都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

2019年3月 記事一覧

2019-03-31 | 記事一覧 

03/02 食糧ビル その1 外観
03/04 食糧ビル その2 中庭
03/06 食糧ビル その3 内部
03/08 食糧ビル その4 その他
03/10 静岡県経済連長沼現場
03/12 東向島のタイル張り住居
03/14 旧玉の井の住居
03/16 南京下見板張りの住居
03/18 同潤会清砂通アパートメント 1〜3号館
03/20 同潤会清砂通アパートメント 5号館
03/22 同潤会清砂通アパートメント 6号館
03/24 同潤会清砂通アパートメント 7〜10号館
03/26 同潤会清砂通アパートメント 11、12、14号館
03/28 同潤会清砂通アパートメント 16号館
03/30 浅草松竹(旧ROXY・旧金龍館)

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浅草松竹(旧ROXY・旧金龍館)

2019-03-30 | 台東区  
浅草松竹(旧ROXY・旧金龍館)
所在地:台東区浅草 1−26
構造・階数:RC・4ー5F?
建設年:1931(昭和6)
解体年:1991(平成3)頃
Photo 1989.12.1

 浅草六区にあった映画館。かつて六区は興行街として非常に賑わっていたといい、多くの人が訪れた映画館や劇場が90年代までは残っていた。
 スクラッチタイルを張った外観で、西洋の城のようなデザイン。玄関上にはテラコッタ装飾?のアーチが造られていた。

三軒並んだ映画館
手前から、浅草松竹、常盤座、東京クラブ
Photo 1989.12.1

 写真中、浅草松竹の左隣は常盤座、そしてその更に左奥が東京クラブで、ここでは映画館・劇場が3棟並んでいた。『日本近代建築総覧』には3棟がつながっていたという記述があり、入口やファサードは異なるが、後方の一部は構造的につながった建物だったらしい。

浅草松竹(旧金竜館)/浅草1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 台東区  #近代建築  #映画館・ホール  #商業系 
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同潤会清砂通アパートメント 15・16号館

2019-03-28 | 江東区  
同潤会清砂通アパートメント 15・16号館
左のクリーム色が15号館、右のピンク色が16号館
所在地:江東区白河4-4
構造・階数:RC・3F
建設年:1927(昭和2)
解体年:2003〜04(平成15〜16)
Photo 2002.11.6

 15号館と16号館は、元加賀小学校を挟んだ更に東側にあった。15号館は南北方向に長く、16号館は東西に長い形だったが、向きが違うだけで平面型は同じだったそうだ。

 他の住棟群とはやや離れた場所に2棟だけあり、清洲橋通りにも面していないため、同じ同潤会清砂通アパートメントなのだが、やや印象が薄い。特徴のある塔屋などが付けられているわけでもなく、デザインは他の多くの同潤会アパートと同様で「普通」だった。

 このため写真は1枚しか撮らなかった。同潤会清砂通アパートメントを採り上げている他のサイトでも、15・16号館の写真はあまりなく、下記「ぼくの近代建築コレクション」が最も写真が多いサイトではないかと思う。

廃景録同潤会 清砂通アパート
ぼくの近代建築コレクション
  同潤会清砂通りアパートメント15・16号館/白川4丁目
Tokyo Lost Architecture
同潤会清砂通アパートメント
 1〜3号館  5号館  6号館  7〜10号館
 11、12、14号館  16号館
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#同潤会  #近代建築  ブログ内タグ一覧
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同潤会清砂通アパートメント 11・12・14号館

2019-03-26 | 江東区  
同潤会清砂通アパートメント 11号館・東南側から
所在地:江東区三好4-7
構造・階数:RC・3F
建設年:1929(昭和4)
解体年:2001〜04(平成13〜16)
Photo 1996.5.12

 11〜14号館は小路を挟んで、西側に11、12号館、東側に13、14号館が建っていた。13号館はやや規模が小さかったためか、撮り忘れてしまった。

 11号館はこの4棟の中では最大で、東側に開いたCの字型の平面をしていた。写っている範囲では増築はさほどされていないようだ。またこの建物も白く塗装されていた。


 

