都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

2021年8月 記事一覧

2021-08-31 | 記事一覧 

08/01 カトリック清水教会1 外観
08/04 カトリック清水教会2 内部
08/07 龍華寺
08/10 日本平夢テラス
08/13 ミユキ銀座・北街道側
08/16 いわらや本店
08/19 ミユキ銀座・伝馬町通り側
08/22 新静岡センター南側の道沿い
08/25 駿府城 巽櫓
08/28 トップセンタービル(旧メディアシティ静岡)
08/31 巴川製紙所 清水事業所

タグ一覧  静岡の建築  静岡の街並み

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巴川製紙所 清水事業所

2021-08-31 | 静岡県  
巴川製紙所 清水事業所
所在地:静岡市清水区入江1-3
建設年:大正〜戦前?
解体年:2002〜07?
Photo 1995.5.7

 巴川製紙所は1914(大正3)年にこの場所で創設された会社。建物が創設当初からのものかは分からないが、戦後すぐの頃の航空写真にこの建物と思われるものが既に写っているので、戦前の建物だったのではないかと思う。

 手前の水面は巴川で、手前から奥へ向かって流れている。河口に近い下流域なので流れは緩やか。左端の橋は1929(昭和4)年架橋の柳橋で、恐らくRC造の桁橋。その奥に東海道線の緑色のトラス橋が重なって見えている。

 建物は東西に長い平屋で、中央と両端は少し背が高く2階建てだった。写真では分からないが、中央部の2階上の壁面には「巴」の字を○で囲んだマークが掲げられている。工場建築なので装飾はほとんどないが、長い壁面に丸柱が並ぶ姿だったようだ。

 同社のWebsiteを見たところ、耐震性の調査を2002年から始め、耐震補強などのため2007年までに古い建物の除却や建て替えを行ったようだ。従って、この写真の数年後に工場建物は現在のものに建て替えられたらしい。

会社沿革 | TOMOEGAWA
巴川製紙所 - Wikipedia

Site Y.M. 建築・都市徘徊静岡の建築
#失われた建物 静岡県  #工場  #海・川・池  #橋 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トップセンタービル(旧メディアシティ静岡)

2021-08-28 | 静岡県  
メディアシティ静岡 吹き抜け
メディアシティ静岡 吹き抜け
所在地:静岡市葵区 伝馬町8
建設年:1994(平成6)
構造 :SRC
階数 :14F・B2F・RF
高さ :78.6m
備考 :現在の名称はトップセンタービル
Photo 1995.1.3

 現在はメガネトップの本社で同社所有だが、完成当初はテレビ静岡の所有でメディアシティ静岡という名だった。
 バブル期に計画された建物でもあり、下層階には吹き抜けがあった。物珍しさもあったので竣工後に訪れてみたら、この時は自動車の展示が行われていた。ただ、申し訳ないが最初からあまり賑わっている雰囲気ではなかったことが記憶に残っている。

 メガネトップの所有になってからは建物内に入ったことがないので、現在も吹き抜けがあるかどうかは知らず。

トップセンタービル
 トップセンタービル、新静岡センターバスターミナルから
 Photo 2009.2.8

 市内の高層ビルとしては初期のものだが、敷地がさほど広くないので、かなり細くロケット型の建物になっている。

トップセンタービル
 トップセンタービル、伝馬町通りから
 Photo 2009.2.8

トップセンタービル - Wikipedia

静岡の建築
#新しい建物 静岡県  #商業系  #オフィス 
#高層ビル  #吹き抜け・アトリウム 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駿府城 巽櫓

2021-08-25 | 静岡県  
建設中の駿府城巽櫓
駿府城 巽櫓
所在地:静岡市葵区 駿府城公園
建設年:1989(平成元)
構造・階数:木造・二重三階
Photo 1988.3.1

