都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

2007年7月 記事一覧

2007-07-31 | 記事一覧 
07/02 赤羽にて4(明店街とOK横丁)
07/04 赤羽にて5(赤羽1番街の共同建物)
07/08 岩淵水門(荒川の近代化遺産)
07/10 荒川ロックゲート(閘門式運河を体験する)
07/12 同潤会砂町普通住宅地(下町に残る戦前の計画的住宅地)
07/14 内幸町・ダイビル付近(東京新旧写真比較-No.13)
07/16 ぎふ屋(リニューアルされたたばこ屋)
07/18 神田神保町・11軒長屋(東京新旧写真比較-No.14)
07/20 霞が関ビル(東京新旧写真比較-No.15)
07/22 解体の現場(ソフィテル東京の解体状況)
07/24 地下鉄車内の取っ手のモンダイ(持ち方を強制する取っ手)
07/28 三色の電光表示板(地下鉄車内のLED)

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三色の電光表示板

2007-07-28 | Photolog

 なぜか電車シリーズ。今回は、LED表示板についてのトリビア的なネタ。

 電車の中や駅の構内には、行き先や発車時刻を表示する、電光表示板がある。

 たくさんの豆ランプで文字を作っているが、あの一つ一つは、LED(発光ダイオード)。そんなこと知ってるわいと思う方も多いかも。LEDは簡単に言えば光る半導体素子。電圧を受けると励起して発光するが、電球と違って、例えば赤色ダイオードは、素子自体が赤の波長だけを出して赤く光る。

 で、あれ、赤と黄緑とオレンジの三色のものが多いと思いませんか? 最近は赤やオレンジに加えて、白や青が表示される表示板もあるけど、昔からのタイプは圧倒的に、赤、黄緑、オレンジの三色。

 Wikipediaの「LED」の項で、応用の部分を見ると、

 「当初は輝度が小さかったため、電子機器の動作表示灯などの屋内用途に限られていたが、赤や緑の高輝度タイプのものが実用化されてからは、駅の行き先案内板など各種の屋外用ディスプレイにも使用されるようになった。さらに、高輝度の青色や白色の発光ダイオードが出回るようになってからは、競技場のスクリーンなど・・・中略・・・各種の照明にも利用されている。」

とある。

 赤や緑の高輝度タイプのものが市販されるようになったのは、1980年代だったと思う。当時、中学生だった私は、発売間もない高輝度LEDを使って、点滅発光する電子回路を造って喜んでいた。その頃は電子工作少年だったのさ。

 赤と黄緑は比較的早くから開発が進み、明るいものが量産化され価格が下がった。だから赤と黄緑を使った製品が増えた。では、赤と黄緑とオレンジの三色の表示板が多いのはなぜでしょう? なぜかしら? それは赤+黄緑=オレンジだからですっ。

案内表示板のLED Photo 2007.6.21

 写真は東西線車内の電光表示板。ドアの上部なので、近づいてよく見てみると、やっぱりオレンジ色に光ってるように見えるが、光る直前のやや暗いランプは、一つのランプの中で、赤と黄緑がそれぞれ光り始めている様子が分かる。オート露出だったので、うまく撮れなかったが、目で見ると、一つ一つのランプの中に、赤く光る素子と、黄緑に光る素子が別々にあることがちゃんとわかる。逆に言うと、オレンジに見えていてもオレンジの発光体はない。

 早くから開発されて安価になった赤と黄緑のLED。この二つの素子を合わせて封入し、一つにしたランプが地下鉄の電光表示板では使われている。赤い字を表示するときは赤の素子だけを光らせ、黄緑の文字なら黄緑の素子だけを光らせる。両方の素子を光らせるとオレンジの文字を表示することができるというわけ。 確かめてみたい人は、電車に乗った時に電光掲示板の文字をよく見てみてね。変な人だと思われることはまちがいないけど。

#鉄道
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地下鉄車内の取っ手のモンダイ

2007-07-24 | Photolog

 細かいことなんですが・・・。

Photo 2007.6.18 (Cllick:300*400(2枚とも))

