都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

旧 六本木プリンスホテル

2022-05-14 | 港区   
六本木プリンスホテル/ホテルヴィラフォンテーヌ六本木アネックス
所在地:港区 六本木3-2-7
構造・階数:SRC・9
設計 :黒川紀章
建設年:1984(昭和59)
解体年:2012(平成24)
Photo 2007.2.11

 バブル期の直前ないしは、バブル期の初めに造られたシティホテル。
 ロの字型の平面で、中庭にプールがあったことで知られた。プールの水面が高く設定され、側面の一部がアクリルガラス製で、泳ぐ人が横から見えると評判だった。

 このホテルが人気だった当時、私自身は学生だったので、ここには全く縁がなく、結局、建物内にも入らずじまいに終わってしまった。 プリンスホテルとしての営業時にいちど訪れておけばよかったと時々思う。

 六本木プリンスホテルとしては2006年12月末に営業終了し、住友不動産に売却された。その後、ホテルヴィラフォンテーヌ六本木ANNEXとして期間限定で営業したが、これも2011年11月に閉館した。

 写真は、ホテルヴィラフォンテーヌ アネックスだった頃のもの。後方に見えている日本IBM本社と合わせて再開発され、住友不動産六本木グランドタワーが2016年秋に完成している。

 内部空間は面白い作りになっていたようだが、外観はモダニズムの箱型で、横連窓はオフィスビルのようにも見えた。窓ガラスと壁面が同一のいわゆるツライチ。最上階の上部の壁面が薄くシャープな印象ではあるが、外観上は正直言ってあまり特徴はない。時期的にはポストモダン建築が多く建てられるようになった頃だが、その外観は無駄のないデザインだった。まあ、タクシーや車で乗り付けるならば、 外観はどうでもいいともいえるが・・・。
 ポストモダン的な遊び心のあるデザインは、やはり中庭のプールまわりだったのだろう。今にして思えば、この建物を表すには、中庭空間とプールが写った写真を用いないとあまり意味がないのかもしれない。

六本木プリンスホテル - Wikipedia
六本木プリンスホテル
旧六本木プリンスホテルが解体へ | kinoiekoubou日誌

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区  #ホテル・旅館  #黒川紀章 
#昭和戦後期  #ポストモダン  タグ一覧
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日進畜産本店

2022-04-12 | 港区   
日進畜産本店
所在地:港区 東麻布2-34
構造・階数:木・2
解体年:1995〜97(平成7〜9)
Photo 1995.2.5

 日進ハムで知られる日進畜産工業株式会社は、1916(大正5)年創業の老舗。
 ハーフティンバー風の大型洋風2階建てのこの建物は、同社の本店だったもの。写真の1、2年後に解体され、跡地には日進ワールドデリカテッセンが1998(平成10)年にオープンした。

 写真後方の高架は首都高速都心環状線で、店舗は環状三号線の南側、古川と首都高速の間の敷地に建っていた。なお、日進ワールドデリカテッセンも現在は環状三号線の北側(東麻布2-32)に移転している。

 2階庇の上には「日進 Nissin 畜産 Meat Shop」の文字が壁面に張り付けられており、また2階庇には白字で「MEAT RUSH AZABU GARDEN」と書かれている。一方、1階庇の上には「本場 出世牛 特選肉 純欧風 高級趣味のハム」の文字が壁面に付けられ、また1階庇にも白字で「MEAT RUSH OUTLET STRIKE GOLD ! WHOLESALE PRICES」と書かれている。「出世牛」というのは聞いたことがない言い方でちょっとおもしろい(現在はこの言い方は用いていないようだ。)。

日進畜産工業株式会社<日進ハム>

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#失われた建物 港区  #商業系  タグ一覧
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巴歯科