同潤会清砂通アパートメント 12号館・北東側から
所在地:江東区三好4-7
構造・階数:RC・3F
建設年:1929(昭和4)
解体年:2001〜04(平成13〜16)
Photo 1996.5.12

 12号館は東西方向に長い平面型だったようだ。1階部分は大幅に増築されており、また2、3階の壁面は部分的な補修のみが行われていた。


 

同潤会清砂通アパートメント 14号館・西北側から
所在地:江東区三好4-7
構造・階数:RC・3F
建設年:1929(昭和4)
解体年:2001〜04(平成13〜16)
Photo 1996.5.12

 14号館は西向きに開いたコの字型。通りに近い部分などは部分的に増築されていたようだ。

廃景録同潤会 清砂通アパート
ぼくの近代建築コレクション
  同潤会清砂通りアパートメント11・14号館/三好4丁目
Tokyo Lost Architecture
同潤会清砂通アパートメント
 1〜3号館  5号館  6号館  7〜10号館
 11、12、14号館  16号館
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同潤会清砂通アパートメント 7〜10号館

2019-03-24 | 江東区  
同潤会清砂通アパートメント 7号館
所在地:江東区白河4-3
構造・階数:RC・4F(一部3F)
建設年:1928(昭和3)
解体年:2003〜04(平成15〜16)
Photo 2002.11.6

 7号館は5号館の一つ東側の街区にあり、やはり清洲橋通りに面して建っていた。清洲橋通り沿いの部分は直線的な4階建てで、その後方(南側)に3階建てが3ヶ所張り出しており、当時の住宅地図で見ると全体ではEの字型をしていたようだ。


 北東側から、奥は5号館 Photo 1996.5.12


 7号館後方の3階建て部分。右端は8号館 Photo 2002.11.6

 後方部分は増改築されていたようで、ベランダがあり足下までの大きな窓になっていて、往時の同潤会アパートメントのデザインとは異なるものになっていて、撮るのを迷う状況になっていた。


 Photo 1996.5.12

 清洲橋通り沿いの4階建て部分と、その南側に取り付く3つの3階建て部分は渡り廊下で繋がれており、1階を東西に通り抜けることができるようになっていた。訪問時には確認し損ねてしまったが、少なくとも後方の3階建て部分は、このトンネル状の部分から建物内に入る構造になっていたのではないかと思う。

 山型の通り抜け通路が奥の方に連なる様子が印象的だった。


 Photo 2002.11.6

 7号館、4階建て部分の背面(南面)。清洲橋通りに面した北側面が整ったファサードになっているのに対して、敷地内側の南面は居室壁面が出入りして、更に3つの3階建てが接続していたりするため、ややごちゃごちゃした壁面になっていた。3号館などと同様に、南向きの日当たりが意外に重要視されていない感じのレイアウト、デザインだったと、今になって思う。



同潤会清砂通アパートメント 8号館
所在地:江東区白河4-3
構造・階数:RC・3F
建設年:1928(昭和3)
解体年:2003〜04(平成15〜16)
Photo 2002.11.6

 8〜10号館は5号館と7号館の間の南北の道沿いに、7号館の南側に8、9、10号館と順に並んでいた。

 8号館は私が訪れた頃は外壁が白っぽく塗られており、他の同潤会アパートのように茶色っぽくはなかった。色だけだと同潤会アパートには見えなかったが、窓まわりの造られ方などはやはり他と同様。右奥の道路ぎわは1、2階が一間増築されている。



同潤会清砂通アパートメント 9号館(右は10号館)
所在地:江東区白河4-3
構造・階数:RC・3F
建設年:1927(昭和2)
解体年:2003〜04(平成15〜16)
Photo 1996.5.12

 8号館と9号館は当初は同じ形だったそうだが、後年それぞれに増改築を行ったため、外観の様子は異なっていた。同潤会らしくない外観に既になっていたため、写真はこの1枚しか撮っていない。



同潤会清砂通アパートメント 10号館
所在地:江東区白河4-3
構造・階数:RC・3F
建設年:1927(昭和2)
解体年:2003〜04(平成15〜16)
Photo 2002.11.6