 私は東京メトロ東西線を以前からよく利用している。東西線には東葉高速鉄道やJR総武線乗り入れの車輌も走っているので、いろんな車体に乗ることになるのだが、数年前から現れ始めた、新型車両がどうも気になる。

 Wikipediaで調べたら、昔の車体から現在の車体まで、細かくたくさん記述されていてクラクラしてしまったが、どうも営団05系電車というもので、その中でも13次車と呼ばれる最新型のモデルらしい(東葉高速鉄道の新しい車輌も同じようだ)。

 それでもって、気になっているのは、外観のデザインとか性能とかいう、鉄オタ系もしくは業界系のお話ではなくて、もっとチマチマしたドア際の取っ手のモンダイ。

 写真を見て頂くと、だいたい判っていただけるかと思うが、東西線の新しい車輌は、ドア際の取っ手が上から下まである一体的な形になっている。取っ手は棒ではなくて、カーブした板状のもの。座席側から指を突っ込んで握るようになっている。もちろん単なる板ではなくて、少々厚みがあり、エッジ部分が丸くなっているので、掴んだ手にはそこそこフィットする。

 だが最近、ある新聞の投書欄に、この地下鉄の取っ手についての意見が載っていた。

 身障者の方からの投書なのだが、ドアの脇に付いている取っ手の形が、新しいものになったら、著しく乗り降りに不自由を来すようになったという。私はその方を知るわけではないので、実際にどのように使いづらいのかは見ていない。だが、読んだときに、なんとなくさもありなんと納得した。実は、この取っ手、健常者にとっても、使い勝手が悪い。

 投書では、乗車するときに掴みにくいと書かれていた。健常者は乗車時にドア際の取っ手を掴むことはあまりないが、人によってはそれを掴んで乗る必要があるケースもあるだろう。そのとき、写真の取っ手は順手では掴めない。逆手にしないと外から乗り込むときに掴めないのだ。細かい話だが、こういう部分でも身障者は大きな不自由を感じる。

 さて、健常者の場合。走行中にドアの右側で外を向いて立って、取っ手を持とうとすると、右手の順手でなければ掴めない。荷物を持った手が疲れたので、持ち手を替えて左手で持とうとすると、逆手でなければ掴めない。反対にドアの左側に立った場合は、左手の順手でなければ掴めない。荷物や傘を持ってるので右手で掴みたいと思ったら、逆手にしないとダメ。もしくは車内方向を向いて、後ろ手に取っ手を掴むしかない。そんな変な持ち方をしたいやついるかよっ。

 取っ手が棒状でないので、掴む方向が限定されてしまっているのだ。持ち方を強制する取っ手、やなやつだ。このデザインをした人は、地下鉄の正しい乗り方を強制したいのだろうか? ドアのそばに立ったら、ドアの右側なら右手で、左側なら左手で取っ手を持ちなさいって。それはかなり余計なお世話だし、だいたい、朝夕の混み合う時間帯の実情を全然考慮していない。混んでる車内で不自然な立ち方をしながらも、なんとか取っ手を持ちたいと思ったときに、掴むことができない取っ手ってナニ? そんな取っ手は要らない。

 確かにデザインした感があって、ちょっと格好良く見える。車体製作上も手間が少し省けるらしい。でも使いにくい形を仕上げるのは「デザイン」じゃない。独りよがりの形を押しつけられてはたまらない。もっと自然に取っ手を掴ませてくれ!。だいたい、取っ手のつかみ方をあれこれ考えなければならなくなること自体、ヘンだ。

#鉄道 
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解体の現場

2007-07-22 | 台東区  

 不忍池の畔で超高層建物が解体されている。

解体中のソフィテル東京(旧法華クラブ、ホテルCOSIMA)
所在地:台東区池之端2-1
構造・階数:SRC・26F 高さ :110.2m
解体工事:2007.2~2008.5
Photo 2007.6.18

 2月から解体が始まったソフィテル東京の建物。1ヶ月ほど前に見たら、本格的な解体作業が始まっていて、建物全体に足場が組まれ、上部がシートで覆われていた。建物側面にはクレーンも立てられている。

 既に内部の什器、建具等は取り払われたのだろう。遠くから見ただけではよく分からないが、窓のサッシもなくなっているようだった。建物の外側に足場を造り、外壁パネルを取り外し、躯体だけにして解体を進めるのだろうか。

 しかしなんだか、かっこいい!!

