都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

夜のパリ市内散策 2

1993-03-05 | フランス 

1993 Europe日記
1993.3.5(Fri) Paris

 夕食後、それほど遅い時間ではなかったので、夜の市内を3人で散歩することにする。

 19:30 バスでコンコルド広場へ行き夜景を見る。

コンコルド広場からシャンゼリゼ通り、凱旋門方面

 20:30 シャンゼリゼを経て、凱旋門の夜景を見る。シャンゼリゼの一般の店舗はもう閉まっている時刻だったが、ショーウィンドウなどには灯りが点いている。また飲食店などは営業している店もあった。ただ、その照明が通り沿いの建物のファサードを照らすことは少なく、街路樹があるせいもあって、通りを中央から撮影すると、道路の照明と行き交う車両の灯りが中心になる。

 また、イギリスは左側通行だがフランスは右側通行。運転するわけではないが、道路を横断する際など、到着当日はまだ戸惑うことがあるのだった。

凱旋門下からデファンス方面

 東京の派手な夜景に較べるとやや暗いものなので、ISO400のフィルムを使っていても手ブレするような感触があったので、広場の石かなにかの上にカメラを置いてセルフタイマーで撮影。手ブレはしないが、画角の自由がなくなるので、手前に暗い広場が大きく写り込んでしまった。

シャイヨ宮からエッフェル塔の夜景

 20:40 シャイヨ宮からエッフェル塔の夜景を見る。どれも美しい。エッフェル塔のライトアップは一部の照明が工事中だったのか点灯していなかったが、それはそれで良かった。あまりいろんな色にしない方が素直でかえって美しい気がする。

 東京タワーは地色が赤と白になってるので、どうしてもオレンジとか赤系統の色になるが、エッフェル塔はベースが無彩色系で、暖色系の照明の色がそのまま出ていて、なんだかやはり上品。シャイヨ宮の側の噴水もライトアップされていて、誠に絵葉書的な景色だ。

 21:20 バスで途中まで戻るが、終バスになってしまい、地下鉄を乗り継いで戻る。

 22:20 買い物をして宿に戻る。

 24:40 日記を書く。手紙も書く。

 25:30頃 就寝。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
Google Map 1993.03 Europe

#ヴィスタ  #夕景・夜景  #塔  #モニュメント  #門・ゲート 
#エッフェル  #近代建築  #世界遺産 
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ノートルダム寺院

1993-03-05 | フランス 

1993 Europe日記
1993.3.5(Fri) Paris

 ノートルダム大聖堂でK氏とS君と待ち合わせ。

シテ島とノートルダム大聖堂

 川面をゆっくりと観光遊覧船が通り過ぎる。市内中心部では水辺に下りられるわけではないようだが、石橋と石造の建物群の織りなす風景は絵になるものが多い。屋上広告看板などもかなり規制されているのだろう。原色のネオンサインがあちこちにある状況にはない。

ノートルダム大聖堂

 ノートルダム大聖堂という名の教会は他にもあるそうで、ノートルダム・ド・パリとか、パリのノートルダム大聖堂(Wikipedia)という方が正確らしいのだが、そのへんはここでは置いておく。双塔が並び立つ姿、細かな装飾が多く、細い柱で造られた縦長のゴシックアーチが並ぶファサードはやはり華麗で美しい。

大聖堂内部

 内部中央の身廊部分には座席がなく、多くの人があちこちに佇み天井を見上げていた。座席は最初からなかったのだろうか? 現場ではよく観察しなかったが、観光施設的な仕様にして、多くの人の入場を受け容れやすいようにしたのかもしれない。

 写真では分かりにくいが、バラ窓のステンドグラスがやはり華やかで美しい。ゴシック建築とはこういうものなのかと改めて知る。

 17:30 大聖堂の中でS君に会う。ミサが始まったので中を出て、外を一周する。

フライングバットレス

 身廊部分の高さを高く取り(32.5m)、その上に交叉ヴォールトを築くため、外側にはフライングバットレス(飛び梁)を用いた控え壁が造られている。構造的な理由でこういうものが必要なわけなのだが、そのあたりの理由を知らないと、よくわからない装飾のように見えるかもしれない。