2022-04-09 | 港区   
巴歯科
所在地:港区 虎ノ門3-16
構造・階数:木・2
解体年:2021(令和3)
Photo 2008.5.21

 左右対称で出窓がある洋風2階建て。中央に2ヶ所玄関扉があるのでメゾネット形式だったのかもしれない。住宅地図等によるとかつては歯科と住宅だったそうだが、どちらが歯科だったのかは分からず。
 少し前まで高齢の女性が玄関先の植木の手入れをしていたが、昨年取り壊されたという(SNS情報による。現地は未確認)。

虎ノ門の古いメゾネット 港区虎ノ門 - 東京ノスタルジア

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#失われた建物 港区  #医院  #住宅系 
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日本水難救済会/芙蓉海洋開発

2022-04-06 | 港区   
芙蓉海洋開発
所在地:港区 海岸3-33-17
構造・階数:RC・3+R2
建設年:1937〜44(昭和12〜19)頃
解体年:2013(平成25)頃
Photo 2011.4.11

 レインボーブリッジそばの海沿いにあった古そうな建物。撮影時は芙蓉海洋開発という会社が使用していた。ドラマのロケ地にもなったりしていたようだが、日本近代建築総覧にも載っておらず、やや謎めいた建物だった。

 いつ頃建てられたものか、また当初の用途もよく分からない。以下は古い住宅地図や航空写真などで調べた範囲で判明した事柄。

 1936(昭和11)年9月12日撮影の陸軍航空写真には写っていない。
 1944(昭和19)年10月16日撮影の陸軍航空写真にはこの建物らしきものが写っている。
 1946(昭和21)年4月9日撮影の米軍航空写真にも写っている。

 上記のことから、この建物は1937〜44年頃に建てられたものらしい。塔屋最上部の壁には「東京救□所」(4文字目は判別できず)の文字が右から左に書かれている。

 一方、建物の用途については、当初や戦後しばらくの用途を記した詳細な地図資料が見当たらなかった。このエリアは戦前・戦後の火災保険特殊地図も残っていない。
 ただ、この少し北側エリアの火災保険特殊地図(1954(昭和29)年3月作成)があり、この周辺の港湾エリア(芝浦埠頭周辺)は「駐留軍用地」と記されている。この建物も向こう側が海なので、戦後は恐らく駐留軍(GHQ)が使用していたのではないかと思われる。同地図では駐留軍用地がフェンスで囲まれ、ところどころにゲートがあったらしいこともわかる。

 建物の東側壁面(2枚目写真)の2階と3階の間には「PORT DIRECTOR TOKYO」の文字がうっすら残っていた。港湾局(もしくは港湾局長)を意味するようで、駐留軍利用時の状況を示す痕跡だったのかもしれない。

 GHQは1952(昭和27)年に廃止されたので、この地域もその後返還されたのではないかと思うが、1960年代頃の用途は把握できず。

 都立中央図書館でゼンリンの住宅地図をおよそ10年おきに確認してみたところ、1973年と1981年には、「日本水難救済会」と記されている。公益社団法人日本水難救済会は「海や海浜での遭難者や船舶などを救助するボランティアの団体の全国法人」だそうで、現在は千代田区麴町に所在している。1889(明治22)年に大日本帝国水難救済会として設立された歴史のある組織なので、この建物がその本部だとはちょっと考えにくく、なんらかの出先だったのではないだろうか。

 また、1992年の住宅地図には、東京情報安全管理室芝浦分室、首都高速道路技術センターと記されている。
 東京情報安全管理室は、現在は東京湾海難防止協会になっている組織。上記の日本水難救済会とは異なるが、共に海の安全に関わるもののようで、なんらかの関連はあるのかもしれない。
 首都高速関連のオフィスについては、この時期、南側の海上でレインボーブリッジが建設中(1987年着工、1993年完成)だったので、それと関連があるのかもしれない。

 2001年の住宅地図では芙蓉海洋開発(株)。Google ストリートビューで確認したところ、この建物は2013年頃に解体されたようなので、同社は解体前までここを利用していたようだ。

