都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

ジュネス順心

2022-01-18 | 渋谷区  
ジュネス順心
所在地:渋谷区 桜丘町8-4
構造・階数:木・3
建設年:1938(昭和13)
解体年:2019(平成31)
備考 :渋谷駅桜丘口地区市街地再開発に伴い解体
Photo 2017.12.27

 下記リンク先の記事などによると、もともと東南アジアからの留学生のための学生寮として建てられたもので、イタリア人が設計したという。1962(昭和37)にここを購入したオーナーが、1階を自宅として、2・3階を単身者向けの賃貸アパート(14戸)とし、このオーナーが最後まで建物を所有していたという。

 建築当初は中央の玄関が前に張り出した姿で、その両側から階段で上がれるようになっていたのではないかと思われる。北側(写真奥)の丸窓のある部分は、改築によるもののようだが、ここも一部は当初からなにかがあったようだ。

 この丸窓の部分は階段室だったのだろうか。最下部の扉は勝手口だったのかもしれないが、見学させて貰ったりはしていないので詳細は不明。

 10段ほどのアプローチ階段を上ると玄関。アーチ型の張り出しがちょっとお洒落。奥の方は影になって見えづらいが木製扉があったようだ。また入口わきにはステンドグラスが嵌った丸窓があったようだ。せっかくだからもう少し入口まで行って見ておけば良かった。


 南側から

 軒庇は銅板張り? コーナー部は赤いトタン?が張ってありアクセントになっていた。


 北側から

 隣地も擁壁が道路沿いまで来ていてその上も斜面になっており、傾斜地に建てられたことが分かる。

 この界隈一帯では、現在、渋谷駅桜丘口地区市街地再開発が行われており、周辺の建物は皆取り壊された。ジュネス順心も、2018年10月で借家契約が終了し借家人が退去。2019年1月には周辺を含めて立入ができなくなり、周辺の他の建物と共に解体された。渋谷界隈では珍しい古いアパートだったこともあり、ネット上では多くの人が解体を惜しんでいる。

桜丘町の築80年・レトロモダンな木造アパート、解体迫る 地区再開発に向け - シブヤ経済新聞
Twitter > 最後の住人

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 渋谷区  #近代建築  #住宅系  #集合住宅 
タグ一覧
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京回教徒学校(トルコ共和国大使館文化部)

2022-01-15 | 渋谷区  
東京回教徒学校(トルコ共和国大使館文化部)
所在地:渋谷区 大山町1-19
構造・階数:木・2
建設年:1938(昭和13)
解体年:2016〜17(平成28〜29)
Photo 2013.10.28

 東京ジャーミィのすぐ隣にあった木造の洋風建物。
 『日本近代建築総覧』では、「東京回教徒学校」という建物がこの場所にあることになっていたが、2000年代の住宅地図では「トルコ共和国大使館文化部」となっていて、2つが同一の建物だったのかどうか確証はない。ただ現地で該当しそうな建物はこれだけだった。

 木造2階、瓦屋根で、1階は洋風の下見板張り。2階は白く塗られていた。
 洋風の持ち送りで支えられた庇も付いていたが、大きな窓が並ぶ姿は木造校舎のようで、大使館の文化部というよりやはり回教徒学校だったのだろうなと思わせる建物だった。

 妻側2階の窓の上にはアーチが描かれていて、洋風のイメージを創っていた。

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 渋谷区  #近代建築  #学校  #オフィス  タグ一覧
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

K邸

2022-01-12 | 渋谷区  
K邸
所在地:渋谷区 神宮前6-33
構造・階数:木・3
建設年:1925(大正14)
解体年:1996(平成8)
Photo 1995.2.1

 25年ほど前に神宮前界隈を歩いていてなにげなく撮った洋館。『日本近代建築総覧』にも掲載されている建物らしかったのだが、撮影時に場所をしっかり記録しなかったため、この建物が同書のリストに載ったものだったのかどうか実は確証がない。ただ、Googleストリートビューで確認したところ、周辺の建物との兼ね合いでこの住所の写真ではないかと考えている。『日本近代建築総覧』には氏名も記されているが、一応K邸としておく。

