処遊楽

人生は泣き笑い。山あり谷あり海もある。愛して憎んで会って別れて我が人生。
力一杯生きよう。
衆生所遊楽。

畏るべき昭和天皇

2008-11-15 11:41:56 | 

松本 健一著、毎日新聞社刊

 

              

                                 松本健一氏

 

著者が竹内好論を書き始めた頃から、同時代の、いや同世代の評論家として目が離せないと思ってきた。「北一輝」をはじめとして、いい仕事をしてきている。この著作も、充分楽しませて貰った。齢を重ねた分だけ味のある文章になっていると思う。僭越ながら。

 

私達が普段知ることのなかった昭和天皇の発言や判断・行動について、歴史の事実の上からその畏るべき能力(さらに存在そのもの)を明らかにする。そして著者は、「あえて言えば」と前置きして、その畏るべきところを、 「二・二六事件のとき、北一輝から軍隊を奪い返し、戦後GHQ=マッカーサーを押し返し、自衛隊に突入した三島由紀夫を黙殺したたたかい振りにあった」と指摘する。

 

 

       ニ・ニ六事件         マッカーサーと昭和天皇

 

一、自らはアメリカからの短波放送に耳を傾け、軍の報告の欺瞞性を見抜い

  ていた。

一、二十歳の皇太子時代、初訪欧のバッキンガム宮殿における挨拶は、格式

  の高さと礼節と朗々たる音声で、参会者を驚嘆させた。 

一、戦時中、日本軍の南進の際、参謀総長はじめ軍首脳は、中立国タイへの

  上陸が国際法違反になることを気づかなかった。ただ一人天皇だけが知

  っていて下問した。

一、東条英機ら主戦論を前に、本来出席資格の無い重臣を大本営の御前会

  議に出席させて、挙国一致による戦争回避を狙った。

一、GHQに逮捕されることを嫌って近衛文麿首相は服毒自殺をした。この

  報告を受けて天皇は「近衛は弱いね」と述べた。

などのくだりは、ある種の感動を持って読んだ。

 

           

               昭和天皇 

 

著者が昭和天皇を「畏るべき」との形容詞が相応しいと思ったのは、1975年のエリザベス女王の来日の際の一シーンだと述懐する。

 

エリザベス女王と天皇の通訳をしたのは、外務省から派遣された通訳官・真崎秀樹。彼が、二・二六事件で蹶起青年将校から軍人政権の首班と推された真崎甚三郎陸軍大将の息子であると確認した時であったと言う。反乱軍の首魁の息子の起用は、天皇制が国内の権力闘争を越えて存続するシステムとなるための措置であったという。

 

著者結語。「昭和天皇は、現実政治を越えた彼方の虹であろうとした。そして実は、それ以外に天皇制が近代政治を越えて生き延びる制度的方法はないのである。昭和天皇の生涯は、そのことを身をもって示したのだった」

 

ところで、文中、日本が生んだ世界的名指揮者小澤征爾の名は、小澤の父開作が親交のあった陸軍の軍人板垣征四郎(関東軍参謀長、陸軍大臣)と石原莞爾(陸軍中将)から一字づつ貰って名付けたという記述があった。公知の事実だろうが、初めて知った。意外ではあった。

 

       

     板垣征四郎              石原莞爾

 

     

        小澤征爾     

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (1)
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