 中国の建設現場みたいにも見える。日本では超高層ビルの建設時に、外側全部に足場を組むことはあまりないので、ビル全体を覆った足場の景色は、見たことのない迫力を出している。ただ、日に日に背が高くなるんじゃなくて、小さくなっていくわけなので、この姿もしばらくすると見られなくなるのだろうな。

過去の関連記事
ソフィテル東京(2007.2.10)
Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 台東区  #新しい建物 台東区  #高層ビル  #菊竹清訓 
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霞が関ビル

2007-07-20 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1981/2007) No.15 外堀通り西新橋1丁目の歩道橋から

高度経済成長期以降の昭和の時代に有名だった構図は最近になって激変した。

Photo 1981(ノーマル時)、Photo 2007.1.28(マウスオン
正面:霞が関ビル
所在地:千代田区霞が関3-2
建設年:1968(昭和43)
階数、高さ:36F、最高高さ156m・軒高147m

正面右側:霞が関コモンゲート東館・官庁棟
所在地:千代田区霞が関3-2
2007.9完成予定、2008.1使用開始予定
階数、高さ:33F、最高高さ156m

 御存知の通り、霞が関ビルは日本の100m超の超高層ビル第一号。1970年代に新宿に超高層ビル群が建設されるまでは、東京→超高層ビル→霞が関ビル、という連想で多くの出版物に写真が載った。その際、典型的な構図として、新橋駅ホーム上からか、この歩道橋からの写真が多用されている。たくさんの車が走る道の奥に、ドーンとひときわ高くそびえ立つ霞が関ビルは、東京の象徴的都市風景だった。

 ところがところが、最近になって、ひときわ高くドーンとそびえていたはずの霞が関ビルが、より大きなビルの陰に隠れてしまうという事態になった。これには正直驚いた。ああ〜、隠れちゃったぁ、構図が崩れちゃったぁ、という感じ。

 通りの延長線上にシンボリックな建物がドーンと建つ構図は、パリやロンドンといったバロック都市で意図的にしばしば使われていたもの。霞が関ビルの場合、政策的、計画的な意図は感じられないが、三井系の勢力が界隈を支配しているかのようなイメージを振りまくことにはなっていた。しかし文部科学省を含む再開発建物が、どけどけとばかりに一部を隠してしまい、遠近感を象徴的に利用した景観を崩してしまった。これまた嫌がらせとかいう意図は全然ないのだが、なんだか霞が関ビルが脇に追いやられてしまったような感じ。記念写真で真ん中に立っていたのに、後から来た人が前に割り込んでピースしちゃったみたいな・・・。

 ただ、逆の事件も発生していた。霞が関ビルの手前にあった虎ノ門ホールの建物がなくなって、霞が関ビルが足下まで見えるようになったのだ。サイドが隠れ、足下が見えるようになったので、結果的になんだかスリムになって背が高くなったような感じ。よもやそういう変化が起こるとは思っていなかったので、今回の変化はまさしく「想定外」なのだった。

 一方、外堀通り沿いの建物の様子は意外なほど変化していない。左側のGSという広告塔や水銀灯という看板は無くなったが、ジーエス・ユアサ バッテリーの会社はまだあるし、右奥の戸上電機の広告塔もそのまま。敢えて言うなら、81年時点では、沿道には2〜3階建て程度の古い家屋がところどころにあり、写真ではそこだけ櫛の歯が抜けたように見えていた。しかしその多くで、後に周辺と同規模の建物が建ち、今では立面がきれいに揃っている。外堀通り沿いの建物は、26年前の時点で既に大半が9階建て程度になっていたため、その後の変化は比較的少なかったようだ。

