処遊楽

人生は泣き笑い。山あり谷あり海もある。愛して憎んで会って別れて我が人生。
力一杯生きよう。
衆生所遊楽。

ボランティア初体験

2024-03-15 22:20:09 | 身辺雑記

恥ずかしながら、これまでボランティアなるものをしたことが無かった。この《ボランティア》という呼称も活動も、我が青春時代には聞いたことも見たことも無かった。似たようなものが《手助け》《助け合い》であったか。歳末に街角で楽器を奏でては協力を呼びかけるキリスト教系の社会活動を目にしていた程度だった。
それが阪神淡路以降、各地の災害救援活動に身を挺する若者の姿が目に見えて増加し、今では行政や国を救援に引っ張り出す大きな民衆勢力となってるのだから恐れ入る。正直なところ、身体が動いていた時代は時間も経済的余裕が無く今はその逆。あの「かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め」と宣うたスーパー・ボランティア小畠春夫氏の一世風靡からこのかた自然災害が報じられるたびにイジケては肩身の狭い思いをして来た。
ところが縁あって、生涯で初めてボランティア活動をすることになったのである。私にでも出来るボランティアの話が突如舞い込んで来たのだ。普段、街路樹保護運動をしている知人が、その運動仲間の「ボランティアが集まらない」とのぼやきを耳にし「暇を持て余しているのがいるから聞いてみる?」となり、働くのは2日間の午前中だけという条件に、「ならなんとか耐えられるだろう」と初挑戦になった次第である。
活動の場所は我が家から車で30分の ”遠藤笹窪谷公園” 。2年前に開園した浅い谷状の湿地・樹林・草地の生物多様性公園である。作業の中身は湿生畑地の草取りと石拾い。
初日、所定より30分早く現地着。9時前に 三々五々"仲間”が集まり、件の中心者より「今日から一緒にお願いします」と紹介される。男性6人女性1人。どうやら皆さんはお互いをよく知るボラン仲間のよう。どうやら60~70歳代。「無理はしない」「マイペース」「休み休みでいいから」「ひとのやり方を見て同じように」と大事かつ丁寧な訓示を戴く。作業道具は、用途に合ったのを勝手に使っていいと。まあ、腰痛持ちとしては、そのカヴァーに気遣わざるを得ず、肝心の作業の達成感より大過なく終えたことが何よりだった。
2日目、最終日。男性4人女性1人。前日とは違う皆さん。年齢域は同じくらい。作業衣・作業の腰つき・会話内容など相当のベテランか以前こうした仕事をしていたような頼もしい男衆。この日は石拾い。拾ってはプラバケツに入れていくのだが、土中から頭出しの石を掘り起こす作業はその石の大きさが判らず、結構な重労働。この日は婦人のボラン仲間からチョコレートを2片戴き、そのお礼に当方からは飴玉1つ。11時20分作業終了。
この両日の作業に当たったメンバーは《花菖蒲班》というらしく、この次の作業のピークは花が咲く6月頃のようで、貴重な戦力しとして登録され、招集の員数に入ったようだ。登録済みのボランティア。今後は如何なる災害救援ニュースにも怖じることなく、頭を挙げ胸を張り社会貢献の最前線を我がこととして創意工夫に励んでいこう。


        

    

 

          

    

    

遠藤笹窪谷公園(遠藤健康の森)HP

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亀井野にも雪

2024-02-08 14:47:02 | 身辺雑記

2月5日月曜日、気象庁の降雪の予報通り午後にはか細い雨交じりが夕方には思いぼた雪となり、翌朝には一面の雪景色となった。
都心は3センチ、箱根は8センチ、私の住む藤沢は2センチほどか。

    

感心なことに普段手足の小田急線は運休無し。多少の遅れはあっても、それも普段通り。

   

後で気が付いたこと。車のシート被いを忘れていた。幸い翌朝午前中には溶けて、お陰で雪払いはせずに済んだ。
が他方、脇の歩行路の雪は除雪無し。集合住宅の住人に労働力無し。悲しき現実。

    

