都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

2009年9月 記事一覧

2009-09-30 | 記事一覧 
09/01 並んで走る(西武新宿線:高田馬場~西武新宿)
09/02 ガード下から上る(中目黒・新道坂)
09/03 東横線ガード(中目黒駅近辺)
09/04 旧朝倉家住宅 1(旧渋谷会議所外観)
09/05 旧朝倉家住宅 2(中庭・土蔵)
09/06 旧朝倉家住宅 3(内部)
09/11 代官山アドレス 1(サイン)
09/12 代官山アドレス 2(ブリッジ)
09/13 早稲田大学・大隈講堂へのコメント
09/14 代官山の階段 1(歩いてみたい階段)
09/15 代官山の階段 2(階段付き坂道)
09/16 代官山の階段 3(折り返し階段)
09/17 猿楽町の階段(細い抜け道階段)
09/20 旧山手通りにて(絵になるクルマたち)
09/21 猿楽町にて
09/22 青葉台の階段 1(高台から下る)
09/23 青葉台の階段 2(相の坂わきの階段)

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青葉台の階段 2

2009-09-23 | 目黒区  

 高台から相の坂に向かって下りる。

相の坂わきの階段
所在地:目黒区青葉台3-2と3の間
段数:20段(上6段・下14段)
Photo 2009.08.30

 写真左側から下ってくる急な坂道が相の坂。坂下から見ると、大谷石の高い擁壁がとても印象的。後から積み増したのだろうか。上と下で石の色や積み方が異なっている。城の石垣のようにややカーブを描いているのも目を惹く。

 段数はそれほど多くないが、下半分が意外に急な階段。ここでも石垣の積み方や、老朽化の度合いの差が目立つ。

#階段・坂 目黒区 
コメント (2)
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青葉台の階段 1

2009-09-22 | 目黒区  

 西郷山公園から青葉台を経て大橋へ。

 旧山手通りのある芝・白金台地の高台から、菅刈公園や目黒川沿いの低地へ下りていく。この斜面にある坂道の多くは急坂で滑り止めが付けられている。

 目黒区は階段道に「階段あり」の標識を立てているようだ。後ろの階段はビルの外階段なので、もちろん関係ない。

所在地:目黒区青葉台2-6と7の間
段数:21段(上10段、下11段)
Photo 2009.08.30

 目黒川に面した斜面には大きな階段がいくつかある。こちらは立派なお屋敷が立ち並ぶ住宅街にある階段。上下の道が斜めに取り付いていて、しかも途中の左側に住宅の入口があるため、踊り場が三角形をしている。

 女性たちは至極真面目に話をしながら、こちらには見向きもせず上っていった。

#階段・坂 目黒区  #眺望
コメント (2)
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猿楽町にて

2009-09-21 | 渋谷区  

 たまには珍景を

Photo 2009.08.30

 代官山界隈の裏通りには2階建て程度のお店が多くて、外階段の建物が意外にあるなぁと思いながら歩いていたら、なかなかすごい外階段に遭遇。廃屋だろうか。

#街並み 渋谷区
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旧山手通りにて

2009-09-20 | 渋谷区  

 旧山手通りを西郷山公園の方へ。

 代官山界隈には、ふだんは滅多に見ないような高級外車が路上駐車していたりする。東京にはお金持ちも多い。「Daikan-yama」ってそういう街なんだろうから、街並みにあっているのだろう。こちらは格好いいけどあまりecoじゃない車。路上駐車してても絵になる車だけど。

 Jaguarは車高が低い。最近はこんなに平べったい車は少ない。今どきっぽくないので、クラシックな車にさえ感じられる。走ってるのはビュート(美遊人・光岡自動車)。クラシックカーでも外車でもないけど、走ってると風景の中でアクセントになる。

 猛禽類系の目をしている最近のBMWは苦手。後ろに付かれると威圧感があって恐いので、車線をすぐ譲ってしまう。個人的にはベンツやBMWは戦車みたいにごっついので好きくない。

 西郷橋にて。Porscheも当然スポーツカーでぶっ飛ばす車なんだけど、カエル君的な可愛らしさがあるので、見るぶんには好み。乗り心地は知らない。流麗なスポーツカーを見るのは好きだけれど、乗ってみたいとはそれほど思わない。

Photo 2009.08.30
#自動車  #道
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猿楽町の階段

2009-09-17 | 渋谷区  
猿楽町の階段
所在地:渋谷区猿楽町24と26の間
段数:10段
Photo 2009.08.30

 服飾系ショップが並ぶ裏通りの一角に非常に細い抜け道があり、お店の建物裏を抜けていくと階段があった。

 ほとんど使われていない道なのかと最初は思ったのだが、階段の上にも下にもお店があって、時々お客さんや店員が通る、知る人ぞ知る空間となっている。地元に住んでいる人が誰でも知っている階段ではない。ほぼ、ショップの人とその店を訪れるお客さんだけが知っているという点が特徴的で、代官山らしいある種不思議な魅力を持った階段だ。

#階段・坂 渋谷区
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代官山の階段 3

2009-09-16 | 渋谷区  
代官山の折返し階段
所在地:渋谷区代官山町7-2
段数 :17段(下部14段、上部3段)
Photo 2009.08.30

 代官山の東はずれで折返し階段を発見。地元の人や代官山に詳しい人なら知ってるのかもしれないけれど、私は今まで知らなかったので、なんだかひとつ得した気分。

 大谷石の擁壁に沿って東向きに上る下側の部分は、幅がかなり狭い。上の方で折り返すと倍ぐらいの幅になるが、こちらは3段だけ。本にも書いたが、折り返し階段は都心では少ないので、この代官山の折り返し階段はかなり珍しいもの。

#階段・坂 渋谷区
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代官山の階段 2

2009-09-15 | 渋谷区  
代官山の階段
所在地:渋谷区代官山町11と12の間
Photo 2009.08.30

 前記事の階段の一つ東側にある階段。こちらは自転車でも上り下りできるスロープが付いている。階段部分は一人分程度の幅しかない。中ほどで傾斜が変わり緩くなっているのが分かる。

 同じ階段を上から。歩く人も座る人も若い人が多い。

#階段・坂 渋谷区
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代官山の階段 1

2009-09-14 | 渋谷区  
代官山の階段
所在地:渋谷区代官山町12と14の間
Photo 2009.08.30

 代官山は八幡通りとキャッスルストリートの間に高低差があり、北向きに上るいくつかの階段がある。それほど急ではないが、やや長く奥行き感のある階段は、典型的な上ってみたくなる階段だ。この階段も、下側の入口がやや狭く奥が広いので、どうなっているのか気になる。

 上っていくと全く異なる雰囲気の場所になる。代官山はブティックやヘアサロンが路地に出店していたりして、階段と相俟ってとても魅力的な景色を創り出している。

 場所柄、若い女性などが多く、そういう意味でも絵になる風景。場所が人も含んで空間を創り、場所性を生み出している。

#階段・坂 渋谷区
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早稲田大学・大隈講堂へのコメント

2009-09-13 | Weblog 
 以前に書いた早稲田大学関連のいくつかの記事に対して、詳細なコメントを頂戴した。
 コメントが複数の記事に対してのものであるのと、私自身が書いた記事に関する追加情報になる部分もあるため、コメント欄だけに記載しておくのはもったいないと考え、御本人にも了解をとって、記事化することにした。
 ただ、これだけの情報量とか思いは、コメント欄に記すより、独自にブログなどを立ち上げて記す方が良いのではないかとつくづく思う。というのもコメント欄では、ブログ開設者の意向に左右されてしまうから。
 本人以外のテキストを記事化するのは妙なことかもしれないが、今回だけは例外。

 本ブログ内で関連のある記事は以下
西早稲田キャンパスと大久保キャンパス(副都心線開通とキャンパス名の変更)
早稲田大学 西早稲田キャンパス(大久保キャンパス20年の移り変わり)
早稲田大学51号館(剛構造の高層ビル)コメント原文はここ。
早稲田大学大隈講堂 その1(改修前の外観)
早稲田大学大隈講堂 その2(大講堂など内部の様子)
早稲田大学大隈講堂 その3(時計塔内部など)
早稲田大学大隈講堂 その4(内部の様子など)
早稲田大学大隈講堂 その5(改修工事の様子)
早稲田大学大隈講堂 その6(工事がほぼ終わった頃の状況)
 以下、コメント全文(原文のまま)


本人です (さぎょしょちょう)
2009-09-12 13:05:11

 大隈講堂に関するシンポジウム記録のコピーをとるのを忘れていたことに今頃気がついて、検索していたらこのblogに至りました。
 まず、理工学部の写真はものすごく懐かしいです。卒業後に名古屋に赴任となり、かなり経てからそばを通ったときに理工学部もそうですが、周辺も変わってしまって驚いたことを思い出します。建築学科の研究室も51号館にあったのですが、新しい?建物に移ってしまったようですね。
 狭いながらも広場(校庭?)があったりテニスコートがあった時代は心理的にゆとりがあってよかったとは思うのですが、いろいろと事情があるのでしょうね。

 私は大隈講堂の改修工事と副都心線の西早稲田駅の作業所長をつとめており、このblogにかなり影響を与えてしまった人間の一人です。
 まず、大隈講堂の改修工事については、私自身が作業所長を命じられて、晴天の霹靂の状況で、私自身も大隈講堂にはいろいろな思いがあって、まさか自分の手で改修工事を行うなどとは思ってもいなかったというのが本音のところです。
 つまりは大隈講堂に大幅な改修という手段を使ってもよいのか?という思いもあるのとともに、大学の意向は十分に理解はできた(冷房設備がないなんて記憶がありません)のですが、やはり自分が目にしてきた大隈講堂の姿もありますし、改修工事を行ってどんなようになってしまうかもイメージできなかったので、どうするのかがベストなのかと常に考えていました。
 もし大失敗をして大隈講堂の姿を大幅に変えてしまうとオール早稲田ならびに日本建築にかかわる方から非難・バッシングを浴びて、私の作業所長人生も終わってしまうだろうな~などと勝手に覚悟を決めて立ち向かったというところです。
 しかしながら改修工事のスタート前に建築学科の教授から「この改修工事は改修前の姿に戻すことが意図するものではなく、最新の機能は付加させるもののあくまで創建当時の80年前の姿に戻すことが目的である」との話を伺うことができて、自分が持っていた迷いが消えて、大隈講堂と向き合うことができたと思っています。

 改修工事がスタートしてからもいろいろあったのですが、記載するととんでもないくらいの出来事があったので、割愛させていただきます。
 お褒め?をいただいた白の外部足場についてだけでも・・・
 1)外部撤去工事の防音対策で最初は防音パネルを張っていましたが、撤去工事終了後は照度確保のため白いメッシュシートに張り替えたりしています。
 2)時計塔の外壁は垂直ではなくて微妙に斜めになっていて、外部足場を垂直に組むことに苦労したこと。
(垂直にしないと防音パネルが収まらない。)
 3)ここでは記載できない理由で、外部足場を組む順番を変更せざるを得なかったこと。
 などいろいろとありました。このblogの写真を拝見し、うまく組めているな~と自我自賛もしています。

 では改修後についての私の思いを記載させていただきます。(大学OBとの立場も含めて)
 1)私の持っていた改修前の大隈講堂のイメージは本当に心のふるさとであり、仕事に行き詰ったときや人生の岐路において、心の支えとなっていた建物であるとともに、その外観は「荒ぶる魂の象徴である大隈講堂」=男性的なものだと思っていました。
 しかし改修工事終了後は正直に言って外観については「綺麗になりすぎた」=女性的(この表現を使ってよいかよくわかりませんが)と思っています。
 外壁のタイルも創建時にもっとも近いと思われる1階歩廊の大隈重信候の銅像の上のアーチ部分のタイルを再現しましたし、鐘楼の外装もコンクリートではなく「人造石洗い出し仕上げ」という左官工事なのですが、現物を調べ上げて同じ石種を使って仕上げています。私としては80年前の姿はやはりこのような姿であったのだろうと思っています。
 大学関係者、近隣の方々にとって大隈講堂は「心のふるさと」であり「我らが母校」だと思います。「母校」ということに捉えれば母親のイメージになったことも、私の思いではありうることだと思っています。
 さらに80年経たあとに改修工事の前の姿に近いものになっていればよいのですが、今後は戦争もないでしょうし環境問題もクローズアップされてきていますので、存外に綺麗なままの姿で残るのかも知れません。
 一番の心配は阪神神戸大震災以上の直下型地震だけが来ないことを祈っています。
 1階の歩廊部分(大隈庭園側)の屋根のある部分は外壁は80年前のものを残しています。あるところで新旧タイルを張り分けてありますので、今度もし行く機会がありましたらその辺りを探って見てください。
タイルの高さを合わせることにも本当に苦労しました。私から言わせてもらえばある意味、タイル工事の職長さんと弊社生産設計部の神業とも言えるものです。

 2)大講堂に関しては冷房を付加した椅子空調システムを採用していますが、講堂の形状・空間・残響時間などは全く変えていません。変わったのは前述した椅子(これもオリジナルデザインを復原)と床仕上げ、舞台機構、機械音響システム、同時通訳ならびにインターネットなどのITシステム、床の仕上げ材、そして一番苦労したのは80年前の塗装色の復原でした。
塗装してある部分を削りだして調査して一番最初に塗装されたと思われる色を探り出して、さらには現存している創建時の白黒写真なども参考にしながら決定に至っています。私としてはメリハリの利いた塗装色になったと思っています。

 ほかにもいろいろ記載したいことがあるのですが、西早稲田駅のこともあるので、大隈講堂に関してはこここまでとします。ほかにもいろいろと大隈講堂の謎とか改修工事の秘話などいろいろありますが、もしご質問があれば回答できる限りで回答しますので、逆コメントください。

 地下鉄西早稲田駅の仕上工事についてはご覧になっていただいたとおりであり、通常は地上に建物を建てるのに逆方向に仕上げを進める=資材の投入に大変苦労しております。
 西早稲田駅という駅名については、私が赴任した時点でほぼ決定していました。若干の議論の余地はあったようですが・・・。
 しかし付近の地名は「西早稲田」「高田馬場」「戸山町」「諏訪町」「大久保」であり、JRや地下鉄の駅名だとか「戸山キャンパス」=「文学部キャンパス」などの条件に囲まれてしまうと「西早稲田駅」にならざるを得なかったのかと思っています。
 私としては理工学部=「大久保キャンパス」、「西早稲田キャンパス」=「本部キャンパス」との思いがあるので、違和感も感じているのですが、大学と東京地下鉄のいろいろなやり取りがあって、「西早稲田駅」が正式決定して、大学がキャンパス名を変更したということだと思います。東西線の「早稲田駅」が「西早稲田駅」だったらどうなっていたかわかりませんが・・・。」


 いろいろと長くなって申し訳ありませんが、とりあえず、blogを拝見した中での私の思いを記載しました。

 もし、こんなことを聞いて見たいとか、もっと何かを知りたいとかありましたら、このコメントに対して更なるコメントをお願いします。
 自分でblogを起こせばよいのですがね~。
 
 私の実名は調べればすぐにわかってしまうと思いますが、できれば伏せておいていただければありがたいです。
 以上です。



さぎょうしょちょう (作業所長)
2009-09-13 08:40:15

 こんなに早くに対応していただけるとは思ってもみなかったので、感激している次第です。

 コメントをいただいたとおりに一つの記事として載せてもよいのかな~と思っておりますが、どうやったらよいのか、そのあたりの事に関しては非常に疎いので(こんなことで今の時代の社会人、作業所長でよいのか?とも思っています。)、もしよろしければご教授ください。

 大学さんやほかの方のご迷惑にならない限りで記事にできるネタや記録写真は有り余るほどあるので、皆様にお知らせするのも、私の仕事でもあるのかとも思っています。

 前回のコメントでは1階歩廊部の新旧タイルの張り分け部分の謎を一つ出しましたが、今回はステンドグラスについて記載します。

 このblogでも2階ロビーの丸窓のことが載っていましたけど、大隈講堂に使用されているステンドグラスについては、この改修工事中もその謎が解けなくて、そのまま(もしかすると、過去に改修されているのか、オリジナルのままなのか)にしてあるところがあります。外観から見えるステンドグラスや1階、2階のロビーのステンドグラスをじっくり見ていただけると、「あれ~」という箇所があるはずです。私が教えてしまうと面白くないので、皆さんで探してみてください。
 ほかにも多数の大隈講堂の謎がありますよ~。

 本日はこのあたりで終わります。

 まことに申し訳ないのですが、記事にするのはあるいは自分のHPを立ち上げればよいのでしょうが、そのあたりを簡単にできる方向でご教授ください。

 以上です。



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