#東京新旧写真比較 千代田区  #街並み 千代田区  #高層ビル  #道 
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神田神保町・11軒長屋

2007-07-18 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1981/2007) No.14 千代田区神田神保町1丁目

神保町古書街の街並みも徐々に確実に変化していく。

Photo 1981(ノーマル時)、Photo 2007.1.28(マウスオン

 駿河台下交差点から靖国通りを少し西へ向かったところ、神保町古書街の一角にあった、ギャンブレル屋根3F建ての一連の建物。写真に写っているのは西側の7軒分。81年の時点で既に写真左方の2軒はファサードが改変されていたが、それでも構造体は木造のままで、建物構造としては連続した長屋状の建物になっていたようだ。

Photo 2005.3.25

 拙HP「Tokyo Lost Architecture」>「神保町の古書店」から転載。2005年3月末までは、西の三軒目から五軒目(奥野書店・四方堂・佐藤書店)が残っていた。その後、解体と建て替えが行われ、今回の撮影時には、1Fに珈琲店が入居する新しい建物が既に完成していた。

 81年当時は建物が連続していて、もとの11軒長屋が想像できた。しかし一連の建物も途中が分断され、当初の建物は少なくなった。往時の面影が次第に薄れ、昔の様子は想像しにくくなっている。

 ちなみに、左方の日本文芸社は、裏側の路地まで建物が繋がっており、1Fの喫茶店古瀬戸はどちらからも入れる構造になっている。

 また以前は、カメラを素直に構えると上の方にしっかり空が写り込んでいたが、2007年には同じ方向にカメラを向けると、ほとんど空が写らなくなってしまった。

 神保町の街並み写真については、ここにお店を構えるかばん屋さんのHPに昔の写真が掲載されているので、そちらも御覧頂きたい。

レオ マカラズヤ株式会社 > 神田写真館

 街の風景が次第に変わるというのは、ある程度やむを得ないことかもしれないが、変化する街並みに対して少なくとも関心を持つということが第一歩として必要なことのように思う。

ぼくの近代建築コレクション三鈴堂眼鏡店の長屋

Tokyo Lost Architecture  
#東京新旧写真比較 千代田区  #失われた建物 千代田区 
#古い建物 千代田区  #街並み 千代田区  #商業系 
#看板建築  #ギャンブレル屋根   ブログ内タグ一覧
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ぎふ屋

2007-07-16 | 中野区  

 「ぎふ屋」は西武新宿線の新井薬師前駅北口商店街にあるお店。

ぎふ屋
所在地:中野区上高田5-44
構造・階数:木2
Photo 2005.6.12

 もともとは昔ながらのたばこ屋さん。タバコが並ぶカウンターの奥に、昔は看板娘だったとおぼしきおばあちゃんが、テレビを見ながらのんびり座って、お客の相手をしていた。お客さんも年配の方が多く、あとは外回りの営業マンが訪れて100円ライターを買ったり。昔は店先の公衆電話もよく使われていたが、最近はあまり使っているところを見掛けなかった。お店前面の半分以上を自動販売機が覆ってしまっていて、ある意味、典型的な老朽化タバコ店だった。

 私がこの近辺に来た当初は、このぎふ屋の並びには他に何軒かのお店が建ち並んでいた。例えば、朝日生命はRCの二階建てだったが、店舗が統廃合されてなくなった。木造のライオン食堂というのもあったが、かなりくたびれた感じのまさしく食堂で、入ることがないままいつのまにか閉店。それからたしか履物屋さんもあった。

 街並みがパタパタと変化してしまったので、昔のことをすっかり忘れていたのだが、近所で話をしている内に、急に当時の景色が甦ってきて、自分でもかなりビックリした。でもその頃の写真、全然撮ってなかったなぁ。

 いつのまにか周囲のお店が無くなり、その跡地は東亜学園の敷地に取り込まれ、数年前には学校の校舎が建て替えられて周囲の様子は一変した。道路沿いに一軒だけ残ったぎふ屋も、周囲を学校に取り囲まれる結果になり、早晩無くなるかと思われた。ところがそうはならず、このお店は営業を続けたのだった。

 さて、今年の3月頃に、お店の改装をするという貼り紙が出たので、ふーん、改装ねぇ、いったいどうするんだろ? ピンとこないなぁと、やや不思議に思っていた。改装なので建て替えではない。他のお店になるわけでもなさそう。自販機だけにして無人化しちゃったりするのかしら、さてさて・・・。

 ところが、4月下旬にふと見ると、おりょっ! それは何?! で、俄然気になりだした。GW明けにどうやら改装が完了して営業再開。あーっと驚くリニューアル~!

Photo (左)2007.5.27、(右)2007.7.8(390*520pix)

 改装というのは、「三丁目の夕日」的な、昭和30年代系レトロ化リフォームだった。2Fの戸袋には金鳥とキンチョールの大きなホーロー看板。その他にもいくつかの看板を新規に設置。近所の人の話だと、この調達には結構苦労したんだそうだ。建物の左側には井戸のポンプが飾ってある(機能していないけど)。しょぼかったビニールの庇もやめてしまって、小ぎれいな看板が付いた。庇の亜鉛引き波トタンが銀色に輝いて眩しい。昔風の裸電球の照明も可愛らしい。

 自動販売機は片隅だけになり、店内にも入れるようになった。タバココーナーは左のカウンター周辺のみ。右側や奥の方は、木製の作りつけの棚に、レトログッズや駄菓子類がズラッと並ぶ。電球の照明も明るく、なかなか面白い雰囲気。

Photo 2007.5.21

 なんでも、代が替わって、息子さん夫婦が一計を案じて、昔風の店構えに換えたのだそうだ。どうなるかと思ってしばらく様子を見ていたが、毎日、多くのお客さんが立ち寄っている。塾帰りのがきんちょだけでなく、中高生やら大学生やら、更には昔を懐かしむ30~40代のお父さん、子供を連れたお母さん。土日などは、結構ひっきりなしにお客さんが出入りしている。

 昔の本当の駄菓子屋さんやタバコ屋さんとは、微妙にディテールやボロさ加減が異なるような気がするが、最近のお店にはない風情があって、意外に良いというか面白いのではないだろうか。何よりも、これが映画の中やテーマパークの中での話ではなく、実際の街角にあるところが嬉しい。お店がなくなって塀が続くだけの商店街はなんだか寂しい。一軒だけになったけど、ぎふ屋には続いて欲しいものだ。

#古い建物 中野区  #夕景・夜景  #看板建築 
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内幸町・ダイビル付近

2007-07-14 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1981/2007) No.13 千代田区内幸町1丁目

歩道の様子はほとんど変わらなかったが、道の向こう側の景色は大きく変化していた。

Photo 1981(ノーマル時)、Photo 2007.1.28(マウスオン

 写真の左側は現 みずほ銀行(当時は第一勧業銀行本店)。第一勧銀のビル(32F・140m、1980年築)は、81年当時はまだ新築されたばかり。そんなわけで、外構部や歩道上の樹木も植えられたばかりで、皆、こもが巻かれている。26年が経ち、樹木はそれなりに立派に育った。

 道の向こう側に建っているのは。大阪ビル東京分館の一、二号館。藤森照信氏の東京建築探偵団による「建築探偵術入門」(文春文庫ビジュアル版・1986)に、「壁面上部にテラコッタ製のブタが並ぶビル」と紹介されていて、一度見たいと思っていたのだが、訪れる前に解体され、建て替えられてしまった。同書によると、一号館は1927年築で1986年に解体。一方、二号館は1931年築で、一号館解体の後にこちらも解体されたのだという。ちなみにブタくんは、現在は公開空地内に造られた壁に取り付けられている。

 スクラッチタイルとおぼしきタイル貼りの真ん中に大きなアーチ型玄関が付く。オフィス街らしいモダンな街並みを創る建物だったのだなぁと思う。現在は横連窓でツライチ(面一:表面に凹凸がないこと)の建物になった。ビルの模型を造るときには楽チンだとは思うけど、立体感がなく、陰影に乏しい単純な壁面で、あまり手間が掛かっていないみたいで、なんか物足りない感じの建物だなぁと思う。

 樹木に隠れている後方の建物も、建て替えられてできた建物。土地の権利関係が別々である建物の公開空地を持ち寄って、公開空地相互が自然に繋がったデザインとなっている。90年頃の新ビル建設当時はそういうものが珍しかったので、ちょっと話題になった。公開空地とかの敷地内空間の質は向上したかもしれないけれど、通り側の壁面の様子はやや退屈になってしまった。

 さて、細かい点に目を移すと、郵便ポストが新しいものに取り替えられている。ポストなんて箱なんだから、交換する必要はあったのかなぁ? 箱の容量が増えているわけでもなさそうだし。

 あと、歩道に点字ブロックが設置された。考えてみれば私が小さい頃はそういうものは全くなかったし、あってもごくわずかな場所だけだった。いつのまにか全国どこへ行っても、街中にはこういうのがちゃんと設置されるようになったものだなと思う。

 ところで、実は、海外でこういう点字ブロックをほとんど見たことがない。パリでもベルリンでも、ロンドンでも見た記憶がないし、手持ちの写真を見ても写っている写真がない。これって日本オリジナルのものなのだろうか? 障害者対策はヨーロッパの方が進んでいると思っていたのだが、これはどういうことなのだろう? 交差点の信号がピヨピヨいって音を出しているのも、海外ではお目に掛かった記憶がない。単に私が忘れているだけなのか、それともやっぱり海外にはこういうものがないのか。日本は進んでいるのか、遅れているのか? それとも独自の道を歩んでいるのか・・・。

#東京新旧写真比較 千代田区  #失われた建物 千代田区  #街並み 千代田区
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同潤会砂町普通住宅地

2007-07-12 | 江東区  

 小松川リバーステーションで下船した後、ついでに東砂へ。Photo 2007.6.25

 あまり知られていないことだが、江東区東砂3丁目の一部はもともと、同潤会の砂町普通住宅地だったところ。あまりこの地域には行く機会がなかったので、私も今回が初めての訪問。

 地区に入った途端に、そこが計画的にデザインされた敷地割りであったことが分かる。わざと少しカーブさせて全てが見通せないようにした街路。建物が建て詰まってはいるが、通りの幅はそこそこあって、細街路がある密集市街地ではない。もちろん最近の施工なのだろうが、なぜかこの地区内だけインターロッキングブロック舗装になっているのも、ここの住宅地が他とは少々異なることを示している。

 同潤会の普通住宅地は、郊外に造られた木造長屋形式の住宅地だそうだ。赤羽や十条のものが比較的よく知られていて、規模も大きい。東砂のそれは規模は小さいが、他の普通住宅地同様、地区の中程にメイン道路があり、小公園や集会所などが配され、郊外に最初から一つの町として計画されていたことが分かる。戦前に造られたこれらの資産のおかげで、現在も比較的整った住宅地となっているのが興味深い。

 地区内を適当に歩いていたら、何軒か古い建物を見かけた。このお家は側面を見ると、増築されたことが分かる。赤羽や十条の木造長屋型建物は、もともとは断面が凸の字型だったそうで、2階部分の奥行き(幅)が小さい。写真の建物も2階の屋根が当初は小さかったようで、そこに緩い傾斜の屋根を持つ道路際部分の2階を増築したのではないかと思われる。小さな屋根の傾斜の具合や大きさが、赤羽や十条のそれとかなり似ているので、もしかするとこの建物は、戦前の生き残りなのかも知れない。聞き取りをしたり、資料を細かく確認したわけではないので、憶測なのだが、気になる建物だ。

 引率していた関係で、あまり写真を撮ったりすることができなかったのが残念。メイン道路の南側も、行かずじまいになってしまったので、近日中にもう一度じっくり街を見てみたい。