 フライングバットレスの外側には、控壁というか控え柱が建っている。飛び梁はこの柱の途中から斜めに身廊部の壁を支えているが、そこより上にも柱は延びている。これも装飾というより飛び梁と控え柱を支える重石のようなものらしい。

 18:00 K氏とも合流。ポンピドーセンターに行ってきたとのこと。

 18:30 夕食。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
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#教会  #海・川・池  #ゴシック  #世界遺産 
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シテ島周辺

1993-03-05 | フランス 

1993 Europe日記
1993.3.5(Fri) Paris

 17:00 エッフェル塔からシテ島付近までバスを使う。

 バスの中で「髪をとかしてあげよう」という4人組に囲まれ驚く。他の乗客も同じようなことをされていたが、あれはなんだったんだろう?

ポンヌフからセーヌ川と芸術橋(Wiki

 セーヌ川(Wiki)には多くの橋が架かっているが、芸術橋(ポンデザール・Pont des Arts)は鋼鉄製の歩行者専用橋。

シテ島からポンヌフ(Pont Neuf・Wiki

 Pont Neufでシテ島(Wiki)に渡り、ノートルダム寺院へ。Wikiにもあるが、ポンヌフ(Pont Neuf)は「新しい橋」の意味だが、パリに現存する最古の橋だという。確かに他の橋に較べるとアーチのスパンがやや短く、がっちりしていてクラシックな感じ。

ポンヌフ北詰、モネ通りとポンヌフ通り

 Y字型になった分かれ道と鋭角になった建物が印象的。

パリ市庁舎(Wiki

 セーヌ川右岸にあるパリ市庁舎は、1533年に拡張されてできた建物で、普仏戦争の際、1871年に焼失し、その後1892年に再建されたものだという。

サン・ミッシェルの噴水(右)

 サン・ミッシェルの噴水は、シテ島からサンミッシェル橋を渡った先のセーヌ川左岸地区にあり、カルチェ・ラタン(Wiki)地区の入口にあたる場所にある。大学などが多いカルチェ・ラタン地区にも行ってみたいところだったが、やはりノートルダム寺院だなと思い直して、橋を渡ってまた戻る。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
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#街並み 海外  #古い建物 海外  #海・川・池  #橋 
#官公庁  #オフィス  #新古典主義  #世界遺産 
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エッフェル塔から

1993-03-05 | フランス 

1993 Europe日記
1993.3.5(Fri) Paris

 パリの場合、周辺に高い建物がないので、途中のレベルでも十分眺望はよい。周辺を超高層ビルに囲まれてしまいつつある東京タワーとはかなり状況が異なる。

展望台から東南方向

 エッフェル塔の足下はシャン・ド・マルス公園(Wiki)。遠方の超高層ビルは、モンパルナスタワー(トゥール・モンパルナス・Wiki)、左方の金色のドームはナポレオンの柩が安置されているアンヴァリッド(オテル・デ・ザンヴァリッド・Wiki)。

1枚目と同じ東南方向のアップ

 右端、アンヴァリッドのドームの右奥の別のドームはパンテオン(Wiki)。中央やや左よりの二つの角形の塔がノートルダム大聖堂のようだ。市街地のアパートメントやオフィスはそのほとんどが高さ規制を受けているため、教会の塔やドームだけが街並みの上に飛び出して見えている。街並みのスカイラインをストック(観光資源)として保全する取り組みが、街並みが壊れないうちに早くから行われていることが改めて分かる。