 住宅地図で見ると、10号館は8、9号館より少し規模が大きかったようだ。西側に開いたコの字型をしており、角部分と中央から建物内に入る構造。道路に面した3階の一部にベランダが設けられており、開口部にカーブを描いた壁面があるのが特徴的だった。


 10号館 Photo 1996.5.12

 清砂通アパートでは前庭や中庭に樹木はあまりなかった気がするが、ここにはやや大きめな樹木があった。


 10号館角部屋の増築の様子 Photo 1996.5.12

廃景録同潤会 清砂通アパート
ぼくの近代建築コレクション
  同潤会清砂通りアパートメント7号館/白河4丁目
  同潤会清砂通りアパートメント10号館/白川4丁目
Tokyo Lost Architecture
同潤会清砂通アパートメント
 1〜3号館  5号館  6号館  7〜10号館
 11、12、14号館  16号館

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同潤会清砂通アパートメント 6号館

2019-03-22 | 江東区  
同潤会清砂通アパートメント 6号館(奥は5号館)
所在地:江東区白河3-4
構造・階数:RC・3F
建設年:1927(昭和2)
解体年:2003〜04(平成15〜16)
Photo 1996.5.12

 6号館は、清砂通アパートメントの一連の建物の中で、平面型が最も大きかった。清洲橋通り沿いの5号館の南側にあり、南北の通りに面した東側に開いたコの字型をしていた。通り沿いにも部屋があったので、コの字というより角張ったCの字型といってもよいのかもしれない。上の写真は北側の翼部、Cの字の書き始め部分で、写真左端を左へ行くと下写真の前庭に至る。


 中庭的な駐車スペースを囲んで建つ住棟 Photo 1996.5.12

 建物内には入っていないので内部のレイアウトは知らないが、あちこちに階段室があるので、大半の住戸は階段室から左右に入る形式だったのではないかと思う。少し張り出した窓に柵が付いた形がオリジナルの窓の形のようだが、各戸で増改築が行われており、出窓を大規模化したり、壁全体を外側に出っ張らせたりして内部を拡げたりしていたようだ。


 Photo 1996.5.12

 上写真の右半分などは、1階から3階まで全て手前側に張り出す形の改築が行われたのではないかと思う。窓が足下から天井近くまでの高さになり、外に出られるベランダが造られていた。


 Photo 2002.11.6

 東側の道路沿いなどはかなり大掛かりに増改築が行われていて、いわゆる同潤会アパート的な外観ではなくなっていた。


 東北側の住棟入口・階段室 Photo 1996.5.12

 


 東南側の住棟入口・階段室 Photo 2002.11.6

 東南側の道路沿い部分などは階段室を挟み込む形で道路沿いまで増築が行われていて、当初のデザインは失われていた。

廃景録同潤会 清砂通アパート
ぼくの近代建築コレクション
  同潤会清砂通りアパートメント6号館/白河4丁目
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同潤会清砂通アパートメント
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 11、12、14号館  16号館

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同潤会清砂通アパートメント 5号館

2019-03-20 | 江東区  
同潤会清砂通アパートメント 5号館(左奥は7号館)
所在地:江東区白河4-2
構造・階数:RC・4F(一部3F)
建設年:1928(昭和3)
解体年:2003〜04(平成15〜16)
Photo 2002.11.6

 5号館は1号館の2ブロック東側の白河4-2にあり、やはり清洲橋通りに面して建っていた。そしてこの棟も1階は店舗になっていた。また、こちらは2002年時点では通り沿い部分の外壁が白く塗り直されていた。

 建物内に入っていないので、入口や階段室、廊下、間取りなどのレイアウトは把握しないままに終わった。関連する資料をあたっていないので、そのあたりは今も把握していない。写真で見る限りでは、清洲橋通り沿いの1階は全て店舗で、通り沿いには建物への入口はなかったようだ。


 東南側から Photo 1996.5.12

 当時の住宅地図を見たところ、5号館はロの字型の平面型をしていたようだ。表通り側は4階、後方は3階建てになっていた。

 5〜10号館が建っていた街区は再開発の際に一つの街区にまとめられ、そこにイーストコモンズ清澄白河セントラルタワーが建てられた。このため写真中の左へ向かう道も右奥へ向かう道も、現在は無くなっている。