 車のそばの屋根は門だったのだろうか? 屋根が主屋と繋がっているように見える。或いは主屋の玄関庇の下に潜り込んだ、車寄せもしくは車寄せを兼ねた門だったのかもしれない。そう考えるとなんだかおもしろいつくりだ。

 主屋の方は大きな切妻屋根が架かった屋根裏3階。間口は大きいわけではないが高さのある住宅だった。

 写真の壁は1枚目の付近で撮ったものだが、撮影時の記憶が曖昧でK邸のものだったかどうかは不明。漆喰もしくはモルタルで青海波のような模様を付けている。

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 渋谷区  #住宅系  #戸建て住宅  #洋館・洋風住宅 
タグ一覧
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水無橋

2020-11-25 | 渋谷区  
水無橋
所在地:渋谷区神宮前6丁目
構造 :鉄
建設年:1883(明治16)
解体年:2006(平成18).3
Photo 1989.5.3

 原宿駅前、代々木体育館東側の山手線に架かっていた鉄橋。1883年に日本鉄道品川線が通された際に切通しが建設され、上写真の橋はこのときに架設されたものらしい。

 Y字形の橋脚はレールを曲げたもので、これをアングル材でつなげたり補強して造られていた。4径間で、中央の2径間部分に山手線と埼京線(山手貨物線)が通っている。

 120年あまり利用されていたが、2006年3月に現在の橋に架け替えられた。現在のものは途中の橋脚がない桁橋。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 渋谷区  #橋  #鉄道 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

代々木会館

2020-03-06 | 渋谷区  
代々木会館
所在地:渋谷区 代々木1-35
構造 :RC+S(6FまではRC造、7・8FはS造)
階数 :6+R2+B
建築年:1964(昭和39)
解体年:2019(平成31)
Photo 2017.8.27

 代々木駅西口のすぐそばで、昨年まで半ば廃墟状態で残っていたビル。70年代の某ドラマのロケ地としても知られた建物だった。

 築50年ほどだったがメンテナンスされていなかったようで老朽化が激しく、以前から取り壊しの噂があった。権利関係が複雑だったのか長いあいだ放置状態になっていたが、昨年、とうとう解体された。

 南側角。パチンコのネオンサインがあり、矢印がB1の文字を指している。昔から知っている建物ではないので、このパチンコ屋がいつ頃まであったのかは知らない。右手に地下への階段があったのかもしれないが、撮影時、既に建物の大半が封鎖されていたのでそちらへは踏み込まず。

 2階は飲食街だったが、この時点でほとんどが立ち退いていたようだった。

 ちょっと階段を覗いてみた。玄関扉が開いているので立入禁止ではないのだが、独特な雰囲気に気圧されて、上階へ上ることもなくそのまま帰って来てしまった。解体直前まで中国関係の書籍を扱う東豊書店という店が営業していたそうなので、実はこの時も、上へ上がればお店が開いていたのかもしれない。

 撮影時、近辺は外国人旅行者が非常に多かった。明治神宮や代々木公園、新宿が近いからだったのだろうか。

 半ば廃墟化した後に建て替えに至った詳しい事情を知らないのでなんとも言えないが、恐らく部屋が個別に分譲されていて、所有者が分からなかったり、同意を取り付けるのが大変だったのではないかと思う。都心の雑居ビルの中にはこれに近いものも実は多く存在しているのかもしれない。半ば廃墟のような状態で推移する建物が今後増加する可能性もあるのではないだろうか。

 廃墟ファンとかは喜ぶかもしれないが、一般の人々にとっては好ましくない展開。例外的に存在し、稀少だから珍しがられもするし興味深いが、これが多発すると治安上もまずい。それを防ぐにはやはり法制度を見直して建て替えのハードルを下げることが必要なのだろうか。専門家ではないのでそのあたりはよく分からないが気になるところだ。