 シャイヨ宮(Wiki)・トロカデロ広場と、セーヌ川に架かるイエナ橋(Wiki)。遠方に見えているいくつかの超高層ビルは、ラ・デファンス(Wiki)のビル群。

 低層部の展望台は高さが60m弱しかないため、シャイヨ宮も真横から見る感じになる。

 右やや上方から左端へ向かう緑の帯がセーヌ川。左端に架かるのはアルマ橋(Wiki)。中央の川向こうにある大きな建物がグラン・パレ(Wiki)。遠方の丘はモンマルトルの丘(Wiki)で、高台にそびえているのはサクレ・クール寺院(Wiki)。

 サクレ・クール寺院の前からパノラマ景が開けていたことからも想像してはいたが、モンマルトルの丘はやはりまちの中でひときわ高い高台なのだということに気付かされる。パリの街の周辺には高い山は全くないが、かといって街の全てが平坦なわけではなく、一説には7つの丘があるともいわれ、セーヌ川周辺の低地を囲むように、大きなスケールでゆったりと丘陵があるようだ。

展望台から西南、セーヌ川下流方向

 川の下流方面には高層マンションが建つ地域もある。また川に架かるビル・アケム橋(ビラケム橋・Wiki)は、下が自動車、上が鉄道と、2層になっていて印象的な姿をしている。

 塔や高台の展望台から街を眺めると、街の広がりや都市構造の概要を知ることができる。

 馬鹿と煙は高いところに行きたがるなどと云われるが、都市を観て理解を深める上では、高いところから眺めるのはある意味重要なことだ。実際、古代の要人は都市を造ったり、その様子を知るために、高い場所に上って平野部の様子を眺めたそうで、国見などの言葉も残る。

 別にエライ人でも何でもないが、個人としてであっても、展望台から眺望することは街を記憶すること、旅を充実したものにすることに寄与するだろう。

 さて、後で聞いたら他の二人は上まで上ったとのこと。いつになるかは分からないが、上の方の展望台は次の機会に行くとしよう。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
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#眺望  #塔  #街並み 海外  #エッフェル  #近代建築  #世界遺産 
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エッフェル塔

1993-03-05 | フランス 

1993 Europe日記
1993.3.5(Fri) Paris

 15:00 バスに乗ってエッフェル塔へ向かう。一日券を買っているので、躊躇が無く何度もバスに乗ってしまう。

エッフェル塔(Wikipedia

 最初から電波塔として計画された東京タワーとは異なり、エッフェル塔はパリ万博の展望塔として建てられたもので、後になってラジオの送信塔などとして使われるようになったという。だからどちらかといえば、機能重視ではなく、見栄え重視だったのだろう。東京タワーのように足下に送信設備のあるビルが納まったりしておらず、塔の足下はすっきりしているし、公園から見るときっちりとシンメトリーな景観になっている。

 この公園の並木と塔の姿も、パリ市の景観保全策によって保持されていることを、後になって知った。シンメトリーな景観は西欧ではかなり意識されている。日本でも近代以降の都市や、中国の影響を受けた都、寺社などにはシンメトリーな景観が見られるが、バロック都市ほどのこだわりは無い。

 何度も比べるのもどうかとは思うが、やはり身近で規模も近い東京タワーと比べたくなる。エッフェル塔の竣工は1889(明治22)年で、1958(昭和33)年竣工の東京タワーより70年近く前にできており、鋼鉄製ではなく、なんと錬鉄製なのだそう。昔なので太く大きな鋼材も造れなかった、使えなかったのだろう。最近の建物よりは全体に細い材で構成されている。

 技術的な理由もあるし、また当時はまだモダニズムの合理的デザインの時代より前だという理由もあって、エッフェル塔は東京タワーに比べると遙かに細かなディテールデザインを持っている。高さや姿形は似ているが、近くで見ると二つの塔は実はかなり異なっているのだった。

