処遊楽

人生は泣き笑い。山あり谷あり海もある。愛して憎んで会って別れて我が人生。
力一杯生きよう。
衆生所遊楽。

箱根 ハイランドホテル

2024-04-03 10:41:03 | 温泉

齢40歳頃からだったろうか。年に一度の割りあいで金曜日に職場を抜け出しては箱根の温泉に浸かりに行ったものだった。 
行く先は箱根仙石原のハイランドホテル。新宿のハルク前から始発の小田急の直通バス。17時半発。ホテルには19時半からの最終夕食に間に合わせるという算段。     

    

箱根湯本方面から一号線を走ると、仙石原高原への入り口に位置した傾斜地に建つ低層の建物。白亜の壁と赤い屋根が碧空に映える文字通りのカジュアルホテル。いつかは利用したいとの思いを遂げてから約10年は箱根の定宿として通ったろうか。

    

当時,《オールドワイン》という名のレストラン・バーが食事処。そこでのお好みチーズとデザートの各種プチケーキが食べ放題が最高の贅沢。ストレス雲散霧消・勤労意欲再生の原動力であった。※上記画像は《オールドワイン》ではない。

     

ある時期には、森の奥深くにロッジ風の別棟の離れが設けられたことあった。勿論露天風呂付き。※上記画像は今回の居室
夜の静寂と早朝の鳥のさえずりを満喫したものだった。

         

近年は、ランチか時間調整での立ち寄りが殆どだったが、偶には変わり様を知りたいこともあり一泊を試みたのだった。
夕食のメニュー

     

浴場の更衣室の脱衣の収納はスチールのロッカー。衣服脱着のスペースが狭く、着替えに利用できる椅子は無し。当方の利用が遠のいたのはホテルのリニューアルによって使い勝手が悪くなったのが原因だったが、高齢者が多くなった現在も改良はされていなかったのは残念としか言いようがない。今後利用することは無かろう。

蛇足になるが、この日車で走って来た西湘バイパスは海が風雨で大荒れ、箱根に入ってからも視界10~20mのガス状態だったことも記しておこう。

     




 

    

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ボランティア初体験

2024-03-15 22:20:09 | 身辺雑記

恥ずかしながら、これまでボランティアなるものをしたことが無かった。この《ボランティア》という呼称も活動も、我が青春時代には聞いたことも見たことも無かった。似たようなものが《手助け》《助け合い》であったか。歳末に街角で楽器を奏でては協力を呼びかけるキリスト教系の社会活動を目にしていた程度だった。
それが阪神淡路以降、各地の災害救援活動に身を挺する若者の姿が目に見えて増加し、今では行政や国を救援に引っ張り出す大きな民衆勢力となってるのだから恐れ入る。正直なところ、身体が動いていた時代は時間も経済的余裕が無く今はその逆。あの「かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め」と宣うたスーパー・ボランティア小畠春夫氏の一世風靡からこのかた自然災害が報じられるたびにイジケては肩身の狭い思いをして来た。
ところが縁あって、生涯で初めてボランティア活動をすることになったのである。私にでも出来るボランティアの話が突如舞い込んで来たのだ。普段、街路樹保護運動をしている知人が、その運動仲間の「ボランティアが集まらない」とのぼやきを耳にし「暇を持て余しているのがいるから聞いてみる?」となり、働くのは2日間の午前中だけという条件に、「ならなんとか耐えられるだろう」と初挑戦になった次第である。
活動の場所は我が家から車で30分の ”遠藤笹窪谷公園” 。2年前に開園した浅い谷状の湿地・樹林・草地の生物多様性公園である。作業の中身は湿生畑地の草取りと石拾い。
初日、所定より30分早く現地着。9時前に 三々五々"仲間”が集まり、件の中心者より「今日から一緒にお願いします」と紹介される。男性6人女性1人。どうやら皆さんはお互いをよく知るボラン仲間のよう。どうやら60~70歳代。「無理はしない」「マイペース」「休み休みでいいから」「ひとのやり方を見て同じように」と大事かつ丁寧な訓示を戴く。作業道具は、用途に合ったのを勝手に使っていいと。まあ、腰痛持ちとしては、そのカヴァーに気遣わざるを得ず、肝心の作業の達成感より大過なく終えたことが何よりだった。
2日目、最終日。男性4人女性1人。前日とは違う皆さん。年齢域は同じくらい。作業衣・作業の腰つき・会話内容など相当のベテランか以前こうした仕事をしていたような頼もしい男衆。この日は石拾い。拾ってはプラバケツに入れていくのだが、土中から頭出しの石を掘り起こす作業はその石の大きさが判らず、結構な重労働。この日は婦人のボラン仲間からチョコレートを2片戴き、そのお礼に当方からは飴玉1つ。11時20分作業終了。
この両日の作業に当たったメンバーは《花菖蒲班》というらしく、この次の作業のピークは花が咲く6月頃のようで、貴重な戦力しとして登録され、招集の員数に入ったようだ。登録済みのボランティア。今後は如何なる災害救援ニュースにも怖じることなく、頭を挙げ胸を張り社会貢献の最前線を我がこととして創意工夫に励んでいこう。