 ただ一方で、なんでもかんでもどんどん壊して建て替えてきれいにしろというのはちょっと乱暴だろう。スクラップ&ビルドではなく長期的に使っていくことが求められる時代なので、できれば修繕して使い続けて欲しい。その中で、そうでないものが稀にある、という程度が自然なのかもしれない。

 ところで、内部についてはこの時点で既に大半が立入不可だったので、私は全く知りません。上記ドラマのロケ地がらみでの記載も多いので、御関心のある方は下記リンクや、建物名で検索して頂ければ。

Wikipedia > 代々木会館
代々木会館巡礼/「傷だらけの天使」を探して
中国研究者に愛された代々木の老舗書店が閉店 90歳店主が残したもの

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 渋谷区  #商業系  #モダニズム 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同潤会代官山アパートメント

2019-02-14 | 渋谷区  

 同潤会代官山アパートは、代官山駅から見上げる形の丘の上に建てられており、傾斜地の地形に沿って大小合わせて多くの住棟があった。全部で36棟、337戸が設けられていたという。老朽化のため建物群は1996年に解体され、跡地には代官山アドレスが建設され、超高層マンションとショッピングモールの街並みが現れた。


再開発準備組合があった中心部の建物前の広場的空間
左:23号館(文化湯が併設)、右:29号館

同潤会代官山アパート
所在地:渋谷区代官山町17
建設年:1925(大正14)
構造・階数:RC・2〜3F
解体年:1996(平成8)
Photo 1996.4.27


3階建ての住棟

 老朽化して建て替えられることが予想されていたからか、補修等はあまりされていなかった。コンクリート製の庇は内部の鉄筋が露出してボロボロ。玄関部分の庇の上には雑草が繁茂していたりもした。


29号館

 内部に入るのはためらわれたので、内部は全く見ていない。階段室や廊下、部屋の取り付き方がどのようになっているのかぐらい見ておけば良かったと今更ながら思う。モルタルで造られた幾何学的な模様が印象的。


再開発準備組合事務所が入っていた29号館

 撮影当時は既に再開発の方針が大体決まって、準備が始まっていた時期だったので、団地の集会所だったか食堂(はっきり覚えていない)は、再開発準備組合事務所になっていた。


3階建ての住棟(恐らく左が27号館で、右が26号館)

 樹木が結構大きくなっていて、緑の多い住環境だった。庭先で落ち葉炊きをしたりして、ゆったりとした時間の流れる団地。
 間取りは決して大きくなく、その意味では良い住居空間ではないのだが、なぜか大型のアメリカ車が停まっていたりして、お金のある人が住んでいるのかしらんと思った記憶もある。


敷地内への階段と3階建ての住棟(左:32号館、右:31号館)

 周辺は地形の起伏があるため、場所によってはエリア内へ上る階段が設けられていた。擁壁の上に住棟が聳える姿も印象的。


小規模な住棟:13号館

 不勉強でよく知らないのだが、四戸で一つの建物となっていた模様。


同じく小規模な住棟:4号館

 1階部分は反対側からアクセスするんだったかな? ちゃんと見ていなかったことに今頃気づいたりする。


低層棟の入口部分

 コンクリートモルタルで階段状の腰壁?を作り、ちょっとした造形をしている。二階から下りてきて屋外に出るときの感覚はちょっと面白かったかも知れない。


低層棟の入口部分:35号館

 建物ごとに少しずつ様子が違っているようで、こちらの建物は階段を二段上がって庇の下の扉を開ける形。木陰では猫がマッタリしていた。


銭湯・文化湯

 引き違い戸の玄関は、古い他の集合住宅の多くで見られる。近代的な鉄筋コンクリートの建物が引き戸だと、ちょっと違和感があるのだが、日本的な生活習慣からするとその方が馴染むのかも知れない。今でも、狭い階段室などの場合は、引き戸の方が良い気もする。


銭湯の入り口

 代官山アパートの建築群の敷地内には、銭湯、食堂、集会所などがあり、全体として一つの街となっていた。集合住宅団地という考え方は当時の日本ではまだ新しいものだったはず。海外の新しい住宅地の情報なども入ってきていたのかも知れないが、日本なりにそれを消化して代官山集合住宅地は造られた。銭湯が団地の中心部近くにあって、立派な建物になっているあたりはやはり日本的な気がする。


