都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

廣澤製作所

2012-07-31 | 中央区  
廣澤製作所
所在地:中央区入船3-5
構造・階数:木造・2F
備考 :解体
Photo 2006.4.7

 下記「ぼくの近代建築コレクション」には切妻屋根だったと書かれている。縦長の窓や横連窓があり、軒庇部分にも繰り型のような形があり、壁面にはうっすらと石張りを思わせる線が入っている。一見するとモダニズム的な小規模ビルにも思えるのだが、実際は木造だったらしい。

 Google S.V.には既に写っていないので、この後、数年の内に解体されたようだ。

ぼくの近代建築コレクション広沢ビル、他/入船3丁目
Tokyo Lost Architecture   #失われた建物 中央区
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築地6丁目の銅板張り看板建築

2012-07-29 | 中央区  
築地の銅板張り看板建築
所在地:中央区築地6-4
構造・階数:木2
備考 :1998~2006に解体:
Photo 1998.5.23

 晴海通りの一つ北側の裏通りに面して建っていた銅板張り看板建築。手前側は床屋か美容院だったのだろうか、ガラスブロックを多用した1Fファサードと玄関前の豆タイルが特徴的だ。

 下記「ぼくの近代建築コレクション」の写真(晴海通りの裏)では、周辺の街並みと共にちょっとだけ見えている。

 残念ながら2006年に同地区を訪れたときには既に無くなっていた。

ぼくの近代建築コレクションダルマ薬局、他/築地6丁目
Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 中央区  #看板建築  #銅板張り看板建築 
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華僑ビル

2012-07-27 | 中央区  
華僑ビル(左と後方)
所在地:中央区築地2-15
構造・階数:SRC・6F+B1F
建設年:1928~29(昭和3~4)
備考 :2010(平成22)解体
Photo 1998.5.23

 晴海通りに面した比較的大きな建物で店舗も入居していたので、華僑ビルに触れた記事は結構多い。私自身は残念ながら内部に入ったことはないが、その名の通り、台湾や香港などの古いビルを思わせる雰囲気があり、気になる建物ではあった。

 改めて写真を見てみると、右側の派手なファサードの建物の後方にも華僑ビルの一部が見えていて、奥行きが長いL字型の建物だったことが分かる。外観から判断するに、6Fは増築のようだ。特徴のあるタイル張りの外観だったが、この時点で既にタイルの落下防止用にネットが一部に掛けられていた。

 玄関脇に中華料理「新蓬莱」という看板が掲出されているが、地下1階にあったこのお店は2007年頃までに閉店したという。通り沿いの1Fでは常陸屋商店という料理道具店が2009年頃まで営業していたようだが、撮影時は休業日だったのか2枚ともシャッターが下ろされている。また、LAILAIという喫茶店も同じ頃まで営業していたようだ。

 店だけでなく上層階の住人も全て立ち退き、2009年夏に解体と言われていたが、結局2010年秋から年末にかけて解体されたらしい。

Photo 2006.7.23

 何度か近辺は訪れているのに撮りこぼすことが多く、まともな写真はない。この写真も夕暮れ時に撮ったので、かなり暗く沈んでしまっている。また1Fは廊下の通り抜けができたらしいのだが、結局、通り抜けて裏側を見ることもなかったのが残念。

国産の料理道具・厨房機器のお店 “つきじ常陸屋”常陸屋と華僑ビルの話
非天然色東京画華僑ビルに潜入してみた
~東京レトロ散歩~築地のレトロ建築「華僑ビル」
アクトデザイン凛太郎のブログ華僑ビル
ゆる~り、ゆるゆると~ >
  華僑ビル『喫茶LAILAI(ライライ)』の自家製ハンバーグ
TOKI : LOG築地 華僑ビル

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 中央区  #近代建築  #オフィス 
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歌舞伎座ビル

2012-07-25 | 中央区  
歌舞伎座ビル
所在地:中央区銀座4-12
構造 :SRC
階数 :9F・B1F
備考 :2010(平成22)解体、歌舞伎座と一体的に建て替え
Photo 2010.6.13

 歌舞伎座の西側、昭和通りに面して建っていた松竹のビル。名前が紛らわしいが、劇場建築の「歌舞伎座」とは別の建物。歌舞伎座の建て替えに合わせて、こちらも解体された。

 街並みとの関連でみると、昭和通り沿いに建つ他の建物となんとなく高さが似ていて、1963年の容積率制への移行により撤廃された百尺規制の名残ではないかとも思わせる。だがこの建物の解体時のお知らせ看板には、高さ38m、最高高さ39.3mと記されていて、換算すると軒高約125尺で100尺オーバー。どうやら1963年以降に建てられたもので、たまたま、道幅や前面道路などの関係で、周囲にも似たような高さの建物が建ち並んでいる状態だったようだ。

