打越通信

日記ふういろいろ

阿蘇カルデラスーパーマラソン

2015-06-08 18:09:56 | イベント
熊本駅に暴走老人を迎えに行く。
阿蘇への国道、休日の朝は結構混むのだ。
ゴルフなどで朝早く阿蘇に向った経験から、行楽の人たちや観光関係に従事する人たちがホテルや観光所への通勤なのか立野を中心に良く渋滞したものだ。
しかし今や4車線化は進み、ほとんど渋滞もなく進んだ。
波野支所まではナビに任せクルマを進めていると、まだ9時前だというのに100kmの選手たちが走っていた。
集合場所の阿蘇市波野支所に着くが駐車場はまだ空いていた。
クルマを降り外に出るとひんやりとした空気、そして硫黄の匂いがした。
中岳の噴火が風によりこちらに流れているようだ。
彼はさっそく受け付けに行き、私はブラブラとスタート地点をうろついた。
100kmの選手たちにとって50kmの中間点は最大のエイドステーションのようでうどんのような食料を補給している。
南阿蘇の谷間から外輪山を高低差500mを駆け上がって来たとは思えないほど元気だ。
時計を見ると9時ちょっと過ぎ、スタートして4時間が過ぎている。
50kmを走るという人(女性)と年配のオジさんと3人でランニング話に盛り上っていた。
そうこうしていると熊本駅からのシャトルバスが次々にやってくる。



子供たちの太鼓演奏が始まった。
そしていよいよ11時、50kmのスタートだ。
クルマに戻り地図を見て、応援場所をナビにセットするが、11時半までクルマは出られない。
30分遅れでランナーのあとを追い、裏道で先回りする。
産山村役場を目指したが交通規制にかかりそうなのでそのまま県道40号線で75km(50kmは25km)付近のロケーションが良い所を見つけたのでそこで待つことにする。



300mmの望遠をつけたカメラと標準ズーム2台のカメラを持ち構図を決めていると必ずと言っていいほどランナーたちが立ち止まってピースのポーズと取る。
100kmの人たちもきつそうで中には歩く人、足を引きずるように走る人、気温は20℃くらいでそう暑くも感じられないけど、走る人にとっては暑いのだろう、しかしカメラの前では笑顔を作ってくれる。
オフィシャルなカメラではないのだが、シャッターを切ったよ(切ったふり)と片手を挙げると嬉しそうに走り去っていく。
待つこと4,50分、やっと暴走老人が見えた。
まだまだ余裕の表情だった。
彼を見送り、次のポイントに向う。
左手にランナーたちを見てゆっくりと追い越していく。
ロケーションをバックミラーで探しながら、そしてクルマを停める場所を探しながら行くとランナーたちは左折して細い路地に消えた。
新緑の杉木立の中を進み、南小国町に出た。
急いで外輪山を降り内牧温泉に出た。
小嵐山(しょうらんざん)方面に向う。



ゴール近くから逆走になるがここら付近を走るランナーは青ゼッケン(100km)の選手ばかりだった。
95km(50kmでは45km)付近で路肩にクルマを停め阿蘇五岳をバックに撮影場所を探る。
時計を見ると15時近くだ。
30分待ったが来る気配が無い。
クルマを捨ててコースを逆に歩き出した。
小嵐山まで来てしまった。
幼い頃、良く来た場所だ。



その横道から選手が降りてくる。
生存確認と思い外輪山への坂道を登り始める。
上が後どのくらいあるのか分らないが随分と登ったところで彼とであった。
まだ元気そうで彼も私を見るなりビックリした様子だった。
写真を2,3枚撮り彼は降りていった。



歩いて来た道(4,5km)をてくてくと歩いて戻り、ゴールの阿蘇総合センター(内牧)に行く。
途中で彼からメールが入り、45kmから歩きになるとの事だった。
ゴールではすでに何人かがゴールし歓声の声があがっていて異様な雰囲気だった。



100kmと50kmはゴールが別になっているのだが、100kmのゴールにはかなりご高齢な方やご夫人も多くいた。
待つこと1時間弱、時計では6時間50分過ぎ、彼がやってきた。
手をあげてゴールし写真に納まった。
しかしその後は芝生に倒れ込み30分間は立ち上がる事ができないでいた。
下り坂は足に来る、100kmの人たちは高低差500mを駆け上がりそして下ってくる。
100kmのトップは7時間40分を切ったとの事だ。
なんとも過酷なレースだが100kmを7分半ペースとは驚きだ。
それもアップダウンの激しいクロスカントリーみたいなコースで、驚きとしか言いようが無い。
彼の回復を待ってクルマで自宅を目指したが、彼は助手席でシートを倒し寝ていた。