        

    

 

          

    

    

遠藤笹窪谷公園(遠藤健康の森)HP

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厄除け詩集

2024-03-02 16:42:34 | 

 ハナニアラシノタトヘモアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ

        

幾つの齢の頃か、恐らく高校生時代からか妙に気に入った一節だった。
小気味よくリズミカル、明るい諦観と力強さ。意表を突くカタカナ表記のなせる技か。
後年井伏鱒二の作と知るに及んで氏の漢詩の造詣の深さと力量の並々ならぬものを感じたのだった。

もとは中国の唐の詩人于武陵の詩「勧酒」であり、井伏はそれを抄訳しカタカナで表している。
于武陵の詩とその書き下し文は下記になる。
 =原詩=     =書き下し文=
「勧酒」        「酒をすすむ」
勧君金屈巵    君に勧む 金屈巵
満酌不須辞    満酌 辞するを須いず
花発多風雨    花発けば 風雨多し
人生足別離    人生 別離足る 
  ≪註≫金屈巵:黄金の金盃,満酌:なみなみと酒を注ぐこと,不須辞:辞去する必要なし,足:多い
次が井伏鱒二の訳
コノサカヅキ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

井伏鱒二には漢詩和訳が17編あり、それらを収録した『厄除け詩集』は多くの出版社から出されている。
その中には李白の「静夜思」もある。

牀前看月光    牀前 月光を看る  
疑是地上霜    疑うらくは是 地上の霜かと
擧頭望山月    頭を挙げて 山月を望み
低頭思故郷    頭を低れて 故郷を思う

高校時代に教室で散々唱和してきたおそらく日本人に最も愛されて来た漢詩の一つであろう。
井伏によるとこうなる。
ネマノウチカラフトフト気ガツケバ
霜カトオモフイイ月アカリ
ノキバノ月ヲミルニツケ
ザイショノコトガ気ニカカル

原詩の五言絶句を見事な七五調に載せ、リズミカルに時にはコミカルに表現する大胆さは実に気持ちがいい。
手にした『厄除け詩集』は田畑書店版。英訳詩集は、ウイリアム・I・エリオットと西原克政が訳者である。小振りの愛すべき造りである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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大宇宙・七つの不思議

2024-02-25 18:41:33 | 

実に面白い本、楽しい本である。  読者が読み進むにつれて湧いてくる疑問を予め予期していたようにその道標や解説、解答が提示されてくる。その先はどうなっている?ああそういうことかと得心を得る。宇宙という未知の世界が、何が判って何が判らないのか、それは何故なのか、際限があるのか無いのか。普段思いを致したことのない大空・宇宙の建付けが、分かり易い語彙と流れるような文章、加えて適切なグラフや図解で理解を促してくれる。

   

書名のサブタイトルが《宇宙誕生の謎から地球外生命体の発見まで》とある通り、現在の宇宙研究の中で、飛躍的に進歩している分野は「宇宙の始まり」と「宇宙における生命」の研究だそうで、それを七つの章に分けた宇宙門外漢あるいは初心者への全解説書というのがこの著作の特徴といえようか。
ここで掲げている七つの不思議は以下の通り。興味を引き付けずにおかない(ブログ主には)。
 1,火星の水と生命の行方
 2,第二の地球・無数の地球
 3,沈黙を続けるETたち
 4,宇宙の果てから来る光
 5,目には見えない宇宙の主役
 6,高次元空間に浮かぶ膜宇宙
 7、宇宙が人間を生んだ意味

何といっても最も動かされたのは我々人類の地球外生命体の探求の飽くなき挑戦の姿である。ミステリアスでスリルに満ち夢とロマンに溢れているのだ。

丁度今日2月25日付朝日新聞 ”日曜に想う”が、アメリカ国防総省がUFOとUAPに関するウェブサイトについて日本の国会で質疑されたことを紹介しつつ、「地球外知的生命体について考えることは、地球の文明や科学を相対化し普遍性を問い直すこと、愛、戦争、宗教といった概念を、他の生命体も共有しているのか。(中略)問いは尽きない」と綴っていた。

         