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珈琲自家焙煎

2023-12-22 15:33:02 | 身辺雑記

珈琲の樹の北限は、日本では沖縄。その地でブログ主の樹を育てて貰っている。名義だけだが。過去の記録'17 My Coffee

実際にお目にかかったことは無い。4年前に沖縄行の計画を立てたのだが、思いがけないコロナの影響で実現せず今に至っている。

           

今年は台風の影響を受け、その後の成長が悪く、収穫には長い日数をかけざるを得なかったとのこと。

   

送って戴いた豆(実)はこぶし大の量。さてこの生の豆をどうするか。送り状には「近くの珈琲店などの業者が焙煎してくれます」と。
この夏、連れ合いの不在で2週間ほど自炊生活を余儀なくされ、さまざまに食のすべに挑戦した。ネットで簡単レシピを訪ね、ユーチューブの料理番組のメモ取りなどだ。その乗りで、自分で焙煎することにした。

   

先ず煎るためのツールをネットで探す。いろいろあるもので3万円以上もする家庭用焙煎機などは論外。結局、送料無し800円の手網にしたのだった。

   

この手網は底がステンレスで上蓋が網。ネットが教えるノウハウに沿って、初め弱火で水抜き、次いで中火・強火で焙煎。しっかり攪拌してムラを無くす。
左手で柄を持ち右手の菜箸で攪拌するのだが、悲しいかな疲れて左手が下がり網の底がコンロの中心部に触れると炎が消えてしまうことシバシバ。

    

で急遽、フライパンに変更。
ネット先生によると、開始10分で第1ハゼ。豆の内部が膨張しガスが外にでる音がパチパチ。一旦静まり2分後から第2ハゼ。高音でパチパチ。ここから香味成分が急激に変化するとある。

   

昔、爺ちゃんや婆ちゃんと七輪で南京豆を煎った時代を思い出す。菜箸を縦横に円形に動かしては火照る顔に手を当て周りの匂いを嗅ぐ。座っての動作だったのが今はキッチンでの立ちんぼ作業。

     

さて、味は?
ちゃんと珈琲の味はした。しかし焦げ臭さの方が強い。まあ第1回目としては、こんなもんだろう。自分としては及第点。    

     

 

 

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喜寿となる

2023-10-22 15:36:20 | 身辺雑記

かつての同僚から喜寿のお祝いとしてワインを頂戴した。

狙いすまして "その日" に宅配便で寄せられたのだった。

     

ラベルには祝われる人、つまり当方の氏名が横文字で綴られていたのにビックリ。

『77歳記念 2023.10.6 これからも健康で幸せな毎日を!』と祝文。

商品に付加価値をつけて営業の一端だろうが、このサービスを見出して買い求めた元同僚の厚情と熱意と行動に改めて御礼申し上げる次第である。

この新潟ワインのお客様への粋な計らいのもう一つは、大昔、誕生日に発行された新聞の写し。今回の場合は昭和21年10月6日付『読売新聞』。暫し面白く読んだ。

 

     

当方が生まれた日とは如何なる日であったのか。敗戦から1年2カ月を経ている。1面の見出し。

『放送の國家管理 罷業繼續すれば發動の用意あり 政府重大決意を表明』(4段)

『新聞ゼネスト總崩れ 朝日まづ不参加 毎日以下も保留 放送局のみ強行す』(3段)

『スト喰止め 社会黨必至の努力 "単一”に蹴らる 本社との話合打切り』

 

なお、A3用紙の裏面にはこの1946年から20年間が1年に着き3~5行で主な出来事が綴られている。これも1年項目をピックアップして歴史を振り返ってみよう。

1946年11月 日本国憲法公布
1947年  3月 GHQ最高司令官であるマッカーサーが初めての記者会見
1948年11月   東京裁判結審、A級戦犯・死刑7名、無期禁固16名、有期禁固2名、免訴3名
1949年10月 湯川秀樹が日本人で初めてノーベル賞を授賞
1950年  6月 朝鮮戦争勃発。福岡県など西日本各地に空襲警戒警報が発令される
1951年 1月    第1回NHK紅白歌合戦放送
1952年 5月 メーデー、デモ隊と警官隊が乱闘。2人射殺1230人検挙
1953年 3月 スターリンの死で株価暴落
1954年 3月 第5福竜丸がビキニ環礁で水爆実験の放射能被曝
1955年 7月 後楽園ゆうえんち開園
1956年12月 日ソ共同宣言。日本、国際連合に加盟
1957年10月 ソ連、世界初の人工衛星スプートニク号打ち上げに成功
1958年12月 東京タワー完工式
1959年 9月 伊勢湾台風、死者5041人、被害家屋57万戸
1960年 7月 池田勇人内閣成立、厚生大臣の初の女性閣僚中山マサ就任
1961年 4月 人類初の有人衛星 ソ連のボストーク1号がガガーリンを載せ地球一周に成功
1962年 6月 北陸本線北陸トンネル開通
1963年11月 ケネディ米大統領ダラスで暗殺
1964年10月 東京オリンピック開幕
 