 足下から覗くと第1展望台のフロアは中央が空いていて、ロの字型をした平面している。鉄骨で造られたアーチのディテールがシルエットになって美しい。

 16:00 10FFで第2展望台まで階段で上る。さすがにこれは少々しんどかった。

 第1展望台(1er etage)から基部を見下ろす。第1展望台の高さは約57m、その上の第2展望台は高さ約116m。

 特段の理由はなかったのだが、別に高い料金を払ってまで頂部に上りたいとは思わなかったので第2展望台までにした。パリの場合、周辺に高い建物がないので、途中のレベルでも眺望は十分よい。そのへんは周辺を超高層ビルに囲まれてしまいつつある東京タワーとはかなり状況が異なる。

 途中のフロアには斜行エレベーターの巻上機があり、大きなホイールがゆっくり回ってエレベーターを上下させていた。東京タワーは塔の中央に垂直のエレベーターシャフトがあるが、エッフェル塔の下部では、斜めになった4本足の中にエレベーターが仕込んであり、籠はレールの上を斜めに上下する。このあたりも美的なものを重視したデザインに因る仕様なのだろう。複雑なことになってはいるが、機械が動くさまが近くに見えるのがまた面白い。

シャン・ド・マルス公園から

 ところで、エッフェル塔は各面の正面から見ると、すっきりして格好良いのだが、斜め方向から見ると、下部の広がりが大きく見えて、ややもっさりした感じになる。これは実際にパリに行ってあちこちからエッフェル塔を眺めてみて、初めて気がついた。

 設計・建設時にどのように意図していたかは知らないが、立面図的に見る時に美しく見えるようにしたようで、立体的になると却って下部のスカートが広がったようになって、安定感はあるが高さ感がやや減るような気がする。それもあって絵葉書などでもその過半が立面図的な写真になっている。

 これに対して東京タワーは立面図的に正面から見ると思っている以上に細身だ。もともと正面から見える場所が少なく、シンメトリー景観が得にくいせいもあって、多くの写真は塔に対して斜めに撮られていることが多く、そのラインが私たちの記憶認識の中でも一般的なものになっている。だから斜めから見た時にもっさりするなどということはなくて、逆に正面から見ると妙にすっくと建っている感じに思われる。

 エッフェル塔と比べた時、塔の足下のあたりのごちゃごちゃ感は東京タワーの景色の残念な部分なのだが、斜めから見た時のフォルムに関していえば、個人的には東京タワーの方がすっきりしていて高さ感が感じられるプロポーションなのではないかと思っている。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
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#眺望  #塔  #エッフェル  #近代建築  #世界遺産 
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セーヌ川・マドレーヌ寺院

1993-03-05 | フランス 

1993 Europe日記
1993.3.5(Fri) Paris

 14:30 コンコルド広場周辺をぶらぶら。

コンコルド橋(Pont de la Concorde)からセーヌ川下流側
アレクサンドル3世橋(Pont Alexandre III)とエッフェル塔

 広場の南側にはセーヌ川(Wiki)が流れており、そこにコンコルド橋(Wiki)が架かっている。一つ下流側には華やかな親柱を持つアレクサンドル3世橋(Wiki)があり、その向こうにはエッフェル塔が建っている。

 この付近の川幅は150mほどと浅草あたりの隅田川とほぼ同じ。ゆったりと水が流れるその川岸には多くのプレジャーボートが係留されている。

コンコルド橋からセーヌ川上流側
ロワイヤル橋(Pont Royal)、オルセー美術館(Musee D'Orsay)

 上流側(東側)を眺めてみると、右手にはオルセー美術館。そしてロワイヤル橋(Wiki)の彼方にはシテ島のノートルダム寺院が見えている。3月上旬のパリはロンドンに比べれば少し暖かく、川岸の風景も少し霞んで穏やか。

改修中のマドレーヌ寺院

 コンコルド広場を再び横切って、北側のマドレーヌ寺院(Wiki)に行ってみる。広場で遠くに見えていた時から不審だったのだが、近くまで行ったら正面ファサードは工事囲いで覆われていて、書き割りのファサードが描かれていることが分かった。最近でこそ、この手の書き割りは日本でも増えているが、当時はまだこのような例は日本ではほとんどなかったので、実際に目にした時にはかなり驚いた。

