静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ ”相手が赦そうと判断する”のは? ≫  金銭や”お詫び”言葉でなく 日本の政治姿勢ではないか

2015-12-31 08:57:53 | 時評
 * 毎日社説 戦後70年が終わる 「過去と穏やかな対話を」 http://mainichi.jp/articles/20151231/ddm/003/070/064000c
  戦後70年、昭和90年が今日で終わる。昭和62年だけでも、明治/大正の両年号を足した年数よりも既に長い。だが、敗戦後の70年は、平成を挟みながらも、国家の
 統治形態が変化した節目としての70年だ。 此の70年、果たして、国民主権(主権在民)、男女平等、言論/思想/宗教/結社などの基本的自由は平等に守られているか?
 基本的人権の侵害はどうか? 人種/民族差別は残っていないか? <異なる意見や価値観を対等に認める寛容さ>は失われていないか?  胸に手をあてて省みよう。 
 そして、この反省は内政問題だけではなく、実は外交政策とも通じていることに想いを致したい。
   1990年代以降のイワユル『失われた20年』を経験した日本人は、経済成長の鈍化/終焉に中国の勃興が重なり、自信を失ってしまい、其の焦りが政治家も国民もこぞって(がんばろう日本)(取り戻せ日本)といった団結スローガンにすがるようになった。冷戦後の新しい世界秩序の模索努力は『失われた20年』で茫然自失する間に放棄され、国粋的情緒の発露が自信回復願望に乗っかり、ナショナリズムを掻きたてた。それは見事に安倍政権に体現されている。 国の在り方を自分の頭で考え苦しむことをサボり、安易な道を歩もうとしていると私には見える。 そして、日本の此の国家主義的ふるまいが中韓との対立を激化させている。軍事大国化する中国の矛先がどうして日本に向くのか? それはこちらにも非があり、卵と鶏である。

 中国や韓国が政治的/外交戦術的思惑も絡め、対日歴史認識批判をずっと続けられる、それを許している状況が続く真の理由は、何か? 
それは日本政府/日本国民が「言葉面だけで、政治姿勢/態度/具体的施策で本当に戦前の思想や行動を否定していない」と解釈される言動を続けるからではないか。 
別の表現を使うなら、戦勝国による断罪ではなく、日本人自身で明治日本を総括していない、という指摘でもあろう。
 先日も述べた「反日カード」のうち、領土主権争いを別にすれば、どれもが日露戦争後の”大日本帝国時代の侵略行動/軍国主義的ふるまい”を暗黙否認する行為、と相手方には映るのが原因として在るからである。 靖国参拝しかり。歴史教科書記述も然り。南京虐殺の数字争い、も。

 先日の韓国との慰安婦を巡る合意に関し、「いったい元慰安婦たちはどうして欲しいのだろう?よくわからない」という率直な声がお茶の間に満ちたのではと想像する。 いったい、いつまで、どういうふうに謝れば気が済むの? という苛立ちでもある。 
  表向きは韓国政府が事前調整しなかったとか、金額の多寡、日本政府の「法的責任」などが不明瞭という理由付けで反対派や元慰安婦は政府を批判し合意に反対している。
 だが、韓国人の気持ちは、戦後このかた日本の歴代内閣が取って来た<東京裁判の否認、戦後処理策(靖国/教科書を含む>)への異議であり、それを変えようとしない政府/日本人への不信であろう。 恐らく中国人/中国政府も似たような猜疑心で固まっていると思える。 だから(外交戦術計算を離れても)悔い改めたうえでの謝罪には聞こえず、且つうわべだけで日本人は誤魔化そうとしている、との受け取りが変わらないのではないか。 そして、たぶん欧米も猜疑心/警戒心は共有していると思う。
    私の推論が正しければ、「一体いつまで、どんなふうに謝れば?」という疑問は今後も出続け、答えを日本人自身で見つけられない。堂々巡り、空回り、負のスパイラルと呼ばれる悪循環から出られないだろう。     <反省し改める>・・・それは国粋派が云う自虐ではない。 すり替えてはならない。
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