 なお、跡地には東京ベイサイドビル(RC造・6F)が、2015年5月に竣工している。

日本水難救済会 - Wikipedia
海洋エンジニアリング(旧 芙蓉海洋開発株式会社) - Wikipedia

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ハウスオブロータス・上田邸

2021-10-18 | 港区   
ハウスオブロータス
所在地:港区 元麻布2-11
階数 :2
設計 :白鳳社建築工務所
建設年:1939(昭和14)以前
解体年:2013〜14(平成25〜26)
Photo 2005.5.14

 スペイン瓦屋根のスパニッシュスタイルの洋館。1977年の住宅地図では、U.B.House ABBOTTと記載されており、もともとは外国の方が居住していたようだ。

 1990年代からは、写真家の上田義彦氏と妻の桐島かれん氏一家が居住していたそうだ。1997年の住宅地図ではウエダと記されている。一家は後に別の場所に引っ越したが、2000年代にはハウスオブロータスという名で、アジア民芸などを時折販売する店を桐島かれん氏が開いていた。


 Photo 2005.5.14

 日本近代建築総覧では、竣工時期が1939(昭和14)年以前とだけ記されている。ただ下記リンク先の桐島氏による記述では、「当時で築80年は経っていたでしょうか。昭和初期に建てられた美しい洋館・・」とあるので、昭和初期の建物だったのかもしれない。


 Photo 2011.3.29

 最終的になんらかの事情で建物・敷地は売却され、残念ながら建物は解体された。ただ、2020年時点でも新しい建物は建てられておらず、跡地はコインパーキングとなっている。

港区 - 東日本 近代建築万華鏡
信濃町~麻布十番: 雅万歩
物がたりのはじまり | 桐島かれん Web Magazine “Love of Life”

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#失われた建物 港区  #戸建て住宅  #洋館・洋風住宅  #近代建築  タグ一覧

2021.10.19 追記
 本記事掲載後、この建物は戦後の占領期にGHQに接収されていた住宅(House#134)だった、との情報を頂きました。

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横田畳店

2021-10-15 | 港区   
横田畳店
所在地:港区 三田1-8
構造・階数:木・2
解体年:2007(平成19)頃
Photo 2006.4.23

 トーホー薬局の西隣にあった看板建築。1階は改修されていたのか古い感じではなかったが、2階壁面は全面が銅板張りだった。

 そしてこの建物もトーホー薬局同様、パークコート麻布十番 ザ タワーの建設に伴って、解体された。

パークコート麻布十番 ザ タワー - Wikipedia
國徳商事トーホー薬局 - 都市徘徊blog

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トーホー薬局

2021-10-12 | 港区   
トーホー薬局(旧 東洋研磨剤)
所在地:港区 三田1-8
構造・階数:木・2
建設年:1931(昭和6)
解体年:2007(平成19)頃
Photo 2006.4.23

 一ノ橋ジャンクションの近くにあったタイル張りの木造店舗。もとは別の会社だったようだが、当時のことは知らず。

 パラペットと2階の窓台などは石張り(またはモルタル)。窓は縦長で観音開き、木製窓枠のままだったようだ。

 この近辺、三田1-7〜1-9にあった家屋群は全て、パークコート麻布十番 ザ タワー(三田小山町第2地区市街地再開発事業)の建設に伴い、2006.4〜2007.10の間に解体された。

パークコート麻布十番 ザ タワー - Wikipedia
國徳商事 - 都市徘徊blog

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東京慈恵会医科大学本館

2021-10-09 | 港区   
東京慈恵会医科大学本館
所在地:港区 西新橋3-25
構造・階数:RC・3F
建設年:1933(昭和8)
解体年:2017(平成29)〜
Photo 2013.3.29

 H型の平面をもつ低層だが大きな建物。外壁はスクラッチタイル張り。他の校舎や病棟、研究棟が多くあるので、街区外側の通りから見えるのは玄関がある北側が中心。
 このうち東側はベランダがあり、中央部は壁面にガラス面を合わせた形、西側は庇が出る形で、内部の利用形態に合わせたのか外観が少しずつ異なっている。