マドレーヌ寺院側面の列柱

 内部は修復中で見ることが出来なかったが、側面の列柱など一部は見ることができた。

 マドレーヌ寺院はギリシャの神殿のような形をしているが、完成したのは1842年で比較的新しい。柱の高さは30mだそうで、ジャイアントオーダーなどと呼ばれるもので、ギリシャの神殿などよりスケールアップした、ネオクラシシズム(新古典主義)様式の建物だ。ヨーロッパ各地の大きな都市には、ネオクラシシズムの近代建築があちこちにあって、それぞれに街のシンボル的な存在になっていることを、あとあと知るのだが、当時の私は不勉強でそのあたりについてはあまりよく知らなかったのだった・・・。

マルゼルブ通り(Blvd. Malesherbes)とセント・オーガスティン教会(Saint-Augustin, Paris)

 マドレーヌ寺院前の広場からも道路が他の広場へ向かって直線的に延びている。西北に向かうマルゼルブ通りの正面奥にはセント・オーガスティン教会(Wiki En)が、アイストップの位置に建っている。

 後年、パリ市では、このような見透しや遠近感のある風景を法的に保全していることを知ったのだが、この当時はまだそのようなことは知らなかった。ただ素直に、日本にはほとんど存在しない広幅員のブールヴァールや、バロック都市のシンメトリーな景観に、やや圧倒されながらシャッターを切っていたのだった。

 中心部をなんだかウロウロしている感じだが、やはりルーヴル宮の方へ行ってみようと思い直して、また少し戻る。

 15:00 ルーヴル宮の広さにビックリする。遙か彼方に入口のガラスピラミッドが見え、広大な場所に美術館があることを確認し、午後3時過ぎになってから入場しても仕方ないことを再認識して、今度はエッフェル塔へ行くことにする。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
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#ヴィスタ  #海・川・池  #橋  #教会  #新古典主義  #世界遺産 
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シャンゼリゼ通り

1993-03-05 | フランス 

1993 Europe日記
1993.3.5(Fri) Paris

 13:00 バスで凱旋門へ。シャルル・ド・ゴール広場(エトワール広場)で下車。

エトワール凱旋門(Wikipedia
竣工年:1836
高さ :50m

 とりあえず有名な凱旋門は見ておこう、写真を撮るなら1枚はシンメトリーな構図でと考え、道路を横断する途中でちゃちゃっと撮影。その際、屋上にちらちら人影が見えたことで上に上れるらしいことにようやく気付く。予備知識無しで適当に訪れると、そういうことをきっかけにどんどん予定が変わるが、この時はなぜか見学にはさして興味が無く、そこからシャンゼリゼ通りをルーヴル方面に歩くことの方が優先されたのだった。

シャルル・ド・ゴール広場からシャンゼリゼ通り

 大きなロータリーの中心に建つ凱旋門の足下までは行ってみる。シャンゼリゼ通り(Wikipedia)は幅70m。日本にはあまりない広幅員の目抜き通りで、しかもコンコルド広場まで約3km、一直線に続いている。また沿道の建物の高さなどが規制されているため、ほぼシンメトリーな街並みが視界の奥まで延々と続く。

シャルル・ド・ゴール広場からデファンス方面

 ルーヴル宮とは反対の方角、ラ・デファンス方面の様子。デファンスはパリ市外のため、市内のような記念的建築物に関わる高さ規制は受けないという。このためデファンスには近代的な超高層ビルが多く建ち並ぶ。
 エトワール凱旋門の周りのロータリーはいつも車がたくさん走っている。

 14:30 シャンゼリゼ通りをぶらぶら歩いて、コンコルド広場へ向かう。3kmもあるとは知らず、1kmほどのつもりで歩いていたので予想外に遠かった。

シャンゼリゼ通りの街並み

 シャンゼリゼ通りの街並みを構成する建物は、そのほとんどが白か明るいクリーム色の外壁。また、斜線規制を受けて上部がセットバックしている。一つ一つの建物の規模が比較的大きい、もしくは建物が連続していることもあって、比較的統一感があるゆったりとした街並み景観が創り出されている。

 3月上旬なので街路樹には全く葉がなく寒々しいが、そのぶん建物が織りなす町並みはよく見えた。

シャンゼリゼ通り・フランクラン D ローズヴェルト駅のある交差点付近

 途中には噴水のある広場が造られている。広幅員で真っ直ぐな道といい、ロータリーの交差点に面した噴水といい、日本とはスケールが違う。そのようなものを造らせてしまえる権力のすごさをいちいち感じ、そうならない日本の社会環境を残念に思ったり、逆にこういうことにあまりお金をつぎ込まない現在の日本の方が良いのかもと思ったり・・・。結果的には観光資源になっているからこれはこれで良いのかもと思ったり。。。

グラン・パレ(Grand Palais・Wikipedia
竣工年:1900

 グラン・パレは、1900年に行われたパリ万博万国博覧会のために建てられた大規模な展覧会場・美術館という。列柱が並ぶ古典的な外壁がある一方、鉄とガラスで巨大なヴォールトが造られているのが印象的。新古典主義のファサードを持つ巨大温室みたいにも見える。

 ロンドンのように雪は降らなかったが、3月上旬のパリはまだ寒く、シャンゼリゼを歩く人もまばら。彩りの少ない景色の中をコートを着た男性がひとり歩いている様子はモノクロ映画のワンシーンのようでもある。

 スケールが大きい景観は壮大で魅力的ではあるがが、これを向こうの方まで歩くのかと思うとそれはそれでややうんざりする。馬車かなにかに乗って、ある程度のスピードでもって優雅に移動する事を念頭において考えられた都市構造であり街並みなのかもしれない。

コンコルド広場とオベリスク
広場の設計年:1755

 ようやくコンコルド広場(Place de la Concorde・Wikipedia)に到着。広場中央に建てられているオベリスクは、ルクソールオベリスク(Wikipedia En)(クレオパトラの針・Wikipedia)と呼ばれ、1826年に、当時エジプトを支配していたムハンマド・アリーがフランスに贈ったものといい、1833年に広場に立てられたそうだ。
 先端部分が紀元前6世紀ごろに盗まれたとされており、1998年にフランス政府が金箔を施したキャップを先端に追加した。このため現在はこの写真より尖った形になっている。

 コンパクトカメラ(フィルム)なので、広角側で撮影すると周辺光量低下が起こっている。最近のデジカメはたぶんそのあたりも補ってしまっているのだろうが、昔のフィルムカメラはそのあたりの良し悪しがもろに出る。

 コンコルドと聞くと私などは昔の超音速旅客機を思い浮かべてしまうが、そもそもコンコルドは古代ローマ神話の女神コンコルディア(Concordia)に由来するもので「調和」を意味するそうだ。Wikiなどによると、フランス革命の時期の1795年に「コンコルド広場(調和広場)」と呼ばれるようになったという。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
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#古い建物 海外  #街並み 海外  #広場  #ヴィスタ  #道 
#モニュメント  #門・ゲート  #新古典主義  #世界遺産 
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モンマルトルの丘、サクレ・クール寺院

1993-03-05 | フランス 

1993 Europe日記
1993.3.5(Fri) Paris

 10:50 K氏とバスでモンマルトル(Montmartre)へ行く。

モンマルトル - Wikipedia
サクレ・クール寺院 - Wikipedia

 11:20 モンマルトルの丘を登る。一説には7つの丘があると言われるパリだが、モンマルトルの丘はパリ市内では一番高いらしい。丘の下の方にはキャバレー「ムーラン・ルージュ」などがあり、丘の上にはサクレ・クール寺院のドームがそびえる。