 西南側から Photo 2002.11.6

 上2枚の写真には屋上に四角い構造体が写っている。5号館は東南角と西南角のパーゴラが特徴的だった。複数の集合住宅が建ち並ぶため、それぞれの建物を少しずつ異なる形にして、画一化しないよう配慮したのだろうか。規模が大きな住棟ではこのようなシンボリックなデザインが施されているようだった。


 東側から Photo 1996.5.12

 手前左側の塔屋になっている部分が、建物入口と階段室。大通りに面した部分以外は、1階も普通の住宅だったようだ。写真奥の高層マンションは、清洲橋通り北側のプラザ元加賀。


 5号館東側の入口部分 Photo 1996.5.12

 入口を入ってそのまま奥へ行くと中庭に出られるようだった。訪問時はなぜかそのことに気付かず、中庭の方も確認しなかった。建物内のレイアウトも把握しないままになってしまったのは残念。


 入口上部の住棟プレート Photo 2002.11.6


 住棟入口の階段室 Photo 2002.11.6

 入口扉はなく、そのまま階段を上って行く構造だったようだ。床面はコンクリート打ち放し、壁面もコンクリート壁にペイントされているだけで、いたって地味。窓があまりなく照明も小さいので、玄関室はやや暗かった。

廃景録同潤会 清砂通アパート
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  同潤会清砂通りアパートメント5号館/白河4丁目
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同潤会清砂通アパートメント 1〜3号館

2019-03-18 | 江東区  
同潤会清砂通アパートメント 1号館
所在地:江東区白河3-4
構造・階数:RC・4F
建設年:1927(昭和2)
解体年:2002(平成14)
Photo 1994.7.13

 同潤会清砂通アパートメントは比較的規模が大きく、白河3、4丁目と三好4丁目に、計16棟の建物が残されていた。なかでも1号館は、清州橋通りと三ツ目通りが交わる白河三丁目交差点に面しているため、シンメトリーなデザインで塔屋があり象徴性のある姿を見せていた。


 Photo 1996.5.12

 コーナー部分が建物の入口で、階段室になっている。

 塔屋のある1号館は角地にあり、角の部分はカーブを描いている。ただその両側に角張った部分があるため、やや鎧のように厳めしく、屋上の塔屋は船の艦橋のようでもあった。交差点に向かって前進してくるのではないかと思わせる迫力のある形。


 清州橋通り側の側面 Photo 1996.5.12

 幹線道路に面した1号館の1階には店舗が入っており、いわゆる下駄履きアパートになっている。同潤会アパートはRC造集合住宅として初期のものだが、店舗付き集合住宅としても初期のものになるのではないかと思う。


 左:1号館、右:2号館 Photo 1994.7.13

 L字型の1号館の裏側には同じくL字型でやや小規模な2号館があり、二つの間には四角い中庭があった。斜めになった奥の壁面は1号館コーナー部の裏側にあたる。


 1号館裏の中庭的なスペース Photo 1994.7.13

 左が1号館の南側翼部。2棟あるように見えるが、採光と風通しを良くするために裏側は出入りのある形にしていたようだ。右は2号館。


 1号館階段室見上げ  Photo 1994.7.13

 少々凝ったデザインの階段室も他の同潤会アパートにはおそらくなかったもの。丸い角を持つ三角形の吹き抜けが印象的だった。



同潤会清砂通アパートメント 2号館
所在地:江東区白河3-4
構造・階数:RC・3F
建設年:1927(昭和2)?
解体年:2002(平成14)
Photo 1994.7.13

 2号館は1号館の西南側裏にあった。写真は南側の東西方向道路に面した部分。物干しのベランダなどがないため、物干し台を増築した部屋なども一部には見掛けられた。



同潤会清砂通アパートメント 3号館
所在地:江東区白河3-4
構造・階数:RC・4F
建設年:1929(昭和4)
解体年:2002(平成14)
Photo 1996.5.12

 1号館の西隣にあった3号館。1号館同様、清洲橋通りに面しており、1階部分は店舗になっていた。1号館に比べると2〜4階の開口部の幅が小さめ。

 戦後の都営住宅や公団住宅そして現在に至るまで、集合住宅は南向きが重視され、そちらに居室の主な窓が配され、階段室や廊下、玄関などは北側に置かれることが多い。大通りの南側にある集合住宅の場合などは、自動車交通の騒音を避けるため通り側に背を向けることが特に多いのだが、初期の事例だったためか、さほど日当たりを気にしていなかったのかとも思える外観になっている。欧米の集合住宅は通りに面した壁面(いわゆるファサード)をきれいにデザインしていることが多いが、その影響もあったのだろうか。

 白河3丁目にあった1〜4号館は2002年に解体。また、東側の白河4丁目、三好4丁目の建物群もその後取り壊されて再開発が行われた。

廃景録同潤会 清砂通アパート
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東向島のタイル張り住居

2019-03-12 | 墨田区  
東向島のタイル張り住居
所在地:墨田区東向島1-22
構造・階数:木・2F
解体年:不明、大幅な改築のみの可能性もあり
Photo 1993.8.11

 『昭和二十年東京地図』西井一夫・平嶋彰彦 著、筑摩書房 刊、によると「鳩の街」の建物だったとされる。鳩の街は戦後にできた私娼街で、小さな飲み屋の業態で営業していた。近辺には今も当時の建物が数軒残るが、現在は静かな住宅地。

 最近はあまり見かけなくなったが、2cm角程度の小さなタイルを柱に貼り付け、玄関脇の丸柱や角柱を飾り付けるなどし、裏通りにしては凝った建物になっている。また、コーナー部が丸かったり左右対称で出入口が複数ある、などの特色を持つ。

 撮影時、東向島1丁目とだけ記憶していたのだが、その後この建物が、取り壊されたもしくは大幅に改築されて姿を変えたため、場所が分からなくなってしまった。上記の本にも詳細な場所の表記がなく、他の書籍にも示されていなかったため、後になってどこで撮ったのか気になる状態が長いあいだ続いた。

 写真中央の建物が既にないことは諸々の情報で知っていたので、最近になって写真内の他の建物と道路形状から所在地を探してみた。Google Street Viewで探しても一致する場所がないことから、Street Viewには載っていない場所で、かつ小路がT字に交わる場所を見つけ、現場へ行ったところ、左右の建物と交差点内のマンホールの位置が一致。約25年前に撮った写真の場所がようやく分かったのだった(町・番地より細かな部分は表記しない。)。

 ファサードの様子は全く異なるが、建物規模はさほど変わっていない。道路ぎわまで建っていた建物が若干後退したような感じなのは、看板建築状だった前面を取り払ったためかもしれない。だとすると完全な建て替えではなく大幅な改築だったのかもしれないが、当時の街並みは消失したと言って差し支えないだろう。


2022.12.20追記
 戦後のいわゆる赤線だった時代の詳細な地図がないので、当時の屋号などは不明。また、赤線廃止後は商事会社、呑み屋、一般住宅などいくつかの状態に変化しており、当時の人が住み続けたわけでもないのかもしれない。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 墨田区  #商業系  #住宅系  #遊興施設 
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静岡県経済連長沼現場

2019-03-10 | 静岡県  
静岡県経済連長沼現場
所在地:静岡市葵区長沼550
構造・階数:木造・平屋
解体年:1998頃?
Photo 1994.5.3

 日東紡の少し西側、静岡鉄道の線路沿いにあった木造倉庫(工場?)。どうということのない単なる倉庫だが、昔風で比較的規模が大きかったので印象に残って撮ったもの。後方には日東紡の煙突が見えている。

 1999年の住宅地図では既に記載されていないので、1998年頃に取り壊されたようだ。現在、同所はレンタカー屋さんになっている。もっと田舎や山奥に行けばこのような建物が現在もあるが、静岡市のまちなかではこのような木造倉庫は次第に少なくなっている。

静岡の建築
#失われた建物 静岡県  #倉庫・蔵 
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