都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

ロンドン着

1993-02-28 | イギリス 

 日本時間から英国時間に時計を直し、18:00頃、ヒースロー空港に無事到着。 (Google Map) 簡単に入国手続きを済ませた後、両替をする。ロシアの入国手続きとは異なり、このへんはあっという間だ。

 次のロンドン~パリをリコンファームしようとしたら、BAの到着カウンターの女性がNot Neccessaryと言ったのでちょっと混乱してしまう。近くにたまたま居たJALの職員に尋ねたところ、念のため、Terminal4に行ってやっておいたらどうですかというので、そちらに行こうとしたのだが、今度はバスが全く出る気配がない。そこで電話でのリコンファームにいきなりトライすることになり、私が電話をすることになってしまった。しかし事はうまく運ばないもので、なかなか氏名と人数が伝わらなくて参った。正確に伝わったかどうかは怪しかったが、ともかく一応、名前が伝わり、3人が3月4日に314便で発つということが伝わったようなのでホッとして、地下鉄でホテルへ行くことにする。

 地下鉄へはかなり長い通路を通らなければならなかった。降車駅までは2ポンド80ペンス。500円程度。小銭での釣り銭がうまく出せない機械が多く、結局窓口で買った。変な話だ。

 地下鉄は第三軌条による受電(Four-rail systemという電化方式で、走行レールとは別に2本の電力用レールが敷かれているのだそうだ。)。車輌の下部にスパークが飛ぶ。Tubeとも呼ばれ、トンネルの形状に合わせて丸っこいデザインになっているのがちょっと可愛い。車中では新聞を読むインテリ、ギターを弾くジプシー?などさまざま。アフリカ系だかアラブ系の人が意外に多い。空港の警備関係者もアフリカ系の背の高い人が多かった。

 途中のEarl's Court駅で乗り換え。少しややこしかったが、これを無難にクリアし、20時頃にNotting Hill Gate駅で降りたまでは良かった。だが、その後、ホテルが見つからず非常に苦労した。はっきり言って、事前に渡されていた見取り図的な案内図はない方がマシなものだった。

 気温は+1℃、小雪が舞う寒い夜の中、僕らは30分以上探し回る結果となってしまった。その挙げ句、通りがかりの女性らに聞いて、21時前にようやくホテルに辿り着いたのだった。

Hyde Park West Hotel夜景   Google Map

 到着後、何か食べようと言っていたが、その気力も失せて、みなそのまま寝てしまう。かくして長い一日目が終わったのだった。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21

#夕景・夜景 
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東京からロンドンへ

1993-02-28 | イギリス 

 飛行機はスーパージャンボと呼ばれるもの。なぜかアッパーデッキで、あの機体のコブのような少し狭い2F部分の席になった。3+3の座席であり、必ずしも良い席というわけではない。

機内から

 実は、この旅行以前に私は飛行機にほとんど乗ったことがなかった。国内線には全く乗ったことがなく、この前年に研究室でロシアに行ったため、旧ソビエト製のアエロフロート機(イリューシンとツポレフ)にだけは乗ったことがあったが、西側の飛行機は今回が初体験。当たり前かもしれないが、ボーイング機はやはりロシア製の飛行機とはかなり違う。

 離陸はやはり大きな機体だけあって力強い。推力が大きい。揺れはアエロフロートなんぞに比べると全くといってよいほどない。気流等による上下動もさしてなく快適である。機内食に至っては魚の照り焼き、そうめんのようなもの、おいなり、パン、デザート、ワイン、その他至れり尽くせりで、言うことなしである。ロシアへ、アエロフロートで行ったときに友人が「おまえ、JALとかはもっといいぞ。飛行機みんながこんなだと思うな!」と言っていたのに、今更ながら納得する。

 機内のデザインも機能的でそつがない。当然のように映画、音楽のサービスがあり、社会主義国家とは数十年でかくも差がついたかと思わせる。まああちらは、日本から欧州の往復で10万以下だというから格安ではあるが。

機内から

 残念ながら窓の外は、離陸後4時間近くほとんど雲海ばかりだ。ジャンボは10,000mの高々度で飛ぶせいか、はたまた冬だからなのか、いっこうにシベリアの風景は見えてこない。4時間程度の間に、二度ほど眠くなる。しかし13時間の飛行で、時差9時間の国へ行くとなると、睡眠の調整も厄介だ。昨日の睡眠不足もあって、うまく調整できるかわからない。18時になって消灯となった。他の客は大方寝ているが今寝てよいのかしらん?

 スチュワーデス(現在ではキャビンアテンダント(客室乗務員))は、ロシアの旅客機に比べたら愛想がずいぶん良い。東京~ロンドンと言えば長距離で客も多く、花形路線だから立ち居振る舞いが良く好感が持てる。他の路線を知らないだけかもしれないけど・・・。

 機内で旅行ガイドを少し読む。ロンドンの到着後、なんとか地下鉄と徒歩でホテルにたどり着けそうだと分かる。ただし入国で引っ掛からなければの話。

 日本時間の19時頃から映画が二本流れた。こういうのがあると、12時間にわたる飛行もそれほど飽きずにいられる。映画が終わって一息ついたのが24時頃。機内の灯りが点灯し、再び皆が起き出した。外は相変わらず一面の雲海。26時過ぎになって軽食が出る。クロワッサンのカイザーサンドにフルーツ、助六、おにぎり等々全くもってサービスが良い。S君に対しては、お腹が減っているでしょうからともうひとつおにぎりを足してくれたりもしていた。ただ、僕たちの後ろには年配の方々がいて、少し寒いのか退屈なのか、しばしば出入りしており、少し気ぜわしい感じではあった。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21

#飛行機
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成田空港にて

1993-02-28 | イギリス 

 前日の夜は準備で忙しくあまり眠れなかった。部屋をバタバタと片づけて、09:20過ぎに家を出る。荷物はキャスター付きバッグと肩掛け鞄一つ。

 10時過ぎに京成上野に到着。同行のK氏、S君の二人と合流し、10:24の京成特急で成田空港へ。約70分。朝方まで降っていた雨が上がり、沿線は霧の田園風景だった。

 成田空港は実はこの時が初めて。しかも新設されたばかりの第二旅客ターミナルビルだった。それほど混んでいなかったため、やけに広々とした空間が広がっているように感じた。羽田に比べるとかなり広いようだ。

成田空港第二旅客ターミナル

 搭乗券の受け取りに少々手間取ったが、一応ユーレイルパス他も入手して、手荷物チェックも受け、出国審査も驚くほどあっけなく終わる。待合室で待つ間、S君がかなりよく煙草を吸うほうだということを知る。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28~3.21

#飛行機
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