銭湯入口脇のタイル

 上はアーチ部分をかたちどるスクラッチタイル。下は柱部分で、凹凸模様のある陶板状のタイル。右側の壁はモルタルで、洗い出しのようなザラザラした手触りになっている。


団地の片隅にうち捨てられていたトヨペットクラウン。

 既に住民が退去を始めており、空き室になった建物が多くなり始めた頃だったと記憶している。その頃になると、不法投棄されるものも増え、車も置き去りになっていたりした。廃墟と廃車。ノスタルジーをかき立てる意味においてはフォトジェニックであり、つい撮影をしてしまった。
 しかし、後でこれを片づけるコストとか、勝手に捨てていく心根を考えると、「いい感じ」ではちょっと済まされない気がしてくる。

 代官山アパートでは3階建てが最大の建物で、階段の両側に住戸が取り付く形が多かった。ただ、住宅地図で改めて確認すると、ひな壇状になった斜面に建てられた29〜33号館は建物間を繋ぐ渡り廊下があったようで、これらの建物には建物内の廊下もあったのかもしれない。

2007.2.26
rewrite 2019.2.3
同潤会アパート - Wikipedia
(一社)東京建設業協会>>広報活動>>東建月報
  > 同潤会代官山アパートの再開発
同潤会代官山アパート - UR都市機構

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 渋谷区  #住宅系  #銭湯  #同潤会  #近代建築 
コメント (9)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同潤会青山アパートメント

2019-02-12 | 渋谷区  


1990年以前の青山アパート  Photo 1989.2.13
3号館(左端一部)、4号館(中央)、5号館(奥)

同潤会青山アパートメント(当初は渋谷アパートメント)
所在地:渋谷区神宮前4-12
建設年:1926〜27(大正15〜昭和2)
構造・階数:RC・3F
解体年:2003(平成15)

 90年代以前はアパート内の部屋を利用したショップなどはまだ少なく、通りも現在に比べると比較的静かだった気がする。


4号館、90年代の様子  Photo 1996.4.27

 春先は新緑が美しく、ここだけヨーロッパのような雰囲気を味わうことができ、建物を見ながら歩くのが楽しかった。


東側から、3号館。奥は2号館、1号館  Photo 1996.4.27

 全面にツタが絡まり古めかしい味わいが出ている。この棟に関しては再開発後に復元された。その建物にもツタを絡ませる計画があるとも言われる。ただし内部はギャラリー等に使用されており、外観イメージの再現にとどまる。


建物裏側の様子 Photo 1996.4.27

 表側は賑やかだが、裏側に入るとひっそりとしている。


建物内の階段の様子 Photo 1996.4.27

 お店などが入居して、ガラス扉にダウンライトが使われたりすると、古い建物なのだが良い感じに見える。階段の手すりもペンキ塗りなのだが、ちょっとおしゃれに見えたりするから不思議。住人が思い思いに建物を大切に利用していたため、内部は比較的美しく保たれていた。耐震性、構造上の問題、設備の老朽化がなければ、まだまだ使えるんじゃないかと思わせるものがあった。


再開発が始まる直前の様子 Photo 2001.12.8
手前から1、2、3号館

 通り沿いの棟の中には多くのショップが入居し、窓まわりが様々に改築されている状況だった。開閉できない嵌め殺し窓として、ショーウィンドウ化しているものもある。

 森ビルが再開発をすることになり、安藤忠雄設計により表参道ヒルズが建設された。旧来の街並みを尊重し、軒高を抑え、大半の容積を地下に埋めた設計になっている。また表参道が坂であることを利用して、地下部分にスムースにアプローチできるように工夫されている。

 ただ、全体でひとまとまりの建物になっているので、坂沿いに壁面が長く連なっており、6棟が断続的に並び、それぞれの店が思い思いに少しずつ異なるファサードに改築していた往時の景観に比べると、統一感はあるもののやや単調な景色になっている。