 Photo 2006.4.15

 玄関・車寄せ西側、道路沿いの部分は、各階で連続する庇が回っている。後付けの避難階段やエアコンの室外機・配管があるため整ってきれいな外観とは言えなかった。

 病院建築はやはり古いと耐震性、設備、屋内環境に問題がありそうで、古い建物を使い続けるのはやはり困難なのだろう。中庭など緑地があってゆったり安らげる環境が理想だが、都心では土地の高度利用も求められてしまう。そのようなわけで2000年頃から建て替えが検討されていて、他の病棟などを順次建て替えた末、この建物も解体・建て替えとなった。

東京慈恵会医科大学/西新橋3丁目 - ぼくの近代建築コレクション
東京慈恵医科大学本館 - ゆる~り、ゆるゆると~

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都立港工業高校

2021-10-03 | 港区   
都立港工業高校(旧愛宕高等小学校)
所在地:港区 西新橋3-18
構造・階数:RC・3F
建設年:1928(昭和3)
解体年:2013〜14(平成25〜26)
Photo 2013.3.29 敷地西南側から

 都立港工業高校は、東京慈恵会医科大学の北側の一角にあった学校。敷地西側にあった南北に長いRC・3Fの校舎(上写真)は、1928(昭和3)に愛宕高等小学校として建てられたものだったそうだ。港工業高校は1946(昭和21)開設、1948(昭和23)開校という。

 2004(平成16)に港工業高校が廃止されてからは、警察関連施設などとして利用されていたという。なお、2007年版のゼンリン住宅地図では建物外形の記載のみで、施設名などの記載はない。


 西北側から Photo 2013.3.29

 上写真、1928年に愛宕高等小学校として建てられた部分は、各階の庇の下側が曲面になっており、角部分も庇が丸められている。また、窓は縦長で開口部はあまり多くない。


 北東側から Photo 2013.3.29

 こちら側の建物は戦後、港工業高校になった後の建物だそう。北東側の角は体育館とかだったようだ。


 北側道路から東南方向 Photo 2013.3.29

 北側道路にはカマボコ型屋根の小体育館?もあったが、こちらも後年の建物。


 東南側から Photo 2009.3.31

 東南側には他よりは高さのある校舎が建っていた。こちらも後年の建物だったようだ。

都立港工業高校/西新橋3丁目 - ぼくの近代建築コレクション
東京都港区旧愛宕高等小学校(昭和モダン建築探訪) : 関根要太郎研究室@はこだて

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堤第一ビル

2021-09-30 | 港区   
堤第一ビル
所在地:港区 新橋1-15-4
構造・階数:RC・5F
建設年:1920(大正9)
解体年:2014(平成26)
Photo 2010.9.15

 新橋駅の近くに建っていたビル。1、2階はそば屋や居酒屋で前面外壁が造り替えられていたが、3階から上は当初からのもののようで、その外壁が黒ずんでいたため、一見すると廃墟のように見えてしまい、駅前で得も言われぬ存在感を放っていた。
 『日本近代建築総覧』には4F建てと記されていたが、側面の窓からすると5階建て。4階建てを増築したようにも見えなかった。
 上写真でビル側面に並ぶ自動販売機の右手にも建物の入口が見える。

 軒先のデザインは幾何学的なもの。その下の部分には草柄のレリーフがある。
 また、窓枠の多くは古くからのものだったようだ。

 建物北側(後方)から。麻雀店の入口はビル側面(北側)か、裏側(西側)だったようだ。

 同じ街区内には他に2棟(隣接の第一光和ビル、街区南角の3階建て(2008年までは中古カメラ店の大庭商会、その後は居酒屋・寿司店など))があったが、3棟は2014年後半にまとめて解体され、跡地には「ペルサ115」という一棟のビル(13F・B1F)が建設された。

堤第一ビル/新橋1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
昔の思い出 1990年ごろ新橋駅前にあったすごく古いビルのこと - 御光堂世界~Pulinの日記
4160 堤第一ビルディング解体へ | 龍的思考回路

Tokyo Lost Architecture  
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