処遊楽

人生は泣き笑い。山あり谷あり海もある。愛して憎んで会って別れて我が人生。
力一杯生きよう。
衆生所遊楽。

ザ・マジックアワー

2008-06-25 23:41:06 | 映画

三谷幸喜監督は、心底映画好き。それがビンビンと伝わってくる。

映画で育ち、映画を愛し、楽しんでつくり、客の入りに気もそぞろ。

キャストもスタッフも、みんな同じに映画好き。その気分がそのまま伝わるから、客はみんなハッピー。人気のゆえだろう。

     


三谷映画の常連に加え、芸達者なベテラン役者が、チョイ役で顔を出す実に贅沢な俳優陣。三流役者役の佐藤浩一、ギャングのボス役の西田敏行、C調支配人役の妻夫木聡など主要キャスト10人。小日向文世、寺島進、香川照之、深津絵里、市川亀之助その他おおぜい。見たことはあるが役者名が最後でわからなかったのが柳沢真一。まあ懐かしいこと。

  


名作映画のオマージュが一杯。
『 カサブランカ 』(マイケル・カーティス監督:42年) 
『黒い十人の女』(市川昆監督:61年)
『ギター弾きの恋』(ウディ・アレン監督:99年)
『明日に向かって撃て』(ジョージ・ロイ・ヒル監督:70年)。

ラストに登場する殺し屋・デラ富樫のイメージは、そういえば『 コンドル』(シドニー・ポラック監督:75年)の殺し屋マックス・フォン・シドーに違いない。どのブログも触れてはいないが。

監督役の役者として市川昆監督本人が出演。遺作となった。

三谷は、封切前にTVをはじめ150のメディアで、宣伝、話題づくりに登場したというが、これはやり過ぎ。製作のフジテレビの意向かしら。さりげなく音なしでサラッとやればもっと株が上がるのに。

”ザ・マジックアワー公開記念 三谷幸喜プロデュース 天塩商会公認 揚げパン”なるものが95円でその辺のスーパーで売る出されているに及んで、何をかいわんやである。


  

さて、三谷映画の今後の課題は、国際舞台。アメリカ映画に慣れた目には、いかにもちゃちな映画造りに見える。世界がどう評価するか楽しみである。

オフィシャルサイト

マイカル・シネマズ新百合ヶ丘 95点



 

 



 

 

 

 

 

 

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クルム伊達公子

2008-06-17 21:43:33 | 

この4月に、11年半ぶりにプロに復帰した伊達公子。

 

4試合目の東京有明国際オープンで優勝した。

 

19歳年下の秋田史帆を、テンポの速い攻撃で撃破。見事と言うほかない。

 

「若い選手には、勝つことへの執着をもっと持って欲しい。真剣勝負をしている時間・空間が今はとにかく楽しい。新たなチャレンジを、続けていきたい」と。

 

     

 

暫くの間、彼女の素晴らしい笑顔が見られる。

 

 

 

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あじさい・紫陽花・アジサイ

2008-06-14 23:22:49 | 四季

今が一番いい季節。

 

 種類がたくさんあるんですね。

 

ひょっとしたら、バラより種類が多いかも。

 

原色のバラより、色彩が豊かで微妙なパステル調。

 

そう、日本的なんだ。

 

 

            

 

 

             

 

 

          

 

 

           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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鄧小平秘録(下)

2008-06-08 20:50:29 | 

伊藤正著 産経新聞社刊

 

改めて力作と認めたい。中でも明らかにされた四人組拘束の展開は、よく出来たフィクションの如くである。以下は、下巻の一部抜粋。

 

 

 

<四人組拘束の展開>

「宮廷クーデターさながらの逮捕劇は、中国共産党史に前例はなく、毛沢東時代のルールにも反していた。毛は政敵を追放する場合、会議での多数決という手続きを踏んだ。無法が罷り通った文革期でさえ、小平の二度の失脚も含め、そうだった」

 

「華国鋒、葉剣英、李先念、汪東興が周到に準備したシナリオ通りだった。76年10月6日。午後3時に、王洪文、張春橋、姚文元に“午後8時から政治局常務委員会”の通知が届く。議題は『毛沢東選集第5巻』の校了、毛記念堂の設計の検討・・・。午後7時、華、葉が会場の中南海の懐仁堂に到着。汪は数人と屏風の陰に隠れる。やがて張が8時に懐仁堂に入ったところで、反党・反社会主義の罪を告げられ、連行される」

 

「翌7日、小平は監視下の自宅で四人組逮捕を耳にした。伝えた賀平は家中に仕掛けられた盗聴器を避け、夫妻と3人の娘を浴室に呼び、浴槽の水を流す音を立てながら、逮捕の顛末を話した。この時小平は『とても感激し、指に挟んでいた煙草が小刻みに震えていた』という。

 

 

<小平の最大のライバル・保守派の重鎮・陳雲の胡耀邦追い落しのシナリオ>

「まず小平と連合して華国鋒を倒し、次に趙紫陽(首相)と連合して胡耀邦を倒し、その後再び小平と連合して趙紫陽を倒す。最後は小平を孤立させ、従わざるを得なくする」

 

 

<変わり身の早い現実主義者・小平>

「胡耀邦は理想主義者で、彼の目指す改革にはタブーがなかった。それに対し、小平は経済分野の自由化を進めた反面、改革が少しでも一党独裁体制の維持に不利とみると、たちまち保守派に変身した」

 

「文化・言論界の様々な議論も、青年たちの新しい風俗や娯楽も、改革・開放のおかげだった。それが、社会主義を脅かすと感じたとき、小平は毛沢東が文革を発動したように、極左派にくみし運動を組織した。しかし、その影響が経済分野に及ぶと知ると、すぐに変身した」

 

 小平のやり方>

「小平は毛沢東の旗を掲げて非毛沢東化を進め、社会主義の政治原則を強調しながら、市場経済を実現した」

 

<天安門事件は李先念の謀略>

「89年4月、胡耀邦追悼大会後の学生デモを長老らは“動乱”とし、やがて“反革命暴乱事件”とした。李先念の反革命暴乱をでっちあげればいいとの提案が発端。『ごく少数の者が裏で画策し、デマをつくり、挑発扇動をして事態を拡大、動乱を通じて共産党の指導と社会主義打倒の政治目的を達成しようとしている』という謀略の通告が、“人民の軍”の武力行使への心理的抵抗感を大幅に軽減した」

 

 

<歴史問題に関する毛沢東の言葉、64年7月佐々木更三に>

「日本の友人が皇軍の侵略を謝ったので、私はそうではないと言った。もし皇軍が侵略しなかったら、中国人民が団結し立ち向かうことも、共産党が権力を握ることもなかったのです」

 

 小平の負の遺産>

「江沢民チルドレンと呼ばれる世代の登場は、おそらく小平の想定外だったろう。それは政権の理性的対日政策を妨げ、共産党の権威を損なう一因にもなっている。しかしそれもの遺産に他ならない」

 

 

巻末資料の充実が、じつに行き届いている。索引は上巻分も含めて、アルファベット順にページ・ナンバーを記載、語句の引用箇所がたどれる。この中には人物名もすべて網羅されているが、それとは別に『人物リスト』があり、一人物につき4~5行の筆者によるwho’s whoが記述されている。驚くのは「参考文献」。単行本だけで約800点というが、新聞・雑誌の類を含めれば、その渉猟の多さはあきれるばかり。

 

者も第六部「先富論の遺産」で「小平が予測できなかったのは、インターネットが農民にまで普及し、党による情報統制が無力化した時代の到来だったろう」と指摘するように、チベット騒乱や四川大地震の責任が国家・共産党にあるとの非難は、ネットによって増幅された。党がコントロールする新華社や人民日報、はたまたCCTVではなかった。共産党が生き延びるためには、多党化を計ることしかなかろう。その意味で台湾の国民党とのテーブルにつき、外交部出身の王毅が台湾弁公室主任に付ついた意味は大きい。国民党を抱き込んで、共産党一党の責任を回避するシナリオではないか。

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モンテニュー通りのカフェ

2008-06-06 23:50:59 | 映画

原題:FAUTEUILS D'ORCHESTRE      

米題:AVENUE MONTAIGN

 

     

 

人生の哀歓、男と女、ファッション、会話など、小粋でウィットに富んだフランスらしい人間模様。

 

舞台かTVかで悩むベテラン女優、ハイソサエティ相手の音楽活動に嫌気が差している有名ピアニスト、生涯のコレクションを手放す美術収集家。パリ8区のセレブの街のカフェを舞台に繰り広げられる人情喜劇。

 

狂言回しの田舎娘ジェシカが素晴らしい。明るくて、前向きで、優しさ一杯。フランスでのアンケートでは、「友達に欲しい」女優のno.1というのが頷ける。

 

   

 

ジェシカのおばあさん役のシュザンヌ・フロンはエディット・ピアフの秘書から女優になったとかで、ロバート・キャパの婚約者、ジョン・ヒューストンの恋人だったんだって。

 

       

       スザンヌ・フロン           シドニー・ポラック

 

 先日、亡くなったシドニー・ポラックが米映画監督役で出ていた。06年制作の映画だが、これもご縁。改めて黙祷。

 公式サイト

ユーロスペース2  95点

 

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