処遊楽

人生は泣き笑い。山あり谷あり海もある。愛して憎んで会って別れて我が人生。
力一杯生きよう。
衆生所遊楽。

戦豆の猿まわし

2021-01-31 18:47:06 | 身辺雑記

前号(中山晋平記念館)の続き・・・

まだチラホラの段階の梅花を矯めつ眇めつしながらなだらかな梅園を歩く。

ベンチを拭く桃色の法被姿の女の子。よく見るとリードの先に猿が一尾。きれいに拭き終わった後を猿が歩き回っては、女の子が「ダメダメッ!」とか「降りなさい!」とかやってる場所に出っくわす。幟が立って、地面にはシートが敷かれている。聞けば、「猿回しです。お時間があればやりますけど」と。それから15分間、笑い転げました。

戦豆の猿まわし”という人猿一体の大道芸人屋さん。いま風にはイベント屋とでも言おうか。

このチームの名は”春らんまん”。春ちゃんとらんま君という姉弟の珍しい組み合わせのよう。

はじめ子猿かと思っていたが、成猿かもしれない。コンビを組んで3年目と口上にあった。

「らんまはまだ学習中です」と春姉さんが語っていたとおりミスが出る。しかし当のらんま君は知らんぷり。その仕草が可愛いく思わず大笑いの拍手。

 

 ひょっとしたらグルになってお客を騙している節をある。

コロナ禍、梅の開き具合も未だという塩梅のなかだが、客も三々五々集まり始めた。真ん前のベンチで砂被りという贅沢。

この日のらんま君の芸は、輪くぐり・ボール乗り・梯子越え・竹馬。

よくイルカ・ショーなどである一芸毎にご褒美というのか餌を与えるという仕掛けは、どうやらラジカセから流している音楽にあるようだ。春ちゃんが股引きから出してはボタンを押して名刺入れ大の器具だろう。

出し物が終わった後に、お礼のあいさつと心尽くしの無尽の笊。記念に戴いたのが会社の名刺とお猿のキーホルダー。

とても印象に残ったペアだったことから、改めて”戦豆の猿まわし”を括ってみて感動したことがあった。社員の猿をまわすお兄さんお姉さん。皆さん一様に「たくさんの人に喜んでもらえる、笑ってる顔を観るのが嬉しい」のでこの仕事を選んだという。猿が好きだからというのが二番目の理由。

「動物園の飼育係や獣医大などを狙っていたが、とても無理。結局この仕事に就くしかなかった。でも今は最高」という内容がホーム・ページに書かれている。是非これは読んでみて欲しいと思わずにはいられない。

 

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中山晋平記念館

2021-01-28 17:49:43 | 音楽

コロナ禍による自宅蟄居の禁を破って、近間に出かける。箱根・熱海・伊豆。

熱海の梅園は、残念ながら若干の時期尚早。人出の少ないことが幸いし、今回初めて園内の中山晋平記念館を訪れることが出来た。これが思いの外の収穫だった。入場無料。靴を脱いで上がり、居室内を自由に鑑賞出来たのだった。

 

日本を代表する作曲家中山晋平。歌謡曲から校歌・社歌にいたるまでその守備範囲は広く、作った曲は1770を数えるという。両親が口ずさんでいた『カチューシャの歌』や『ゴンドラの歌』も彼の手になるものだった。

  

我々世代では、北原白秋、野口雨情、西城八十などと抒情歌の世界にイメージは連なる。

 

元は、同市の西山町にあった別荘としての旧宅を移築したもの。ガラス戸を多用した明るい木造建築。

佇まいは昭和そのもの。素朴で温かくてそれでいて開放的。戦後の世代もノスタルジーに浸ることになる。

  

管理するのは、市なのかしら。いろいろ案内をしてくれた婦人は温かく丁寧で親切。とても好感度でした。

なお、生まれ故郷の長野県中野市には、市が運営管理する鉄筋コンクリート造りの立派な記念館が建っているが、同名ながらここ熱海とは全く関係ないようだ。

  

今の小学校の「音楽の授業」では果たしてどのような曲を歌っているのかしら。いわゆる童謡は歌われているのでしょうか。そうした年代の子供たちに全く縁のない世代としては、是非歌い続けて欲しいし歌い継がれて欲しい。

私たちがかつて歌った中山晋平の歌、今どの位歌えますか。ちなみに中山晋平作曲の童謡は次の通りです。

 

シャボン玉』『てるてる坊主』『あめふり』『雨降りお月』『証城寺の狸囃子』『こがね虫』『あの町この町』『背くらべ』『鞠と殿様』『砂山』『肩たたき』『赤ちゃん』『あがり目さがり目』『あひるのせんたく』『うぐいすの夢』『兎のダンス』『おみやげ三つ』『蛙の夜廻り』『かくれんぼ』『かじかみ坊主』『かっこどり』『からくり』『蛙の夜まわり』『キューピー・ピーちゃん』『雲のかげ』『げんげ草』『恋の鳥』『木の葉のお舟』『すずめ』『田植』『茶の樹』『手の鳴る方ヘ』『遠眼鏡』『鳥かご』『猫の嫁入り』『ねむの木』『風鈴』『迷い子の小猿』『鞠と殿さま』『夕立』『路地の細路』

 

 

 

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日没

2021-01-26 16:57:05 | 

著者 桐野夏生

出版社 岩波書店

 

 

恐ろしい内容の作品である。普段の生活が絡めとられてゆく。「何故だ!」。その理由が明らかにされぬまま、やがて「お前は悪だ!」と聞かされる。「改めろ!」と迫られる。抗うが敵の圧倒的な力の前に心身がボロボロになる。助かるために妥協するか自己を貫いて死の道を選ぶか。

理不尽に拘束された一人の作家が、国家権力によって次第に朽ち果てていく数か月の過程が、克明に刻まれていく。その描写は身の毛がよだつ。息苦しくなってくる。頁の先が怖ろしくて何度読むのをやめようと思ったことか。それは、私自身が同じ状況下に置かれた時、きっと、いとも簡単に転向してしまうであろう自分であることを知っているから。それが辛いし悲しい。とてもこのマッツ夢井のようには戦えないからだ。

著者は、朝日新聞への『不寛容の時代』と題した寄稿文の中で次のように述べている。「小説は、自分だけの想像力を育てる。言葉は目に見えないものだから、読者一人一人が想像することでしか、その小説世界を堪能することはできない」と。

その著者の想像力によって描かれる”療養所”の更生生活の凄まじいこと。その力の前に私はノック・アウトされてしまった。戦意喪失である。

世界も日本も、分断と差別が指摘されて久しい。自由の抑圧、思想の弾圧、人間性の破壊。近未来にあり得るかもしれない日本社会の姿。

数年前、誰かが新聞に書いていたのを思い出す。「大事なのは、なにかの仕方で、常に国家や戦争に対峙する姿勢を準備すること。観念の旗の大きさより、その底にある態度が重要だ」

著者に刺激されて、こちらも想像力を逞しくして未来への力を蓄えて行こうと思う。

 

 

 

 

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鉄道員

2021-01-03 17:15:17 | 映画

イタリアのネオ・リアリズムの系譜に位置する傑作。

 

ベテラン鉄道機関士の一家の生活を、幼い末っ子の男児の目で見た家族の物語。初老の夫婦、働く意欲のない長男、結婚生活が上手く行かない娘、まだ年端のいかない二男。この映画の名作たる所以は、この子役エドアルド・ネヴォラによるところが大きい。

    

映画の目線が普通の庶民にあてられていることが好感度のゆえか。父親の仕事場や同僚たち。共に繰り出す酒場そして歌。娘の亭主の町場の薬屋。新しい勤め先の洗濯場。長男のひと山上げよう気質とヤクザとの絡み。喜怒哀楽の姿が愛おしい。

  

この映画を最初に観たのは、学生の時だったろうか。足繁く通った名画座の類だったと思う。洋画の女優というもののイメージの原型が、この映画のシルヴァ・コシナと『第三の男』のアリダ・ヴァリである。イングリッド・バーグマンでもグレース・ケリーでもカトリーヌ・ドヌーブでもない。自身以外ではあった。

【1956年イタリア作品 監督・主演 ピエトロ・ジェルミ】

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