廃景録同潤会青山アパート

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 渋谷区  #住宅系  #同潤会 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道玄坂のギャンブレル屋根建築

2019-02-08 | 渋谷区  
道玄坂のギャンブレル屋根建築
所在地:渋谷区道玄坂 2-10
構造・階数:木・3F
備考 :2014(平成26)に解体
Photo 1991.9.5

 道玄坂の中程に建っている木造3階建ての洋風建物群。6軒の建物のようにも見えるが、右側4軒は2軒ずつが組になっており、左の2軒と合わせて、4棟の建物だったようだ。左側の2棟はギャンブレル屋根がファサードにもそのまま現れている。
 ケヤキ並木の下で、坂に沿って少しずつ高さを変えながら階段状に並んでいる姿が美しい。


 Photo 1997.6.12

 真中の建物は少々解りにくいが、どうもギャンブレル屋根ではない模様。右側の建物も同様で、共に木造3階と見て良い。


 Photo 2008.1.22

 2004年に訪れたら、ほとんどの店が閉店していて建物にはネットが掛けられていた。2005年末の時点ではまだ取り壊されてはいなかったが、この建物の左側と裏側は駐車場であり、建物が閉鎖されている状況などをみると、そう遠くない時期に再開発等で取り壊されるのではないかと推察される。(2008年10月時点では残存)

 この建物群が建てられたのは恐らく昭和初期ではないだろうか。その当時、木造3Fは基本的に不可だったはずだが、これらはおそらく木造2F建て屋根裏付、という設定で建てられたものだろう。しかし実際は、ほぼ3階建ての街並みが出来上がった。この建物群は、道玄坂の道幅、歩道の幅、ケヤキの大きさ、坂の傾斜の具合などと非常に良いバランスをとっている。そして渋谷、道玄坂という場所で、美しい街並み景観を創り出していたのではないかと思う。このまま失われるとしたらとても惜しい風景である。


 Photo 2011.11.20

 2014年12月に、道玄坂の昔の様子を伝えていた一連の建物が遂に壊されたとの情報があった。私自身は実際に確認していないが、情報はどうやら確実な模様。

2017.8.4

2015.2.14 追記
 YOMIURI ONLINE内の記事に、この記事を一部引用して頂きました。

大人が似合う道玄坂(前編) : 新おとな総研 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

 また、棟数を3棟と間違っていたようなので、4棟に修正しました。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 渋谷区  #商業系  #看板建築 
#ギャンブレル屋根  #階段・坂 渋谷区  ブログ内タグ一覧
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百軒店の看板建築

2019-02-06 | 渋谷区  
百軒店の看板建築
所在地:渋谷区道玄坂 2-19
構造・階数:木・2F
Photo 1997.6.12

 道玄坂を上って途中を右に入った一角は百軒店とよばれ、小さな店舗が沢山集積した場所になっていた。今や東京では数少なくなった名曲喫茶のライオンも、百軒店の一角にある。風俗店などが軒を連ねるようになり、昔とは雰囲気が変わってしまったようだが、道玄坂からの入口ゲートなどに僅かに百軒店の名を残す。

 この建物は木造2階の前面を、洋風とも和風ともつかない妙なパネルで覆ったもの。右側は渋谷時報社という会社。左側はバーかスナックとして使われていた。2階は住人が居たようだが詳細は不明。左側の建物、右奥の建物などと共に解体され、現在、同所は駐車場になっている。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 渋谷区  #商業系  #看板建築 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東急文化会館

2019-02-04 | 渋谷区  
東急文化会館
所在地:渋谷区渋谷2-21
階数 :8F+B1F+塔屋・ドーム
建設年:1956(昭和31)
解体年:2003(平成15)
設計 :坂倉準三
Photo 2001.12.8

 屋上に載る五島プラネタリウムのドームが特徴的。小さい頃、プラネタリウムといえば、やはりまず、渋谷のこの五島プラネタリウムだった。

Wikipedia > 東急文化会館

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 渋谷区  #映画館・ホール  #商業系  #坂倉準三 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする