都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

2009年2月 記事一覧

2009-02-28 | 記事一覧 
02/03 久能山東照宮石段(1,159段の風景)
02/06 月島(モルタル塗りの卯建(うだつ))
02/09 銀緑館(失われる近代建築)
02/12 銀緑館 その2(失われる近代建築)
02/15 竹平寮付近(東京新旧写真比較 No.27)
02/18 九段下交差点(東京新旧写真比較 No.28)
02/21 靖国通り 九段坂(東京新旧写真比較 No.29)
02/22 東京の階段 DB、徐々に更新
02/24 靖国通り 俎橋から神保町(東京新旧写真比較 No.30)
02/26 西新宿夜景(霧に霞む新宿パークタワー)
02/28 研数学館前(東京新旧写真比較 No.31)


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研数学館前

2009-02-28 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1981/2008) No.31 千代田区西神田2丁目

Photo 1981(ノーマル時)、Photo 2008.9.9(マウスオン

 1981年の写真を見ても、はじめはどこなのか分からなかった。ただ、千代田区内であることを念頭に考えると、片側2車線で街路樹があり、真っ直ぐでアップダウンがほとんどないような道は意外に少ない。そんなわけで、なんとなく水道橋から神保町交差点に至る白山通りかもしれないなとは思った。
 この他、右端に鶴屋グループという広告塔が見えていたので、この鶴屋で検索。すると三崎町2丁目に関連社屋が今もあることが判明。グーグルストリートビューなどでチェックしたところ、研数学館前で撮られた写真だったことが最終的に分かった。
 何度も通っている場所なのだが、研数学館の建物じたいにカメラを向けずにその右方向を撮るということをしたことがなかったので、ほとんど記憶になかった風景である。

 写真左端が研数学館本館。数年前までは予備校校舎として使われていたが、予備校業務からは2000年に撤退したそうで、現在は財団の事務所などになっている。一時期、この本館の方は大正大学の校舎や、文化学院の仮校舎としても使われていた。外観は1981年当時とあまり変わっていない。
 一方、この写真には写っていないが、角地に面した別館(外観上はつながっているけど)の方は、居酒屋和民の店舗になっている。こちらはコーナー部がお店の玄関になり、玄関上に広告が取り付けられたり、外壁が部分的に鮮やかに塗り替えられてしまったりして、外観にかなり変更が加えられている。

 右端の鶴屋の屋上広告は別のものになったようだが、建物共々健在。また沿道の街路樹は定期的に剪定されるため、幹は太くなったが、高さや枝振りはあまり変わっていない。
 一方、中央付近の日大法学部の校舎は、同所で建て替えられて一回り大きくなった。そしてやはり三崎町界隈でも中高層の建物が27年前に較べれば明らかに増えている。

 ところで、1981年の写真の際は、渋滞していたのだろうか。停止線を越え横断歩道内にタクシーやトラックが止まっており、左端には別の車の後部も見え、その間を歩行者が横断している。

#東京新旧写真比較 千代田区  #街並み 千代田区
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西新宿夜景

2009-02-26 | 新宿区  
文化女子大付近から新宿パークタワー
所在地:新宿区西新宿3-7
Photo 2009.2.25

 小雨が降って湿度が高い夜。光の帯が夜空にのびる。

 新宿パークタワーの足下には、西新宿の超高層ビル街の冷暖房をまかなう地域冷暖房施設があり、何基もボイラーがあるため、大量の湿った温風が発生している。冬場の乾燥している日なら、上空に出た水蒸気はあっという間に霧散してしまうが、昨晩のように湿った日にはなかなか水煙が消えず、霧や雲のようになって上空に漂う。

#新しい建物 新宿区  #夕景・夜景  #高層ビル  #オフィス 
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靖国通り 俎橋から神保町

2009-02-24 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1981/2009) No.30 千代田区神田神保町