 新しい歌舞伎座の建物は、29階建て、軒高137.5m、最高高さ145.5mで、来春完成予定だという。中央区も銀座以外は超高層があちこちに建つ風景に変わっていく。

Tokyo Lost Architecture   #失われた建物 中央区  #オフィス  #モダニズム 
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ねのひ寮

2012-07-23 | 中央区  
ねのひ寮
所在地:中央区築地1-4
構造・階数:木造・3階
解体
Photo 1995.6.20

 ねのひ寮は清酒の「ねのひ」を呑ませる居酒屋だったらしい。築地の店舗がいつからいつまであったのか詳細は不明だが、下記の「東京 DOWNTOWN STREET 1980's」内の記事中写真(1981-82年)には、まだ看板が写っていて、正面のシャッターも開いていて、お店をやっていたことが分かる。

 酒が呑めず清酒の銘柄にも詳しくないので、「ねのひ」と聞いてもピンと来ず、最初はどこかの会社の寮かと思っていた。和風の塗込町屋とか土蔵造り風で、寮にしては奇妙な建物だと思っていたので、居酒屋と知って納得。

 築地界隈をしばしば訪れているわけではないので、いつ頃まであったか分からない。撮影時既に看板はなく閉店していたが、1997年の住宅地図には載っている。跡地に建った14階建てマンションが2004年竣工なので、2001年頃までの間に解体されたものと思われる。

モリタフードサービス株式会社 > 蔵人厨「ねのひ」
東京 DOWNTOWN STREET 1980's中央区築地~その一
Tokyo Lost Architecture   #失われた建物 中央区
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田口邸

2012-07-21 | 中央区  
田口邸
所在地:中央区八重洲1-4
構造・階数:木3
2007年頃に解体
Photo 1997.5.13

 前方は洋風下見板の2階建て看板建築。後方にトタン張りの3階が増築されていて、物干台もあり、横から見ると面白いバランス。家屋の周囲にはたくさんの植木鉢が並べられ、意外に緑もたくさん。

 通り側の全面がガラスの引き戸になっていたので、なんらかのお店だったのだろう。しかしこの時点で既に店としては使われておらず、植木鉢がびっしり並んで、通り側から入ることもできなくなっていた。このとき住宅としてはまだ使われていたらしい。

 2006年初頭にはまだ存在していたが、その後、周辺と合わせて一体的に建て替えが行われ、11階建ての新しい建物(東京建物八重洲ビル)が2011年11月に完成した。建て替えに際して写真右側の東京建物第5八重洲ビルも解体されたのだが、まさかそちらまでもが建て替えられるとは思わなかったので、写真は撮らずじまいになってしまった。

東京建物東京建物八重洲ビル
Tokyo Lost Architecture   #失われた建物 中央区
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中央区立第二中学校

2012-07-19 | 中央区  
中央区立第二中学校
所在地:中央区明石町1-6
建設年:1926(大正15)
構造・階数:RC・3F
解体年:2002(平成14)
Photo 1995.6.20

 モダニズムと言ってよいのかな。装飾は全くない。四角い窓が出入りのほとんどない壁面に並び、特徴といえば、控壁らしき出っ張りが壁面に付いているだけだ。

 撮影時は区民施設として使われていたらしいが、壁の表面は既にところどころ剥がれるなどしており、やや傷んでいた。将来、建て替えるつもりだったから修繕などをしなかったのだろうか。


2019.1.17 追記
 「ぼくの近代建築コレクション」の流一さんが、資料をいろいろ調べられて、この建物の来歴を整理されました。

区立第二中学校/明石町 - ぼくの近代建築コレクション

 上記の記事の方が、正確だと考えられますので、本記事についても修正しました。

 この中学校の来歴はかなり複雑で、数年前に記事化した際にはよくわからなかったため、以前は1937(昭和12)竣工としていましたが、これは違っていたので修正しました。以下はこの建物の使われ方を諸々の情報を元に整理したもの。戦後は二つの学校(後の区立第二中学と都立京橋高校)として使われていたようです。

中央区立第二中学校について
1911(明治44) 京橋高等小学校が創立。
1926(大正15) 京橋高等小学校の校舎として、写真の建物が建てられる。
1947(昭和22) 中央区立文海中学校が発足。
1953(昭和28) 文海中学校がこの校舎に移転。
1968(昭和43) 文海中学校と明正中学校が統合され、第二中学校となる。
1984(昭和59) 第一中学校・第二中学校が統合され、銀座中学校(銀座8丁目)となる。旧第二中学校の校舎は区民施設となり、以後、他の学校の建て替え時などの暫定施設として使われたりもした。
2002(平成14) 使用停止、解体。

