楽室などもあり、一つの街があると言っても良い。

 ただ、長崎県の端島(軍艦島)にも同じ頃、既に鉄筋コンクリートの高層アパートが存在していたはずなので、最大規模かどうかははっきり判らない。

 上海のブロードウェイマンション(19F、1935竣工)も高層かつ大きな建物だが、江戸川アパートメントの方が少しだけ先に完成していて、建築当初は本当に「東洋一」だったのかもしれない。ともかく、当時の東京では、最も大きな部類に属する集合住宅建築だったのは間違いないようだ。

 1号棟はコの字型、2号棟は少しクランクした直線型。


中庭:多くの樹木や草花が植えられ、やや鬱そうとしてはいたが、良く手入れがされた中庭だった。
Photo 1996.4.27


2号棟入口部分  Photo 1995.10.2


1号棟屋上から  Photo 1997.7.3


敷地入口付近からの様子。  Photo 1996.4.27


中庭と1号棟。中庭には鉄棒、ブランコ、ジャングルジム、滑り台などの遊具もあった。
Photo 1996.4.27


中庭から1号棟。外観の大幅な改変はあまりない。
Photo 1995.10.2


藤棚   Photo 1996.4.27


2号棟入口付近 Photo 1996.4.27


階段室の窓 Photo 1995.10.2

同潤会江戸川アパートメント1号棟・2号棟
その1   その2   その3

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 新宿区  #住宅系  #同潤会  #近代建築 
2007.2.26
加筆・再編集 2019.2.12
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同潤会代官山アパートメント

2019-02-14 | 渋谷区  

 同潤会代官山アパートは、代官山駅から見上げる形の丘の上に建てられており、傾斜地の地形に沿って大小合わせて多くの住棟があった。全部で36棟、337戸が設けられていたという。老朽化のため建物群は1996年に解体され、跡地には代官山アドレスが建設され、超高層マンションとショッピングモールの街並みが現れた。


再開発準備組合があった中心部の建物前の広場的空間
左:23号館(文化湯が併設)、右:29号館

同潤会代官山アパート
所在地:渋谷区代官山町17
建設年:1925(大正14)
構造・階数:RC・2〜3F
解体年:1996(平成8)
Photo 1996.4.27


3階建ての住棟

 老朽化して建て替えられることが予想されていたからか、補修等はあまりされていなかった。コンクリート製の庇は内部の鉄筋が露出してボロボロ。玄関部分の庇の上には雑草が繁茂していたりもした。


29号館

 内部に入るのはためらわれたので、内部は全く見ていない。階段室や廊下、部屋の取り付き方がどのようになっているのかぐらい見ておけば良かったと今更ながら思う。モルタルで造られた幾何学的な模様が印象的。


再開発準備組合事務所が入っていた29号館

 撮影当時は既に再開発の方針が大体決まって、準備が始まっていた時期だったので、団地の集会所だったか食堂(はっきり覚えていない)は、再開発準備組合事務所になっていた。


3階建ての住棟(恐らく左が27号館で、右が26号館)

 樹木が結構大きくなっていて、緑の多い住環境だった。庭先で落ち葉炊きをしたりして、ゆったりとした時間の流れる団地。
 間取りは決して大きくなく、その意味では良い住居空間ではないのだが、なぜか大型のアメリカ車が停まっていたりして、お金のある人が住んでいるのかしらんと思った記憶もある。


敷地内への階段と3階建ての住棟(左:32号館、右:31号館)

 周辺は地形の起伏があるため、場所によってはエリア内へ上る階段が設けられていた。擁壁の上に住棟が聳える姿も印象的。


小規模な住棟:13号館

 不勉強でよく知らないのだが、四戸で一つの建物となっていた模様。


同じく小規模な住棟:4号館

 1階部分は反対側からアクセスするんだったかな? ちゃんと見ていなかったことに今頃気づいたりする。


低層棟の入口部分

 コンクリートモルタルで階段状の腰壁?を作り、ちょっとした造形をしている。二階から下りてきて屋外に出るときの感覚はちょっと面白かったかも知れない。


低層棟の入口部分:35号館

 建物ごとに少しずつ様子が違っているようで、こちらの建物は階段を二段上がって庇の下の扉を開ける形。木陰では猫がマッタリしていた。


銭湯・文化湯

 引き違い戸の玄関は、古い他の集合住宅の多くで見られる。近代的な鉄筋コンクリートの建物が引き戸だと、ちょっと違和感があるのだが、日本的な生活習慣からするとその方が馴染むのかも知れない。今でも、狭い階段室などの場合は、引き戸の方が良い気もする。


銭湯の入り口

 代官山アパートの建築群の敷地内には、銭湯、食堂、集会所などがあり、全体として一つの街となっていた。集合住宅団地という考え方は当時の日本ではまだ新しいものだったはず。海外の新しい住宅地の情報なども入ってきていたのかも知れないが、日本なりにそれを消化して代官山集合住宅地は造られた。銭湯が団地の中心部近くにあって、立派な建物になっているあたりはやはり日本的な気がする。


銭湯入口脇のタイル

 上はアーチ部分をかたちどるスクラッチタイル。下は柱部分で、凹凸模様のある陶板状のタイル。右側の壁はモルタルで、洗い出しのようなザラザラした手触りになっている。


団地の片隅にうち捨てられていたトヨペットクラウン。

 既に住民が退去を始めており、空き室になった建物が多くなり始めた頃だったと記憶している。その頃になると、不法投棄されるものも増え、車も置き去りになっていたりした。廃墟と廃車。ノスタルジーをかき立てる意味においてはフォトジェニックであり、つい撮影をしてしまった。
 しかし、後でこれを片づけるコストとか、勝手に捨てていく心根を考えると、「いい感じ」ではちょっと済まされない気がしてくる。

 代官山アパートでは3階建てが最大の建物で、階段の両側に住戸が取り付く形が多かった。ただ、住宅地図で改めて確認すると、ひな壇状になった斜面に建てられた29〜33号館は建物間を繋ぐ渡り廊下があったようで、これらの建物には建物内の廊下もあったのかもしれない。

2007.2.26
rewrite 2019.2.3
同潤会アパート - Wikipedia
(一社)東京建設業協会>>広報活動>>東建月報
  > 同潤会代官山アパートの再開発
同潤会代官山アパート - UR都市機構

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 渋谷区  #住宅系  #銭湯  #同潤会  #近代建築 
コメント (9)
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同潤会青山アパートメント

2019-02-12 | 渋谷区  


1990年以前の青山アパート  Photo 1989.2.13
3号館(左端一部)、4号館(中央)、5号館(奥)

同潤会青山アパートメント(当初は渋谷アパートメント)
所在地:渋谷区神宮前4-12
建設年:1926〜27(大正15〜昭和2)
構造・階数:RC・3F
解体年:2003(平成15)

 90年代以前はアパート内の部屋を利用したショップなどはまだ少なく、通りも現在に比べると比較的静かだった気がする。


4号館、90年代の様子  Photo 1996.4.27

 春先は新緑が美しく、ここだけヨーロッパのような雰囲気を味わうことができ、建物を見ながら歩くのが楽しかった。


東側から、3号館。奥は2号館、1号館  Photo 1996.4.27

 全面にツタが絡まり古めかしい味わいが出ている。この棟に関しては再開発後に復元された。その建物にもツタを絡ませる計画があるとも言われる。ただし内部はギャラリー等に使用されており、外観イメージの再現にとどまる。


建物裏側の様子 Photo 1996.4.27

 表側は賑やかだが、裏側に入るとひっそりとしている。


建物内の階段の様子 Photo 1996.4.27

 お店などが入居して、ガラス扉にダウンライトが使われたりすると、古い建物なのだが良い感じに見える。階段の手すりもペンキ塗りなのだが、ちょっとおしゃれに見えたりするから不思議。住人が思い思いに建物を大切に利用していたため、内部は比較的美しく保たれていた。耐震性、構造上の問題、設備の老朽化がなければ、まだまだ使えるんじゃないかと思わせるものがあった。


再開発が始まる直前の様子 Photo 2001.12.8
手前から1、2、3号館

 通り沿いの棟の中には多くのショップが入居し、窓まわりが様々に改築されている状況だった。開閉できない嵌め殺し窓として、ショーウィンドウ化しているものもある。

 森ビルが再開発をすることになり、安藤忠雄設計により表参道ヒルズが建設された。旧来の街並みを尊重し、軒高を抑え、大半の容積を地下に埋めた設計になっている。また表参道が坂であることを利用して、地下部分にスムースにアプローチできるように工夫されている。

 ただ、全体でひとまとまりの建物になっているので、坂沿いに壁面が長く連なっており、6棟が断続的に並び、それぞれの店が思い思いに少しずつ異なるファサードに改築していた往時の景観に比べると、統一感はあるもののやや単調な景色になっている。

廃景録同潤会青山アパート

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 渋谷区  #住宅系  #同潤会 
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