Photo 1981(ノーマル時)、Photo 2009.2.22(マウスオン

 以前に掲載した、神田神保町3丁目・ペンギン書房の撮影地のすぐ近く。右側にその時の一連の建物が見えている。左端は九段下ビル。その背後の丸元ビルは、外装は一新されているが、建物本体は変わっていない。また、中央の日建神保町ビルや、一番奥に小さく見える新駿河台ビル(福徳銀行)など、いくつかの建物がそのままの姿で健在。

 沿道建物の高さが低いため、以前の靖国通りはかなり広く見える。D/H比(道路幅員D/沿道建物高さH)は3程度あったのではないだろうか。現在はD/H=1程度のようだ。西洋の都市ではD/H=1が良いと言われているようだが、長年、平たい都市で暮らしてきた私たちは、D/H=1だとやや狭苦しく感じてしまう気がする。
 もちろん、以前は歩道部分が狭かったので、車道部分の幅は今より広い。現在は中央分離帯もでき、広げた歩道には植栽も造られている。

 1981年の写真でも、電線はあまり見えないが、まだ電柱はあちこちに立っており、電線の地中化はまだ行われていなかったようだ。現在は電柱もなくなり、歩道も石畳などに舗装され、きれいになっている。1981年当時、道路工事がされているが、これは地下鉄半蔵門線の建設に伴うもの。紆余曲折があり、この場所を含む半蔵門〜三越間の開通は、1989年にずれ込んだという。

 1981年の写真で、向こうから来る白い車は、マツダコスモAP、左側の赤い車は、いすゞ117クーペ。80年代頃までは、2ドアのスポーツタイプの車がたくさん走っていた。

 微妙な位置決めは、九段下ビルと後方のビルの重なり具合で特定することができた。その際、九段下ビルには階段室の道路沿い部分に避雷針が付いていることに気が付いた。ただし奥の側の避雷針は現在はなくなってしまっている。

#東京新旧写真比較 千代田区  #失われた建物 千代田区  #街並み 千代田区
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東京の階段 DB、徐々に更新

2009-02-22 | Weblog 
階段データベース、徐々にですが更新しております。
東京の階段 DB
前回お知らせした12月以降は、港区33件、新宿区5件と、主に港区の階段を追加。
今回の更新分は、2008.10.19~12.14に割り当ててあります。
もう少しの間、港区と新宿区の階段が続く予定です。
今後もぼちぼち追加していくつもりですので、どうぞよろしく。

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靖国通り 九段坂

2009-02-21 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1981/2009) No.29 千代田区九段北

Photo 1981(ノーマル時)、Photo 2009.1.18(マウスオン

 この場所の景色もかなり変化している。

 中央の交差点は九段下交差点。写真は、靖国神社方面から九段下交差点へ向かって下る九段坂の途中から、神田神保町方面を撮ったもの。

 現存しているのは、右方の千代田区立九段社会教育会館・区営九段住宅(9F・茶色の建物)と、写真中央付近の九段郵便局・官舎(10F)、そして首都高速とその向こう側の角に立つオフィス(ニュー九段ビル・9F)程度。左端の日本債券信用銀行本店ビルも再開発で無くなったため、上記の遠方のビルや首都高速の重なり具合で場所決めをするほかなかった。地下鉄の入口は場所こそ変わっていないが、建屋が化粧直しされたりして、高さや幅が微妙に変化している。

 区立九段社会教育会館は、右端の協和銀行が周囲と共に8Fのビル(現りそな銀行)に建て替えられたため、ほとんど見えなくなった。
 首都高速の向こう側、正面の最も奥に見えるのは、三井住友海上駿河台ビル(神田駿河台3丁目、1984、25F、103.5m、旧 大正海上本社ビル)。84年完成なので、上写真の2、3年後に姿を見せたのだろう。九段坂上からは昭和初期にはニコライ堂が見えていたという。駿河台の高台に聳えるニコライ堂を写した絵はがきもあるが、現在は全く見えない。

 交差点の角付近にはトタン張りで物干し台のある木造家屋が見える。昔はこのような建物が建ち並んでいたのだろうが、この時点で既に残り少なくなっていた。鉄骨や鉄筋コンクリートのビルで埋め尽くされた街並みへと変化する過渡期の様子である。

#東京新旧写真比較 千代田区  #階段・坂 千代田区
コメント (2)
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九段下交差点

2009-02-18 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1981/2009) No.28 千代田区九段北

Photo 1981(ノーマル時)、Photo 2009.1.18(マウスオン

 1981年の撮影者は意外に撮影のタイミングや構図に頓着がない。目の前にトラックが横切っていてもお構いなしにシャッターを切っている。もちろんそのおかげで人物や車が写っていて、当時の様子がよく分かったりする面もあるのだが、さすがにこの写り方は邪魔。
 また何気ない交差点風景を、これまた何気なく切り取っているので、めぼしい建物がなく、場所の特定が難しいこともある。

 撮影場所が分からないものの場所を特定すべく、マウント済みだったスライドをいちど分解して、フィルムのコマ順に並べ替えてみたところ、前後の写真からこれは九段界隈だと判った。東西線沿線のこの界隈は結構訪れている。だが写っている建物に心当たりがなく、しばらくは全く具体的な場所が分からなかった。

 写真にはアキバ徽章、洋菓子・喫茶亜砂呂、神田青写真工社などの看板がある。だからこれらをネット検索すれば分かるだろうと思ったのだが、これが全然ダメ。
 アキバ徽章は九段南に現在もある。だが周辺の様子は全く異なり、移転したらしいことが分かった。亜砂呂は九段下にあったという記事が一つだけあったが、それでも細かい場所は分からずじまい。神田青写真工社はネットに情報無し。
 結局、昔の住宅地図のお世話になり、これが九段下交差点の写真であることがようやく分かった。うーん、自力で場所を特定できなかったのは残念。なんとなく負けちゃった感あり。

 住宅地図によれば、亜砂呂は靖国通りに南面している。昭和館や九段会館がある側に交番があるが、この写真はその交番を背にして撮影していたことが分かった。写真を右へ行くと俎橋を経て神保町。目の前を横切る小山木材のトラックは、交差点を左折して九段坂を上らんとしていたわけだ。
 九段下交差点はしばしば通っていた場所なのにさっぱり分からなかった。これはちょっと驚きだった。

 写真左手の建設中だった交差点角のビルと、右端のビルは現存している。また角から2軒目に建設用の覆いに隠れるようにしてあるそば屋も健在。だが、大きな屋上広告を掲げていたアキバ徽章も、洋菓子・喫茶亜砂呂も、神田青写真工社も建て替えられて10階建て程度のビルになっている。
 このため、建物相互の位置関係をもとにした正確な場所の特定は不可能で、現地を通りかかるたびに少しずつ位置を変えて何度か撮ったのだが、なかなか一致する写真を撮ることができず、意外に苦労してしまった。

 とりたてて著名な建物が写っているわけでもないし、タイミングも妙なのだが、こういう写真も街の記録としては、あとあと意外に重要になったりするものなのかもしれない。

#東京新旧写真比較 千代田区  #街並み 千代田区
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竹平寮付近

2009-02-15 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1981/2008) No.27 千代田区九段南

あまりに大きく変化してしまうと、正確な位置の特定が不可能になってしまうこともある。

Photo 1981(ノーマル時)、Photo 2008.3.3(マウスオン

 竹平寮は、その昔は憲兵下士官アパートと呼ばれたもの。1990年代まで4棟のRC・3F建てアパートが廃墟のように残っていたが、本当は廃墟ではなく、その内の数戸には最後の頃まで居住者がいたという。

Site Y.M. 建築・都市徘徊Tokyo Lost Architecture竹平寮

 ここの跡地には超高層の千代田区役所が建てられている。その後方は東京堂千代田ビル(当時は太陽神戸銀行、現在はあおぞら銀行)で、この建物は今もあるのだが、これ一棟では撮影位置が正確には特定できない。しかも現在は千代田区役所に2/3以上が隠されてしまっている。

 写真中央にポストがある。現在もポストがあるが、区役所の出入り口の設計の都合などで位置が変えられている可能性もあり、これも怪しい。手掛かりがほとんどないので、とりあえず手前のマンホールをベースに、ポストの見え方とあおぞら銀行の見え方をおよそ合わせて撮影した。だいたいこんな方向だとお考え頂ければ・・・。

