都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

ポンピドゥーセンター・フォーラムデアール

1993-03-07 | フランス 

1993 Europe日記
1993.3.7(Sun) Paris

 17:54 RER・C線、オルセー方面行きに乗る。少し揺れるが快適。

 18:30 St.Michel着。駅を出ると既に夕暮れ。ヴェルサイユよりパリは少し暖かいような気がした。街中だからだろうか?

セーヌ川とノートルダム・ド・パリ

 カルチェラタンの方角へ少し歩き、小さな土産物を買う。その後、ポンピドゥー・センター(Wikipedia)へ行く。

ポンピドゥー・センター(Pompidou Centre)

 夜のポンピドゥー・センターもきれいだった。レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースの設計により1977年に開館した、ハイテクモダンのはしりともいわれる建物。鉄骨の柱梁やブレース材、電気・ガス・空調などの配管ダクト類が前面にむき出しになっており、工場建築のようでもあり、機能性や合理性を追求してそれを表現した姿。

 東京とかだとベースになる街並みが明瞭ではなく、どんな建物デザインでもありなので、さほどの衝撃はないのだろうが、300年程前の石造りの建物が建ち並ぶ昔ながらの街並みを持つパリでは、このデザインは超モダンで今でも目立つ。建設当初、賛否両論があったのも頷けるもので、パリで新しいデザインの建物を建てる場合にはその中で新しいデザインを問う覚悟が求められるのだろうなと、周囲を見渡した時に感じたのだった。

 アプローチのエスカレーターも建物外側に設置され、敢えて機械感を前面に出している。展望を楽しめるようにもなっており、センター自体に入館せずとも建築の一端に触れることができるのも、他の旧来の美術館などとは異なり魅力的。

ポンピドゥー・センターからパリ市街

 エスカレーターで上に上ると、パリの夜景を眺めることもできる。中心部で夜景を楽しめる場所はあまり多くないようなので、これはうれしい。街中は全体に落ち着いた街灯りに覆われていて、ランドマークになるような教会や塔がライトアップされて目立っている。既存のストックを夜景においても上手く活用しているのが印象的だ。

フォーラム・デ・アール(Forum des Halles)

 ポンピドゥー・センターからあまり遠くない場所にある商業施設、フォーラム・デ・アールへも行ってみる。

 フォーラム・デ・アールは、中央市場(レ・アール)の場所を1969年に再開発したものだそうだ。20年以上経った建物としては比較的きれいだったし、1960年代としてはなかなか斬新で面白い建物だなと思った。しかしちょっと裏へ回るとやや薄暗い雰囲気で、その点はあまり好感が持てなかった。

 20年以上経った2015年になって改めて検索してみたところ、なんとこの建物は既になくなっていた。2016年に向けて再々開発中なんだとか。老朽化した建物の更新と、やや雰囲気が悪くなってしまったこの地区のイメージを刷新するためらしく、計画では商業施設群の上にドーム状の屋根を造り、その上に土を載せて緑地をつくるらしい。

 パリの街なかに建つ石造りの建物は、200年以上経っているものも多いが、一方で50年もしないうちに取り壊されて建て替えられるものもやはりあるようだ。現代建築の方が建物の一生が短いのだろうかと考えさせられる話でもある。

フォーラム・デ・アール付近の街

 フォーラム・デ・アール付近は、車が基本的に入らない歩行者専用のモール空間になっており、路上にカフェやレストランが張り出して夜まで賑やか。冬場なので路上の席に夜間座る人は少なかったが、暖色系の照明と大きな庇が賑わい感を演出している。

 フランスを出てスイスへ向かう夜行列車に乗るため、メトロで東駅へ行く。

 20:00 東駅でK氏と待ち合わせ。

 20:15 K氏到着。Invalidsでたまたま日本人学生の財布を拾い、Deffenceのホテルまで届けに行ったが、会えなかったという。二人で夕食をとることにし、駅近くの店でピザを食べる。

 22:00 S君と落ち合う。駅の切符売り場でスイス行きを探していた、法学部1年のH君という学生に会い、しばらく行動を共にすることにする。やや自意識過剰でお喋りな学生で、私などはどちらかというと敬遠してしまうのだった。

 22:40 発車ホームが分からず右往左往したため、間一髪で列車に乗る。危なく列車を逃すところだった。

 クシェット(couchett)と呼ばれる寝台は、3段ベッドの6人部屋で、とにかく狭い。足下に荷物を置いて、中段で少しだけ寝る。

 長距離鉄道での移動は今回の旅では初めて。寝ている間にフランスからスイスへ国境を越えるため、車掌にパスポートを預けるというのも初めての体験。途中駅で下車するので、到着少し前に車掌が起こしに来てくれるのだそうだ。こういう体験をするとヨーロッパを旅しているのだなと思うし、やはり広いのだなと思う。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
Google Map 1993.03 Europe

#眺望  #教会  #夕景・夜景  #新しい建物 海外  #ミュージアム 
#現代建築  #リチャード・ロジャース  #レンゾ・ピアノ 
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ヴェルサイユ宮殿2

1993-03-07 | フランス 

1993 Europe日記
1993.3.7(Sun) Paris

 ヴェルサイユ宮殿(Wikipedia)の壮麗な建物内部を見た後は、広大な庭園へ。

宮殿前から、西側に広がる広大な庭園

 15:40~17:30 付近の庭園を散策。とにかくものすごい広さ。

庭園側から宮殿建物を望む

 宮殿建物から約700m歩いて下ってきたが、十字型になった運河はまだ先。

大トリアノン宮殿(le Grand Trianon・Wikipedia

 途中から北へそれて、大トリアノン宮殿と、小トリアノン宮殿(le Petit Trianon・Wikipedia)も外から見る。

 幾何学的にレイアウトされた庭園も見たが、庭園内に置かれた彫像が、修復のためか覆いで覆われていたのがちょっと残念だった。

 小トリアノン宮殿はマリー・アントワネットが田舎暮らしの雰囲気を楽しんだ場所だそうだ。そのそばには牧場のような場所もあり、たくさんの羊がいたりもした。宮殿のなかに田舎のような風景が大規模に展開していることに驚く。

 敷地がとにかく広い。最初は運河の奥の方まで行ってから戻ってこようかと思っていたのだが、歩いている内に非常に寒くなって疲れてしまったので、早々に戻って駅の方へ行くことにする。しかし昔の貴族はこんな寒い日でも外で用を足していたんだろうか?

 パリ市内に戻る前に駅前のMcDonaldに入る。セットで30FFr。確かに世界均一。おかげで日本人がやたら多い。比較的安価であることも一つの理由かもしれない。観光客というものはどこでも同じ感じだ。

 RERの鉄道でパリ市内に戻る。空港から市内に到着する駅は怪しいことが多いが、それを除けば比較的どこも安全なようだ。ただし観光地の玄関駅周辺には、いろんな輩がいるので、下手に引っかからないようにせねばならない。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
Google Map 1993.03 Europe

#ヴィスタ  #城・宮殿  #バロック  #世界遺産 
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ヴェルサイユ宮殿1

1993-03-07 | フランス 

1993 Europe日記
1993.3.7(Sun) Paris

 13:54 ヴェルサイユ行きのRER C線(Wikipedia)に乗車。

 14:30 ヴェルサイユ到着。

ヴェルサイユ宮殿正面遠望

 ヴェルサイユ宮殿(Wikipedia)は駅から徒歩で約10分の場所。バロック的な都市計画に基づいて、宮殿の正面外部にも放射状に広い道が配されており、遠くからでも宮殿の正面入口を見通すことができる。

 正面の門と柵は恐らく鉄製。装飾部分が金色で、柵の黒い部分がその輝きを引き立てており、これだけでも美しい。

 後になって気付いたのだが、日本の迎賓館(旧東宮御所・赤坂離宮)の正門はこのデザインにかなり似ている。迎賓館の門と柵は白が基調でそこに金色の装飾がところどころにあるもので、黒と金で格調高いヴェルサイユ宮のそれに較べると明るい感じになっているし、細かいデザインの部分は当然異なる。だが、門と柵の高さの比率や、門自体の縦横比、ゲートの上に大きな飾りが付いていたり、サイドに通用口が付いていてそちらは柵と同様のデザインになっている感じなどはかなり似通っている。

 赤坂離宮をデザインしたのはフランス式の宮殿建築に精通していた片山東熊という人なので、門や柵のデザインはヴェルサイユ宮殿からヒントを得たのだろう。そのあたりも明治から戦前期にかけて、西洋様式建築を建てて欧米に追随することに懸命だった日本という国の様子が垣間見えるようだ。

宮殿前広場(Cour Royale)のルイ14世の騎馬像
華やかに装飾された宮殿中央部

 チケットを買って建物内へ。外の広場は広いので、多くの人がいてもさほど混雑している印象がなかったのだが、中に入ってみたらやはり見学者がたくさん。で、順路に従ってぞろぞろ歩いて見ていく。近年のようにデジカメでバシャバシャ撮ることができないので、気に入ったところでだけ写真を撮る。

王室礼拝堂

 たくさんの部屋を見て回るので、一つ一つがなんという部屋なのか次第に分からなくなる。帰国後に調べてみたら、ここは王室礼拝堂で、1770年にマリー・アントワネットと後のルイ16世(王太子ルイ・オーギュスト)の結婚式が行われた部屋だった。

戦争の間

 バロック期の宮殿建築なので、内装はロココスタイル。壁面から天井に至るまで所狭しと彫刻や壁画があり、そういう部屋が延々と何部屋も続くので、だんだんお腹一杯になってくる。いや~、とにかくすごいね~。

鏡の間

 14:40 宮殿の庭園側中央に位置する鏡の間はやはり圧巻。長さ73mというのもすごいのだが、幅も10m、高さも約12mあるという。長さに見合った幅でないと、やたらに細長い部屋になってしまうので幅はそれなりのものになり、またその幅にあった高さを考えると、結構な天井高になるのだろう。

 左側壁面の柱の間には全て鏡が張られている。大きな鏡の調達が容易ではなかった時代に、大量の鏡を壁一面に張って、部屋と庭の景色を映し込み、なおかつ部屋の大きさを更に大きく見せる仕掛け。光と視覚を意識して、魅せる建築を目指したバロック建築の代表的なものと言われるのも納得。

 コンパクトカメラの35mm画角では上手く納まらないので、ここでは2枚撮って合成している。

 宮殿内から庭園を眺める。池の向こうに林があって、その遙か彼方の方まで庭園が続いている。なにしろ面積約1,000haである。3km四方程度あるわけで、そこらの庭園とはスケールが大きく異なる。丘陵地に造られた森林公園みたいな感じだ。

戦争の回廊

 フランスの歴史の中で起こった様々な戦争を描いた絵がずらりと並ぶ部屋。絵とか壁画とか、装飾とか・・・。ほんとうにお腹一杯だ。

 さて、建物を出て噴水と池のある庭園、そして大小トリアノン宮殿の方へ向かう。

 

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
Google Map 1993.03 Europe

#古い建物 海外  #ヴィスタ  #城・宮殿  #教会  #バロック  #世界遺産 
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ルーヴル美術館

1993-03-07 | フランス 

1993 Europe日記
1993.3.7(Sun) Paris

 08:30 起床。
 09:00 朝食。
 10:00 出発。

 10:30 東駅にて切符の予約をしようとするがストライキで予約できず。そんなのありかよという感じだが、仕方がないので、荷物だけコインロッカーに預ける。S君は早速ヴェルサイユへ向かう。K氏と私はルーヴル美術館へ。

 11:00 ルーヴル美術館(Wikipedia)着。

ルーヴル美術館 ガラスピラミッド内の入口

 ガラスピラミッドの中に入ると螺旋階段があり、これで地階に下りるとチケット売場。当時はまだ全体が完成していなかったが、それでもそこから各時代のエリアに行かれるような仕組みが既にできていた。

 さすがにルーヴル美術館(ルーヴル美術館公式ページ)は人出が多い。私たちと同様の卒業旅行と思しき日本人も多数。日本語のガイドリーフレットもちゃんとある。音声ガイドもあったが、そちらには手を出さず。

 例によって、短時間でいろいろ見て回る特急ガイドを中心にして見て回る。ルーヴル美術館や大英博物館は一つ一つ丹念に見ると絶対一日では終わらないので、短期の旅行の場合に特急モードになるのは致し方ないことだ。

サモトラケのニケ

 サモトラケのニケ(Wikipedia)など、美術の教科書などに出てくるような有名なものがあちこちにある。大英博物館に行った時にも感じたが、ああ、これはルーヴル美術館にあるものだったのか、ということが何度もあるのだった。

 彫刻や絵画は、教科書や図集などで見ると大きさが分からないことが多い。もちろん、像高や絵のサイズが欄外に記されていたりもするのだが、それでも感覚的に大きさを把握していないことが多く、実際に現場で見ると、あれ?、こんなに大きいのか!とか、逆に、意外に小さいのだな~、と感ずることがしばしば。作品の記録写真としては他の見学者がいない方が良い写真になるのだろうが、見学者が写っている方が実際の大きさや高さがよく分かる。サモトラケのニケが、こんなに見上げるような位置どりで置かれているのも知らなかった。

 観光客が多いせいもあって、館内はややガサガサした雰囲気。

 常設展エリアでは、ストロボを用いなければほぼ写真撮影がOKだった。私自身はほぼどこでもストロボOFFなのだが、おばちゃん観光客などはオートでいつも撮っていてストロボOFFのやり方が分からず、ストロボをバンバンたいていたりする。人が多い状況ではいちいち注意をしている余裕もないのか、館員もなんだかお手上げみたいな感じ。

 広い館内でコンパクトカメラの小さなストロボを使っても、後方が真っ暗になって見た目と全然違う状態になるだけので、ストロボを使う気には全くなれない。自然光を上手く取り入れたりしているので、館内は比較的明るい。ISO400のフィルムを使えば、コンパクトカメラであっても、カメラをしっかりホールドして息を止めてそっとシャッターを押せば、それほどぶれずに撮れる。ただフィルムの場合、デジカメと違って現像してプリントしてみるまで手ブレしたかどうかは分からない。海外旅行などの場合、結果は帰国してからになり撮り直しもきかないので、ちゃんと撮れたか心配になることも多かった。

 昔からあった展示スタイルらしいのだが、絵が上下二段に並べられたりしていたのには、ちょっと驚いた。日本のように、恭しく一つ一つ並べて間を開けて・・・、なんてことがなく、どんどん並べてしまっている。たくさんの収蔵品があるので、出来るだけたくさん見られるように、ということなのだろうか? その辺のポリシーがよくわからん。

 後になって調べてみたら、昔は絵の展示は天井付近までびっしりということもあったようだ。「コルネリス・ファン・デル・ヘーストの収集室」(ヴィレム・ファン・ハーヒト)という絵などを見ると、壁全面を埋めるように絵が飾ってあって、ちょっと気持ち悪い感じさえする。ルーヴルの場合、敢えて昔のスタイルで展示しているのかもしれない。美術史などを専攻している人なら知っているのかもしれないが、そのあたりを知らずにいると、なんだか展示物の物量に圧倒されて、それだけでちょっともう疲れてしまうのだった。

 もともとが宮殿建築なので、展示されている絵画以外にも壁画や彫刻があり、そちらもなかなかのもの。西洋の古い絵画はこういう場所で鑑賞することが前提になっているのだなと改めて思う。しかし、部屋と部屋をつなぐ通路の上方、頭上高くに絵が展示されているのは、日本では見たことがない。高い壁面を見上げて鑑賞するというのはかなり意外な体験。

「カナの婚礼」ヴェロネーゼ(Wikipedia

 絵画の本などには、実際の大きさも情報として記されているが、ヨコ6mとかの巨大な絵画になってくると、なかなか写真では想像が付かない。現場で見ると、うわっでかいんだなぁと改めて思う。ルーヴルの場合、そういう絵がなんだか無造作に飾られている感じで、それにもちょっと驚かされる。

「7月28日-民衆を導く自由の女神」ドラクロワ(Wikipedia

 モナ・リザ(Wikipedia)なども見たのだが、周囲がやたら混雑していた印象しかない。絵自体はいろんなメディアを通して見ているせいか、「とにかく見たぞ」的な感じで、確認したというか、スタンプラリーでハンコを押して一段落、みたいな感じになってしまった。だから写真は撮っていない。

 ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」は超有名物件だが、この時はなぜかその周辺が空いていたので一枚。あと、記憶に割合はっきりと残っているのは、「ナポレオン1世の戴冠」(ダヴィド)や、「グランド・オダリスク」(アングル)あたりだろうか。

ミロのヴィーナス(Wikipedia

 今はどうか知らないが、1990年代に訪れた時は、ミロのヴィーナスもなんだか素っ気ない感じで展示されていた。有名な彫刻なのにこんな近くで見ても良いのかしら? という感じ。日本だと、地震で倒れたら大変、みたいな感じもあって、近くにも寄れないのだが・・・。でもこれ、レプリカ展示だったのかな?

 K氏は特急で見学。12時過ぎにルーヴルを出てしまう。私は少しのんびりして、13:30にルーヴルを出る。といっても私の滞在も2時間半弱。じっくり見たとはとても言えない。

 ルーヴル美術館から絵はがきを出したりもする。送料7.5FFr。意外に安かったので船便なのかもしれないとも思ったが、後で確認したらエアメールは3.7FFrだった。2通で7.4なので、0.1計算が合わないが、たぶんOKだ。

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
Google Map 1993.03 Europe

#新しい建物 海外  #古い建物 海外  #城・宮殿 
#吹き抜け・アトリウム  #屋内階段  #ミュージアム 
#現代建築  #I・M・ペイ  #世界遺産 
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