ういえば以前にも同様なことがあったことを思い出した。12年前、所は大阪。物は鹿児島の焼酎。

最後になるが、このしゃれた販売企画を持つワイナリーのHPを紹介しておこう。

セトワイナリー

 

 

 

 

 

 

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並走50年

2022-04-28 13:38:17 | 身辺雑記

いわゆる《金婚式》を迎えた。いや、迎えることが出来たというべきか。

タイトルを《伴走》とも考えた。が、かつて師から結婚について「見つめ合うとか手を携えてとか励まし合ってというのもいい。最も望ましいのはそれぞれが自分の使命に向かって並んで歩むことだ」と伺った。《伴走》には支えが含まれよう。《並走》は自力。で、ここではカッコよく《並走》とした。周恩来夫婦がお互いを戦友と呼び合ったことが視野に有るかも知れない。

並走の相方は勿論家内。この”家内”という呼称、長らくひと様の前で普通に口にしてきたのだが、近頃は使い勝手が悪い。”妻”と言うにはこそばゆい。”パートナー”ではビジネスのよう。”細君”は他人の妻。”女房”は昭和の匂い。で、最近は”かみさん”が多い。”連れ合い”も悪くないがまだ慣れない。

二人の記念のイベントはやはり温泉。近場を車で二泊の旅。選んだのは、熱海・伊豆山の ”ニューさがみや” と伊東の ”別邸 そらのうえ”。
ニューさがみや” はリピート30回を超える気心も勝手も知ったリラックスできる宿。お湯も眺めも料理も言うこと無し。

    

 

別邸 そらのうえ” は、ネットで《記念の日には》というキャッチに魅かれて選んだ一日4組の客しか取らない宿。どうも肉がよさそうだというのも決めた理由。

 

デザートで出して頂いたデコレーション。

この50年、振り返れば最初の40余年間、私の相方は週6日は一人で夕食。次く10年間は週4日。最近の3年間でやっと二人一緒の夕食となった。それもコロナ感染によるリモワークのお陰で。

金婚式はひと前では能天気に祝えない。伴侶を亡くした知人・友人も多い。われらもこの先いつか片方が欠ける。明日かも知れない。
これまでかけた苦労の幾分の一かは返さなくてはいけない。短い歳月だが少なくともその努力を日々積み重ねて行こう。一瞬そう誓ったのだった。

自宅を出発する直前に宅配便を受け取る。差出人は、何と一回り以上若いかつての同僚だった。私の結婚記念日など知るはずもない彼からとは・・・。結婚当時は彼はまだ入社さえしていなかったのだから。

帰宅後、改めてのお礼の電話の際に、10年前にふとした切っ掛けで結婚年月を知り、サプライズの時を楽しみにして来たと宣った。参った。恐れ入った。
〈思いやり〉とは〈思いを遣る〉ことを言うそうだが、昨今ここまでの深い心を持つ人は多くはなかろう。ただただ感謝するのみ。

ちなみに《メゾン・ジョセフ・ドルーアン クロ・デ・ムーシュ・ルージュ 2018》というブランド。ブルゴーニュの中心地ボーヌの産。いつ開けるか!誰と飲むか!暫くチョイスを楽しもう。

今の想いに相応しい曲を2つ。

『縁は異なもの』 Dina Washington

『明るい表通りで』 Louis Armstrong

 

 

 