 もちろん、竹平寮の設計図や配置図を手に入れれば、撮影位置の正確な特定が可能だが、そこまでやるわけにもいかない。ここまで変化してしまうと諦めるしかないのかなぁと思う。竹平寮というものがここにあったという記憶などは、完全に消え去ってしまったように思われる景色。

注)東京堂千代田ビルは、以前は旧太陽神戸銀行の東京営業部だった建物。
 太陽神戸銀行の合併等に伴い、太陽神戸三井銀行、さくら銀行本店、三井住友銀行九段営業部と移り変わってきたが、この九段営業部が三井住友銀行本店へ統合されたため、一時は空きビルになったという。
 その後、そこへあおぞら銀行(旧日本債券信用銀行)が入居し、現在に至る。
(参考:Wikipedia/あおぞら銀行)

2009.2.16 yoshikin氏の御指摘に基づき、記事本文を修正致しました。

Tokyo Lost Architecture   #東京新旧写真比較 千代田区  #失われた建物 千代田区  #集合住宅 
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銀緑館 その2

2009-02-12 | 中央区  

 せっかくなので、もう少し内部などを。

玄関ホール Photo 2007.2.13

 豪華ではないが、クラシックな雰囲気で心惹かれる空間。バーへ向かって下る階段が目立つ一方、上階への階段は奥のエレベーターわきに隠れるようにあって全然目立たない。

Photo 2006.10.3 EV前から上階への階段      手動扉のEV

 現在、上層階は一部しか使われていない模様。階段の奥は真っ暗。エレベーターの内扉(駕籠側の扉)は奥野ビル同様、蛇腹式だそうだ。

EV前のモザイクタイル床 Photo 2006.10.3

 モザイクタイルの床も、剥げたりしてはいるが、今の空間にはない味わいを出している。

Tokyo Lost Architecture   #失われた建物 中央区  #近代建築 
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銀緑館

2009-02-09 | 中央区  
全景 Photo 2008.7.22
玄関部分 Photo 2006.10.3
銀緑館
所在地:中央区銀座6-11
建設年:1924(大正13)
構造・階数:RC・5F(増築して6F)
松坂屋再開発に伴い建て替え予定。

 松坂屋のちょうど裏手にある5階建てのビル。増築されているが、おしゃれな外観の旧状が比較的よく残されている。地階にはガイドブックなどでもしばしば取り上げられているバーがある。
 開いた扉から中を覗くと、やや薄暗く雰囲気のある玄関ホールと、地階へ下る階段が見える。また奥の方には古いエレベーターもある。

軒先部分 Photo 2008.1.26

 細かいデザインの軒先。窓のサッシは替わっているのだろう。アーチの中に小さいアーチが二つあるところからすると、縦長の観音開き窓だったのかもしれない。タイルの剥落対策で壁面の大半にネットが掛けられているのは少し残念。

玄関ホール Photo 2008.1.26

 木製の押し開き扉が渋い。玄関ホールにはモザイクタイルが敷かれている。天井の照明もシンプルだが可愛らしい。エレベーター前のアーチも空間を洒落た雰囲気にしている。

 テレビや新聞で取りあげられたこともあってか、この建物は銀座界隈のレトロ建築の中で比較的有名な存在になっている。以前はそれほど知られていなかった気がするのだが、表通りのもっと有名な近代建築が次々になくなり、相対的に知名度が上がったのかもしれない。

 せっかく知名度が上がった銀緑館だが、中央通りに面した松坂屋との一体的な再開発が計画されているとのことで、今後、数年の内に解体されるようだ。戦前からの銀座の雰囲気を残す建物がまた一つなくなるのは残念だ。

参考記事
街の風景銀座散歩銀緑館
Roc写真箱銀緑館(ぎんろくかん)
デジカメ散歩銀緑館
Tokyo Lost Architecture   #失われた建物 中央区  #近代建築 
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