佐藤勝彦(東京大学大学院理系研究科教授)監修のこの本の結語はこうである。
宇宙を問うこと。
それは結局、人間を問い、私を問うこと。
なぜ、人間は宇宙のなかに生まれたのか。
なぜ、私はここにいるのか。
それは偶然か、必然か。
答えは、まだ、わかりません。
永遠にわからないかもしれません。
ただ一つ、確かなこと。
今、この宇宙のなかに、この地球の上に、私がいて、あなたがいること。
そして、私とあなたは、私たちすべては、私たちと地球は、つながっていること。
つながっているからこそ、私たちは生まれたのだということ。
宇宙を知り、人間を知り、私を知ることは、それらのつながりに気づき、深く理解することです。
宇宙と私の、つながり。
私とあなたの、つながり。
かけがえのない、愛おしいつながり。
それを、必然のつながりと信じることに、間違いはないと思います。
私たちは、つながっている。
宇宙は、もっと大事なことを、教えてくれるのです。

ウクライナ侵攻中のロシアが宇宙核を意図しているとの観測が数日前に報道された。我が国のH2号機の後継ロケットの打ち上げが成功したとのニュースも流れた。このタイミングで未知の時空を浮遊しさまざまに夢想できたことは実にラッキーだった。

付記:本とネクタイは他人の薦めに従うというのがブログ主の人生訓のひとつ。小さな個性・狭い意識にとどまらないため。
この本は私の敬愛する人生の先輩(国立大工学部系)から送って戴いたもの。約20年前の書下ろし文庫。ためになりました。また一つお世話になりました。感謝。

 

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マルクスの場合

2024-02-17 16:24:20 | 

不思議な内容の本というのが率直な感想。尤も、すべての本は、著者の勝手な想像力の詰め物であるからして、いわゆる本である。でも変わった本である。数年前、著者と親交のある友人から「傑作だから読んでみたら」と頂戴したのがこの著者との初めての出会い。『神南備山のほほとぎす--私の新古今和歌集』なる本。和歌に門外漢の身では敢え無くアウト。親切にも此の度もその友人からの賜わりもの。

      

この書名に一瞬デジャブに包まれた。何しろタイトにマルクスですから。おさおさ警戒に怠りなかったが、やがてこれが愛犬の名前であることを知るや力みが取れた。その叙述部分が面白い。以下の通りだ。”マルクス・アウレリウス、通称マル。私がこの名前を提案したのには、ちょいとしたわけがあった。というのは、大学時代の友人江島正啓の家で飼われていた犬がディオニソッスというギリシャ神話由来の名前だった。みんなからディオと呼ばれて可愛がられていた。私もディオのような魅力的な犬を飼いたいと密かに願っていたのだ。そのディオニソッスに対抗しての賢帝マルクス・アウレリウスだったのだ”という下りだ。

ことほどさように至る所で著者の嗜好の強さと博識ぶりが伺える。例えばクラシック音楽。モーツアルトのレコード『レクイエム』を聴く。指揮はカール・リヒター、ファゴットとバセット・ホルンが響き始める。悲しいとき辛いときに聴いてきた私のためのミサ曲という。学生時代は煙草銭に事欠いてもモーツアルトを聴いてきた。ある時はバッハを聴くためにスカイライン2000GTを諦めた、などとある。
日常を切り取ると、パジャマでキッチン、珈琲豆を挽く間にトーストを焼き母造りのサラダを冷蔵庫から出しローズマリーの蜂蜜垂らしのトーストを食し、まず朝刊のスポーツ欄と読書欄で本を物色。午後は音楽をBGMに読書・うたたね、遅い午後に町に出、レコードと本を漁る。この日は白水社のアルフレッド・ジャリの『超男性』が発売されてるかも知れないと胸躍らせるという具合。
いつも四冊を並行して読書している。此処で揚げているのは、ガルシア・マルケス『百年の孤独』、ファーブル『昆虫記』 、中国の『孫子・呉子』、天野清『量子力学史』。

愛犬マルと生きるこの物語の主人公は、著者自身の投影であろう。というより半生記と言うべきか。ググると一目瞭然。工業大学経歴の電気店主と著作業を両立しているのだから畏れ入る。第8章”旅路の果て”に、著者の居住環境の詳細が出てくる。ビールの比較に始まり、学生暮らし、彼女との出会い、小学校の教育指導への反発、大学院拒否と哲学への転身、文庫・新書・全集・辞典類、『Newsweek』、ヌーボ・ロマン、サミュエル・ベケット著作集、アルセール。カミユ全集、中南米作家のたちの作品群、和漢の古典、クラシック音楽の愛好と造詣も尋常ではない。

小学生のときからズボンの右ポケットに入っている肥後守に共感し、雷鳴の中マルクスを埋葬するシーンの語りかけに圧倒された不思議な本であった。かてて加えてこの本、手にした時に丁寧に作られている印象が強かったことを特筆しておこう。。

著者    諸井 学
発行    ほおずき書籍
発売    星雲社
初版        2024年1月31日 288頁

 

 

 

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