#古い建物 江東区  #街並み 江東区  #同潤会 
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荒川ロックゲート

2007-07-10 | 江東区  

 岩淵で乗船してから1時間半弱で、江戸川区小松川と江東区東砂の境にある荒川ロックゲートに到着。

荒川ロックゲート
建設年:2005(平成17)
Photo 2007.6.25

 船に乗ったまま、ロックゲートを通過して、いちど旧中川に入り、Uターンしてもう一度ゲートを通過。その後、小松川リバーステーションで下船。

 荒川ロックゲートは、パナマ運河とかにあるのと同じ閘門と呼ばれるもの。水位の異なる二つの水域をつなぐもので、水門を開閉して水位を調節し、通過する船を昇降させる。ここのゲートは仕切り板が上下するタイプ。船が閘室と呼ばれる写真のゾーンに入ると、数分で水位が上下して通過することができる。

 全国には何カ所かにこのようなものがあるようなのだが、舟運が昔のように盛んではないので、新築されるものは少ない。そんな中で最近建設された荒川ロックゲートは、もちろん防災や利水目的なのだが、観光施設的なものでもある。東京で運河を上り下りする体験なんてかなり珍しい、というわけで、実は知る人ぞ知る場所らしい。

 御覧の通り、両側は階段状になっていて、見学スペースになっている。普段は入れないのが残念だが、ゲート上の通路からも船の通過が見学できる。今回は乗船したまま通ってしまったので、外からは見ることができなかった。船に乗って閘門を通るのは得難い体験なのでそれはそれでよいのだが、一方で、船が通るさまを岸からも見てみたかった。

 さて、江戸は舟運が発達した都市で、銚子の方から川伝いに内陸を通って江戸に物資がもたらされたという。利根川を利用して、もっと内陸の方とも物資のやりとりがあったそうだ。東武東上線の川越の一つ手前に新河岸という駅があるが、まさに河岸があったわけで、昔の様子がしのばれる。人々も日常的に船を使って往来していたが、現在、東京で船に乗ることは日常ではないし、運河や川を行き来するレジャー船を見る機会もそうは多くない。

 ヨーロッパでは意外に内水面の交通が残っていて、昔、造られた運河がまだ結構使われている。物流だけでなく、観光でも運河は利用されていて、狭い運河でも通れるナローボートという細身の平底船に乗って、のんびりバカンスを楽しんだりするらしい。内陸都市であるパリ市内にも、セーヌ川とは別に運河があって、毎日のように沢山の船が閘門を利用して行き来している。数年前に訪れたときも、次々に船がやってきては閘門を開け閉めして通過していた。運河が日常に近いので、閘門も特別な風景というわけではないようで、荒川ロックゲートにある見学スペースなどというたいそうなものは全くない。行ってみると、えっこれか・・・、という素っ気なさ。設備としても古いので、幅も長さも大したことはない。だが、次から次へテキパキと船を行き来させているのは、とても楽しく、見ていて飽きなかった。

 そう思っていたら、ちょうど下記Blogで、オックスフォードの運河の様子がレポートされていた。こちらも大げさな運河でなく、身近な感じなのがいい。

Kai-Wai 散策 > オックスフォード便り(11)

 こういうのを見ると、荒川ロックゲートの方は、国のお金をふんだんに使って、立派なのを造り過ぎたんじゃねぇの?、という気がしてくる。もちろん、新しく造るんだから大きな船でも通れるように、というのは分かるし、防災的な位置づけも異なるわけだけど、タワー付きの昇降ゲートのスピードがとても速いとかいうのは、そんなに必要だったのか? 一日に何隻が使っているか知らないが、利用数がさほど多くないわりに贅沢なんじゃないのと思う。仰々しくなく、もう少し、さらっとしたほうが、街に馴染むのではないかと思うのだが・・・。新しくて立派なゲートを見て、若干の違和感を感じたのだった。

荒川ロックゲート
#新しい建物 江東区  #海・川・池 
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