都立京橋高等学校について
1910(明治43) 東京市京橋区女子実業(補修?)学校が南槙町小学校内に創立。
1911(明治44) 京橋高等小学校に間借りするかたちで移転。
1918(大正7) 東京市京橋区実業補習京橋女学校と改称。
1927(昭和2) 東京市京橋区京橋専修女学校と改称。
1949(昭和24) 都立京橋高等学校(共学)になる。
1963(昭和38) 都立京橋高等学校が晴海に転出。以後、校舎は文海中学校が単独で使用。


廃景録中央区立第二中学校

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中央区  #学校  #モダニズム 
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中村医院

2012-07-17 | 中央区  
中村医院
所在地:中央区築地2-1-15
構造・階数:木・2
解体年:1996(平成8)頃
Photo 1995.6.20

 銅板張りの看板建築状の医院。撮影後ほどなくして解体されたらしい。

 通りがかりに撮ったので全景がなく、何のお店だったのか、そしてどこで撮ったのか、記憶が曖昧だったのだが、いろいろ調べてようやくそれらしき場所が分かった。

 そしてその後、「ぼくの近代建築コレクション」でこのディテールを持つ建物の全景写真を発見。いわゆる商店などではなく、医院だったことをようやく知った。1980年代に既に医院としては営業しておらず、仕舞屋になっていたようだ。

 銅板張りなので看板建築だと思っていたが、全景を見ると入母屋屋根の木造2階建て家屋で、普通の看板建築のように屋根小屋部分を隠してはいない。通り沿いのファサードはどう見ても看板建築だが、全景はそうではないというちょっと変わったタイプの銅板張り家屋だった。

 四角い模様や、ルーバー状にも見える模様が特徴的。2Fの手摺もなかなか凝ったデザインだ。

ぼくの近代建築コレクション中村医院/築地2丁目

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交通博物館 2

2012-07-15 | 千代田区 

 閉館直前に訪れてみると、なんだか懐かしいものやら興味深いものが展示されていて、もっと暇を見つけて見に来れば良かったと思うのだった。

オート三輪 マツダ・T2000
Photo 2006.1.15

 オート三輪は近頃はほとんど見かけないが、小さい頃は近所でも走っていた。

タンカーの模型  Photo 2006.1.15

 タンカーの模型などもこういう場所に来ないとなかなか見ない代物。

コンコルドの模型  Photo 2006.1.15

 写真の模型は昔のJALのカラーリングになっているが、この模型は1960年代に日本航空に3機の導入が予定されていたことから日航が製作して、寄贈したものだという。その後、結局コンコルドの導入はキャンセルされたが、模型は閉館までずっと展示されていたのだそうだ。そういえば小さい頃、コンコルドのプラモデルを作ったこともあったな~。

鉄道模型パノラマ運転場  Photo 2006.1.15
屋上から旧万世橋駅ホーム・中央線と、昌平橋、総武線方面
Photo 2006.1.15
屋上から旧万世橋駅ホームと、万世橋、秋葉原方面
Photo 2006.1.15
Wikipedia > 交通博物館
幻の国立産業技術史博物館鉄道博物館(1936年)
想い出となった交通博物館
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#失われた建物 千代田区  #自動車  #飛行機  #鉄道  #船 
#夕景・夜景  #ミュージアム  #公共施設 
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交通博物館 1

2012-07-13 | 千代田区 

 交通博物館ももうかなり前に閉館して解体されてしまった。来年初めには新しいビルが跡地に完成するという。なんだか時の経つのが早い。

交通博物館
所在地:千代田区神田須田町1-25
建設年:1936(昭和11)
構造・階数:RC・3F(後年4Fを増築)
閉館 :2006(平成18).5.14
解体工事:2009夏~2010夏
Photo 2005.3.25

 跡地には地上20F・地下2Fの賃貸オフィスビル、神田万世橋ビル(仮称)が2012年12月上旬に完成予定。完成後はオフィスのほか、各種店舗、カルチャースクールやビジネススクールが入居する見込み。

吹き抜け空間の蒸気機関車とヘリコプター
Photo 2006.1.15

 吹き抜け空間に展示してあったのは、9850形蒸気機関車(左)や国鉄C57形蒸気機関車(右)、ベル47-1ヘリコプターなど(上)

一号機関車・国鉄150形蒸気機関車(重要文化財)
Photo 2006.1.15

 昔は屋外展示だったという国鉄150形蒸気機関車も、1F奥に展示されていた。

クハ167形車両のカットモデル(左)と、
211系電車(東海道線)の運転シミュレータ(右)
Photo 2006.1.15

 運転シミュレータは子供にも大人にも人気。

2Fから(2枚の写真を合成)
Photo 2006.1.15
Wikipedia > 交通博物館
JR東日本神田万世橋ビル(仮称)の建設について
幻の国立産業技術史博物館鉄道博物館(1936年)
想い出となった交通博物館
TOKI : LOG万世橋・交通博物館の記憶 -その1-
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#失われた建物 千代田区  #鉄道  #飛行機  #ミュージアム  #重要文化財  #公共施設 
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