 市政100周年を記念して1989年に復元された櫓。写真は建設のために外側に足場を組んだ頃の様子。

 駿府城は徳川家康が大御所として晩年を過ごした城だが、明治以降、歩兵連隊が置かれたりしたため、江戸期の城の建物は全て除却されてしまい、内堀も全て埋められてしまった。戦後は駿府公園(現在は駿府城公園)として市民に親しまれているが、徳川家康が住んでいたのに城の建物が一つもないのはさびしい状態だった。


 Photo 1989.3.28

 巽櫓は1638(寛永15)年に再建されたものが長く存在していたが、幕末近くの安政地震によって全壊したと考えられているという。復元にあたっては、往時の指図などをもとに出来るだけ正確な形での再建を行なったそうだ。静岡で生まれ育った者としては、その建設は気になることで、隅櫓が一つできただけでも、見栄えのする城の建物がようやくできたと嬉しかったものだった。


 Photo 1989.3.28

 駿府城公園のWebsiteによれば、L字型の平面の櫓は全国の城でも例の少ないものだそうで、駿府城の櫓の中でも防御機能に優れた櫓だったという。

 この後、1996年に東御門が写真左側に復元され、巽櫓と一体的な姿を見せることになったため、巽櫓が単独で建っていたのは数年間。なので巽櫓単独の写真は手元にはこの2枚しかない。夕方で逆光だったから撮らなかったのかもしれないが、L字形の建物の角の外側から撮らなかったのが悔やまれる。

東御門・巽櫓 - 【公式】駿府城公園

静岡の建築
#新しい建物 静岡県  #公園  #城・宮殿 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新静岡センター南側

2021-08-22 | 静岡県  
新静岡センター南側の一角
所在地:静岡市葵区御幸町3
構造・階数:木造・2F
Photo 1995.4.15

 新静岡センター(現セノバ)の南側の道沿い、静鉄タクシーの乗り場近くの様子。新静岡センターの建て替え後は、この道を路線バスも通るようになった。

 写真の建物群はこの少し後に全て解体され、ペガサートという複合高層ビルになっている。
 何方の所有だったかなどは知らないが、朽ちかけた土蔵が印象的だった。また、画像内のラーメン店(駿河らーめんフジメン)とカレー店(CBカレー)は、この再開発ビルに入居した(CBカレーはその後、閉店)。

 20年ほど前まで市街地中心部にこのような土蔵が残されていたのはちょっと驚きでもある。

静岡の建築  静岡の街並み
#失われた建物 静岡県  #街並み 静岡県 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミユキ銀座・伝馬町通り側

2021-08-19 | 静岡県  
伝馬町通り・江川町交差点付近
所在地:静岡市葵区御幸町3
構造・階数:木造・2F
Photo 1995.4.15

 写真は伝馬町通り側のかつての様子。こちら側までミユキ銀座と呼ばれていたかどうか分からないが、一連の店舗群は北街道側の店舗群から角を挟んでつながるように並んでいた。

 手もとに1974(昭和49)年の住宅地図があるが、上の写真とは20年の時間差があるので、多くの店が入れ替わっている。1974年と変わっていないのは、理容クニナカとその右隣の中村印舗。他も建物はそれなりに古いものだったのではないだろうか。

 奥に側面が見えているホテルシティオまでの一連の建物は全て解体され、2000(平成12)年から御幸町伝馬町第一地区第一種市街地再開発事業が行われ、2004(平成16)年にペガサートビルが竣工している。

静岡の建築  静岡の街並み
#失われた建物 静岡県  #街並み 静岡県  #商業系  #看板建築  #旧東海道 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いわらや本店

2021-08-16 | 静岡県  
いわらや本店
所在地:静岡市葵区御幸町3
階数 :4F
Photo 2000.11.1

 北街道沿い、新静岡センター南側の一角。現在は再開発ビルのペガサート(2004年竣工)が建っている場所。

 街中の学校に通っていたので、この界隈はしばしば通っていたはずだが、あまり記憶はない。子供の頃でここで買い物をしたりしなかったからだろう。改めて写真を拡大してみると、いわらや本店は和菓子などを扱う店だったようだ。
 ただ「いわらや」という店名は気になっていた。井原屋だったのだろうか?、お店と縁がなかったのでその辺はいまだに知らないままだ。なお、いわらやは現在も鷹匠1丁目にあり、営業を続けている。