 寺院建物の下まで階段を上って振り返るとパリ市内を一望することができる。その後、サクレ・クール寺院(La Basilique du Sacre-Coeur de Montmartre)を見学。ドーム(Dome)にも上る。ドームは上写真の大ドーム下部の円環の部分まで上ることができ、ここからもパリ市内がよく見える。

 丘の上のDomeからの眺望は素晴らしかった。写真右端がエッフェル塔。中央のビルは建設後に景観的に失敗だったと言われたモンパルナスタワー。
 パリ市ではモンマルトルの丘など、高台に定められた眺望点からパノラマ景が見えるように、市街地の建物の高さが規制されている。モンマルトルの丘だけでなく、凱旋門の屋上などからも遠くが見えるようにされているため、市内の大半の場所では、建物の高さが約35m以下に規制される結果になっているという。

サクレ・クール寺院 Domeから

 日本でも最近は京都などで、周囲の山並みが見えるようにと、建物の高さや広告物の景観が規制されるようになっているようだが、パリの取り組みは40年ほど前から始まっていて、その規制によって写真のような広いパノラマ景が維持されている。

 実は1993年の訪問時には、そのような規制ががっちり行われていることを私はまだ知らなかった。ただ、モンマルトルの丘からは遠くがよく見えて、眺望がとても良いのだなと印象深く感じたのだった。

サクレ・クール寺院 Domeから

 12:00を迎え、鐘が市内各所で鳴る。

 12:30 丘の前でサンドイッチを買って食べる。フランスはやはりパンが美味しい。240円くらいで、ハム・野菜・フランスパンのサンドイッチが食べられる。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
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#古い建物 海外  #パノラマ  #眺望  #教会  #階段・坂 海外 
#街並み 海外  #ロマネスク  #新古典主義 
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パリ東駅へ

1993-03-05 | フランス 

1993 Europe日記
1993.3.5(Fri) Paris

 08:00 起床。次第に朝、起きられなくなってきた。少し疲れがたまりだしたのかも・・・。

ユースホステルにて

 写真右側が3人分のベッドがあるスペース。下段、写真中央奥と右手前で二人、その中間に少し見えているのが洗面。洗面の上部に上段のベッド(一人分)が下段と直行方向で設置されている。右の緑色の半円形のものがその上段のベッドへの足掛かり。普通の2段ベッドとは異なる変わったレイアウトだ。

 09:30 出発。Metroでパリ東駅へ向かう。

Porte de Bagnolet(ポルト・ド・バニョレ)駅
パリメトロ3号線(Wikipedia)

 ポルト・ド・バニョレ駅は、地下鉄3号線の東側終点の一つ前の駅。地下鉄3号線は1904年に最初の区間が開業したそうで、これは日本だと明治37年のことで相当古い。その後、徐々に延伸され、ポルト・ド・バニョレ駅のあたりは1971年開業だそうだ。

 掘削シールドの関係だろうか。ホームの壁面は円筒形を描いている。また第三軌条で電力を供給しているため、屋根上にパンタグラフはなく、当然、トンネル天井に架線も張られていない。

パリ東駅(Gare de l'Est) Wikipedia

 10:15 パリ東駅に到着。昨日の決定に従って予約を取ろうとしたが、Zurich乗り換えの列車は取れなかった。そこでBasel乗り換えで、Luzernに行くことにし、その先はまたそこで適当に考えることにする。とにかく3月7日の22:40に列車に乗ることになった。Couchett(簡易寝台)は1人86FF、約1,800円。

 パリ東駅は1849年に開業した古い駅。当初はトレイン・シェッドと呼ばれる、線路とホーム全体を覆う大屋根があったそうだが、現在はない。だが、待ち合わせ空間には、鉄骨とガラスで造られた美しい屋根が掛かっている。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
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#鉄道  #地下  #吹き抜け・アトリウム  #ホテル  #近代建築 
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