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認知症機能検査

2021-07-29 16:09:53 | 身辺雑記

先日、自動車免許更新の一環として、高齢者認知症機能検査を受けた。

第1問は、検査当日の年月日と時間を記入するもの。

第3問は、時計の文字盤を自ら書き、試験官が発表した時刻を、その文字盤にと大小の針を自分で書き込むというもの。まあ、この2問はまあいい。

問題は第2問。出題として提示された16枚の絵を覚え込み、数分の数字選定の作業のあと、提示された絵が何の絵だったかを、思い出せるだけ記すというもの。

 

 (大砲・オルガン・耳・ラジオ)

これを、順不同でも構わず列挙する。一つでも多く書ければその分点数が上がる。この2問が最も配点が多い。結局、合否はこの第2問で決することになる。

結果、76点以上は問題なし、75~49点記憶力・判断要注意➡講習時間増、48点以下記憶力・判断低下➡医師診断、に振り分けられる。

第2問の絵は、4パターンが用意され、当日出題されるのは1パターンのみ。で対策上どうしたか。

この4パターン計64枚の絵をパターン毎に全部覚えることに集中した。ちなみに、これはyoutube或いは警視庁HPで入手可能。

朝のウォーキングの1時間を利用してメモを枯れた脳に押し込んだ。夜ベッドの中で復習の暗唱。3週間を2日に一度の割合だったろうか。

10日後警察署から通知が届く。100点満点。メデタシメデタシ‼

 

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或る世界地図

2021-06-16 15:41:57 | 身辺雑記

先日、仙台に住む畏友から世界地図帖を戴いた。実は、"畏友"と呼ぶにはそれこそ文字通りの畏れ多い人生の大先達である。40年来行き来を重ね折々にご教導を戴いて来た。
東日本大震災では、被災3県を中心に東北中を救援に駆け回り、希望と勇気と励ましをされた人格と行動の人である。

    

戴いた便りに同封された氏の添え書きには、「福島県の90歳の婦人から戴いたもので、その婦人が尊敬してやまない人生の師(池田大作創価学会名誉会長)の世界平和の行脚が今年で70年。記念にその足跡を辿ったその方の自作の地図です。戴きました」とあった。

   

手に取れば、DAISOの『WORLD ATLAS 世界地図』。
地図には、池田氏が訪れた国名と年月がそれぞれの国に貼ってある。
54か国を数える。1か国1行なので、おそらく複数回の訪問の場合は第1回目をカウントしてるのだろう。

    

  《 アジア  》  

            

   

   《 アメリカ 》

 

一行のメモはマーカーで色分けされている。大陸別ということのようだ。

     

  《 ヨーロッパ 》 

 

  

 《 周恩来と池田氏 》

 

人生の師匠に感謝したい宣揚したい、それをどう表現するか様々である。各人各様である。

創価学会のホームページをはじめとして関連情報は溢れている。テキスト、画像、データなどの内容は、規模と深さとヴィジュアルにおいてこの地図帖の数十倍数百倍であろうと思う。

           

      《 池田大作氏 》

齢90の婦人は、DAISOの世界地図帖を選択し、エクセルで年月と国名の一覧表を作り、1行づつ切っては貼り付けをしたに違いない。これを100部仕上げて、記念のお祝いとして親しい友人・知人に差し上げておられ、これはその中の一冊、お裾分けである。

ブログ主も馬齢を重ねて、人生の機微や感謝の心を知るようになった。

思いは行動に表れる。表れてこそ、 ”思い" "心”は他者に伝わる。この先の人生に大きな勉強をさせて戴いた。感謝である。

 

 

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プラネタリウム

2021-06-13 13:38:23 | 身辺雑記

『タウンニュース』の隅の告知案内で知り、コロナ禍の引きこもりの気分転換の積りで行く気になった。
プラネタリウムは、小学生の頃に初めて経験し、23~24歳の時のデートが2回目。で今回が3回目。

 

《のんびりアロマ》のキャッチに惹かれ、香りに包まれての星空の下の12時間(実時間は50分)。解説無しというのがいい。上の画像は、江の島の展望台から片瀬、鵠沼海岸方面を望むプラネタリウムの投影画像。
場内は、児童が多いと思いきや、若い男女のペア、母娘の二人連れと夫婦物。

 

    

事前に電話で予約、入場料は@500円。入場時に本日のスペシャル・プレゼントの紙石鹸を戴く。懐かしい! 本日のアロマ【玉響】(たまゆら)。松・ライム・バチュリのブレンド。場内にも馥郁を微感。

   

上映中の音楽は、あれはきっとビル・エバンス・トリオのバラード。ベースが効いている。
この演出の最後の曲の予想を試みた。「星に願いを」。
結果 "ピンポーン" 。

 

上機嫌。とてもいい夜になった。
残念なのは、終了後に食事が出来なかったこと。緊急事態制限下で飲食店の営業は20時まで。
余韻を楽しみたかったのに。

 

 

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畑のキッチン

2021-05-06 13:46:35 | 身辺雑記

コロナ禍でリモワーク体制が1年余となった。通勤が無くなったぶん歩かなくてはと、午前中の約1時間をウォーキングに充てている。週に3~4日か。その日の気分によってコースを選ぶ。

その中の一つ、農道を行くコース(名付けて「乗馬クラブ・コース」)にひと月前頃から路端にキッチン・カーが出、覗けばピザ屋さんのよう。

藤沢はブランド・トマトの産地。畑地のビニールハウスでは日々成長するトマトが見られ、次第に赤みを帯びてきている。時期がくれば、それら芳醇なトマトが脇の一角で路地販売され、毎早朝買い求める人が並ぶ景色が現出する。

    

どうやら、ピザもそのトマト農園の身内がやっているようだ。新鮮で芳味満載のトマトが売りで、採りたての野菜もトッピングされる。値段は900~1100円。

  

焼ける時間待つこと10分。一つ買い求め、ウォーキングをUターン。焼いて売ってくれたお兄さんが「うまく焼けてないかも・・・」と小さな声で呟いていたが、開けて判った。焦げていた。

でも美味しかった! 焼き過ぎは承知の手際だったのかと思えるほどに、香ばしく果汁が広がり歯ごたえもしっかり。いつもと一味も二味も違ったランチになったのだった。

   

前の日には強風で一尾の鯉もこの日は三尾でこの豪快な泳ぎ。最終日でした。

 

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作家の想像力

2021-02-10 11:46:35 | 身辺雑記

朝日新聞に連載中の小説『また会う日まで』(池澤夏樹作 影山徹画)2月10日付けの内容に感銘を受けたので、残しておきたい。作家の想像力とはいかなるものか、どれほど読む者の感情をうごかすものか 。一読して、暖かと優しさと幸せと力に満たされたことか。

主人公は、東京大学で天文学を学ぶ大日本帝国海軍中尉。夫婦に生まれた子、赤子に初めて対面した時の描写である。

こんなに小さくて、こんなに赤くて、こんなに大声で泣くものなのか。いや、大声で泣くから赤くなるのだ。乳を飲んで満足して眠っている時はむしろこの子は色白である。その心を想像してみる。

暗くて暖かなところでうつらうつらしていたら、もうそこを出なさいと言われた。押し出され、引き出されて、明るい涼しいところに出た。息をしなければならない。不安で、怖くて、大声で泣いた。

泣くといい気持ちだった。息を吸って、それを声にして出す。自分の声が自分で聞こえる。何かが口先に押し当てられた。口を開いてそれをくわえる。

   

吸いなさいという声が聞こえた。おいしいものが出てくる。夢中で吸って飲んだ。たくさん飲んで眠くなった。出す方も気持ちよかった。何か暖かいものが身体の下の方からでていく。すっきりする。脱がされたり着せられたり、いつも暖かいものに包まれていた。誰かに抱かれていた。揺すってもらえる。いろいろな声が話しかけてくれる。そっと撫でられる。しあわせだった。

かつて、筒井康隆氏の連載小説の、”3.11”遭難者のまるでそこに居たかのような叙述にも、逆の意味で度肝を抜かれたものだった。

寺田寅彦が『読書と人生』で日刊紙の廃止を訴えたのはもう一世紀も前になる。彼が憂いた人間の生活や精神を害する三面記事は依然もりだくさんである。同意である。とはいえ、廃止されたら困る。こうした想像力に満ちた世界に接することが出来るかもしれないという連載への期待は、日々持ち続けていたいから。

 

 

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