 個人的には、上階の窓が外壁に細かく配されたルーバーで隠されていたのが印象的だった。奥行きがあまりない、薄い建物だったことも記憶に残っている。


 Photo 1995.4.15

 地下があったのだろうか。いわらやの左に青い庇があり、「こーひーるーむ潤」と書かれている。また、2階には「OZ-ONE」という美容室があり、3階には「上野美顔センター」が入居していた。4階もなんらかの店舗だったようだが、左端の看板は読めず。

 再開発事業を行うことになり、2001年頃、奥のミユキ銀座などと共にこのビルは解体された。

静岡の建築  静岡の街並み
#失われた建物 静岡県  #街並み 静岡県  #商業系 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミユキ銀座・北街道側

2021-08-13 | 静岡県  
所在地:静岡市葵区御幸町3
構造・階数:木造・2F
Photo 1995.4.15

 歩道部分にアーケードが架かった片側商店街。今回、写真を拡大してみて初めて、ミユキ銀座という名だったことを知った。


 ミユキ銀座 北街道側  Photo 2000.11.1

 再開発直前の段階でどのような店舗があったのか、正確なところは把握していないが、写真を見る限りこの時点でもいくつかの店は営業していたようだ。
 少し年代が異なるが、1974年の住宅地図で見てみると、左端は石谷タバコ店(自販機のみが見えている)。ひとつおいて黄色の看板は新勝園(肉まん・餃子)、右端は袋物店(「天狗や」?)。


 ミユキ銀座 北街道側  Photo 2000.11.1

 上写真の右端からの続きで、左端は袋物店、その右は洋品店(「デューラー」?)、写真中央は浅井屋(食堂か居酒屋)、その右は保手伊屋(食堂)、右端は不明。江川町交差点の角から伝馬町通りに入った側にも店舗は並んでいた(この部分についてはまた後日)。

 この一角では、2000(平成12)年から御幸町伝馬町第一地区第一種市街地再開発事業が行われ、2004(平成16)年にペガサートビルが竣工した。

静岡の建築
#失われた建物 静岡県  #街並み 静岡県  #商業系  #看板建築
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本平夢テラス

2021-08-10 | 静岡県  

 日本平デジタルタワーの周囲に造られたドーナツ状の屋外展望回廊と、3階建ての展望展示施設。
 ベースとなる構造は鉄骨造だが、内装などに県産木材が多用されている。竣工の約2ヶ月後に訪れたので、木はまだ真新しい感じだった。屋外のデッキ部分は雨ざらしなので、3年弱が経過した現在はもう少し渋い色合いになっているかもしれない。

日本平夢テラス
所在地:静岡市清水区草薙600-1
構造 :S造(木材で化粧)
設計 :隈研吾
建設年:2018
Photo 2019.1.7

 展示・展望施設の3階から、テレビの送信塔の周囲に造られたデッキへ行くことができる。木造っぽく見えるが、建物を支える構造としては鉄骨造。 深い庇を支えている部分は木製のようだった。


 展望施設、軒庇を支える木組み

 たぶん在来の工法で組んでいるのではないかと思うのだが、そのへんの解説はぱっと見では見当たらなかった。そのあたりをアピールしても良いのにと、ちょと思う。


 展示施設外部のベランダ

 左中央にうっすら富士山が見えているが、静岡のお正月は暖かいので、午後は既に春霞のような状態。


 展望デッキ、下からの見上げ

 太い二本の鋼材を中心とした井桁が渡されていて、その上下に木材が組まれている。素人目には木造っぽく見えてしまうが、木造的に見える化粧木組みとでも言うべきか。 ボルトや釘の類は使わずに組んでいるようだ。

 展望回廊を地上から見上げる。 ロープウェイ前の駐車場からアクセスすると、展望回廊を下から見上げながら施設へ接近することになるので、回廊の裏側のお化粧も大事、ということなんだろうな。


 展望回廊の木製柵

 ここでも釘やボルトはほとんど使われていないようだ。


 展示・展望施設内部、3階。

 中央は吹き抜けの階段スペースになっている。 この部分も角材が複雑に組まれていておもしろい。 周囲の鉄骨柱で建物は支持されているが、それに木の小屋組を載せているようだ。


 駐車場から日本平デジタルタワー

 以前は在静各テレビ局の送信塔がそれぞれに建っていたが、地デジ化に際して一元化され、一本の大型鉄塔に替わった。大きくてシンボリックだけれど、昔の様子を知ってる者としては、塔が一つだけだとちょっともの足りなかったりもする。


 展望回廊部分

 右端にデジタルタワー(TV送信塔)のパラボラがちょっと見えている。武骨な塔の側は木製ルーバーで視線を遮り、周囲を見渡せるようになっている。 デッキの床面も木材(木質プラスチック?)のようだったが、このあたり、経年変化でどうなっていくだろうか。渋くなっていくならそれはそれで良いのだけれど。


 展示施設内部

 階段にも角材が使われているが、このスタイルの階段が角材だけで支持できるハズがないので、見えないところに鉄骨を入れて支えているのだろう。


 横山大観の『群青富士』をベースにして造られたステンドグラス


 2階ラウンジ

 この日はあいにく雲が少し掛かっていたが、お天気なら正面に富士山と駿河湾・清水港が見える。

日本平夢テラス
静岡の建築
#新しい建物 静岡県  #眺望  #山  #塔  #橋  #現代建築 
#屋内階段  #隈研吾 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

龍華寺

2021-08-07 | 静岡県  

 観富山龍華寺は、日本平の東側斜面にあり、富士山の景色が良いことで知られる。だから山号が観富山。 また、大蘇鉄と大サボテンがあるお寺で、高山樗牛(ちょぎゅう)の墓があるお寺。昔から知ってるお寺だけれど、高山樗牛って誰?状態。で約30年ぶりに訪れてみた。

観富山龍華寺
所在地:静岡市清水区村松
構造 :木
創建年:1670(寛文10)
Photo 2019.1.7

 八脚の山門。境内の背後は日本平の山


 茅葺きの本堂は江戸時代のもの


 本堂と南側の庭園


 本堂内部


 2003年に完成した祖師堂

 日蓮宗のお寺では、日蓮を祀る祖師堂が本堂より立派なことがしばしばある


 祖師堂内部

 本堂が比較的おとなしく比較的穏やかな空間であるのに対して、祖師堂はきらびやか。


 祖師堂の格天井


 大蘇鉄

 境内にある大蘇鉄は国指定の天然記念物。 江戸時代前半の創建時に中国からもたらされたものといい、いくつもの株に分かれて大きく広がっている。


 裏山の中腹にある七面堂へ向かう階段


 七面堂前の階段から本堂と清水市内

 現在は建物に遮られてあまり見えないが、今でも清水港や三保、駿河湾が建物の間から見えている。


 本堂裏の丘から、祖師堂と清水市内

 左遠方には雲が掛かった富士山がぼんやり見えていた。


 高山樗牛の墓

 高山樗牛(たかやまちょぎゅう、1871ー1902(明治4ー35))は明治時代の文芸評論家、思想家。山形の人で、東大の講師をしたが、結核のためわずか31才で亡くなったという。
 静岡に住んだりした人ではないが、晩年、日蓮の教義を研究した関係でこの寺を訪れ、境内からの富士の景色に感銘を受け、没後ここに埋葬されることを望んだという。胸像は現在も寺の裏山の高台から富士を望んでいる。

龍華寺|清水|日蓮宗|

静岡の建築
#古い建物 静岡県  #寺院  #階段・坂 静岡県 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする