都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

Roma 6 ローマ市内

1993-03-13 | イタリア 

1993 Europe日記
1993.3.13 Sat Roma

 日中は暖かかったのでセーターを脱いでいたが、夕方になるとやはりひんやりしてきたので再びセーターを着込んで歩く。

 あちこちに古い建物があって、どれがどれやらもう分からない。とにかくみんな古いのね、というかんじ。城壁の内側は全面保存地区らしい。前にも書いたが、遺跡の中で人々が暮らしている感じの街だ。ヴェネツィア広場付近でまたうーんと唸ってしまう。トレビの泉へ行こうとしたが、間違って共和国広場に出てしまう。

ヴェネツィア広場 - Wikipedia
ヴェネツィア広場東側の二つのクーポラとトラヤヌスの記念柱
左:サンタ マリア ディ ロレート教会
  Santa Maria di Loreto, Rome - Wikipedia
中:サンティッシモ ノーメ ディ マリア教会
  Chiesa del Santissimo Nome di Maria al Foro Traiano - Wikipedia
右:トラヤヌスの記念柱 - Wikipedia

 教会はドーム(クーポラ)や箱型のバシリカなど、わりあいシンプルでプリミティヴなものが多い。上写真の二つのドーム型の教会は共に1751年に完成したもの。内部空間の演出としては、やはり近世以降のゴシックやルネッサンス、バロックの方が、華やかで庶民的に分かりやすく面白い。ビザンチンやロマネスクといった比較的初期のキリスト教会が多いので、古典的な感じなのと、壁が重々しく、やや泥臭かったり陰気だったりする感じで、取っつきは悪く、写真写りも地味だ。だが、それはそれで見るものが多い気はする。

 広場の片隅になにげなくあるトラヤヌスの記念柱はA.D.113年に建てられたもの。こういうものがごろごろあるのがローマ。

ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂 - Wikipedia
竣工年:1911

 古典的な建物が多い中、ヴィットリオ・エマヌエーレ II 世記念堂は、20世紀初頭に新古典主義様式でデザインされた巨大な記念碑的建造物。幅135m、高さは70mあるそうで、壮麗な姿は見応えがある。ただ、なんというか、他の古典的な建物に比べるときれいすぎる、整然とし過ぎている感がなくはない。

 18:30 疲れたので夕食をとることにする。迷った挙げ句、もとのカブールストリートへ向かう。食堂に入ると高いような気がしたので、ピザ1,200円、水450円、イチゴ300円を買ってホテルに戻る。

 20:00 ホテルで夕食。節約してはみたものの、こういう夕食はちょっと侘びしいから明日からはどこかで食べてしまおうということになる。相談の結果、明日はアッシジへ行ってみることにする。

 22:30 風呂。お湯が出なかった!とK氏は言っていたが、その後、私が入浴してみると普通にお湯が出た。理由は不明。

 23:00 就寝。

#街並み 海外  #眺望  #教会  #塔  #モニュメント 
#ローマ  #バロック  #新古典主義  タグ一覧

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
Google Map 1993.03 Europe
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Roma 5 カンピドリオ広場

1993-03-13 | イタリア 

1993 Europe日記
1993.3.13 Sat Roma

 フォロロマーノを見ながら、階段を上がっていったら広場に出た。建物に囲まれた噴水のある広場だったが、よく分からず、しばらく地図とにらめっこをしたら、そこがカンピドリオ広場であることが分かりビックリする。

カンピドリオ - Wikipedia

 ありゃ、こんなに何の変哲もない広場なのか。ミケランジェロが設計し、遠近感を巧みに利用したルネッサンス期からバロック期に至る名広場と言われるが、初心者にはなぜこれがそんなに重要かつ有名なのか、すぐには了解できないのだった。

 円形ではなく楕円形に模様が付けられた広場。つい円形だと錯覚してしまう心理を利用していると言われているが、写真に撮ってみるとそれほど円形には見えなくてやはり楕円形ベース。でも遠近感とか楕円形、歪んだ形を多用して視覚的に魅力的な姿を作ることに腐心したのが、ルネッサンスからバロック期の西洋建築のありようなのだそうで、その代表的なものとしての重要性がやはりあるのだろう。

 その後、真実の口へ向かう。こっちの方が「ローマの休日」で有名な庶民的な名所だ。ちょっとお上りさんチックで恥ずかしい気もしたが、お約束のように口に手を入れてしまう。

#街並み 海外  #階段・坂 海外  #広場  #教会  #塔 
#ミケランジェロ  #ルネッサンス  #バロック   タグ一覧

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Roma 4 フォロ・ロマーノ

1993-03-13 | イタリア 

1993 Europe日記
1993.3.13 Sat Roma

 16:00 フォロ・ロマーノとその周辺を見て回る。とにかくこの地域は遺跡だらけだ。古代遺跡めぐりも結構楽しい。古代にはこんな建物でそこらじゅうが埋め尽くされていたのだろうかと思うとすごいなぁと思う。

フォロ・ロマーノ - Wikipedia
バシリカ・ユリア - Wikipedia

 ただ、遺跡というのは想像力を要する。昔の街並みがどうなっていて、人々がそこでどのように活動していたかは、ローマ時代の建築スタイルやライフスタイルについての知識がないと想像もできない。柱の礎石だけがずらっと並んでいてバシリカの跡と言われても、その使われ方や建築の姿形は、ヨーロッパ古代の文化についてある程度知らないとわからないだろう。欧州の人々のように西洋建築の基本的知識がないと、遺跡もただの廃墟にすぎない。

 左:セプティミウス・セウェルスの凱旋門(Wikipedia)
 奥:サートゥルヌス神殿(Wikipedia)

 あちこちに神殿や凱旋門が建ち並んでいる。神殿が全て残っているわけではないが、象徴的なモニュメントがあちこちに立っているような感じだ。

 エリア内にはお店や住宅はないので、現代の街のような賑わいはなく、ひたすら石造りの遺跡を見て回るだけ。あまり広大だと次第に飽きてくるのも事実。

コンコルディア神殿(Wikipedia)

 現代のローマ市民は遺跡の中に暮らしてるみたいな感じだなと、K氏が言っていたのが印象的だった。

#街並み 海外  #眺望  #モニュメント  #教会  #門・ゲート  #ローマ  #世界遺産 
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Roma 3 コロッセオ

1993-03-13 | イタリア 

1993 Europe日記
1993.3.13 Sat Roma

 15:00 コロッセオ着。

コロッセオ - Wikipedia
建設年:A.D.80

 歩いていくと巨大な競技場の建物が見えてくる。客席の高さは52mもあるのだという。楕円形をした平面で長径188m、短径156mだとか。

 入口近くの個々のアーチ部分だけを見てもかなりの大きさ・高さがある。ローマに行ったらとりあえずやはりコロッセオは少しでも見ておくべきだなと改めて思う。

 煉瓦積みか石積みだと現場では思ったのだが、最近になって改めてWikiなどを見たら、ローマンコンクリートと呼ばれる天然セメントを用いたコンクリート造だそうだ。確かに煉瓦造のような細かな目地はなく、つるっとした壁面も多いが、一部には煉瓦っぽい部分もある。よく分からないが、構造体の主要部分はコンクリートで、部分的に煉瓦や石も使われていたということなのだろうか。

 内部までの見学は入場料が約600円掛かるので面倒になって入らず。隅々まで見てやろうというほど勉強熱心では残念ながらない。滞在日程も少ないのでそれよりもあちこち見たい。街をぶらぶらしたりもしたいので、じっくり見るのはパス。

 それでも観客席の様子は見学できるので、観光客でごった返す競技場を見て回る。約5万人が収容できたとのこと。現代のスタジアムと比べてもかなり大きな客席を持つ競技場だ。

 中央の競技場部分には昔は板が張ってあったのだという。「せり」や人力のエレベーターもあったといい。2000年近く前の施設ながら、かなりの設備があったらしい。

 2000年近く前の巨大なスタジアムを前にして、古代ローマの人々の建築技術や構造技術、巨大な施設を実現して運営する力に改めて驚く。

#古い建物 海外  #モニュメント  #野外劇場・スタジアム  #ローマ  #世界遺産   タグ一覧

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Roma 2 カラカラ浴場

1993-03-13 | イタリア 

1993 Europe日記
1993.3.13 Sat Roma

 ピラミデを見た後、歩いてカラカラ浴場へ行く。

 14:00 カラカラ浴場(Thermae Caracallae)の入場料は6,000Lire、これはイタリアでは結構高い方。でも高いなりに内部はやはりすごかった。結局、遺跡の規模だけでなく、ローマ人の知恵とか構想力とか、それが現代にまで残っていることなどにいちいち感心して見学する。

カラカラ浴場 - Wikipedia
建設年:A.D.212〜216

 床面にはモザイクタイルで模様が描かれている。ある程度、修復されたり復元されたりしているのかもしれないが、それにしても1800年前の装飾を、今、見られるのはやはりすごいことだなぁと思う。

 ノドが渇いて、4,000Lireもするジュースを飲んでしまう。まあ、まだ調子が完全ではないから、我慢したり無理はしないことにする。

#街並み 海外  #古い建物 海外  #ローマ  #世界遺産   タグ一覧

ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
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Roma 1 ローマ着・ピラミデ

1993-03-13 | イタリア 

1993 Europe日記
1993.3.13 Sat Roma

 07:50 車掌に起こされる。パスポートとユーレイルパスが返却される。

 08:28 ローマ・テルミニ(Roma Termini)駅着。

 09:30 ホテルを探して駅周辺を歩き回る。「地球の歩き方」に載っているホテルを2軒回るが、一つは閉まっていて、一つは感じが今ひとつだった。3軒目は愛想が良かったので決めかけたのだが、なぜか下の階の別のホテルに回されてしまった。どうやら上の階は満室だったらしい。上の階のホテルはPensione Everestという名で、下のはPensione Arzentina。ここらへんのホテルは一つの建物の中に階によって異なるホテルが同居していることが多いようで、ちょっと驚かされる。いくつも廻りたくないので、ここに決める。一泊60,000Lire、一人3,500円。3泊で一人90,000Lireずつ支払う。部屋はトリプルで、ダブルベッド+シングルベッド。なんだかだだっ広い。風呂、トイレは別だが、洗面はついていた。中庭が見える静かな部屋。

 10:00 街へ出る。朝から何も食べていない。駅前でサンドイッチ一つの朝食をとる。バスと地下鉄のフリーパスを買う。2,800Lire。バスルートマップを貰おうとしたら、足りなくなっちゃってありませんだと。うわぁい。それじゃ上手くバスを使えないじゃないのさ。

 10:30 なんだか早くも疲れてしまった。共和国広場でMcDonald'sを発見。またもや入ってしまう。慣れない国ではお世話になってしまうことが多い。

 11:00 JALのオフィスとOlympic Airlineのオフィスを発見。次のギリシャ行きと最後の帰国便のリコンファームをしたかったが、オフィスは土日でお休み。参っちゃうよね。電話をかけてみるが当然誰も出ず。後でいろいろ起こるのが嫌だったのと、当日、慌てなくてもすむように、下見も兼ねて空港のカウンターまで行ってみることにする。
 バルベリーニ(Barberini)から地下鉄A線に乗り、テルミニ(Termini)でB線に乗り換え、ピラミデ駅(Piramide)まで行き、近くのローマ・オスティエンセ駅(Roma Ostiense)へ。

 11:55 ここから20分間隔で出ているイタリア国鉄FSの空港線に乗り、フィウミチーノ空港(Aeroporto di Fiumicino)へ。列車は暖かく、日差しも春めいて、二人とも寝てしまう。地下鉄は混んでいたりして少し緊張するが、国鉄は空いていてゆっくりできる感じ。

 12:20 フィウミチーノ空港着。12:30 Olympic Airlineのカウンターで、リコンファーム。とりあえず良かった。JALの分はできなかったが、これはもう少し時間的余裕があるので、後日にする。

 12:55 空港からまたオスティエンセ駅へ戻る。

 13:20 ピラミデ駅で下車。ピラミデを見る。

ガイウス・ケスティウスのピラミッド - Wikipedia

 ローマにピラミッドもどきがあるとは知らなかった。しかも本場?のピラミッドより傾斜が急で、ちょっと奇妙な感じ。当時は、なんだろうなこれ、程度の感触しかなかった。

 後々20年以上経ってから、Wikiとかで調べてみたら、これは、古代ローマの執政官、法務官を務めたガイウス・ケスティウス・エプロという人の墓で、紀元前18年から12年の間に建造されたものなのだそうだ。本人の遺言で造られたらしいが、なぜ彼が古代エジプトのピラミッドに興味を持ち、自分の墓にしたかは不明だそうな。エジプトのピラミッドに比べると規模は小さいが、それでもこれだけの墓をわざわざ造ったとは。

サン・パオロ門 - Wikipedia 
ピラミデの近くに残されているローマ市のアウレリアヌス城壁とサン・パオロ門もついでに見る。この城壁と城門は、3世紀に築かれたもので、一時期は、ピラミデも城壁の一部として取り込まれていたのだという。

 まちなかに1000年以上前の遺跡がゴロゴロ転がっているようなのに軽くショックを受ける。もちろん文化財とかなのだろうが、驚くほど素っ気なく佇んでいる。わざわざ見学する人も少なく、傍らを自動車が普通に走り過ぎていくのは、日本人からするとやや奇妙な感触だ。

#街並み 海外  #モニュメント  #門・ゲート   #ローマ 
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